円谷プロダクション

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株式会社円谷プロダクション
Tsuburaya Productions Co., Ltd.
Tsuburaya production head office hachimanyama setagaya tokyo 2009.JPG
八幡山の旧本社社屋
種類 株式会社
略称 円谷プロ
本社所在地 日本の旗 日本
150-0044
東京都渋谷区円山町3番6号
E・スペースタワー12階
設立 1963年4月12日
業種 情報・通信業
事業内容 映画事業
テレビ事業
コマーシャル事業
ブルーレイ、DVD事業
音楽、映像事業
キャラクター事業
イベント事業
テーマパーク事業
レジャー施設事業
コンピューターのソフトウェア及びハードウェア事業
コンピューターグラフィックス事業
インターネット事業
特殊美術設計施工
代表者 代表取締役社長 大岡新一
資本金 3億1,000万円(2008年1月21日時点)
売上高 55億8,884万円(2007年2月期実績)
総資産 52億896万円(2007年2月期実績)
従業員数 71人
決算期 2月末日
主要株主 フィールズ 51.0%(連結子会社
バンダイ 49.0%
主要子会社 上海圓谷企画有限公司
関係する人物 円谷英二(創業者)
外部リンク 円谷プロダクション
特記事項:
1963年4月12日、株式会社円谷特技プロダクションとして設立。
1968年12月6日、株式会社円谷プロダクションに商号変更。
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円谷プロダクション(つぶらやプロダクション)は、円谷英二が設立した日本の独立映像製作会社。

高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られ、『ウルトラシリーズ』を始めとする数多くのテレビ番組劇場映画を製作し続けている。

経営母体の変遷[編集]

円谷プロダクションの作品は『ウルトラシリーズ』に代表されるようにクオリティの高い作品が多いが、それゆえに1本当たりの制作費が高くなり作れば作るほど制作費の赤字がかさむという負の連鎖に長年悩まされていた。やがてこの問題は円谷プロダクションの経営にたびたび大きく影響を及ぼしはじめた。

東宝の傘下[編集]

円谷プロダクションの設立当初は創業者の円谷英二の出身の映画会社である東宝との結びつきが強く円谷プロダクションの筆頭株主にもなっており東宝役員が非常勤役員を兼ねたり支配人など事務系スタッフを出向させていた。また東宝の東京都世田谷区撮影所近くにある衣装部の倉庫東京美術センター(現:東宝ビルト)を円谷プロダクションに提供したり東宝受注のテレビ映画を孫受け発注するなどしていた。

1969年に『怪奇大作戦』が終了する頃になってもテレビ局からの新番組の発注はなく仕事が途絶える。経営に行き詰まった円谷プロダクションは資金調達のために増資。筆頭株主の東宝は、これを引き受けて円谷プロダクションの60%の株を取得して子会社化。社長は円谷英二だが東宝からは7人の役員が派遣されて東宝の藤本真澄も代表権を持った。専務取締役は円谷皐、取締役は円谷一有川貞昌が就任。東宝はリストラによる経営再建策で金城哲夫の所属する企画文芸部を廃止して約150人いた社員を40人にまで圧縮[1][2]。滞っていた業者への支払いや借金返済についても親会社となった東宝の力によって5年間の猶予期間が設けられた。そのおかげで円谷プロダクションは制作を継続することができた[3]1970年1月25日に円谷英二の病死により取締役の円谷一が2代目社長に就任。1973年2月9日に円谷一の急死により専務取締役の円谷皐が3代目社長に就任。

1979年に映画『ウルトラマン怪獣大決戦』が松竹富士系で大ヒットした際はキネマ旬報ライバル松竹に塩を送った格好の東宝は渋い顔という記述がある(東宝での配給は断ったという)。1983年円谷一夫が円谷プロダクションに入社して営業課長に就任。

経理は東宝の出向重役が管理しており代表印も東宝が保有していた。これにより東宝のメインバンクであった三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)からの融資も容易になっており経営難を乗り越えることができていた[4]。円谷皐は、この状況を快く思っておらず1992年TBSへ期限付きで譲渡していた『ウルトラシリーズ』の販売権や窓口権が戻ってくると、これらの権利を担保に得た資金で円谷皐の事実上の個人会社であった円谷エンタープライズが東宝の保有する円谷プロダクションの株を買い取り東宝との資本関係を解消[4]

円谷家の経営[編集]

円谷プロダクションの株は円谷皐が過半数の株を取得する円谷エンタープライズが45.5%を保有して円谷皐も個人として円谷プロダクションの株の15%を所有しており円谷皐が株の過半数を握るオーナー社長として経営にあたった[5]

1995年6月11日に円谷皐が病気により退任して営業部長の円谷一夫が4代目社長に就任。21世紀初頭からは特撮テレビシリーズの本格的再開に伴う制作費の増加の一方で大ヒットに恵まれなかったこと東宝からの離反に伴い後ろ盾の三和銀行をなくしたことによる経営基盤の弱体化して[6]、さらにかねてからのTBSとの関係悪化[7]などにより2007年2月の期決算では売上高約56億円に対して当期純利益は約4,400万円にとどまった。累積赤字の膨張による倒産を危惧した役員は円谷一夫から制作部の円谷昌弘への社長交代を要求して2003年に円谷昌弘が5代目社長、円谷一夫が代表権を持つ会長に就任した。さらに円谷プロダクションを退社していた円谷粲円谷英明が復帰して一族で経営にあたることになった[8]。一方で専務取締役の高野宏一は、この過程でバンダイの乗っ取りに加担する「クーデター」を計画したとして辞表を出すように要求されて円谷プロダクションを去ることになった[9]

2004年に円谷昌弘が女性社員へのセクハラ問題により辞任して円谷英明が6代目社長に就任[10]。経理の正常化を目指した円谷英明もまた1年後に役員会で解任動議が出されて過半数の株を持つ会長の円谷一夫の同意により解任[11]して東宝不動産の取締役だった大山茂樹が7代目社長に就任したものの2007年6月の取締役会で大幅なリストラを主張した大山を円谷一夫が解任して円谷一夫が復帰する形で8代目社長に就任[12]

TYOの連結子会社化[編集]

円谷プロダクションは銀行からの融資がストップして30億円の累積赤字を抱えて倒産の危機に直面して2007年10月に円谷プロダクションの非常勤取締役の森島恒行の紹介によりCM映像のコンテンツ製作などを手がける映像会社のTYOから当面の資金繰りのために数千万円の融資を受ける。しかし返済できずに担保となっていた円谷プロダクションの株の45.5%を所有する円谷エンタープライズの過半数の株をTYOが取得。さらにTYOが第三者割当増資で取得した株と合わせて円谷エンタープライズの筆頭株主(80%を保有)となった。また円谷一夫が当時保有していた円谷プロダクションの株の22.5%を円谷エンタープライズに譲渡することにより円谷エンタープライズにおける円谷プロダクションの株保有比率を45.5%から68.0%に引き上げた。これらのプロセスを経て円谷プロダクションの経営権はTYOが取得してTYOのグループ入り[13]。円谷一夫が解任されて非常勤取締役の森島恒行が9代目社長に就任。

TYOの経営参画後は円谷一夫が円谷プロダクションと円谷エンタープライズの取締役会長として残ったものの円谷プロダクションの設立以来続いてきた設立者一族の円谷家による同族経営に終止符がうたれることとなった。

バンダイナムコグループの資本参加[編集]

TYOによる内部的な組織改革などが進み、これらと平行して円谷プロダクションとは『ウルトラシリーズ』で強い縁を持つバンダイナムコグループが資本参加。2008年1月21日にTYOは持ち株のうち33.4%をバンダイナムコグループの子会社であるバンダイに譲渡売却。同年に森島恒行が辞任して制作統括の大岡新一が10代目社長に就任。2009年7月には更なる株式譲渡が行われており(現在のバンダイ持ち株比率は49%)バンダイナムコグループの円谷プロダクションにおける経営発言力は増加している。

そして、この間に円谷一夫は会長から名誉会長へ退き、その名誉職も2009年に退任となり、これで円谷家は円谷プロダクションの経営から一切排除されることとなった。

フィールズの連結子会社化[編集]

2010年4月2日TYOは保有する51%の株すべてをパチンコの開発販売会社のフィールズに売却して円谷プロダクションはフィールズの子会社となった[14][15]

沿革[編集]

歴代社長[編集]

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 円谷英二 1963年 - 1970年 円谷プロダクションの創業者
2代目 円谷一 1970年 - 1973年 円谷英二の長男
3代目 円谷皐 1973年 - 1995年 円谷英二の次男
4代目 円谷一夫 1995年 - 2003年 円谷皐の長男
5代目 円谷昌弘 2003年 - 2004年 円谷一の長男、女性社員へのセクハラ問題で退任
6代目 円谷英明 2004年 - 2005年 円谷一の次男
7代目 大山茂樹 2005年 - 2007年 東宝不動産の取締役から招致、円谷家以外から初の社長就任
8代目 円谷一夫 2007年 大山茂樹を解任して復職
9代目 森島恒行 2007年 - 2008年 円谷エンタープライズの設立に参加
10代目 大岡新一 2008年 - 円谷プロダクションの生え抜きカメラマン

作品[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

CM[編集]

舞台[編集]

制作協力[編集]

ヒーロー一覧[編集]

エピソード[編集]

エイプリルフール[編集]

2000年代後半からエイプリルフールになるとインターネットで手の込んだネタを発表することでも知られる[26][27]。これらのネタは円谷プロダクション公式サイト「円谷ステーション」を運営するサイバーエデン円谷英二のひ孫にあたる円谷洋平が所属する会社)が企画して最後に円谷プロダクションが監修するという形をとっている[27]。これまで発表された主なネタは下記の通り。

人気投票[編集]

2010年2013年の2度に渡りインターネットで歴代キャラクターの人気投票を実施している。

所属スタッフ[編集]

過去の所属スタッフ[編集]

過去の関連スタッフ[編集]

円谷プロダクション芸能部[編集]

円谷浩をマネジメントする目的で設置されて円谷浩が他社へ移籍した後も所属タレントのマネジメントを行っていたが慢性的な赤字体質を脱却できず、経営改革に伴い、2007年10月31日をもって閉鎖して所属タレントとスタッフの大半は円谷ミュージックの新会社のT.M.Labに移籍していたが2013年11月をもってT.M.Labが所属アーティストと所属タレントのマネジメント業務を終了したため所属タレントの大半は新たに設立した芸能事務所vifに移籍。

過去の所属タレント[編集]

男性[編集]

女性[編集]

グループ[編集]

円谷プロダクションから独立した会社[編集]

関連施設[編集]

砧社屋[編集]

かつての社屋(旧本社)

に存在した円谷プロダクションの初代社屋。元々は東宝スタジオ京都衣装(現:東宝コスチューム)の衣装倉庫として使用されていた施設であり1964年東宝が資本参加した際に円谷プロダクションへ提供[33]。京都衣装以前は医療関係の建物であったとされる[33]

2005年の本社移転に伴い名称をKinuta Digital SymphonyとしてCG部門の編集スタジオとして使用されていたが2008年に解体。

快獣ブースカ』に登場した大作発明研究所や『ウルトラセブン』第8話に登場した警察署などは砧社屋の建物を使用して撮影されている[33]

円谷プロダクションの製作以外の作品では『有言実行三姉妹シュシュトリアン』第40話で砧社屋がロケ地の1つとして使用されている。

怪獣倉庫[編集]

社屋2階に存在したヒーロー怪獣着ぐるみを保管する倉庫。当初は着ぐるみに特化していたわけではなくミニチュアなども保管されていた[33]

2005年の本社移転に伴い収蔵物の多くも新社屋に移されて[34]、その後、着ぐるみや小道具などの一部を陳列した展示スペースとして不定期に一般公開していた[35]

2008年の砧社屋の閉鎖により倉庫も解体されたが京都衣装(現:東宝コスチューム)の時代から存在した衣装整理用の札が貼られた柱の一部は円谷プロダクションで保管されている[36]

怪獣倉庫が『ウルトラファイト』第196話や『ウルトラマンマックス』第24話などの撮影に使用されている[33]

東宝ビルト[編集]

2009年まで存在した東宝撮影所の1つ。円谷プロダクションの所有施設ではないが『ウルトラQ』以来多くの作品が撮影されて円谷プロダクションの出資により改築も行われるなど関係性は深かった[33]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、つぶやき自体はTwitterの公認アカウントを取得して行われたので各、ウルトラマン怪獣の個別つぶやきはTwitterで閲覧できたがブースカと「ウルトラマンフェスティバル2010」のアカウント以外は「翻訳者の体力的限界」を理由に1日のみで更新を停止して、それまでのつぶやきも全面的に削除。その後、一部のアカウントは不定期に更新されている。外部リンクの「円谷ッター(ツブッター)跡地」にTwitterの円谷プロ公認アカウントリンク集あり。

出典[編集]

  1. ^ 円谷英明 2013, pp. 49 - 50.
  2. ^ 白石雅彦「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」双葉社、2006年、p.239
  3. ^ 伊藤孝一公野勉小林義寛「映画はこうしてつくられる」風塵社、2008年、p.225。円谷粲インタビューより
  4. ^ a b 円谷英明 2013, pp. 87 - 92.
  5. ^ 円谷英明 2013, pp. 129.
  6. ^ 円谷英明 2013, pp. 89.
  7. ^ 円谷英明 2013, pp. 64-65.
  8. ^ 円谷英明 2013, pp. 140-142.
  9. ^ a b c 大揺れ円谷プロ、セクハラ後はリストラ騒動 前専務のカリスマ特技監督が怒りの提訴ZAKZAK、2003年9月2日
  10. ^ 円谷英明 2013, pp. 170.
  11. ^ 円谷英明 2013, pp. 182.
  12. ^ 円谷英明 2013, pp. 183.
  13. ^ 円谷英明 2013, pp. 163、186.
  14. ^ 子会社化(株式会社円谷プロダクションの株式取得)に係る株式会社ティー・ワイ・オーとの譲渡契約締結に関するお知らせ (PDF)
  15. ^ 円谷プロ、パチンコ機器関連会社の傘下に YOMIURI ONLINE読売新聞)2010年3月17日
  16. ^ a b c 「円谷特技プロの創立」『不滅のヒーローウルトラマン白書』 朝日ソノラマ〈ファンタスティック・コレクション・スペシャル〉、1982年12月31日、初版、11頁。雑誌コード:67897-80。
  17. ^ 白石雅彦「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」双葉社、2006年、p.177
  18. ^ 白石雅彦「円谷一 ウルトラQとテレビ映画の時代」双葉社、2006年、pp.179-180
  19. ^ 円谷英明 2013, pp. 73、77.
  20. ^ 円谷英明 2013, pp. 74-75.
  21. ^ a b c プロフィール 円谷夢工房公式サイト内
  22. ^ 津田浩司「国境を越える日本映像ビジネスの現状」、1996年2月号、pp.56-57
  23. ^ 円谷英明 2013, pp. 90.
  24. ^ 円谷英明 2013, pp. 126、129.
  25. ^ 円谷プロの“聖地”にお別れMSN産経ニュース 2008年2月6日報道(現在は公開終了)。Internet Archive Wayback Machineに納められた当時のコンテンツはこのリンク先から閲覧可能。
  26. ^ 2010年4月1日、今年もすごいぞ! エイプリルフールネタ合戦、円谷プロから2ちゃんまで
  27. ^ a b c d e f g h 毎年話題のエイプリルフール企画を生み出す「円谷プロ」インタビュー、INTERNET watch(インプレス)、2010年4月23日 6:00。
  28. ^ 【ウルトラマン基金】ウルトラ5つの誓い2011 ウルトラチャンネル
  29. ^ 「ニュース 「円谷ヒーロー&怪獣・星人ランキング」実施中!壁紙プレゼント!」、円谷プロダクション公式サイト、2010年8月17日
  30. ^ 円谷ヒーロー・怪獣&宇宙人ランキング!結果」、ウルトラマンシリーズ45周年記念サイト(円谷プロダクション公式サイト)、2011年1月
  31. ^ 円谷プロダクション創立50周年記念 ウルトラ怪獣総選挙」、円谷プロダクション公式サイト、2013年9月
  32. ^ ウルトラヒーロー総選挙2013」、円谷プロダクション公式サイト、2013年9月
  33. ^ a b c d e f ウルトラマン全史 2013, pp. 4-5.
  34. ^ 「マックス怪獣造型の秘密 開米プロダクション」『ウルトラマンマックス マックス!マックス!マックス!怪獣大画報』 宇宙船編集部 編、円谷プロダクション 監修、朝日ソノラマファンタスティックコレクション〉、2006年10月30日、72頁。ISBN 4257037350
  35. ^ 「さらば、空想特撮の夢工場」、『宇宙船』Vol.120(2008年春号)、ホビージャパン2008年4月1日、 pp.84-87、 ISBN 978-4-89425-693-4
  36. ^ 『円谷プロ図録』 ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK〉、2013年、160頁。ISBN 978-4-7770-1440-8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]