中延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本 > 東京都 > 品川区 > 中延

中延(なかのぶ)は、東京都品川区の地名。現行行政地名は中延一丁目から中延六丁目。

中延スキップロード。

地理[編集]

品川区南西部に位置する。町域北部は26号線通り(東京都道420号鮫洲大山線)に接し、これを境に品川区平塚に接する。東部は一丁目・二丁目・三丁目は品川区東中延に接する。また、四丁目・六丁目では第二京浜に接し、品川区豊町・品川区二葉・品川区西大井にそれぞれ接する。南部は大田区北馬込に接する。西部は品川区西中延旗の台にそれぞれ接する。町域内を荏原文化センター通り、昭和通り、弁天通り、大原通りがそれぞれ通っている。また、地域内を東急池上線東急大井町線線路が通っている。

町域内は第二京浜沿いに商業ビルやマンション等の高層建造物、駅周辺に商店街(中延スキップロード、荏原町商店街など)が伸びる他は住宅地として利用される。

歴史[編集]

享保15年(1730年)の『本化別頭仏祖統紀』には、13世紀荏原郡領主荏原義宗が中延郷に居住していたとある[1]弘治2年(1556年北条氏康の家人大道寺直政・清水永英により山野が開拓された。永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』には「中之部」として見える。

江戸時代には荏原郡中延村。当初全域が天領で、伊奈氏に支配された。その後村内55石が松風十左衛門に与えられたが、1664年寛文4年)養子の五郎右衛門が殺傷事件を起こして改易され、寺領となった。天領は寛政4年(1792年)の伊奈氏改易後は大貫光豊支配となった。19世紀前半の一時期、下中延村が分立した。

1889年明治22年)町村制施行により平塚村の大字となる。1932年昭和7年)より荏原区中延町。1941年(昭和16年)中延・東中延・西中延などに分割された。1965年(昭和40年)住居表示実施により中延と東中延の一部が中延一~六丁目に編成された。

地名の由来[編集]

荏原郡など何らかの中部に位置したことによるともいわれるが、不明である。江戸時代までは「なかのべ」と読んだ。

同潤会荏原普通住宅地[編集]

中延二丁目には周囲と異なる街区パターンの住宅地があり、これはかつての同潤会荏原普通住宅地である。

交通[編集]

町域内に東急大井町線荏原町駅、同線と都営浅草線中延駅が置かれている。西部では荏原町駅が、東部では中延駅が利用される(東部の境界にある都営浅草線の中延駅の所在地は隣の東中延になっている)。また、北東部には東中延にまたがり東急池上線荏原中延駅があり、こちらも多く利用されている。また第二京浜などを走っているバス路線も利用可能である。

施設[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ これが文永年間館跡に開山したのが法蓮寺とされ、現在の地名では旗の台にあたる。

外部リンク[編集]