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山本リンダ

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山本リンダ
出生名 山本 あつ子
生誕 (1951-03-04) 1951年3月4日(67歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県小倉市
(現:北九州市
ジャンル アイドル歌謡曲
職業 歌手
活動期間 1966年 -
レーベル ミノルフォンレコード
キャニオンレコード
徳間ジャパンコミュニケーションズ
事務所 リンダ・ミュージック・オフィス
公式サイト 山本リンダ:オフィシャル・ホームページ

山本 リンダ(やまもと リンダ、1951年3月4日[1][2] - )は、日本歌手タレント。60年代および70年代アイドル。本名、稲葉 あつ子いなば あつこ[1][2]。旧姓、山本やまもと

身長168cm。リンダ・ミュージック・オフィス(自らの個人事務所)所属。

こまっちゃうナ』『どうにもとまらない』『狙いうち』などのヒット曲で知られる。「リンダ(Linda)」という芸名は、アメリカ人の父親に生前付けられた愛称である。なお、lindaはスペイン語ポルトガル語で「美しい」を意味する形容詞(の女性形)である。

来歴・人物

生い立ち

福岡県小倉市[3](現:北九州市)に生まれる[2]。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフ[1][2]。父親はアメリカ軍の軍人だったが、山本が1歳の頃に朝鮮戦争で戦死した。そのため女手一つで育てられ、家庭は非常に貧しかった。

4歳の時に[要出典]神奈川県横浜市神奈川区[要出典]に引っ越す[2]。小学校時代はハーフであるために学校でいじめられ、近所の大人たちからも白眼視されていた。そんな山本をいつも優しく慰めてくれたのは母だった。大阪出身の母がよく作ってくれた醤油味のお好み焼きは、山本にとって特別な思い出の料理となっている。

1960年代

母に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。1962年昭和37年)に雑誌『装苑』のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、人気モデルとして活動する。

第1次ブーム

1966年(昭和41年)、高校在学中の15歳の時に、ミノルフォンレコード(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)より遠藤実作詞作曲のシングル「こまっちゃうナ」で歌手デビュー[1][2]。同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国に知られるようになった。翌年、『第18回NHK紅白歌合戦』でNHK紅白歌合戦初出場を果たした。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」であった。

しかし、デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした後はヒットに恵まれず、人気は低迷する。

1970年代

1971年(昭和46年)、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)に移籍する。

『仮面ライダー』

同年7月から同年12月まで東映制作の『仮面ライダー』(毎日放送)に出演した[1][2][注釈 1]。同作のプロデューサー阿部征司は「山本は事務所移籍前で歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている[1]

『仮面ライダー』の北海道ロケでは、宿泊先のホテルの歓迎看板に「山本リンダ御一行様」と書かれたこともあったという[1][4][2]。この時期の『仮面ライダー』はまだ一般的な知名度が低かったため、ホテル側が「リンダの名を出した方が宣伝になる」と考えた結果だったようであるが、リンダ本人は道義を欠いたこの行為に「他のみなさん方に失礼です!」と激怒し、即座に看板を「仮面ライダー御一行様」に訂正させたという[1][5][2]。主演の佐々木剛も「事前に言ってくれれば自分も喜んで宣伝に協力したのに」と、勝手にリンダの名前が使われたことに苦言を呈している[6]

夏を迎えて『仮面ライダー』は大ヒットし、高視聴率を獲得。リンダの認知度は、子供達のみならずお茶の間全体で上昇した。当時、山本は孤独感が強かったらしく、『仮面ライダー』での出演者やアクションチーム(大野剣友会)が「撮影の合間に鬼ごっことかかくれんぼをして遊んでくれたのが、とても楽しかった」と述懐している。

第2次ブーム

1972年(昭和47年)、キャニオンレコード移籍第2弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家作曲家であった阿久悠都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表[2]。セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲は大ヒットとなり[2]、再びヒット歌手として脚光を浴びた山本は「アクション歌謡」の先駆けとなった。当時前例のなかったへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「こまっちゃうナ」時代を上回る人気を獲得。「へそだしルック」の第1号となる。同年、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックした[1][2]

1973年(昭和48年)には「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場する。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得し、後のピンク・レディーに先駆けて「アクション歌謡」を全国に定着させた。『狙いうち』というタイトルが「ボールをヒットさせる」ことを想起されることから、東京六大学野球明治大学応援団は、作詞者の阿久悠が明治大学OBであったこともあり、同曲を「チャンステーマ」として導入した。それが甲子園にも伝播し、以後は高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われている。

1974年にも「闇夜にドッキリ」で第25回NHK紅白歌合戦に出場し、紅白歌合戦には3年連続で出場を果たした。その他にも「狂わせたいの」「じんじんさせて」「燃えつきそう」「きりきり舞い」といったヒット曲を連発する。

1976年(昭和51年)2月10日、「およげ!たいやきくん」のアンサーソング「私の恋人、たいやきくん!」(作詞:中山大三郎、作曲:穂口雄右)を発売。『夜のヒットスタジオ』で子門真人と共演するなど、この曲を契機としてタレント活動も開始する。

しかし、1970年代後半から再び人気が低迷。山本を陰で支えた最愛の母が自宅浴室で事故死し(享年50)、山本自身も所属事務所から解雇されるなど、再び不遇の時代を過ごした。地方の小さなスナックなどでのドサ回りもこなしたが、スナックに歌手の控え室などはなく、狭くて汚いトイレで衣装を汚さないように細心の注意を払いながら着替えなくてはならなかったという。

1980・90年代

第3次ブーム

1980年代後半に米米CLUBが山本の楽曲をカバーしてライブで演奏したほか、1990年平成2年)にはテレビアニメちびまる子ちゃん』の番組内で主人公・まる子が山本のモノマネをしたことなどから、山本はリバイバルブームに乗り再ブレイクする。1995年8月6日放送の「まる子フェスタしずおかへ行く」の回では、本人役で山本がアフレコを務めた。

また、自身の曲をハウス調にセルフカバーしたアルバムや、REMIXアルバムが続々オリコンチャートにランクイン。翌1991年(平成3年)の第42回NHK紅白歌合戦にも久々に登場した(『紅白歌合戦』には通算5回目の出場)。

名誉毀損騒動

1993年(平成5年)、ヘアヌード写真集を出版し話題となる。関西ローカル局ABCラジオラジオ番組誠のサイキック青年団』でパーソナリティの北野誠竹内義和が山本の写真集を辛辣にこき下ろしたところ、この放送を聞いたファンからの通告で番組内の発言内容を知った山本は激怒し、名誉毀損として1億円の損害賠償を請求した。その後、山本同席の下で番組側が全面謝罪することにより示談が成立。各メディアでは、記者会見にて北野と竹内が平身低頭で謝罪する姿が全国的に大きく報じられた。

1997年(平成9年)、テレビアニメ『新・天地無用!』の主題歌「夢はどこへいった」を発売。約20年ぶりにシングルランキングでもオリコンチャートへの復帰を果たす。

2000年代

2001年(平成13年)5月3日、7歳年上の常葉大学教授稲葉光彦と結婚。山本にとってこれが初婚である。

2005年(平成17年)、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。

また、代表作「どうにもとまらない」の歌詞をアレンジした「どうにもとまらない〜ノンストップ」が発売され(リメイクされた詞は阿久悠が「今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい」という想いから新たに書いたもの)、テレビアニメ『レジェンズ〜甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。これを記念して、同アニメには山本自身もゲストキャラとして1度だけ出演した。なお、「どうにもとまらない〜ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく『レジェンズ〜甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。作詞はen:Gary Perlman、歌はen:Brenda Vaughnがそれぞれ担当している。

2007年(平成19年)、宅配ピザチェーンドミノ・ピザのテレビCMソングとして、「どうにもとまらない」の替え歌「ド〜ミノとまらない♪」が起用される。このCMではお笑いタレント劇団ひとりが演じるドミノ・ピザのイメージキャラクター「ドミノ★スター」が、多くのドミノ・ピザファンが取り囲むステージ上で同曲を熱唱している。

2010年代

2010年1月、9mm Parabellum Bulletによって『どうにもとまらない』がカバーされる。山本は「9mmバージョンの『どうにもとまらない』は、彼達らしいかっこいいサウンドの中のとってもさわやかなボーカルが印象的でした」とカバー曲を評した上で、同バンドに対しても「この度ほかの楽曲も聴かせていただきましたが、かっこいい。たくさんいい楽曲を作って、大きく羽ばたいてほしい思いです」とエールを送っている。

2013年(平成25年)10月14日、北九州市制50周年関連イベントとして開催された「第6回北九州ミュージックフェスタ」のフィナーレライブにゲストで呼ばれ、その席で市長北橋健治から「北九州市特命大使(文化)」を委嘱された[7]

同年12月4日に放送された『2013 FNS歌謡祭』では、倖田來未とのコラボレーションで『どうにもとまらない』を披露した。東京御徒町在住。

2016年(平成28年)の第59回オールスター競輪松戸競輪場)では花束贈呈を担当(前年の第58回でもイベントを実施した)[8][9]

音楽

シングル

# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 オリコン
最高位
1960年代
1 1966年
9月20日
こまっちゃうナ 遠藤実 -
2 1966年
11月25日
夢みるわたし 遠藤実 -
3 1967年
3月1日
涙がとまらない 遠藤実 -
4 1967年
3月1日
世界の国からこんにちは 島田陽子 中村八大 只野通泰 -
5 1967年
7月10日
ミニミニデート 樋詰喜久子 遠藤実 -
6 1967年
10月1日
ボーイフレンド 稲葉爽秋 遠藤実 -
7 1967年
10月10日
サンタが町にやってくる 神戸孝夫 J.Coots 只野通泰 -
8 1968年
3月10日
帰らなくちゃ 三宅正蔵 遠藤実 -
9 1968年
6月10日
白鳥の湖 米田信一 現英生 只野通泰 -
10 1968年
6月20日
フリ・フリ5 幸田栄 遠藤実 -
11 1968年
8月10日
明るいわが家 下浦常市
周東敬二
衣笠博彦 重田恒雄 -
12 1968年
10月10日
砂に埋めた涙 遠藤実 -
13 1969年
2月10日
チキチキバンバン 岩谷時子 Richard Sherman -
14 1969年
6月1日
恋のバンバン 阿部マリ ベン・ミラー 竹村次郎 -
15 1969年
9月1日
ちょっとだけ 中村小太郎 田辺信一 -
1970年代
16 1970年
3月1日
トンボのメガネ 遠藤実 牧野昭一 -
17 1970年
9月1日
涙は紅く 橋本淳 筒美京平 -
18 1971年
2月1日
水に流すわ 橋本淳 筒美京平 -
19 1971年
10月25日
白い街に花が 山上路夫 三木たかし -
20 1972年
6月5日
どうにもとまらない 阿久悠 都倉俊一 3位
21 1972年
9月5日
狂わせたいの 阿久悠 都倉俊一 6位
22 1972年
11月25日
じんじんさせて 阿久悠 都倉俊一 10位
23 1973年
2月25日
狙いうち 阿久悠 都倉俊一 14位
24 1973年
6月10日
燃えつきそう 阿久悠 都倉俊一 15位
25 1973年
8月25日
ぎらぎら燃えて 阿久悠 都倉俊一 31位
26 1973年
12月10日
きりきり舞い 阿久悠 都倉俊一 28位
27 1974年
4月10日
真赤な鞄 阿久悠 都倉俊一 66位
28 1974年
7月10日
奇跡の歌[10] 阿久悠 都倉俊一 -
29 1974年
8月25日
闇夜にドッキリ 阿久悠 都倉俊一 穂口雄右 -
30 1975年
2月10日
恋は熱烈 岡田冨美子 加瀬邦彦 萩田光雄 -
31 1975年
6月25日
ウブウブ 伊藤裕弘 加瀬邦彦 萩田光雄 -
32 1975年
10月25日
やけどしそう 伊藤裕弘 馬飼野康二 -
33 1976年
2月10日
私の恋人、たいやきくん! 中山大三郎 穂口雄右 あかのたちお 98位
34 1976年
6月25日
太陽の落し子 高田ひろお 佐瀬寿一 あかのたちお -
35 1976年
11月25日
限りなく透明に近いダンス 康珍化 星川狂児 土持城夫 -
36 1977年
6月25日
失恋蝙蝠男 伊藤アキラ 高田弘 -
37 1978年
2月25日
港のソウル 伊藤アキラ 林哲司 -
38 1978年
9月21日
エレガンス 橋本淳 三枝成章 三枝成章
戸塚修
-
1980年代
39 1980年
10月21日
写楽 高田ひろお 遠藤実 斉藤恒夫 -
40 1981年
11月21日
ゆれてムーン・ライト 竜真知子 幸耕平 竜崎孝路 -
41 1983年
8月21日
フラッシュダンス 麻倉未稀 G.Moroder 槌田靖識 -
42 1984年
11月21日
酒場で たかたかし 曽根幸明 竜崎孝路 -
1990年代
43 1991年
9月21日
エル・ソル
〜太陽の唄〜
園部和範 小田裕一郎 -
44 1992年
6月21日
恋は呪文よ!
アブラカタブラ
及川眠子 P.Dossena
G.Thibaut
A.Lucarelli
-
45 1997年
4月23日
夢はどこへいった[11] 枯堂夏子 松宮恭子 岸村正実 63位
2000年代
46 2004年
5月26日
リンダ 秋元康 平尾昌晃 矢野立美 -
47 2005年
1月13日
どうにもとまらない
〜ノンストップ
阿久悠 都倉俊一 武藤星児 -
48 2005年
5月25日
愛に生きて 山本リンダ
平尾昌晃
唐明日香
平尾昌晃 若草恵 -
49 2007年
2月7日
真夜中のピエロ 田久保真見 樋口義高 今泉敏郎 -
50 2008年
2月8日
15のBの指定席 たにはら伸
久仁京介
徳久広司 川村栄二 -
51 2009年
4月8日
踊りましょッ! 久仁京介 水島正和 竜崎孝路 -
2010年代
52 2012年
4月4日
恋は花火か 地の雪か 阿久悠 都倉俊一 -

アルバム

1960年代

  • こまっちゃうナ リンダのヒット・メロディー - 1967年

1970年代

  • どうにもとまらない - 1972年
  • 狂わせたいの/山本リンダオン・ステージ - 1972年
  • 山本リンダのすべて - 1973年
  • 燃えつきそう/山本リンダの魅力 - 1973年
  • 山本リンダ/都倉俊一を歌う - 1973年
  • 山本リンダ/ゴールデン・アルバム - 1973年
  • 真赤な鞄 - 1974年
  • 山本リンダ/ゴールデン・ベスト 24 - 1974年
  • Linda Memory Top~ウブウブ~ - 1975年

1980年代

  • 鏡の中の私 - 1986年
  • プレイバック・シリーズ 山本リンダ - 1987年

1990年代

  • YAMAMOTO LINDA CLUB MIX - 1991年8月1日
  • 踊れる歌える山本リンダ - 1991年8月21日
  • HOUSE LINDA - 1991年
  • SEE YA! - 1991年
  • LINDA - 1991年
  • CHAOS - 1991年
  • リンダがいっぱい - 1991年
  • ヴィーナス - 1992年
  • 山本リンダの魅力 - 1994年

2000年代

  • LINDA YAMAMOTO - 2000年
  • Myこれ!クション 山本リンダ・ベスト - 2001年
  • ミノルフォンイヤーズ - 2003年
  • フィーバーリンダ - 2004年
  • CRリンダのどうにもとまらない - 2004年
  • ゴールデンベスト - 2005年
  • リンダ伝説 ~愛に生きて~ - 2005年 ※40周年記念盤
  • りばいばる歌謡曲編・山本リンダ - 2006年
  • 山本リンダ SINGLES コンプリート - 2007年
  • 燃えつきそう/山本リンダの魅力+シングルコレクション - 2008年7月16日
  • どうにもとまらない(HQCD) - 2009年2月18日
  • ゴールデン・アルバム - 2009年7月15日
  • Linda MEMORY TOP 〜ウブウブ〜 - 2009年7月15日
  • 山本リンダ 都倉俊一を歌う - 2009年7月15日

2010年代

  • Myこれ!liteシリーズ 山本リンダ - 2010年
  • ザ・プレミアムベスト 山本リンダ - 2012年
  • Voca-linda 〜愛SpecialSongs〜 - 2013年9月11日
  • My life, My songs - 2016年4月20日

主な出演作

テレビ

映画

ラジオ

  • リンダ倶楽部(1993年10月 - 1994年3月、ABCラジオ、土曜 19:00 - 19:30)
※先述のヘアヌード写真集でのトラブルのお詫びとして、ABCラジオがレギュラー番組を放送。

日本語吹替

CM

ビデオ・DVD

著書

  • 歌に愛を込めて(実業之日本社実日新書、1975年)
  • ガラスの靴(潮出版社、1983年)
  • 写真集 WANJINA-ワンジーナ(竹書房、1993年5月) ※公式プロフィールにこの写真集の記述はない。
  • 素顔のヴィーナス(東京新聞出版局、1992年)
  • リンダスタイル 元気のヒミツ Debut 35th years anniversary(河出書房新社、2001年)
  • どうにもとまらない私(潮出版社、2004年)
    • 自らの芸能人生と創価学会員としての人生を語っている。

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1967年昭和42年)/第18回 こまっちゃうナ 03/23 山田太郎
1972年(昭和47年)/第23回 2 どうにもとまらない 08/23 尾崎紀世彦 5年ぶりの出場
1973年(昭和48年)/第24回 3 狙いうち 11/23 ぴんから兄弟
1974年(昭和49年)/第25回 4 闇夜にドッキリ 11/25 美川憲一
1991年平成3年)/第42回 5 どうにもとまらない狙いうち 11/28 とんねるず 17年ぶりの出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

受賞歴

脚注

注釈

  1. ^ 劇中に「困っちゃうナ」のセリフが出てくるシーンがある。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i OFM仮面ライダー4 2004, p. 21, 「特集 ライダーガールズグラフィティー 美しきヒロインたちの肖像」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 210, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」
  3. ^ 「モノ見遊さん」ロケレポートⅡ : 山本リンダ:オフィシャル・ホームページ | Lindaful World 2017年9月18日閲覧
  4. ^ 「北海道ロケ関連」『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日、84頁。ISBN 978-4-06-218566-0
  5. ^ 「19 北海道ロケ「山本リンダ御一行様」事件の真相」『仮面ライダー大研究』 TARKUS 編、二見書房2007年6月5日、pp.57-59。ISBN 978-4-576-07090-2
  6. ^ 講談社新 仮面ライダーSPIRITS』第1巻より[要ページ番号]
  7. ^ スケジュール”. 北九州ミュージックフェスタ実行委員会. 2013年10月14日閲覧。
  8. ^ 第59回オールスター競輪(GI)
  9. ^ ファンサービス・イベント情報 - G1 オールスター 日刊スポーツ
  10. ^ ミュージカルアニメ映画ジャックと豆の木」の挿入歌として使用された。
  11. ^ テレビ東京系テレビアニメ「新・天地無用!」のOP主題歌として使用された。

参考文献

外部リンク