パックインミュージック
| パックインミュージック | |
|---|---|
| 放送期間 | 1967年7月31日 - 1982年7月31日 |
| 放送時間 | #放送時間を参照。 |
| 放送局 | TBSラジオ |
| ネットワーク | JRN系列 |
| パーソナリティ | #パーソナリティを参照。 |
| 提供 | 日産自動車 → 松下電器産業 → TDK → 複数社 |
『パックインミュージック』(Puck In Music)は、1967年7月31日から1982年7月31日まで、TBSラジオ(当時は東京放送が運営)をキーステーションに、JRN系列各局で放送されていた深夜放送ラジオ番組。愛称はパック。
目次
放送開始の経緯[編集]
1967年(昭和42年)の春に当時の東京放送ラジオ局制作現業部に「深夜というラジオのフロンティアに魅力ある番組を開発せよ!」という指示が下り、その座長(制作現業部の副部長)と6人のディレクターからなる企画検討のプロジェクトチームが発足[1]。
1967年当時のTBSラジオは終夜放送を行っておらず、ニッポン放送が1963年から、ラジオ関東(当時)が1966年に、文化放送も1967年4月から、それぞれ行っていて、TBSラジオだけが出遅れ感があった[1]。そこで、TBSラジオが1967年8月1日未明(7月31日深夜)から終夜放送を行うことになった[1]。
そこで、プロジェクトチームが発足したが、6人のディレクターの考えはかけ離れたものとなり、それでも、まとめ役のディレクターに座長から「企画案をまとめろ。そして企画書を書け」と指示が下った[1]。
こうして、まとめ役のディレクターが企画書を練り上げ、『パック』と題された企画書を書き上げた[1]。この「パック」とはシェイクスピアの『真夏の夜の夢』に出てくる妖精の名前だった[1]。しかし、番組タイトルは『パックインミュージック』に書き換えられていた[1]。
こうして、1967年8月1日の未明(7月31日の深夜)に『パックインミュージック』が始まった[1]。
放送時間[編集]
開始当初から1969年5月10日までは、24時30分から27時までが生放送(「パックにリクエスト」)で、27時から29時は録音番組[2]を放送していた。同年5月12日から、27時台を境にパーソナリティが交代する2部制となった。
1974年9月から第2部は廃止され、『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』がスタートした[3]。
- 1967年7月31日 - 1969年5月10日:月 - 土曜日 24:30 - 29:00
- 1969年5月12日 - 1969年10月2日:月 - 土曜日 24:30 - 27:10<第1部>/27:10 - 29:00<第2部>
- 番組前半を第1部、後半を第2部に分割。第1部は27時までが生放送で、27時から10分間は録音番組「乾宣夫のマジックピアノ」を放送。
- 1969年10月3日 - 1972年4月8日:月 - 土曜日 25:00 - 27:00<第1部>/27:00 - 29:00<第2部>
- 1972年4月10日 - 1974年8月30日:月 - 金曜日 25:00 - 27:00<第1部>/27:00 - 29:00<第2部>
- 土曜の放送枠が廃止され、以降、平日のみの放送となる。
- 1974年9月2日 - 1982年7月30日:月 - 金曜日 25:00 - 27:00
- 第2部廃止により、放送時間縮小。
パーソナリティ[編集]
本番組では、木曜の深夜 = 金曜未明に行われる放送は「金曜」と称していた。以下、その原則に従って記す。
第1部[編集]
火曜(月曜深夜)[編集]
- 1967,08 - 1968,09 - 増田貴光/戸川昌子
- 1968,10 - 1969,03 - 福田一郎/野村道子
- 1969,04 - 1971,09 - 福田一郎/中村律子
- 1971,10 - 1977,09 - 小島一慶[4]
- 1977,10 - 1980,03 - 林美雄[5]
- 1980,04 - 1981,09 - 近田春夫
- 1981,10 - 1982,07 - ばんばひろふみ/兵藤ゆき
水曜(火曜深夜)[編集]
- 1967,08 - 1968,06 - 八城一夫/やまのべもとこ
- 1968,07 - 1968,12 - 八城一夫/沢知美
- 1969,01 - 1969,03 - 八城一夫/広川あけみ
- 1969,04 - 1970,03 - 八木誠/若山弦蔵
- 1970,04 - 1971,03 - 桝井論平[6]
- 1971,04 - 1975,09 - 愛川欽也[7]
- 1975,10 - 1977,09 - 林美雄[8]
- 1977,10 - 1978,03 - 宮内鎮雄
- 1978,04 - 1982,07 - 西田敏行
木曜(水曜深夜)[編集]
- 1967,08 - 1969,03 - 田中信夫/北浜晴子
- 1969,04 - 1972,03 - 北山修
- 1972,04 - 1972,09 - 吉田拓郎(よしだたくろう)
- 1972,10 - 1974,03 - 南こうせつ(南高節)
- 1974,04 - 1975,09 - 小室等
- 1975,10 - 1978,06 - 愛川欽也[9]
- 1978,07 - 1978,09 - 週代わり
- 1978,10 - 1979,09 - 河島英五
- 1979,10 - 1981,09 - おすぎとピーコ
- 1981,10 - 1982,07 - 翔(横浜銀蠅)/横山みゆき
金曜(木曜深夜)[編集]
土曜(金曜深夜)[編集]
- 1967,08-1968,03 - なべおさみ/星加ルミ子
- 1968,04-1969,03 - ケン田島/裕圭子
- 1969,04-1969,09 - ロイ・ジェームス/藤田恒美
- 1969,10-1970,09 - 大村麻梨子
- 1970,10-1971,03 - 小島一慶[10]
- 1971,04-1978,03 - 山本コウタロー
- 1978,04-1979,09 - 宮内鎮雄[11]
- 1979,10-1980,03 - 阿部敏郎
- 1980,04-1981,03 - 星セント・ルイス
- 1981,04-1982,07 - 九十九一
日曜(土曜深夜)[編集]
- 1967,08 - 1968,03 - 矢島正明/今井とも子
- 1968,04 - 1969,03 - 矢島正明/清水恵子
- 1969,04 - 1971,09 - 永六輔/中川久美
- 1971,10 - 1972,04 - 杉田二郎
パーソナリティの変遷[編集]
| 期間 | 火曜日 (月曜深夜) |
水曜日 (火曜深夜) |
木曜日 (水曜深夜) |
金曜日 (木曜深夜) |
土曜日 (金曜深夜) |
日曜日 (土曜深夜) | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1967.8 | 1968.3 | 増田貴光 戸川昌子 |
八城一夫 やまのべもとこ |
田中信夫 北浜晴子 |
野沢那智 白石冬美 |
なべおさみ 星加ルミ子 |
矢島正明 今井とも子 |
| 1968.4 | 1968.6 | ケン田島 裕圭子 |
矢島正明 清水恵子 | ||||
| 1968.7 | 1968.9 | 八城一夫 沢知美 | |||||
| 1968.10 | 1968.12 | 福田一郎 野村道子 | |||||
| 1969.1 | 1969.3 | 八城一夫 広川あけみ | |||||
| 1969.4 | 1969.9 | 福田一郎 中村律子 |
八木誠 若山弦蔵 |
北山修 | ロイ・ジェームス 藤田恒美 |
永六輔 中川久美 | |
| 1969.10 | 1970.3 | 大村麻梨子 | |||||
| 1970.4 | 1970.9 | 桝井論平 | |||||
| 1970.10 | 1971.3 | 小島一慶 | |||||
| 1971.4 | 1971.9 | 愛川欽也 | 山本コウタロー | ||||
| 1971.10 | 1972.3 | 小島一慶 | 杉田二郎 | ||||
| 1972.4 | 1972.9 | 吉田拓郎 | (放送終了) | ||||
| 1972.10 | 1974.3 | 南こうせつ | |||||
| 1974.4 | 1975.9 | 小室等 | |||||
| 1975.10 | 1977.9 | 林美雄 | 愛川欽也 | ||||
| 1977.10 | 1978.3 | 林美雄 | 宮内鎮雄 | ||||
| 1978.4 | 1978.6 | 西田敏行 | 宮内鎮雄 | ||||
| 1978.7 | 1978.9 | 週代わり | |||||
| 1978.10 | 1979.9 | 河島英五 | |||||
| 1979.10 | 1980.3 | おすぎとピーコ | 阿部敏郎 | ||||
| 1980.4 | 1981.3 | 近田春夫 | 星セント・ルイス | ||||
| 1981.4 | 1981.9 | 九十九一 | |||||
| 1981.10 | 1982.7 | ばんばひろふみ 兵藤ゆき |
翔 横山みゆき | ||||
第2部[編集]
2部制になる前の録音番組[編集]
1967,07,31 - 1969,05,10の月曜〜土曜の27:00 - 29:00の放送。
- 乾宣夫のマジックピアノ(27:00 - 27:10)[12]
- 牟田悌三のまじめでいこう(27:10 - 27:30、1967,7,31 - 1968,9)
- 竹脇無我のヤングマン専科(27:10 - 27:30、1968,10 - 1969,4,23)
- 夜がささやく(27:30 - 28:00、1967,7,31 - 9)
- ナイト ファンタジー(27:30 - 28:00、1967,10 - 1969,4,23)
- 歌謡曲ララバイ(28:00 - 28:30、1967,7,31 - 1968,9)
- あおい輝彦のビートパーティー(28:00 - 28:30、1968,10 - 1969,4,23)
- サンライズ トーキョー(28:30 - 29:00、1967,7,31 - 9)
- 朝のダイヤル(28:30 - 29:00、1967,10 - 1969,4,23)
火曜(月曜深夜)[編集]
- 1969,05 - 1970,05 - 宮内鎮雄[13]
- 1970,05 - 1971,03 - 米沢光規
- 1971,04 - 1972,03 - 石川顕[14]
- 1972,04 - 1973,03 - 宮内鎮雄[15]
- 1973,04 - 1973,12 - 小林節子
- 1974,01 - 1974,09 - 広田綾子[16]
水曜(火曜深夜)[編集]
木曜(水曜深夜)[編集]
- 1969,05 - 1970,05 - 麻生雅子
- 1970,05 - 1971,03 - 郷司淑子
- 1971,04 - 1974,08 - 馬場こずえ[16]
金曜(木曜深夜)[編集]
土曜(金曜深夜)[編集]
- 1969,05 - 1970,05 - 二村義子
- 1970,05 - 1970,09 - 松永邦久
- 1970,10 - 1971,03 - 石川顕[21]
- 1971,04 - 1974,08 - 吉田真由美
日曜(土曜深夜)[編集]
パーソナリティの変遷[編集]
| 期間 | 火曜日 (月曜深夜) |
水曜日 (火曜深夜) |
木曜日 (水曜深夜) |
金曜日 (木曜深夜) |
土曜日 (金曜深夜) |
日曜日 (土曜深夜) | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1969.5 | 1970.5 | 宮内鎮雄 | 小川哲哉 | 麻生雅子 | 遠藤泰子 | 二村義子 | 桝井論平 |
| 1970.5 | 1970.6 | 米沢光規 | 遠藤泰子 | 郷司淑子 | 久米宏 | 松永邦久 | 宮内鎮雄 |
| 1970.6 | 1970.9 | 林美雄 | |||||
| 1970.10 | 1971.3 | 石川顕 | |||||
| 1971.4 | 1971.6 | 石川顕 | 馬場こずえ | 吉田真由美 | |||
| 1971.7 | 1972.3 | 滝良子 | |||||
| 1972.4 | 1973.3 | 宮内鎮雄 | (放送終了) | ||||
| 1973.4 | 1973.12 | 小林節子 | |||||
| 1974.1 | 1974.8 | 広田綾子 | |||||
特色・エピソード・主なコーナー[編集]
- 1969年からは、番組の会報誌「パック・ニュース」を刊行した。
- オリジナルのマスコットキャラクター「パック(Puck)」が存在した。これは、1590年代のウィリアム・シェイクスピア作の喜劇形式の戯曲『真夏の夜の夢』に登場する、森に住む妖精であり、初代ディレクターの武本宏一の発案によるもので、真夜中に現れて人々に娯楽を振り撒き魔法をかけ、朝になると姿を消すという様が番組のイメージに合っているということから「深夜にリスナーを魅了する、妖精の様な番組であって欲しい」との思いから名付けた。パックの声を務めたのは喜多道枝で、毎日サウンドステッカーとして登場した[24]。
- TBSラジオが改編による番組終了を発表した際、リスナーが撤回を求め、署名活動が行われた他、清水谷公園から外堀通り経由で六本木三河台公園まで、200人が集まってデモ行進が行われた。この後代表者がTBS本社に出向き、パック発足者の一人で番組終了を決定した代表者である編成部の熊沢敦と面会、抗議の主旨が伝えられた[25]。
- 番組終了2ヶ月前の1982年5月31日には、テレビの『テレポートTBS6』で「パックインミュージックが終了へ」と題されたリポートを放送。その中で、5月28日放送の金曜パック第773回の一部を放送。番組打ち切りを決断したとされる「当時の金曜パックディレクター」(後に、TBSラジオ編成部所属)が出演した。なお、この時のCM入り前のジングルは、「テレポート6」のものではなく、当番組のものが流れた[25]。
林美雄[編集]
- 林美雄担当の水曜日は山崎ハコらのアングラ的な香りのする歌手を積極的に紹介。歌手としての原田芳雄を広く、世に知らしめた。
- ニュース番組のパロディ「苦労多かる ローカルニュース」なども人気を集めた。
- TBSラジオの夜のワイド番組『夜はともだち』の新設に伴い、火曜日担当の小島一慶とともに担当した。
- 林のニックネームは「ミドリブタ」。オープニング テーマは、ブッカー・T & The MG's の『タイム・イズ・タイト』であった。
- その他、以下のコーナーがあった。
- エンディング テーマは、映画『青春の蹉跌』のテーマ曲(井上堯之)、一時期、映画『フォロー・ミー』のテーマ曲(ジョン・バリー作曲)であった。
愛川欽也[編集]
- 愛川欽也担当の木曜日は、頻繁にゲストが立ち寄る事が売りであった。特に常連化していたのはうつみ宮土理である。他に黒柳徹子、奥山晄伸、永六輔など。
- オープニングは愛川が声優を務めた、アメリカのテレビドラマの主題曲『ルート66』を使用。エンディングは、ジョニー・ピアソン・オーケストラ演奏の『渚のシルエット』をバックに、愛川が、崎南海子の詩を朗読した。
- 下ネタをオブラートに包んだ投書のコーナーが人気を呼び、「ポール」「テトラ」「パパイヤ」「ジンジロゲ」などの婉曲語を生んだ。
- その他、以下のコーナーがあった。
- 「マルキン深夜劇場」- 10分ほどの長さのシナリオを募集し、選ばれたシナリオに基づく劇を愛川が演じた。
- 「カトリーヌコーナー」- リスナーがカトリーヌとなりマルチェロにラブレターを投稿し、愛川とゲストがこれを朗読するコーナー。基本設定は俳優のカトリーヌ・ドヌーブとマルチェロ・マストロヤンニ。BGMとして『パリのめぐり逢い』(フランシス・レイ)などが使用された。
- 「スタジオH」- 日常の中から「ちょっとエッチに感じられるが、微笑ましい」などの話を募集していた。
野沢那智&白石冬美[編集]
- 野沢那智と白石冬美担当(ナチチャコ コンビ)の金曜日のナチチャコ パック[26]はリスナーからの投書のコーナー「御題拝借」を中心に絶大な人気を博し、『もう一つの別の広場』などの書籍を出版した。エンディング テーマはレイモン・ルフェーブル・オーケストラ演奏の『シバの女王』。
- その他、以下のコーナーがあった。
- 「デカメロン」- プロの作家が毎回、読み切りの形で書いた短編オムニバスドラマを放送。各話には毎回、関連性があった。
- 「クラシックを聴く時間」
- 「金瓶梅」- 野沢、白石の2人で進行する、少しHなラジオドラマ。
※番組開始から終了まで、15年続き、番組終了が決まった際は終了反対運動が行われた。
※終了後、野沢、白石コンビはニッポン放送の30分番組『もうやめられないナッチャコのおじゃまな関係』で復活。1985年からは文化放送の平日帯番組に移り、1992年10月2日終了の『いう気リンリン 那智チャコワイド』まで四半世紀に渡り、コンビは継続した。
山本コウタロー[編集]
- 恥の上ぬりコーナー
- たいこめコーナー
- ファーストキスの思い出コーナー
- まゆみのくれくれシネマ - 映画評論家の吉田真由美が出演。1回の放送で、3本以上の新作映画を紹介。試写会の告知も行われた。
- 板さん決定 - 山本コウタローとウィークエンドのメンバーの「板さん」こと、板垣秀雄への手紙を募集。ただし、放送時間に余裕があった場合しか行われなかった。
小島一慶[編集]
- 火パ 怒りを込めて振り返れ
- マッドマッド クラブ - 経験、経歴、人物そのものなど、あらゆる「ちょっと変わっている」特徴の持ち主を紹介したコーナー。番組公認の「マッド クラブ」が設けられ、投稿が採用された場合は入会が認められた。
- 火曜歌謡曲 - リクエスト コーナー。リクエスト曲以外には、普通のお便りを書いた投稿が多かった。
- 「出世もの」シリーズ - 「三橋美智也物語」、「長嶋茂雄物語」などを放送。
- 『飛べ!孫悟空』の番組放送開始に伴い、パックを卒業した。小島はこの異動に対して、ショックを受けたが、最後に「パックに残りたければ残ってもいい」と言われ、憤然として移ったと自ら語っていた。
小室等[編集]
- 音の実験室 - 擬音を3つから4つほど流し、それらを聴いて浮かんだイメージから物語を作っていた。
- 何かやらなきゃいけない - 小室自身が毎週、何かを考えて行っていたコーナー。洋楽を日本語訳し、その場で歌った。ゲストを呼ぶ事もあった。
- ユイ・小室のパパお早う - 小室の一人娘(こむろゆい)を記録した音源を紹介した。
- 長い曲を一曲だけ聴くコーナー - 日本のフォークソングを中心に、5分以上という条件でリクエストを受け付け、ノーカットで全て聴くコーナー。
その他[編集]
- 兵藤ゆき
- パックDE特許
- 青春の目安箱
- 西田敏行
- 珍日本紀行
- 勝ち抜き田舎合戦!
- 酔いどれコーナー(月間 酔いどれ大賞)
- ラブ・サウンズ・コレクション
- 翔&横山みゆき
- 翔とみゆきのナンパの傾向と対策
- タメにならない受験講座
- 奥さん翔です!
- 九十九一
- ローカルニュース
- 青春ラジオドラマ!
- ああ無情!!
- クイズ駄洒落でドン!
- ドイマル・ソケットコーナー
- ソソリパ
- 新セックス産業をマジメに考える、チャコとボボブラジル
- 九十九一入籍発覚の際に所ジョージ(婚姻届の保証人のひとり)がレポーターの週刊サイタマ梨又として登場、直撃インタビューを行った。
- 南こうせつ
- 思い出さんこんにちは
- おすぎとピーコ
- おすぎは、劇場版映画『宇宙戦艦ヤマト』が自分の嗜好[27]に合わず、ゲストに宮川泰が来た日の放送は「映画批評を避けよう」とスタジオを抜け出し、深夜の赤坂界隈を放浪。放送終了後、ピーコから「職場放棄」と長時間、説教を受けた。
- 当時、一般的に知られていなかったバイブをスタジオに持ち込み、女性の自慰について語った事がある。
ネット局[編集]
この節の加筆が望まれています。 |
- 北海道放送(JRN/NRNクロスネット) - 1973年11月[要出典]、ネット開始。1976年6月、月、火のみのネットに縮小[28] → 同年10月、自社制作番組を、月 - 金に拡大したため、一時的に、ネットを打ち切った。1年半後の1978年4月より、自社制作番組の廃止のため、ネットを再開したが、1980年3月に、自社制作番組の再開により、ネットを再び打ち切った。その後は最終回まで、ネットの再開はなかった。
- 青森放送(JRN/NRNクロスネット) - 1971年1月1日ネット開始、1973年6月29日打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
- 山形放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年、打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
- 新潟放送(JRN/NRNクロスネット) - 1976年、打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
- 北陸放送(JRNフルネット【当時】) - NRNとのクロスネットになっても、暫く放送されていたが、1982年3月に、『オールナイトニッポン』に移行。
- 山陽放送(JRNフルネット【当時】)
- 四国放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年打ち切り、『オールナイトニッポン』に移行。
- RKB毎日放送(JRNフルネット) - 1974年10月7日ネット開始。
- 大分放送(JRNフルネット【放送当時】) - 1978年4月にネット開始したが、翌年4月にNRN加盟した際に、『オールナイトニッポン』に移行。
- 琉球放送(JRNフルネット) - 1976年、ネット開始。
- 中部日本放送(JRNフルネット)は「オールナイトニッポン」のネットのため、[29]またJRN/NRNクロスネットである毎日放送・朝日放送はそれぞれ、編成の都合で放送されなかった(毎日放送は自社制作番組「MBSヤングタウン」のほか、各種番組を放送。ただし、「歌うヘッドライト」は同番組開始当初から放送していた。朝日放送は27時まで、自社制作の「ABCヤングリクエスト」を放送し、翌朝5時まで放送を休止していた)。そのほかのクロスネット局でも「オールナイトニッポン」をネットしたり、深夜をメンテナンスに当てる兼ね合いで放送されていない局が多かった。
スポンサー[編集]
当初は日産自動車の一社提供で、番組のオープニングはCMソング『世界の恋人』のインストバージョンを使用した。矢島正明によるオープニング コール[30]があり、「日産パックインミュージック。この番組は0時半から朝の5時まで、世界に伸びる日産自動車の提供でお送りします」のアナウンスがあった。後に、日産自動車は提供を降板。松下電器産業の一社提供に変更。その後はTDKの一社提供を経て、複数社スポンサー(パーティシペーション)となった。
林が担当していた時代にはあくまでもパロディー扱いであるが「下落合本舗の提供でお送りします」とのクレジットが放送されたこともある。
テーマソング[編集]
- オープニング
上掲『世界の恋人』のほか『The now sound』(The Brass Ring 演奏)がある。最晩年はEPOの『ポップ・ミュージック 2nd.』の一部[31]。
- エンディング
『Don't Sleep in the Subway』(Ronnie Aldrich 演奏)。
関連番組[編集]
当番組が終了した後の1983年4月から1985年9月まで、日産自動車は深夜枠『NISSANミッドナイトステーション』を提供した。当初は電話リクエスト形式の音楽番組を旬のタレントが日替わりで担当する体裁だったが、後期は「欽ちゃんファミリー」が日替わりで担当するようになった。初期の『SURF&SNOW』も、この番組枠の一部であった。
1989年頃、後番組に当たる『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』において、『ルー大柴のパック・イン・ミュージック』として、約3分間のコーナー番組を放送。オープニング テーマとジングルを使用した。
1992年4月には、当番組の復活を目指した『パックインミュージック21( - トゥエンティーワン)』がスタートしたが、1993年9月に終了した。
その後、2001年4月から2003年3月まで『月刊 愛川欽也 キンキンのパック・イン・ミュージック(げっかん あいかわきんや - )』を放送。愛川、白石がパーソナリティを務めた。放送時間は、毎月第3日曜日の深夜(月曜未明)2:00 - 5:00。
2001年9月2日(1日未明)には同7月に58歳で在職のまま亡くなった林美雄を追悼する「サマー・クリスマス 林美雄・フォー・エバー」が当時休止枠であった2:00-4:00に生放送され、小島一慶を司会に、同8月25日開催の同名のお別れ会の模様、および宮内鎮雄、小口勝彦(いずれも林と同期入社のアナウンサー。のち小口はニュースデスク)との鼎談を放送した。更に林の没後13周年となる2013年12月27日20時から21時に「林美雄 空白の3分16秒」と題したドキュメント番組(出演・宮沢章夫、証言・鈴木慶一、柳澤健、林文子、梅本満、久米宏、ナレーター・堀井美香)が放送されている。
2001年12月23日には、TBS開局50周年記念特番「50周年だョ! 全員集合」の一環として、『パック・イン・ミュージック リターンズ』が放送された。
2006年12月29日には『甦る伝説 那智・チャコ・パック(よみがえ - でんせつ - なち - )』と題して、野沢と白石、当時の番組スタッフで、復活放送が行われた。
2010年11月27日には、野沢の逝去に伴い、追悼特番『野沢那智さん、ラジオでお別れ会』を、白石と山本の担当で生放送。2011年1月8日に再放送された。
2010年12月より、TBSラジオの有料コンテンツサイト「らじこん」にて、那智チャコ パック 最終回の配信が行われている。
2011年12月24日(25日未明)の 25:00 - 28:00 には、TBS開局60周年記念特番の一環として、過去の放送音源を放送する『アーカイブスペシャル パック・イン・ミュージック[32]』が放送された。宮内鎮雄が、パーソナリティを務めた。
2014年3月21日、TBSラジオ主催のイベント『我が青春のパック・イン・ミュージック』を開催。その一環として、3月18日 - 3月21日まで『一慶・チャコのパック・イン ・ミュージック』 を放送[33][34][35]。小島一慶、白石冬美、宮内鎮雄[36]がパーソナリティを務めた。
『一慶・チャコのパック・イン・ミュージック』は2015年7月5日にも放送された。
関連文学作品[編集]
- 「パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命」(伊藤友治+TBSラジオ DU BOOKS 2015年9月 本番組の歴史を綴った本)
- 「1974年のサマークリスマス 〜林美雄とパックインミュージックの時代〜」(柳澤健 2013年8月より「小説すばる」に連載され、2016年5月に集英社から発売されたノンフィクション小説)
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h 伊藤友治+TBSラジオ 『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』 ディスクユニオン、2015年、39-58頁。ISBN 978-4-907583-63-7。
- ^ 10 - 30分程度のフロート番組をまとめて放送するコンプレックス形式。このような体は、のちに1974年から1977年にかけてTBSラジオ関東ローカルで放送された『ラジオでこんばんわ』→『5スイート・キャッツ』に引き継がれた。
- ^ 火曜2部担当の広田綾子、水曜2部担当の滝良子と木曜2部担当の馬場こずえは、『歌うヘッドライト』にも続投し、パーソナリティを担当した
- ^ 1971,03まで土曜〈金曜深夜〉担当
- ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
- ^ 日曜〈土曜深夜〉2部より昇格
- ^ 木曜〈水曜深夜〉へ移動
- ^ 火曜〈月曜深夜〉へ移動)
- ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
- ^ 1971,10より、火曜〈月曜深夜〉担当として復帰
- ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
- ^ このコーナーのみ、1969年10月2日まで続いた。
- ^ 日曜〈土曜深夜〉へ移動
- ^ 土曜〈金曜深夜〉から移動
- ^ 日曜〈土曜深夜〉から移動。→ 1977,10より、水曜〈火曜深夜〉1部担当として復帰
- ^ a b c 『歌うヘッドライト』へ転出
- ^ 金曜〈木曜深夜〉から移動
- ^ 水曜〈火曜深夜〉へ移動
- ^ 結核発病のため、短期間で降板。担当したのは5週だったと『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)2014年3月22日放送分で発言した。
- ^ 1975,10より、水曜〈火曜深夜〉担当として復帰
- ^ 火曜〈月曜深夜〉へ移動
- ^ 水曜〈火曜深夜〉1部へ移動
- ^ 火曜〈月曜深夜〉へ移動
- ^ パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命(伊藤友治+TBSラジオ 編 DU BOOKS、ディスクユニオン)p.56 - 59 より
- ^ a b パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命(伊藤友治+TBSラジオ 編 DU BOOKS、ディスクユニオン)p.480 - 492 より
- ^ 訛ってナッチャコ、または金曜パック、さらに略して金パと呼んだ。
- ^ 基本的に日本のアニメは見ないというスタンス
- ^ この時期の水、木、金は自社制作番組を放送
- ^ 本来ならCBCラジオが当番組をネットすべきだったが、ニッポン放送がまず東海地区のNRN系列局の東海ラジオにネット受けを打診したが、東海ラジオが当時『ミッドナイト東海』が放送中で人気だったために断られ、裏で劣勢を期していた(自社製作『CBCビップ・ヤング』を放送)CBCラジオにネット受けを打診して了承されたために当番組は東海地区では最後まで未ネットであった。
- ^ 提供クレジットを兼ねる
- ^ 「ラジオの〜」の箇所で、歌詞の一部を改変
- ^ 直前までパック・イン・ミュージックの放送が確定しなかったため、『思い出の番組蔵出しスペシャル』という仮題が付けられていた。
- ^ 通常は、ナイターオフのワイド番組『MUSIC24/7』を放送。
- ^ 放送時間は、20:00 - 22:00。ネット局は、21:00まで。
- ^ 山本コウタロー、沢木耕太郎(電話)(3月18日)、永六輔、愛川欽也、奈良岡朋子(電話)(3月19日)、山崎ハコ、伊藤銀次、杉真理(3月20日)が、ゲスト出演
- ^ 3月21日のみの出演。小島、白石が『我が青春のパック・イン・ミュージック』出演のため、TBSラジオのスタジオから、宮内がパーソナリティを務めた。『我が青春の〜』終了後、小島、白石、小室等、山本コウタロー、兵藤ゆき、山崎ハコが、スタジオに駆け付け、宮内とともに番組を進行した
外部リンク[編集]
| TBSラジオ 月 - 土曜日 24:30 - 29:00(1967 - 1969) | ||
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| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
今宵もあなたと(24:30 - 25:30)
放送休止(25:30 - 29:00) |
パックインミュージック
|
24:30 - 25:00:アウトプット
25:00 - 27:00:パックインミュージック第1部 27:00 - 29:00:パックインミュージック第2部 |
| TBSラジオ 月 - 金曜日 25:00 - 29:00(1969 - 1974) | ||
パックインミュージック(24:30 - 29:00)
|
パックインミュージック第1部(25:00 - 27:00)
パックインミュージック第2部(27:00 - 29:00) |
25:00 - 27:00:パックインミュージック
27:00 - 29:00:いすゞ歌うヘッドライト |
| TBSラジオ 土曜日 25:00 - 29:00(1969 - 1972) | ||
パックインミュージック(24:30 - 29:00)
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パックインミュージック第1部(25:00 - 27:00)
パックインミュージック第2部(27:00 - 29:00) |
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| TBSラジオ 月 - 金曜日 25:00 - 27:00(1974 - 1982) | ||
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パックインミュージック
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