パックインミュージック

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パックインミュージック
放送期間 1967年7月31日 - 1982年7月31日
放送時間 #放送時間を参照。
放送局 TBSラジオ
ネットワーク JRN系列
パーソナリティ #パーソナリティを参照。
提供 日産自動車TDK → 複数社
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パックインミュージック』(Puck In Music)は、1967年7月31日から1982年7月31日まで、TBSラジオ(当時は東京放送が運営)をキーステーションに、JRN系列各局で放送されていた深夜放送ラジオ番組。愛称はパック

放送時間[ソースを編集]

開始当初から1969年5月10日までは、24時30分から27時までが生放送(「パックにリクエスト」)で、27時から29時は録音番組[1]を放送していた。同年5月12日から、27時台を境にパーソナリティが交代する2部制となった。

1974年9月から第2部は廃止され、『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』がスタートした[2]

  • 1967年7月31日 - 1969年5月10日:月 - 土曜日 24:30 - 29:00
  • 1969年5月12日 - 1969年10月2日:月 - 土曜日 24:30 - 27:10<第1部>/27:10 - 29:00<第2部>
    • 番組前半を第1部、後半を第2部に分割。第1部は27時までが生放送で、27時から10分間は録音番組「乾宣夫のマジックピアノ」を放送。
  • 1969年10月3日 - 1972年4月8日:月 - 土曜日 25:00 - 27:00<第1部>/27:00 - 29:00<第2部>
  • 1972年4月10日 - 1974年8月30日:月 - 金曜日 25:00 - 27:00<第1部>/27:00 - 29:00<第2部>
    • 土曜の放送枠が廃止され、以降、平日のみの放送となる。
  • 1974年9月2日 - 1982年7月30日:月 - 金曜日 25:00 - 27:00
    • 第2部廃止により、放送時間縮小。

パーソナリティ[ソースを編集]

本番組では、木曜の深夜 = 金曜未明に行われる放送は「金曜」と称していた。以下、その原則に従って記す。

第1部[ソースを編集]

火曜(月曜深夜)[ソースを編集]

水曜(火曜深夜)[ソースを編集]

木曜(水曜深夜)[ソースを編集]

金曜(木曜深夜)[ソースを編集]

土曜(金曜深夜)[ソースを編集]

日曜(土曜深夜)[ソースを編集]

パーソナリティの変遷[ソースを編集]

期間 火曜日
(月曜深夜)
水曜日
(火曜深夜)
木曜日
(水曜深夜)
金曜日
(木曜深夜)
土曜日
(金曜深夜)
日曜日
(土曜深夜)
1967.8 1968.3 増田貴光
戸川昌子
八城一夫
やまのべもとこ
田中信夫
北浜晴子
野沢那智
白石冬美
なべおさみ
星加ルミ子
矢島正明
今井とも子
1968.4 1968.6 ケン田島
裕圭子
矢島正明
清水恵子
1968.7 1968.9 八城一夫
沢知美
1968.10 1968.12 福田一郎
野村道子
1969.1 1969.3 八城一夫
広川あけみ
1969.4 1969.9 福田一郎
中村律子
八木誠
若山弦蔵
北山修 ロイ・ジェームス
藤田恒美
永六輔
中川久美
1969.10 1970.3 大村麻梨子
1970.4 1970.9 桝井論平
1970.10 1971.3 小島一慶
1971.4 1971.9 愛川欽也 山本コウタロー
1971.10 1972.3 小島一慶 杉田二郎
1972.4 1972.9 吉田拓郎 (放送終了)
1972.10 1974.3 南こうせつ
1974.4 1975.9 小室等
1975.10 1977.9 林美雄 愛川欽也
1977.10 1978.3 林美雄 宮内鎮雄
1978.4 1978.6 西田敏行 宮内鎮雄
1978.7 1978.9 週代わり
1978.10 1979.9 河島英五
1979.10 1980.3 おすぎピーコ 阿部敏郎
1980.4 1981.3 近田春夫 星セント・ルイス
1981.4 1981.9 九十九一
1981.10 1982.7 ばんばひろふみ
兵藤ゆき

横山みゆき

第2部[ソースを編集]

2部制になる前の録音番組[ソースを編集]

1967,07,31 - 1969,05,10の月曜〜土曜の27:00 - 29:00の放送。

  • 乾宣夫のマジックピアノ(27:00 - 27:10)[11]
  • 牟田悌三のまじめでいこう(27:10 - 27:30、1967,7,31 - 1968,9)
  • 竹脇無我のヤングマン専科(27:10 - 27:30、1968,10 - 1969,4,23)
  • 夜がささやく(27:30 - 28:00、1967,7,31 - 9)
  • ナイト ファンタジー(27:30 - 28:00、1967,10 - 1969,4,23)
  • 歌謡曲ララバイ(28:00 - 28:30、1967,7,31 - 1968,9)
  • あおい輝彦のビートパーティー(28:00 - 28:30、1968,10 - 1969,4,23)
  • サンライズ トーキョー(28:30 - 29:00、1967,7,31 - 9)
  • 朝のダイヤル(28:30 - 29:00、1967,10 - 1969,4,23)

火曜(月曜深夜)[ソースを編集]

  • 1969,05 - 1970,05 - 宮内鎮雄[12]
  • 1970,05 - 1971,03 - 米沢光規
  • 1971,04 - 1972,03 - 石川顕[13]
  • 1972,04 - 1973,03 - 宮内鎮雄[14]
  • 1973,04 - 1973,12 - 小林節子
  • 1974,01 - 1974,09 - 広田綾子[15]

水曜(火曜深夜)[ソースを編集]

木曜(水曜深夜)[ソースを編集]

  • 1969,05 - 1970,05 - 麻生雅子
  • 1970,05 - 1971,03 - 郷司淑子
  • 1971,04 - 1974,08 - 馬場こずえ[15]

金曜(木曜深夜)[ソースを編集]

  • 1969,05 - 1970,05 - 遠藤泰子[17]
  • 1970,05 - 1970,06 - 久米宏[18]
  • 1970,06 - 1974,08 - 林美雄[19]

土曜(金曜深夜)[ソースを編集]

  • 1969,05 - 1970,05 - 二村義子
  • 1970,05 - 1970,09 - 松永邦久
  • 1970,10 - 1971,03 - 石川顕[20]
  • 1971,04 - 1974,08 - 吉田真由美

日曜(土曜深夜)[ソースを編集]

  • 1969,05 - 1970,05 - 桝井論平[21]
  • 1970,05 - 1972,04 - 宮内鎮雄[22]

パーソナリティの変遷[ソースを編集]

期間 火曜日
(月曜深夜)
水曜日
(火曜深夜)
木曜日
(水曜深夜)
金曜日
(木曜深夜)
土曜日
(金曜深夜)
日曜日
(土曜深夜)
1969.5 1970.5 宮内鎮雄 小川哲哉 麻生雅子 遠藤泰子 二村義子 桝井論平
1970.5 1970.6 米沢光規 遠藤泰子 郷司淑子 久米宏 松永邦久 宮内鎮雄
1970.6 1970.9 林美雄
1970.10 1971.3 石川顕
1971.4 1971.6 石川顕 馬場こずえ 吉田真由美
1971.7 1972.3 滝良子
1972.4 1973.3 宮内鎮雄 (放送終了)
1973.4 1973.12 小林節子
1974.1 1974.8 広田綾子

特色・エピソード・主なコーナー[ソースを編集]

  • 1969年からは、番組の会報誌「パック・ニュース」を刊行した。
  • オリジナルのマスコットキャラクター「パック(Puck)」が存在した。これは、1590年代のウィリアム・シェイクスピア作の喜劇形式の戯曲『真夏の夜の夢』に登場する、森に住む妖精であり、初代ディレクターの武本宏一の発案によるもので、真夜中に現れて人々に娯楽を振り撒き魔法をかけ、朝になると姿を消すという様が番組のイメージに合っているということから「深夜にリスナーを魅了する、妖精の様な番組であって欲しい」との思いから名付けた。パックの声を務めたのは喜多道枝で、毎日サウンドステッカーとして登場した[23]
  • TBSラジオが改編による番組終了を発表した際、リスナーが撤回を求め、署名活動が行われた他、清水谷公園から外堀通り経由で六本木三河台公園まで、200人が集まってデモ行進が行われた。この後代表者がTBS本社に出向き、パック発足者の一人で番組終了を決定した代表者である編成部の熊沢敦と面会、抗議の主旨が伝えられた[24]
  • 番組終了2ヶ月前の1982年5月31日には、テレビの『テレポートTBS6』で「パックインミュージックが終了へ」と題されたリポートを放送。その中で、5月28日放送の金曜パック第773回の一部を放送。番組打ち切りを決断したとされる「当時の金曜パックディレクター」(後に、TBSラジオ編成部所属)が出演した。なお、この時のCM入り前のジングルは、「テレポート6」のものではなく、当番組のものが流れた[24]

林美雄[ソースを編集]

  • 林美雄担当の水曜日山崎ハコらのアングラ的な香りのする歌手を積極的に紹介。歌手としての原田芳雄を広く、世に知らしめた。
  • ニュース番組のパロディ「苦労多かる ローカルニュース」なども人気を集めた。
  • TBSラジオの夜のワイド番組『夜はともだち』の新設に伴い、火曜日担当の小島一慶とともに担当した。
  • 林のニックネームは「ミドリブタ」。オープニング テーマは、ブッカー・T & The MG's の『タイム・イズ・タイト』であった。
  • その他、以下のコーナーがあった。
    • 「下落合本舗」- パロディCMの案を募集していた。
    • 「ユア・ヒットしないパレード」- 「いい曲だけど、何となく消えてしまいそうな曲」を中心に紹介していたコーナーなど。このコーナーをきっかけに、南佳孝の『モンロー・ウォーク』がヒットする現象が生まれた。
  • エンディング テーマは、映画『青春の蹉跌』のテーマ曲(井上堯之)、一時期、映画『フォロー・ミー』のテーマ曲(ジョン・バリー作曲)であった。
    • 2010年、映画『フォロー・ミー』のオリジナル・サウンド・トラック国内盤が初CD化された際、映画監督の周防正行が、ミドリブタ・パックを「十代の頃、夢中になって聴いた」などの思いをライナーノーツに記し、オープニング・ナレーション「月夜のブタは恥ずかしい。ずんぐり影が映ってる。がに股足で坂を下り、夜空見上げりゃ、あ、星二つ、ブ、ブー」も紹介した。

愛川欽也[ソースを編集]

  • 愛川欽也担当の木曜日は、頻繁にゲストが立ち寄る事が売りであった。特に常連化していたのはうつみ宮土理である。他に黒柳徹子奥山晄伸、永六輔など。
  • オープニングは愛川が声優を務めた、アメリカのテレビドラマの主題曲『ルート66』を使用。エンディングは、ジョニー・ピアソン・オーケストラ演奏の『渚のシルエット』をバックに、愛川が、崎南海子の詩を朗読した。
  • 下ネタをオブラートに包んだ投書のコーナーが人気を呼び、「ポール」「テトラ」「ジンジロゲ」などの婉曲語を生んだ。
  • その他、以下のコーナーがあった。
    • 「マルキン深夜劇場」- 10分ほどの長さのシナリオを募集し、選ばれたシナリオに基づく劇を愛川が演じた。
    • 「カトリーヌコーナー」- リスナーがカトリーヌとなりマルチェロにラブレターを投稿し、愛川とゲストがこれを朗読するコーナー。基本設定は俳優カトリーヌ・ドヌーブマルチェロ・マストロヤンニBGMとして『パリのめぐり逢い』(フランシス・レイ)などが使用された。
    • 「スタジオH」- 日常の中から「ちょっとエッチに感じられるが、微笑ましい」などの話を募集していた。

野沢那智&白石冬美[ソースを編集]

  • 野沢那智と白石冬美担当(ナチチャコ コンビ)の金曜日ナチチャコ パック[25]リスナーからの投書のコーナー「御題拝借」を中心に絶大な人気を博し、『もう一つの別の広場』などの書籍を出版した。エンディング テーマはレイモン・ルフェーブル・オーケストラ演奏の『シバの女王』。
  • その他、以下のコーナーがあった。
    • 「デカメロン」- プロの作家が毎回、読み切りの形で書いた短編オムニバスドラマを放送。各話には毎回、関連性があった。
    • 「クラシックを聴く時間」
    • 「金瓶梅」- 野沢、白石の2人で進行する、少しHなラジオドラマ。

※番組開始から終了まで、15年続き、番組終了が決まった際は終了反対運動が行われた。
※その後、野沢、白石は『那智チャコ ハッピーフレンズ』(文化放送)を担当。四半世紀に渡り、コンビを継続した。

山本コウタロー[ソースを編集]

  • 恥の上ぬりコーナー
  • たいこめコーナー
  • ファーストキスの思い出コーナー
  • まゆみのくれくれシネマ - 映画評論家の吉田真由美が出演。1回の放送で、3本以上の新作映画を紹介。試写会の告知も行われた。
  • 板さん決定 - 山本コウタローとウィークエンドのメンバーの「板さん」こと、板垣秀雄への手紙を募集。ただし、放送時間に余裕があった場合しか行われなかった。

小島一慶[ソースを編集]

  • 火パ 怒りを込めて振り返れ
  • マッドマッド クラブ - 経験、経歴、人物そのものなど、あらゆる「ちょっと変わっている」特徴の持ち主を紹介したコーナー。番組公認の「マッド クラブ」が設けられ、投稿が採用された場合は入会が認められた。
  • 火曜歌謡曲 - リクエスト コーナー。リクエスト曲以外には、普通のお便りを書いた投稿が多かった。
  • 「出世もの」シリーズ - 「三橋美智也物語」、「長嶋茂雄物語」などを放送。
  • 飛べ!孫悟空』の番組放送開始に伴い、パックを卒業した。小島はこの異動に対して、ショックを受けたが、最後に「パックに残りたければ残ってもいい」と言われ、憤然として移ったと自ら語っていた。

小室等[ソースを編集]

  • 音の実験室 - 擬音を3つから4つほど流し、それらを聴いて浮かんだイメージから物語を作っていた。
  • 何かやらなきゃいけない - 小室自身が毎週、何かを考えて行っていたコーナー。洋楽日本語訳し、その場で歌った。ゲストを呼ぶ事もあった。
  • ユイ・小室のパパお早う - 小室の一人娘(こむろゆい)を記録した音源を紹介した。
  • 長い曲を一曲だけ聴くコーナー - 日本のフォークソングを中心に、5分以上という条件でリクエストを受け付け、ノーカットで全て聴くコーナー。

その他[ソースを編集]

兵藤ゆき
  • パックDE特許
  • 青春の目安箱
西田敏行
  • 珍日本紀行
  • 勝ち抜き田舎合戦!
  • 酔いどれコーナー(月間 酔いどれ大賞)
  • ラブ・サウンズ・コレクション
翔&横山みゆき
  • 翔とみゆきのナンパの傾向と対策
  • タメにならない受験講座
  • 奥さん翔です!
九十九一
  • ローカルニュース
  • 青春ラジオドラマ!
  • ああ無情!!
  • クイズ駄洒落でドン!
  • ドイマル・ソケットコーナー
  • ソソリパ
  • 新セックス産業をマジメに考える、チャコとボボブラジル
  • 九十九一入籍発覚の際に所ジョージ(婚姻届の保証人のひとり)がレポーターの週刊サイタマ梨又として登場、直撃インタビューを行った。
南こうせつ
  • 思い出さんこんにちは
おすぎとピーコ
  • おすぎは、劇場版映画『宇宙戦艦ヤマト』が自分の嗜好[26]に合わず、ゲストに宮川泰が来た日の放送は「映画批評を避けよう」とスタジオを抜け出し、深夜の赤坂界隈を放浪。放送終了後、ピーコから「職場放棄」と長時間、説教を受けた。
  • 当時、一般的に知られていなかったバイブをスタジオに持ち込み、女性の自慰について語った事がある。

ネット局[ソースを編集]

  • 北海道放送(JRN/NRNクロスネット) - 1973年11月[要出典]、ネット開始。1976年6月、月、火のみのネットに縮小[27] → 同年10月、自社制作番組を、月 - 金に拡大したため、一時的に、ネットを打ち切った。1年半後の1978年4月より、自社制作番組の廃止のため、ネットを再開したが、1980年3月に、自社制作番組の再開により、再びネットを打ち切った。その後は最終回まで、ネットの再開はなかった。
  • 青森放送(JRN/NRNクロスネット) - 1971年1月1日ネット開始、1973年6月29日打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • 山形放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年、打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • 新潟放送(JRN/NRNクロスネット) - 1976年、打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • 北陸放送(JRNフルネット【当時】) - NRNとのクロスネットになっても、暫く放送されていたが、1982年3月に、『オールナイトニッポン』に移行。
  • 山陽放送(JRNフルネット【当時】)
  • 四国放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年打ち切り、『オールナイトニッポン』に移行。
  • RKB毎日放送(JRNフルネット) - 1974年10月7日ネット開始。
  • 大分放送(JRNフルネット【放送当時】)1978年4月にネット開始したが、翌年4月にNRN加盟した際に、『オールナイトニッポン』に移行。
  • 琉球放送(JRNフルネット) - 1976年、ネット開始。
中部日本放送(JRNフルネット)は「オールナイトニッポン」のネットのため、[28]またJRN/NRNクロスネットである毎日放送朝日放送はそれぞれ、編成の都合で放送されなかった(毎日放送は自社制作番組「MBSヤングタウン」のほか、各種番組を放送。ただし、「歌うヘッドライト」は同番組開始当初から放送していた。朝日放送は27時まで、自社制作の「ABCヤングリクエスト」を放送し、翌朝5時まで放送を休止していた)。そのほかのクロスネット局でも「オールナイトニッポン」をネットしたり、深夜をメンテナンスに当てる兼ね合いで放送されていない局が多かった。

スポンサー[ソースを編集]

当初は日産自動車一社提供で、番組のオープニングはCMソング『世界の恋人』のインストバージョンを使用した。矢島正明によるオープニング コール[29]があり、「日産パックインミュージック。この番組は0時半から朝の5時まで、世界に伸びる日産自動車の提供でお送りします」のアナウンスがあった。後に、日産自動車は提供を降板。TDKの一社提供に変更。その後は複数社スポンサー(パーティシペーション)となった。

林が担当していた時代にはあくまでもパロディー扱いであるが「下落合本舗の提供でお送りします」とのクレジットが放送されたこともある。

テーマソング[ソースを編集]

オープニング

上掲『世界の恋人』のほか『The now sound』(The Brass Ring 演奏)がある。最晩年はEPOの『ポップ・ミュージック 2nd.』の一部[30]

エンディング

Don't Sleep in the Subway』(Ronnie Aldrich 演奏)。

関連番組[ソースを編集]

当番組が終了した後の1983年4月から1985年9月まで、日産自動車は深夜枠『NISSANミッドナイトステーション』を提供した。当初は電話リクエスト形式の音楽番組を旬のタレントが日替わりで担当する体裁だったが、後期は「欽ちゃんファミリー」が日替わりで担当するようになった。初期の『SURF&SNOW』も、この番組枠の一部であった。

1989年頃、後番組に当たる『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』において、『ルー大柴のパック・イン・ミュージック』として、約3分間のコーナー番組を放送。オープニング テーマとジングルを使用した。

1992年4月には、当番組の復活を目指した『パックインミュージック21( - トゥエンティーワン)』がスタートしたが、1993年9月に終了した。

その後、2001年4月から2003年3月まで『月刊 愛川欽也 キンキンのパック・イン・ミュージック(げっかん あいかわきんや - )』を放送。愛川、白石がパーソナリティを務めた。放送時間は、毎月第3日曜日の深夜(月曜未明)2:00 - 5:00。

2001年9月2日(1日未明)には同7月に58歳で在職のまま亡くなった林美雄を追悼する「サマー・クリスマス 林美雄・フォー・エバー」が当時休止枠であった2:00-4:00に生放送され、小島一慶を司会に、同8月25日開催の同名のお別れ会の模様、および宮内鎮雄小口勝彦(いずれも林と同期入社のアナウンサー。のち小口はニュースデスク)との鼎談を放送した。更に林の没後13周年となる2013年12月27日20時から21時に「林美雄 空白の3分16秒」と題したドキュメント番組(出演・宮沢章夫、証言・鈴木慶一柳澤健、林文子、梅本満、久米宏、ナレーター・堀井美香)が放送されている。

2001年12月23日には、TBS開局50周年記念特番「50周年だョ! 全員集合」の一環として、『パック・イン・ミュージック リターンズ』が放送された。

2006年12月29日には『甦る伝説 那智・チャコ・パック(よみがえ - でんせつ - なち - )』と題して、野沢と白石、当時の番組スタッフで、復活放送が行われた。

2010年11月27日には、野沢の逝去に伴い、追悼特番『野沢那智さん、ラジオでお別れ会』を、白石と山本の担当で生放送。2011年1月8日に再放送された。

2010年12月より、TBSラジオの有料コンテンツサイト「らじこん」にて、那智チャコ パック 最終回の配信が行われている。

2011年12月24日25日未明)の 25:00 - 28:00 には、TBS開局60周年記念特番の一環として、過去の放送音源を放送する『アーカイブスペシャル パック・イン・ミュージック[31]』が放送された。宮内鎮雄が、パーソナリティを務めた。

2014年3月21日、TBSラジオ主催のイベント『我が青春のパック・イン・ミュージック』を開催。その一環として、3月18日 - 3月21日まで『一慶・チャコのパック・イン ・ミュージック』 を放送[32][33][34]。小島一慶、白石冬美、宮内鎮雄[35]がパーソナリティを務めた。

一慶・チャコのパック・イン・ミュージック』は2015年7月5日にも放送された。

関連文学作品[ソースを編集]

  • 「パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命」(伊藤友治+TBSラジオ   DU BOOKS 2015年9月 本番組の歴史を綴った本)
  • 「1974年のサマークリスマス 〜林美雄とパックインミュージックの時代〜」(柳澤健 2013年8月より「小説すばる」に連載され、2016年5月に集英社から発売されたノンフィクション小説)

脚注[ソースを編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 10 - 30分程度のフロート番組をまとめて放送するコンプレックス形式
  2. ^ 火曜2部担当の広田綾子、水曜2部担当の滝良子と木曜2部担当の馬場こずえは、『歌うヘッドライト』にも続投し、パーソナリティを担当した
  3. ^ 1971,03まで土曜〈金曜深夜〉担当
  4. ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
  5. ^ 日曜〈土曜深夜〉2部より昇格
  6. ^ 木曜〈水曜深夜〉へ移動
  7. ^ 火曜〈月曜深夜〉へ移動)
  8. ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
  9. ^ 1971,10より、火曜〈月曜深夜〉担当として復帰
  10. ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
  11. ^ このコーナーのみ、1969年10月2日まで続いた。
  12. ^ 日曜〈土曜深夜〉へ移動
  13. ^ 土曜〈金曜深夜〉から移動
  14. ^ 日曜〈土曜深夜〉から移動。→ 1977,10より、水曜〈火曜深夜〉1部担当として復帰
  15. ^ a b c 『歌うヘッドライト』へ転出
  16. ^ 金曜〈木曜深夜〉から移動
  17. ^ 水曜〈火曜深夜〉へ移動
  18. ^ 結核発病のため、短期間で降板。担当したのは5週だったと『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)2014年3月22日放送分で発言した。
  19. ^ 1975,10より、水曜〈火曜深夜〉担当として復帰
  20. ^ 火曜〈月曜深夜〉へ移動
  21. ^ 水曜〈火曜深夜〉1部へ移動
  22. ^ 火曜〈月曜深夜〉へ移動
  23. ^ パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命(伊藤友治+TBSラジオ 編 DU BOOKS、ディスクユニオン)p.56 - 59 より
  24. ^ a b パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命(伊藤友治+TBSラジオ 編 DU BOOKS、ディスクユニオン)p.480 - 492 より
  25. ^ 訛ってナッチャコ、または金曜パック、さらに略して金パと呼んだ。
  26. ^ 基本的に日本のアニメは見ないというスタンス
  27. ^ この時期の水、木、金は自社制作番組を放送
  28. ^ 本来ならCBCラジオが当番組をネットすべきだったが、ニッポン放送がまず東海地区のNRN系列局の東海ラジオにネット受けを打診したが、東海ラジオが当時『ミッドナイト東海』が放送中で人気だったために断られ、裏で劣勢を期していた(自社製作『CBCビップ・ヤング』を放送)CBCラジオにネット受けを打診して了承されたために当番組は東海地区では最後まで未ネットであった。
  29. ^ 提供クレジットを兼ねる
  30. ^ 「ラジオの〜」の箇所で、歌詞の一部を改変
  31. ^ 直前までパック・イン・ミュージックの放送が確定しなかったため、『思い出の番組蔵出しスペシャル』という仮題が付けられていた。
  32. ^ 通常は、ナイターオフのワイド番組『MUSIC24/7』を放送。
  33. ^ 放送時間は、20:00 - 22:00。ネット局は、21:00まで。
  34. ^ 山本コウタロー、沢木耕太郎(電話)(3月18日)、永六輔、愛川欽也、奈良岡朋子(電話)(3月19日)、山崎ハコ、伊藤銀次杉真理(3月20日)が、ゲスト出演
  35. ^ 3月21日のみの出演。小島、白石が『我が青春のパック・イン・ミュージック』出演のため、TBSラジオのスタジオから、宮内がパーソナリティを務めた。『我が青春の〜』終了後、小島、白石、小室等、山本コウタロー、兵藤ゆき、山崎ハコが、スタジオに駆け付け、宮内とともに番組を進行した

外部リンク[ソースを編集]

TBSラジオ 土曜日 24:30 - 29:00(1967 - 1969)
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