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岡本おさみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡本 おさみ
生誕 1942年1月15日
出身地 日本の旗 日本
鳥取県米子市
死没 (2015-11-30) 2015年11月30日(73歳没)
学歴 日本大学
ジャンル 歌謡曲
J-POP
フォークソング
ニューミュージック
職業 作詞家
活動期間 1968年 - 2015年
共同作業者 吉田拓郎 SION

岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2015年11月30日[1])は、日本作詞家

経歴・人物

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鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校日本大学卒業。兄は浅見光彦ミステリーなどを手掛けた脚本家の岡本克己[2]

放送作家から作詞家に転身し、主にフォーク黎明期に活躍した。作曲者としての吉田拓郎とのコンビで知られ[3]森進一が歌って第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」をはじめ多くの作品を生んだ。

1980年にリリースされた吉田拓郎のアルバム『アジアの片隅で』では、岡本らしいメッセージ性の濃い歌詞を提供している。強烈なメッセージ性を有した表題曲「アジアの片隅で」は12分を超える大作である。

SIONとはデビュー前から交流があり、音楽雑誌の新譜ジャーナルで連載していた『うたのことばが聴こえてくる』でデビュー前のシオンや共同作業中の詞を紹介している。ちなみに1985年にSIONが自主製作でリリースしたミニアルバム『新宿の片隅で』の歌詞「街は今日も雨さ」「俺の声」「クロージング・タイム」「ノック・オン・ザ・ハート」は全曲岡本とSIONの共作である。1986年のメジャーデビューアルバム『SION』においては前述の数曲以外に「SORRY BABY」「レストレス・ナイト」「コンクリート・リバー」を、同年の1stシングルでは「俺の声」のカップリング曲「ハード・レイン」の歌詞も共作している。

1993年には作曲家の水野修孝と組んでミュージカル『泣きたくなったら笑うんだ』を制作した。

2002年夏川りみのアルバムにいくつかの作品を提供、これを機に夏川の伴奏や作・編曲を務めていた吉川忠英との旧交を温め、翌年に彼の作品を様々なアーティストが歌ったアルバム『岡本おさみ アコースティックパーティー with 吉川忠英』が制作された。

2015年11月30日、心不全のため死去[1]。73歳没。

2024年11月30日、出身地の鳥取県米子市にある米子市公会堂の前庭に、全国のファンから集まった資金で「岡本おさみ音楽記念碑」が建立された。

主な作品

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脚注

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  1. ^ a b 作詞家・岡本おさみさんが死去 「旅の宿」「襟裳岬」など”. ORICON NEWS (2015年12月17日). 2025年1月15日閲覧。
  2. ^ あの素晴らしい〈フォークソング〉をもう一度<岸田敏志「きみの朝」>売れたきっかけは十朱幸代とのラブシーン”. Asagei Plus (2021年3月27日). 2025年1月15日閲覧。
  3. ^ 吉田は「『旅の宿』まではあまり俺と合わないと思っていた」と、ニッポン放送の深夜番組「オールナイトニッポン」で語ったことがある。

関連項目

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