山崎ハコ

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山崎ハコ
出生名 山崎初子[1]
生誕 (1957-05-18) 1957年5月18日(64歳)[1]
出身地 日本の旗 日本大分県日田市[1]
学歴 横浜学園高等学校[2]
ジャンル フォークソング
職業 シンガーソングライター
女優
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1975年[1] -
事務所 IMADOKI[3]→フリー
共同作業者 安田裕美
公式サイト 山崎ハコの世界

山崎 ハコ (やまさき はこ、1957年5月18日[1] - ) は、日本女性シンガーソングライターフォークシンガー女優大分県日田市出身[1]血液型はAB型[1]

本名:山崎 初子(やまさき はつこ)[1]名字の読みは「やまき」ではなく「やまき」である[1]芸名の「ハコ」は、本名の「初子」を短縮した子供時代からの愛称に由来する。

経歴[編集]

デビューまで[編集]

大分県日田市の兼業農家に生まれる。生家は田んぼを持ち、父親は郵便局員であった。家族は祖父母と両親、兄が一人いた。音楽好きな兄の影響で、山崎もレコードを聴いたりギターを弾くようになったという。両親が先に神奈川県横浜市へ転居し[注 1]、山崎は中学校卒業まで祖母と日田市で暮らす。中学卒業後の1973年4月に横浜市へ転居し、横浜学園高等学校に入学[2] した。

同高校在学中に音楽コンテストに出場するようになり、1974年11月に高校2年生で「ジョイナス・フォーク・コンペティション」に出場して優勝[1][3]。このコンテストに関わっていた横浜出身の音楽プロデューサー星野東三男に見い出され[3]、星野が地元の横浜で立ち上げた音楽事務所「ニューサウンド」に1975年4月から所属することとなる[3]。山崎は当時まだ高校在学中であった。

なお「ニューサウンド」はのちに「サウンドポート」「サウンドシップ」を経て、1989年に事務所名を「IMADOKI」と改称。同年に開催された横浜博覧会 (YES'89) での音楽イベント等を手掛けた[3]。同事務所には、山崎と同じく「ジョイナス・フォーク・コンペティション」からデビューした石黒ケイ、横浜市出身の裕木奈江が所属した[3]。また「ジョイナス・フォーク・コンペティション」には、デビュー前の渡辺真知子も出場している[3]

同1975年5月にフォークレーベルエレックレコードと契約。すでに50曲近く書きためていた中から選曲してレコーディングを開始した[3]。同年10月1日、ファーストアルバム『飛・び・ま・す』をリリース[1]。18歳でメジャー・デビューを果たす。また同年9月26日にはデビューコンサートを横浜市教育文化センターで開催した。

1975年末には林美雄DJを務めるTBSラジオの音楽番組『パックインミュージック』に出演[3]。同年12月にTBSホールで開催された「第1回パック祭り」では荒井由実石川セリと共演した[3]。なお同番組は、荒井由実のデビュー曲『返事はいらない』を紹介し、ファーストアルバム『ひこうき雲』がブレイクするきっかけを作ったことでも知られる。

デビュー前から病弱で[3]、かねてより慢性膵炎の持病を抱えており、膵臓に負担がかかるため成人後も「タバコどころかコーヒーなども口にできない」という体質である[4]。そのため、デビュー時から所属していた音楽事務所「IMADOKI」社長の星野は病弱な山崎の負担を避けようと、シングルを次々に出してヒット曲を狙うという手法を取らなかったと語っている[3]

フォークブームの中で[編集]

デビューアルバムに続き、翌1976年にセカンドアルバム『綱渡り』を発売後、同年7月16日にエレックレコードが倒産。キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍し、サードアルバム『藍色の詩』を発表。以降、1984年のアルバム『てっせんの花』まではキャニオンからのリリースとなる。

フォークギター弾き語りで、女の情念や怨念といった心情を土俗的なイメージとともに哀しく切々と歌い上げ、熱狂的なファンを獲得した。九州弁を活かした歌詞や、日本各地に古くから伝わる伝承歌を題材とした作品もあり、地元の九州や大分、神奈川や横浜のご当地ソングも多数ある。150cm前後の小柄で痩せた体躯から発せられる低音で表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛をもって社会を抉る歌詞で、デビュー当時は「中島みゆきのライバル」と称された。

1979年4月から1980年3月にかけてはニッポン放送の『オールナイトニッポン』火曜日2部のDJを担当[1]。「深夜放送のマドンナ」と称された。

また映画音楽の制作も手がけ、初の映画音楽として1979年ホラー映画地獄』の主題歌「心だけ愛して」、挿入歌「きょうだい心中」を担当[1]。この主題歌と挿入歌はシングルとして発売されたが、兄妹の近親姦心中を扱った「きょうだい心中」は放送禁止歌とされた(ただしこの歌詞は山崎のオリジナルではなく、西日本の各地に伝わる伝承歌を元にしたものである)。

1981年には、九州炭鉱地帯を舞台とした五木寛之原作の映画青春の門』の音楽を担当し、主題歌「織江の唄」[5] がヒットした[1](作詞は五木寛之)。1984年にはベトナム戦争で国を追われたボートピープルを題材としたアン・ホイ監督の香港映画望郷』(投奔怒海)の主題歌を担当[1][6](制作は1982年、1984年日本公開)。1990年には同じ音楽事務所「IMADOKI」に所属する裕木奈江の主演映画 『曖・昧・Me』の音楽制作を担当した[1]

アルバム『幻想旅行II』の発表時点(1982年)で、発売したLPはそれぞれ5万枚ずつ売れていた[7]

所属事務所の倒産[編集]

しかし1980年代以降はフォークブームが過ぎ、左翼運動や学生運動の後退により政治色の強いプロテスト・フォークは廃れ、好景気を背景に「四畳半フォーク」は「ダサい」と言われるようになる。「ネクラ・ネアカ」が流行語となった世相の中で、山崎の楽曲は「暗い」と言われてレコードのセールスが伸び悩むようになった[3]。当時はタモリなどのお笑い芸人が「暗い曲・怖い曲」として山崎の楽曲を笑いのネタにすることさえあった[注 2]

1985年ポリドール(現:ユニバーサルミュージック)へ移籍。アルバム『光る夢』を発表。ポリドールからは1986年11月発売のライブアルバム『私の幸せ』まで4枚のアルバムを発売するが、このアルバムの制作前に音楽事務所からは「最後の弾き語りステージをライブアルバムとして残したい」と言われており、活動休止が示唆されていた。

その後、約3年のブランクを経て1990年トーラスレコード(現:ユニバーサルミュージック)へ移籍し、『SA・SU・GA(流石)』など2枚のアルバムを発表。この頃から、それまでのフォーク調からブルース色が強くなり、曲調やジャケット写真も都会的な雰囲気を強調してイメージチェンジを図った。

1991年BMGビクターへ移籍(1994年以降のアルバムはビクターから発売)。1994年に初のカバーアルバム『十八番 (おはこ) 』で第36回日本レコード大賞アルバム企画賞を受賞[1]。翌1995年には初のセルフカバーアルバム『ハコのお箱』を発表した[1]

また1991年より、女優の渡辺えりと親交を持ったことを契機に、渡辺が主催する「劇団3○○」の演劇に出演し、舞台女優としても活動を開始する[1]

1997年には、NHK『みんなのうた』で「わっしょいニッポン」が放送された[1]

しかし、裕木奈江主演の1993年放送のテレビドラマポケベルが鳴らなくて』の撮影が始まった時期に、山崎がデビュー時から所属していた音楽事務所「IMADOKI」代表の星野が、交通事故に遭い大怪我を負って入院してしまう[3]。これに引き続く裕木に対するバッシングなどもあり[注 3]、星野は精神的に追い詰められていく[3]。そうしたことから、1998年[注 4]に「IMADOKI」が倒産し、山崎はフリーとなる。なお星野によれば、石黒ケイは1986年から1987年にすでに同事務所を離れており、倒産時点では山崎と裕木が在籍していた[3]

2000年代以降[編集]

山崎は事務所倒産について、インタビューなどで「所属事務所が倒産したことで一時期はホームレスにも近い極貧生活をしていた」「生計を立てるため中華料理店で皿洗いのアルバイトをしていた」などと様々に語っている。また「事務所が倒産するまで印税の存在すら知らなかったが、突然の倒産によりマネージメントや営業活動など全てを自らこなすようになった」とも述べている。さらに「アルバイト先の先の有線放送でたまたま自分の曲が流れたのを聴いて、自分は歌わなくてはいけないと本格的な歌手復帰を決意した」とも述べており、それにより「2008年に完全復帰を果たし、日本コロンビアより新曲『BEETLE』を発表した」などと語っている。

しかし山崎の公認Webサイト上のプロフィールによれば、その間にも音楽活動は継続しており、2000年には、TBSテレビ愛の劇場あっとほーむ』エンディングテーマを担当し、室井滋とのカップリングでシングル『希望』を東芝EMIから発売している[1]2001年にはデビュー前の17歳で録音したデモテープの未発表音源『飛びます…17歳』、2枚組ベストアルバム『Dear My Songs 山崎ハコ・ベスト』を発売[1]2002年には徳間ジャパンからマキシシングル『やさしい歌』を発表した。

同2002年7月には、テレビアニメちびまる子ちゃん』特番で山崎ハコ本人役として歌と声の出演を果たし[1]、1970年代のデビュー当時を知らない世代にもアニメを通じて名が知られるようになった(後述)。

2005年にデビュー30周年を迎え、同年から翌2006年にかけて30周年記念コンサートを全国で開催[1]。2006年にはベストアルバム『歌いたいの』を発売[1]、1984年のLP『てっせんの花』から『てっせん子守歌』がCDシングルカット、30周年記念アルバムが発売された[1]。同年末のNHK BS2フォークの達人』でコンサートが放映され、新たな注目を浴びた[2]2009年11月4日にデビュー35周年記念アルバム『未・発・表』を発売[1]2010年にはデビュー35周年を迎えた[1]

2014年にはポニーキャニオンから初期のアルバムがCD化され、リマスターCDとして一挙再発売される[1]。その後も楽曲のリリースや、全国のライブハウスなどを回ってコンサート活動を続け、女性フォークシンガーとして活躍するとともに、エッセイの執筆など多彩な活動を行っている[1]2020年にはデビュー45周年を迎えた[1]

永年独身を通していたが、2001年に作曲・編曲、演奏など長く仕事を共にしたギタリスト安田裕美北海道小樽市出身)と結婚。結婚後も公私ともに良好なパートナー関係を続けた。また活動拠点をずっと横浜に置き続けていたが、東京へ転居した。

夫の安田は2020年7月6日大腸がんで死去した[8][9]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

ソロ[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲
キャニオン・レコード / F-Label
1st 1978年5月10日 EP F-213 A 流れ酔い唄 山崎ハコ
B 桧原ふるさと
2nd 1979年4月2日 EP F-225 A 地獄「心だけ愛して」 山崎ハコ 山崎ハコ
B きょうだい心中 不詳
3rd 1979年9月21日 EP F-247 A ララバイ横須賀 山崎ハコ 山崎ハコ
B 織江の唄 五木寛之
3rd 1980年6月5日 EP F-263 A 男のウ井スキー 山崎ハコ
B 旅の人
4th 1981年1月10日 EP 7A0046 A 織江の唄 山崎ハコ
B 道を探せ
5th 1982年4月21日 EP 7A0170 A 幻想旅行 山崎ハコ
B ばいばいことば
6th 1983年5月21日 EP 7A0284 A 雨に唄えない 山崎ハコ
B ヨコハマ・アンバランス
7th 1984年3月21日 EP 7A0359 A 風の歌 山崎ハコ
B 今日はなんだか
8th 1984年6月21日 EP 7A0393 A 町よ 山崎ハコ
B てっせん子守唄
ポリドール・レコード
9th 1985年11月25日 EP 7DX1403 A テル・ア・ライ 山崎ハコ
B 挨拶
トーラスレコード
10th 1990年2月7日 8cmCD TADX-7306 1 ANOU 山崎ハコ
2 霧の朝
11th 1990年10月26日 8cmCD TADX-7317 1 気分を変えて 山崎ハコ
2 サヨナラの鐘
BMGビクター
12th 1992年5月21日 8cmCD BVDR-101 1 山崎ハコ
2 HOLIDAY
ビクターエンタテインメント
13th 1994年9月21日 8cmCD VIDL-10552 1 アカシアの雨がやむとき 水木かおる 藤原秀行
2 今夜は踊ろう 荒木一郎
14th 1995年5月24日 8cmCD VIDL-10651 1 私が生まれた日 山崎ハコ
2 天使の微笑み
15th 1997年2月10日 8cmCD EPDA-40 1 たどりついたらいつも雨ふり 吉田拓郎
2 夕陽が泣いている 浜口庫之助
16th 1997年5月25日 8cmCD EPDA-43 1 わっしょいニッポン 山崎ハコ
2 日本小町
17th 1997年8月25日 8cmCD EPDA-47 1 たずね人 -冒険者- 山崎ハコ
2 夕陽に赤とんぼ
徳間ジャパンコミュニケーションズ
18th 2002年8月28日 Maxi TKCA-72434 1 やさしい歌 山崎ハコ
2 天の川で
3 流氷岬[注 5] 山崎ハコ
19th 2004年2月25日 Maxi TKCA-72661 1 刹那の夢
2 稲の花 山崎ハコ
3 刹那の夢 〜劇場Version〜
20th 2006年5月10日 Maxi TKCA-90115 1 てっせん子守唄 山崎ハコ
2 ララバイ横浜
3 海かがみ 島倉千代子

山崎ハコ

山崎ハコ
コロムビアミュージックエンタテインメント
21st 2008年2月20日 Maxi COCA-16067 1 BEETLE 山崎ハコ
2 SŌDASUI
テイチクエンタテインメント
22nd 2011年1月19日 Maxi TECA-12273 1 あなたの声 山崎ハコ 山崎ハコ
2 おらだのふるさと 田勢康弘

デュエットシングル[編集]

名義 発売日 規格 規格 タイトル 作詞 作曲
東芝EMI / TM FACTORY
室井箱(滋) & 山崎ハコ 2000年10月12日 Maxi TOCT-4262 1 希望[注 6] 山崎ハコ
2 希望[注 7]

非売品シングル[編集]

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲
エレックレコード
1975年10月 EP ETE-1 A 橋向こうの家 山崎ハコ
B 気分を変えて
1976年5月 EP ETE-2 A ハーモニカ吹きの男 山崎ハコ 山崎ハコ
B ひとり唄 不詳
キャニオン・レコード / F-Label
1977年11月 EP PR-16 A 帰ってこい 山崎ハコ
B 二日酔 岡沢隆一
補:山崎ハコ
荒川博之
補:山崎ハコ

アルバム[編集]

オリジナルアルバム[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル
エレックレコード
1st 1975年10月1日 LP ELEC-7 飛・び・ま・す
2nd 1976年5月25日 LP ELEC-13 綱渡り
キャニオン・レコード / F-Label
3rd 1977年3月18日 LP FF-9001 藍色の詩
4th 1978年6月10日 LP FX-8003 流れ酔い唄
5th 1979年5月21日 LP C25A-0028F 人間まがい
6th 1980年10月5日 LP C28A-0117 歩いて[注 8]
7th 1981年4月21日 LP C28A-0156
8th 1981年11月5日 LP C28A-0190 幻想旅行
9th 1982年4月5日 LP C28A-0210 幻想旅行II
10th 1982年10月21日 LP C28A-0243 硝子の景色
11th 1983年2月21日 LP C28A-0259 風の色
12th 1983年9月21日 LP C28A-0292 ダージリン
13th 1984年6月5日 LP C28A-0336 てっせんの花
ポリドール・レコード
14th 1985年5月25日 LP 28MX-1211 光る夢
CD H33P 20020
15th 1985年11月25日 LP 28MX-1227 時は流れて
CD H33P 20052
16th 1986年6月1日 LP 28MX-1239 なわとび
CD H33P 20079
トーラスレコード
17th 1990年2月23日 CD TACX-2311 SA・SU・GA
18th 1990年4月25日 CD TACX-2318 日本詩集 〜遠い町 遠い空〜
BMGビクター
19th 1992年5月21日 CD BVCR-84 メンフィスまで
ビクターエンタテインメント
20th 1995年5月24日 CD VICL-661 私が生まれた日
21st 1996年6月21日 CD VICL-776 唯心
テイチクエンタテインメント
22nd 2012年3月7日 CD TECE-3067 縁 -えにし-[注 9]
23rd 2014年9月17日 CD TECE-3269 歌っ子
24th 2016年9月21日 CD TECE-3384 私のうた

ミニアルバム[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル
ミュー音楽出版
1st 2001年11月28日 CD MUMP-1027 飛びます…17歳[注 10]

カバーアルバム[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル
ビクターエンタテインメント
1st 1994年9月21日 CD VICL-566 十八番[注 11]

セルフカバーアルバム[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル
ビクターエンタテインメント
1st 1995年9月27日 CD VICL-697 ハコのお箱
コロムビアミュージックエンタテインメント
2nd 2009年11月4日 CD COCP-35820 未・発・表

ライブアルバム[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル 備考
キャニオン・レコード / F-Label
1st 1977年11月10日 LP FF-9010 山崎ハコ ファーストライブ 1977年9月13日、大阪サンケイホールでのライブ音源。
2nd 1979年11月21日 LP C35A-0072/3 山崎ハコ ライブII 歌在りて 1979年9月23日~9月28日、博品館劇場でのライブ音源。
ポリドール・レコード
3rd 1986年11月25日 LP 28MX-1253 私の幸せ 1986年9月8日~9月9日、FM東京ホールでのライブ音源。LPとCDで収録曲が異なる。
CD H33P 20120
ポニーキャニオン
4th 2013年12月18日 CD PCCA-03957 山崎ハコライブセット 『山崎ハコ ファーストライブ』および『山崎ハコ ライブII 歌在りて』にボーナストラック4曲を追加収録した編集盤。

ベストアルバム[編集]

No. 発売日 規格 規格品番 タイトル 備考
キャニオン・レコード / F-Label
1st 1980年7月5日 LP C25A-0099 軌跡 「きょうだい心中」と「飛びます」は未発表音源を収録。
2nd 1984年2月5日 LP C20A-0322 ベスト オブ 山崎ハコ
3rd 1985年6月5日 CD D36A-0087 ベストセレクション
ポリドール・レコード
4th 1985年7月25日 CD H32P 20028 ザ・ベスト・オブ・山崎ハコ
ポニー
5th 1986年11月21日 CD D32P-6030 スーパーベスト
6th 1987年11月21日 CD D32P-6154 山崎ハコ ベスト
トーラスレコード
7th 1990年8月29日 CD TACX-2326 BEST 全13曲中10曲が再録音されている。
8th 1992年11月21日 CD TACX-2372 for your Good Days
ポニーキャニオン
9th 1996年11月21日 CD PCCA-1034 山崎ハコ ベストアルバム
10th 2001年12月24日 CD DMCA-40124 山崎ハコ ベストコレクション Dear My Songs 通販限定。
山崎自身初監修(選曲・曲順・解説)によるベストアルバム。
11th 2002年8月21日 CD PCCA-1740 Anthology 山崎ハコ BEST 本人選曲によるベスト・アルバム。
ユニバーサルミュージック
12th 2006年3月1日 CD UPCY-6118 山崎ハコ ゴールデン☆ベスト ボーナストラックに「友を送る歌」と「硝子のピノキオ」を収録。
徳間ジャパンコミュニケーションズ
13th 2006年5月24日 CD TKCA-73029 歌いたいの 「飛びます」「サヨナラの鐘」「望郷」「気分を変えて」「歌いたいの」「白い花」「ヨコハマ」は新録音。
「会えない時でも」は新曲。
ポニーキャニオン
14th 2008年7月16日 CD PCCS-00046 山崎ハコ best collection history 1975-1984
15th 2014年10月1日 CD PCCA-04100 ハ・コ・で・す 1975-2014 デビュー40周年記念ベスト。Disc1がポニーキャニオン時代の曲のみ。
Disc2はそれ以外の時代の曲で構成。

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
地獄「心だけ愛して」 東映映画『地獄』主題歌 シングル「地獄「心だけ愛して」」
きょうだい心中 東映映画『地獄』挿入歌
織江の唄 映画『青春の門』テーマソング[注 12] シングル「織江の唄」
風の歌 香港映画『望郷』イメージ・ソング シングル「風の歌」
町よ MBSTBS系放映『週末だけの恋人[12] 主題歌 シングル「町よ」
今夜は踊ろう 映画『愛の新世界』主題歌[13] シングル「アカシアの雨がやむとき
私が生まれた日 映画『愛の新世界』挿入歌 シングル「私が生まれた日」
たどりついたらいつも雨ふり TBS系 横山やすし追悼ドラマ『俺は浪花の漫才師』主題歌[14] シングル「たどりついたらいつも雨ふり
わっしょいニッポン NHKみんなのうた』より[15] シングル「わっしょいニッポン」
たずね人 -冒険者- テレビ東京系『いい旅・夢気分』エンディング・テーマ[16] シングル「たずね人 -冒険者-」
刹那の夢 〜劇場Version〜 前進座特別公演・中村梅雀主演『まんがら茂平治』主題歌 シングル「刹那の夢」
BEETLE 映画『東京ソーダ水』主題歌 シングル「BEETLE」
TBS系『徳光和夫の感動再会!"逢いたい"』2008年1~3月期エンディングテーマ
SŌDASUI 映画『東京ソーダ水』挿入歌
あなたの声 NHKラジオ深夜便2011年1-3月期「深夜便のうた シングル「あなたの声」
おらだのふるさと 山形白鷹町 誕生55周年記念歌

楽曲提供[編集]

アグネスチャン
  • 「小さな質問」 (作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:石川鷹彦)
石川さゆり
  • 「花火」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:安田裕美)
かとうれい子
北原ミレイ
熊谷美由紀(現・松田美由紀)
  • 「ダンシング・ドール」(作詞・作曲:山崎ハコ)
シンシア
裕木奈江
  • 「硝子のピノキオ」 (作詞:HAKO、作曲:HAKO、編曲:森一美)
  • 「冬の東京」 (作詞:田口俊、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) - アルバム『』に収録
  • 「虹色の世界地図」 (作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) - アルバム『旬』に収録
  • 「ダレダレのブギ」 (作詞:大槻ケンヂ、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄)
校歌

テレビ・ラジオ企画[編集]

「呪い」[編集]

呪い
山崎ハコの楽曲
収録アルバム人間まがい
リリース1979年5月21日
規格LP
時間4分20秒
レーベルキャニオン・レコード / F-Label
作詞者山崎ハコ
作曲者山崎ハコ(作曲)
石川鷹彦(編曲)

1979年に発売されたアルバム『人間まがい』B面の1曲目に収録された楽曲。作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:石川鷹彦。のちに深夜ラジオ番組『大槻ケンヂのオールナイトニッポン[18] や『コサキンDEワァオ!』」などで紹介され、マニアックな評価を受けたことで代表曲となった。

「コーンコーン」という擬音リフレインが印象的な楽曲で、呪いを込めて藁人形を刺すという丑の刻参りを表す描写が特徴だが、「そういう悲しい自分に釘を刺せ」という裏の意味が込められている[19]

ちびまる子ちゃん[編集]

テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』でも採り上げられたことがある。2002年7月7日、『2002年度「FNS27時間テレビ みんなのうた』の企画の一環として、当日放映のアニメ『ちびまる子ちゃん』の「まる子、フォークコンサートへ行く」の巻で、山崎ハコ本人役で歌と声の出演。劇中で「ヨコハマ」を歌ったほか、特別エンディング・テーマとして「呪い」が流された。脚本はTARAKOが担当した。

電波少年[編集]

ラジオ出演[編集]

映画出演[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 両親が横浜へ転居した理由について、山崎はインタビューで「母が経営していた小料理屋がうまく行かなくなったため、横浜で地下鉄工事のアルバイトをしていた兄を頼って行った」と述べている。
  2. ^ なお、のちに山崎は『笑っていいとも!』の名物コーナー「テレフォンショッキング」に出演しているが、その際にはタモリと同じ九州出身者として故郷の話題で盛り上がっていた。
  3. ^ 詳細は「裕木奈江」「ポケベルが鳴らなくて」を参照。裕木は女優としてスキャンダラスな役どころを演じただけであり、裕木自身にスキャンダルなどは全くなかったにもかかわらず、マスメディアによって根拠なきバッシングが執拗に行われた。この背景には星野と大手芸能事務所の軋轢があったとされる[3]。星野は入院していたため「裕木を守れなかった」と自責的になり「芸能界が嫌になった」と語っている[3]
  4. ^ 1997年という説もある。
  5. ^ 北原ミレイへの提供曲「納沙布岬」(1981年9月)を改題し、詩も一部新たにしたセルフカバー。ほぼ同一内容であるが、JASRAC作品コードと出版者がそれぞれ異なる。JASRAC作品コードは「納沙布岬」が066-1548-1、「流氷岬」が103-7164-8。出版者は前者がエス・テー・ビー開発センターとRKBミューズ株式会社、後者がズームリパブリックと登録されている(2018年現在)。
  6. ^ 歌:室井箱(滋)
  7. ^ 歌:山崎ハコ
  8. ^ コーラス・ワークに石黒ケイ中島みゆきが参加している。
  9. ^ 第54回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞[10]
  10. ^ 1974年に録音されたデモテープの未発表音源を収録。
  11. ^ 第36回日本レコード大賞アルバム企画賞受賞[11]
  12. ^ 映画のクレジットでは「サブテーマ」となっている。なお、映画本編では流れていない。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae プロフィール”. 山崎ハコの世界 公認Webサイト (2020年). 2021年4月17日閲覧。
  2. ^ a b c 出身者 横浜学園高等学校
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 星野東三男氏インタビュー - 映像団体「moment」公式サイト
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  18. ^ 「かっちょいい曲」のプロ! 大槻ケンヂさん登場!!”. オールナイトニッポン 有楽町音楽室 番組公式サイト (2007年8月31日). 2015年2月27日閲覧。
  19. ^ 山崎ハコ、代表曲「呪い」には「悲しい自分に“釘をさせ”」という裏の意味がある サンケイスポーツ、2018年6月19日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

山崎ハコが所属していた音楽事務所「IMADOKI」元社長のインタビュー。デビュー当時の状況が詳細に語られている。