小田和正

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小田 和正
出生名 小田 和正
出生 1947年9月20日(67歳)
出身地 日本の旗 日本神奈川県横浜市金沢区
学歴 聖光学院中学校・高等学校卒業
東北大学工学部建築学科卒業
早稲田大学大学院理工学研究科修了
ジャンル J-POP
AOR
ニューミュージック
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器
キーボード
ギター
ウクレレ
活動期間 1970年 -
レーベル ファンハウス
1986年 - 1999年
BMG JAPAN(BMGファンハウス)
(1999年 - 2009年
アリオラジャパン/Little Tokyo
(2009年 - )
事務所 ファー・イースト・クラブ
共同作業者 オフコース
松任谷由実
財津和夫
USED TO BE A CHILD
PLUS ONE
オダ☆レビ
ゆずおだ
など
公式サイト Far East Café
著名使用楽器
ローランド・RS-202
ヤマハ CP80
ローランド・RS-09
ローズ・スーツケース
クラビネット D6
シーケンシャル・サーキット プロフェット5
ヤマハ・DXシリーズ
ヤマハ KX88
ヤマハ SY77
ヤマハ・クラビノーバ
コルグ・OASYS
マーティン・D-28
フェンダー・テレキャスター
サイモン&ガーファンクル
ピーター・ポール&マリー
エルトン・ジョン
カーペンターズ
ギルバート・オサリバン
杉田二郎
小椋佳
井上陽水
吉田拓郎
など

小田 和正(おだ かずまさ、1947年9月20日 - )は、日本ニューミュージックシンガー、シンガーソングライター音楽プロデューサー。元オフコースリーダーボーカル。株式会社ファー・イースト・クラブ (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長。身長172cm。血液型A型

来歴[編集]

生い立ち[編集]

横浜市金沢区出身。金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育ち、兄が一人居る。兄は家業を継ぎ薬剤師となり小田薬局の店長を務める傍ら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任している。 幼少時代は横須賀中央のバイオリン教室に通っていた。実父は、東京都本郷の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築き藍綬褒章を受賞している。趣味はゴルフ油絵古今亭志ん生のファンである。

関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、1960年、全国でも有数の進学校である聖光学院に進学。小学3年生の時中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、京浜急行の車中で鈴木康博と運命の出会いを果たす。鈴木とは第1志望だった栄光学園中学の受験に失敗(2人共に)し、進んだ中高一貫教育である聖光学院では中学校・高等学校を通じて同級生だった。高校3年時、学園祭(「聖光祭」)にて小田、鈴木、地主道夫須藤尊史の4人で演奏を披露した。オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能な大ホールがある)。これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものであった。なお、1999年、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。

オフコース[編集]

聖光学院卒業後、須藤は横浜市立大学、小田は地主とともに東北大学に進学、建築工学を専攻。聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていた。また、千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京だとレベルが高い、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める[1]

しかし音楽一本に決めた鈴木、小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた地主に対し、小田は自分の道をまだ定められず、1971年早稲田大学大学院に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、指導教授に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。

オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁大間ジロー松尾一彦を加えた5人構成となる。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動した。オフコース時代の活動の詳細はオフコースの項参照。

ソロ以降[編集]

1986年に初めてのソロシングル「1985」、初のソロアルバム『K.ODA』を発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。

1991年フジテレビ月9ドラマ東京ラブストーリー』の主題歌として制作した楽曲「ラブ・ストーリーは突然に」が、ドラマと見事なコラボレーションを成し、ドラマ・主題歌共に大ヒット。オフコース時代に叶わなかった、「オリコンシングルチャート第1位」と「シングルミリオンセラー突破」を一挙に成し遂げた。

その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『自己ベスト』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。

1998年7月22日夜、愛車セルシオを自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のゴルフ場へ向かうため、栃木県都賀町東北自動車道下り線を走行中、自損事故を起こし、全治4週間の重傷を負う。現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制が出されていたところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行しており、スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。同乗者はいなかった。幸いにも、後続車による追突や、横転、反対車線への飛び出しといったことがなかったため、一命を取りとめる。約2週間の入院を経た後奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、福岡県にある「海の中道」で行われた、スターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。

2005年にはオリジナルアルバム『そうかな』、2007年にはシングル「こころ」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。

CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ。

また、音楽以外の分野では映画ドキュメンタリーの制作なども行った。

明治村が好きで、何度も足を運ぶ(特にフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル中央玄関ミニチュアがお気に入り)。それが縁となり、明治村を経営する名古屋鉄道の企業CMで小田の曲が使われている[2][3]

2007年母校の東北大学が創立百周年で、文化功労賞を、ノーベル賞受賞者でOBの田中耕一、トヨタの豊田章一郎らと共に受ける。さらに母校である聖光学院創立50周年祭で招待公演をパシフィコ横浜で行った。

2008年11月京急本線金沢文庫駅の駅メロに「my home town」が決まった。

2009年3月「ツアー2008 今日もどこかで」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。同年7月、知人の招きを受け、岩手県大船渡市民文化会館・リアスホールの落成記念公演を行った。

2010年10月20日発売の松尾一彦のミニ・アルバム『せつなくて』にピアノ&ピアノ・アレンジで参加。オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなる。

2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催。約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新[4]

映画制作[編集]

中学生時代に見た映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバー」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていた。

オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかったビデオクリップを制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていた。

1992年、第1回監督作品となる映画『いつか どこかで』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなかった。

1997年、監督第2作目となる映画『緑の街』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、1作目での制作体験を基に描かれた。この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映された。

プロデュース / コラボレーション[編集]

ソロになった1989年以降、他のアーティストとの交流が急速に活発化する。

ソングライターとして鈴木雅之中村雅俊島倉千代子松たか子らの楽曲を全面的にプロデュースする他、ASKA佐藤竹善スキマスイッチらとコラボレーションする。

また、チャリティのためのUSED TO BE A CHILD主催、泉谷しげるらとのチャリティライブ、スターダストレビューCHAGE and ASKAらとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。

小田自身のソロライブでも、コーラスに安部恭弘佐藤竹善山本潤子加藤いづみらを起用している。

作品[編集]

コンサート[編集]

ツアー[編集]

タイトル 公演規模 公演日程 会場 備考
1990年 第一生命サウンドスペシャル
K.ODA TOUR 1990 Far East Club Band
全国40か所、56公演 5月31日 - 11月7日
1991年 - 1992年 第一生命サウンドスペシャル
Sometime Somewhere K.ODA TOUR FAR EAST CLUB BAND 1992
全国33か所、59公演 12月1日 - 4月25日
1995年 FUN MORE TIME! KAZUMASA ODA TOUR 1995 全国36か所、60公演 1月7日 - 5月23日 以後「ご当地紀行」と呼ばれる、ツアー先の名所などを小田が訪れるVTR上映がスタート。
1997年 - 1998年 日産エルグランドPresents
K.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW
全国50か所、65公演 9月2日 - 2月3日 日本武道館公演で、ステージ上に客席の設置が試みられ、以後オンステージ・シートとして定着していく。
2000年 SAME MOON! KAZUMASA ODA TOUR 2000 全国45か所、59公演 5月11日 - 10月12日 このツアーから加藤いづみがコーラスに参加(2002年のツアーまで)。
2002年 ファミリーマート[22]Presents
K.ODA TOUR 2002 「Kira Kira」
全国25か所、39公演 5月2日 - 8月18日 このツアー以降、オンステージ・シートのほか、客席内への花道設置が恒例となった。
2005年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2005
"大好きな君に"
全国20か所、40公演 6月3日 - 12月22日
2008年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2008
"今日も どこかで"
全国29か所、52公演 4月5日 - 9月26日 関東地区の公演(一部)の主催がTBSに変更[45]
2008年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2008
"きっと またいつか♪今日も どこかで FINAL♪"
全国3か所、4公演 11月26日27日
12月6日20日
ドームツアー。
2011年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2011
"どーも どーも その日が来るまで"
全国25か所、48公演[49] 5月7日 - 10月26日[50] 自身初の5大ドーム公演を含む。東京、神奈川を除き、日程の大半が週末に組み込まれた[68]が、
一部公演が東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、延期および見送り(公演中止)となった。
2012年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2012
"どーも どーも その日が来るまで"
東北地区、横浜市6か所、11公演 4月14日 - 5月26日 東北ツアーは東日本大震災の影響により、中止となった宮城、岩手、秋田を含む5県[75]での開催。
横浜赤レンガパーク野外特設ステージは追加公演で、関東地区で唯一の週末開催となった。
このツアーにあわせて新曲『その日が来るまで』を制作、披露した。
2013年 明治安田生命Presents
小田和正コンサート
"その日が来るまで"
東北地区3か所、6公演 5月15日 - 5月31日 東北さくらライブプロジェクト』の支援の一環として、東北3か所にて開催。また10月には沖縄公演を実施した。
2014年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2014
"本日 小田日和"
全国18か所、36公演 6月28日 - 10月29日 園山光博(Sax)が不参加。
2015年 明治安田生命Presents
KAZUMASA ODA TOUR 2014 - 2015
"本日 小田日和"
全国7か所、14公演 1月29日 - 3月18日 前年に実施したツアーの追加公演。

野外コンサート[編集]

形態 タイトル 公演規模 公演日程 会場 ゲスト 協賛
1992年 スタジアム MY HOME TOWN
KAZUMASA ODA/FAR EAST CLUB BAND
全3公演 8月25日8月29日 - 8月30日 阪急西宮スタジアム
横浜スタジアム
鈴木雅之(8月29日)
徳永英明、富樫要(8月30日)
第一生命
三菱自動車
2000年 - 2001年 カウントダウン ちょっと寒いけどみんなでSAME MOON! 全1公演 12月31日 - 1月1日 横浜・八景島シーパラダイス・マリーナヤード 山本潤子
鈴木雅之
佐橋佳幸
明治生命
日本中央競馬会

他アーティストとのジョイント[編集]

チャリテイコンサート[編集]

テレビ[編集]

テレビメディアへの見方[編集]

オフコース時代よりテレビというメディアには不信感を抱いており、めったに出演しないことで有名であったが、ソロ活動を始めて以降、ネスカフェCM出演を皮切りに、自身の露出にも関心を持つ。しかしいわゆる普通の音楽番組にはほとんど出演しないことからも分かるように、制作段階から自身の構想や意見を反映できる余地のないオファーは論外のようである(ネスカフェのCMも、自分の注文が受け入れられたからOKしたと語っている)。

2001年クリスマスの約束』の成功により番組は毎年制作され、ファン層の広がりやCDの売り上げなど、テレビ出演が自身の音楽活動に強く影響することを実感したと思われる。2004年には『クリスマスの約束』の発展形である『風のようにうたが流れていた』を、3か月間毎週放送の自身初TVレギュラー番組として制作。制作に当たっては、時間的制約の中で選曲や練習、観衆の中での本番と、大変な奮闘だったようであったが、ここでもまた達成感と共に意識変化があったと見え、「やるかやらないか」の選択時「やらなければ"ゼロ"、やれば"何か"が残る」と、積極的なコメントが聞かれるようになった。2005年には17年ぶりに企業CM出演の依頼も引き受けた。

2005年末に一部で、NHK紅白歌合戦への出演依頼を受けているとの噂が流れた。小田和正やオフコースの曲が、同年新企画の視聴者アンケート「スキウタ」上位にランクインしたためであるが、結局出演することはなかった。小田自身はコンサート(2005年ツアー、日本武道館)で、同年の紅白歌合戦に選出されたスキマスイッチをゲストに迎えた際、この番組に対し「大きな偏見を持っている」と話している。

クリスマスの約束[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • キャディ 青木功/小田和正 〜怒られて、励まされて、54ホール(1994年5月5日、テレビ東京
プロゴルファー青木功のキャディをつとめた時のドキュメンタリー。
チャリティライブ制作のドキュメンタリー。

その他テレビ出演[編集]

テレフォンショッキングに、明石家さんまからの紹介で出演、普段から「苦手な芸能人」の1人と公言していたタモリを手こずらせ、終始気まずい雰囲気の中で放送された。小田は翌日のお友達に星野仙一を紹介している[105]
  • FNS歌謡祭(1991年12月3日、フジテレビ)
  • 追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界(1992年1月24日、NHKBS2
ファンを公言する小宮悦子によるロングインタビュー(小宮のテレビ朝日退社後、フリーとしての初仕事となった)がメイン。その他、映画「いつか どこかで」監督風景や、Far East Club Band リハーサル・ライブの映像(インタビュー以外は、後述の「音楽達人倶楽部」で放送されたものとほぼ同一)。
  • 音楽達人倶楽部「小田和正」(1992年2月6日、NHK)
映画「いつかどこかで」監督風景やFar East Club Band リハーサル・ライブ映像
このほか、1997年の映画「緑の街」公開の際にはさまざまな映画プロモーションも兼ねてTV番組に多数出演している。
※2011年から2012年にかけて行われた全国ツアーから2011年9月28日、29日の東京ドーム公演の模様を放送。同年7月16日に再放送、同年8月15日に再々放送。

CM[編集]

本人出演[編集]

  • goodtimes & badtimes(1988年)、Little Tokyo(1989年)
  • 君にMerry Xmas(1989年 クリスマス2日間限定)、Oh! Yeah!(1991年)、my home town(1992年)
  • アルバム『Oh! Yeah!』(1991年)
  • Oh! Yeah!
  • アルバム『自己ベスト』(2002年)
  • アルバム『そうかな』(2005年)
  • トヨタアリオン(2005年)
  • Re
  • 今日も どこかで

タイアップ[編集]

  • 野球編・ラグビー編 - 哀しみを、そのまま(1986年) ※野球編は小田、ラグビー編は市川崑がそれぞれ演出。
  • 卒業編 - 僕の贈りもの(1988年)
  • 仲直り編・床屋編 - 恋は大騒ぎ(1990年) ※仲直り編は小田の企画、演出。床屋編では自身も出演。
  • いつか どこかで(1991年) ※映画『いつか どこかで』の撮影風景を使用
  • 風と君を待つだけ(1991年)、だからブルーにならないで(1993年)
  • 風の坂道(1993年)
  • またたく星に願いを(1993年)
  • 風のように(1997年)、こんな日だったね(1999年)
  • JRA ブランドCM
  • woh woh(2000年・2011年)、19の頃(2000年・2012年)、風の街(2001年)、かなた(2013年)
  • 言葉にできない(2000年 - 2003年 ※一時期、小田のライブ映像を使用)、たしかなこと(2004年)、オリジナル曲(2010年)、愛になる(2014年)
  • 大好きな君に(2003年)、
  • オリジナル曲(2006年3月 - 6月)
  • 大好きな君に(2006年)、風の坂道(2008年)、「Re」(2013年)、この街(2014年)
  • 若葉のひと(2009年3月)
  • 今のこと(2013年6月)
  • オリジナル曲(2015年5月 - )

関連書籍[編集]

  • Time can't wait(小田和正 著、1990年初版、朝日新聞社
  • キャディ(小田和正 著、1994年初版、スタジオシップ
  • YES-NO小田和正ヒストリー(小貫信昭 著、1998年初版、角川書店
  • たしかなこと(インタビュアー/著 小貫信昭、2005年初版、ソニー・マガジンズ
  • 小田和正歌詞集 風うた〜恋〜(小田和正 著、2006年初版、主婦と生活社
  • 小田和正全詞集 大切なことば(小田和正 著、2007年初版、ジービー
  • 小田和正という生き方(陥合真司 著、2009年初版、青弓社
  • 小田和正ドキュメント1998-2011(小貫信昭 著、2011年初版、幻冬舎
  • ダイジョウブ(小田和正 著、2011年初版、講談社

記録[編集]

  • 1985年 シングル「今だから」(松任谷由実・小田和正・財津和夫共作) - 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。
  • 1991年 シングル 「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」 - 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3か月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。
  • 2001年 アルバム 『LOOKING BACK 2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8か月(それまでの同記録は井上陽水『GOLDEN BEST』1999年7月 51歳0か月)
  • 2002年 アルバム 『自己ベスト』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8か月)
  • 2004年『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3か月(それまでの同記録は松任谷由実『Neue Musik(ノイエ・ムジーク)』1998年11月 44歳10か月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は河村隆一『Love』1997年12月
  • 2005年6月 アルバム 『そうかな』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9か月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8か月)
  • 2007年8月 シングル 「こころ」 - ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11か月(それまでの同記録は石原裕次郎北の旅人1987年8月 52歳7か月)
  • 2007年12月 アルバム 『自己ベスト-2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3か月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9か月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。
  • 2010年4月 アルバム 『自己ベスト|』 - 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
  • 2010年11月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム出荷枚数300万枚突破 最年長記録」63歳2か月
  • 2011年4月 アルバム 『どーも
    • ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7か月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3か月。グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録はザ・ビートルズのメンバーのリンゴ・スターザ・ビートルズ1』(2000年11月27日付 60歳4か月)。それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録は秋元順子の61歳7か月(2009年1月26日付でシングル『愛のままで…』)。それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は吉田拓郎の63歳0か月での6位獲得(2009年4月27日付『午前中に…』))。
    • 「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0か月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録はマイケル・ジャクソンマイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0か月)
  • 2011年5月 アルバム 『どーも』 - 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7か月)
  • 2013年5月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン アルバムランキングで通算500週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
  • 2014年7月 アルバム 『小田日和』 - 「オリコンアルバムチャート週間3位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」 66歳10か月(それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は高橋真梨子の64歳4か月での4位獲得(2013年6月24日付『高橋40年』))。

[編集]

男性ながらファルセットを使わず女声域までの高音を素直に出せる歌声が大きな特徴である。オフコース初期には、バンドに女性ボーカルがいると間違われることもしばしばだったという。その少年のような歌声から変声期を経ずに成長したのではとの見方もあり、自身も音楽評論家の小貫信昭のインタビュー本『たしかなこと』で「変声期があった記憶がないので、声変わりしていないと思う」との旨を述べている。しかし、2005年のコンサート中のMCにて「医者に尋ねてみたが、声変わりしていないという事は有り得ないそうだ」と、その認識に変化があった様子を窺わせた(発声が生来しっかりしていたため、声変わりしても元の音域で話せたせいで、声変わりに気づかなかっただけという可能性が指摘されている)。話す声は比較的低く聞こえ、歌声とのギャップが大きいと感じる人が多く、「どうしたら高い声で歌えるのか」という質問をよくされるが、それに対しては「僕はただシャウトしているだけ」と答えている。東北大学時代は混声合唱団でテノールを担当していた。

混声合唱団では、男性高音パートを受け持つテノールのパート・リーダーを務めた。声楽の褒め言葉として、「テノールのようなアルト」、「アルトのようなテノール」という表現があるが、小田の声はまさに後者に当たる。

「声変わり」していないという俗説があるが、声変わりした男性の声は女声より確実に1オクターブ低くなる。ウィーン少年合唱団の声は女声と同じ音域であるが小田の話声は女声より1オクターブ低く声変わり後の男声である。ただ、小田の歌声の発声領域は、「ヘ音記号」楽譜の下のソ音 (G2) 付近から「ト音記号」楽譜の上のレ音 (D6) 付近までである。つまり、小田は女性の声域のさらに下に1オクターブ追加された声域ということになる。音域が広いため、よく聴いてみると高音部が目立つ楽曲の中にもアルトの領域を少し下に外れテノールの領域に入る部分が僅かに組み込まれているものもあり、男声として高域の伸びと声の質が小田の天性の魅力となっている。その発声はいわゆる、音の揺らぎ-ビブラート-の少ないフラットな澄んだ声であることと、音程の正しさも小田の高域の声の美しい印象を高めている。

ファンクラブ[編集]

オフィシャル・ファンクラブはないが、スタッフがパーティーやミーティングなどに活用しているプライベートスペースとして“Far East Cafe”が運営されている。通常は一般開放されていて営業時間内は飲み物のほか、オリジナル・グッズ(全商品限定生産)も取り扱っている。

また、Far East Cafeではインフォメーションプレス『FAR EAST CAFE PRESS』がPRESS入会者に毎月25日に発行され、最新情報や活動内容の詳細やインタビュー、スタッフが連載する小田の日常、Far East Cafeでの出来事やオリジナル・グッズの紹介が掲載されている。

そのほか1994年からは、小田の一年間の活動を編集した映像集『LIFE-SIZE』がPRESS会員限定で発売されている。

脚注[編集]

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  1. ^ 田家秀樹 『ジャパニーズポップスの巨人たち―21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット』(TOKYO FM出版 2002年8日)ISBN 978-4887450714 。TV番組「月曜組曲風のようにうたが流れていた」でも小田自身による同趣旨の発言あり。
  2. ^ 2010年2月25日付 日本経済新聞夕刊に掲載された名古屋鉄道の企業広告
  3. ^ 名古屋鉄道、CMギャラリー 2013年6月5日閲覧。
  4. ^ 小田和正、ソロ最多74万人動員ツアー完走 地元横浜で客席乱入!、2012年5月27日、オリコン。
  5. ^ 東京公演として10月2日、3日の2日間実施。10月3日公演では鈴木雅之がゲスト出演。
  6. ^ 追加公演として11月5日、6日、7日の3日間実施。最終日にあたる11月7日公演は体調不良で予定より30分遅れで開演(VISA太平洋マスターズトーナメントプロアマ戦出場後に声が出なくなったため)、MCで「この落とし前は必ず着けます」とコメント。
  7. ^ 終了後にFNS歌謡祭に出演。
  8. ^ 1991年12月に2公演、1992年に1公演実施。
  9. ^ 1月18日、19の2日間実施。1月19日公演では映画『いつか どこかで』の出演者時任三郎藤原礼美宅麻伸がゲスト出演。
  10. ^ 4月1日、2日の2日間実施。
  11. ^ 追加公演として4月23日、24日、25日の3日間実施。最終日に当たる4月25日はアンコールでCHAGE and ASKAがゲスト出演、3人で「SAY YES」を歌う。小田は「駆け出しの2人が来ています」と紹介。
  12. ^ 2月に2公演を予定していたが、阪神淡路大震災による倒壊のため中止。代替公演として4月に御影公会堂裏で行われたイベント『神戸元気村』でミニライブを実施。コンサート・グッズなどの売り上げの一部を義援金に充てた。その後1999年6月に新装し、同年6月15日、『FUN MORE TIME! FINAL』として改めて行われた。このときのゲストは泉谷しげる。
  13. ^ 4月27日と4月28日、5月22日と23日に2公演ずつ行われた。4月28日公演では島倉千代子と佐藤竹善、5月22日公演では鈴木雅之がそれぞれゲスト出演した。5月23日公演はVTR収録が行われ、その模様はファンクラブ会員限定ビデオ『LIFE-SIZE 1995』に収録された。
  14. ^ 前回のツアー終了後、「次にツアーをやるときには神戸から始めたい」という小田の申し出により実現したもの。
  15. ^ 9月20日の公演が小田の50歳の誕生日ということもあり、アンコールの前にスタッフが用意したバースデーケーキとファンからの「ハッピーバースデー」の大合唱に驚く場面があった。
  16. ^ 12月10日、11日の2日間実施。翌年2月3日には追加公演として実施。ライブビデオの収録も行われた。
  17. ^ 1月30日、31日の2日間実施。1月31日公演ではツアーメンバー山本潤子今滝真理子のソロコーナーがそれぞれ設けられたほか、佐藤竹善がゲスト出演。PLUS ONE「クリスマスが過ぎても」を披露。
  18. ^ 7月26日、27日の2日間実施。
  19. ^ 松山千春がゲスト出演。
  20. ^ 『ご当地紀行』で市内の動物園を訪れたとき、中高年の女性ファンから財津和夫に間違えられるというハプニングが起きた。このとき「もう二度と熊本には来ません!」と冗談交じりにコメントしたが、以後、熊本でのコンサートは2011年のグランメッセ熊本まで実施されなかった(2005年のツアーのご当地総集編(12月の日本武道館公演)で熊本を取り上げたときにもその映像が使われ、「それ以来、熊本には一度も来ていない」という字幕が付けられた)。
  21. ^ 10月11日、12日の2日間実施。最終日でアンコールの最中にカウントダウン・コンサートの開催を発表し、観客を驚かせた。
  22. ^ 明治生命も協賛。
  23. ^ 当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。
  24. ^ ASKA大友康平がゲスト出演。
  25. ^ コンサート終了後、NHK総合テレビ音楽旅人」の収録で笑福亭鶴瓶と対談。
  26. ^ 8月6日、7日の2日間実施。8月7日公演はファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2002』に収録された。
  27. ^ 8月17日、18日の2日間実施。
  28. ^ 8月と10月に2公演ずつ実施。
  29. ^ 鈴木雅之がゲスト出演する予定だったが、体調不良のためキャンセル。
  30. ^ 財津和夫がゲスト出演。
  31. ^ ソロとしては初の沖縄公演だが、オフコース時代を含めると1987年9月以来。10月13日公演では根本要がゲスト出演、「銀座カンカン娘」と「木蘭の涙」を披露した。
  32. ^ 7月6日、7日、9月21日、22日、12月6日、7日にそれぞれ2公演ずつ(計6公演)。7月6日公演ではムッシュかまやつ、9月22日公演では松たか子、12月6日公演では矢野顕子ゆず、12月7日公演ではスキマスイッチがゲスト出演。
  33. ^ 12月10日、11日の2日間実施。12月11日公演ではスガシカオがゲスト出演し、「夜空ノムコウ」をデュエット。
  34. ^ 12月20日、21日の2日間実施。12月20日は親交のある星野仙一(現:東北楽天ゴールデンイーグルス監督。当時の役職は阪神タイガース・シニアディレクター)がゲスト出演し、小田とトークセッションを繰り広げた。
  35. ^ a b 4月に2公演実施。
  36. ^ 4月と9月にそれぞれ2公演ずつ。9月20日の小田の誕生日当日にも実施され、アンコールでは観客による「ハッピーバースデー」の大合唱が起こった。
  37. ^ ソロ初のツアーとなった1990年以来。5月21日、22日と8月12日、13日にそれぞれ2日間ずつ実施。
  38. ^ オフコース時代の1987年以来。
  39. ^ 6月6日、7日と9月27日、28日にそれぞれ2日間ずつ。6月7日公演の終了後、めざましテレビフジテレビ、2008年6月23日放送。当初は同年6月16日の放送予定だったが、岩手・宮城内陸地震報道を優先したため変更された)の取材を受ける。インタビュアーはキャスターの大塚範一と、軽部真一中野美奈子生野陽子高島彩皆藤愛子は不参加)。
  40. ^ 6月と9月2日、3日にそれぞれ2日間ずつ。9月3日公演では松たか子がゲスト出演し、「おやすみ」を披露。またアンコールでの「今日も どこかで」ではコーラスを担当。
  41. ^ 6月18日、19日に2日間実施。
  42. ^ スターダスト・レビューがゲスト出演。
  43. ^ 8月に2公演実施。8月24日の公演では松山千春がゲスト出演し、小田のギターに合わせて「」を歌った。
  44. ^ 9月10日、11日に2日間実施。9月11日の公演では、2001年の同日に起きたアメリカ同時多発テロ事件に因んでNew Christy Minstrelsの「Today」を演奏した。
  45. ^ それまではニッポン放送や、TOKYO FM、フジテレビ、テレビ朝日などが主催を受け持ったことがあった。東京公演はキョードー東京、横浜公演はKMミュージックがプロモートに付く。
  46. ^ オフコース時代の1989年2月(解散コンサート)以来。11月27日公演ではVTR収録も行われ、その一部が『クリスマスの約束2008』に使われた。
  47. ^ 開演前に急病人の看護があり、予定より45分遅れで開演。
  48. ^ 終了後スタッフから胴上げされ、感極まり涙を見せた(同年12月22日の民放各局のワイドショーでもこの日の公演の模様が一部放送)。
  49. ^ 当初の予定では全国28か所、55公演だった。
  50. ^ 当初は3月26日から9月29日までの予定だった。
  51. ^ 6月8日、9日の2日間実施。6月9日は公演中に地震が発生したが、混乱もなく予定通り行われた(この時の横浜市中区の震度は2)。
  52. ^ 4月22日、23日に実施予定だったが、6月18日、19日に延期、実施。
  53. ^ 2000年のツアーでの熊本市民会館以来の熊本公演。
  54. ^ 4月8日、9日の2日間を予定していたが、7月29日、30日に延期、実施。
  55. ^ 5月3日、4日に実施予定だったが、8月9日、10日に延期、実施。8月10日公演分ではアコースティック・コーナーでNew Christy Minstrelsの「Today」を演奏。また、アンコールの最後では「生まれ来る子供たちのために」を演奏した。
  56. ^ 4月と8月にそれぞれ2公演実施予定だったが、4月公演分(4月1日、2日)は8月19日、20日に延期、実施。8月公演分(8月19日、20日)は10月13日、14日に延期。
  57. ^ 4月と8月に2公演ずつ実施を予定していたが、4月公演分(4月26日、27日)は8月24日、25日に延期、実施。8月25日公演ではアンコールの最後で『ラブ・ストーリーは突然に』を演奏した。8月公演分(8月24日、8月25日)は10月25日、26日に延期、実施され、ツアーとしての最終公演地となった。
  58. ^ 9月3日実施。台風12号の影響で、30分遅れで開演した。
  59. ^ 9月10日実施。
  60. ^ 9月17日、18日に実施。
  61. ^ 9月24日、25日に実施。
  62. ^ 9月28日、29日に実施。2日間ともVTR収録が行われ、9月28日公演分が9月30日の民放各局のワイドショーで一部放送されたほか、9月29日公演分がファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2011』に一部収録された。さらにこの模様は2012年6月24日21:00 - 23:00にWOWOWライブで放送された。
  63. ^ 8月11日、12日に実施予定だったが、他会場の延期日程調整の都合上により、8月11日公演分は見送り。8月12日公演分は10月18日に延期、実施。
  64. ^ 3月26日、27日に実施予定だったが、10月21日、22日に延期、実施。
  65. ^ 4月16日、17日の2日間を予定していたが、地震の影響で見送り。
  66. ^ 6月18日、19日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。
  67. ^ 7月29日、30日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。
  68. ^ 原則として1会場2公演だが、京都会館、びわ湖ホール、テアトロン、札幌ドーム、福岡 Yahoo! JAPANドーム公演は1公演のみとなる。
  69. ^ 4月14日、15日の2日間実施(前年4月16日、17日の振り替え公演)。
  70. ^ 4月21日、22日の2日間実施(前年6月18日、19日の振り替え公演)。4月22日公演ではMONKEY MAJIKがゲスト出演し、『空はまるで』を披露した。
  71. ^ 4月28日、29日の2日間実施。
  72. ^ 5月12日、13日の2日間実施(前年7月29日、30日の振り替え公演)。
  73. ^ 5月19日、20日の2日間実施。
  74. ^ 雨天決行。荒天の場合は翌日に延期となっていたが、予定通り実施。またこの模様は翌々日の民放各局のワイドショーで放送。
  75. ^ 2012年1月25日付の公式ホームページ上で正式に発表された。
  76. ^ 6月28日、29日の2日間実施。2日後の民放各局のワイドショーで初日公演の模様をダイジェスト放送。
  77. ^ 7月5日、6日の2日間実施。
  78. ^ 7月12日、13日の2日間実施。東京公演が週末に行われたのは1991年12月から1992年4月にかけて行われたツアーでの日本武道館公演(1992年4月23日、24日、25日)以来22年ぶり。7月12日公演の終了後、めざましテレビ(フジテレビ、2014年7月16日放送)の取材を受ける。インタビュアーはキャスターの三宅正治と、軽部真一、生野陽子、三上真奈加藤綾子は不参加)。
  79. ^ 7月18日、19日の2日間実施。
  80. ^ 7月26日、27日の2日間実施。
  81. ^ 8月5日、6日の2日間実施。
  82. ^ 8月13日、14日の2日間実施予定。
  83. ^ 8月21日、22日の2日間実施。
  84. ^ 8月26日、27日の2日間実施。
  85. ^ 9月4日、5日の2日間実施。
  86. ^ 9月10日、11日の2日間実施。
  87. ^ 9月18日、19日の2日間実施。
  88. ^ 9月25日、26日の2日間実施。
  89. ^ 10月2日、3日の2日間実施。
  90. ^ 10月11日、12日の2日間実施。
  91. ^ 10月16日、17日の2日間実施。
  92. ^ 10月22日、23日の2日間実施。日本武道館で行われるのは2008年ツアー以来6年ぶり。
  93. ^ 10月28日、29日の2日間実施。
  94. ^ 1月29日、30日の2日間実施。
  95. ^ 2月3日、4日の2日間実施。国立代々木競技場第一体育館で行われるのは、2011年ツアー以来4年ぶり。
  96. ^ 2月10日、11日の2日間実施。2日間とも大雪に見舞われたが、公演は予定通り行われた。
  97. ^ 2月17日、18日の2日間実施。
  98. ^ 2月28日、3月1日の2日間実施。
  99. ^ 3月11日、12日の2日間実施。初日となった3月11日はMCで東日本大震災のことについて語った。
  100. ^ 3月17日、18日の2日間実施。2日間ともアンコールの最後は『my home town』を演奏したほか、2日目のアンコールでは『YES-YES-YES』でシンクロライトコントローラーを使用した演出が見られた。なお、2日目の模様は民放各局のワイドショーで一部が放送された。
  101. ^ 後にスターダスト・レビューのアルバム『ALLWAYS』(2008年11月17日発売)に収録された。
  102. ^ 軽部真一と伊藤利尋はスケジュールの都合で不参加。
  103. ^ この日は自身の62歳の誕生日であり、南こうせつの音頭で観客から『ハッピーバースデー』の合唱で祝福した。また、NHK BS-hiでもイベントの模様が生中継されたが(13:00-18:00、18:45-20:00)、自身が出演した時間帯は大河ドラマ『天地人』を放送していたため、出演部分が放送されなかったが、同年10月18日にNHK BS-2で放送された総集編ではオンエアされた。ちなみに演奏曲目は『ひとりきり』(かぐや姫。シングル『僕は何をやってもだめな男です』のB面曲)と『今日も どこかで』。
  104. ^ 「たしかなこと」、「Yes-No」、「ラブ・ストーリーは突然に」、「キラキラ」、「言葉にできない」、「その日が来るまで」の6曲を演奏。
  105. ^ FLASH光文社)2013年9月10日号(29ページ)より。
  106. ^ オフコース時代に明治ブルガリアヨーグルトのCMソングを歌ったことがある。

関連項目[編集]

楽曲提供・プロデュース


外部リンク[編集]