THE ALFEE

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THE ALFEE
基本情報
別名 BE∀T BOYS
出身地 日本の旗 日本 東京都
ジャンル フォークロック[1]
ポップ・ロック[1]
J-POP[1]
プログレッシブ・ロック
活動期間 1974年 -
レーベル ビクター音楽産業
(1974年 - 1975年
F-LABEL
1979年 - 1994年
Zeit
(1994年 - 1997年
EXPRESS
(1997年 - 2003年
EXPRESS,Virgin Music
(2レーベル同時在籍)
(2003年 - 2013年
EMI Records Japan,EXPRESS
(2013年 - )
事務所 Project III
公式サイト ALFEE.COM
メンバー
桜井賢ボーカルベース
坂崎幸之助 (ボーカル、アコースティックギター
高見沢俊彦 (ボーカル、エレクトリックギター
旧メンバー
三宅康夫(ギター)

ビートルズ
サイモンとガーファンクル
イーグルス
クイーン
ガロ (フォークグループ)

THE ALFEE(ジ・アルフィー)は、1974年8月25日にデビューした、日本ロックバンドEMI Records Japan所属。事務所はProject III田辺エージェンシーのグループ会社。1985年3月30日設立)。

メンバー[編集]

概要[編集]

元は明治学院高等学校の生徒を中心とした「コンフィデンス」というグループだったが、メンバーの入れ替わりを経て、そこにいた桜井賢と、都立墨田川高校に在学していた坂崎幸之助、明治学院高校のまた別のバンドにいた高見沢俊彦、コンフィデンスのオリジナルメンバーだった三宅康夫(G)の4人でデビュー。1975年頃、三宅が脱退し3人になり、現在に至る[2]

アイドルフォークバンド「ALFIE」としてデビュー。レコード会社からの脱退を経て、1979年に自作の曲で「Alfee」として再デビュー。元来はフォークグループだったが、アルバム「doubt,」以降、ロックの要素を取り入れ、シングル「別れの律動」からバンド名を「ALFEE」と表記変更し、ロックバンドとして活動を始める。その後、ヘヴィメタルプログレッシヴ・ロックパンク・ロックあるいはダンスミュージックなどの要素も取り入れて融合させている点が特徴である。アルバム「夢幻の果てに」のインタビューで、高見沢は「レゲエだけはどうしても理解できない」と話している。

1986年、シングル「SWEAT&TEARS」のジャケットから、グループ表記をALFEEからTHE ALFEEに変更。以降元サポートメンバーの長谷川浩二(Ds、1984年 - 2005年)、山石敬之(Key、1984年 - 1986年、1995年 - 2007年)、菊地圭介(Key、1987年 - 1995年)を含めて、特にライブ活動時には「バンド」THE ALFEEと強調する時期があり、CD・レコードのジャケット・歌詞カードにもTHE ALFEEとして列挙されていた場合があったが、2003年頃以降は(現サポートメンバーである吉田太郎(dr、2006年 -)、ただすけ(key、2008年 -)は当然のことながら)、あくまでサポートミュージシャンであると区別されている。

1983年の「メリーアン」のヒット以降、20年以上にわたりTHE ALFEE名義において全てのシングルをチャートインさせるなど、コンスタントなセールスを維持している(詳しくは後述)。

「コンフィデンス」→「ALFEE」→定冠詞THEの追加、というバンド名変遷の理由は特になく、ディレクターから突然変更を告げられたという[3]

2014年3月18日付でこれまでの功績が称えられ、明治学院大で初名誉学士称号が授与された。高見沢は「やっとプロフィールから『中退』を外せる。これからはTHE ALFEE(大卒)と名前を変えて頑張ります」と喜びを語った。

特色[編集]

坂崎のフォークメロディー、桜井による洋POPS由来のコーラスワーク、高見沢によるハードロックのアレンジと、それぞれのメンバーが得意とする異なるジャンルを組み合わせた独特の楽曲スタイルが最大の特徴である。

歌メロを重視のいわゆる歌謡ロックであるが、インパクトの強いイントロなどインストゥルメントへのこだわりも強い。

ギター1本のシンプルなスタイルから、シンセサイザー等を幾重にも重ねる濃厚なスタイルまで、アレンジは幅広い。

ルーツとされるのは1960〜70年代の洋・邦楽ロック&フォークソングであるが、時にはシンセサイザーの多用やギター奏法など、その時代時代の音楽、ハード・ロックヘヴィメタルプログレッシヴ・ロックニューミュージック等からの影響も窺える。

さらにキング・クリムゾンYESエマーソン、レイク&パーマーピンク・フロイド等のプログレッシブロックからの影響(特に高見沢の影響が多分に大きいとされる)による変拍子を多用する所も特筆される。これは、J-POPアーティストとしては稀有な存在である。

メンバー3人が均等にリードヴォーカルをとり、曲毎(曲によってはパート毎)にリードヴォーカルを変える[4]

三人三様の個性的な声質によるパート分けと、それによる重厚なコーラスが特徴でコーラスが入らない曲はほんのわずか。コーラス重視のスタイルは、サイモン&ガーファンクルイーグルスクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)、クイーン等の影響があると思われる。

音楽性においては上記のような多彩さを備え、それでいてポップスの要点をしっかり抑えている点が彼らの持ち味であり、他のJ-POPアーティストとは一線を画すところである。

THE ALFEE自体及び、メンバー各々に異業種とのコラボレーションを行う機会が多い。ジャン・ポール・ゴルチエとの共同企画によるコンサートやエルメスによるアルバム「orb」のジャケットのアートワーク製作等、アパレル業種とのコラボレーションや、レーシングドライバーの野田英樹や、1997、1998年のル・マン24時間レース日産自動車から参戦した星野一義へのパーソナルスポンサー等を務めている。野田英樹には応援歌「Wild Bahn!」を書き下ろしている。

歴史[編集]

結成[編集]

明治学院高校在学中に、桜井の美声に目をつけた同級生が誘ってフォークグループ「コンフィデンス」を結成、サイモンとガーファンクル等のコピーをしていた。バンド名の由来は、S&Gの「ブックエンド」の歌詞に「confidence」とあることから。同時期に高見沢は別のクラスでロックバンド(ツェッペリン・ジュニア・スペシャル)を結成し、レッド・ツェッペリンディープ・パープル等をコピー演奏していた。

ある日コンフィデンスが出場したアマチュアフォークコンテストにて、坂崎と出会う。坂崎は別のグループを結成して活動するが、その後坂崎のグループが解散したのを機に坂崎はコンフィデンスの一員としてその後のコンテストに飛び入り参加して出場。小室等に注目されデビューのきっかけをつかむ。

桜井、坂崎、高見沢、三宅の4人は明治学院大学に進学した。ロックバンドを解散していた高見沢を坂崎が引き入れ4人体制となった。大学は高見沢は中退、桜井と坂崎は除籍処分を受け卒業はしていない。

当初は全員が作詞・作曲していたが、1979年の再デビュー以降はほぼ全て高見沢が作っている。

デビュー[編集]

コンフィデンスの名はデビューに際して、株式会社オリジナルコンフィデンス(現オリコン株式会社)、及び同社発行の音楽業界誌と混同の恐れがあるとして、赤坂にあるTBS会館(彼らの原盤権を持つ日音が入居していた)の下にある店の名前と、ドレミファソラシドのシドの両方の意味で「シド」という名前で動き出した。それがいつの間にか「Alfie(アルフィー)」に変わっていたという。いずれも所属事務所の田辺エージェンシーによる決定であり、坂崎は「着せ替え人形のようなものだった」と語っている[5][6]

デビューのためにリーダーがいた方がいいだろうと、話術の巧みな坂崎が自然にリーダーに選ばれたといわれる。

ビクター音楽産業からアイドルフォークバンドとしてデビューする。デビュー曲は歌謡曲のヒットメーカーとして名を馳せていた筒美京平が作曲、当時新人作詞家だった松本隆が作詞した「夏しぐれ[7]。デビューは1974年8月25日で、銀座山野楽器でイベントを行っている。しかし、このデビュー曲はヒットには至らず、続く「青春の記憶」も同様であった。

1975年に三宅康夫が脱退し3人体制となった直後の3枚目のシングル「府中捕物控」(作詞・作曲:山本正之)が発売日直前に会社の意向で一方的に発売中止となった[8]のを機にビクターとの契約を解除する。

ライブハウス時代[編集]

その後、レコード会社の所属のない時代[9]が続き、事務所の先輩である研ナオコ由紀さおりかまやつひろし堀内護(MARK)等のバックバンドを務めながらライブハウスで地道に活動を続けた。ステージでは何とか観客を掴もうとコミカルな演出やMCを行う等、自身を印象付けようと努力を重ねるが、その一方で「このままでいいのだろうか」というジレンマに悩みながらの試行錯誤が続く。その間、メンバーの3人はオリジナル詞曲作成に取り組み始める。中でも大野真澄(元ガロ)からアドバイスを仰いだ高見沢が、楽曲の質、量ともに一番優っていたとされる。

ライブハウス時代の楽曲で、再デビュー後にレコード化された曲、タイトルが変更された曲もある(シングル曲やアルバムのページを参照されたし)。また現在でもCD化されていない曲もある。「ラブレター」や「星空のディスタンス」は当時は、ギターインストゥルメンタルとして演奏されていた。

再デビュー・リーダー交替・ロックへの進出[編集]

1979年にAlfee(アルフィー)と改称してキャニオンレコードから「ラブレター」(作詞・作曲:高見沢俊彦)で再デビューする。

アルフィーのリーダーは74年のデビューの頃から長い間坂崎が務めていた。フォークグループとして、高見沢も長年アルフィーではエレキギターを弾かない事にこだわっていたらしいが、1980年に出された3rdアルバム「讃集詩」のプロデューサー井上鑑の提案で、「落日の風」の間奏でエレキのソロを入れる。またその頃、雑誌のインタビューで「アルフィーの曲は室内向けだよね」と言われたことに高見沢が猛反発。翌年の夏に野外イベントを開催することになる。また1982年リリースの5thアルバム「doubt,」から大幅にロックアレンジで発表する曲を増やし、さらにリーダーを高見沢に交替し、ロックグループとしての色彩を強くする。

1982年夏に、所沢航空記念公園で行われた初の野外イベント「ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT」では、サポートメンバーを加え、ドラムス・キーボードを含むいわゆるロックバンド編成で演奏を行った。

この年の暮れに発売されたシングル「別れの律動」以降、再デビュー時から用いていた「Alfee」のロゴマークを変更し「ALFEE」とした。

この年よりサポートメンバーを加えて演奏されるのが通常のスタイルとなった(サポートメンバーの歴史は#全国ツアーの項を参照のこと)。

ロック編成初期の頃からドラムスがツーバスでアレンジされている曲もあった。当時、ハードロックバンドでは、このスタイルが多かったものの、少し前までフォークグループと言われ基本的にアコースティックギターとベースのみで演奏していたバンドとしては、急激な変化であった。

ロック・バンドとしてのイメージ作りとして、高見沢がマーシャルのギターアンプにこだわり、1983年初の日本武道館公演で、セットとしてマーシャルのスピーカーを積み上げたり、変形ギターを多用してTV出演するなどの演出がされた。

ヒット[編集]

1983年、コンサート動員力はあったもののヒット曲がない状況で8月24日に初の日本武道館公演を行う。それに続く形でアルバム収録曲の予定であったがシングルで6月にリリースしていた「メリーアン」がヒットし、同年の第34回NHK紅白歌合戦にも出演することとなった[10]

これに続いて翌年には「星空のディスタンス」、「STARSHIP -光を求めて-」などのヒット曲が続き、ザ・ベストテンなどのヒットチャート番組の常連ともなった。またこの頃より、歌番組以外のいわゆるバラエティ番組への出演も増加した。1983年発売の「メリーアン」以降のシングルCD(レコード)が48作連続でオリコンのランキングトップ10に入り続けている(2013年現在)。

毎年1月末に行われる「大阪国際女子マラソン」のイメージソングを1987年の第6回大会における『夢よ急げ』以来担当し続けている。

1990年代以降[編集]

1994年、20周年を記念してポニーキャニオン内に独自レーベル(BE∀T BOYSも含む)「Zeit」を立ち上げる。また、同年9月より毎月20日を「THE ALFEEの日」と銘打ち、数か月間シングルまたはアルバムを定期的にリリースした。

1996年のアルバム『LOVE』や1998年のアルバム『Nouvelle Vague』ではストリングスアレンジが多用され、シンフォニック・ロックネオクラシカルメタルのジャンルにも分類されるようになった。

1997年東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)に移籍した。

2001年のシングル「Juliet」、アルバム『GLINT BEAT』ではブリティッシュ・ロックパンク・ロックのサウンドを取り入れた。

春・秋のライヴツアー・夏のイベントライヴを中心に活動中。2000年以降は、シングルは年に1枚。(2009年はデビュー35周年を記念して3枚のシングルが発売された。)オリジナルアルバムは2〜3年に1枚、近年のJ-POPの流れに伴いベスト・アルバムの発売が頻発している。ライヴDVDは毎年発売され、2008年8月からはEMIミュージック・ジャパンからではなく、プライベートレーベルのアルフレッドからになっている。

2014年3月、明治学院大学よりミュージシャンとしての功績を評価され、同大学初となる名誉学士の学位が授与された。3人は名誉卒業生として明治学院大学学位授与・卒業式へ出席し40年越しの卒業を達成した[11][12][13]

ライブ活動[編集]

全国ツアー[編集]

THE ALFEEは1982年夏ごろより、コンサートツアーにタイトルをつけ、毎年全国を回ってコンサートツアーを行っている。
彼らのツアーの特徴として、以下のことがなどが挙げられる。

  • 基本的に春(3月下旬〜7月上旬)と秋(9月中旬〜12月下旬)の2回ツアー(以下、「春ツアー」、「秋ツアー」と記述)が行われ、春ツアーと秋ツアーでステージセットやツアーの基本となるセットリストが変わる。
  • 1公演ごとにセットリストが大幅に変わる場合がある[14]

最も多い年では年間113公演[15]をこなし、現在でも年間60公演から70公演以上を行うなど、ライブを中心に活動を続けている。

  • 〜1982年
    一貫したツアータイトルを銘打って全国ツアーを行うのは、後述の「OVER DRIVE」ツアーからとなるが、1982年夏以前にもコンサートにタイトルをつけていた。
    現在、資料で確認できるもので
    • フォークソング紀行 アルフィー唄い歩き(1980年)
    • 稚くて愛を知らず(1981年頃)
    • ALMYGHTY(1981年)
    • フォークソング紀行 アルフィー〜heart to heart(1982年頃)
    • Rock'n Roll Fighting Night in__(公演先の地名)(1982年)
    などがある。
  • OVER DRIVE(1982年9月7日?〜1983年12月28日)
    1982年の夏のイベントよりツアーにドラムとキーボードを導入。当時のサポートメンバーは相沢美彦(現・あいざわ元気:Drs)、山石敬之(Key)、遠藤誠一(Key)だった[16][要出典]
    ちなみに、オフィシャル・データブック「地球音楽ライブラリ アルフィー」や公式サイトのデータベースでは1983年からのツアータイトルが「OVER DRIVE」であるかのように整理されているが、公式サイトに掲載されている当時のチケット(1982年12月24日の前橋市民会館公演)ですでに「OVER DRIVE」というタイトルを用いており、前述の「地球音楽ライブラリ」でも「秋には、大阪フェスティバルホールを皮切りに、『OVER DRIVE』と銘打ってコンサートをスタートさせた」という記述があることから、同公演日である1982年の9月7日が正しいと思われる。
    1983年から相沢美彦に代わり、ドラムをTENSAW富岡義広が1年間担当。キーボードは前年に続き山石敬之が担当している。
    この年の12月17日の渋谷公会堂公演より長谷川浩二が参加する。
  • FLYING AWAY(1984年3月27日〜7月7日/10月2日〜12月28日)
    この年よりサポートメンバーは長谷川と山石の2人体制となる。
  • AFFECTION(1985年3月26日〜7月21日/10月1日〜12月30日)
    1982年よりキーボードを担当していた山石敬之が本ツアーをもって離脱。ツアー最終日のアンコールで、山石脱退について高見沢から発表があり、その後の「LAST STAGE」は山石に向けて歌われた。
  • SWEAT & TEARS(1986年4月2日〜7月23日/10月2日〜12月29日)
    このツアーよりキーボードとして菊地圭介が参加。ただし、ツアー初日、4月2日のステージのアンコール最後の曲で山石敬之が登場、1曲だけの共演を果たす(一つのキーボードブースに二人で入って演奏を行った)。この他にも山石のスケジュールが合致する会場でアンコールの数曲だけの共演が何度か見られている。
  • LONG WAY TO FREEDOM(1987年4月2日〜7月20日/11月25日〜1988年1月7日)
    12月21日から24日までの4日間連続で日本武道館公演を行う。この年より12月22日から24日までの3日間は日本武道館で公演することが恒例化する。
    なお、正月をまたいで行われたコンサートツアーは本年が最後である。
  • 1988 LONG WAY TO FREEDOM TIME SPIRIT(1988年4月12日〜7月19日/9月29日〜12月29日)
    ツアーのテーマソングであった「TIME SPIRIT」は、その後シングル「VICTORY」のカップリング曲としてCD化された。
    このツアーは「宇宙空間の地球が天空に見える架空の星でライブを行い、夏のイベント(4ACCESS AREA」)で日本各地に帰還。ライブ終了後は再び宇宙に帰っていく」という一貫したストーリーで形成された。そのため、モニタを多用したSF風のステージが特徴である。
  • THE ALFEE With Jean Paul GAULTIER(1989年4月5日〜4月21日)
    デザイナージャン=ポール・ゴルチエとのコラボレーション企画。ファッションショーとライブを融合させたもので、メンバーはゴルチエのデザインした衣装を身にまといライブを行った。
    このツアーで初めてドラムにそうる透が参加し、長谷川とのツインドラム体制となった。
  • 1989 LONG WAY TO FREEDOM RESISTANCE(1989年9月27日〜12月28日)
    前半はBEATBOYSのツアーがあったため、「THE ALFEE」としては約5か月ぶりのツアー。
    この年のステージセットはドイツのブランデンブルク門を模したものであったが、ツアー中の11月9日ベルリンの壁崩壊のニュースが飛び込んでくる。その後1999年にはドイツの本物のブランデンブルク門の前でコンサートを行った(後述)。
  • 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION(1990年3月29日〜7月24日)
    そうる透が1年間ツアーに参加。長谷川とのツインドラム体制となる。
  • 1990 LONG WAY TO FREEDOM REVOLUTION II(1990年10月30日〜12月27日)
    秋ツアー終盤の12月24日の武道館公演では石橋貴明がゲスト出演。とんねるずに提供し、自らがセルフカバーした「クリスティーナ」を演奏した。
  • 1991 LONG WAY TO FREEDOM COUNT DOWN(1991年9月11日〜12月27日)
    前半は高見沢のソロ活動(アルバム制作、ライブツアーなど)があったため、久々の全国ツアーとなった
  • Count Down '92 COMMUNICATION(1992年4月15日〜7月27日/11月28日〜12月30日)
    秋のツアーが例年より2ヶ月遅いスタートとなった。
  • LAWSON Presents THE ALFEE Communication ACOUSTIC SPECIAL(1993年1月22日〜2月15日)
    サポートメンバーは同行せず、メンバーのみで行ったツアー。のちにライブアルバム「CONFIDENCE」としてCDでリリースされた。
  • Count Down '93 VICTORY(1993年3月23日〜7月26日/10月8日〜12月29日)
    春・秋両ツアーあわせて101公演のコンサートを行い、47都道府県すべてでの公演を達成。
  • Count Down '94 DREAMS(1994年4月8日〜6月3日/10月14日〜12月30日)
    12月24日の武道館公演のアンコールでは、毎年特別な出し物をするのが恒例となっているが、本年では桜井が殺陣を披露したほか、高見沢がセーラームーン(セーラータカミームーンと呼ばれていた)の格好をして武道館のステージ上を飛び回った。この年、高見沢は「これ以上エスカレートするときりがないから、今年の武道館ではしない」と宣言していた。
    なお、このサプライズでヒートアップしたせいか、上記公演では度重なるアンコールの結果、公演時間は4時間を越え、当時の武道館の1公演あたりの公演時間最長記録を更新している。
  • Count Down '95 PROGRESS(1995年3月30日〜6月23日/11月5日〜12月29日)
    自身の音楽活動のため離脱していた山石敬之がキーボードに復帰。春ツアーのキーボードは山石と菊地圭介のツイン体制となる。この年の1月にアルバム「夢幻の果てに」を発表したこともあり、緊張感のあるツアーとなった。なおこの春ツアーの様子は後にライブアルバム「LIVE IN PROGRESS」としてCDでリリースされた。
    この年の夏のイベントを最後に菊地が卒業。秋ツアーのキーボードからは山石1人となる。
  • Count Down '96 IMAGINATION(1996年4月4日〜6月24日/10月24日〜12月29日)
    このツアーより、ライブの演出として本格的に映像を取り入れる。
  • Count Down '97 EMOTION(1997年4月19日〜6月29日/10月24日〜12月30日)
  • Count Down '98 NOUVELLE VAGUE(1998年4月2日〜6月18日/10月22日〜12月29日)
    春ツアーのファイナル公演はニューヨークで行われた(詳細は海外公演を参照のこと)。
    ニューヨーク公演には後に2003年にも参加する杉山卓夫がサポートとしてキーボードで参加。
  • Final Count Down A.D.1999(1999年4月11日〜6月28日/10月17日〜12月29日)
    秋ツアー終盤の12月22日武道館公演では加山雄三がサプライズ出演(桜井は出演を知らされていなかった)。
  • AUBE 2000(2000年4月6日〜6月25日/10月8日〜12月30日)
  • AUBE 2001 NEVER FADE(2001年4月5日〜7月1日)
    前年までのサポートメンバーの位置は上手側(高見沢側)にキーボード、下手側(桜井側)にドラムという配置だったが[17]、本ツアーから配置が逆になる。高見沢曰く「気分転換」とのことだが、本ツアー以降この配置が定着する。
    またこのツアーの直前、高見沢がテレビの企画で闘牛に挑戦し、左手の人差し指(ギタリストが最も多用する指のひとつ)を骨折し、本ツアーで大きく影響を与える。
  • AUBE 2001 GLINT BEAT(2001年10月14日〜12月29日)
  • AUBE 2002 TRANSFOMATION(2002年4月4日〜6月30日/10月10日〜12月28日)
    秋ツアー終盤の12月22日の武道館公演では「お兄やん」こと堀内健と「お姉やん」ことベッキーがゲスト出演。高見沢がプロデュースした曲「ホリケンサイズ II」を披露する。
  • AUBE 2003 My Generation(2003年4月5日〜6月29日)
    キーボードに杉山卓夫が1年間サポートとして参加。山石とのツイン体制となる。
  • AUBE 2003 GOING MY WAY(2003年10月10日〜12月27日)
  • 30th anniversary 2004 Travelin' band(2004年4月1日〜6月27日/10月7日〜12月29日)
  • AUBE 2005 STARTING OVER (2005年4月9日〜7月3日/10月7日〜12月29日)
    2004年の大晦日ライブから引き続き、そうる透がドラムで参加。長谷川とのツインドラム体制となる。
    秋のツアーの大宮ソニックシティ公演にて、ライヴ本数通算2000本目を達成。高見沢の2000を模った変形ギターが製作されたが、披露されたのは現時点ではこの公演のみ。また開場時にリクエストが行われ、最も多くのリクエストを集めた「Since1982」がラストナンバーとして演奏された。
    この年を最後に21年間ドラムを担当してきた長谷川浩二が卒業。
  • AUBE 2006 ONE(2006年4月7日〜7月1日/10月6日〜12月29日)
    吉田太郎がドラムとして参加。そうるとのツインドラム体制となる。
    また、秋ツアーの広島公演直前に体調不良により坂崎の声が出なくなるハプニングが発生。セットリストで坂崎ヴォーカルの曲を少なめにしたり、本来坂崎がヴォーカルをとる曲をほかのメンバーが歌うなど、メンバー全員がボーカルを担当するバンドの強みで急場をしのいだ。
  • AUBE 2007 春の嵐(2007年4月5日〜7月1日)
    この年よりドラムが吉田太郎1人となる。
    1983年以降の全国ツアーで、はじめてツアータイトルに日本語が採用された。
  • AUBE 2007 天河の舟(2007年10月5日〜12月29日)
    12月15日日本ガイシホール公演からキーボードにただすけが参加。山石敬之とのツイン体制となる。
    翌年1月、山石がサポートメンバーを脱退することを自身のサイトで発表した。
  • AUBE 2008 RENAISSANCE(2008年4月3日〜6月29日/10月3日〜12月28日)
    本ツアーよりキーボードがただすけ1人となる。
    ライブにブロジェクタを用いた映像表現を採用する。
    福岡1日目のブロジェクタを用いた映像表現では映像の歌詞と歌のズレが発生していたが、福岡2日目ではそれが解消されていた。
    武道館が2Daysになる。
  • 35th anniversary 2009 CONFIDENCE(2009年4月9日〜6月28日)
    坂崎の誕生日の 4/15(水)宇都宮市文化会館 では、払い戻しを恐れた多くのファンがチケットを複数買いしたため、空席が目立つライブになってしまった。
  • 35th Anniversary 2009 My Truth(2009年10月1日〜12月29日)
    10/22(木)、映画「宇宙戦艦ヤマト 復活編」の主題歌が本ツアーアンコールで歌われていた「この愛を捧げて」であることが公表され、この日の東京国際フォーラム以降のライブでは曲の演奏中、ブロジェクタにヤマトの映像が映し出されるようになる。
    12/24(木)日本武道館のアンコールでは、久し振りにBE∀T BOYSの曲も演奏された。
  • AUBE 2010 新世界〜Neo Universe〜(2010年4月11日〜6月27日)
    久し振りにオリジナルアルバムを引っさげてのツアー。
    高見沢の誕生日である4/17の京都会館公演では、土曜日ということもあって会場で祝いたいというファンが多くなり、チケットの入手競争率が高くなった。
  • AUBE 2010 新世界〜Neo UniverseⅡ〜(2010年10月7日〜12月29日)
    12月24日(金)日本武道館での開催をもって、日本武道館公演回数が77回(総合3位)になったことが報告された。
  • Neo Universe 2011 I Love You(2011年4月9日~6月26日)
    3月11日に発生した『東日本大震災』の影響により、ツアー初日予定の4月7日(木)サンシティ越谷市民ホールは6月9日(木)に延期、4月9日(土)の静岡市民文化会館が初日となった。また、6月12日(日)仙台サンプラザホールは会場の復旧見通しが立たないため中止、翌日6月13日(月)同地仙台において、Zepp Sendaiで代替公演を行った。
  • Neo Universe 2011 ALWAYS(2011年10月6日~12月16日)
  • Neo Universe 2011 Final Series I Love You,Always...(2011年12月23日、24日、29日)
    この年より、秋ツアー終盤のアリーナ公演(日本武道館、大阪城ホール)は「Final Series」と銘打ってセットリストを大幅に変えて行った。
    ステージセットには「.Dot Image」(ドットイメージ)という最新鋭の照明機材が使われた。
  • Neo Universe 2012 Flowers(2012年4月5日~6月24日)
  • Neo Universe 2012 Flowers in My Planet(2012年10月4日~12月14日)
  • Neo Universe 2012 Final Series Catch Your Earth(2012年12年23日、24日、29日)
    24日の公演では、11月29日(木)神奈川県民ホール公演で約束された「ウルトラマン列伝」の新主題歌『Final Wars!』が演奏された。
    またこの曲演奏前には、ウルトラファミリーがゲストとして登場した。(ウルトラ父他、総勢8名)
  • Neo Universe 2013 Grateful Birth(2013年4月4日~6月23日)
  • Neo Universe 2013 Grateful BirthⅡ(2013年10月3日~12月14日)
  • Neo Universe 2013 Final Series Grateful Birth Final(2013年12年23日、24日、29日)
  • ツアーファイナルとなる大阪城ホールでは「大阪女子マラソン」の主題歌が披露されのが通例だが、この年は披露されなかった。
  • 40th Anniversary 2014 Genesis(2014年4月3日~)

サマーイベント[編集]

彼らは夏の風物詩として野外で大規模なコンサートを行ってきた。数回の例外はあるが例年屋根のない場所で行われ、原則として同じ場所での公演は控えてきた。しかし晩年は場所探しの難航から、これらの原則は守ることが困難となっていた。 2007年にはそれまで25年間連続して行ってきた野外イベントを一時休止、2009年8月8日、9日に開催された「YOKOHAMA PERFECT BURN」をもって、長年続けてきた夏のイベントを終了した。

  • 1982年 ROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!- 所沢航空記念公園(1982年8月6日、動員5,000人)
    彼らにとって初の野外コンサート。チケットには3人のメッセージが入ったソノシートが使われた。その年の4月に久保講堂でのライブを成功させ、自らのキャラクターを明確にした彼らは、ロックバンドとしての姿をこの所沢において披露。
    しかし公演当日、1曲目のイントロの冒頭で、高見沢のアンプから音が出ないハプニングに見舞われる。音が出るまでの間、高見沢以外のメンバーで冒頭の数小節を延々と繰り返したという。
    また、MCで高見沢が「来年アルフィーは結成して10年になります。来年の8月25日、何かやります」と企画すら起っていない状態にもかかわらず「何かやります」宣言をする。(実際、1974年のデビューなので9周年だった。現在では1973年結成となっている)
  • 1983年 OVER DRIVE-ALFEE 8.24 BUDOKAN- 日本武道館(1983年8月24日、動員10,000人)
    当日、会場に訪れた1万人の観客全員に本人たちのプロモーションビデオなどが収録されたビデオテープ(VHSベータマックスともに5千個ずつ)がプレゼントされた。
    終演後も席を立つ者が無く、アンコールを求める声が止まなかったが、会場に「SINCE 1982」の伴奏が流れ始めると(高見沢が舞台ソデで演奏した、ともいう)次第に静まり、遂には会場一体となって同曲を大合唱した、というエピソードが、「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」などでも紹介されている。
    この大合唱の様子はライブ・ビデオの冒頭に収録されている。
    このライブで、ステージバックにマーシャルのキャビネットを積み上げたので(マーシャルウォールとも呼ばれた)、日本中の楽器店から、マーシャルのキャビネットが消えたと言われた。
  • 1984年 FLYING AWAY-ALFEE IN YOKOHAMA STADIUM- 横浜スタジアム(1984年8月3日、動員30,000人)
    当日は雨に見舞われた。しかもステージがリノリウムという、水にぬれると滑りやすくなる資材で作られたため、公演中に高見沢が滑って転倒してしまう。そのとき、転んだ拍子にギターで胸を強く打ち、肋骨にヒビが入る怪我を負った。
    また、雨の降る中「鋼鉄の巨人」というハードロックの楽曲を演奏中、ステージのバックに稲妻が光った。当日、会場に来ていたキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)の羽佐間重彰社長(当時)はそれを見て「ずいぶんと金のかかった特効だな」と関係者に話していたという。[要出典]
    チケットは、青い下敷き。
  • 1985年 YOKOHAMA STADIUM 3DAYS 横浜スタジアム(1985年8月27日・28日・29日、動員90,000人)
    現在では、同一の会場で連続して公演が行われる際、「_Days」と表記されることがあるが、本公演がそのはしりといわれている。3日目には開場時間から彼らはステージに上がりアコースティック曲を演奏し、観客を驚かせる。この前座ライブは20曲以上に及んだ為、一日の総演奏曲数は50曲を超えた。また、かなり早い時間帯[18]から演奏したため、1曲目の「過ぎ去りし日々」が終わった時は、ほとんど観客がいなかった。
    チケットは、青いバンダナ。
  • 1986年 TOKYO BAY-AREA 東京湾13号埋立地(1986年8月3日 動員92,500人)
    日本初の単独10万人(主催者発表)コンサート。13年かけてこの曲にたどりついたという「ROCKDOM -風に吹かれて-」が当日に初めて演奏され、初めて聴くにもかかわらず、観客が一体となって最後のリフレイン部分を大合唱した。
    会場は、現在フジテレビの社屋がある隣附近。当時のビデオ映像などを見ると、周辺には船の科学館しか存在していなかった。
    何もない所だったために組むことが出来た幅120メートル、高さ75メートルの巨大なセットは、10万人コンサートの名前にふさわしい規模だった。会場には公共の交通機関が存在しなかったため、数十台の都営バスを借り切って、営団地下鉄東陽町駅及び木場駅と会場の間をピストン輸送した。
    また開場時間は開演の6時間前に設定され、その間、春ツアーで使用したセットを組み、10組のコピーバンドが前座としてステージに上がった。
    終演は9時過ぎだったが、大人数の為最後の客が退場できたのは、深夜0時をまわった。
    チケットは、ワッペン型。
    前座をしたコピーバンドはOVER THE AGESと題して何回かコピーバンド大会を行った。
  • 1987年 SUNSET-SUNRISE 日本平ホテル MUSIC LAND-IN 静岡(1987年8月8日・9日、動員62,500人)
    オールナイトコンサート「サンセット・サンライズ」。
    前年のクリスマスに、横浜スタジアムに設置した仮設テントでのオールナイトコンサートは、近隣からの騒音苦情のため、夜明け前に終了してしまった。その雪辱戦として急遽決定したライブだった。全体を3部構成にし、1部と3部はロックナンバー中心のライブ。2部はアコースティックライブとなり、幻の未発表曲(ライブハウス時代の楽曲で未CD化)「まもなく2番線に…」が演奏された。それぞれの合間には1時間の休憩が挟まれた。
    前半はウッドストック・フェスティバルさながらの豪雨にたたられ、一部の楽器に不具合もでた。また、このコンサートの最中には、ニッポン放送オールナイトニッポンが、一部、二部ぶっ通しの特別番組を放送した。当時、アルフィーと親交の深かった上柳昌彦アナウンサーが、日本平ホテルの一室から放送。事前に収録したインタビューコーナーだけでなく、休憩時間中には、メンバーが直接生出演した。
    三部に入るとほとんど雨が止み、「不良少年」の演奏中には富士山が顔を出した。
    最後は、このライブの為に作られた「Sunset Sunrise Kiss」を披露(同曲は現在発売されているCDには収録されておらず、同ライブが収録されたビデオ映像で聴ける。また2012年12月23日発売の「We Get Requests!」には2012年バージョンが収録)。演奏終了後、メンバーはヘリコプターに乗って会場を後にした。
    チケットは、白いビニールシート。
    エンディングの退場の際、高見沢の靴が脱げてしまい、勢いでもう片方も脱いで客席へ投げ込み、ヘリコプターに乗り込んだ。しかし着陸したのは雨上がりの河原であったため、迎えの車まで靴のない高見沢は桜井に背負われて移動した。(「THE ALFEE HISTORY II」に、その際の映像がある)
  • 1988年 ALL OVER JAPAN 4 ACCESS AREA 大阪湾南港特設会場(1988年7月24日)、札幌大倉山ジャンプヒル(7月31日)、福岡海の中道海浜公園(8月7日)、横浜本牧埠頭シンボルタワー(8月14日)動員131,260人(4日間合計)
    4 ACCESS AREAとして一週毎に各地を回って開催した。
    春ツアーから一貫したコンセプトによる演出になっている。宇宙を旅したアルフィーが、各地に宇宙船で飛来、ライブが終わると再び宇宙船に乗り込む、という流れになっている。
    最後の横浜では、7年ぶりにBEAT BOYSが復活を宣言。新曲を披露した。
    また、横浜では猛暑のため、数人が倒れる騒ぎとなり、救急車が出動。翌朝の新聞にて報道された。
    チケットは、バックステージパス。
  • 1989年 U.S CAMP DRAKE ASC 朝霞米軍キャンプ跡地(1989年8月13日、動員50,400人)
    1989年の前半はBE∀T BOYSとしての活動が主となり、久しぶりのアルフィーとしてのライブとなる。
    ALFEEと親交が深かった「シンプジャーナル」(自由国民社刊)の大越編集長が、軍服を模した衣装を着たり、戦闘シーンをイメージさせる特効などに苦言を呈した。現在その会場跡には朝霞市立朝霞第一中学校が建てられている。
  • 1990年 BRIDGE ACROSS THE FUTURE 横浜みなとみらい21 臨港パーク(1990年8月12日、動員53,800人)
    このライブではドラムに春から一緒にツアーを回っていたそうる透も参加し、ツインドラムで重厚な威圧感のあるライブが見られる。当時はみなとみらい21は開発中であり、当時のライブ映像を見ると、周辺にはコスモクロック21しかない。インターコンチネンタルホテルは半分程度しか出来ていなかった。
    三人の衣装は、この年のホールツアーや秋に発売されるアルバム「ARCADIA」のイメージを踏襲した中東貴族風のものだったが、桜井いわく「肩パットがずれてきて演奏しづらかった」そうだ。
    春のツアーまでは高見沢ボーカルだった「MY BEST FRIEND」が、このライブから桜井メインに変更されている。
  • 1991年 10回目の夏-SINCE1991- COSMO OIL YOKOHAMA BAY(1991年8月11日、動員51,611人)
    所沢の野外ライブから数えて「10回目の夏」。
    会場になったコスモ石油の敷地は、前年の会場であったMM21地区の対岸であり、ライブビデオにはMM21臨港パークから桜井がリポートする場面が挿入されている。
  • 1992年 JUST LIVE! 横須賀海辺ニュータウン(1992年8月9日、動員42,400人)
    当初は同日に米軍厚木基地で「Dream on The Field」が開催する予定であったが、8月9日は長崎に原爆が落とされた日だったことや騒音の面からクレームがつき、急遽中止になる。しかし、スタッフらの尽力でわずか1か月半で新しい場所を探しだし、ステージやチケットのデザインも1から作り直して予定通り8月9日に開催した。
    セットは、アメリカにあるラシュモア山の大統領の彫像をモチーフに、巨大な山のセットに三人の顔が彫刻されている。
  • 1993年 VICTORY STADIUM 千葉マリンスタジアム(1993年8月21日・22日、動員64,000人)
    久しぶりのスタジアムでのライブとなる。2日間にわたってアコースティック、ハードロックの両面を前面に出した。1日目には彼らが応援ソングを作曲した横浜フリューゲルスの選手が登場し、ライブを盛り上げる。
    両日のセットリスト中、共通した楽曲は「Victory」だけで、両日併せて60曲以上が披露された。
    なお、この年より2009年まで複数日での開催が定着することになる。
  • 1994年 KING'S NIGHT DREAM 大阪舞洲スポーツアイランド(1994年7月30日)横浜MM21臨港パーク(1994年8月13日)(動員65,790人)
    大阪では6年ぶりの野外となる。遊園地のようなイメージでステージは作られ、高見沢はトランプをモチーフとした4本ネックのギターを披露。しかし、ボディが通常のギターの2倍以上あるためかなりの重量があり、相当弾きづらかったらしく、このイベント以来使用していない。
    大阪では幻の曲「府中捕物控」も演奏され、横浜ではデビュー曲「夏しぐれ」を高見沢がハンドマイクで披露した。
    ステージセットは遊園地をモチーフに、今までイベントのタイトルが随所に配置された。
  • 1995年 幻夜祭 千葉ポートパーク(1995年8月12日・13日、動員67,800人)
    アルバム「夢幻の果てに」後のライブということでプログレメロスピ曲が演じられ、緊張感のあるライブとなる。悲劇受胎が初演奏された。
    最初のイベントROCK'N'ROLL FIGHTING NIGHT -悲しみをぶっ飛ばせ!!-以来、久しぶりに既存の野外ステージ上にセットが組まれた。
  • 1996年 YOKOHAMA RED BRICKS I&II 横浜赤レンガパーク(1996年8月10日・11日、動員74,100人)
    ステージは大きな船に見立てられ、航海をイメージとした編成となる。会場が細長いため、客席の最後方部はかなり条件が悪かった。そのためラストにはメンバーが最後方まで行き、挨拶をした。
    また、ステージ後方には、コスモクロックという観覧車が見え、まるでセットの一部のように見えた。
  • 1997年 EMOTIONAL FIELD 稲毛海浜公園(1997年8月9日・10日、動員63,300人)
    台風による強風により、花火などの特殊効果が使用不可となる。また、1日目に使用した銀テープが風にあおられ、電線に引っかかり、付近の団地が停電になるというハプニングが起きた。このことに関して、高見沢は2日目のMCで謝罪している。
  • 1998年 TOKYO ONE NIGHT DREAM 立川国営昭和記念公園(1998年8月16日、動員62,200人)
    前日の8月15日には前夜祭として、コピーバンドの決勝大会等催し物が繰り広げられる。ビートボーイズも久々の登場。前年の強風に対してこの年はほぼ無風、酷暑の中で行われた。
  • 1999年 A.D.1999 MILLENNIUM CARNIVAL 横浜ニューポートピア(1999年8月7日・8日、動員63,500人)
    1日目のアンコール、「Wings of Freedom」の直前から突然の豪雨。曲が終わると同時にピタリと降り止むという不思議な自然の演出があった。ドナルドダック生誕65周年を記念して制作された「D.D.D ! 〜Happy 65th Anniversary for Donald Duck〜」初披露。
  • 2000年 TOKYO AUBE STADIUM 神宮球場(2000年8月12日・13日、動員55,360人)
    初日はCLASSICS NIGHTとして神奈川フィルハーモニー管弦楽団と指揮に服部克久を迎え、クラシックとの融合を図る。2日目はロックナンバーを一気に演奏と、ALFEEの幅広い音楽性を発揮した2日間だった。東京都の騒音条例により両日ともに20時半には演奏終了となった。
  • 2001年 KINGDOM さいたまスーパーアリーナ(2001年8月25日・26日、動員58,770人)
    記念すべき20回目のイベント。武道館以来の屋内での夏のイベントとなる。1日目は27回目のデビュー記念日だったため、ラストには客席から「Wind Tune」の大合唱が起きる。2日目はアリーナ席後ろからガードマンと共に登場するという演出を行った。ラストはステージサイドから客席に降り、会場を一周した。
  • 2002年 Legend of The Stadium V 西武ドーム(2002年8月24日・25日、動員52,092人)
    関東地区のプロ野球フランチャイズ球場である(東京ドーム西武ドーム明治神宮野球場横浜スタジアム千葉マリンスタジアム)を完全制覇。なお、神宮球場は現在コンサート使用での貸し出しは行っていないため、この記録を破るのは今後不可能ではないかといわれる。2日目のGold Legendではデビュー以来ほとんど披露していないという「危険なリンゴ」を演奏。また、このイベントの動員数を加えると、ライブ通算動員数600万人を突破した。
  • 2003年 YOKOHAMA SWINGING GENERATION 横浜みなとみらい21 21街区(2003年8月16日・17日、動員55,247人)
    二日間、土砂降りの雨に見舞われた。1日目のGENERATION DYNAMITE DAYでは機材を覆うテントを取ってしまったために機材に水が入ってしまい、1000万円以上の機材損害を出したといわれている。2日間とも雨だったため星空は見えなかったが、メモリアルチケットのフラッシュバッジがそれに代わり演出をした。
  • 2004年 LOVE&PEACE YOKOHAMAハンマーヘッドパーク(2004年8月14日・15日、動員54,620人)
    デビュー30周年記念ライブ。前年の反省からか、この年以降はステージ上には屋根が架けられるようになった。ライブ中に遊覧ヘリコプターの飛来により「恋人達のペイヴメント」を歌い直すという場面も。1日目、2日目とも客席にはペンライトが用意され、ラストにはそれぞれ「ALFEE」、「30th」という人文字が浮かび上がった。
  • 2005年 TOKYO BAY STATION 晴海埠頭特設会場(2005年8月20日・21日、動員50,685人)
    東京では5回目のイベント。このイベントの花道はドーナツ型をしているという、夏のイベントでは珍しい花道であった。夜には満月が出て、月に因んだ新曲の初披露に華を添えた。
  • 2006年 YOKOHAMA STAR-SHIP 横浜赤レンガパーク(2006年8月12日・13日 約51,000人)
    横濱開港150周年記念。1996年の「YOKOHAMA RED BRICKS」と同開催地だが、ステージの位置は1996年と反対方向に設置された。2日間の曲目は過去のイベントでの印象に残った曲をちりばめるという、まさに25年の集大成というべき曲順であった。
    このライブをもって、1982年から25年続いた夏のイベントは、一旦休止されることになった。
    もともとは2000年のTOKYO AUBE STADIUMをもって休止の予定だったが、タイミングを逸したため25周年まで延期されたという。
  • 2009年 Legendary Summer 2009 YOKOHAMA PERFECT BURN 横浜赤レンガパーク(2009年8月8日・9日 約60,000人)
    デビュー35周年を記念して、また、最後の夏のイベントと銘打ち開催された。ステージタイトルは、1日目が『BURN INTO MEMORY NIGHT』、2日目が『BURN INTO PERFECT NIGHT』。チケットはクリスタルチョーカー。
    2日間のセットリストは新旧の曲を織り交ぜ、最後の夏のイベントに相応しいものとなった。尚、両日のセットリスト中、共通した楽曲は「メリーアン」、 「星空のディスタンス」、「夢よ急げ」、「SWEAT&TEARS」の4曲。
    1日目にはデザインを公募して作成された高見沢の『わんこそばギター』が、「君はパラダイス」において初めて演奏で使用された。
    2日目にはチケットを入手できなかったファンが最後のイベントに参加しようと会場に集結、その数は約3,000人にも上った。3人も会場に入れなかったファンの存在に気付いており、特に高見沢は会場外のファンが見える花道先の舞台へ度々行き、ファンとの交流を図った。また、公演終了後には同じ舞台で3人が深々と頭を下げ、会場に入れなかったファンに対しても感謝の意を表した。
  • 2012年 One Night Summer Dream 2012 We Get Requests! さいたまスーパーアリーナ(2012年7月28日 約19,000人)
    初の夏イべから30周年を記念して一夜限りで行われた。このコンサートのセットリストはファンからの1万5千通のリクエストを基に構成された。(ひとりのリクエストは最大3曲、延べ約4万5千曲の中から選ばれた。)
    コンサートでは1987年の夏イべで一度だけ演奏された「SUNSET-SUNRISE KISS」が、「SUNSET-SUNRISE KISS 2012」として新しいアレンジで25年振りに演奏された。
    メモリアル・チケットはサインライト
    3人それぞれのリードボーカル楽曲でリクエストが最も多かったのは、「Musician」「Pride」「SWEAT&TEARS」(当日の演奏順)。
    リクエストにてトップ10にエントリーされた楽曲の内の9曲は演奏されたが、「TIME AND TIDE」のみ本番の構成上演奏することが出来ず、同年の秋のコンサートツアーのアンコールにて演奏された。

海外公演[編集]

1998年にはニューヨーク、1999年にはベルリンと、企画あるいはイベントのオファーにより海外においてコンサートを行っている。

カウントダウンイベント[編集]

2000年から2001年の年明け、2004年から2005年の年明けまで現時点では通算2度のカウントダウンイベントを行っている(2013年現在)。

  • THE ALFEE Count Down 2001 HELLO GOOD-BYE(2000年12月31日~2001年1月1日・神戸ワールド記念ホール
    21世紀の幕開けを迎えるイベントとして企画で、チケットはウェブでの申し込みと「NEVER FADE」の購入特典の応募抽選のみで行われた。新世紀の幕開けに「SWEAT&TEARS」が演奏された。
  • 30th anniversary Count Down 2005 TIME AND TIDE(2004年12月31日~2005年1月1日・大阪城ホール
    デビュー30周年記念企画イベント。メモリアルチケットとして、イベント用に作曲された「Welcome To The New World~Count Down 2005」が収録されたサウンドメディアが配布されたが、本番では一部分がS.E.として使用されたのみで、演奏はされなかった。2004年最後の演奏曲は、「夢よ急げ」でカウントダウンを挟み、2005年最初の演奏曲として「AFFECTION」が披露された。

その他ライブイベント[編集]

  • Christmas Special ALL NIGHT THE ALFEE(1986年12月24日~12月25日・横浜スタジアム内特設テント)
    上述にあるように、このイベントで朝日を見られなかったことが、翌年の夏のオールナイトイベントに繋がった。
  • THE ALFEE MEIGAKU LIVE(1987年11月3日・明治学院大学
    メンバーの母校・明治学院大学の学園祭でのライブで、凱旋ライブであった。
  • BIG EGG OPENING SPECIAL EVENT(1988年3月19日~1988年3月20日・東京ドーム
    東京ドームでのこけら落としイベント。
  • EXPO'90“LIVE ZEAL OPENING SPECIAL”(1990年4月1日・花の万博・メインホール'90)
    花の万博(大阪)でのライブイベント。万博のテーマ曲に「FLOWER REVOLUTION」が採用された。
  • AMERICAN MUSIC AWARDS(1991年3月19日・横浜アリーナ
    日本で開催されたAMAのイベント。唯一の日本代表に選出されて出演した。
  • THE ALFEE CLASSICS ~融合~(1997年1月11日・12日・東京国際フォーラムホールA)
    東京国際フォーラムのこけら落とし公演。神奈川フィルハーモニー管弦楽団との共演で、指揮者は服部克久
  • THE ALFEE COMING HOME Acoustic Live[明治学院大学創立120周年記念/インブリー館復原支援](1997年2月27日・東京厚生年金会館
    メンバーの母校・明治学院大学のチャリティイベント。明治学院校歌のアルフィーバージョンが披露された。
  • Thanks For your Love 新記録達成記念ライブ(2002年2月16日・さいたまスーパーアリーナ
    前年のシングル曲の「Juliet」で、34作連続トップ10の当時のオリコン新記録樹立を記念しての感謝ライブで、抽選での当選者のみの無料ライブイベント。シングル楽曲中心の構成で行われた。

逸話[編集]

  • 現在、東京湾岸地域は一般に「東京ベイエリア」と呼ばれることがあるが、これはTHE ALFEEが1986年8月3日に東京港13号埋立地(現港区台場・江東区青海地区・品川区東八潮地区)にある船の科学館近接の未利用地に特設ステージを設けて行った10万人(公称)コンサートのタイトルを「1986.8.3 SWEAT&TEARS TOKYO-BAY AREA」と称したことに由来する[19]
  • 大規模な施設のこけら落とし公演が多い。東京ドーム(1988)、パシフィコ横浜国立大ホール(1994)、東京国際フォーラム(1997)など
  • 2005年11月30日の大宮ソニックシティでのライブで、デビューから31年で単独有料コンサートの公演回数2000回を達成した。国内のバンドとしては前人未到とも言われる。その際には日本プロ野球名球会から、当時の金田正一会長のビデオメッセージと共に名球会会員のみに与えられるブレザーが野球関係者以外では初めて贈呈された。
  • 映画『不良少年』の主題歌「美しいシーズン」の発売当時のジャケットに、映画のワンシーンの画像(金田正一の息子金田賢一)が使われており、金田親子とは縁が深いとも言える(2000本目のライブのMCでも語られていた)。
  • 堂本兄弟』では最多ゲスト(7回)を誇る。
    堂本兄弟のスペシャルでは、高見沢俊彦と坂崎幸之助が同じ舞台に立つ(向かって右側に高見沢俊彦、中央に堂本兄弟、左側に坂崎幸之助)。
  • 高見沢はコンサートのコントの台本作成も担当している。
  • メンバーのうち坂崎と高見沢の生年月日が二日違い(ともに1954年4月生まれ)であるのに対し、桜井の誕生日は二人よりも9か月遅い(1955年1月生まれ)。
    • 坂崎と高見沢も含めて、サポートメンバーの吉田太郎(坂崎と年齢違いの同日生まれ)、長谷川浩二山石敬之も4月生まれの為、一時期はバースデーケーキの量が多かったと言う(ライヴのMCでも語られていた)。
  • デビュー当時は、GAROと同じ所属事務所であった為、弟分的位置付けであった。GAROのライヴのスタッフや前座を務めた事もあった。
    • GARO解散後もメンバーとの関わりは深く、MARKこと堀内護のソロアルバム『六夢』にコーラスで参加したり、高見沢がプロデュースした女性アイドルユニット「Skirt」の歌唱指導を堀内が担当したりしたこともあった。また高見沢は、VOCALこと大野真澄から譲り受けたMartin D-45を長く使用しており、コンサートツアーでも披露する事もある。2009年、赤坂BLITZにて大野とのジョイントライヴ「大野真澄 還暦スペシャルライヴAS NOW~WHEN I’m 60~MASUMI OHNO WITH THE ALFEE」を行った。
  • デビュー当時は、THE JANETとも同じ所属事務所であった。Alfie(当時)とは同期デビューで、解散後にOFF COURSEに加入する松尾一彦大間ジローは、Alfieの3人とは同学年であった。

THE ALFEE以外の活動[編集]

BE∀T BOYS[編集]

1981年、ディスコ調に乗せてビートルズの曲のサビ部分をメドレーで繋ぐ「ショッキング・ビートルズ〜スターズ・オン45」(Stars on 45)など、著名アーティストのメドレー物の世界的流行を受け、『吉田拓郎のオールナイトニッポン』の番組企画で、拓郎のメドレー曲をアルフィーが制作。これが思わぬ反響を呼び、アルフィーの名を伏せ[20]、覆面バンド・ビートボーイズ(BEAT BOYS、1988年以降はBE∀T BOYS)名で「スターズ☆オン23 吉田拓郎(後に『ショック!! TAKURO 23』と改名。CDはこの名前で発売された。現在は廃盤)」としてレコード発売。ビートボーイズとは、ビートルズとビーチボーイズから由来する。歌っているのは誰か? とクイズを出したが、殆どの葉書がアルフィーとの答えだった。この正解発表時に正体を伏せたまま(坂崎がじょんのれん、高見沢がポール・マッカーサー、桜井が祥寺張扇(じょうじ・はりせん)と名乗った)『吉田拓郎のオールナイトニッポン』に覆面を被り乱入した。そのレコードは一部で話題となり、本人たちの意に反してアルフィー本体の過去最高レコード売り上げ枚数を超えて売れてしまった。

その後BE∀T BOYSは、1988年に趣向を変えダンスグループとして活動を開始した。この際も、アルフィーとは全く違うとして本名を用いず、サクライ(桜井賢)をリーダーとし、アルバム、シングルをそれぞれリリースし、アルフィーのコンサート活動を縮小してこちらのコンサートツアーや野外ライブ「GO! GO! NAGOYA-DAGANE!」(チケットは宝地図)も行われた。また、アルフィーに敵愾心を持っている設定をしており、楽器を持っての演奏はしなかった。現に『夜のヒットスタジオDELUXE』に出演した時は「僕たちはアルフィーは嫌いだ」と挑発的で他人行儀な台詞を吐き捨て正体を隠した。夜ヒットで1度だけアルフィーと共演を果たしている。また『歌のトップテン[21]に出演した際には、アルフィーとの違いを以下のように説明している。

  • 楽器がひけない!
  • 踊りがうまい!
  • ニューミュージック・フォーク・演歌・ヘビメタがキライ!
  • 汗と涙と友情がキライ!
  • メンバーの名前がカタカナである!
  • アルフィーほど人がよくない!
  • アルフィーの高見沢が大キライ!

ライブ活動は1989年以来行っていなかったが、1996年の冬の日本武道館・1998年の立川での夏のイベント前夜祭、2004年のアルフィー秋ツアー内でゲスト出演、2006年、2007年の秋ツアーにも同行した。2007年の武道館公演では新曲[22]を披露した。2009年の武道館公演でも登場し、数曲演奏した。

CDシングルのリリースとしては、突発的に行われていたが、THE ALFEEの東芝EMI(現・EMIミュージック)移籍以降は発売されていない。

1988年以降のBE∀T BOYSの特徴として、作詞に松井五郎麻生圭子、アレンジャー等に 武部聡志など外部の人材を登用する事により、サウンド面でもアルフィーと差別化を図っている点が挙げられる。 「GO!GO! BE∀T BOYS!!」に収録された「Let's! Break Dance!!」では小室哲哉がアレンジを担当。 当時、BE∀T BOYS(ALFEE)とTM NETWORKが共演したラジオ番組(「日立FAN!FUN!TODAY」)で高見沢が「小室君から戻ってきたら違う曲になっていた」と発言。これに対し小室が「でき上がった曲を聞いたら違う曲になっていました」と冗談半分に発言していた。

その他[編集]

明石家さんま島田紳助などと同期にあたる。

高見沢は、明石家さんま・とんねるず猿岩石小泉今日子瀬能あづさ後藤久美子新田恵利真璃子Skirt鈴木彩子等多くのタレント・アイドルに楽曲を提供している。 他にも高見沢古舘伊知郎の芝居「トーキング・ブルース」の音楽監督を務めたり、ドラえもんの映画や「フィギュア17 つばさ&ヒカル」等への楽曲提供、ドラマでの音楽監督、KinKi Kidsの番組「堂本兄弟」に出演したり、また坂崎は2002年に期間限定で再結成したザ・フォーク・クルセダーズに参加したり、フォークソングのイベントなどでの司会を務めたりなどと、このバンド以外での活躍も多く、アイドル(KinKi Kids篠原ともえなど)やフォーク歌手(吉田拓郎南こうせつなど)との親交も厚い。

音楽以外の活動[編集]

田辺エージェンシーでは、所属歌手に歌手活動以外にバラエティ番組への出演をさせる方針がとられていた。THE ALFEEも例に漏れず、ALFEE時代の1984年TBS系列で「アルフィーのある日ィ突然!」なる単発ドラマが放送されている。因みにこの幻の番組は、『ザ・ベストテン&「ある日ィ突然」complete edition 2000』というタイトルでDVD化されており、現在でも入手可能である(ただし、著作権の関係からか、放送では流れたビートルズの曲が収録されておらず、放送で流れた曲名が字幕で紹介されている)。

現在は田辺エージェンシー所属ではなく、そこから独立した事務所・Project III(プロジェクト・スリー)に所属しているが、その頃からの流れは続き、グループあるいは単独でテレビ・ラジオのバラエティー番組に数多く出演している。過去のシングル・アルバム等の版権は田辺エージェンシーの系列の田辺音楽出版が所持をしており、現在でも各種クレジットには田辺昭知の名が記載されているように田辺エージェンシーとは密接な関係である。

芸能人では特にとんねるずとの交流は深く、『とんねるずのみなさんのおかげです』では卓球対決が人気となり、日本武道館での最終決戦も行われた。その功績が評価され、1992年には日本卓球協会から名誉初段を贈られている。このバラエティ進出で「コミックバンド」「卓球の人たち」というイメージを与え、THE ALFEEを知らなかった新しいファンは増えたものの、既存ファンは離れてしまった。 また、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』では、高見沢が二度にわたってスペインでの闘牛に参加している(ただ、二度目の出演時に左手人差し指を骨折してしまい、そのすぐ後のツアーに大きな影響を与えてしまっている)。

ディスコグラフィ[編集]

タイアップ一覧[編集]

  • ラブレター - 「ショウワノート」コマーシャルソング(1979年)
  • 無言劇 - テレビ東京系ドラマ「あいつと俺」主題歌(1980年)
  • 美しいシーズン - 東映映画不良少年」主題歌(1980年)
  • 星空のディスタンス - TBS金曜ドラマ無邪気な関係」主題歌(1984年)
  • STARSHIP〜光を求めて〜 - 映画「SF新世紀レンズマン」平和のテーマ(1984年)
  • 愛の鼓動 - 映画「SF新世紀レンズマン」愛のテーマ(1984年)
  • 恋人達のペイヴメント - 江崎グリコ「アーモンドチョコレート」CMソング(1984年)
  • シンデレラは眠れない - カネボウ化粧品'85春のイメージソング(1985年)
  • 真夏のストレンジャー - 全日空 夏の北海道キャンペーンソング(1985年)
  • 風曜日、君をつれて - 全日空 夏の沖縄キャンペーンソング(1986年)
  • 夢よ急げ - 1987 大阪国際女子マラソンイメージソング(1987年)
  • サファイアの瞳 - ライオン「ページワン」CMソング(1987年)
  • 君が通り過ぎたあとに -DON'T PASS ME BY- - 東宝映画タッチ3」主題歌(1987年)
  • FOR THE BRAND NEW DREAM - 東宝映画「タッチ3」エンディングテーマ(1987年)
  • LONG WAY TO FREEDOM - 「アルプス電気」CMソング(1987年)
  • It's Alright - 1988 大阪国際女子マラソンイメージソング(1988年)
  • Girl - フジテレビ系「桃色学園都市宣言!!」主題歌(1988年)
  • WEEKEND SHUFFLE -華やかな週末- - TBS系ドラマ「パパは年中苦労する」主題歌 (1988年)
  • 見つめていたい - TBS系ドラマ「パパは年中苦労する」挿入歌(1988年)
  • FOR YOUR LOVE(「裏切りへの前奏曲」の英詞版) - 東宝映画「孔雀王」エンディングテーマ(1988年)
  • Catch Your Earth - 日本テレビ系「巨泉のこんなモノいらない!?」エンディングテーマ(1988年)
  • Kitto - 日本テレビ系「巨泉のこんなモノいらない!?」エンディングテーマ(1989年)
  • Loving You - 「高砂殿」CMソング(1988年)
  • FAITH OF LOVE - 東映映画「将軍家光の乱心 激突」メインテーマ(1988年)
  • YOU GET TO RUN - 東映映画「将軍家光の乱心 激突」ファイティングテーマ(1988年)
  • High-Heel Resistance - 1989 大阪国際女子マラソンイメージソング(1989年)
  • 恋人の歌がきこえる - 日本テレビ系ドラマ「恋人の歌がきこえる」主題歌(1989年)
  • FLOWER REVOLUTION - EXPO'90国際花と緑の博覧会イメージソング/1990 大阪国際女子マラソンイメージソング(1990年)
  • Shadow of Kingdom - ファミリーコンピュータソフト「シャドウ・ブレイン」主題歌(1990年)
  • Arcadia - 1991 大阪国際女子マラソンイメージソング(1991年)
  • Someday - 1992 大阪国際女子マラソンイメージソング(1992年)
  • Promised Love - 日本テレビ系ドラマ「ポールポジション!愛しき人へ…」主題歌(1992年)
  • 君に逢ったのはいつだろう - フジテレビ・イベント「最後の恐竜王国」テーマソング(1992年)
  • RUNNING WILD - 1993 大阪国際女子マラソンイメージソング(1993年)
  • Believe - TBS系「ムーブ」エンディングテーマ(1993年)
  • Victory - Jリーグ A.S FLUGELS オフィシャルソング(1993年)
  • もう一度君に逢いたい - 日本テレビ系「スーパーテレビ情報最前線」エンディングテーマ(1993年)
  • 風を追いかけて - 1994 大阪国際女子マラソンイメージソング(1994年)
  • まだ見ぬ君への愛の詩 - アサヒ飲料三ツ矢サイダー」CMソング(1994年)
  • 愛こそ力〜Power for Love〜 - フジテレビ系「タイムアングル」エンディングテーマ(1994年)
  • COMPLEX BLUE ー愛だけ哀しすぎて - フジテレビビデオサスペンスシリーズ「COMPLEX BLUE」主題歌(1994年)
  • 冒険者たち - NHKアニメ「モンタナ・ジョーンズ」オープニングテーマ(1994年)
  • エルドラド - NHKアニメ「モンタナ・ジョーンズ」エンディングテーマ(1994年)
  • WILD BAHN! - F-1野田英樹選手応援ソング/MEN'S TENORAS CMソング(1994年)
  • JUMP! (「LIVE IN PROGRESS」に収録されている「JUMP'95」とはアレンジが異なる) - ふくしま国体テーマソング(1995年)
  • LOVE NEVER DIES - 日本テレビ系ドラマ「奇跡のロマンス」主題歌(1996年)
  • GLORY DAYS - 1996 大阪国際女子マラソンイメージソング(1996年)
  • 倖せのかたち〜Send My Heart〜 - 「東邦生命」CMソング(1996年)
  • Liberty Bell - 1997 大阪国際女子マラソンイメージソング(1997年)
    本来は1995年大会のイメージソングであったが、阪神・淡路大震災で中止となった為、アレンジを変えて使用された。
  • Crisis Game -世紀末の危険な遊戯- - 東芝DVDプレーヤーCMソング(1997年)
  • Brave Love 〜Galaxy Express 999 - 東映アニメ映画「銀河鉄道999〜エターナル・ファンタジー」主題歌(1998年)
  • Beyond The Win - 1998 大阪国際女子マラソンイメージソング(1998年)
  • Sister of the Rainbow - TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ(1998年)
  • PRIDE - TBS系「日立 世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ(1998年)
  • 希望の鐘が鳴る朝に - TBS系東芝日曜劇場サラリーマン金太郎」主題歌(1999年)
  • Beginning of the Time - 1999 大阪国際女子マラソンイメージソング(1999年)
  • Wings of Freedom - Jリーグ横浜FC」オフィシャルソング(1999年)
  • Justice For True Love - 東映アニメ映画「金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー」主題歌(1999年)
  • NEVER FADE - テレビ朝日系「T_2SHOW」エンディングテーマ(2000年)
  • Wake Up 〜 Goodbye 20th century boy - 読売テレビ・日本テレビ系「ウェークアップ!」エンディングテーマ(2000年)
  • 自由になるために - 2000 大阪国際女子マラソンイメージソング(2000年)
  • Juliet - テレビ朝日系アニメ「すしあざらし」テーマソング/テレビ朝日系「T_2SHOW」エンディングテーマ(2001年)
  • Change the wind - 2001 大阪国際女子マラソンイメージソング(2001年)
  • Boy - AT-Xアニメ「フィギュア17 つばさ&ヒカル」オープニングテーマ(2001年)
  • Fairy Dance - AT-Xアニメ「フィギュア17 つばさ&ヒカル」エンディングテーマ(2001年)
  • 太陽は沈まない - フジテレビ系ドラマ「ショムニFINAL」主題歌(2002年)
  • Chaosの世界 - 2002 大阪国際女子マラソンイメージソング(2002年)
  • 孤独な世代 - 2003 大阪国際女子マラソンイメージソング(2003年)
  • タンポポの詩 - テレビ朝日系アニメ「ドラえもん」エンディングテーマ(2003年)
  • 希望の橋 - TBS系ドラマ「サラリーマン金太郎4」主題歌(2004年)
  • 夜明けの星を目指して - 2004 大阪国際女子マラソンイメージソング(2004年)
  • TRY - 彩の国まごころ国体イメージソング(2004年)
  • 100億のLove Story - TBS系ドラマ ナショナル劇場こちら本池上署5」主題歌(2005年)
  • ZeRoになれ! - 2005 大阪国際女子マラソンイメージソング(2005年)
  • ONE - 2006 大阪国際女子マラソンイメージソング/TBSテレビ・ラジオ「ドラマ原作大賞」作品募集CM(2006年)
  • Innocent Love - 中部日本放送・TBS系 ドラマ30(CBCテレビ50周年記念企画)「みこん六姉妹」主題歌(2006年)
  • Dear My Life - 2007 大阪国際女子マラソンイメージソング(2007年)
  • Lifetime Love - 中部日本放送・TBS系「みこん六姉妹2」主題歌(2008年)
  • Wonderful Days - 2008 大阪国際女子マラソンイメージソング(2008年)
  • Shining Run~輝く道に向かって~ - 2009 大阪国際女子マラソンイメージソング(2009年)
  • 桜の実の熟する時 - テレビ朝日系ドラマ 木曜ミステリー京都地検の女」主題歌 (2009年)
  • 風の詩 - 映画「ウォーロード/男たちの誓い」日本版エンディングテーマソング (2009年)
  • 夜明けを求めて - フジテレビ系「嵐がくれたもの」主題歌 (2009年)
  • この愛を捧げて - アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」主題歌 (2009年)
  • GET YOUR CHANCE - 2010大阪国際女子マラソンイメージソング(2010年)
  • Let It Go - 2011大阪国際女子マラソンイメージソング(2011年)
  • 生きよう - 2012大阪国際女子マラソンイメージソング(2012年)
  • Final Wars! - テレビ東京系「ウルトラマン列伝」主題歌(2013年)
  • もう一度ここから始めよう - 2013大阪国際女子マラソンイメージソング(2013年)
  • GLORIOUS - テレビ東京系「刑事吉永誠一・涙の事件簿」主題歌(2013年)
  • エフエムナックファイブサウンドステッカー(開始時期不明)
    坂崎が番組を持っているため。

なお、「ドラえもん」と「ウルトラシリーズ」の主題歌を両方歌った事があるのは彼らだけである。

CM出演及び使用楽曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c キューブミュージック
  2. ^ アルフィーの歴史を描いた吉岡つとむ原作の漫画『ドリームジェネレーション』によれば「三宅(作中では「南」)の父が倒れたため長男だった彼は、家業の電気屋を継ぐため脱退した」となっている。しかし、その記述が出てくるのはこの漫画のみで、他では一切語られていない。在籍時の三宅は「THE ALFEE BOOK vol.1」などで見ることができる。
  3. ^ NHK-FM「THE ALFEE 終わらない夢」にて、桜井の弁
  4. ^ 1987年頃まで、テレビでの演奏時には曲毎のリードヴォーカルが中心になるよう立ち位置を変えていた。現在は曲にかかわらずほぼ桜井_坂崎_高見沢(左から)の順で固定。
  5. ^ 「オーバー・ドライブ」P.73
  6. ^ 因みにアルフィーという名前については、諸説があるがいずれも真偽不明となっているため、はっきりとした由来及び語源は未だわかっていない(1966年制作の映画『Alfie』からとったとする説もあるが、これも有力な説とは言い難い)。
  7. ^ 「夏しぐれ」は松本隆・筒美京平コンビ2作目のシングルA面曲。後にゴールデンコンビと言われる二人だが、歌謡曲の筒美とロックバンド・はっぴいえんど出身の松本の組み合わせは当時異色だった。
  8. ^ 同曲は三億円強奪事件のパロディソングであり、「犯罪者を礼賛している」「社の良識に合わない」などの意見が上層部から出された為と言われている
  9. ^ 彼らはこの頃のことを下積み時代ではなく、上積み時代と強調する
  10. ^ メリーアン」のリリースは武道館公演より前の6月21日。武道館公演当時はチャートの30位ほどで、チャート上位に入ったのは同年の9月のことであった。
  11. ^ ALFEE、59歳で大学名誉卒業、ニッカンスポーツ、2014年3月19日
  12. ^ アルフィー、40年越しで“名誉卒業証書”日テレNEWS24、2014年3月19日
  13. ^ アルフィー明学大卒業で「やっと大卒」デイリースポーツ、2014年3月19日
  14. ^ 1999年頃、桜井はテレビのインタビューで「1公演ごとに8曲入れ替えられる」と証言している(これは公演ごとに全体の3分の1におよぶ曲数を入れ替えている計算になる)。さらに1会場で複数公演行う場合や、夏のイベントなどでは全体の半分以上の楽曲が入れ替えられることも珍しくない。
  15. ^ 1988年のツアーの公演本数。しかし、夏のイベントやBEATBOYSとしての公演等、全国ツアー以外の公演数を含めるとこの年は120公演行っている。
  16. ^ DVDソフト「ALFEE HISTORY I」に夏のイベントに出演する遠藤の姿が残っているが、通常のツアーに遠藤が参加していたかどうかは不明。
  17. ^ サポートメンバーがドラムとキーボードの2人体制の場合。3人体制の場合はこの限りではない
  18. ^ 開場と同時に演奏開始された。
  19. ^ 当時単一アーティストによる日本最大の動員数として記録され、1999年5月30日にLUNA SEAが東京ビッグサイトおいて観客動員数10万人、1999年7月31日にGLAY幕張メッセにおいて観客動員数20万人のコンサートを行うまで更新されることは無かった
  20. ^ この時アルフィーの名を伏せたのは、当時まだアルフィーの知名度が低く、このようなパロディー曲で有名になってしまったら今後の音楽活動に影響が出てしまうのを避けるという理由であった。
  21. ^ 1989年6月19日放送分にて「誰よりもLady Jane」が第9位にランクイン
  22. ^ 2008年3月発売のシングルLifetime Love のボーナストラックとして収録された。

参考文献[編集]

  • 「オーバー・ドライブ」(アルフィー/著、1982年11月30日、八曜社 ISBN 4-8270-0064-6
  • 「夢さがし アルフィー・高見沢俊彦物語」(渡辺芳子/著、1983年9月24日、CBS・ソニー出版 ISBN 4-7897-0109-3
  • 「アルフィー物語 ドリームジェネレーション」(全9巻、吉岡つとむ/著、少年KING/少年画報社
  • 「Dream Generation Complete Box 〜THE STORY OF ALFEE」(2004年10月30日、上記の復刊、全5巻+プレミアムブック、幻冬舎コミック ISBN 4-344-80475-9
  • 「地球音楽ライブラリー アルフィー」(TOKYO FM出版 ISBN 4-88745-038-9

外部リンク[編集]