ヴィレッジ・シンガーズ

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ヴィレッジ・シンガーズ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル グループ・サウンズ
活動期間 1966年 - 1971年
2002年 -
レーベル CBSコロムビア
(1966年-1968年)
日本コロムビア
(1968年)
CBS・ソニー
(1968年-1972年)
テイチクエンタテインメント
(2003年-2008年)
ミュージック・ヴィレッジ
(2009年-)
メンバー 小松久(リーダー、ギター
清水道夫ヴォーカル、ギター)
小池哲夫キーボード、ヴォーカル)
林ゆたかドラムス
笹井一臣ベース
旧メンバー 古関正裕(キーボード)
南里孝夫(12弦ギターバンジョー
森おさむ(ベース)
角田英治(ベース)

ヴィレッジ・シンガーズVillage Singers)は、1960年代後半(昭和40年代前半)に活躍したグループ・サウンズである。

メンバー[編集]

元メンバー[編集]

概要[編集]

1965年、4人組フォークグループ、フォーク・トレッカーズ(小松久、南里孝夫、森おさむ、山岩爽子)から山岩が小室等PPMフォロワーズ加入のため脱退。残りの3人に林ゆたかと古関正裕(作曲家・古関裕而の長男)が加わり、1966年6月に結成された。グループ名はフォークの聖地、ニューヨークグリニッジ・ヴィレッジに憧れていたことから名付けられた。またこの当時人気だったカレッジフォークとは異なり、エレキギター、ドラムス、そして12弦アコースティックギターを取り入れたバンド編成は斬新で真新しかった。[1]

彼らはまず取っ掛かりとして芝田村町(現・西新橋)のフォーク喫茶「ヴィレッジ」で毎週土曜日に演奏することから始め、やがてカントリー歌手の寺本圭一のプロデュース[2]により1966年10月に日本コロムビア(以下コロムビア)のCBSコロムビアレーベルより「暗い砂浜」でデビュー(古関は発売前に脱退するが、初期の2枚のシングルにはいずれもレコーディングに参加している)。 当初ホリプロ側は東芝音楽工業(現:ユニバーサル ミュージック合同会社 Virgin Recordsレーベル)へ曲の吹き込みを依頼するがハーモニーの物足りなさを理由に難色を示したディレクターから断られ、続いてコロムビアへ持ち込んだところ合格となる、それとは逆にザ・ワイルド・ワンズはコロムビアに断られ、結果として東芝レコードと契約というこぼれ話がある。デビュー曲はアメリカで前年より流行っていたフォークロック調だったが当時の日本におけるフォークソングブームといえば大学のキャンパスが中心でしかもそれは都会に限られていたことから一般大衆向けではなくヒットへとは結びつかなかった。 翌1967年2月には2枚目のシングル「君を求めて」が発売されるも前作同様に結果は不発となる、メンバーが意気消沈する中、南里はかねてから活動していたMRA道徳再武装運動)の活動に重点を置き始め、また必ず高校を卒業すると誓った上で父親より音楽活動を許されていた森は3年で落第するに至った、こうして2人はグループを去っていった。

残された小松と林は代わりのメンバーが揃わなければ解散を覚悟し、東京の大学を方々回ったところ、成蹊大学の学生で所属していたバンドが解散したことから暇を持て余していた小池哲夫を誘い、また明治大学を卒業したものの就職せず、映画プロデューサーをしていた父親(笹井英男)の下でぶらぶらしていた笹井一臣をホリプロがスカウト、そして5月頃に林と共に母校の成城大学を訪れた小松は軽音楽部々室で床屋へも行かず髪をぼうぼうに伸ばし無精髭姿の清水道夫を見つける、4年生の彼は大学入学後に軽音楽部のバンドでベンチャーズを経てビートルズスタイルの編成で歌うことの楽しさに目覚める、だが3年生の10月にバンドが解散してからというものギターの弾き語りと麻雀に興じる毎日を送っていた、他に目ぼしい当てもなく取り敢えず聴かせてもらうとギターの腕前と歌唱力はまぁまぁであとは身奇麗にすればどうにか納まりが着くだろうということでメンバーに迎える。さっそく6月下旬より1週間の日程で軽井沢合宿を始め、午前中は楽器、午後は発声の練習に励み、夜はミーティングを行うことでメンバー同士の交流を深めた。合宿終了後は直ちにコロムビアを訪ね、旧メンバー時に録音済みで発売間近だった「バラ色の雲」を改めて吹き込む承諾を得る。やがてコロムビアから作曲を依頼されていた新米の筒美京平は小松を初めとするメンバーが希望するブルー・コメッツ風の曲を完成させた。[3]こうして1967年8月に新生ヴィレッジ・シンガーズとして「バラ色の雲」を発売、躍動感あるサウンドが功を奏し、フジテレビの音楽番組「ヒット速報」へ10週連続出演、公称60万枚突破の大ヒットを記録する、まさにヴィレッジにとってこの曲がGS元年となった。

人気GSとなった彼らは続いて11月に「好きだから」を発売、ムーディな声質の持ち主である清水のヴォーカルと小池のキーボードプレイを前面に押し出したサウンドが相乗効果を呼ぶ事となる、そして翌1968年2月に発売され大ヒットした「亜麻色の髪の乙女」は「バラ色の雲」と並び彼らの代名詞とも呼べる作品となった、3月にはファースト・アルバム「グループ・サウンズの貴公子」を発売、着目すべき点として旧メンバー時に発売した2枚のシングル両面を新メンバーで録り直していることが挙げられる。また、TBS「七時だ!飛び出せ!!」へのレギュラー出演が始まり、4月に「思い出の指輪」、8月には「虹の中のレモン」と同名シングルの映画化による主演作品が尾崎奈々との共演で松竹より封切られた、同時代に活躍したザ・タイガースザ・テンプターズオックスなどといった一連の長髪で不良的(あくまでも当時の感覚で)なイメージのGSと彼らヴィレッジが一線を画す最大の理由として、短髪の貴公子然とした気品あるスタイルでムード溢れるメロディを醸し出したことが挙げられる。7枚目のシングル「星が降るまで」が発売された8月は兵庫県宝塚市宝塚大劇場にてリサイタルを開催し、ヅカガールと共演、これはGSとして初の試みであった。秋に入り、新たに発足したCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)移籍第一弾シングル「落葉とくちづけ」が11月に発売されたが、GSブームの衰退もあり、この曲以後グループの人気は下降し始める。

1969年、ベースの笹井が脱退し、同年8月発売の「裸足の恋」より角田英治が参加、この頃より担当ディレクターの趣味でムード歌謡化されていった[4]

1970年6月発売のラストアルバム「恋と女とむせび泣き」は完全な清水のソロと言っても過言ではない内容で前年に発売され大ヒットを記録した「長崎は今日も雨だった」で知られる内山田洋とクール・ファイブめいたムード歌謡そのものである。1969年以降は否応がなしにムード歌謡路線を余儀なくされた彼らだったが1971年1月発売のラストシングル「ここより永遠に」では全盛期のヴィレッジを彷彿とさせるサウンドで締め括った。

最後は所属事務所であるホリプロより一方的にマネージメントを放棄され、メンバーは四谷とんかつ屋に集まって活動を続けるか否か悩み抜いた末、名古屋ビアガーデンでの演奏を最後に1971年6月を以って解散[5]

その後31年の時を経て「亜麻色の髪の乙女」が島谷ひとみによるリバイバルで、若い世代にも一躍有名になったのを機に2002年に再集結しNHK思い出のメロディー」に出演、その後ライブ活動を再開した。1969年に脱退していた笹井も復帰。

2004年にはライブ音源を収録した3枚のマキシシングル「The Village Singers' THE OFFICIAL BOOTLEG #1~#3/公式海賊盤 」を発売。

エピソード[編集]

  • 2002年、島谷ひとみによる「亜麻色の髪の乙女」がヒットしていたのに便乗し、「元・ヴィレッジ・シンガーズの清水道夫」を語るニセモノの男が出没し、長野県御代田町主催の「信州御代田龍神まつり」の前夜祭として行われたカラオケ大会特別審査員として出演、唄まで披露する詐欺事件があった[6]。その男は、自分の妻にも「清水道夫」と名乗っていたという。なお外見は似ても似つかぬコワモテであった。なお、この男は1996年に長野県内で「横浜銀蝿」のメンバーを騙った詐欺事件で逮捕された経歴があった。
    この事件が発生してまもなく本物のヴィレッジ・シンガーズが「思い出のメロディー」に出演。「ニセモノの方が歌は巧かった」ともっぱらの評判である。このVTRをみた清水は「似ているところもあったんじゃないの。ものまねタレントとしてなら多少は通用したかも」とコメントした。(出典:デイリースポーツでの後述の御代田町ライブの記事)
    翌年、前年カラオケ大会を共催した西軽井沢ケーブルテレビからの「グループサウンズを後世に残したい」とのオファーを受け、前夜祭に出演した。「私たちが本物のヴィレッジ・シンガーズです」と挨拶して雨の中でライブを披露した。

ディスコグラフィ[編集]

シングル

アルバム

  • グループ・サウンズの貴公子(1968年3月10日発売)
    旧メンバーによる2枚のシングルを新メンバーで再録した4曲を含む全12曲。ボーナストラック12曲を追加し『BEST&CULT』として1998年5月21日にCD化。
  • 海と空と愛と(1969年3月5日発売)
  • 青い果実(1969年11月発売)
  • 恋と女とむせび泣き(1970年6月発売)

参加アルバム

  • ゴールデン・フォーク(1966年11月発売)
    原田実とワゴン・マスターズのアルバムの14曲中9曲に合同演奏者として参加(全曲インスト)。オリジナルメンバーの古関も参加している。バンド名の表記はヴィレッジ・シンガース

出演映画[編集]

  • 『二人の銀座』(1967年日活
  • 『ザ・スパイダースのゴーゴー向こう見ず作戦』(1967年:日活)
  • 『東京ナイト』(1967年:日活)
  • 『君に幸福を』(1967年:東宝
  • 『ザ・スパイダースの大進撃』(1968年:日活)
  • 『思い出の指輪』(1968年:松竹
  • 『虹の中のレモン』(1968年:松竹)
  • 『小さなスナック』(1968年:松竹)
  • 『落葉とくちづけ』(1968年:松竹)

参考文献[編集]

  • 近代映画 1967年12月号 近代映画社 131頁 プロフィール部分のみ。
  • ヴィレッジ・シンガーズ BEST&CULT SRCL-4227 ソニー・ミュージック ブックレット1~2頁。

脚注[編集]

  1. ^ ゴールデン☆ベスト ヴィレッジ・シンガーズ MHCL229 ソニーミュージック ブックレット2頁。
  2. ^ かつて彼が経営するスナック「バン」で活動していた経緯から。
  3. ^ ゴールデン☆ベスト ヴィレッジ・シンガーズ MHCL229 ソニーミュージック ブックレット3頁。
  4. ^ 熱狂GS図鑑 黒沢進著 徳間書店 1986年1月刊 35頁。
  5. ^ グループサウンズ最高 柴田陽平著 ブレーン出版 1981年9月刊 306頁。
  6. ^ 「♪亜麻色の~」熱唱サギ男は“常習犯”ヴィレッジ・シンガーズのヴォーカル偽りカラオケ審査謝礼詐取
  7. ^ 熱狂GS図鑑 黒沢進著 徳間書店 1986年1月刊 34頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]