渡辺美佐 (芸能事務所社長)

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本来の表記は「渡邊美佐」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

渡邊 美佐(わたなべみさ、1928年9月25日 - )は、渡辺プロダクショングループ代表・株式会社渡辺プロダクション名誉会長、株式会社イザワオフィス代表取締役、芸能プロモーターマナセプロダクション社長・曲直瀬道枝は妹。

曲直瀬道三の子孫であり、現在は美佐の甥(弟の次男)の陽造が曲直瀬家の第16代当主である[1]。父方の祖父は山鹿旗之進で、山鹿素行の流れを引く[1]

来歴・人物[編集]

1928年、マナセプロダクション創業者曲直瀬正雄・花子夫妻の長女として横浜市に生まれ4人の妹、2人の弟がいる。母方の祖父の牧野暎次郎は日英の混血で、祖母は日米の混血[2]。母の花子はクオーターで英語に堪能であった[2]。母方の大叔父の牧野金三郎は『ハワイ報知』創刊者である[1]

横浜市の青木小学校からミッション系の捜真女学校に入学。1945年宮城県登米郡登米町疎開し、仙台市ミッションスクール宮城女学校に転入し、ここから東京都日本女子大学英文科に入学する。

1946年、母花子が仙台駐留のアメリカ軍基地に通訳として採用され、両親は仙台にマナセプロダクションの前身であるオリエンタル芸能社を設立する。学生時代より、アルバイトで学生バンドの通訳マネージャーをやり、主に進駐軍の王子キャンプに出入りする。

この頃、ジャズバンド・シックスジョーズのマネージメントを引き受け、リーダーの渡辺晋と知り合う。晋と美佐は、ショービジネスの世界を合理化・近代化し、日本の音楽とミュージシャンをレベルアップさせ国際的に通用するものにしようと考え、1955年1月、「渡辺プロダクション」を設立、ショービジネスの世界に近代化をもたらす。同年3月に晋と結婚。テレビ創世期の「シャボン玉ホリデー」は有名。また1958年日劇ウエスタンカーニバルなどを手がけ、マダム・ロカビリーの異名をとり、戦後のショービジネスのリーダー的存在となる。

ザ・ピーナッツの直接のマネージャーではなかったものの、行動を共にすることが多く、ザ・ピーナッツが日本国外で公演の際には美佐もサポート役として付き添いをすることも多かった。

2013年9月、一般財団法人産業遺産国民会議評議員となる[3]

係累[編集]

長女の渡辺ミキは、ワタナベエンターテインメント社長、渡辺プロダクション会長。次女の渡辺万由美はトップコート社長、渡辺プロダクション社長。元フジテレビジョン編成制作局バラエティ制作センター部長で現ワタナベエンターテインメント会長の吉田正樹はミキの夫。

渡辺美佐を演じた女優[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c Vol.7渡邊美佐(渡辺プロダクション会長)
  2. ^ a b 戸井十月『植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」』p.68
  3. ^ [1]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]