富司純子

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ふじ すみこ
富司 純子
富司 純子
本名 寺島 純子 (てらしま じゅんこ)
旧姓は俊藤 (しゅんどう)
別名義 藤 純子 (ふじ じゅんこ)
生年月日 (1945-12-01) 1945年12月1日(75歳)
出生地 日本の旗 日本和歌山県御坊市
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市東成区
血液型 O型
職業 女優司会者
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1963年 -
活動内容 1963年:デビュー
1972年:結婚、引退
1974年:司会者として復帰
1977年:出産・育児のため休業
1980年:復帰
1982年:女優復帰
1989年:映画出演再開
1998年:復帰後初めて映画主演
2007年紫綬褒章
2016年旭日小綬章
配偶者 七代目尾上菊五郎
著名な家族 寺島しのぶ(長女)
五代目尾上菊之助(長男)
主な作品
映画
サマーウォーズ
八州遊侠伝 男の盃
緋牡丹博徒シリーズ
日本暗殺秘録』/『日本女侠伝シリーズ』
日本侠客伝 昇り龍』/『女渡世人シリーズ』
関東緋桜一家』/『おもちゃ
テレビドラマ
源義経』/『翔ぶが如く
北条時宗』/『てっぱん
バラエティー番組
3時のあなた
備考
紫綬褒章2007年
旭日小綬章2016年
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富司 純子(ふじ すみこ、1945年12月1日[1]- )は、日本女優司会者血液型O型。和歌山県御坊市出身[2]。旧芸名は藤 純子(ふじ じゅんこ)。本名は寺島 純子(てらしま じゅんこ)、旧姓は俊藤(しゅんどう)。2007年平成19年)に紫綬褒章受章。2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章[3]

来歴[編集]

疎開先の御坊市で生まれ[2][4]、5歳の時に大阪市東成区へ移り[2][4]、7歳から日本舞踊を習う。大阪市立中道小学校大阪市立本庄中学校卒業[2]。父親・俊藤浩滋は家にはほとんど帰って来ない火宅の人で、母と祖母に苦労して育てられる[4]。中学のときに宝塚歌劇のファンになり、中学卒業時に宝塚音楽学校を受験しようと考えて、宝塚コドモアテネに通っていたこともあった。しかしながら、父の反対があり受験を断念[5]

1962年昭和37年)、四條畷学園高等学校2年生のときに[2]よみうりテレビの歌謡番組『ハイハイ、マヒナです』のカバーガールとして姉・允子と共に出演[2]。その当時は大阪の芸能プロダクションに所属していた[5]。同年一家が京都に転居したため[2]京都女子高等学校に転校[2]

1963年(昭和38年)、当時共演をしていた名和宏から「松竹のカメラテストを受けてみないか」と誘われ[4]松竹も東映も当時、京都に撮影所があったため[4]、両方行って父・俊藤浩滋にも会いに行こうとなり[4]、松竹の後、父の勤務先である東映京都撮影所(以下、東映京都)に行った際にマキノ雅弘スカウトされる[5][6]。俊藤は自分の仕事場に娘が出入りされるのが嫌で猛反対したが[6]、マキノが「俺が責任を持つから、お前は黙っていろ」と俊藤を屈服させた[6]。マキノから藤 純子の芸名をもらい、同年の映画『八州遊侠伝 男の盃』で千葉真一の恋人役でデビューした[1]。松竹のテスト結果は聞いていなかったが、もし松竹に入っていたら人生、全く違っていたと思うと話している[6]。元々、苦労して育ててくれた母を一日でも早く一人前になって楽にしてあげたいと考えていたから[4]、一人前になれれば、女優でなくても良かったという[4]。俊藤が東映に深く関わるのは岡田茂が1964年に東映京都所長に就任して以降で[7]、藤は「父が東映にいることもそれまでは知らなかった」と話している[4]。この年は朝日放送のコメディー『スチャラカ社員』の若い女給役で出演している。

1967年(昭和42年)、出演55本目の『尼寺(秘)物語』で初主演[8]1968年(昭和43年)、当時の東映常務兼企画製作本部長・岡田茂が企画した『緋牡丹博徒』の主役に抜擢される[9][10][11][12][13][14]。岡田が俊藤に気付かれないようこっそり藤を呼び[13]、「オヤジは照れてよう口説かんだろうけど、片肌脱げるか。そして入墨入れろ」と説得し[11][12][13]、藤は「分かりました」と即答した[11][12]。背に彫った緋牡丹の刺青を見せる『緋牡丹博徒』については、当初は肌を見せることに抵抗があり、出演を拒んでいたが、俊藤に説得されて渋々応諾したという経緯がある。しかし『緋牡丹博徒』の人気を直に感じて「父の凄さを初めて理解した」と回想している。同作で主題歌も歌い、映画も大ヒット[15][16]、任侠映画ファンを中心に絶大な支持を得て[2][11][17]、主人公・緋牡丹のお竜(矢野竜子役)は、藤の最大の当たり役となってシリーズ化された[15][18]若山富三郎菅原文太と共演した1970年昭和45年)の第6作目『緋牡丹博徒 お竜参上』はシリーズの代表作となった[1]。『緋牡丹博徒』の成功をみた岡田茂企画本部長は[14][19][20]、『日本女侠伝シリーズ』『女渡世人シリーズ』と合わせ、東映のトップスター・高倉健と並ぶ三つの主演シリーズを敷き[14][21]、藤は瞬く間にスターダムへ駆け上がり、東映の看板女優となった[14][22]

この頃出演した1969年(昭和44年)の『日本暗殺秘録』と1970年(昭和45年)の『日本侠客伝 昇り龍』を、二作品とも富司の主演ではない映画だが、富司は好きな作品として挙げている[23]

1972年(昭和47年)、NHK大河ドラマ源義経』で共演した歌舞伎俳優の四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)と結婚し、『関東緋桜一家』を最後に引退を表明[1]

1974年(昭和49年)、寺島 純子(てらじま じゅんこ)の本名でフジテレビのワイドショー『3時のあなた』の司会に就任し、「司会者」として芸能界に復帰。1977年昭和52年)より3年間、出産・育児のため番組を一時降板したが、1980年昭和55年)より復帰。歴代司会者では森光子に次いで2番目の長寿司会在任期間(10年11か月)となった。1983年昭和58年)には、NHK『勇者は語らず いま、日米自動車戦争は』で女優としても復帰。

1989年(平成元年)には、ファンのアンコールもあって高倉健との『あ・うん』で映画への出演を再開[1]。この際「白紙の新人女優としてスタートしたい」、「寺島は夫の名字」との意思から芸名を富司 純子(ふじ すみこ)に改めた。

1996年 (平成8年)『祇園の姉妹』で菊田一夫演劇賞受賞。

1998年(平成10年)『おもちゃ』で26年ぶりに映画に出演、各助演女優賞に輝く。

2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の10位になった。2014年発表の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本女優3位となっている[24]

2006年(平成18年)、映画『フラガール』で日刊スポーツ映画大賞助演女優賞を受賞。同賞の主演・助演賞の2冠は渡哲也真田広之鈴木京香に続き4人目[25]

2010年(平成22年)、連続テレビ小説てっぱん』で主人公の祖母役を演じ、ギャラクシー賞2011年度2月月間賞を獲得した。

家族[編集]

父は俊藤浩滋、夫は七代目尾上菊五郎、長女は寺島しのぶ、長男は五代目尾上菊之助

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

情報番組[編集]

ドキュメンタリー[編集]

  • 京都迎賓館 極める!京都の技とおもてなし(2013年12月14日(NHK BSプレミアム)、2014年1月3日(NHK総合))

バラエティ[編集]

声優[編集]

CM[編集]

受賞[編集]

作品 受賞年 カテゴリ 結果
緋牡丹博徒・お命戴きます 女渡世人・おたの申します 1971年 第17回キネマ旬報賞 女優賞 受賞
緋牡丹博徒・お命戴きます 1971年 第26回毎日映画コンクール 女優演技賞 受賞
あ、春 1999年 第24回報知映画賞 助演女優賞 受賞
ドリームメーカー 1999年 第24回報知映画賞 助演女優賞 受賞
おもちゃ 1999年 第42回ブルーリボン賞 助演女優賞 受賞
第45回キネマ旬報賞 助演女優賞
第12回日刊スポーツ映画大賞 主演女優賞
第23回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞 ノミネート
フラガール 2006年 第19回日刊スポーツ映画大賞 助演女優賞 受賞
第49回ブルーリボン賞 助演女優賞
第16回東京スポーツ映画大賞 助演女優賞
第30回日本アカデミー賞 最優秀助演女優賞 ノミネート
舞妓はレディ 2014年 第39回報知映画賞 助演女優賞 ノミネート[33]
トワイライト ささらさや 2014年 第39回報知映画賞 助演女優賞 ノミネート[33]
受賞年
2007年 VOGUE NIPPON Women of the Year 2007

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.68.
  2. ^ a b c d e f g h i #俳優全集568-570頁
  3. ^ “富司純子に旭日小綬章「結婚も子育てもすべてプラスになっている」”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2016年4月29日). https://www.sanspo.com/geino/news/20160429/geo16042905030008-n1.html 2019年11月19日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h i 石飛徳樹 (2017年1月16日). “人生の贈りもの わたしの半生 女優 富司純子(71)〔8〕 活発な幼少期父不在で苦労した母”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 4 
  5. ^ a b c 内野小百美 (2016年10月5日). “【富司純子 あるがまゝに】(2) マキノ監督と出会い女優の道へ”. スポーツ報知 (報知新聞社). オリジナルの2017年1月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170114102307/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161004-OHT1T50255.html 2017年1月14日閲覧。 
  6. ^ a b c d 石飛徳樹 (2017年1月17日). “人生の贈りもの わたしの半生 女優 富司純子(71)〔9〕 デビューも演技もマキノ監督に導かれ”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 5 
  7. ^ 俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、66-70頁。ISBN 4-06-209594-7
  8. ^ 「新映画ピックアップ」『近代映画』1968年2月号、近代映画社、 174頁。
  9. ^ 富司純子、岡田氏は「ゴッドファーザー」(Internet Archive)、福永邦昭 (2016年10月14日). “【今だから明かす あの映画のウラ舞台】女優編(上) 強烈すぎて封印、藤純子“緋牡丹”の入れ墨(1/2ページ)”. ZAKZAK (夕刊フジ). オリジナルの2016年10月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20161014094104/https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20161014/enn1610141550009-n1.htm 2021年1月16日閲覧。 
  10. ^ “私は今日から男になっとよ…映画「緋牡丹博徒」”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2016年2月29日). オリジナルの2016年10月15日時点におけるアーカイブ。. https://archive.vn/dGk2e 2021年1月16日閲覧。 相原斎『健さんを探して 最後の銀幕スターの秘密』青志社、2015年、122-125頁。ISBN 978-4-86590-007-1俊藤浩滋山根貞男『任侠映画伝』講談社、1999年、157-163頁。ISBN 4-06-209594-7「CORNER CORNER 父親に頭下げさせた藤純子」『アサヒ芸能』1968年8月25日号、徳間書店、 112頁。渡邊達人『私の東映30年』、1991年、148頁。
  11. ^ a b c d #女優富司157、200-201頁
  12. ^ a b c 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、154-156頁。ISBN 4-87932-016-1岡田茂『波瀾万丈の映画人生 岡田茂自伝』角川書店、2004年、167-170頁。ISBN 4-04-883871-7
  13. ^ a b c 野村正昭「欲望する映画 カツドウ屋、岡田茂の時代 これが映画だ、カツドウだ! 岡田茂が放った七本のシャシン 『緋牡丹博徒』」『キネマ旬報』2011年7月上旬号、キネマ旬報社、 45頁。
  14. ^ a b c d 今村三四夫 (1971年11月13日). “今週の日記から『藤純子の婚約発表落穂集』”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4 
  15. ^ a b 東映チャンネル5月 『緋牡丹博徒』シリーズ、4ヵ月連続放送スタート!
  16. ^ “【続報】 北大路欣也、富司純子思い出語る”. 日テレNEWS24 (日本テレビ). (2011-05-1O). オリジナルの2021年1月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210116092410/https://www.news24.jp/articles/2011/05/10/08284688.html 2021年1月16日閲覧。 
  17. ^ 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕(Internet Archive)、緋牡丹博徒 |一般社団法人日本映画製作者連盟任侠映画(にんきょうえいが)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2021年1月16日閲覧。
  18. ^ 伝説の美女、魅惑の独演 昭和の銀幕に輝くヒロイン 第35弾 藤純子 ラピュタ阿佐ヶ谷
  19. ^ 渡邊達人『私の東映30年』、1991年、148頁。岡田茂『クロニクル東映 1947―1991』2、東映、1992年、44頁。“【訃報】“任きょう映画の父”が87歳で”. tv asahi 芸能&ニュース (テレビ朝日). (2011年5月9日). https://www.tv-asahi.co.jp/smt/f/geinou_tokuho/hot/?id=hot_20110509_060 2020年9月25日閲覧。 
  20. ^ “"女ケンゲキ映画"時代 剣とエロが見せ場 【大映、東映、松竹が競う】 恥も外聞も捨てて... まかり通る女上位劇画”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 5. (1969年5月28日) 
  21. ^ 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年、48頁。ISBN 978-4104609017岡田茂(東映・相談役)×福田和也「東映ヤクザ映画の時代 『網走番外地』『緋牡丹博徒』『仁義なき戦い』の舞台裏は 」『オール読物』、文藝春秋、2006年3月、 217-218頁。
  22. ^ 「映画界のドンが語る『銀幕の昭和史』 岡田茂」『新潮45』2004年9月号、新潮社、 204頁。東映株式会社映像事業部(企画・編集)「「品田雄吉の東映映画史」、「任侠映画全盛へ 昭和40年~昭和47年 アンチマイホーム主義と共に…」『東映映画三十年 あの日、あの時、あの映画』東映、1981年、135頁。
  23. ^ 内野小百美 (2016年10月12日). “【富司純子 あるがまゝに】(6) 9年間で映画出演91本 1日3度の新幹線移動も”. スポーツ報知 (報知新聞社). オリジナルの2017年1月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170114103119/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161011-OHT1T50292.html 2017年1月14日閲覧。 
  24. ^ オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優”. KINENOTE. キネマ旬報社 (2014年12月). 2016年9月23日閲覧。
  25. ^ nikkansports.com (2006年12月5日). “富司純子が4人目の2冠/映画大賞”. 2009年2月20日閲覧。
  26. ^ “岡田准一と西島秀俊が時代劇で初共演、木村大作の監督3作目「散り椿」”. 映画ナタリー. (2017年5月24日). http://natalie.mu/eiga/news/233834 2017年5月24日閲覧。 
  27. ^ 天海祐希、沢村一樹と“偽装夫婦” 遊川氏脚本の大人のラブストーリー!”. ORICON (2015年8月27日). 2015年8月27日閲覧。
  28. ^ 青木崇高×松尾スズキ、『曾根崎心中』誕生秘話を創作”. ORICON STYLE (2015年10月26日). 2015年10月27日閲覧。
  29. ^ “『竹内涼真の撮休』全8話のあらすじと共演者を発表 主題歌は平井大”. ORICON NEWS (oricon ME). (2020年9月26日). https://www.oricon.co.jp/news/2172931/full/ 2020年12月30日閲覧。 
  30. ^ サマーウォーズ”. マッドハウス. 2016年6月7日閲覧。
  31. ^ “映画『海獣の子供』芦田愛菜、窪塚洋介の息子・愛流らが声優”. シネマトゥデイ. (2019年3月13日). https://www.cinematoday.jp/news/N0107439 2019年3月13日閲覧。 
  32. ^ a b c 富司純子のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2016年11月26日閲覧。
  33. ^ a b “【報知映画賞】「るろうに剣心」最多7ノミネート”. スポーツ報知. (2014年11月13日). オリジナルの2014年12月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141205234841/http://www.hochi.co.jp/entertainment/feature/hochi_eigashou/20141112-OHT1T50312.html 2014年12月1日閲覧。 
  34. ^ 受賞者一覧、山路ふみ子文化財団、2016年10月7日閲覧。
  35. ^ 第38回日本アカデミー賞最優秀賞発表!、日本アカデミー賞公式サイト、2015年1月15日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]