太陽を盗んだ男

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太陽を盗んだ男
監督 長谷川和彦
脚本 長谷川和彦
レナード・シュナイダー
原作 レナード・シュナイダー
製作 山本又一朗
製作総指揮 伊地智啓
出演者 沢田研二
菅原文太
池上季実子
北村和夫
音楽 井上堯之
撮影 鈴木達夫
編集 鈴木晄
製作会社 キティ・フィルム
配給 東宝
公開 日本の旗 1979年10月6日
上映時間 147分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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太陽を盗んだ男』(たいようをぬすんだおとこ)は、1979年10月6日に公開された日本の映画長谷川和彦監督によるアクション映画。製作はキティ・フィルム、配給は東宝

概要[編集]

「原爆を作って政府を脅迫する」という奇想天外なアイデアの日本映画。マツダの車両提供による大掛かりなカーアクション(沢田が劇中で運転したマツダ・サバンナは当時新型で惜しげもなく破壊している。)、国会議事堂や皇居前をはじめとしたゲリラ的な大ロケーション、シリアスで重い内容と、ポップでエネルギッシュな活劇要素が渾然となった作品である[1][2][3][4]。原子爆弾製造や皇居前バスジャックなど、当時としてもかなりきわどい内容となっている[5]

主演は「ジュリー」の愛称で歌手としても知られる、沢田研二。主人公が原爆完成の嬉しさのあまり、ガイガーカウンターをマイク代わりにしてはしゃぐシーンは、沢田のアドリブだという[6]。2001年にはアミューズピクチャーズ(現:ショウゲート)からDVD化され、映像特典として『11PM』(読売テレビ制作)による本作の特集や長谷川監督の友人でもある上田正樹が本作のロケ地を案内する番組、本作の熱烈なファンを自認する永瀬正敏樋口真嗣が長谷川に挑むスペシャル・トーク・セッションなどが収録された[7]

本作は長らく(現在も)カルト映画の位置付けで[8][9]、『狂い咲きサンダーロード』との邦画2本立ては、1980年代名画座定番プログラムであった[10]。しかし、近年では一般的な評価も高めており[2][11]、1999年キネマ旬報「映画人が選んだオールタイムベスト100」日本映画篇では13位、2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」〈日本映画史上ベストテン〉では歴代第7位に選ばれている。1970年代以降の作品としては、『仁義なき戦い』の第5位に次ぐものである[11][12][13]

あらすじ[編集]

中学校の理科教師である城戸誠(沢田研二)は、茨城県東海村原子力発電所から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自室でハンドメイドの原爆を完成させた。そして、金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置き去り、日本政府を脅迫する。

誠が交渉相手に名指ししたのは、丸の内警察署捜査一課の山下警部(菅原文太)。かつて誠がクラスごとバスジャック事件に巻き込まれた時、体を張って誠や生徒たちを救出したのが山下だった。誠はアナキズムの匂いのする山下にシンパシーを感じていたのだ。誠の第1の要求は「プロ野球ナイターを試合の最後まで中継させろ」。電話を介しての山下との対決の結果、その夜の巨人大洋戦は急遽完全中継される。快哉を叫ぶ誠は山下に名乗った。俺は「9番」だ、と(当時、世界の核保有国は8か国、誠が9番目という意味)。

第2の要求はどうするか思いつかずに迷う誠は、愛聴するラジオのDJ・ゼロこと沢井零子(池上季実子)を巻き込む。多数のリスナーも交えた公開リクエストの結果、誠の決めた第2の要求は「ローリング・ストーンズ日本公演」。これにも従わざるを得ない山下だったが、転機が訪れた。原爆製造設備のため借金したサラ金業者に返済を迫られた誠が、嫌々出した第3の要求「現金5億円」に山下は奮い立つ。現金の受け渡しなら犯人は必ず現れるからだ。電電公社に電話の逆探知時間を強引に短縮させ[14]、罠を仕掛ける山下。逆探知により誠が東急デパートの屋上にから電話をしていることが判明し、東急デパートの出入口を警察が封鎖する。誠は山下に原爆の在り処を教え、持ってきていた5億円を屋上からばら撒くことを指示する。お札が空から降ってきて大騒ぎになっている街の中を誠は逃げ切ることに成功する。

原爆を回収した山下たちは起爆装置を解除することに成功したが、誠は原爆が保管されているビルの4階を襲い、原爆を奪取すると再び起爆装置をセットする。

ローリングストーンズ公演の日、山下は観衆の中に誠がいると踏み、ついには山下と誠は対峙する。誠は山下に銃を突きつけ「原爆は30分後に爆発する」と脅迫。山下をビルの屋上まで連れて行って銃で撃つが、銃弾を何発も身に受けながらも、山下は誠ごと屋上から転落する。山下は死亡したものの、誠はどうにか生きながらえた。

瀕死の誠は原爆を持ちながら街を歩き、やがて30分が過ぎる。

キャスト[編集]

エンディングでは、菅原文太、沢田研二の順である。

受賞・選出[編集]

  • 1979年度キネマ旬報 日本映画ベストテン第2位
  • キネマ旬報読者選定邦画ベストテン第1位
  • 映画芸術誌ベストテン第3位
  • 2009年度キネマ旬報 オールタイムベスト映画遺産200(日本映画篇)<日本映画史上ベストテン>第7位[12][13]

制作の経緯[編集]

脚本[編集]

  • タイトルの『太陽を盗んだ男』はオリジナルストーリーを執筆したレナード・シュレーダーの妻、チエコ・シュレーダーの発案。「何でもない普通の青年が原爆を作って時の政府を脅迫する。その第一の要求は“テレビのナイター中継を最後まで放送しろ”だった」が元アイデア。(比較的初期の段階で、チエコがレナードの口述を日本語訳した「名前のない道」と題された手書きのシノプシスが岡本喜八の元に届けられていた。)原題は「The Kid Who Robbed Japan」で、日本語に訳したときに"Kid"にあたるいい日本語訳がなかったため「笑う原爆」というタイトルを予定していたが、東宝サイドが映倫の許可が下りないと難色を示したため、準備稿の段階ではひとまず「日本 対 俺」という仮題で製作を進め、「プルトニウム・ラブ」「日本を盗んだ男」とタイトルが転々と変わり、最終的に監督が原題をもじって「太陽を盗んだ男」とした[11][15]
  • 長谷川との共同脚本・レナード・シュレーダーは本作と同じ年に『男はつらいよ 寅次郎春の夢』を共同脚本。つまりシュレーダーは、この年最も過激な映画と最も保守的な映画を同時に手懸けていた。
  • 従来、原爆を素材とした日本映画は必ず被害者の側に立った陰々滅々たるものだった。しかし、この映画は加害者の側に立った上、それを日本映画には珍しいスケールの大きなエンタテイメントに仕立てた不謹慎極まるものだった[16]。主人公誠が原爆製造中に被爆するという設定は、実際に「胎内被爆児」である長谷川監督の発案で[16]、誠は加害者被害者になることをもって、初めてただの傍観者あるいは愉快犯ではなく、原爆神話の一登場人物として物語を自らの肉体で紡ぐことになる。「原爆」という題材にのみ過敏になって映画撮影中に抗議に来たある活動団体に対して、自分の「特別被爆者手帳」を見せて説明し、納得させたという[5]。しかし公開前のキャンペーンのテレビ番組で「ジュリーってゲンバクのように強〜イ男」という番組サブタイトルを使ってしまい、番組スタッフが抗議を受けるという場面もあった[7]

製作状況[編集]

  • 長谷川と菅原文太は以前から新宿ゴールデン街の飲み友だちで、長谷川からの出演依頼に菅原は「面白いじゃないか、やろうよ」と快諾し、菅原から「主役にはジュリーなんかどうなの?」との提案を受け、長谷川は沢田に出演交渉を行うが、沢田のスケジュールが1年半先まで埋まっていて、この後1年待って、3ヶ月スケジュールを空けさせて撮影した[17]
  • 冒頭のシーン、バスジャックのクライマックスは、伊藤雄之助扮するバスジャック犯が神風特攻隊の格好に日の丸鉢巻という出で立ちでバスを走らせるものである。このシーンは長谷川が後に語ったところによると「皇居前広場に無許可で忍び込んで一発撮りした、いわばゲリラ撮影だった」「思ったよりバスの速度が出なかったため、突撃とならず、皇居係員ものんびり誘導に出てきた程」「仕方がないのでコマを抜いて速く見せた」とのこと[5][17][18]。バスジャック犯の老人は、戦争で亡くした息子を返して貰うために昭和天皇に会わせろと要求するが、公開当時としては天皇関係のモチーフがこういう形で扱われたのは珍しかった[15]
  • 首都高でのシーンは、のろのろ走るクルマで流れを止めて、その前何キロかを空けて撮った。製作担当は延べ2、30名パクられているという[17]
  • それ以降のバス立てこもりシーン、皇居の堀に向かって手榴弾を投げるシーンなどは、よみうりランドに作ったセット撮影である[18]
  • 銀座(劇中は渋谷の設定)のビルからの1万円札(当然、劇用)撒きや、国会議事堂前、国会議事堂裏口のゲリラ撮影は相米慎二のB班が「逮捕され要員」として待機させられた[5]
  • ヘリコプターの足にぶら下がった山下がヘリから地上に落ちるシーンでは、高度がかなりの高さになっている。これは撮影時のミスで、本来5〜10メートルの高さから落ちるはずが、無線トラブルでヘリコプターが予定を超過し上昇しすぎたことが原因である。東京湾ヘドロに落ちて生還した山下役のスタントマンは、完成フィルムを見て自分の飛び降りたあまりの高さに驚き「嘘だろ! 冗談でしょ!」と顔面を引きつらせたという。笑うに笑えないジョークとして長谷川が紹介した[19]スタントマンは骨折したといわれる[20]
  • ヘドロが大量に浮かぶ東京湾には更に二人飛び込んでいる。当時の東京湾は今とは比べ物にならないほど汚かった。池上季実子は現場に到着するなり、長谷川監督から「池上さんが東京湾に放り込まれるシーンから撮影する」と言われ仰天した。そこは東京湾に面した高さ5メートルはある断崖。最も危険なシーンを最初に撮影するなど有り得ず、また衣装がダメになってもいいように最後に撮影するのが普通で、今の映画なら、ヒロイン役に及ぶ危険を避けるため、スタントマンを起用するケースであるが、これに池上のマネージャーと監督、スタッフとの緊急討論が持たれた。結果、「①リハーサルで助監督が飛び込んで安全を確認する②すぐ近くにお風呂を用意する」という妥協案でまとまり、池上もヘドロいっぱいの東京湾に飛び込んだという。「スタントなしで当時の東京湾に飛び込んだのは、今では20歳の貴重な思い出になっている」と池上は話している[21]
  • 猫がプルトニウムを食べるシーンの芝居が大変で、業者から「(殺しても代わりは)何匹もいますから」と言われたが、猫を殺すのが嫌で最終的にはマタタビを使った。相米が何百フィートも回して撮ったという[17][22]

エピソード[編集]

  • 第二の要求である「ローリング・ストーンズ日本公演」は、1973年の中止以来、当時としては多くの人々が望んでいながら、実現することなど夢のまた夢、と思われていた[5][23]。実現するのは、1990年になってからである。
  • アパートの自室を改造して爆弾製造、というのは1970年代中期の東アジア反日武装戦線などの左翼過激派と共通するが、政府に喧嘩を売る主人公が政治性のない要求ばかりを並べたことについて長谷川は、「1979年ですから、ジュリーに言わせてる台詞でも「わたしは過激派なんかじゃないわよ」という感じで、過激派は地に落ちているころだから、そんな要求を出せる元気があるやつはいないんだ。逆に、過激派のように徒党を組まないでもこの兄ちゃんは一人でタイマン張ってるぜ、みたいなということが自慢だったわけでね。」と当時の「しらけ」た空気を語っている[24]。他方で「天皇に直訴する」という老バスジャック犯の姿を描くことで当時の「しらけ世代」と旧世代のギャップを強調した[25]
  • ボブ・マーリィの曲にあわせて、踊りながら爆弾を製造するシーンを撮影したが、まだ楽曲提供に関する問題をクリアしていなかった。長谷川は、いいシーンが撮れたので、カットしたくはないと考えていたが、予算は限られている。そんなとき、たまたま撮影を見学に来た内田裕也に事情を相談したところ、二つ返事で、レコード会社との交渉を買って出てくれた[26]。(ただし、内田の交渉の内容が、意味不明だったため、レコード会社の担当者が直接、長谷川に連絡を取り、長谷川は改めて事情を説明している)結果、レコード会社は曲の宣伝というかたちで楽曲の使用を許可してくれた。

評価[編集]

興行成績[編集]

  • 本作は、全国100館以上で鳴り物入りで封切られたが、都市部で大入り、地方で惨敗。結果、興行的には成功をみなかった[11][26]
  • 映画評論家・轟夕起夫は自著で「振り返ると1979年とは、日本映画史上とても重要な年であったと思う。というのも、今後語り継がれてゆくであろう活劇ムービー、『太陽を盗んだ男』と『ルパン三世 カリオストロの城』が公開された年だからだ」「一部に熱烈に評価されたものの"79年" は決して恵まれた興行成績を得られなかったこの二作。しかし歴史は自らの誤りを認め、改めて審判を下し直し、時を経るにつれ、どちらもオールタイムベストの常連となった」等と述べている[27]
  • 映画ジャーナリスト大高宏雄は、『太陽を盗んだ男』のような娯楽大作映画[28]を興業的に成功させるには、その映画のクオリティだけでは不十分で角川映画なみの型破りな宣伝力も必要だったと指摘している[29]
  • 映画評論家樋口尚文は1997年5月の朝日新聞夕刊の連載企画「わが青春のヒーロー」に本作の主人公「城戸誠」をとりあげて愛を語っているが、(「しらけ世代」参照)、さらに著作『『砂の器』と『日本沈没』1970年代日本の超大作映画』(筑摩書房 2004年)で一章をさいて『太陽を盗んだ男』を詳細に分析、「メディア漬けの消費社会が生む劇場型の少年犯罪カルト教団の暴走などが現実のものとなった1990年代半ば以降、本作の先取りした人間像や世界観は、よりわれわれ自身に近いものに感じられるようになったのではないか」「本作は古びるどころか、むしろ『現在的な映画』であり続ける」などと激賞している[15]
  • 助監督だった相米慎二は映画の評判がいくら良くても、子供に受けなかったのでヒットしなかったと答えている[30]

後世への影響[編集]

本作は後進のクリエイターに大きな影響を与えている[31]

脚注[編集]

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  1. ^ ハイパーリアルを盗んだ男 in フクシマ - キネマ旬報社
  2. ^ a b 太陽を盗んだ男 - 映画の企画・製作 | Tristone Entertaiment Inc.
  3. ^ 早稲田松竹2007/10/6~2007/10/12
  4. ^ 『太陽を盗んだ男』~はじめてのジュリー~ by 浅川奈美
  5. ^ a b c d e シネマミサイル抜粋版 - 立命館大学映画研究会 郡山翔平執筆分
  6. ^ DVD特典映像・インタビューより。
  7. ^ a b c d 太陽を盗んだ男
  8. ^ 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2007年最新版』 ぴあ、2006年、p363
  9. ^ 第8回:ベーシストにお薦めの映画紹介vol.3 『太陽を盗んだ男』の巻
  10. ^ 大槻ケンヂ『オーケンの、私は変な映画を見た!!』 キネマ旬報社、2004年、p61
  11. ^ a b c d e 太陽を盗んだ男 - 宮崎映画祭公式ブログ
  12. ^ a b 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開(2009年12月15日時点のアーカイブ)、『キネ旬ムック オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)』キネマ旬報社、2009年12月、p1-20
  13. ^ a b 1位は東京物語とゴッドファーザー キネ旬がベスト10 - Asahi
  14. ^ 代わりに実施中は東京中の電話が不通になると言う。
  15. ^ a b c 樋口尚文『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』筑摩書房、2004年、p240-252
  16. ^ a b 『映画100物語:日本映画篇 1921〜1995』読売新聞社、1995年、p180-181
  17. ^ a b c d 河瀬直美「太陽を盗んだ男」を見て長谷川和彦に聞く! - TwitLonger
  18. ^ a b DVD特典映像・監督インタビューより。
  19. ^ 「とっておきのいい話 ニッポン・ジョーク集」 文春文庫、1989年、p206
  20. ^ 第40回:『太陽を盗んだ男』 【映画の名車】:日刊カーセンサー
  21. ^ 東京スポーツ連載-女優デビュー40周年回顧録「池上季実子 あら?もう40年?!」連載⑲、2013年2月8日
  22. ^ 暴行・撮影死…動物タレントたちの悲惨な扱い - ライブドアニュース
  23. ^ 2003年 04月 04日 22時 37分 39秒 - SPINET-INSIDE SPIRITS
  24. ^ 『表現者の成功とは? 長谷川和彦さんに聞く』 木野評論Vol.31 特集:頑張らない派宣言 p.94~102」(2000年3月15日) 聞き手●鈴木隆之長谷川和彦全発言
  25. ^ 「太陽を盗んだ男」は要求のない時代に生きる俺自身のメッセージだ。 [ 聞き手 西村雄一郎 キネマ旬報1979年10月下旬号]長谷川和彦全発言
  26. ^ a b 轟夕起夫『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』河出書房新社、2002年、p240-241
  27. ^ 『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』、p233
  28. ^ 娯楽大作映画を考える上で、70年代の3本の重要な映画として、興行的に成功した『日本沈没』、失敗した『太陽を盗んだ男』・『新幹線大爆破』をあげている。
  29. ^ 大高宏雄 『日本映画逆転のシナリオ』 WAVE出版、2000年4月24日、82頁。ISBN 978-4-87290-073-6
  30. ^ キネマ旬報社 『シネアスト相米慎二』 キネマ旬報社、2011年11月10日、58頁。ISBN 978-4-87376-380-4
  31. ^ a b 長谷川和彦監督が35年間新作を撮っていない理由とは
  32. ^ 水道橋博士 映研活動中の博士のDVD棚を発見
  33. ^ 山口亮太 (2013年2月9日). “ドキプリこぼれ話① ...”. Twitter. 2014年1月3日閲覧。
  34. ^ 児玉裕一監督直伝!ミュージック・ビデオの創り方 | white-screen.jp
  35. ^ 井上潤哉. “[Power Push] アニメ「惡の華」原作者・押見修造と監督・長濱博史が対談 (1/3)”. コミックナタリー. ナターシャ. 2013年4月6日閲覧。
  36. ^ 大根仁が世界に伝えたい日本の名画
  37. ^ 志事人 #14 映画監督 タナダユキ | ポプラビーチ
  38. ^ 吉田豪 秋元康と鈴木おさむの違いを語る『秋元康は根はサブカル』
  39. ^ 【寺島進おれの1本】第1回『太陽を盗んだ男』・第2回 ... - シネマトゥデイ』
  40. ^ 三浦大輔(銀杏BOYZ)と三浦大輔(ポツドール) - CINRA.NET -シンラ
  41. ^ トラウマ映画館|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー

関連項目[編集]

  • 天国に一番近い男 - 2000年12月29日放送のスペシャル版のサブタイトルが「天国に一番近い男VS太陽を盗んだ男」

外部リンク[編集]