新宿ゴールデン街

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新宿ゴールデン街
—  飲食店街  —
G2通りに設置されている新宿ゴールデン街の看板
花園交番通り公道上より撮影)
新宿ゴールデン街の位置(東京23区内)
新宿ゴールデン街
新宿ゴールデン街
新宿ゴールデン街の位置
日本の旗 日本
都道府県 東京都の旗 東京都
市区町村 Flag of Shinjuku, Tokyo.svg 新宿区
面積
 - 計 0.00661157km2 (0mi2)
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 160-0021
市外局番 03
ナンバープレート 練馬

新宿ゴールデン街(しんじゅくゴールデンがい)は、東京都新宿区歌舞伎町1丁目にある飲食店街。

概要[編集]

夜のG2通り花園交番通り公道上より撮影)

東京都新宿区に所在する飲食店街である。およそ2000坪ほどの狭い区画に低層の木造長屋が連なっており、200軒以上の小さな飲食店が密集している。文壇バーなど個性豊かな店も多く、常連客として作家編集者映画監督俳優といった文化人が多く集まることで知られている。このような背景から、東京におけるサブカル文化アングラ芸術の発信地のひとつとなっている。

1980年代後半のバブル経済の最盛期には激しい地上げに見舞われたが、飲食店の店主ら有志が「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」を結成し、団結して地上げや再開発への反対運動を展開した。1990年代に入るとバブル崩壊により地上げは終息したが、地上げに屈して閉店した空き店舗が多数放置され、一時は客足も滞ったことから、さながらゴーストタウンのようになった。そのため、飲食店により構成される組合が中心となり、街の活性化やインフラの整備などを推進してきた。2000年代に入ると新規出店が相次ぐようになり、客足も戻ったことから、再び活気を取り戻した。近年では、ヨーロッパなど欧米からの観光客が、多く訪れることでも知られている。

なお、区画内の路地私道であるため、路上での写真動画撮影には所定の手続きが必要とされている。

地理[編集]

新宿ゴールデン街周辺の地図

新宿ゴールデン街は、東京都新宿区の一角にある飲食店街である。花園神社にほど近く、第二次世界大戦後に建てられた木造長屋建ての店舗が、狭い路地をはさんでマッチ箱のように並んでいる。を花園交番通り、西四季の道東京電力角筈変電所、をテルマー湯に囲われた区画である。区画内の路地には、それぞれG1通り、G2通り、あかるい花園一番街、あかるい花園三番街、あかるい花園五番街、あかるい花園八番街、まねき通りといった名称がつけられている[1][2]。もともとは、G1通りとG2通りのみがゴールデン街と呼ばれていたが、この名が全国的に有名となったことから、現在は区画一帯を総称して新宿ゴールデン街と呼んでいる。

あかるい花園一番街より北側の店舗は新宿三光商店街振興組合を組織しており、南側の店舗は新宿ゴールデン街商業組合を組織している。新宿三光商店街振興組合のエリア内の路地は全て私道であるため、路上での無断撮影は禁じられており、撮影時は事前申請のうえ腕章着用など所定の手続きが必要となる[3][4]。近年では、私有地であるはずの路上にて、無許可で写真動画の撮影を行う者がおり、問題となっている。ただし、新宿三光商店街振興組合に加盟する店舗の者に頼んで、スナップ写真記念写真などを直接撮影してもらう場合は、申請が不要とされている[4]。ただ、その場合も、当該写真を商用利用する場合は、申請が必要となる[4]。なお、路上ではなく店舗内での撮影については、店舗側の許諾を得れば問題ないとされている[4]

なお、新宿ゴールデン街の区画全体が、花園神社の氏子地域となっている。そのため、花園神社の神札熊手を祀る店舗が多い。

沿革[編集]

前史[編集]

新宿ゴールデン街の起源は、太平洋戦争終結後の混乱期にできた闇市を端緒とする[5][6]。当時の東京都淀橋区四谷区(いずれも現在の新宿区)周辺では闇市が軒を連ねており、新宿駅の東側には関東尾津組による「新宿マーケット」が広がっていた[5][6]。その後、新宿マーケットは屋台を中心とした飲み屋街に変貌し、「竜宮マート」と呼ばれるようになった[5][6]。しかし、1949年連合国軍総司令部が闇市撤廃を指示するに至り[5]東京都庁警視庁は各店舗に対して翌年までの移転を命じた[6]。それにともない、闇市の各店舗は、代替地として新宿区三光町(現在の歌舞伎町1丁目と新宿5丁目の一部)の一帯に移転することになった[5][6]。この一帯が、のちに新宿ゴールデン街と呼ばれるようになる。

青線地帯[編集]

当時の三光町は繁華街から離れた場所であり、ほとんどの店が飲食店の名目で赤線まがいの営業をしていた。風俗営業法の許可を取らないもぐり営業のため、俗称で青線と呼ばれた。歌舞伎町付近にはこれ以外にも青線が集まっており、都内でも有数の売春街であった。しかし、1958年売春防止法施行により、青線営業を行っていた店は全て廃業した。

文化人の街[編集]

昼の新宿ゴールデン街
ネオンが煌めく夜の新宿ゴールデン街

1958年の売春防止法施行後は飲み屋が密集する街となり、「新宿ゴールデン街」と呼ばれるようになった。なお、1978年住居表示実施にともない、従来の三光町という地名は消滅し、歌舞伎町1丁目と新宿5丁目とに分割再編された。新宿ゴールデン街を含む一帯は、歌舞伎町1丁目の一部となった。

新宿ゴールデン街の店は、文壇バーゲイバー(特に女装バー)、ボッタクリバーの3つに分類できるとも言われた。店内は3坪または4.5坪と狭く、カウンターに数人並ぶと満席になる。文壇バーには、作家ジャーナリスト編集者らが集まり、熱い議論や喧嘩を繰り広げる場所でもあった。バーが営業を始める時刻以降に行けば、誰かしら著名ライターに逢える地域でもある。1976年には、小説家中上健次が第74回芥川龍之介賞を、ノンフィクション作家佐木隆三が第74回直木三十五賞を、それぞれ同時に受賞したが(いずれも1975年度下半期受賞)、両名とも新宿ゴールデン街の常連客だったため、この街の名が全国的に報道された[5][6]。その結果、新宿ゴールデン街は文化人の集う街として広く知られるようになり[5][6][7]、「文化人たらんとする人間にとってゴールデン街に馴染みの店を持つことは必須」[5]とまで言われるようになった。また、作家、ジャーナリスト、編集者といった文筆業関係者だけでなく、映画監督劇団演出家男優女優モデルなどにも常連客が多かった。

このころの常連客としては、漫画家赤塚不二夫イラストレーター黒田征太郎[8]作曲家武満徹[8]、編集者の岡留安則、小説家の色川武大田中小実昌[9]長谷川四郎[10]団鬼六[11]野坂昭如、映画監督の大島渚若松孝二[8][12]撮影監督姫田真佐久[13][14]、俳優の菅原文太原田芳雄[15][16]石橋蓮司[15][17]松田優作[15][16]緑魔子[17]、などが知られている。さらに、ジャーナリスト立花隆[18]声優柴田秀勝[19]外波山文明[20][21]コメディアン内藤陳[18]、といった著名人経営するバーも数多く営業していた。また、新宿ゴールデン街のバーで働いていた者の中からも、歌人俵万智[22]、小説家の馳星周[18]、といった著名な活躍をする者が現れた。さらに、日本国外からも文化人が集まるようになり、特に映画監督のクリス・マルケル[23]ヴィム・ヴェンダース[23][24]侯孝賢[23]テオ・アンゲロプロス[23]、にいたっては、来日する度に必ず毎回新宿ゴールデン街を訪れるほどであった。このように、多様な文化人が集まったことから、サブカル文化アングラ芸術の発信地となっている。この街を嚆矢とする文化、生活習慣、芸術運動なども多く、レンタルカフェPicture Yourself Sound Schoolなどが挙げられる。

地上げと再生[編集]

バブル経済の最盛期には地上げ屋に狙われ、放火事件などもあった。これに反対する店のオーナーは「新宿花園ゴールデン街を守ろう会」をつくって団結し、地上げや再開発に反対する活動をした。そのため、地上げに反対する店は何度も放火と思われる不審火にみまわれた。この街に愛着を持つ者も多く、現在でも1950年代の雰囲気を残す場所として残そうという動きが続いた。

バブル崩壊により地上げは終わったが、今度は地上げにより閉店した店がほったらかしの状態になった。景気も悪くなり客足もさらに遠のき、ゴーストタウンのようになった。しかし、店のオーナーらが団結し、区に道路、下水、ガスなどのインフラ整備を申し入れたため、区の支援を受けて大規模な整備が行われた。このインフラ整備により、若者たちが新たな店を出すようになり、再び空き店舗がどんどん減っていった。店のオーナーらが団結し、客足がもどるような活動を展開した。その結果、新宿ゴールデン街が再び生まれ変わった。

地域の再開発を進めるため、2006年5月、新宿ゴールデン街の一部(南側)と靖国通り沿いの地権者らによる「歌舞伎町一丁目東地区街づくり協議会」が設立された。

登場作品[編集]

映画[編集]

  • いまおかしんじ監督『つぐない――新宿ゴールデン街の女』 - 新宿ゴールデン街を舞台としている
  • 広崎哲也監督『さらばゴールデン街』 - 新宿ゴールデン街を舞台としている

漫画[編集]

音楽[編集]

働いていた人物[編集]

新宿ゴールデン街で働いていた経験を持つ人物を五十音順に記載し、括弧内に代表的な職業を併記した。ハイフン以降は新宿ゴールデン街での主要な職歴を記載した。なお、現職、元職、双方を記載しているため、現時点では働いていない者も含んでいるため注意されたい。

脚注[編集]

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  1. ^ 新宿三光商店街・ゴールデン街全店舗配置図2014年11月25日
  2. ^ 「店舗検索」『新宿ゴールデン街』誠美興業。
  3. ^ 「撮影について――申請が必要です。」『新宿三光商店街振興組合 公式HP 新宿ゴールデン街.jp』新宿三光商店街振興組合。
  4. ^ a b c d 「撮影に関して」『ゴールデン街とは|ザ・ゴールデン街』UNI。
  5. ^ a b c d e f g h 「ゴールデン街の歴史」『新宿ゴールデン街』誠美興業。
  6. ^ a b c d e f g 「街の歴史」『ゴールデン街とは|ザ・ゴールデン街』UNI。
  7. ^ 小川美千子文「人がいて酒がある光と闇の興亡史――木造酒場をめぐる夢のあとさき」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、125頁。
  8. ^ a b c たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、58頁。
  9. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、48頁。
  10. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、50頁。
  11. ^ 小川美千子文「3坪ほどの店内には対局室だってちゃんとある――一歩」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、55頁。
  12. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、109頁。
  13. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、56頁。
  14. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、85頁。
  15. ^ a b c たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、90頁。
  16. ^ a b たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、91頁。
  17. ^ a b たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、103頁。
  18. ^ a b c d e f 小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、25頁。
  19. ^ a b c 突風柴田秀勝
  20. ^ a b c クラクラ紹介』劇団椿組。
  21. ^ a b 川口有紀文「古き良きゴールデン街がここに――クラクラ」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、36頁。
  22. ^ a b 川口有紀文「古き良きゴールデン街がここに――クラクラ」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、37頁。
  23. ^ a b c d たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、108頁。
  24. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、111頁。
  25. ^ 弘兼憲史部長島耕作講談社
  26. ^ a b 小川美千子文「ちあきなおみを聞きながら気分は昭和へ――夜間飛行」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、34頁。
  27. ^ a b c d e f NORICO「ゴールデン街探訪〜マチュカ・バー〜」『⊂[TOTE | COLUMN | わたくしごとですが]』TOTE。
  28. ^ a b 奥山彰彦、草原克芳・塚田吉昭インタビュー「東京ガラパゴス・タウン――新宿ゴールデン街が見ていた戦後日本」『カプリチオ』35号、二都文学の会、2011年7月6日、4頁。
  29. ^ 「奥亭――ゴールデン街に開店して今年で30周年」『奥亭日本テレビ放送網
  30. ^ 小川美千子文「懐かしくて新しいネオノスタルジックな空間――奥亭」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、102頁。
  31. ^ 西野太生輝執筆「チャラン・ポ・ランタンインタビュー――小春ママの毒舌放談」『チャラン・ポ・ランタン インタビュー 〜 小春ママの毒舌放談 〜 « フジロックフェスティバル公式ファンサイト fujirockers.org』。
  32. ^ 桜田容子・横山薫取材・文「謎多き実姉妹アーティスト、チャラン・ポ・ランタン――コミュ障の姉が大道芸人になるまで」『謎多き実姉妹アーティスト、チャラン・ポ・ランタン――コミュ障の姉が大道芸人になるまで | 日刊SPA!扶桑社2016年1月19日
  33. ^ 川口有紀文「ゴールデン街にシャンソンの響き――ソワレ」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、89頁。
  34. ^ a b 川口有紀文「話題のロリータ・クラシックユニットが経営――すみれの天窓」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、78頁。
  35. ^ a b 大塚幸代「超初心者のための新宿ゴールデン街入門!」『@nifty:デイリーポータルZ:超初心者のための新宿ゴールデン街入門!ニフティ
  36. ^ 大塚幸代「超初心者のための新宿ゴールデン街入門!」『@nifty:デイリーポータルZ:超初心者のための新宿ゴールデン街入門!ニフティ
  37. ^ 小川美千子文「人がいて酒がある光と闇の興亡史――木造酒場をめぐる夢のあとさき」小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、124頁。
  38. ^ 「東陽片岡氏がマチュカで、おスナックナイト第3だん!!」『東陽片岡氏がマチュカで、おスナックナイト第3だん!! | マチュカバー』マチュカ・バー、2010年10月20日
  39. ^ たむらまさき青山真治『酔眼のまち――ゴールデン街 1968〜98年』朝日新聞社2007年、49頁。
  40. ^ 小川美千子・川口有紀執筆『新宿ゴールデン街・花園街案内』ダイヤモンド社2008年、42頁。
  41. ^ 私のことはせゆり子
  42. ^ 奥村健太郎・中川義和「水野しずインタビュー(前編)――ミスiDを獲得した人の心を喰らう“鬼”」『水野しず インタビュー(前編) | Page 2 of 2 | 2.5D』2.5D、2014年10月25日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度41分38秒 東経139度42分17秒 / 北緯35.69389度 東経139.70472度 / 35.69389; 139.70472