ラジカル鈴木

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ラジカル 鈴木(らじかる すずき、1966年11月7日 - )は、日本のイラストレーター

人物・来歴[編集]

エピソード[編集]

  • 偏食と深夜型の不規則な生活がたたり20歳から35歳の間に40kgの体重が増加、のち37歳までに23kgの減量に成功。綴った手記は婦人公論Hanako等の雑誌の記事や、書籍にまとめられる。
  • にんにく好きが高じて、妻が考案したレシピが新聞日刊ゲンダイの連載になり、書籍にまとまる。
  • 銭湯サウナ等の公衆浴場を毎日利用している。現在までに入った銭湯は都内を中心に300軒以上。東京都公衆浴場業環境衛生同業組合の冊子「1010」巻頭インタヴューや雑誌TARZAN、日刊ゲンダイ等に登場し、独自の楽しみ方や、公に知られざるお薦めの銭湯紹介、健康的入浴法のレクチャーなどを展開。川崎市浴場組合連合会のPR制作物も手がける。
  • ミュージシャンのプリンスの長年の大ファンであり、同じくプリンスのファンとして知られるイラストレーター安斎肇とイベントで共演経験がある。1986年の初来日・横浜公演は共に行って観ていた。2003年にはプリンスのスタジオのあるミネソタ州ミネアポリスまでライブを観に行った。2004年はNY公演も観る。
  • フジテレビはじめて記念日」に家族で出た際、ベールに包まれていた本名がテロップで出てしまい困惑した。
  • 三兄弟の末っ子で、他界した父親と、2人の兄すべてが事業主の一家である。
  • 2005年結婚の、当時玩具メーカー勤務だった妻とは、中目黒の人気店「中目黒卓球ラウンジ」で出会った。鈴木は卓球はほとんどできず、ただ飲み食いに来ていた。
  • 2008年に倒産した自費出版専門の新風舎から、会社側からの依頼企画で自費でない初作品集「RADICAL」を2001年に刊行したが、本人の納得のいかない不本意な出来に終り、当時から同社の業務姿勢に疑問を感じていたという。しかし本人がそれぞれに依頼した巻末の解説はプロデューサー榎本了壱、元マガジンハウス編集者石関善次郎、福富忠和が執筆し、充実している。
  • 2008年初旬に初めて包丁を持ったにも関わらず、大手ABCクッキングスタジオの丸の内本社でにんにく料理レシピの講師をした。おそらく歴代の料理経験最短の講師である。レシピ考案は妻。
  • 半年で退職した際、若気の至りで思い立ったその日に退職してしまった。当時を振り返って、デザイン会社の社長には申し訳ないことをしたと語っている。
  • デジタルクリエーター的イメージで売り出したが、実際はメカ等にあまり興味のない、どちらかというとアナログ人間であった。現在も最新のテクノロジーは、だいぶ後になってからフォローしているのが実情らしい。
  • 日本全国に、健康のためのにんにくの新しい食べ方と常識の改革、さらなる普及のための活動を行なう「にんにく大使」の顔を持つ。

受賞歴[編集]

主な著書[編集]

イベント・展覧会歴[編集]

  • 1992年ギャラリーハウス・マヤで初個展。同ギャラリーで '93 年 '95年 '97年も。1995年に初のCG作品発表。
  • 1997年ドイツ、ベルリンのギャラリー・ベルリン・トウキョーで初海外個展。オリジナルポスター、ポストカード16種制作販売し完売。
  • 1997年リクルートの年末チャリティ企画、ガーディアン・ガーデン「200人のこだわり温度計展」参加、以降2009年まで参加。

「三角CLOCK展」「開運・銀座だるま祭」「Watch 2001」「ハッピーアンブレラ200」「TAKO KITE」「MINI MINI MOTOR SHOW」「JEANSE SHOP GINZA」「ECO BAGS SAVE THE EARTH」(凧展)「GOOD DESIGN GOOD SENSU」(扇子展)「お茶にしませんか?」(カップ&ソーサー展)「傘日和」「てぬぐいTOKYO」

講演・出演歴[編集]

代表作品[編集]

  • 読売新聞社主催 開催地国立科学博物館他 「大顔展」 宣伝ヴィジユアル
  • テンプスタッフ ジョブチェキ! キャラクターデザイン
  • 吉本興業 プッチモニ ちょこっとラブ プロモーションビデオイラスト
  • 第三舞台 舞台コーマ・エンジェル (『天使は瞳を閉じて』の東京公演)キャラクターデザイン
  • 松竹映画 OL忠臣蔵 宣伝ヴィジュアル
  • 文学座  舞台「Louge」宣伝ヴィジュアル
  • CD ポップタスチック・コンバセーション(ドイツ)ジャケット

出版・書籍

雑誌表紙・エディトリアル・挿し絵

外部リンク[編集]