復活の日

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復活の日』(ふっかつのひ)は、小松左京1964年に書き下ろしで発表した日本のSF小説である。また、同作を原作に、(旧)角川春樹事務所とTBSの製作により、1980年6月に東宝系で公開されたSF映画である。英題は“Virus”。

概要[編集]

殺人ウイルスと核ミサイルの脅威により人類死滅の危機が迫る中、南極基地で生き延びようとする人々のドラマを描いた作品。バイオテクノロジーによる破滅テーマの本格SFとしては日本ではこれが嚆矢になった。執筆当時の香港かぜの流行、東昇の『ウイルス』、カミュの『ペスト』『戒厳令』、南極には風邪がないと記された岩波新書の『南極越冬記』、また冷戦時代の緊張下で同じく人類滅亡を扱ったネビル・シュートの『渚にて』を下敷きとしている[1]。本作で地震について調べたことが、代表作『日本沈没』にも繋がったという[2]。そして、福島正実の企画による早川書房の初の日本人SF作家による長編シリーズ「日本SFシリーズ」の第1巻となった[3][4]

小松にとっては『日本アパッチ族』(光文社)に次ぐ長編第2作であり、ハードSFの書き下ろしとしては第1作といえる[5]。題名は当初は考えておらず[註 1]、掲載するに当たって急遽思いついたのだという。

SF作家の堀晃は、日本のSFのレベルを引き上げたと高く評価した[6]。評論家の石川喬司は、細菌兵器による終末テーマのSFの代表的な作品の一つとして扱っている[7]

2009年には、新井リュウジ[註 2]による児童向けのリメイク作品として、『復活の日 人類滅亡の危機との闘い』がポプラ社から出版された(ISBN 978-4-591-11137-6)。時代を2009年以降の21世紀初頭に移しており、それに伴うものや児童向けを理由とする改変がされているが、大筋では原作のストーリーそのままである。新井は「児童向けの翻訳」であるとうたっている。

小説あらすじ[編集]

1969年2月、イギリス陸軍細菌戦研究所で試験中だった猛毒の新型ウイルス「MM-88」が職業スパイによって持ち出される。スパイの乗った小型飛行機は吹雪のためアルプス山中に墜落し、ウイルス保管容器は砕け散る。春が訪れ気温が上昇すると「MM-88」は大気中で増殖を始め、全世界に蔓延した。はじめは家畜の疫病や新型インフルエンザと思われたが、心臓発作による謎の突然死が相次ぐ。おびただしい犠牲者を出してなお、病原体や対抗策は見つからず、人間社会は壊滅状態に陥る。半年後、夏の終わりには35億人の人類を含む地球上の脊椎動物の殆どが絶滅してしまう。

僅かに生き残ったのは南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた原子力潜水艦[註 3]「ネーレイド」号や「T-232」号の乗組員たちだけであった。過酷な極寒の世界がウイルスの活動を妨げ、そこに暮らす人々を護っていたのである。隊員らは国家の壁を越えて「南極連邦委員会」を結成し、絶望の中から再建の道を模索する。16名の女性隊員は種の存続のため、妊娠・出産が義務化される。また、アマチュア無線で傍受した亡き医学者の伝言からウイルスの正体を学び、ワクチンの研究が始まる。

「災厄の年」から4年後の1973年、日本観測隊の地質学者、吉住(よしずみ)は旧アメリカアラスカ地域への巨大地震の襲来を予測する。その地震をホワイトハウスに備わる「ARS(自動報復装置)」が「敵国」の核攻撃と誤認すると、旧ソ連全土に核弾頭付きICBMが撃ち込まれること、更には、これを受けてソ連の「ARS」も作動し、南極基地も標的になりうることが判明する。ARSを停止するため決死隊が選抜され、2隻の原子力潜水艦でワシントンモスクワへ送られる。吉住と米軍のカーター少佐はホワイトハウス地下の大統領危機管理センターへ侵入するが、ARSにたどり着く寸前に地震が発生し、スイッチ停止に失敗する。核ミサイルの自動発射システム同士による報復合戦で世界は2度目の死を迎える。しかし、幸いにも南極へはミサイルが飛来せず、その上、中性子爆弾の爆発によってMM-88から無害な変種が生まれ、皮肉にも人類を救う結果となる。

それから6年後、南極の人々は南米大陸南端への上陸を開始し、小さな集落を構えて、北上の機会を待っていた。ある日、服は千切れ、髪や髭はボサボサ、今にも倒れ果てそうな放浪者が現れる。それは、核攻撃を生き延び、ワシントンから徒歩で大陸縦断を敢行してきた吉住だった。精神を病みながらも、仲間のもとへ帰ろうとする一念で生還した吉住を、人々は歓呼で迎えるのだった。

用語[編集]

MM-88
MMとは「火星の殺人者(マーシアン・マーダラー、Martian Murderer)」の頭文字、88は継代改良した88代目の菌種を意味する。
米国の人工衛星が宇宙空間から持ち帰った微生物をもとに、フォート・デトリック(メリーランド州フレデリックにある陸軍感染症医学研究所の通称)で生物兵器として使える可能性が研究されていた。その原種「RU-308」がイギリスへ持ち出され、ポーツマス近郊の英国細菌戦研究所にてグレゴール・カールスキィ教授が改良を行った。カールスキィは職業的倫理観や良心の咎め、MM-88が万が一にも外に漏れた場合の人類滅亡の可能性を思ううちにノイローゼとなり、MM-88株をチェコスロヴァキアのライザネウ教授に送り、東西合同で対抗薬品を研究・開発させる事を思い立つ。しかし職業スパイに騙され、CIAへ横流しされそうになった所で、スパイたちの乗る連絡機がイタリアのアルプス山中に墜落し、MM-88菌は世界にばら撒かれる結果になった。
絶対低温・絶対真空の宇宙空間に存在していたMM-88は、地球上の環境では強烈な増殖率を持つ。摂氏マイナス10度前後から萌芽状態にもかかわらず増殖し、マイナス3度以上で100倍以上、摂氏5度以上で毒性を持ち始めるが、その段階の増殖率は、マイナス10度段階の20億倍。増殖率・感染率・致死率が高すぎるため弱毒化して「実用化」を目指していたが、MM-88はレガシーのMM-87比で2000倍の毒性を獲得してしまった。
MM-88は増殖・感染する核酸のみの存在[註 4]で、ブドウ球菌に似た特定の球菌を媒介としてインフルエンザウイルスを含む「ミクソウイルス群」に寄生し、宿主となるウイルスの増殖力・感染力を殺人的に増加することで大規模な蔓延を引き起こす。体内に侵入すると神経細胞染色体に取り付き、変異を起こした神経細胞は神経伝達物質の生成と伝達を阻害され、感染者は急性の心筋梗塞様の発作を起こして死亡するか、急性全身マヒに陥って死亡する。
発熱・咳・頭痛・関節の痛みといった諸症状から、世間では新型インフルエンザ「チベット風邪」の大流行と思われていた。しかし、細菌でもウイルスでもないMM-88にはワクチン抗生物質も効果がなく、ウイルスに寄生するメカニズム、増殖・感染する核酸という理論すら知られないまま防疫体制は崩壊する。フォート・デトリックでRU-300系列を研究していたマイヤー博士は、世界をMM-88の惨禍が襲う中でその正体がRU-308であると気づいたが、時既に遅く、破滅を食い止めることはできなかった。南極の科学ブレーンの一人、ド・ラ・トゥール博士により、半ば偶然に発見された唯一の対抗手段は、原子炉内での中性子線照射によって生まれた人体には無害な変異体[註 5]によって、MM-88の増殖を抑える事だけであった。しかし、ARSの存在によって、MM-88は予想外の運命を迎える。
ARS(Automatic Reaction (Revenge) System)
米国の狂信的な反共軍人・ガーランド中将(映画での階級は統合参謀本部議長)が反共主義のシルヴァーランド前大統領[註 6]と共に造り上げた「全自動報復(または「反応」)装置」。相互確証破壊戦略の確度を上げるため、軍の施設がソ連の攻撃を受けて破壊された場合、その施設と一定時間の通信を行い、応答が無い場合はソ連へ向けて報復のための全面核攻撃を全自動で実施するシステム。ホワイトハウスイーストウイング大統領危機管理センターにある切り替えスイッチにより作動する。
反動政治家シルヴァーランドの時代は恐怖政治が猛威を振るい、米ソは全面戦争の一歩手前まで行っていたという[註 7]。その為、対抗上ソ連側も全く同じARSシステムを保有せざるを得なかった[註 8]。そしてシルヴァーランドは南極にも極秘で軍事基地を建設しており、これを知ったソ連側も南極を核ミサイルの射程に置かざるを得なかった。
後任のリチャードソン大統領はARSシステムを廃棄しようとしたが、ガーランド以下、軍内部の反共勢力の強硬な反対により果たせず、全面軍縮を実現させてからARSを無用の長物と化してしまおうと目論んでいた。その矢先に世界は「MM-88」によって滅亡したが、ガーランドは「MM-88」の蔓延をソ連の生物兵器による攻撃であると頑なに信じ込み、死の直前にシステムのスイッチを入れ起動させていた。
ワシントンへ赴いた吉住とカーター少佐の目的は、起動している可能性のある[註 9]ARSが、大地震によるアラスカ方面の軍事施設の破壊を核攻撃と誤認して作動するのを防ぐために、スイッチを切る事にあった。だが、2人が停止スイッチを押そうとした瞬間にARSは作動してしまい、ARSは無人のソ連本土へと全面核攻撃を始めてしまう。
WA5PS
病原体の性質を突き止めたアメリカの医学者A・リンスキイが使用するアマチュア局コールサイン。エンドレステープを使い、ウイルス解析のヒントを放送し続けた。この情報が南極を守る事となった。
小松左京の没後、このコールサインが指定されていないことが判明し、小松左京事務所に許可を求めた上で「小松左京記念局」として免許された[8]。2012年10月26日の夜より、WA5PS/KHØ(メキシコ国境地域で免許され、マリアナへ移動している扱い)として運用されている。

映画[編集]

復活の日
監督 深作欣二
脚本 高田宏治
深作欣二
グレゴリー・ナップ
原作 小松左京
製作 角川春樹
出演者 草刈正雄
オリヴィア・ハッセー
ジョージ・ケネディ
緒形拳
夏木勲
千葉真一
渡瀬恒彦
森田健作
多岐川裕美
音楽 テオ・マセロ
羽田健太郎
主題歌 ジャニス・イアン
「You are love」
撮影 木村大作
編集 鈴木晄
製作会社 角川春樹事務所/TBS
配給 東宝
公開 日本の旗 1980年6月28日
上映時間 156分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
英語
ドイツ語
配給収入 24億円[9]
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角川春樹事務所とTBSが共同製作し、東宝が配給した1980年の日本映画。アメリカ大陸縦断ロケや南極ロケを敢行し、総製作費は25億円とも32億円ともいわれたSF大作映画である[10][11]。本来は1980年の正月映画として封切り予定だったが、製作の遅れから公開に間に合わなくなった。そのため『戦国自衛隊』が正月作品として取って代わり、本作は半年遅れで公開された[12]

企画[編集]

本作より以前、1965年に映画化企画があがっているが、合作でないと日本では無理との東宝の判断で英訳され、20世紀フォックスへ渡されている。その後、当時フォックスに出入りしていたマイケル・クライトンが4年後の1969年に類似テーマの『アンドロメダ病原体』を出版。ベストセラーとなり、映画化もされ小松を驚嘆させた[13][14]

1970年代角川春樹が社長に就任した角川書店では角川文庫を古典中心からエンターテインメントに路線変更を図り、特に日本のSF小説に力を入れていた。本作も早川書房から刊行されていたものを、1975年に角川文庫から再刊した[13]。また当時、角川は映画製作事業も開始しており、いわゆる角川映画の一作として白羽の矢が立った。角川春樹は社長に就任するとすぐ小松に文庫化を依頼し、映画化の際には小松に「これを映画化するために会社を継いだ」と語ったという。角川春樹は自著でも「映画製作を行うようになったのは『復活の日』がきっかけ」[15][16][17]、「この作品を作ることができれば、映画作りを辞めてもいいと。それくらいの想いがありました」[18]と述べている。

企画開発は1974年に始まる。海外展開を視野に原作を英訳し、ジョン・フランケンハイマージョルジ・パン・コストマスらパニック映画の監督にシノプシスを送ったが関心を得られず[19]。角川春樹はヤクザ映画を多く撮ってきたからミスマッチという周囲の猛反対の声をおして、深作欣二を監督に起用[20]。撮影監督は東宝専属だった木村大作。小松左京の『日本沈没』を監督した森谷司郎も『復活の日』をやりたがっていたが、「監督は深作欣二か。大作と合うよ」と、『動乱』『漂流』で起用予定だった木村を送り出した[21]。その他、深作監督の下、日活と東宝と東映からなる日本人スタッフとカナダ人の混成チームが組まれた[22]

キャスティングも主演の草刈正雄ら日本人俳優とジョージ・ケネディオリヴィア・ハッセーら外国人スターが共演し、英語台詞が多用された。

撮影[編集]

1978年冬に90日間、5千万円をかけたロケハンを敢行。撮影には1年以上をかけ、日本国外のロケに費やした日数は200日、移動距離14万km、撮影フィルム25万フィートを数えた。撮影隊はアメリカ大陸の北はアラスカから南はチリまで移動し、マチュ・ピチュ遺跡でも撮影を行った。

35mmムービーカメラで南極大陸を撮影したのはこの映画が世界初である。南極ロケについては40日をかけて、それだけで6億円の予算がかかった[23]。当初は、日本の北海道ロケで済まそうという話もあったが、木村大作はそれなら降りると主張し、深作欣二のこだわりもあって、南極ロケが実施された[11][24]。小松でさえ、映画化の話を聞いたときはアラスカグリーンランドでロケをするのだろうと思っていたという[25]

南極ロケではチリ海軍から本物の潜水艦シンプソンと哨戒艦ピロート・パルドをチャーターした[26]。1979年12月末、撮影スタッフや観光ツアー客の住まいとなった耐氷客船リンドブラッド・エクスプローラー号 (MV Explorer (1969)が座礁・浸水し、チリ海軍に乗員が救出されるという事故が発生[26]共同通信の記者が乗り込んでいたことから一般ニュースとして日本で報道され[27]、『ニューヨーク・タイムズ』の1面でも報じられるなど、話題には事欠かなかった[28][29]。世界各地の様子を知るために、昭和基地アマチュア無線で情報収集をする様子が描かれている。

壮大なスケールの原作の映像化にふさわしく、当初14億円から15億円の予定だった製作費は、南極ロケの実施により18億円になり、最終的には25億円に達した[11]

反響・評価[編集]

1980年の邦画興行成績では黒澤明監督作品『影武者』に次ぐ24億円の配給収入[30]を記録するヒット作となるものの、製作費が巨額だったため、宣伝費等を勘案すると赤字であったとされる。本作がきっかけとなって、角川映画は1970年代の大作志向から、1980年代薬師丸ひろ子ら角川春樹事務所の所属俳優が主演するアイドル路線のプログラムピクチャーに転換した[31][32][33]。アメリカ人スタッフによる編集で海外版を制作したものの、海外セールスは好調とはいかなかったとされる。

角川春樹は「配収は自分が予想したよりも全然少なかった。それに海外マーケットが成立しませんでした」「自分の夢は一旦成立し、これで勝負は終わったんだと。ここから先は、利益を上げる映画作りへシフトしようと考え方を変えたんです」と振り返っている[34]

これまでに『日本沈没』『エスパイ』などが映画化されている小松であるが、本作を非常に気に入っており、自作の映画化作品で一番好きだという[35][36]。映画評論家の白井佳夫は、1980年の日本映画のワーストテンとして本作を選出[37]。深作ファンだった井筒和幸は作品の出来に落胆し[38]押井守は「小松左京は『日本沈没』を除けば映画化に恵まれなかった」との感想を述べている[39]

角川と共同製作したTBSは、1980年4月から放送した連続テレビドラマ『港町純情シネマ』の第10回「復活の日」(1980年6月27日放送)で、西田敏行演じる映写技師が本作の場面を流すタイアップを行なった。放送日は映画公開前日だった。

2011年3月16日3月20日V☆パラダイスで放送予定していたが、直前に起こった東日本大震災への考慮で放送中止となった。

2012年に「角川ブルーレイ・コレクション」の一作品としてブルーレイディスク化。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

南極日本隊
南極アメリカ隊
南極ソ連隊
南極ノルウェイ隊
各国南極観測隊
ネレイド号乗組員
T232号乗組員
日本本土
アメリカ本土

受賞歴等[編集]

原作小説からの変更点[編集]

映画版[編集]

  • 「災厄の年」は原作では1969年(刊行から5年後)だが、映画では1982年(公開から2年後)に設定されている。
  • MM-88は「フェニックス計画」という遺伝子操作による生物兵器開発により生成されたが、研究所から盗み出された。その後、東ドイツライプツィヒの陸軍細菌研究所からクラウゼ教授によって持ち出され、アメリカのスパイの手に渡ったが、スパイのセスナ機がアルプス山中で墜落した。マイヤー教授がメリーランド大学細菌研究所から防衛監視委員会に告発しようとしたが、ランキン大佐によって精神病院に入院させられてしまい、後にバークレイ上院議員によって解放されたが、大統領の手によって極秘事項にされた。
  • ウイルスの大流行は「イタリア風邪」と呼称される(原作の最初の発生地点と同じ。ただし映画ではカザフスタンが最初の発生地点となっている)。
  • リチャードソン大統領から南極の人々に「聖域を離れてはならない」というメッセージが送られる。南極に生き残った隊員は863人と大幅に少ない(うち女性は8人)。
  • 原作の則子は吉住を取材した新聞記者だが、映画では吉住が日本に残してきた恋人(看護婦)で、身籠っていた吉住の子供を流産する。
  • 原作のマリトは吉住と親子ほどの年齢差のある老女。映画では赤子を育てながら吉住を慕うヒロイン(オリヴィア・ハッセー)になっている。
  • 南極にいる原子力潜水艦はネレイド号のみ(T-232号は乗員に患者が発生し撃沈される)。ARS停止作戦で赴くのはワシントン(ホワイトハウス)のみ。大地震はアラスカではなくワシントンを襲う。
  • カーター少佐は地下指令室の扉を爆破する作業中の事故が原因で死亡する。原作では毒蛇に噛まれたことが致命傷となる。
  • ARS作動後、ソ連の核ミサイルが南極基地に命中する。南米大陸へ渡れたのは、先に砕氷船で避難していた女性・子供ら少人数。
  • 中性子爆弾によるMM-88の無害化という説明はない。南米大陸へ渡った人々はラ・トゥール博士が開発したワクチンを打っている。

外国語版[編集]

  • 尺が短くなっている。
  • 日本本土のシーンがほとんどカットされている。
  • エンディングシーンにつながる放浪シーンを冒頭に置くなど、シーンの順序が入れ替えられている(例えば、南極に潜水艦が登場するシーンは、日本版では南極連合会議が女性観測隊員への暴行事件等に関する事項の審理中に登場するが、外国語版では創設会議中に登場する事など)。
  • 登場人物の行動の理由が変更されている箇所がある(例えば、辰野隊員の失踪シーンは、日本版では息子の声の幻聴で基地を飛び出すが、外国語版では無線交信を行っていたアメリカのニューメキシコ州の少年の拳銃自殺の直後になっているなど)。

ジュニア小説[編集]

  • 時代の進歩にあわせて、作中登場する固有名詞が変更されており[註 10]、インターネットの活用や国際宇宙ステーションの生き残りとの交信といった要素を登場させている。ただし、原子力砕氷船「しれとこ」や南極基地の原子力発電所など、一部の描写は敢えて残したと文末に書かれている。
  • ニューメキシコ州の子供の通信の直後に辰野と真沢が殴り合いになるシーンなど、一部の場面は映画版から採られている。また、映画版そのものが『破滅の日』のタイトルで作中に登場する。
  • 世界を原作よりは早く、苦痛の無い姿であっけなく全滅させ描写の悲惨さをおさえている。
  • MM-88は欧米では「悪魔風邪」、日本では「チベット風邪」と呼ばれており、別々の新型ウイルスと考えられていたため、対策が遅れたと描かれている。
  • 吉住の恋人・則子を、吉住の妹に変更している。最期の描写も原作と異なる。
  • アメリカ大統領リチャードソンは、原作とは違い当初はタカ派人物として描かれている。また、陸軍の元少佐で、ガーランドは元の階級が自分より低いことを理由にARSの作動を命じて最後は射殺する。
  • ネーレイド号とT-232号の乗組員が感染しなかった理由が新しく追加されている。
  • 吉住がラストシーンで帰還したときの脳障害の描写を「ひどい精神の疲れ」と言い換えるなど、悲惨な描写を抑えている。
  • 原作で描かれた「子孫を残す」ことや、決死隊の出発前夜の女性との同衾の描写については、性的な描写を描いていない。
  • 原作ではド・ラ・トゥール変種と呼ばれていたMM-88の変異体に「RSS65」という名称が与えられている。
  • 作品の結末は、原作には無い吉住の帰還からさらに数年後の場面である。

[編集]

  1. ^ 小松は題名を考えずに小説を書く。小松は後に、自身が題名を考えずに小説を書いたために時空がゆがんでしまうという内容のSF長編『題未定』を発表している。
  2. ^ 本作がペンネームをあらいりゅうじから変更して初の作品である。
  3. ^ 原子力潜水艦は通常の潜水艦と異なり、艦内の空気を長期間自己完結させるほか、海水電解で空気を精製させることが出来るため。詳しくは同項目を参照。
  4. ^ 小説発表時にはこのようなものは知られていない、空想上の病原体であったが、後に高等植物に感染するウイロイド細菌に感染するプラスミドなどの「増殖・感染する核酸」の実在が知られるようになった
  5. ^ 映画版ではワクチンとして扱われている
  6. ^ 『復活の日 人類滅亡の危機との闘い』では1980年代の元大統領となっており、彼の死後ARSは存在すら忘れられかけていたと言及されている。
  7. ^ 原作では、「ケネディの選んだ道を強引に引き返した」とされ、保守的な軍人でさえも「アメリカの後進性に絶望」した。観測隊員の一人が“20世紀のアッティラ”“ホワイトハウスのネロ”とまで評している。
  8. ^ 細部が異なるが「自動報復装置」として実在する。相互確証破壊#旧ソビエト連邦の自動報復システム参照
  9. ^ 映画ではネレイド号が通信によって作動を確認して、マクラウド艦長が不審に思ったと語っている。
  10. ^ たとえばプロ野球の「巨人X東映」が「X中日」に。東映はのちに球団名も変わり、北海道日本ハムになっている。

参考文献[編集]

  1. ^ 小松左京『SFへの遺言』光文社、1997年、p.124。
  2. ^ 小松左京『小松左京のSFセミナー』集英社文庫、1982年、p.221.
  3. ^ 小松左京『小松左京自伝 ――実存を求めて――』日本経済新聞社出版社、2008年、pp.63,130-134.
  4. ^ 福島正実『未踏の時代』早川書房、1977年、pp.136-145.
  5. ^ ハルキ文庫版『復活の日』「巻末インタビュー」、角川春樹事務所、p439.
  6. ^ 堀晃「復活の日 作者と作品」『世界のSF文学・総解説』自由国民社、1992年増補版、pp.246-247.
  7. ^ 石川喬司『IFの世界』毎日新聞社、1978年、p.201.
  8. ^ 「小松左京マガジン第45巻」(角川春樹事務所発売、2012年4月発行、ISBN978-4-7584-1196-7)に取得に関する顛末記が掲載されている。
  9. ^ 1980年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  10. ^ 永塚敏「'80日本映画界トピックス」『シネアルバム 日本映画1981 '80年公開映画全集』佐藤忠男、山根貞男責任編集、芳賀書店、1981年、p.189
  11. ^ a b c 生江有二「阿修羅を見たか 角川春樹と日本映画の20年 第8回 白夜の中で」『週刊ポスト』1998年5月22日号、p.159
  12. ^ 「邦画新作情報」『キネマ旬報』 1979年5月下旬号、p.180
  13. ^ a b 小松左京「巻末インタビュー」『復活の日』ハルキ文庫、1998年、ppp.442-443
  14. ^ 小松左京『SF魂』新潮新書、2006年、p.141
  15. ^ 『SF魂』p.141
  16. ^ 角川春樹『試写室の椅子』角川書店、1985年、pp.126,137.
  17. ^ 『SF魂』p.159.
  18. ^ 清水節・角川春樹 『いつかギラギラする日:角川春樹の映画革命』、角川春樹事務所、2016年、105頁。
  19. ^ 清水・角川『いつかギラギラする日』、105-106頁。
  20. ^ 「FRONT INTERVIEW NO.157 角川春樹」『キネマ旬報』2008年6月下旬号、p.6
  21. ^ 木村大作、金澤誠『誰かが行かねば、道はできない 木村大作と映画の映像』キネマ旬報社、2009年、pp.78-79
  22. ^ 木村・金澤(2009年)、p.82
  23. ^ 生江有二「阿修羅を見たか 角川春樹と日本映画の20年 第8回 白夜の中で」『週刊ポスト』1998年5月22日号、p.160
  24. ^ 金澤誠聞き手・文「風にふかれて気のむくままに 木村大作「劔岳 点の記」への道、」第5回「復活の日」篇1『キネマ旬報』2009年1月上旬号、キネマ旬報社
  25. ^ 角川書店版「あとがき」より)
  26. ^ a b 清水・角川『いつかギラギラする日』、110-111頁。
  27. ^ 富山省吾「プロデューサー・田中友幸の思い出」『ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』木原浩勝、志水俊文、中村哲編、角川書店、2010年、p.134
  28. ^ 深作欣二、山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年、pp.374-384.
  29. ^ 金澤誠聞き手・文「風にふかれて気のむくままに 木村大作「剣岳 点の記」への道、」第6回「復活の日」篇2『キネマ旬報』2009年1月下旬号、キネマ旬報社
  30. ^ "1980年配給収入10億円以上番組". 日本映画製作者連盟. 2016年11月30日閲覧。
  31. ^ 樋口尚文『『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画』筑摩書房、2004年、pp.223-p230.
  32. ^ ひげじい「キネマの天地とハリウッドに見る20世紀の映画事情」『20世紀死語辞典 20世紀死語辞典編集委員会編』太田出版、2000年、p.276.
  33. ^ 磯田勉「角川映画のアイドル戦略」『別冊映画秘宝VOL.2 アイドル映画30年史』洋泉社、2003年、p.97
  34. ^ 清水・角川『いつかギラギラする日』、116-117頁。
  35. ^ 『小松左京自伝』p.330.
  36. ^ 『SF魂』p.148.
  37. ^ 松浦総三『スキャンダラスな時代 80年代の週刊誌を斬る』幸洋出版株式会社、1982年、p.78
  38. ^ 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、p.78
  39. ^ 『完全読本さよなら小松左京』徳間書店、2011年、p.279

関連項目[編集]

外部リンク[編集]