いつかギラギラする日
いつかギラギラする日 | |
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The Triple Cross | |
監督 | 深作欣二 |
脚本 | 丸山昇一 |
製作 | 奥山和由 |
出演者 |
萩原健一 木村一八 多岐川裕美 荻野目慶子 石橋蓮司 千葉真一 |
音楽 |
菱田吉美 小川尚子 長谷川智樹 |
撮影 | 浜田毅 |
編集 | 川島章正 |
製作会社 |
日本テレビ放送網 バンダイ 松竹第一興行 |
配給 | 松竹 |
公開 |
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上映時間 | 108分 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
配給収入 | 4.3億円[1] |
『いつかギラギラする日』 は、1992年(平成4年)9月に公開された、日本のアクション映画である。深作欣二監督。
概要[編集]
1980年代は主に女性映画や文芸映画を撮ってきた深作欣二が、当時映画界の有力プロデューサーだった松竹の奥山和由と組んで、久しぶりにアクション映画に挑戦した作品である[2][3]。製作は、日本テレビ放送網、バンダイ、松竹第一興行。配給は松竹。当初の予算は3億円ほどだったが、大量の車破壊、火薬の大量使用、銃撃シーンの多さから、予算は「11億円」まで膨張してしまった。また興行成績もふるわなかった。キャッチコピーは「頭蓋骨まで熱くなる。」。
萩原健一、石橋蓮司、千葉真一らのベテランギャングと、強盗ネタを持ち込む野心家の木村一八、裏切り者の荻野目慶子との間で現金争奪戦が展開される[4]。
北海道を舞台に爆破・カーチェイスを思う存分行った。北海道が舞台になっているが撮影当時、時期はずれの台風に襲われ、北海道のほかに神奈川県三崎漁港や木更津市でも撮影されている。
ヒロインを演じた荻野目慶子は愛人の河合義隆監督が自殺したスキャンダルから1年ぶりに本格復帰[5]、それまで清純派で売ってきた荻野目と木村のラブ・シーンも注目された。本作で荻野目は日本アカデミー賞助演女優賞を受賞[6]。そして、本作の撮影を機に、監督の深作欣二と不倫関係に陥った[5]。
当初は3億円の予算だったのが深作の粘りで4億8000万円となり、さらにパトカーを何十台も並べて壊すシーンのため車輌を買い取ることになり[7]、最終的に約11億円の製作費になった[8]。しかし興行的には当たらず、インタビュー本を作っていた映画評論家の山根貞男によると、深作はショックを受けたようだったという[2]。さらに本作のために制作会社も1社倒産した[8]。
1993年に「いつかギラギラする日2」として松竹から『非合法大陸』の製作が発表された。主演は岩城滉一と又野誠治だったが、発表の半年後に制作中止となった[9]。北海道を舞台とした「マッドマックス」ばりのバイオレンスアクションであり、オートバイ専門誌「ミスターバイク」にてエキストラ募集の記事が掲載された。
函館市でライブハウスシーンの撮影(実際は横浜の関内に会ったCLUB24yokohamaで撮影)に参加し、同名のまま劇中にも登場する実在のヘヴィメタルバンド「JACKS'N'JOKER」の恩田快人は、ファンである友人の付き添いでエキストラをしていたYUKIと知り合い、後にロックバンド「JUDY AND MARY」を結成した。
企画経緯[編集]
1980年代後半、松竹の奥山和由が深作にアクション映画の企画を持ち込み、佐木隆三原作の『旅人たちの南十字星』、『その男、凶暴につき』の原型である『灼熱』、『怪人二十面相』などが企画されるも実現しなかった[7]。そんな中で「どういうタイトルなら、いまの映画らしいか」という深作の問いかけに奥山が『いつかギラギラする日』を提案。奥山が角川と交渉してタイトルを譲渡してもらったのが本作となる[10]。
本作の台本を受け取った主演俳優萩原健一は、深作欣二監督に「これ、Vシネマみたいだよ」と不満を述べたが、尊敬する深作監督との映画初仕事のため引受けることにしたという[11]。 実際に主人公のモデルになった赤いスポーツカーに乗った金髪長身の不良がいて、当時松竹の関係者がたむろしていた小料理屋の息子らしくそこからモデル像を描いた裏話がある。
ストーリー[編集]
観光シーズンの洞爺湖。リゾートホテルの週末の売上金を札幌の銀行へ運ぶ現金輸送車が壮瞥町の郊外で襲われた。仕事に成功した犯人たちだが仲間割れに。鼻を潰された強盗<タタキ>のプロ、無軌道なロック青年とその恋人、ヤクザ組織に雇われたシャブ中の死神が絡んで悪党同士が殺し合うが、警察の圧倒的な機動力により包囲される。
仕事の度に手を組んでは、銀行強盗などを繰り返すギャングチームの神崎、井村、柴。ある日神崎と井村は柴から仕事を受け、北海道へ向かう。それは角町が持ち込んだ企画の現金輸送車強奪計画だった。4人は大胆な計画、暴走バイクを追いかける偽装白バイと偽装覆面パトカーを使って強奪に成功する。しかし肝心の現金は5千万しか入っていない。井村と角町はどうしても、緊急に5千万の現金を要していて、我が物にしようと仲間割れが……。
メインキャスト[編集]
- 神崎:萩原健一
- ギャングのボス。
- 角町:木村一八
- 函館のライブハウス刹那館のオーナー。
- 美里:多岐川裕美
- 神崎の女。
- 麻衣:荻野目慶子
- 柴の女。
- 井村:石橋蓮司
- ギャングの一員。在日韓国人。
- 柴:千葉真一
- ギャングの一員。
その他のキャスト[編集]
- 樹木希林:井村の女房。
- 八名信夫:室蘭のヤクザ。角町に金を貸している。
- 安岡力也:靴屋の主人。裏では銃刀器の売人。
- 原田芳雄:「タッちゃん」と呼ばれる殺し屋。
- 六平直政:モグリの整形外科医。
- 真木洋子
- 木下ほうか
- 神尾直子
- 鈴木隆仁
- 賀川黒之助
- ジャクスン・ジョーカー
メディア[編集]
- CD『いつかギラギラする日 ミュージック・ファイル』 1994年12月21日発売
- 発売元:バップ VPCD-81082 廃盤
- DVD『いつかギラギラする日』 2001年6月25日発売
- 発売元:バンダイビジュアル ASIN:B00005L82C
- 特典映像:特報・劇場予告編収録
- VHS『いつかギラギラする日』 1993年5月20日発売
- 発売元:バンダイビジュアル ASIN:B00005EFAB
挿入歌[編集]
- ジャクスン・ジョーカー
- 「WANDERER」 「DO OR DIE」
- (アルバム『SHUFFLE AND DEAL』 インディーズレーベル(ACID HEAD) 1990年7月15日発売 AH-001 廃盤)
- ※「DO OR DIE」はアルバム『JACKS'N'JOKER』(発売元:BMGビクター 1990年12月5日発売 BVCR-24 廃盤)にも収録
- 「BAD FRIENDS」
- (アルバム『INSIDE OUTLAW』 発売元:BMGビクター 1991年9月21日発売 BVCR-52 廃盤)
- 「FREEDOM LAND」
- (シングル 発売元:BMGビクター 1990年11月21日発売 BVDR-23 廃盤)
- ※上記アルバム『JACKS'N'JOKER』にも収録
- 萩原健一
- 「ラストダンスは私に」(徳間ジャパンコミュニケーションズ 廃盤)
- ※上記CD『いつかギラギラする日 ミュージック・ファイル』にも収録
スタッフ[編集]
- 製作者:奥山和由
- 企画:中川好久
- プロデュース:杉崎重美、鍋島壽夫、斉藤立太
- 監督:深作欣二
- 脚本:丸山昇一
- 撮影:浜田毅
- 美術:今村力
- 照明:渡邊孝一
- 整音:紅谷愃一
- 録音:信岡実
- 編集:川島章正
- 助監督:佐藤陸夫、初山恭洋、柏渕亘、松川貴志、菊地雄一
- 撮影応援:柳島克己、栢野直樹、図書紀芳
- 音楽:菱田吉美、小川尚子、長谷川智樹
- 選曲:石井ますみ
- 音響効果:斎藤昌利
- アクションコーディネーター:二家本辰巳
- スタント&アクション:アーバンアクターズ、ジャパンアクションクラブ
- カースタント:カースタントTA・KA
- ガンエフェクト:BIGSHOT
- 火薬効果:テイクワン
- 特殊メイク:織田尚、山木綾子
- 製作管理:片岡毅允生、木村博人
- 現像:東京現像所
- 宣伝協力:週刊ヤングジャンプ、WOWOW
- ロケ協力:室蘭市、函館市
- 製作協力:山田洋行ライトヴィジョン
- 製作:松竹第一興行、日本テレビ、バンダイ
カーチェイス[編集]
萩原健一運転の国産車「テラノ」と、木村一八の赤い「ポンティアック・ファイヤーバード」の派手なカー・チィスが物語の後半を盛り上げる。撮影のため、テラノ2台、新車のファイヤーバード・コーベル2台(価格は1台約380万円)が用意されたが、全て全損壊させた。また八名信夫演じる「ヤクザの事務所の車」や、「大量のパトカー」がカー・アクションに使用され、修学旅行生が乗った国産「観光バス」も横転させた。「クラウン」がアクションに大量使用されているのが特徴であり、「現金輸送車」も追突破壊されている。なお、カーマニアのための映画ではなく、車の大量破壊、火薬の大量消費、多数の銃撃シーン、台風その他の理由による撮影遅延などで、予算は「11億円」に達してしまった。
ラスト、夜の港でのテラノVSパトカー20台のバトルで、路面を濡らしパトカーのヘッドライトやパトライトを路面に反射させて、倍の台数がいるように見せる手法は深作欣二のアイデアである。せっかく並べたパトカーの並べ直しや面倒な水撒き作業に、最初は渋々動いていた若手スタッフ達も、出来あがった映像を見て納得したという。
カー・アクションを担当したカースタントTA・KAの話によると、一番難しかった所はラスト、テラノで夜の海へ飛び込むシーンだったという(千葉県木更津港でのロケ)。通常、車は水の中へ飛び込んでも窓さえ閉まっていれば数分は浮かんでいる。しかし映画では、銃撃戦によってほとんどの窓が割られていたが、カメラワーク、照明を含め撮影は成功であった。
同タイトルの別企画[編集]
この「いつかギラギラする日」というタイトルは、本来は全く内容の異なる内容の作品だった[10]。
「仁義なき戦いシリーズ」によって、いわゆる「実録路線」が幕を開けた直後の1974年、東映社長の岡田茂(当時)により『実録・共産党』の企画が立ち上がる[10][12][13][14]。岡田は「実録路線」という鉱脈を得たこと、東宝が1973年に池田大作原作の『人間革命』を創価学会の大量動員でヒットさせたのを見て[14]、同じように組織的動員が見込めるのは共産党ではないかと考え[14][15]、笠原和夫に共産党を題材にした脚本を書かせた[14][15]。戦前の共産党ならアクション映画になると見込んでいた[14]。1974年夏に製作が決定、9月にクランクインしシルバーウィーク公開と告知もされ[16][17]、「渡辺政之輔と丹野セツの夫婦愛をそれにまつわる数々の事件を実録ものとして描く。渡辺政之輔役に菅原文太が決定、丹野セツ役は吉永小百合、栗原小巻に断られ、川口晶が最有力。日本共産党及び赤旗に動員面における協力を求めたが、いずれもドラマの主人公の思想が現在の日本共産党とは異なるとして協力を拒否された。笠原の脚本が遅れていることから場合によっては封切りを来年まわしにすることも検討中」などと報道された[17]。笠原の脚本が丹野セツを中心とした共産党残虐史のような非常に暗い内容で[18][19]、当時の社会情勢から共産党の映画が受け入れられる環境にあるかどうか[20]、『山口組三代目』などとは本質的に違う問題もあり[20]、岡田社長も二の足を踏み[20]、いろいろ問題があると判断され延期された[18][19][20]。「丹野セツ役は吉永小百合で決まり[21]、共産党関係者の組織動員を見込んだものの、渡辺政之輔の描き方などを巡って共産党側と意見が割れ、窓口となる東映京都撮影所の労働組合の共産党員の委員長の了解が得られずに企画倒れとなった」とする文献も複数ある[10][12][13]。山城新伍は、おおかた宮本顕治共産党委員長(当時)からのクレームかと思い、(山城は、『独占!男の時間』は、宮本の影響で打ち切られたことに対し宮本と日本共産党を恨んでいた。)岡田社長に「どうして止めるのか?」と聞いたら「代々木(共産党本部)が思ったよりキップ(前売り券)買わんのや」と言われたと話している[22][23]。この笠原による脚本は、笠原と深作が相次いで没した直後の『映画芸術』2003年春号にて両名の追悼企画として初めて公刊された他、扶桑社刊『en-taxi』誌2005年秋号にも付録として収録された。
その後1976年、川口晶が「どうしても丹野セツ役をやりたい」と角川春樹に頼み込み深作と笠原に角川が接近する[10][13][21]。『犬神家の一族』に続く角川映画の第2弾として1977年に公開予定と発表もされていた[24][25]。脚本の笠原がノベライズして小説版も出し、東映が下請けで制作して東映洋画系での上映予定で、主演候補として川口晶や川谷拓三の名前も挙がっていた[26][27]。角川は『実録・共産党』はやりたいが亀戸事件を省き、明るく出来ないかと深作に提案した[10]。脚本担当の笠原は亀戸事件をなくすのでは単なるアクション映画になると抵抗し紛糾し降板[13]。笠原が降板した後、深作が神波史男に声を掛け、後を継いだ神波は「どうにもならん」と、高見順の『いやな感じ』を元にした大正時代のアナーキストを描く話を提案する[13]。この時点で、日本共産党の実録作品という本来の路線は消失した。またタイトルをどうするんだという話になり、角川春樹が内容的には全く無関係の河野典生の小説『いつか、ギラギラする日々』のタイトルを気に入っていて、ウチの本だから構わない、「日々」を「日」にして『いつか、ギラギラする日』と命名した[10](河野の短編集『いつか、ギラギラする日々』の中に『いつか、ギラギラする日』がある)[13]。しかしこの企画は角川映画が森村誠一と横溝正史を売り出す方針をとることになり消滅することになる[3][10][23][27]。神波による脚本は、神波没後の追悼誌『映画芸術増刊 この悔しさに生きてゆくべし』(2012年12月)に初収録された。
脚注[編集]
- ^ 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」『キネマ旬報』1993年(平成5年)2月下旬号、キネマ旬報社、1993年、 147頁。
- ^ a b 「山根貞男、語る 『映画監督 深作欣二』をめぐって 行け行け、山羊のように」『キネマ旬報臨時増刊 映画監督 深作欣二の軌跡』キネマ旬報社、2003年、p.144
- ^ a b 樋口尚文「深作欣二全映画作品 いつかギラギラする日」『キネマ旬報臨時増刊 映画監督 深作欣二の軌跡』キネマ旬報社、2003年、pp.187-188
- ^ http://movie.walkerplus.com/mv27361/
- ^ a b 荻野目慶子『女優の夜』幻冬舎、2002年、pp.13-14、25-27
- ^ 吉田豪『本人本02 hon・nin列伝 セキララなオンナたち』太田出版、2008年、pp.51-52。荻野目慶子インタビュー。
- ^ a b 「映画のために自分を削る深作さんを僕は見てきた 奥山和由」『キネマ旬報臨時増刊 映画監督 深作欣二の軌跡』キネマ旬報社、2003年、pp.87-88
- ^ a b 萩原健一『ショーケン』講談社、2008年、p.266
- ^ ギンティ小林「三人の優作」『映画秘宝Vol.4 男泣きTVランド』洋泉社、1996年、p.61
- ^ a b c d e f g h 深作欣二、山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年、pp.453-454
- ^ 深作欣二、萩原健一に「Vシネマみたいな台本だよ」
- ^ a b 笠原和夫、スガ秀実、荒井晴彦『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』太田出版、2002年、pp.344-346
- ^ a b c d e f 荒井晴彦『争議あり:脚本家・荒井晴彦全映画論集』青土社、2005年、353-355頁。ISBN 4-7917-6211-8。
- ^ a b c d e 中川右介『角川映画 1976‐1986 日本を変えた10年』角川マガジンズ、2014年、26-29頁。ISBN 4-047-31905-8。
- ^ a b 「映画訃報 東映不良性感度路線の父 岡田茂逝去」『映画秘宝』、洋泉社、2011年7月、 52頁。
- ^ 「東映、九~十月の基本番組発表シルバ―週間は『実録・共産党』」『映画時報』1974年8月号、映画時報社、 19頁。
- ^ a b 「東映『実録・共産党』の製作決定」『映画時報』1974年9月号、映画時報社、 19頁。
- ^ a b 登石雋一(東映取締役・企画製作部長)・鈴木常承(東映営業部長・洋画部長)・畑種治郎(東映興行部長)・池田静雄(東映取締役・宣伝部長)、司会・北浦馨「収益増大を計る東映'75作戦のすべて 企画・製作は新兵器の発見 営業・興行は直営120館獲得へ」『映画時報』1975年2月号、映画時報社、 7–8頁。
- ^ a b 登石雋一(東映取締役・企画製作部長)・鈴木常承(東映営業部長兼洋画部長)・畑種治郎(東映・興行部長)・岡田敬三 (東映・宣伝部長代理)、司会・北浦馨「東映祖茂半期の決戦体制整う製作・配給・宣伝の機動性強化」『映画時報』1975年8月号、映画時報社、 6頁。
- ^ a b c d 「映画界東西南北談議正月興行に突っ走る映画界邦洋の宣伝合戦がみもの」『映画時報』1974年10月号、映画時報社、 37頁。
- ^ a b 「座談会深作欣二と東映京都撮影所」『キネマ旬報臨時増刊 映画監督 深作欣二の軌跡』キネマ旬報社、2003年、p.100。日下部五朗のコメントより。
- ^ 山城新伍『現代・河原乞食考 ~役者の世界って何やねん?』解放出版社、1997年、80頁。ISBN 4-7592-5120-0。浅草キッド「vs山城新伍」『濃厚民族』スコラマガジン、2003年、65-66頁。ISBN 978-4902307016。
- ^ a b 「座談会 われらの仲間、深作欣二」『キネマ旬報臨時増刊 映画監督 深作欣二の軌跡』キネマ旬報社、2003年、p.42。神波史男のコメントより。
- ^ 「角川春樹氏に映画プロデュースの抱負を聞く」『ムービーマガジン』1976年7月1日発行 Vol.7、ムービーマガジン社、 2–3頁。
- ^ 「NEWS OF NEWS 『角川映画へ身内からクレーム 無神経なタイトルの扱いにカンカン』」『週刊読売』1977年6月12日号、読売新聞社、 32頁。
- ^ 「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1976年6月下旬号、pp.182-183
- ^ a b 笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社、2003年、pp.90-91
関連項目[編集]
- 『資金源強奪』
- 『暴走パニック 大激突』
- 『仁義なき戦い』
外部リンク[編集]
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