青春の門

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青春の門』(せいしゅんのもん)は、五木寛之1969年から『週刊現代』に断続的に連載している大河小説で、テレビドラマ化や映画化、漫画化もされた。1976年、「筑豊編」で五木は吉川英治文学賞を受賞した。早稲田大学の先輩である尾崎士郎の『人生劇場』に倣ったものである。

登場人物[編集]

  • 伊吹 信介(いぶき しんすけ) - 主人公。
  • 伊吹 タエ(いぶき たえ) - 信介の義理の母親。
  • 伊吹 重蔵(いぶき じゅうぞう) - 信介の父親。炭鉱での事故により、他界。
  • 牧 織江(まき おりえ) - 信介の幼馴染。
  • 塙 竜五郎(はなわ りゅうごろう) - ヤクザ「塙組」の親分。
  • 金 朱烈(きん しゅれつ) - 朝鮮人。信介から「兄ちゃん」と呼ばれている。
  • 金 九南(きん きゅうなん) - 朱烈の弟。信介の友達。
  • 留二(とめじ) - 信介の幼馴染。「でく」と呼ばれている。
  • 早竹先生(はやたけせんせい) - 野球部の顧問。
  • 梓旗江先生(あずさはたえせんせい) - 音楽の教師。
  • 長太(ちょうた) - 塙組の一人。竜五郎からの信頼が厚い。
  • 矢部 虎次(やべ とらじ) - ケンカ師。筑後の虎として恐れられていた。
  • エリカ - 長太が惚れている美しい女性。

あらすじ[編集]

太平洋戦争真っ只中の昭和時代。九州筑豊に、一人の少年が生を受けた。彼の名は、「伊吹信介」。父親はかつて働いていた炭鉱で、「昇り竜」と称されたが炭鉱内の事故で早逝。義母・タエに育てられている。やがて終戦を迎え、タエは病で倒れた。自分達を取り巻く人々とのふれあいや様々な出来事を経て、信介は波乱に満ちた人生を歩み始める。

作品の舞台[編集]

小説[編集]

構成[編集]

  • 「第1部 筑豊篇」
  • 「第2部 自立篇」
  • 「第3部 放浪篇」
  • 「第4部 堕落篇」
  • 「第5部 望郷篇」
  • 「第6部 再起篇」
  • 「第7部 挑戦篇」
  • 「第8部 風雲篇」
    「第2部 自立篇」は雑誌掲載時には「立志編」とされていた。
    「第6部 再起篇」までについては1989年(平成元年)から1990年(平成2年)にかけて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」が出版され、それ以後は通常はこの「改訂新版」が流通している。
    「第8部 風雲篇」については1993年(平成5年)7月から1994年(平成6年)4月にかけて雑誌『週刊現代』に掲載され、掲載は終了しているが単行本化されていない。
    2004年に講談社文庫から刊行された「新装決定版」は文字を大きくし、装丁を改めたもので、本文は改訂新版と同じである。

年譜[編集]

  • 1969年(昭和44年) 雑誌『週刊現代』で掲載開始
  • 1970年(昭和45年) 「第1部 筑豊篇」講談社から単行本で刊行開始
  • 1971年(昭和46年) 「第2部 自立篇 上」単行本刊行
  • 1972年(昭和47年) 「第2部 自立篇 下」単行本刊行、講談社文庫から文庫版刊行開始
  • 1973年(昭和48年) 「第3部 放浪篇 上」単行本刊行
  • 1974年(昭和49年) 「第3部 放浪篇 下」単行本刊行
  • 1976年(昭和51年) 「第4部 堕落篇 上」単行本刊行
  • 1977年(昭和52年) 「第4部 堕落篇 下」単行本刊行
  • 1979年(昭和54年) 「第5部 望郷篇 上・下」単行本刊行
  • 1980年(昭和55年) 「第6部 再起篇 上・下」単行本刊行
  • 1980年から1981年(昭和56年) 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までを『五木寛之小説全集』第17巻から第22巻に収録
  • 1989年(平成元年)から1990年(平成2年) 「第1部 筑豊篇」から「第6部 再起篇」までについて著者による大幅な加筆を受けた「改訂新版」を単行本及び講談社文庫で刊行
  • 1993年(平成5年) 「第7部 挑戦篇 上・下」単行本刊行
  • 2004年(平成16年) 講談社文庫から「新装決定版」刊行開始

映画[編集]

1975年・1977年版[編集]

青春の門
監督 浦山桐郎
脚本 早坂暁
浦山桐郎
原作 五木寛之
製作 藤本真澄
宮古とく子
針生宏
ナレーター 小沢昭一
出演者 田中健
仲代達矢
吉永小百合
大竹しのぶ
小林旭
小沢昭一
音楽 真鍋理一郎
撮影 村井博
編集 小川信夫
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗1975年2月15日
上映時間 188分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 5億4,800万円
1975年邦画配給収入5位
次作 青春の門 自立篇
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青春の門 自立篇
監督 浦山桐郎
脚本 早坂暁
浦山桐郎
原作 五木寛之
製作 藤本真澄
針生宏
出演者 田中健
大竹しのぶ
いしだあゆみ
梢ひとみ
高瀬春奈
梅宮辰夫
高橋悦史
小林旭
音楽 真鍋理一郎
撮影 村井博
編集 小川信夫
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗1977年2月11日
上映時間 161分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 青春の門
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1975年2月15日に第1作、1977年2月11日に「自立篇」と題した第2作が東宝で公開された。いずれも脚本は早坂暁、監督は浦山桐郎が担当した。「自立篇」がキネマ旬報ベストテン5位に入るなど評価も高く、興行的にもヒットしたが、第3部は制作されなかった。原作者の意向とも、藤本真澄プロデューサーの健康悪化のためとも言われる。こののち映像化がすべて「自立篇」どまりとなるジンクスの始まりとなる。

第1作は5億4800万円の配給収入を記録、1975年(昭和50年)の邦画配給収入ランキングの第5位となった[1]

キャスト[編集]

第1作
第2作


1981年・1982年版[編集]

1981年1月15日に第1作、1982年1月23日に「自立篇」と称した第2作が東映で公開された。監督は第1作が蔵原惟繕深作欣二の共同で、第2作は蔵原の単独である。

製作経緯[編集]

1981年の正月興行の選定は東映内部で紛糾した[2]。前年までの5年間、正月興行第一弾を担っていた「トラック野郎シリーズ」が終了したため、東映は正月興行に初めてアニメを持ってきて『サイボーグ009 超銀河伝説』(併映『'80アニメーション ザ・ベストテン』)の公開を決定した[2]。これに「劇映画のメジャーがアニメに逃げるとは」と撮影所内部が猛反撥した[2]。しかし松竹寅さん(『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』)、東宝山口百恵のさよなら映画『古都』と強力で、これに対抗する作品もなく[2]、正月興行第二弾として松田優作主演・深作欣二監督で製作を予定していた『海燕ジョーの奇跡』で反撃を期待されたが、松田が脚本にクレームを付けて企画が流れた(海燕ジョーの奇跡#深作欣二版映画企画)。並みの映画では代打にならず、1980年11月半ばになっても正月第二弾が決まらない異常事態になった[2]。プロデューサーの日下部五朗は、岡田茂東映社長から「五朗、お前、正月第二弾に何やんねん!」と矢の催促を受け、仕方なく脚本の野上龍雄に以前から頼んでいた本作を代替作品として急ぎ製作することになった[3]。元々『青春の門』は蔵原惟繕に監督を頼む予定だったが、一人では間に合わないため、『海燕ジョーの奇跡』の分解で体が空いた深作欣二に助っ人を頼んだ。『青春の門』の映画化が発表されると、タエ役、織江役を「やらせて欲しい」と多くの女優から売り込みだ殺到したが[4]、タエ役には五木寛之松坂慶子をリクエスト[3]。しかし松坂は当時一番脂ののっている女優で松竹の至宝[4]。日下部が三顧の礼を尽くして何度も松竹にお願いに上がり土下座までして[3]、最終的に岡田茂東映社長と大谷隆三松竹社長同士のトップ会談で松坂の東映貸し出しが決まった[3][4]。また伊吹重蔵役にはこれも五木が高倉健をリクエスト[2]。五木は前作の東宝版でも高倉をリクエストしていた[5]ヨーロッパ旅行中の高倉をスイスジュネーブまで追いかけ交渉したが、「泥縄仕事はいやだ」とにべもなく断られた[2]佐藤浩市は本作が映画デビュー作。松坂が初めて本格的なラブシーンを演じたこともあって大きな話題になり無事ヒットした[3]。   

エピソード[編集]

スケジュールはきつく福岡のロケ先ではメイン監督の蔵原は寝る間もないほどだったが、助っ人の深作はパートが少なく早めに宿に帰って麻雀をうったりしていた[3]。そこで伊吹タエという母であり、女でありという役どころに悩んでいた松坂慶子の相談相手にのっているうち、深作と松坂が親しくなった[3]。本作の地方キャンペーンで札幌へ行ったときに、夜飲みに出て最後にみんなでラーメンを食べたら、深作の残したラーメンを松坂が啜った[3]。これを見た日下部が二人の仲に気づき、それを周囲に自慢したら、みんなに「何を今さら言っているんですか」と言われた[3]。本作を機に松坂は深作の撮る東映作品によく出るようになった[3]

キャスト[編集]

第1作
第2作

テレビドラマ版[編集]

1976年・1977年版[編集]

1976年4月7日から9月29日に第一部「筑豊編」が、1977年12月7日から1978年5月31日に第二部「自立編」が毎日放送制作(TBS系列)で放映された。

北大路欣也が本作の演技に対して、第14回ギャラクシー賞・選奨を受賞[6]

キャスト[編集]

第一部

スタッフ[編集]

TBS 水曜22時台(MBS制作枠。1976.4-9)
前番組 番組名 次番組
青春の門・筑豊編
TBS系 水曜22時台(MBS制作枠。1977.12-1978.5)
青春の門・自立編

1991年版[編集]

1991年4月11日4月12日の二夜連続で、テレビ東京系で放映された。現在は放送ライブラリー(横浜市)で視聴できる。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

2005年版[編集]

『青春の門-筑豊篇-』のタイトルで、『TBSテレビ放送50周年スペシャルドラマ』として2005年3月21日3月22日の二夜連続で放映された。視聴率は1日目が16.8%、2日目が13.5%。

キャスト[編集]

スタッフ[編集]

漫画[編集]

いわしげ孝の作画で「筑豊篇」が漫画化され、講談社モーニング』に連載された。講談社モーニングKCより単行本が刊行されている。全7巻。

  1. 1巻 2005年3月17日発行 ISBN 4063724204
  2. 2巻 2005年3月17日発行 ISBN 4063724212
  3. 3巻 2005年6月23日発行 ISBN 4063724484
  4. 4巻 2005年9月21日発行 ISBN 4063724670
  5. 5巻 2005年12月22日発行 ISBN 4063724840
  6. 6巻 2006年3月23日発行 ISBN 4063725057
  7. 7巻 2006年7月21日発行 ISBN 4063725367

舞台[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年、206-207頁。ISBN 4-87376-595-1
  2. ^ a b c d e f g サンデー毎日』1980年11月23日号 「正月映画が決まらずに頭が痛い東映」、p.153
  3. ^ a b c d e f g h i j 日下部五朗 『シネマの極道 映画プロデューサー一代』 新潮社2012年、126-129頁。ISBN 978-4103332312
  4. ^ a b c 佐藤正弥 『データ・バンク にっぽん人 日下部五朗』 現代書林、1982年、93頁。ISBN 978-4905924463
  5. ^ 「高倉健に他社から出演交渉」、『キネマ旬報』1973年7月夏の特別号、 183頁。
  6. ^ 第14回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
  7. ^ 五木寛之氏原作「青春の門」初舞台化
  8. ^ [1]
  9. ^ 虚構の旅団vol.3「青春の門〜放浪篇〜」
  10. ^ 虚構の劇団、五木寛之の小説「青春の門」を舞台化”. ステージナタリー (2016年2月2日). 2016年2月2日閲覧。

外部リンク[編集]