資金源強奪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
資金源強奪
監督 深作欣二
脚本 高田宏治
出演者 北大路欣也
川谷拓三
室田日出男
梅宮辰夫
太地喜和子
山城新伍
松方弘樹(友情出演)
音楽 津島利章
撮影 赤塚滋
編集 市田勇
製作会社 東映京都撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1975年6月21日
上映時間 92分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

資金源強奪』(しきんげんごうだつ)は、北大路欣也主演・深作欣二監督・東映製作で1975年6月21日に公開された日本映画

概要[編集]

阪神電車尼崎駅前でロケが行われた

1965年の『徳川家康』以来、10年ぶりの北大路欣也主演映画で[1][2][3]、大金を奪い合う悪党たちの様子をコミカルに描く[4][5]。文献により北大路の相棒を演じた川谷拓三室田日出男が主役と書かれたものもあり[6]、北大路も「僕と拓三さんと室田さんが主役で...簡単に言ってしまえば拓三さんの出世作だと思いますよ。素晴らしい映画です」と話している[7]

北大路と腐れ縁を持つ停職中の刑事梅宮辰夫[3]。東映出身ながら、退社後、文学座で大女優の道を歩んでいた太地喜和子が12年ぶりの東映映画出演で[3]、北大路の情婦を演じ[3]、北大路との濃厚な濡れ場を見せる[8]。また松方弘樹山城新伍カメオ出演を買って出た[3]

ストーリー[編集]

敵対する暴力団の組長を射殺し、8年間の刑務所生活を送ったやくざ・清元武司。 獄中でひそかに、自らの属する羽田組から大金を強奪する計画を練っていた清元は出所後、刑務所仲間の別所鉄也・小出熊吉とともに組が開いていた賭場を襲撃し、まんまと3億5千万円を手に入れた。羽田組は停職中の悪徳刑事・能代文明を雇って犯人を追跡させようとするが…

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

クライマックスで能代が展望台上から狙撃を行う通天閣。羽田組は通天閣の横にあるという設定。

製作[編集]

企画[編集]

企画、及びタイトル命名は、岡田茂東映社長[9]。当時岡田が漢字の題名を先に考え、出来たタイトルで映画を作れと現場に指示していた[9]。『強盗放火殺人囚』『北陸代理戦争』等も同じで[9]、本作は五文字の漢字で岡田がタイトルを作り、高田宏治に脚本を発注した[9]。高田は『博奕打ち 総長賭博』の取材で、ヤクザの花会等で奪われても警察に届けられない何億もの現金が動くのを見たことがあり、ヤクザの資金源を襲うというのは面白いとホンを執筆した[9]

キャスティング[編集]

1975年2月の『仁義の墓場』公開中に、岡田茂東映社長が「1975年の東映大作に渡哲也を続々出演させて、渡を東映のエースにする」とブチ上げ[10][11][12][13]、6月公開『スーパー・アクション/強奪』というタイトルで渡の主演作として発表した[10]。しかし渡が前年に続き長期療養を余儀なくされたため[12][13][14]、本作も渡の代わりに北大路欣也の主演、菅原文太共演に変更された[15]、この年4月5日公開の『大脱獄』も菅原は予定になかった渡の代役を務め[16][17][18][19]、同じ月に岡田社長が「今年の後半は松方、北大路中心のローテーションを組む」と発言したことが[20]、菅原には面白くなく[15]、菅原が公開予定の一ヶ月前の5月になって「オレは出ないよ、夏まで静養したい」と本作出演を拒否した[15]。菅原はポリープがあり、4月25日から5月9日まで虎の門病院に入院し[15]、退院後は自宅療養中で[15]、5月16日夜にプロデューサーが菅原の自宅を訪ね説得したが「最初から企画に参加してないので、共演とはいえ、作品に責任が持てない」[15]「渡哲也と同じだ」などと出演を拒否[15]。一時製作の目途が立たない状況になった[15]。菅原が演じる予定だったのは北大路と対決する刑事役だったと見られ[3]、代役は梅宮辰夫になった。結局、菅原は長期静養を表明し[21]、『県警対組織暴力』の後1975年4月20日から、7月21日の『トラック野郎・御意見無用クランクインまで丸三ヶ月の間、仕事を休んだ[22][21][23][24][25]。菅原が出演予定があったのは、本作『資金源強奪』と『新幹線大爆破』『暴力金脈』の三本であった[24]

トラブル[編集]

監督は深作欣二が担当したが、タイトルクレジットでは平仮名の「ふかさくきんじ」表記になっている[5]。これは東映本社との対立によるもので[22]、犯罪を扱う内容が反社会的とみなされるのを恐れ、劇中の数ヵ所に刑法の条文を挿入させられたことへの反発とも、殺人的スケジュールや低予算に対する抗議だった[22][26]とも言われている。

脚本の高田宏治は、自分としては面白く書けた脚本で、試写で深作に「面白い」と褒めたのだが、深作は試写後に企画部長に「僕のクレジットを平仮名にしてくれ」と言ったと証言している[9]。高田は深作の本心は未だナゾだが、『仁義の墓場』みたいな名作を撮ってジャーナリストからもチヤホヤされていた時期だったから、ちょっと(本作に対する)思い入れが違ったのではないか」などと話している[9]

作品の評価[編集]

公開当時の映画誌に「銀行強盗、現金輸送車襲撃、列車強盗映画はこれまでにも数々製作されているが、法律や警察の盲点ともいうべき暴力団の資金源を強奪するドラマはこの作品がはじめて。もっとも外国では『オーシャンと十一人の仲間』とか『地下室のメロディー』とか傑作があるが、結局、金は手に入らないという寸法...」などと記述されている[3]

北大路欣也は「評価低いねえ。お客が入らなかったから」などと述べている[7]

白石和彌は「東映さんも実録物も割と早い段階でネタがなくなって、その世界観を利用して作った『資金源強奪』とか『暴走パニック 大激突』とか、より劇画化した映画がけっこう好きです」などと述べている[27]

同時上映[編集]

青い性

実録・ベトナム戦争残虐史

  • 構成:井出昭 / 製作:ゼネラルワーク

関連書籍[編集]

北大路欣也へのインタビューの中で、本作品についても言及されている。

映像ソフト[編集]

  • 一般家庭にビデオが普及する前の1981年頃、東映芸能ビデオからVHSが5万8000円で発売されていた[28]
  • その後、長らくビデオソフトが再発売されておらず視聴困難な状態が続いていたが、ファンのリクエストに応え[5]2008年12月5日東映ビデオからDVDが発売された[5]
  • 地上波を含み、テレビでは何度かオンエアされている。

脚注[編集]

  1. ^ 河原畑寧「洋画ファンのための邦画マンスリー 6月21日⇒7月20日 〈スタースポット〉 北大路欣也」『ロードショー』、集英社、1975年8月号、227頁。 
  2. ^ “東映『新幹線大爆破』で恐怖映画ブームに一翼を”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1975年5月24日) 
  3. ^ a b c d e f g 「雑談えいが情報 新作映画ニュース ハードアクションに新境地開く 北大路欣也の男っぽさが大爆発!! 『資金源強奪』」『映画情報』、国際情報社、1975年8月号、ページ表記なし。 
  4. ^ 佐藤忠男山根貞男「アクション映画の転回 文・西脇英夫」『日本映画1976 1975年公開日本映画全集』芳賀書店〈シネアルバム(46)〉、1978年、62頁。ISBN 4-8261-0067-1 
  5. ^ a b c d 「DVDリリース情報『資金源強奪』 暴力団の巣《賭場》へ豪快アタック! 北大路欣也、完全犯罪へ全力投球 文・金澤誠」『東映キネマ旬報 2008年冬号 vol.9』2008年11月20日、東映ビデオ、13頁。 
  6. ^ 「映画ガイド名敵役の川谷、室田主役に抜擢!」『週刊平凡』、平凡出版、1975年6月19日号、196頁。 
  7. ^ a b #浪漫アルバム、「北大路欣也インタビュー」、186頁。
  8. ^ 「邦画 太地喜和子お得意のラブシーンが見もの『資金源強奪』」『スタア』1975年8月号、平凡出版、100頁。 
  9. ^ a b c d e f g KAWADE夢ムック 春日太一責任編集 深作欣二 現場を生きた、仁義なき映画人生(河出書房新社、2021年 ISBN 978-4-309-98033-1)「第2章 「仁義なき戦い」の時代 連続インタビュー深作欣二の現場(10) 高田宏治(脚本家) 作さんに「ちょっと冒険してみるけどええか?」って言うたのよ」pp.113-114
  10. ^ a b 「邦画新作情報」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年4月春の特別号、201-202頁。 
  11. ^ 「随想 東映スター渡哲也が誕生するまで」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1975年2月下旬号、48-49頁。 
  12. ^ a b “松方因縁のリリーフ 再び渡の代役…頼れる男『県警対組織暴力』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年3月13日) 
  13. ^ a b “なになにッ! "良心の東映"悲壮な決意 病欠渡のポスターはがし”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年3月20日) 
  14. ^ 石原まき子『石原裕次郎・渡哲也 石原プロモーション50年史 1963-2013』石原プロモーション、2014年、153-155頁。 「渡哲也インタビュー 高平哲郎」『渡哲也 さすらいの詩』芳賀書店〈シネアルバム(67)〉、1978年、153-168頁。ISBN 4-8261-0067-1 「アングル76' 幻の映画を追って」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1976年正月特別号、166-167頁。 
  15. ^ a b c d e f g h “なになにッ!『資金源強奪』空中分解文太、監督、東映三すくみ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年5月17日) 
  16. ^ “大脱獄 健さん、五木"幻の競演" チョイ役じゃ… 五木出演また流れる 文太とガップリ 健親分変身”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年2月27日) 
  17. ^ “高倉健、久しぶりの映画 菅原文太と『大脱獄』”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 7. (1975年4月2日) 
  18. ^ “渡、突如出演を辞退 東映首脳大あわて カゼこじらせ 『県警対組織暴力』”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年3月11日) 
  19. ^ 「特報 幼い愛児が目を手術 渡哲也重なる悲運に俊子夫人が不眠不休必死の献身」『週刊平凡』、平凡出版、1975年4月6日号、46-47頁。 
  20. ^ “13年ぶりの競演 松方、北大路ガップリ四つ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年4月24日) 
  21. ^ a b “不死身の文太、オーバーホール きょう入院"いい骨休みさ"”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年6月4日) 
  22. ^ a b c 「もう仁義はきらないぜ 東映実録トリオ、会社に造反」『週刊朝日』、朝日新聞社、1975年6月27日号、36-37頁。 
  23. ^ “~アンタ!あの娘の何なのさ~ 爆発人気"ダウン・タウン" 文太もシビレタ お忍び拝聴の東映重役さんもOK”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年6月11日) 
  24. ^ a b “三度失敗、四度目にやっと運ちゃん文太に免許証”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年7月12日) 
  25. ^ 松田政男「深作欣二の世界」『シナリオ』、日本シナリオ作家協会、1975年8月号、128頁。 
  26. ^ 本作の後番組として公開されたのは、オールスターキャストのパニック超大作『新幹線大爆破』であった。
  27. ^ 荒井晴彦森達也白石和彌井上淳一『映画評論家への逆襲』小学館小学館新書 399〉、2021年、25–26頁。ISBN 9784098253999 
  28. ^ 「ビデオコレクション1982」1981年、東京ニュース通信社、「週刊TVガイド」臨時増刊12月2日号

外部リンク[編集]