松方弘樹

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まつかた ひろき
松方 弘樹
松方 弘樹
若君と次男坊』(東映、1961年)
本名 目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)
生年月日 (1942-07-23) 1942年7月23日
没年月日 (2017-01-21) 2017年1月21日(満74歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京市王子区
死没地 日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
身長 173 cm
血液型 A型
職業 俳優映画監督映画プロデューサー
ジャンル 映画テレビドラマ時代劇
オリジナルビデオ
活動期間 1960年 - 2016年
活動内容 1960年:デビュー
1965年:『人形佐七捕物帳
1973年:『仁義なき戦い
1974年:『勝海舟
1975年:『徳川三国志
1976年:『沖縄やくざ戦争
1979年:『真田幸村の謀略
1990年:『HOTEL
2009年:『天地人
配偶者 夏子(- 1979年)、仁科亜季子 (1979年 - 1998年)
著名な家族 近衛十四郎(父)
水川八重子(母)
目黒祐樹(弟)
目黒大樹(長男)
仁科克基(次男)
仁科仁美(三女)
事務所 MARE
公式サイト プロフィール
主な作品
映画
十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ
東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯
仁義なき戦いシリーズ
脱獄広島殺人囚』 / 『暴動・島根刑務所
県警対組織暴力』 / 『強盗放火殺人囚
実録外伝 大阪電撃作戦
沖縄やくざ戦争
広島仁義 人質奪回作戦
日本の首領シリーズ
北陸代理戦争』 / 『ドーベルマン刑事
柳生一族の陰謀』 / 『真田幸村の謀略
徳川一族の崩壊』 / 『修羅の群れ
最後の博徒』 / 『
新 影の軍団シリーズ
猿飛佐助 闇の軍団シリーズ
十三人の刺客
柳生十兵衛〜世直し旅〜
太秦ライムライト
テレビドラマ
人形佐七捕物帳 (1965年)
徳川三国志』/ 『勝海舟
人形佐七捕物帳 (1977年)
大江戸捜査網』 / 『名奉行 遠山の金さん
徳川家康』 / 『刑事貴族』 / 『HOTEL
家康が最も恐れた男 真田幸村
赤穂浪士』 / 『天地人
ハケンの品格
バラエティ番組
天才・たけしの元気が出るテレビ!!

松方 弘樹(まつかた ひろき、1942年7月23日[1] - 2017年1月21日[2])は、日本俳優映画監督映画プロデューサー。本名は目黒 浩樹(めぐろ こうじゅ)[3]東京市王子区(現在の東京都北区)出身[4][5]。身長173cm、血液型はA型[1]左利き[6]個人事務所である株式会社MARE(マーレ)所属[3]

経歴[編集]

元々は歌手志望で、作曲家の上原げんとの下で五木ひろしらと席を並べて歌を学んでいたが、五木の歌声を聞いているうちに自信を無くし、父と同じ俳優の道に入った[7][8][9]。17歳で『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年東映)で主演デビュー[10][11][12]。同学年の北大路欣也とはライバル関係で[8][13]、松方は東映専属だった北大路とは違い、企画制作担当重役だった岡田茂の個人預かり(フリー)であった[14]。映画『893愚連隊』の主演[15]、『昭和残侠伝シリーズ』の助演、『人形佐七捕物帳』(NHK)の主演など、主に時代劇ヤクザ映画に出演。中でも佐七は松方の当たり役になり、その後に制作されたテレビ朝日の『人形佐七捕物帳』でも再び主演した。

1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)まで岡田茂大映へレンタルされ、亡くなった市川雷蔵の穴埋めを期待され雷蔵の当たり役を演じた[8][16]1970年(昭和45年)春、ダイニチ映配設立に反対して大映社長の永田雅一の逆鱗に触れて、半年出演を拒否された。

大映の倒産直前の1971年(昭和46年)春に東映へ復帰し[13]1972年の四カ国合作映画『東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯』、1973年(昭和48年)の『仁義なき戦いシリーズ』などで敵役悪役で芸域の幅を広げた[10][15][17][18]。「仁義なき戦いシリーズ五部作」では、三役を演じ分ける怪演を見せた[9][13][16][19][20]。それまで東映の大量生産の煽りで撮影の連続[5][21]、演技に厳しい父が一度も褒めてくれず、役者を辞めて遠洋のマグロ漁船に乗ろうなどと考えていたとき、本シリーズに巡り合い、演じることの醍醐味を味わい、役者に開眼したと話している[21][22]

1974年(昭和49年)大河ドラマ勝海舟』にて病気降板した渡哲也から主役を引き継いで兄妹役で共演した仁科明子と不倫関係となりマスメディアを賑わせた[23]。同年の映画『脱獄広島殺人囚』は『暴動島根刑務所』『強盗放火殺人囚』と合わせて「世界最強の脱獄アクター」「松方弘樹東映脱獄三部作」と評されている[24]。『県警対組織暴力』や『暴力金脈』『実録外伝 大阪電撃作戦』『沖縄やくざ戦争』や、現在進行中の抗争事件を映画化し、映画の製作が原因でモデルとなった組長が殺害された『北陸代理戦争[9][25][26]などの実録シリーズでも強烈な個性を発揮した[11][13]。『修羅の群れ』の主役を張って一本立ちした[12][18][27]

1978年(昭和53年)の『柳生一族の陰謀』で時代劇映画に復帰。それ以降は仁侠映画と共に活動の二分となった。テレビドラマでは大河ドラマ勝海舟』や時代劇『大江戸捜査網』の主役を務め、三英傑織田信長豊臣秀吉徳川家康)をすべて演じたほか真田幸村を映画・テレビドラマで計二度演じた。

俳優業の一方で、バラエティ番組天才・たけしの元気が出るテレビ!!』ではそれまでのイメージを覆し、冗談好きで笑い上戸な一面をみせ、以後バラエティ番組にも顔を出すようになる[13][8][12][28]1990年代までは、ドラマ・バラエティともにレイバンサングラスをかけながら出演し、それがトレードマークにもなっていたが、2000年以降はメガネを外して出演していた。

脳腫瘍の疑いがあり長期療養するので出演予定である3月1日から6月8日までの歌謡ショーを降板し6月からの舞台も中止する」と2016年(平成28年)2月23日に発表[29][30]。検査の結果「脳リンパ腫」との確定診断を受けたことが発表された[31]抗がん剤の投薬治療を行う[32]

2017年(平成29年)1月21日午前11時26分に脳リンパ腫のため死去[13][33][34][35]。74歳没。

2017年(平成29年)1月23日午後6時頃、メディアを通じて、松方の訃報が公式に発表され、その夜に弟の目黒祐樹が涙をこらえながら、闘病生活とその最後と葬儀をごく親しい近親者だけで行ったことを公表すると共に、生前において松方に関わった関係各位や応援にしてくれた者達に対して、感謝の意を述べた。また、葬儀に参列した梅宮辰夫らが追悼コメントを発表した。

人物[編集]

父は時代劇俳優の近衛十四郎。母は女優の水川八重子[8]。松方は長男で、弟は俳優の目黒祐樹[15]。最初の妻で元モデルの夏子との間に長男の目黒大樹(親権は松方)、長女 なえ、次女 なち[19][36]。2度目の妻・仁科亜季子との間に、次男の仁科克基と三女の仁科仁美(親権は2人とも仁科)[11][15]。愛人関係であった千葉マリアとの間に十枝真沙史(松方は認知)[37]。義妹は江夏夕子、弟の祐樹と義妹・江夏との間に姪の近衛はながいる。仁科とは1974年の大河ドラマ勝海舟』での夫婦役で共演後に恋仲となったが、松方は当時既婚者で仁科の父・岩井半四郎が激怒する様は当時の芸能マスコミでも取上げられた[19][37][38]

趣味は父の十四郎と同じく釣りである[8]。松方とは盟友の梅宮辰夫は「(松方は)お父さん(近衛十四郎)がヘラブナ釣りが好みだったせいか、本人も池でのヘラブナ釣りが趣味だった」と明かしている[39]。また松方と梅宮が釣りに挑む『松方弘樹・世界を釣る』と題したテレビ番組が放送されたこともある。

また自身は年に何度か山口県萩市見島沖、八里ヶ瀬と呼ばれる海域周辺でマグロの一本釣りを楽しんでおり、見島のある旅館には松方弘樹と名前が書かれた釣り道具が常置されている。マグロ釣り大会の実行委員を務めるほどで、2008年(平成20年)11月23日に行われた大会では約305kgのクロマグロを釣り上げ、195万円の値がついた[8]2009年(平成21年)11月22日に行われた第12回萩クロマグロトーナメントでは、体長2.73m、体重325kgのクロマグロを釣り上げて前年の記録を更新した[8][40]。約437万円の値がついた。

2015年(平成27年)石垣島への釣行で、約6時間半のファイトの末、自己最高記録361kgのクロマグロを釣り上げた。

豪放磊落な人物としても知られた[8][12][19][36][37][41]。酒豪で最高記録はウィスキー5本に日本酒1升[5]。飲み比べでは無敵で、千代の富士にも負けなかった。唯一負けたのは天龍源一郎という[5]

出演作品[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

  • 殺し屋PAZUZU(2000年) - 兼プロデューサー
  • 餓狼の群れ(2000年)
  • 修羅のみち(2001年 - 2005年) - 黒田虎男
  • 闇の処刑人・Dジャッジ(2001年)
  • 極道ジハード〜聖戦〜(2002年)
  • 極道ジハードII〜聖戦〜(2002年)
  • 極道ジハードIII〜聖戦〜(2002年)
  • 梁山泊 ファミリー(2003年)
  • 実録・山陽道やくざ戦争/覇道2(2003年)
  • 実録・広島四代目(2004年)
  • 極道甲子園(2004年)
  • 総長賭博(2004年)
  • 新・日本の首領(2004年)
  • 不退の松葉(2005年)
  • 哀愁のヒットマン(2008年)
  • 松方弘樹の名奉行金さん2009(2009年)
  • ザ・ボディガード(2010年)
  • 武闘派の道(2015年)
  • 武闘派の道2(2015年)
  • 列島分裂-東西10年戦争-(2016年)
  • 列島分裂-東西10年戦争- 第2章(2016年)

テレビドラマ[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

  • 蓮如物語(1998年) - 蓮如 ※エグゼクティブプロデューサーも兼任
  • 十五少年漂流記〜海賊島DE!大冒険〜(2013年)- アニオン[42]

吹き替え[編集]

ゲーム[編集]

バラエティ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

トーク番組[編集]

CM[編集]

音楽[編集]

シングル[編集]

  • 赤い夕日の三度笠/旅でござんす(1961年5月、日本コロムビア SA-636)※『花笠ふたり若衆』主題歌
  • 同期の桜/あいつの消えた雲の果(日本コロムビア SAS-911)
  • 露営の歌若鷲の歌(1968年、日本コロムビア SAS-1072)
  • 東京摩天楼/求愛(1968年、日本コロムビア SAS-1137)
  • 同期の桜/ラバウル小唄(テイチク SN-1100)
  • 眠狂四郎の歌/円月殺法の歌(1969年、大映レコード D-101)※映画『眠狂四郎・円月殺法』主題歌
  • 同期の桜/ラバウル小唄(1970年、大映レコード D-106)
  • 花の風雲児/お縫恋唄(1970年、大映レコード D-110)
  • 勝負/ああ関東流れ者(1970年、大映レコード G-8)
  • 男の詩/人生うら返し(アモンレコード AMON-1007)
  • 時計を見ないで(1986年1月21日、リバスター 7RC-0057)※「松方弘樹・安倍里葎子」名義
  • I'll Be Back Again...いつかは(1986年4月21日、ビクター SV-9087)※「TAKESHI&HIROKI」名義。『天才たけしの元気が出るテレビ!!』イメージソング
  • 華のうちに(1993年12月21日、徳間ジャパン TKDA-70257/TKSA-20352)※『名奉行遠山の金さん』主題歌
  • 想い出ワルツ/長崎物語(2004年11月25日、日本コロムビア COCA-15704/COSA-1799)

アルバム[編集]

  • 男ごころ 歌う松方弘樹(1978年、キングレコード SKS-18)※カバーアルバム
  • 想い出ワルツ/松方弘樹〜男の世界〜(2004年11月25日、日本コロムビア COCP-32975)

書籍[編集]

  • きつい一発 松方弘樹の言いたい放談 八曜社 1975
  • 松方弘樹の泣いた笑ったメチャクチャ愛した 日之出出版 1989
  • 松方弘樹の世界を釣った日々 : 釣りバカ弘樹のこれぞ人生! 松方弘樹 著 宝島社 2016
  • 無冠の男 松方弘樹伝 松方弘樹, 伊藤彰彦(著) 講談社 2017

脚注[編集]

  1. ^ a b 松方弘樹”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2017年1月12日閲覧。
  2. ^ 松方弘樹さん死去 74歳 脳リンパ腫、「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」”. スポーツニッポン新聞社 (2017年1月23日). 2017年1月23日閲覧。
  3. ^ a b プロフィール”. 株式会社マーレ. 2017年1月12日閲覧。
  4. ^ 松方弘樹 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE. キネマ旬報社. 2017年1月12日閲覧。
  5. ^ a b c d 【追悼】松方弘樹「気がついたら青春映画の主演やっていました」~役者一族の人間力
  6. ^ 松方弘樹、「立ち回りができなかった」新人時代「だからこそ必死になれた」オリコン、2015-04-21 12:10
  7. ^ 松方弘樹さん、16歳で歌手を目指すも五木ひろしに圧倒され断念 : スポーツ報知
  8. ^ a b c d e f g h i 松方弘樹さん、映画利益“2億円”豪快に使い切った - おくやみ : 日刊スポーツ
  9. ^ a b c “今はちょっと切ないです”松方弘樹の映画への思い | ニュースウォーカー
  10. ^ a b “俳優 松方弘樹さんが死去”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2017年1月23日). オリジナル2017年1月23日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20170123093330/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170123/k10010849971000.html 2017年1月24日閲覧。 
  11. ^ a b c さらば松方弘樹/「仁義なき戦い」など写真特集 - 芸能 : 日刊スポーツ
  12. ^ a b c d 松方弘樹さん たけしに明かした“愛の巣の修羅場”…相手は力道山だった... - 東スポWeb
  13. ^ a b c d e f “俳優の松方弘樹さん死去 74歳、「遠山の金さん」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2017年1月23日). オリジナル2017年1月23日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20170123115107/http://www.asahi.com/articles/ASK1R62KMK1RUCLV01K.html 2017年1月24日閲覧。 
  14. ^ 『近代映画』1970年4月号、近代映画社、178頁。
  15. ^ a b c d 松方弘樹さん死去=74歳、「仁義なき戦い」:時事ドットコム
  16. ^ a b 『仁義なき戦い』撮影時の松方弘樹 2か月寝なかった熱い時代
  17. ^ 「仁義なき戦い」上映作品詳細 - 第二回 新・午前十時の映画祭「仁義なき戦い」40年目の壮絶秘話(1)「顔のシワ作り」に励んだ松方「弾はまだ残っとるがよう」色あせない名セリフ数々が40周年で再びスクリーンに| ニュースウォーカー
  18. ^ a b 松方弘樹 公式ブログ/恩人・岡田茂の薫陶 - GREE
  19. ^ a b c d 希代の俳優 松方弘樹さんが語っていた“酒と女と役者バカ” | 日刊ゲンダイ
  20. ^ ETVスペシャル「仁義なき戦い」を作った男たち NHK、2003年5月3日放送、松方弘樹が明かす「仁義なき戦い」秘話 「おまえそれ面白いなぁ」 スポニチ追悼 松方弘樹氏時事通信
  21. ^ a b 『週刊現代』、2008年2月2日号、184頁。
  22. ^ “よみうり寸評”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 2. (2017年1月24日). http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20170124-118-OYTPT50290/list_YOMIURISUNPYO 2017年1月25日閲覧。 
  23. ^ 病魔と闘う荒ぶる役者たちの不屈秘話 「第1回・松方弘樹」(2)弘樹のイメチェンを図れ!
  24. ^ INTRO | ラピュタ阿佐ヶ谷レイトショー『脱獄大作戦 娑婆ダバ!スタローン&シュワルツェネッガーも魅了?脱走映画に名作多し!−映画秘宝2014年2月号東映チャンネル共同企画「傑作任侠劇場」|日本映画・邦画を見るなら
  25. ^ 実録が現実を喰う!『映画の奈落』 北陸代理戦争の仁義なき場外戦ヤクザと交友を深めた東映の俳優・制作陣たち【特別対談・杉作J太郎×坪内祐三】特別対談・杉作J太郎×坪内祐三 | 日刊SPA!
  26. ^ 伊藤彰彦 『映画の奈落 北陸代理戦争事件国書刊行会、2014年5月、287頁。ISBN 978-4336058102
  27. ^ 松方弘樹亡き父へ果たし状…近衛十四郎代表作に挑む - ZAKZAK俺は釣りキチ松方弘樹だ、これが人生だ『松方弘樹の世界を釣った日々』
  28. ^ テリー伊藤氏、松方弘樹さんをバラエティー起用した経緯語る(スポーツ報知)
  29. ^ “松方弘樹、脳腫瘍の疑い 長期療養のため公演降板・中止へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年2月23日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/02/23/kiji/K20160223012092940.html 2016年2月23日閲覧。 
  30. ^ 松方弘樹、脳腫瘍の疑い「治療に専念」 公演降板&舞台中止”. ORICON STYLE (2016年2月23日). 2016年2月24日閲覧。
  31. ^ “長期療養中の松方弘樹 「脳リンパ腫」だった 完全復帰目指し闘病生活へ”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2016年3月2日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/03/02/kiji/K20160302012140270.html 2016年3月2日閲覧。 
  32. ^ “松方弘樹、病名は脳リンパ腫…手術せず抗がん剤治療「頑張るしかない」”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2016年3月3日). http://www.sanspo.com/geino/news/20160303/geo16030305050011-n1.html 2016年3月3日閲覧。 
  33. ^ “目黒祐樹、兄・松方弘樹さんを偲ぶ「思い浮かぶのは底抜けの笑顔」”. SANSPO.COM (株式会社 産経デジタル). (2017年1月23日). http://www.sanspo.com/geino/news/20170123/geo17012323260046-n1.html 2017年1月23日閲覧。 
  34. ^ “梅宮辰夫 松方さんとの強い絆 病床に届け続けた「辰兄の作る弁当」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年1月24日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/24/kiji/20170124s00041000100000c.html 2017年1月24日閲覧。 
  35. ^ “梅宮辰夫、悲痛…盟友・松方さんの密葬に参列「骨だけがバラバラに出てきて…」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年1月24日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/24/kiji/20170124s00041000095000c.html 2017年1月24日閲覧。 
  36. ^ a b 松方弘樹さん、お騒がせ私生活 隠し子騒動、パイプカット告白…離婚も2度
  37. ^ a b c 松方弘樹さん 波瀾万丈の女性遍歴 - 東スポWeb
  38. ^ 仁科亜季子ら家族にみとられ…岩井半四郎さん死去 ― スポニチ
  39. ^ 『昭和名優のダンディズム』梅宮辰夫編 東京スポーツ 2016年6月23日付18面
  40. ^ 松方さんが特大マグロ釣る 山口県沖で325キロ『共同通信』2009年11月22日
  41. ^ 京都中に人脈「全部俺につけて」電話/松方さん悼む - 日刊スポーツ小倉キャスター、松方弘樹さん悼む「初めて会った時に殺されると思った」
  42. ^ キャラクター”. 十五少年漂流記〜海賊島DE!大冒険〜公式サイト. 2014年5月6日閲覧。

外部リンク[編集]