中尾彬

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なかお あきら
中尾 彬
生年月日 1942年8月11日(74歳)
出生地 千葉県木更津市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
血液型 O型[1]
職業 俳優タレント
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1964年 -
配偶者 茅島成美1970年 - 1975年
池波志乃1978年 - )
主な作品
テレビドラマ
暴れん坊将軍
炎立つ
秀吉
GTO
義経
映画
本陣殺人事件
白昼の死角

中尾 彬(なかお あきら、1942年8月11日[1] - )は、日本俳優タレント千葉県木更津市出身[1]古舘プロジェクト所属。

前妻は茅島成美、現在の妻は池波志乃。義父は落語家10代目金原亭馬生、義祖父は5代目古今亭志ん生、義叔父は3代目古今亭志ん朝。姪の元夫は俳優の田宮五郎。身長175cm、血液型O型。

来歴[編集]

酒屋を営む家に生まれる。

1958年千葉県立木更津第一高等学校へ入学。バレーボール部主将を務め[2]1960年には油彩画の「石の花」が千葉県美術展に入選するなど絵の才能を発揮したのち、1961年武蔵野美術大学油絵学科へ入学する[1]。しかし何故か1962年日活ニューフェイス(第5期)に合格[1]後、映画デビューするも、絵の道を捨てきれず翌年に大学を中退してフランスへ留学する[1]。だが諸般の理由で留学期間を短縮し、1964年に帰国、演劇の道を再び目指す。

同年、劇団民藝に研究生として入団。同年、中平康監督・加賀まりこ主演の日活映画『月曜日のユカ』に助演し[1]、期待の新人俳優として注目を浴びる。1970年に日活と民藝を離れてフリーとなってからは、各映画会社やテレビで活動を始める。

1975年、『本陣殺人事件』にて主役・金田一耕助を演ずる。

1977年からは『暴れん坊将軍』の徳川宗春役(初代)を演じ、当たり役となる。

1978年から再び絵を始め、同年に個展(2回)を開催した。創作活動はその後も継続して行われ、フランスのル・サロン展にて大賞(「BUNRAKU・狂乱」、1981年)、国際賞(「COUNTRY・故郷」、1982年)を受賞後は、定期的に個展を開催することとなる[1]

1998年の『GTO』での内山田ひろし教頭役以降、現代劇への出演が増加。

2007年3月31日早朝、毎日放送の生番組『知っとこ!』レギュラー出演のために滞在していた大阪市内のホテルで、高熱を出す体調不良を訴えて救急車で病院に運ばれ、急性肺炎および横紋筋融解症と診断された。ICUで絶対安静の状態であったが、4月3日夕方に一般病棟へ移った。5月に入り大阪市内の病院から都内の病院へ転院して5月15日に退院した。その後、しばらくの自宅療養の後に6月30日放送の『知っとこ!』に生出演し、約3カ月ぶりに芸能界復帰を果たした。復帰の第一声は「地獄からはい上がってきました」であった。

人物[編集]

高校の先輩に千葉真一がおり、日本体育大学に在学中の千葉が教育実習で指導した生徒が中尾で、教師と教え子の関係である[2]。千葉の授業をよくサボっていた中尾は、芸能界で再会したときに「前田さん(千葉の本名)」と挨拶し、「理由もなく、単に反抗したかったんです」と非礼を陳謝[2]。中尾が出演していたドラマ『二人の刑事』(TBS )を千葉が「観ているぜ」と言うと、中尾は「光栄です」と低頭している[2]

「俳優になりたい」と考え、長谷川一夫の門を叩いたが「高校を出たら、またここに来なさい」と言われた(この時点では、「単に時間の猶予を与えられたのだ」と思っていたが、現在では「『高校の勉強は最低限勉強しておくべきものだから、しっかり勉強しなさい』という意味を持っていたと考えるようになった」という)。

石坂浩二とは喧嘩友達で、前田吟峰岸徹安岡力也とは駆け出しの頃から共にしてきた仲で、江守徹とはコンビで番組に出演したりするほどの仲。中尾自身は「同じ舞台に立っているのだから、(本番中は後輩や年下のタレントが自分に対して)どんな失礼なことがあっても気にならない」と語っている。

ネクタイが嫌いで(役を演じる場合には身につける)、マフラーのぐるぐる巻き(いわゆる「彬(中尾)巻き」。池波いわく「ねじねじ」)を好んでおり、今や自他ともに認めるトレードマークとなっており、1990年代前半、海外ロケの移動中に飛行機の中でイライラしながらマフラーをよじっていると取れなくなり、そのままにしていたところ、「オシャレだな(レストランのシェフみたいで)」と共演していた神田正輝から褒められたことがきっかけ(「ねじねじ」は300本、春夏秋冬、冠婚葬祭により使い分けていて、葬儀の際は黒のマフラーを着用するという域)。夏季には「ねじねじ」がプリントされたTシャツを着用する。

趣味の1つとして万年筆集めがあり、これまでに50本、高い物は1本56万円もして、これまでに500万円以上使っている。また宝物として2007年に病気を患って退院後に、島田紳助から退院祝いとして貰った、キャップのクリップ部分が「ねじねじ」になっている、ペン先に中尾の顔が描かれている万年筆を挙げ、お金に変えがたいものとして大切にしている。

絵画陶芸が趣味。住まいは台東区池之端だが、沖縄にアトリエを構えている。その関係からか琉球放送で毎週日曜日午後7時から『中尾彬・沖縄時間』というラジオ番組を持っている。

ガリガリ君が好きで、『日本一おいしいスイーツ』と評している。また、ガリガリ君の一番おいしい食べ方は、買いに行ったコンビニから家に帰るまでに食べるのがいいという。相当数のガリガリ君を買っているために家に当たり棒が3本あるが、自分で行くのは恥ずかしいので引き換えに行かず、お守り代わりに持っている。この事をテレビで言った所、赤城乳業からガリガリ君が「ねじねじ」を巻いた特別なバージョンのパッケージのガリガリ君をプレゼントされた。好きなフレーバーはマンゴー味。またハッピーターンも大好物。

前妻は女優の茅島成美で、1970年に結婚した。一児(現在グラフィックデザイナー)を儲けるも、女優・池波志乃と共演をきっかけに不倫関係となり1975年に離婚、1978年に池波と再婚した。池波は中尾が自宅でゴロゴロしているのがいやだという。理由は「男が家でゴロゴロしていると、色気や男気がなくなる」のこと。これは、池波の実父などが芸で身を立てた人物であることから来ている。中尾が家でゆっくりすることができたのは、2007年2月に肺炎で入院して、その後の自宅療養を主治医から指示されたからとコメントしている。

ダウンタウンとの共演が多く、世間的には本格的にバラエティーへ進出するきっかけを作ったのは彼らの影響だと思われがちだが、実は最初にレギュラー出演したバラエティーはウッチャンナンチャンの『ゲッパチ!UN アワーありがとやんした!?』(当番組にて南原清隆が中尾をマネたキャラ「中王彬」に扮して後に南原に内緒で中尾本人が登場するというドッキリ企画が本格進出するきっかけ)。

中尾鍋」と呼ばれる、白菜バラを使用した鍋料理を考案し、テレビ番組で度々紹介されている。

やっぱり猫が好き』での劇中で「中尾彬百発(殴った様な顔)」と表現されたことがある。

2007年2月脳梗塞で江守が倒れ、同年3月に自身が急性肺炎と相次いで大病を患ってからは、飲酒と煙草は止めている。

田苑酒造とのコラボレーション企画で、全量四年樽貯蔵の麦焼酎“中尾AKIRA”をプロデュースした。

出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

OV[編集]

OVA[編集]

ゲーム[編集]

吹き替え[編集]

バラエティ[編集]

ドキュメント[編集]

PV[編集]

CM[編集]

その他[編集]

受賞歴[編集]

2015年度

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h タレント 中尾彬”. 古舘プロジェクト. 2012年5月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 「モーレツ体操教師と生徒 千葉真一 + 中尾彬」、『週刊明星』第23巻、集英社、1970年6月14日
  3. ^ 魚住少尉命中 「NHKアーカイブス」バックナンバー2001年7月”. NHKアーカイブス. NHK. 2015年7月15日閲覧。
  4. ^ ビートたけしが「龍三と七人の子分たち」に4冠授ける、東スポ映画大賞発表”. 映画ナタリー (2016年1月26日). 2016年1月27日閲覧。

外部リンク[編集]