どてらい男
『どてらい男』(どてらいやつ)は、花登筺の小説。『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)に連載された。山善を興した山本猛夫をモデルとした立志伝である。第一部が全6巻、第二部が全5巻の二部構成、全11巻からなる。原作者の花登が脚本を担当してテレビドラマ化されたのが好評を博し、角川文庫(角川書店)から文庫化、また、映画、舞台、漫画にもなった。舞台作品は近年では、2006年10月に京都の南座で29年ぶりに再演されている。
題名にある「どてらい」とは、紀州弁で「凄い」「とんでもない」の意。近代以降の大阪をステレオタイプ化した作品の1つである[1]。山善はこの作品を社業・社史の一部に位置づけており、テレビドラマ放映中の1975年から「どてらい市」と名付けた商談会を開いている[2]。
小説のストーリー[編集]
大阪立売堀は鉄問屋の町である。その立売堀でも一流の機械器具問屋前戸文治商店に福井から大阪に出て来た主人公・山下猛造(やました もうぞう)が、親友の尾坂とともに丁稚として住み込んだのは昭和十年春のことである。背が低く小太りの新入丁稚、山下猛造が一人で円タクに乗って来た、しばらく後に猛造の父と親友の尾坂が大阪駅から歩いて来た。猛造の型破りな行動は入店早々から店主前戸文治、支配人岡田に「どてらい男が入ってきよった」と期待と恐れを抱かせるが、その反面先輩からの風当たりは強く特に手代格の竹田は何かにつけて露骨に敵意を示す。猛造は女中のお秋に特別に握りめしを作ってもらい、迫害に対抗する。
前戸文治の義妹の弥生は文治夫人とは長女と四女で違いがあるだけに歳の開きは親子ほどあった。京都の両親は早くに他界し、弥生は女学校を卒業すると前戸家に引き取られた。竹田は弥生との縁談が進行中で弥生への満たされぬ思いを芸妓の糸路を抱くことで憂さを晴らしていた。その隙をついて猛造は、偽電話で竹田に復讐するが、かえって前戸から手厳しい叱責を受ける。
取り扱う商品がすべて輸入商品である商売は、英語が読めるか読めないかが大きくものを言った。竹田をはじめ先輩店員達は猛造を苦しめるのに特別の手段がいらないことを悟った。アルファベットを言うだけで猛造は手も足も出なかった。風呂焚きを日替わり交代でしていた猛造と尾坂は弥生に英語の教えを乞う。弥生は風呂の湯気で曇った窓ガラスにA B Cと書くが猛造達には反転文字である、尾坂がそれに気づいて大笑いの二人だった、そうこうして翌年の春に夜間中学に入学する。
背広を着た中学生ケント商会の芋生と出会った、芋生に食事に誘われ料理屋へ行くと芸妓が、七、八人。猛造は二人の芸妓は挟まれてドギマギしていた、遅れて千代菊という名の芸妓が現れた。芋生は千代菊を好いているようであったが、芋生を相手にしたくなかった千代菊は山下猛造さんと呼び、芋生が驚いていると千代菊が猛造の授業料を払って学校へ行かせていると言い出した。千代菊は隣の部屋にある風呂敷に山下猛造の名前を見たのであった。千代菊は別のお座敷に呼ばれて行った。猛造は酔いつぶれて寝てしまう。猛烈な喉の渇きに目を覚ますと隣に糸路という芸妓が居た。時間を尋ねたら午前三時であることを伝えられた、丁稚は仕事以外の外出は如何なる場合にも許可を得て十一時半までに帰店、無断外泊は厳罰に処された。店に着いたのは午前四時を過ぎていた。結局竹田に見つかってしまい主人の前戸から減俸処分と外出禁止処分を受ける。竹田の妨害で学期末試験の勉強が出来ず芋生と教師の買収を思いつくが失敗に終わる。しかし何とか落第はまぬかれた。
猛造は屋根の上に居た。そこからは主人一家の住居が丸見えであった、竹田の両親と前戸夫妻が縁談の話し合いをしていた。猛造は何気なく、主人達の話し会いを立ち聞きしているお秋を発見する。お秋が前戸夫人に見つかりそうになり、お秋に大声で叫ぶと猛造は屋根から地面に落ち、お秋がこの世のものとは思えぬ悲鳴を上げた、それにびっくりした前戸は、けつまずき棚の茶碗を頭から浴びてしまった、猛造は前戸と同じ病院に入院したのである。お秋は立聞きしたことで暇を出された、尾坂の忠告で痛む身体の猛造は前戸の病室へ赴き、竹田の倍売って倍儲け半年間で竹田の倍売ったら竹田と弥生の縁談を破談にするとの約束を前戸から取り付ける。この縁談に気の進まない弥生は猛造に感謝する。
猛造は外交の基本を知らない為最初の一カ月は全く売れず、竹田に給料泥棒と罵倒される。ある店で初商いをし喜んで店に帰り岡田支配人に話したところ、前戸では国産品は扱わないと聞かされるが、岡田支配人を説き伏せて猛造は国産品専門で商いするのであった。商いをするにあたり猛造は新規の店には開店直後か閉店間際を狙って売り込みに行き、一度取引が出来たら中間時間に行って「こんにちは前戸おおきに!」と背の低い分声を張り上げて入っていく。いつしかそんな猛造が人気者になっていった。そして四カ月目の今、売上成績は竹田と同額に追いついた。「前戸おおきに」鳥打帽に丁稚の着物、のそりと小太りの姿を現す猛造を見て、こって牛と言われた。そして六カ月目 竹田の二倍はおろか三倍を売上げたのである。
前戸から竹田と弥生の縁談を破談にすると言われた。とある店の事務所で、くたびれた背広にネクタイも曲がり無精ひげの年老いた外交に声をかけられた、外交に行く先々で時々見かける顔だったその老人から昼食に誘われ、大石老人から得意先を自分のものにする為には心がなければならない事を商いは心やと教えてもらった、店に帰り岡田支配人に大石老人のことを聞くと外交の神さんと言われる。大石は大石善兵衛といい大石善商店店主をやりながら堀田商店の番頭を兼ねていた。その翌日から得意先に行き掃き掃除や拭き掃除をした外交が目的では無い掃除だけ済ませて帰る時もあった。
戦争が激化してくる中、前戸の店からも先輩店員三名が招集令状を受けた。猛造は近畿一円に得意先を広げ、かつての前戸商店の総売り上げの一か月分を一人で売っていた。そのころ竹田にも召集令状が届いた。猛造は東京に進出し、軍隊を得意先にしようとしたが陸軍省は東京にある。岡田支配人に東京に販路を広げる事を告げると岡田に帰りに家に寄れと言われる、そこで岡田の娘清子と出会う。岡田は嫁と別居していて嫁は東京暮らしの為清子は東京育ち、岡田は猛造の為に東京を教えるために清子に会わせたのである、清子に逢ううちに愛が芽生えた、そんな時に岡田に召集令状が届いたのである。岡田の出征祝いが前戸商店の二階で執り行われた。そこで前戸から猛造を次の支配人にすると告げられる。猛造と岡田は二人きりの二次会をしていた。その席で岡田から清子の婿に尾坂を迎えたいと告げられる。猛造にとっては、まさに青天のヘキレキであった。自分の愛する清子が尾坂の嫁にと苦悩するが親友尾坂の為自ら身を引き、また清子も東京に帰ったのである。
猛造の東京での初仕事は玄関払いであった。店の主人と会っても大阪商人が嫌いだから取引をしないと言われる。翌日も三軒断られ四軒目の店で主人から安ければ大阪であろうが取引すると告げられた。ところが猛造が値段の駆け引きをした為に大阪では通じても東京じゃ通じないぜと断られ店を出ると、いきなりタクシーが急停車した。その車から大石が降りて来た。大石は東京では決まった車を貸し切り一日目はあいさつ回り、二日目は横浜の車で回り、三日目に東京の集金と注文をしていた。そこで猛造は二日目に車が空いてることを知って貸し切り、大石と同じ所を回って、そのほとんどの店で注文を取ったのである。大阪に戻った猛造は五万六千円の売上報告とタクシーを使用した事を報告すると前戸はタクシー代を猛造の給料から天引きにする。東京の繁華街を歩いていた時に何気なく横を見ると清子が居た。清子は母からの勧めで中学教師と結婚したのであった。
猛造がガムシャラに売っていた東京方面の売上は月間百万円を突破した。猛造の販売成績を上回る者は、立売堀のどこを探しても見当たらない、兵隊にとられた店員は二十歳未満か五十歳以上に限られ十八歳の猛造は群を抜いていた。前戸はこの飛躍的な利益を見て会社組織に切り換えた。会社組織になると同時に給与規定も改められ、小学校卒と中学校卒とはっきり基準が分けられた、猛造の月給は八円と支配人手当の二円で合計十円、同期で入店した中学校卒は十二円、前戸社長の給与は百五十円だった。この給与の不公平差で前戸と衝突した。会計担当者村田が特高警察に通報し、猛造は逮捕され取り調べを受けたが、引取人として来た前戸に「この山下にアカの嫌疑は無いつまらんことで訴えるな」と刑事が怒鳴りつけた。尾坂は猛造に対して、こんな事を告げられる程、恨まれる自分をもう一回考えろと猛造の心臓を突き刺すことを言う。
ドラマのストーリー[編集]
故郷の福井から大阪に出て来た主人公・山下猛造(やました もうぞう)が、昭和十年大阪立売堀の機械工具問屋「前戸文治商店」へ丁稚奉公に入る。同郷出身で裸一貫から起業し、立売堀でも指よりの問屋に育て上げた前戸商店の創業者前戸文之助の様な立派な商人になる大望を抱き、持って生まれたど根性と型破りな行動から故郷ではどてらい男と呼ばれた猛造の新米丁稚らしからぬ言動は、主人の前戸をはじめ生意気だと先輩店員たちの反感を買う。中でも、番頭の竹田が忌み嫌い店から追い出そうと執拗に嫌がらせをする。しかし親友の尾坂、先代の娘弥生、支配人岡田、女中のお秋といった理解者に助けられ困難を乗り越えていく。
前戸文治は跡継ぎの兄(弥生の父)が他界した為、銀行を退職して若旦になり創業者の父も他界すると、二代目店主になるも商人の才覚もなく遊郭で遊びまわり業績は悪化する。店の将来に不安を感じた弥生は叔父の前戸から勧められた竹田の結婚を断り、自ら経営に乗り出す、結婚を断られた竹田は店を辞めると言い出す、営業トップの竹田に辞められると困る前戸は、嫌がる弥生を説き伏せる。猛造は、お秋と深い関係にありながら弥生と結婚しようとする竹田から弥生を救おうと、前戸に竹田の倍売って倍儲け、半年間で竹田の倍売ったら破談にするとの約束を取り付ける。猛造は外交員に成り、はりきって得意先回りをするが、外交の基本を知らないため途方に暮れる。“将軍”と言われる凄腕の外交員大石に出会い、商いの厳しさを教えられる。得意先の店舗の掃除周りから地道に始め、奉仕して猛造は得意先の心をつかみ、売上を上げ、竹田の成績に肩を並べ、ついには追い越すまでになった。焦った竹田はほかの店員の売上を自分の成績に加えるという姑息な手段に出て土壇場での巻き返しを図ったが、小細工はすぐにばれて猛造は勝った。しかし喜んだのも束の間、女手ひとつで店を切り盛りしようとした弥生は、無理がたたり入院。肺病の弥生と結婚しなくて良かったと暴言を吐く竹田はクビになった。戦争が激化してくる中、岡田支配人に召集令状が届き出征するなど、立売堀にも戦争の影が忍び寄る。販売課長に出世した猛造は軍需商品の需要が増える事を見越して、東京への販路拡張に意欲を燃やし、前戸の反対を押し切って東京に乗り出す。元々東京の商いに乗り気でなかった前戸は、東京で円タクを使った外交の費用を猛造個人に負担させる。以前から前戸の経営方針に不満を抱いていたが、この一件で経営者としての前戸に見切りをつけ、一年間のお礼奉公をして弱冠二十歳で独立し、山全商店を設立する。猛造の故郷では、母よねが村一番の出世頭になった息子のために、福井の洗濯屋兵庫屋に嫁いでいる実妹の娘茂子との縁談を勝手に進める。召集令状が届き入隊を控えて故郷に戻った猛造は、茂子の幸せを思い、明日にも知れない自分との結婚はやめたほうがいいと説得するが、茂子の嫁入りの決意は固く猛造と茂子は祝言を上げる。翌朝猛造が入隊すると、茂子は大阪の山全に向かい三人の丁稚と働き始める。入隊した猛造は病気を理由に除隊になり、大阪に戻った猛造は、茂子という最良の伴侶を得て、一層商売に邁進する。恨みを持つ前戸は経済警察に山全商店が軍の指定工場という名目で仕入れして闇取引を行っていると密告する。当時闇取引をしない問屋は皆無だった。そのため経済警察に逮捕され厳しい取り調べを受けたが猛造は、立売堀の同業者を守るために黙秘を貫き通し無罪放免になった。しかし二度目の召集令状が届く。今度は簡単に戻れないと判断した猛造は、山全商店を畳む。同じく竹田・前戸にも召集令状が届く。前戸に代わって前戸商店の看板を守る尾坂に、必ず戻って来るからそれまで立売堀の事は任せたと頼み、茂子には必ず生きて帰ってくると誓って出征する。
猛造の配属された部隊の班長・坂田軍曹は、元の職業は風呂屋の番台であり、インテリや成功した人間へのコンプレックスが強かった。その為、口の達者な猛造は早々に目を付けられ、ことあるごとにしごきを受ける。しかし煙草で商いをしたり兵隊仲間と株式会社を作って金儲けをしたりして軍隊を生き抜く。日本の敗戦が濃厚となり、本土は連日激しい空襲を受けるようになった。猛造たちを乗せた輸送船は、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没する。九死に一生を得て、沖縄に上陸した猛造たちの部隊は、アメリカ軍との戦闘を開始するが、猛造をはじめ生き残った日本兵は洞窟へ逃げ込む。絶体絶命のピンチに陥っても猛造の不屈の闘志は健在だった。昭和二十年八月十五日、日本は敗戦した。終戦を迎えた日本兵たちはアメリカ軍の捕虜になり、捕虜収容所に収監される際に猛造は、陸軍大将塙団右衛門と名乗る。アメリカ軍により塙大将として日本人捕虜の最高責任者、大隊長に任命された。演芸会を開催して捕虜たちを勇気づけたり待遇改善に尽力したりと大活躍した。しかし坂田軍曹と竹田が捕虜収容所に入ってきて、猛造が二等兵である事を密告し、MPに逮捕され階級詐称の罪で裁判を受けることになる。大阪では主人のことを大将と呼ぶ習慣があると坂井が弁護するものの、猛造の有罪は確実と思われたが、司令官は、日本人将校の多くが敗戦後、責任逃れで階級を下に偽る中敢えて大将を名乗った猛造の勇気を称え無罪の判決を下す。坂井から敗戦国日本の円の値打ちが下がりアメリカのドルが強いことを知ると商魂が沸き、アメリカ軍の倉庫の余ったパラシュートで、ネクタイやスカーフ等を製作販売した。多額のドルを稼いで、日本に戻ってからの商売の元手とするためだった。茂子と尾坂の二人は猛造は生きているとかたくなに信じていたが、それ以外の人たちは猛造は戦死したと考える。茂子の実家の両親は兵庫屋の従業員の楠と再婚させようとする。役場から猛造の戦死の知らせを受け取った猛造の母よねは、茂子を思い切らせるために茂子の籍を抜く。周囲の圧力に屈して茂子は楠との結婚を承諾する。そのころ沖縄では、一刻も早く帰国したい猛造が傷病兵が優先されることを知り、しびれや神経痛の偽病が裏目に出て、アメリカ陸軍病院に長い間研究材料として入院することになる。しかし、ついに猛造にも帰国命令が出され、秘密裏にドルを持ち込むため体に包帯を巻き日系二世を装い復員船に乗船し帰国する。
名古屋港を経て福井へ戻った猛造は、焼け残った家屋の間をアメリカ兵のジープが走り回る変り果てた故郷の姿に暗い気持ちにさせられる。兵庫屋へ行くとお秋と堤先生に会い茂子の再婚話を聞かされたため、茂子を取り戻しに城ケ崎に向かう。途中で汽車が無く乗り換えたトラックも崖崩れで先に進めず山道をひたすら歩いて城ケ崎を目指し、挙式寸前に婚礼会場の旅館に辿り着き、旅館の女将の計らいで花嫁衣裳の茂子と再会する。心ならずも猛造を裏切ったことに罪悪感を抱く茂子を大きく包み込む猛造。茂子を三方村の実家に預けて単身大阪へ戻った猛造は、三年ぶりの立売堀が焼け野原になっていることに呆然とする。谷町で前戸商店の看板を守っている尾坂と再会を喜び合う。同じころ前戸と竹田も復員して来た。沖縄で稼いだドルを元手に再び立売堀に店を興そうと考えるが、商売しようにも戦後の物資不足で肝心の商品が手に入らない。安価で仕入れしやすい機械工具を買って商売する仕入先として摂津工具というメーカーに目をつける。そこには、かつて前戸商店に摂津工具から外交として来ていた男が今は部長になっていた。巧みな駆け引きで品物を仕入れる約束を取り付けたが、統制品を扱うには営業許可証が必要で、問屋で唯一許可証を持っている谷町の老舗問屋中西彌商店に代名義を融通してもらうたため正体を隠し、ただ働きをする代わりに商品を仕入れさせてほしいと、やり手の支配人門田に願い出て許される。猛造は一日も早く立売堀で商売をしたいとの思いから立売堀復興会を立ち上げる。門田が猛造の商人としての力量を見込んで、また、先代主人の娘かな子が好意を持っているのを知った猛造は中西彌商店を辞め、新会社設立に向けて本格的に動き出す。
そしてついに念願の立売堀に新会社天守産業株式会社を設立。開店初日には、大勢の人がお祝いに訪れた。立売堀の長年の歴史を見守って来た由緒ある灯篭が、今は無き立売堀の老舗問屋から届けられる。その灯篭に火をともすと猛造は必ずこの立売堀の昔のように活気ある街にすると尾坂と誓い合う。尾坂が苦労して戦争中も守り通した前戸商店の看板を、復員して来た前戸との話し合いの結果、尾坂と前戸の共同経営とするが、しばらくすると復員して来た竹田が前戸に取り入って尾坂を差し置いて勝手し放題にするので、ついに尾坂も堪忍袋の緒が切れ独立を決意する。前戸に雇われた友子は尾坂の監視役であったが、尾坂の誠実さに魅かれ友子も前戸を去った。尾坂は商品受け渡し専門の運送会社平和運送を猛造の支援により創業し、順調に業績を上げていく中、スピード運送なる新会社が二割引きでの運賃でのチラシを撒く。この会社は前戸と増田の共同経営に竹田を加えた会社であった。平和運送とスピード運送の対立は、傷害事件にまで発展し新聞沙汰になり、スピード運送の悪評が立つと、増田の実父、通称金増が前戸を解任して竹田を新社長に任命し、平和運送の信用を落とすために運転手を平和運送から金の力で引く抜く。窮地に立たされた尾坂は自分で運転するが、自損事故を起こし入院することになる。友子は自分を責めて尾坂を助けるため、前戸に身をまかせるがすでに前戸には何の権限もないことを知り、愕然とした友子は死を思い川辺にたたずむ。茂子は思いつめた友子を心配して探しに行くと川に浮かんでいる友子の靴を見つけた。尾坂は友子が入水自殺を図ったのではないかと苦悩し、平和運送は危機に陥っていた。三輪トラックの購入代金返済に苦労する尾坂を助けるべく猛造は平和運送の新規事業として三輪トラックを、円タクよりも小型の三輪タクシー“半タク”に改造し人を乗せて商売にすることを思いつき、トラック会社大星産業の森田社長に半タク製造を持ち掛け了承を取り付ける。スピード運送から半タク事業を妨害するために竹田に呼ばれた坂田元軍曹が、森田社長に反目している岡専務一派をけしかけて、半タクの試作車をスピード運送に提供させようとする。傷病兵の情報で猛造は海野を連れて海野の母の居場所に行き、無事親子の対面を果たした。その頃、先に大阪に帰った森田が猛造との半タク事業の契約書作成の途中で持病の心臓発作を起こして自宅で倒れ込んで急死する。大星産業で実権を握った岡専務たちは、半タク事業のパテントを申請して一歩先にでるが、猛造の熱意により半タク事業のパテントを見事に手中に収め半タクの試走にこぎつける。猛造にとっては尾坂を助けるだけでなく自分自身の時代を見極めるという重要なものだった。当初半タクは知名度がなく客集めに苦労したが、一度新聞に取り上げられてからは、大反響を呼び大当たりした。猛造が半タクにかかりきりになっている間に天守産業は大きな危機に見舞われていた。仕入れを一手に任されていた蔵先が、自分の儲けも狙って売れる見込みも無いショベルを大量に仕入れて在庫の山を築いていた。猛造は、私利私欲を図った蔵先を激しく叱責した。猛造が下した蔵先への厳しい処分に、癖のある新入社員の黒田がワンマン経営者の横暴だと糾弾し、社員たちを洗脳し天守産業に労働組合を結成する事になった。社内で孤立する猛造だったが労働組織体・総革新の森川正憲との話し合いで共鳴し、いずれは作らなければならない商人としての組合の在り方を考え自ら労働組合を結成する。結団式の席上で経営者としては異例の組合顧問に就任し、社長を茂子に譲ると発表する。猛造の考えを理解できない立売堀の経営者達は、天守産業を立売堀から追い出そうとする。天守産業が倒産するという噂が飛び交い、売掛金を集金するために多くの者たちが押し寄せたことで金庫が空になる。そこにきて大量の在庫の元凶であるショベルの仕入先平和プレス産業が売掛金の催促をしてきた。会社の評判を取り戻すため窮余の一手で考えついた巧みな駆け引きで売れ残りのショベルを新製品の文化鍋と交換させる。
当座の危機を乗り越えて一息ついたのも束の間、茂子の実家から父・弥之助の危篤の知らせが届く。茂子は福井へ向かった、猛造も後を追った汽車の中で広さんという風変わりな男と会った。得体のしれない箱を座布団を敷いて座席を占領していた。嫁さんの遺骨だと言う。広さんの体から甘いミルクの様な匂いがして猛造はケーキ屋だと思う。広さんこと日野広之進は天才肌のケーキ職人で物資が不足する中で大阪でケーキ工場を営んでいる気骨のある男であった。広さんのケーキを食べ、旨さに感動した猛造は甘味好きの義父弥之助のために広さんのケーキを買い、昏睡状態の弥之助にそのケーキを口にはこび食べさせると奇跡的に意識を取り戻し家族を喜ばせる。茂子は実家に残り弥之助の看病をする。大坂に戻った猛造に新たな問題が起こっていた。平和産業の文化鍋が予想に反してまったく売れず逆に返品したショベルの注文ばかりだった。新製品の文化鍋は家庭用としては大きすぎたのだ。もともと専門が機械工具なのに、専門外の家庭雑貨に手を出したのが敗因だった。売れない鍋を山のように在庫として抱え途方に暮れる。弥之助は徐々に回復してきたが、茂子は年老いた両親のことを思い兵庫屋を継ぐことを決意し、戦争孤児を引き取って従業員として雇う。
そんな茂子のために猛造は広さんのケーキを注文するが、何故か嫌な予感がした。そのケーキが猛造の元に届けられた直後に地震が起き、震源地は福井で被害は甚大だという一報に、猛造は茂子のことを気遣いながらも、震災なら炊き出しで大きな鍋が必要となると踏んで身の危険も顧みず福井に向かう。福井に着いた猛造が見た町は目を覆いたく成る様な惨状だった。兵庫屋も倒壊し茂子は行方不明、地震で崩れた家屋の柱に挟まれた弥之助を助けようとして梁の下敷きになり臨時の診療所に担ぎ込まれた。茂子を必死で探し回り、地震で橋がなくなった川を必死で泳いで渡る猛造は震災臨時診療所にようやくたどり着いた。そして母よねと再会し、その場に横たわっている茂子を発見する。茂子は猛造を待っていたかの様に、猛造の手を握りしめながら安心したかのように息を引き取る。福井で行われた合同慰霊祭に出席した猛造は尾坂に励まされるが茂子を失った痛手はかなり大きく憔悴しきっていた。大阪でラジオの実況を聴いていた広さんも富子に猛造がしばらく立ち直れないだろうと語った。茂子の遺骨と一緒に大阪に戻る猛造を見て、精神的な支えであり、苦楽をともにしてきた最愛の伴侶を失った悲しみと喪失感は大きいにもかかわらず涙を見せずに強がる姿を尾坂や従業員たちは見守るしかなかった。茂子の告別式の日悲しみの淵に沈む猛造をあざけるかのように、紅白の花輪が届けられる。差出人は前戸だった。一時は日雇い労働者まで身を落とした前戸だったが、大手不動産会社を経営する佐々木に取り入り孫娘の婿になっていた。前戸が立売堀に設立する佐々木産業の開店日に葬式の花輪を贈る。それまでの経過を知らない立売堀の商人たちは商人道義にもとると猛造の行為を激しく非難し、立売堀の連合会は退会処置をつきつける。茂子を失った悲しみで自分を見失い商人としては、やってはならないことを悟った猛造は、成長した木下を中心にしばらく従業員たちに天守産業をまかせて、広さんから依頼されたメリケン粉の入手を試み、猛造の参謀を務める海野は広さんを訪ねて秘策を伝授してもらおうと考え、進駐軍が保管するメリケン粉の入手に専念する。広さんのためにパン粉の調達に奔走する猛造だったが自分の店に帰ってみると売り上げはゼロ。尾坂からも今の状態が続けばあと10日で倒産すると告げられまさに四面楚歌だった。富子は広さんに進駐軍の倉庫ならパン粉が売るほどあるはずなので泥棒に入る事を勧められ困惑する。猛造は広さんのために富子を連れて進駐軍のキャンプへパン粉の調達のために向かう。その途中で前戸が社長の佐々木産業の顧問に抜擢された坂田と再会し罵倒される。蔵先が佐々木産業に乗り込み坂田とケンカをし警察沙汰になってしまった。猛造は激怒するが尾坂には蔵先の意図が理解出来た。騒ぎを大きくして坂田のインチキ商法を暴露しようとしていたであった。尾坂は前戸の義父佐々木にこれまでの前戸の悪行を洗いざらいぶちまける。以前から前戸の言動に不審を抱いていた佐々木は前戸社長を解任し、社長に佐々木が就任して取引先に天守産業を助ける様に依頼する。この佐々木の依頼により天守産業は危機を脱する。猛造は生死が不明だった友子と偶然再会する、友子は夜の女になっていた。尾坂は友子と会うが、友子はわざと乱暴な言葉使いをし蓮っ葉な女の振舞いをして、尾坂にわざとシミーズ姿で坂田と寝ている姿を見せて「私はこんな女なのよ!もう、近づかないで」と言い、これを見た尾坂は愕然とし未練を断ち切り、尾坂に好意を持っていた若い従業員の美香との結婚を決意する。その友子は、戦前、前戸商店で支配人をしていた岡田老人と結婚する。竹田は最後落ちぶれた岡田老人に諭されて、竹田はぽつんと「ついてない…ほんまについてない」とつぶやき、坂田は悔い改めて仏門に入る。
猛造のお陰で思う存分ケーキ作りができるメリケン粉を入手した広さんは、マッカーサー元帥に自分のケーキをプレゼントしたいという新たな相談を猛造に持ち掛ける。日本とアメリカを結ぶケーキ親善大使を自称して尾坂のトラックで大阪から東京へケーキを運ぶ。マッカーサー元帥の誕生日ケーキを作ることになり、猛造は材料のココナツを仕入れるために、尾坂と共にハワイへ行く。ハワイで目にしたアメリカ製の機械工具の優秀さに感激した猛造は早速輸入する商談を現地で取り結ぶ。「三方村の猛やんが、立売堀の猛やん、大阪、日本、そして世界の猛やんになるんやな」と尾坂が言えば「ロックフェラーに負けとられんぞ」と猛造が答える。それから三十年後、尾坂の予言通り山下猛造は世界の猛やんになった。そこには金縁の眼鏡に派手な柄シャツに白い背広を着た猛造。ハワイのビーチでグラスを傾けて寛いでいる。長い髪のビキニ姿の女性が前を通り過ぎ、その姿が亡き妻茂子にそっくりで昔を思い浮かべ、一人寂しそうであった。山下猛造の”どてらい男”の物語。
テレビドラマ[編集]
どてらい男(ヤツ) | |
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ドラマの収録が行われた関西テレビ旧社 | |
ジャンル | テレビドラマ |
原作 | 花登筺 |
脚本 | 同上 |
出演者 | 西郷輝彦 他 |
製作 | |
制作 | 関西テレビ放送 |
放送 | |
放送国・地域 | ![]() |
どてらい男 | |
オープニング | 西郷輝彦「どてらい男」 |
放送期間 | 1973年10月2日 - 1975年3月25日 |
放送時間 | 火曜22:00 - 22:55 |
放送枠 | 関西テレビ制作火曜夜10時枠の連続ドラマ |
放送分 | 55分 |
回数 | 78回 |
どてらい男 戦後篇・激動篇・死闘篇・総決算篇 | |
オープニング | 西郷輝彦「どてらい男」 |
放送期間 | 1975年4月6日 - 1977年3月27日 |
放送時間 | 日曜21:00 - 21:55→21:00 - 21:54 |
放送枠 | フジテレビ系列日曜夜9時枠の連続ドラマ |
放送分 | 55→54分 |
回数 | 103回 |
1973年から1977年まで関西テレビの企画・制作によりフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ。全181回。
もともと関西テレビ放送の開局15周年を記念して制作された。3年半にわたるヒットシリーズとなり、歌手だった西郷輝彦が俳優としての地位を確立したドラマとなった。
放送開始当初のオープニング映像では、猛造と運転手役の西川きよしが乗るクラシックカー(当時のタクシー)背後に南海電気鉄道(現在の阪堺電気軌道)の車両(モ161等)が映っており、そのシーンは堺市内で撮影されていた[3]。
収録は大阪市北区西天満の関西テレビ本社(当時)スタジオで行われた。
2013年、TBSのドラマ『半沢直樹』がヒットした際に本作を思い出させるとインターネット上で話題となり、DVD化が検討された。しかし、ビデオテープが高価かつ貴重で使い回しが当たり前だった時代の作品であり、関西テレビのアーカイブ倉庫には第1話と最終話のビデオテープしか現存していなかった。その後、舞台になった山善でこのうち第7話から129話までの121回分を録画したUマチック方式のテープが発見され、東京のレトロエンタープライズの手によって修復・デジタル化が行われた[4]。関西テレビでは残る2 - 6話および130 - 180話の録画テープの提供を呼びかけた結果、神奈川県横浜市から第3話のベータマックステープが見つかり、さらに捜索の結果、13話の冒頭、1~12話のダイジェスト映像も見つかり、ほぼストーリーが追える[5][6][7]。録画テープの提供呼びかけは続行されており、媒体不問、音声のみのカセットテープ等も対象である[8]。プロジェクトは告知なく終了している。
2022年6月5日からCS放送・時代劇専門チャンネルにて、BS・CS通じて初となる再放送が開始された[9][注釈 1]。
放送時間[編集]
1973年10月2日 - 1977年3月27日
タイトル | 放送期間 | 放送時間(JST) | 備考 | |
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どてらい男 | 1973年10月2日 | 1975年3月25日 | 火曜日22:00 - 22:55 | |
どてらい男 (戦後篇) |
1975年4月6日 | 1975年9月28日 | 日曜日21:00 - 21:55 | 『白雪劇場』(KTV制作)との枠交換で移動 |
どてらい男 (激動篇) |
1975年10月5日 | 1976年3月28日 | 日曜日21:00 - 21:54 | 21時台ミニ番組拡大で1分縮小 |
どてらい男 (死闘篇) |
1976年4月4日 | 1976年9月26日 | ||
どてらい男 (総決算篇) |
1976年10月3日 | 1977年3月27日 |
スタッフ[編集]
「どてらい男(ヤツ)」 | ||||
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西郷輝彦 の シングル | ||||
B面 | 祇園花見小路 | |||
リリース | ||||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
レーベル | 日本クラウン | |||
作詞・作曲 |
花登筐(作詞) 神津善行(作曲) | |||
西郷輝彦 シングル 年表 | ||||
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- 原作・脚本:花登筺(戦後編のみ脚本を田坂啓と共作)
- 制作著作:関西テレビ
- (丁稚・独立篇)1973年10月2日 -
- プロデューサー:野添泰男、演出:内海佑治、三輪弘
- (戦争編) - 1975年3月25日
- プロデューサー:野添泰男、演出:山像信夫、柏原幹、岡林可典
- (戦後篇)1975年4月6日 - 1975年9月28日
- プロデューサー:山像信夫、演出:柏原幹、林宏樹、岡林可典
- (激動篇)1975年10月5日 - 1976年3月28日
- プロデューサー:山像信夫、演出:林宏樹、岡林可典、坂上勇
- (死闘篇)第130回 - 第155回 1976年4月4日 - 1976年9月26日
- プロデューサー:山像信夫、演出:林宏樹、岡林可典、坂上勇
- (総決算篇)第156回 - 第181回(最終回)1976年10月3日 - 1977年3月27日
- プロデューサー:山像信夫、演出:柏原幹、岡林可典、坂上勇
- 主題歌: 「どてらい男」(作詞: 花登筐、作曲: 神津善行、編曲: 佐々永治、歌: 西郷輝彦、クラウンレコード)
キャスト[編集]
- 山下猛造 - 西郷輝彦
- 尾坂昭吉 - 田村亮
- 支配人・岡田弥太郎 - 大村崑(この役が花登筐との最後の仕事となった)
- 前戸文治 - 沢本忠雄
- 猛造の妻・茂子 - 梓英子
- “将軍”大石善兵衛 - 笑福亭松鶴
- 番頭・竹田 - 高田次郎
- 倉庫番・蔵先 - 谷幹一
- 前戸のぶ - 中村メイコ
- 前戸弥生 - 由美かおる
- お夏どん - 森明子
- お秋どん - 亀井光代
- お冬どん - 丸山みどり
- 猛造の父・篤作 - 三浦策郎
- 猛造の母・よね - 正司照江
- 堤先生 - 本郷功次郎(訓導は旧制小学校の教員の階級。)
- 岡田清子 - 新藤恵美
- 千代菊(芸者) - 長谷川稀世
- 糸路(芸者) - 扇千景
- 芋井 - 岸部シロー
- 利村みずえ - 星由里子
- 茂子の父・兵庫弥之助 - 多々良純
- 茂子の母・兵庫和子 - 根岸明美
- 楠義一 - 常泉忠通
- 青木 - 森啓二
- 伊藤 - はなとまめ(現・坂本小吉)
- 上田 - 木村進
- 市井一子 ‐ 臼間香世
- 勝部とみ ‐ 野川由美子
- 二本榎のお嬢さん ‐ 徳永れい子
- 馬方(うまのえ)保左エ門 - なべおさみ
- 海野 守(うんの まもる) - 森次晃嗣
- 海野の父 - 北沢彪
- 海野の母 - 宝生あやこ
- 広田 - 工藤堅太郎
- 坂田軍曹 - 藤岡重慶
- 日野軍曹 - 高品格
- 飯田軍曹 - 小林昭二
- 山中曹長 - 伊藤孝雄
- 川崎中尉(小隊長) - ハナ肇
- 依田大隊長 - 田崎潤
- たま子 - 梢ひとみ
- エドモンド・オダ軍曹 - 尾藤イサオ(「戦後篇」より)
- 白山中佐 - 山城新伍(「戦後篇」より)
- 田村少佐 - 待田京介(「戦後篇」より)
- 木村中尉 - 川地民夫(「戦後篇」より)
- 坂井一等兵 - 中尾彬(「戦後篇」より)
- 坂藤 - 茶川一郎(「戦後篇」より)
- 西部 - 芦屋小雁(「戦後篇」より)
- 石川 - 石井均(「戦後篇」より)
- 小金井准尉 - 桂小金治(「戦後篇」より)
- 木下ひさお (藤吉郎)‐ 宮廻夏穂(「戦後篇」より)
- 闇行商人の姉妹 ‐ 海原千里・万里(「戦後篇」より)
- 三宅友子 - 夏純子(「戦後篇」より)
- 三宅洋一郎 - 岡田英次(「激動篇」より)
- 増田 - 中田浩二(「激動篇」より)
- 大野敏夫 - 倉丘伸太朗(「激動篇」より)
- 敏夫の父 - 岩田直二(「激動篇」より)
- 門田支配人 - 小沢栄太郎(「激動篇」より)
- かな子 - 高橋洋子(「激動篇」より)
- 江川 - 渡辺篤史(「激動篇」より)
- 店員稲田 - 麻田ルミ(「激動篇」より)
- 増田の父・甚之助(通称 金増) - 志村喬(「死闘篇」より)
- 森田社長 - 大滝秀治(「死闘篇」より)
- 岡 専務 - 神田隆 (「死闘篇」より)
- 川崎弁護士 - 鈴木智(「死闘篇」より)
- 遠藤 - 谷啓(「死闘篇」より)
- 森川正憲 - 小池朝雄(「死闘篇」より)
- 黒田 - 寺田農(「死闘篇」より)
- 日野広之進 - 笑福亭仁鶴(「総決算」より)
- 富子 - 浜美枝(「総決算」より )
- 山原美加 - 山本美加
- 佐々木 - 竜崎一郎(「総決算篇」より)
- 佐々木の孫娘・英子 - 山口いづみ(「総決算篇」より)
- 柴俊夫(最終回)
- 米兵士 - ケンカーティス
ドラマと小説 登場人物の違い[編集]
登場人物等 | ドラマの人物特徴等 | 小説の人物特徴等 |
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山下猛造 | 高身長・二枚目 | 低身長、短足、小太り |
前戸の主人(旦さん) | 創業者の次男・元銀行員 父と兄の死により当代 | 創業者自身 |
前戸夫人 | 創業者の長男 妻 のぶ | 創業者の妻 久子 |
弥生 | 前戸夫人の娘・女学校在学中 | 前戸夫人の歳の離れた妹・女学校卒業後前戸家に引き取られる |
大石善兵衛 | 将軍と呼ばれ、番頭をしている | 神さんと言われ大石善商店主と堀田商店の番頭を兼ねている |
竹田 | 番頭 | 手代格 |
お秋 | 竹田と別れた後、堤先生と結婚 | 竹田と弥生の縁談話を立聞きしたのが発覚し解雇 |
糸路(芸妓) | 前戸と男女の関係 | 竹田と男女の関係 |
猛造の母 | よね | ふさ |
芋生 | 株相場で失敗その後転々 | 戦後は闇屋のボス(ドラマでは広田の役柄) |
海野守 | 未婚 軍隊編・激動編~ | 既婚妻有 沖縄で戦死 |
馬方 | 軍隊編から登場し、猛造を兄貴と呼んで標準語で話す | 特別下番から捕虜収容所まで登場し、猛造を猛やんと呼んで関西弁で話す |
坂井 | ほぼ捕虜収容所のみ | 捕虜収容所から登場 |
元陸軍中佐 | 白山 | 飯田 |
谷町の問屋 | 中西彌商店の二代目でかな子という一人娘がいる | 中西商店の二代目で息子がいる |
広さん | 日野広之進 | 広山邦之助 |
サブタイトル[編集]
丁稚・独立篇、戦争篇[編集]
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戦後篇[編集]
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激動篇[編集]
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死闘篇[編集]
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総決算篇[編集]
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ネット局[編集]
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
- 関西テレビ(制作局):日曜 21:00 - 21:54
- 山形テレビ:日曜 21:00 - 21:54(1976年5月時点)[10]
- 仙台放送:火曜 22:00 - 22:55 → 日曜 21:00 - 21:55 → 日曜 21:00 - 21:54[11]
- 福島テレビ:火曜 23:05 - 翌 0:00(第12話まで)→ 土曜 21:00 - 21:56 → 土曜 21:00 - 21:55(第13話から最終回まで)[12]
- フジテレビ:日曜 21:00 - 21:54
- 新潟総合テレビ:土曜 13:00 - 13:55(1976年5月時点)[13]
- テレビ静岡:日曜 21:00 - 21:54(1976年5月時点)[10]
- 長野放送:日曜 21:00 - 21:54(1976年5月時点)[10]
- 富山テレビ:日曜 14:00 - 14:55[14]
- 石川テレビ:日曜 21:00 - 21:54[15]
- 福井テレビ:日曜 21:00 - 21:54[15]
- 岡山放送
映画[編集]
どてらい男 | |
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監督 | 古澤憲吾 |
脚本 | 田坂啓 |
原作 | 花登筺 |
製作 | 高畠久 |
出演者 | 西郷輝彦 |
音楽 | 山本直純 |
撮影 | 逢沢譲 |
編集 | 諏訪三千男 |
製作会社 | 東京映画 |
配給 | 東宝 |
公開 |
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製作国 |
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言語 | 日本語 |
1975年2月1日に東京映画の製作、東宝の配給で公開された。カラー、シネマスコープ、上映時間87分。
かつてクレージー映画を筆頭に、『若い季節』2部作や『若大将シリーズ』を手掛けた古澤憲吾が『ユートピア』以来2年振り、東宝では『日本一のヤクザ男』以来5年振りに監督となった。
スタッフ[編集]
キャスト[編集]
- 山下猛造 - 西郷輝彦
- 尾坂幸夫 - 田村亮
- 前戸弥生 - 小柳ルミ子
- 村川清子 - 日野麗子
- 竹田一夫 - 津川雅彦
- 前戸文夫 - 高橋昌也
- 前戸文治 - 曽我廼家明蝶
- 岡田弥太郎 - 内藤武敏
- 芋井 - 田中邦衛
- 丑代 - 都家かつ江
- 正蔵 - 道井和仁
- 近藤 - 石田茂樹
- 吉田 - 久保田勝也
- 前戸昌子 - 歌川千恵
- 川崎商店の主人 - 守田比呂也
- 小島商店主人 - 音羽久米子
- 外交 - 石矢博
- 外交 - 細井利雄
- 糸路 - 浜木綿子
- 大石善兵衛 - 伴淳三郎
同時上映[編集]
『告訴せず』
漫画版[編集]
本作の漫画版が、1970年代後期に『週刊漫画TIMES』(芳文社)に連載された。作画は横山まさみちで、単行本は全6巻。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 2022年6月5日、最初の再放送時に放送されたのは第1話、第3話「にぎりめし」、第16話「毒には毒を!」、第18話「目を開け!モーやん」の計4話。
出典[編集]
- ^ 札埜和男『大阪弁「ほんまもん」講座』2006年、新潮社、p32
- ^ 山善ならではの出来事(2018年7月22日閲覧)。
- ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
- ^ もう見られなくなったビデオの修復、デジタル化、アーカイブ化レトロエンタープライズ
- ^ 関西テレビ「試写会 YAMAZEN presents どてらい男「第1話」上映会&トークショー」、2014年8月20日閲覧。
- ^ 『どてらい男(やつ)』テープ捜索プロジェクトに協賛します 山善
- ^ 「「どてらい男」録画テープ有りませんか」読売新聞大阪夕刊、2014年8月20日p.8。
- ^ YAMAZEN presents どてらい男(ヤツ)捜索プロジェクト 関西テレビ
- ^ “どてらい男【セレクション放送】”. 時代劇専門チャンネル. 2022年6月6日閲覧。
- ^ a b c 『日刊スポーツ』1976年5月2日付テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1973年10月2日 - 1977年3月27日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1974年1月8日 - 1977年7月2日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『日刊スポーツ』1976年5月1日付テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1975年10月19日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 『北國新聞』1976年4月11日付朝刊、テレビ欄。
関連項目[編集]
- 山本猛夫 (実業家) - 山下のモデルになった人物。
- 山善 - 山本が興した会社。山下が戦後に立ち上げる「天守産業」のモデル。
- TONE (企業) - 旧・前田軍治商店。山本が実際に丁稚に入っていた店で「前戸文治商店」のモデル。
- 前田機工 - 旧・前田軍治商店の商社部門。後にイチネンホールディングスに買収されてイチネン前田に社名変更の後、イチネングループ内での合併でイチネンMTMを経て現在はイチネンアクセスの一部。https://www.ichinen-mtm.co.jp/pdf/company/maeda.pdf
- 三輪タクシー - 田村亮演じる尾坂昭吉の運送会社のトラック及びタクシー(半タク)として登場。
外部リンク[編集]
- ドラマ どてらい男 | 山善ミュージアム
- どてらい男☆猛やんに乾杯!
- 猛やんファンクラブ - ウェイバックマシン(2002年8月30日アーカイブ分)
- 関西素材・関西風味―テレビ50年 3.ど根性もの・風土が生んだ成功物語 - 神戸新聞の連載記事(2003年5月23日。当作品にまつわるエピソードが記載されている)[リンク切れ]
- YAMAZEN presents どてらい男(ヤツ)捜索プロジェクト | 関西テレビ放送 KTV
フジテレビ系 火曜22時台(関西テレビ制作枠。一部地域を除く。1973.10-1975.3) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
どてらい男
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フジテレビ系 日曜21時台(関西テレビ制作枠。一部地域を除く。1975.4-1977.3) | ||
白雪劇場
池田大助捕物日記 |
どてらい男・戦後編
激動編 死闘編 総決算編 |
|
フジテレビ 日曜21:54-21:55枠(ここまで関西テレビ制作枠および全国ネット枠。1975.4-9) | ||
白雪劇場
池田大助捕物日記 ※21:00-21:55 |
どてらい男・戦後編
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