桂ざこば (2代目)

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2代目 桂 ざこばにだいめ かつら ざこば
2代目 桂 ざこば
結び柏は、桂米朝一門定紋である。
本名 関口 弘(せきぐち ひろむ)[1]
生年月日 (1947-09-21) 1947年9月21日(69歳)
出身地 大阪府大阪市西成区今池
師匠 3代目桂米朝
弟子 4代目桂塩鯛、他
名跡 1. 桂朝丸 (1963年 - 1988年)
2.2代目桂ざこば (1988年 - )
活動期間 1963年 -
活動内容 上方落語
配偶者 あり
家族 関口まい(次女)
所属 米朝事務所
公式サイト 桂ざこば公式サイト
受賞歴
1985年(昭和60年) 「上方お笑い大賞」金賞
1992年(平成4年)「上方お笑い大賞」大賞
備考
上方落語協会理事

2代目 桂 ざこば(にだいめ かつら ざこば、1947年9月21日[1] - )は、上方落語家タレント。本名、関口 弘(せきぐち ひろむ)[1]

大阪府大阪市西成区出身。米朝事務所所属。上方落語協会会員(代表理事)。前名は桂 朝丸(かつら ちょうまる)。出囃子は「御船」(ぎょせん)。愛称は「ざこびっち」。桂雀々とは夫人同士が姉妹であるため義兄弟の間柄。甥(ざこばの妻の弟の子)にJAY'ED

来歴[編集]

小学校2年生の時、両親が離婚し警察官だった父親に引き取られたが、3か月ほど経って父親は電車に飛び込み自殺した。1963年(昭和38年)、日本橋中学校在学中から学校をさぼり千日劇場などの劇場通いに没頭。その時にたまたま見た3代目桂米朝の芸に一目惚れし、在学中から何度も弟子入り志願したが「この時代高校だけは卒業したほうがええ」と言われ断られ続けた。卒業後の5月に桂米朝に入門が許される。本人の述懐では、米朝の謝絶に遭った後に中学の教師に進学の相談をすると「お前が入れる高校はないぞ」と言われ、米朝にその旨報告し、「なら、しゃーないな」(それなら仕方ない)と入門を許されたという[2]。また就職も勧められ1か月ほど働いていた経験もある。

師匠の米朝は同時に育ての親にもなり、家族同然の内弟子生活を過ごした。このころ、4代目桂文紅の自宅に居候していた時期、また米朝が永六輔に依頼して東京で活動していた時期もある。朝丸時代(千土地興行大宝芸能所属)千日劇場トップホットシアターに出演。千日劇場では師匠米朝が司会する「お笑いとんち袋」(関西テレビ大喜利番組)のレギュラーとなり、トップホットシアターでは自作の「動物いじめ」で売り同劇場の看板芸人となった。「動物いじめ」ネタはレコード化もされたが、ネタの内容に動物愛護団体からクレームが付いた。

スポット的ではあるが、テレビ番組の収録で吉本興業の花月劇場チェーンや、松竹角座の舞台にも立った。

全国的には「ウィークエンダー」での「テレビ三面記事」のレポーターとしての出演がある。

後は東京で活動するようになったが低迷し、大阪に拠点を戻す。2006年平成18年)以降、大阪のテレビ、ラジオを含めて9本のレギュラー番組を持つ。60歳を過ぎ落語会を開催したいとしている[3]。ただ、最近は軟化し、レギュラー番組の出演は10月の改編期を過ぎても降板せずに引き続き続投したり、「65歳までは頑張る」と軌道修正ともとれる発言もしている。

噺のスタイルは「朴訥」。

大阪市内に寄席「動楽亭」を開いている。

米朝一門の中では桂枝雀死後、実質的に弟子筆頭として、桂南光とともに米朝の存命中は補佐する形で一門の運営を主導しており、米朝没後もその地位は変わっていない(ざこばの兄弟子月亭可朝は他の一門のメンバーと別の事務所に所属していることもあり、米朝一門の運営に直接関わっていない)。ざこばと南光は米朝一門の大半が所属する米朝事務所の専務取締役(ざこば)・常務取締役で(南光)ある。

芸歴[編集]

  • 1963年(昭和38年)5月 桂米朝に入門[1][4]し3か月後京都の留置所で「子ほめ」で初舞台[5]
  • 1966年(昭和41年)初の独演会「朝丸自身の会」開催
  • 1985年(昭和60年)「上方お笑い大賞」金賞受賞
  • 1988年(昭和63年)2代目「桂ざこば」を襲名[1](襲名の際は初代の墓に参り法要をしている)
  • 1992年(平成4年)「上方お笑い大賞」大賞受賞
  • 1994年(平成6年)上方落語協会を脱退
    • 会長選出方法などをめぐって当時の執行部(特に露の五郎)と対立した桂枝雀一門が脱退し、その脱退問題を話し合う場で、理事の1人が会費滞納を理由に枝雀一門を非難した。その非難に「枝雀兄ちゃんを悪くいうんか」と怒ったざこばが一門を率いて脱退した。
  • 2004年(平成16年)6月21日 上方落語協会に復帰
  • 2007年(平成19年)7月7日 噺家生活45周年・還暦記念公演「桂ざこばの会」を京都南座で開催
  • 2008年12月 西成区山王のマンション2階に寄席小屋「動楽亭」を開設
  • 2011年 大阪市民表彰受賞。
  • 2012年 噺家生活50周年
  • 2017年 芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

得意とするネタ[編集]

子は鎹らくだお玉牛崇徳院、一文笛、肝潰し、厩火事、遊山船、強情、天災、坊主茶屋、不精の代参 など

人物[編集]

好きな人物への思いやりが強く、2004年の自身の弟子である桂喜丸の告別式やお別れの会などでの泣き様は尋常ではなかった[6]。2016年1月に死去した桂春團治の「お別れの会」でも泣き崩れる姿が報じられている[7]。一時確執のあったやしきたかじんについても同様であった(詳細は後述)。

裁判員制度には否定的なスタンスであり、「たかじんのそこまで言って委員会」などで制度を強く批判している。

趣味はギャンブル(カジノ)でよく海外に訪れる。またオーストラリアに訪れた際は現地で競走馬をセリで落とし「チョウマル」と名付けデビューも果たしている。

トイプードルを2匹飼っている。

桂吉朝がざこばに電話をした際、落語家の物真似が得意な吉朝は、いたずら心を出して桂春團治の声色を使った。ざこばはすっかり春團治からの電話だと信じ込み、吉朝の物真似だと知るや「洒落んならん」と激怒した。もっともざこばは、桂米二に同じ手を自らも試みた[8]

発言[編集]

出演番組における発言が、問題視されたりマスコミで報じられた以下のケースがある。

  • 2009年4月に無期限謹慎が発表されたタレント北野誠に関して、同月14日、自身がレギュラーを務めるABCのラジオ番組「元気イチバン!!芦沢誠です」にて、「北野誠、がんばれよ!」「何を言うたんや北野誠!」とエールを送るとともに「バーニング!」と特定の芸能プロによる圧力を連想させる奇妙な叫び声をあげ、共演の局アナ芦沢誠を凍りつかせたとされる[9][10]
  • 2009年8月30日、「乱!総選挙2009MBSローカル版において、公明党の苦戦を伝える文脈の中で「落ちるということは信心が足らんということなんですか?」と発言し、CM明けに局アナが謝罪した[11]

人間関係[編集]

師匠・米朝に関して[編集]

内弟子時代に米朝の自宅にて居候していた頃、背中の皮膚病で悩まされ、塗り薬を塗っていたが、薬の悪臭がひどく米朝家のお手伝いさんに嫌がられていた。ある時に米朝はざこばを手招きし、薬をその背中に塗ってくれた。その薬は一向に効かず、改めて別の病院で受けた注射でようやく治ったが、ざこばは米朝の思い遣りに感激し恩に感じ、一生付いていこうと心に決めた[12]

米朝の長男である明(現:5代目桂米團治)がまだ赤ん坊の頃、子守を言いつけられていたざこばは、明を背中に背負ったままキャバレーに入り浸っていたといわれるが、これは兄弟子である月亭可朝のこと。赤ん坊がいた方が店の女の子からモテるというのが理由。また、明が幼稚園の頃、明を自転車に乗せていて転び、額に怪我を負わせた[12]

襲名に関して米朝は、「米朝」の名をやっても良いが本人が欲しがらないだろうと言っており、ざこば自身も小米朝(現:米團治)が継ぐべきだとしていた。小米朝が落語家になることを米朝はあまり勧めていなかったが、ざこばと枝雀が米朝を口説き落として小米朝の弟子入りが実現した経緯もあり、その当時から米朝の名は小米朝が継ぐものと決めていたようである。結局、小米朝は米朝の名を継がず、5代目桂米團治を襲名した。

その他[編集]

やしきたかじんとは、1988年6月の「ナイトinナイト(ABC)」収録中、待ち時間の長さに腹を立てたざこばが、司会のたかじんと口論の末、本番中に帰ったことに始まり、約5年に渡り犬猿の仲であった。1993年2月、たかじん司会の「たかじんnoばぁ~(読売テレビ)」でざこばがゲストとして出演。たかじんと酒を酌み交わしながら、激しく本音をぶつけ合った。その結果、2人は仲直りすることに成功。以来たかじん司会の番組で共演するようになる。だが、2014年1月にたかじんは逝去する。同年2月に放送された「たかじん追悼スペシャルそこまで逝って委員会」(読売テレビ)に、ざこばが出演し、前述の和解のVTRが流された後、号泣していた[13]

家族[編集]

タレントの関口まいは実娘で次女(長女は一般人なので名前は公表していないが、米朝一門の歌舞伎座公演で、妻子の名前を枕として喋ったことがある)。2010年3月25日、初孫(まいの第一子)誕生。同年9月には長女にも第一子が生まれ、現在2人の孫が居る。まいのブログでは相変わらずの子煩悩ならぬ孫煩悩ぶりな様子が娘のブログで報告されている。ざこばのカラオケの十八番が「娘よ」で、唄っていると泪でボロボロになる。ざこばは孫に「朝丸」を継がせると発言しており、落語会に孫をお目見えさせたこともある[14]

出演番組[編集]

現在放送中の番組[編集]

放送が終了した番組[編集]

過去に出演した番組[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

  • 泥棒貴族・ボディハンター(1996年)
  • 御法度(1999年)
  • 殺しやPAZUZU(2000年)
  • 影の交渉人 ナニワ人情列伝(2009年)
  • はやぶさ/HAYABUSA(2011年) - 中和神社宮司 役

舞台[編集]

弟子[編集]

直弟子[編集]

あなば、はかばなど、初高座も上がらず名前もつかずに廃業した弟子は数知れず居る。

孫弟子[編集]

(桂塩鯛の弟子)

レコード・CD[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e 桂ざこば|米朝事務所”. 2013年1月15日閲覧。
  2. ^ 雑誌『醸界春秋』1999年1月15日号に掲載
  3. ^ 産経新聞2006年7月27日の記事「桂ざこば、60歳でマスコミ引退し落語家に専念」より
  4. ^ 桂 ざこば”. 株式会社タレントデータバンク. コトバンク. 2015年8月17日閲覧。
  5. ^ 桂ざこば 初舞台は拘置所で爆笑の連続”. デイリースポーツ (2015年8月16日). 2015年8月17日閲覧。
  6. ^ 2004年4月18日デイリースポーツ 芸能面 などより。
  7. ^ “「お師匠はん、大好きでした…」 春団治さんお別れの会、ざこばさん泣き崩れ”. 産経新聞. (2016年1月26日). http://www.sankei.com/west/news/160126/wst1601260044-n1.html 2016年1月30日閲覧。 
  8. ^ 『わかってぇなぁ! 桂ざこばのざっこばらん2』(KKベストセラーズ)第1章「犬も食わない!尽きない話」
  9. ^ 局アナも凍りついた…桂ざこば“北野誠”に禁句エール” (2009年4月15日). 2009年4月15日閲覧。
  10. ^ 「バーニング!」桂ざこば ラジオで北野誠にエールも憶測呼ぶ不規則発言” (2009年4月15日). 2009年4月15日閲覧。
  11. ^ 信心が足りなかった - YouTube” (2009年9月2日). 2015年1月17日閲覧。
  12. ^ a b 『桂ざこばのざっこばらん』(KKベストセラーズ)第4章「フーテン落語家」
  13. ^ 桂ざこば、たかじんさん映像に号泣「もう映さんといてや~」”. サンケイスポーツ (2014年1月26日). 2014年12月30日閲覧。
  14. ^ 『わかってぇなぁ! 桂ざこばのざっこばらん2』(KKベストセラーズ)第5章「どうかよろしゅうに頼んます!」
  15. ^ 堂々上々 道上洋三が行く 第16回 ゲスト 芸能生活50年 桂ざこばさん”. おはようパーソナリティ道上洋三です (2013年1月11日). 2014年3月21日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]