ジミー大西

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ジミー大西
本名 大西秀明
ニックネーム ジミーちゃん
生年月日 1964年1月1日(52歳)
出身地 大阪府八尾市
血液型 A型
身長 164cm
方言 大阪弁
最終学歴 大商大堺高校
師匠 明石家さんま
ぼんちおさむ
出身 現事務所直入
芸風 漫談
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1982年 -
同期 ダウンタウン
トミーズ
ハイヒール
内場勝則など
(厳密には半年後輩)
現在の代表番組 東野・岡村の旅猿
過去の代表番組 探偵!ナイトスクープ
他の活動 画家
配偶者  既婚

ジミー大西(ジミーおおにし、1964年1月1日 - )は、日本の画家[1]お笑いタレントである。本名、大西 秀明(おおにし ひであき)、名前の由来は豊臣秀吉が元日に産まれたことから「秀」と明けましておめでとうの「明」を組み合わたもの[2]

大阪府八尾市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型はA型。既婚。

来歴・人物[ソースを編集]

デビューまで[ソースを編集]

頭は悪かったが、運動神経はよく、八尾市立安中小学校時代は、ボーイズリーグ八尾フレンドに所属。八尾フレンドの4年後輩には桑田真澄がいた(桑田は八尾市立成法中学校の後輩でもある)。八尾市立成法中学校時代も野球部で活躍、高校はスポーツ推薦で強豪の大商大堺高校に進学した。しかし、ベンチが出す数式を用いたサインが覚えられなかったため(一度、試合中にバッターボックスでその数式を地面に書いて計算し、監督に怒られた)、試合に出してもらえず、1年夏から引退するまでマネージャーを務めた[3]。ちなみにその野球部の監督は読売ジャイアンツに在籍していた山本功児の兄で、怖かったという。

高校時代はいじめられっ子。よくいじめに遭っていた。ある日国鉄阪和線津久野駅で、いじめっ子に「次に来る快速電車に乗りたいから何とかして停めてくれ(快速は津久野駅に停車しないため)」と無理を頼まれ(脅され)、裸で線路に突き落とされたジミーが身を挺して電車を緊急停車させたことがある。その後ジミーはすぐ駅員に捕まり、学校に連絡されて停学処分を受けた。この事件のせいで、ジミーの両親は国鉄から請求された賠償金(数百万円)を借金をしてまで支払わなければならない破目になってしまった[4]。なお、大西に飛び込むように指示したいじめっ子に処分を下されたかどうかは不明である。

好きだったアイドルは早見優。のち、石田ひかりも好きだった[5]

芸人時代[ソースを編集]

高校卒業後は、就職を希望したが、成績の悪さから就職先が見つからないため、担任教師が吉本興業に雇ってくれるよう頼み込んだ事で、アルバイトの形で、高校在学中から吉本に入り、放課後や休日に、なんば花月の裏方(幕引きや進行)を務める。明石家さんまとはこの頃に出会っている。高校卒業後に正式に吉本入りし、その後、さんまの勧めによりぼんちおさむに弟子入り[3]。当時の憧れは間寛平だった[6]吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった。「ジミー」という芸名は、さんまがテレビで視た野生のゴリラの名前に因んで名付けたものである[3]

ひょうきん予備校』(1986年-1987年)に本名の大西秀明名義で出演していたときは、現在では考えられないほどのしっかりもののキャラで、キレのあるボケやツッコミで周囲を爆笑させていた。また、芸人時代は島田紳助が所有していたマンションに住んでいた。

元祖天然ボケの伝説を持つ。萩本欽一に「このボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と言われた。しかし、個室で2人きりで話をして、部屋から出てきた萩本の第一声は「天然だったね…」というがっかりした声であった。これが、「天然ボケ」という言葉の由来であるといわれている。

運転手にならないかとさんまに誘われた時は、ジミーは運転免許を持っておらず、そこでさんまに『2週間で免許が取れる合宿制の自動車教習所があるから行ってこい』と言われ、合宿制の自動車教習所に通った。1カ月たっても卒業できず、また漢字が読めなくて筆記試験に通らなかった、試験に落ちるたびに、さんまにお金を送ってもらっていたという。結局ジミーは、免許を取るまで半年掛かった。さんま曰く、『車がもう1台買えたわ』。

さんまが運転手としてジミーの面倒を見るようになってからは、さんまによって才能を引き出され、数々の一発ギャグを身に付けていく。さんまが面倒を見るようになった当時のジミーは、吉本興業からは半ば見捨てられている存在であった。吉本社員の「売れるわけがない」という発言は彼ら二人の、特にさんまのモチベーションに繋がった。なお、この運転手時代に、料金所で車の窓を開けるのを忘れて、手を窓に思いっきりぶつけて手を骨折してしまったというエピソードがある。

特に、人から決まった言葉を振られた後に返すタイプのギャグが有名。「ジミーちゃんやってる?」と振られたあとの「やってる、やってるぅ」や、「ジミーがんばれよ」と振られたあとの「お前もがんばれよ!」、股間を触られたときに発する「ふるさとー」または「エクスタシー」など。これらのギャグが評判となり、天然ボケ芸人として全国的に人気を博した。(「やってる、やってるぅ」のギャグ誕生当時は、手を股間付近で動かしていたが、明石家さんまにそれはまずいと言われ、顔の付近で動かすようになった)。

芸人として絶頂期を迎えていた1996年頃に、後述するテレビ番組の企画によって芸術の才能を見出され、芸術家の道を歩むことになった。松本人志は引退に際し「もったいないな、あいつには誰も勝たれへんで!他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を絶賛していた。またビートたけしも、さんまのフリに確実にギャグで返すジミーに対して「パブロフの犬の様な条件反射すごいな!」と絶賛している。

月亭方正も、初対面でジミーと個室で2人きりになった時に、方正が何を聞いても、ジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している。

異常に嗅覚が鋭く、番組の企画の「たくさん並べられたスリッパの中から女子アナの履いたスリッパを当てる」というゲームで警察犬と対決し、見事勝利した。また絵画修業で赴いたアフリカでは、広大な平原を徘徊しているアフリカゾウを臭いで探し当てた。

自身が書いた絵画が100万単位の高値が付けられたため、吉本興業所属のまま、お笑い芸人から画家に転向する。

画家転向後[ソースを編集]

現在は画家に専念しているが、さんまの舞台公演への出演、それ以外にも時折テレビにも出演し、かつてのオトボケぶりを発揮している。所属事務所も吉本興業であるため、画家として吉本とマネジメント契約(明確に言えば、吉本専属芸人→マネジメント契約)を結んでいると推測される。妻の親族から、テレビで昔のようなギャグやボケをするのを禁止されているらしいが、振られるとついつい反応してしまうという。『ひょうきん予備校』(フジテレビ)や『欽ドン!』(同)などで共演していたダウンタウンとも付き合いが古く、レギュラー出演していた『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(ジミーの卒業後、ココリコが新たにレギュラーになる)(日本テレビ)の罰ゲームスペシャルにビデオ出演している。松本は「画伯は今ではこの番組ぐらいにしか出てくれませんから」と語っている[7]

さんまのコントライブ「明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ」については、画家転向後の一時期は出演を見合わせたが、2002年に10年目の記念ということでゲストとして復帰。2004年のPart.11以降は、再びレギュラー扱いになっている。(ただし、14回公演は、海外での絵画留学があった為スケジュールがずれてしまい出演しなかったので、13回公演でゲスト出演した山田花子が出演する事になった)

アドバイスをもらい、画家になるきっかけを作ってくれた岡本太郎は目標[8]、明石家さんまは親みたいなものと答える。

2008年7月26日27時間テレビ内のクイズ!ヘキサゴンIIに出演。行列早抜け!リレークイズでは、さんまのフリに対する的確な持ちギャグを見せつけ、また中村玉緒・浅田美代子と共にヘキサゴンファミリーのおバカキャラ達を圧倒するボケを披露した。司会の島田紳助もこのジミーの活躍に「ジミーに久しぶりに会ったけど、前より確実にパワーアップしてる」と彼を評価している。

クリスマスに向けてイケメンになるために整形手術を行ったことがあった。あごの骨を削る本格的な手術で、12月までは食事は流動食のみで、包帯グルグル巻きの状態であるとのことである[9]。しかし、ライオンのごきげんようにて、さんまが出演した際、ジミーの整形の話をし、12月にジミーがさんまのところにきたが、さんま曰く「なんにも変わっていなかった」とのこと[10]

2011年、「東野・岡村の旅猿」にゲスト出演。10数年ぶりの本格的なバラエティー番組復帰となった。相変わらずの天然&マイペースぶりを見せつけ、以降も番組の常連となった。番組内ではプロ級の料理の腕前を披露している他、絵を描くことに飽きてきた、やる気がないとも暴露している。

夢は、子供のいないタモリ養子になり財産を受け継ぐことである。

絵画を描く時、絵の具は水性をよく使う。理由は、前述の通り嗅覚が良すぎるせいで油性絵の具の匂いを嗅ぐと頭痛や吐き気に見舞われ、絵を描ける状態ではなくなってしまうため。

ホンマでっかTV」(2012年3月28日)の「ホンマでっか人生相談」で「真剣な場面で笑ってしまうのをなんとかしたい。」と相談。池田先生は「この人は天才だ」と言い、脳の大部分が絵の能力に使われていると述べ、「無理に直したら絵が下手になる恐れも」とアドバイス。澤口先生には「10万に1人そういう脳はいて、必ず絵・音楽・記憶力のどれかがずば抜けて良い。(いわゆるサヴァン症候群)」と言われた。おおたわ先生は「ジミーちゃんは真剣な空気が怖いと感じているから笑わせようとしているだけで、それで周りが笑顔になっているから直さなくて良いと思う。」と述べた[11]

画家として[ソースを編集]

なんばパークス屋上に設置のモニュメント『天海の輝き』

EXテレビ』(EX Osaka、読売テレビ)や『世界ウルルン滞在記』(毎日放送)などのテレビ番組企画にて、絵画作品が抽象画家などの専門家によって評価され、「平成の山下清」と周囲(特に島田紳助)から言われるようになる[3][12]1993年に初めて個展を開催。デッサン遠近法もできないにわか画風にもかかわらず、動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目され、脚光を浴びた。

1996年、尊敬する上岡龍太郎に、自身の絵画を褒められたことなどから画家として生きていく事を決意し、芸能活動を引退。岡本太郎から「君は画家になりなさい」と手紙をもらったことも、引退を決意した要因の一つである。

ダウンタウンDX』(読売テレビ)の番組内で、芸能人の宝物を専門家に鑑定してもらうコーナーにジミーの絵が登場したこともある。このとき、まじまじと絵を見つめていた松本は、「そうか、ジミーちゃんには我々がこんな風に見えてるんだ。だから、あんな(性格)なんですねー」と語り、笑いを誘った。鑑定結果は「100万円」。後述のボジョレーヌーボーのラベルなど、広く日本国外で評価されている点などが考慮されたという。

また、画家として成功する前には、多くの先輩芸人に絵を描いてお金を借りていた事があったという。漫才師の中田カウスはジミーが若手時代お金に困っていたのでジミーの描いた絵を数万円で購入しており、そのまま家の倉庫に放置していたが、有名になってから価値が出ると感じたのか、家のリビングに額縁に入れて飾っているという。

パブロ・ピカソの絵を見ようとスペインバルセロナ[13]に滞在した際にアントニオ・ガウディの影響を受けたといっている[14]

主な作品[ソースを編集]

年譜・エピソード[ソースを編集]

初恋のエピソード[ソースを編集]

幼いころから人見知りが激しく、同級生とも馴染めなかったジミーは、いつも優しく接してくれる幼馴染みの女の子に恋心を抱いた。彼女に「好きだ」という気持ちを伝えたのが、人前で自分を出した最初の体験だという。しかし小学校に上がったのち、彼女は病死してしまう[2]。死という概念がわからなかったジミーは、「あの娘、すぐ戻ってくるんでしょ?」と食い下がって教師を困らせたが、そのとき教室の外で、廊下を彼女が歩いているのを見つけた。再び目をやったときにはもういなかったという。彼を心配した同級生の説明で一応納得したが、本人曰く、「彼女の幻を見たのはあの時が最初で最後だった」とのこと[17]

主な出演番組(過去)[ソースを編集]

現在でも『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲーム企画など、時折バラエティ番組に出演している。

テレビドラマ
映画
その他
  • ハイビジョンスペシャル「煙はるかに 世界SL紀行 スイート・シュガー・トレイン〜キューバ〜」(NHK、2001年4月24日)

CM[ソースを編集]

主なギャグ・名言など[ソースを編集]

持ちネタ[ソースを編集]

  • 「ジミーちゃんやってる?」「やってる、やってるぅ」「やめろっちゃ」
  • 目上の人が、「ジミーちゃん、がんばれよ!」と言うと、目上の人にもかかわらず、「お前もがんばれよ!」と言う
  • 「ウー、ウゥ!」
  • 「桃が二つありました、桃が三つありました、合わせて?」「ももももも!」
  • 「口になんか付いてるよ?」「唇です」「何階建て?」「5階建て」
  • 「ジミーちゃん、大丈夫!」「(鼻つまんで)ダイジョウブ!」
  • 「キャビアは何の卵?」「ドラえもん!」
  • ハタ坊に扮した「ひょうきん族」で、イヤミに扮した明石家さんまに諺の問題で「人のふり見て?」と聞かれて)「どないすんねん!」 ※出演者はみな大爆笑
  • (同様に「穴があったら」)「入ってしまうかなぁ?」
  • (「ぬかに」)「漬けもん」
  • 「古今東西、お題は『欽ちゃんファミリー』!」「良い子悪い子普通の子!」
  • 「12÷3 は?」「えーっと…1あまり4」
  • 「電車の窓から頭を出してきゅっきゅっきゅーきゅっきゅっきゅー」
  • 「しっかりせぇ」「よーしわかった」
  • 「ストレッチ」「えーっと一人エッチ?」
  • メキシコ、メキシコー、アミーゴ!」
  • 「エクスタシー」
  • 「ナタデココー」
  • 「そこへ官房長官(本人曰く「喧嘩の仲裁をする人」)が入ってきて、お金で始末をする始末でした!」
  • 松本人志肛門を押し付けられ)「鼻の上にウンコ乗ったみたいやっ!」
  • 四字熟語は?」「春分の日」
  • 「ご機嫌ななめですねー」
  • もんまり
  • 上岡から師匠のおさむを何と呼んでいるのかと問われて「ばか!」(ジミーはさんまのことを「若(わか)」と呼んでいる。なお、おさむはジミーを「大西」と呼んでいる)。

著書[ソースを編集]

画集[ソースを編集]

日記[ソースを編集]

絵日記[ソースを編集]

絵本[ソースを編集]

カレンダー[ソースを編集]

  • ジミー大西 作品集カレンダー 2002(ハゴロモ、2001年11月)ISBN 4894952645
  • ジミー大西 作品集カレンダー 2003(ハゴロモ、2002年11月) ISBN 489495298X
  • ジミー大西 作品集 2004年度 カレンダー(ハゴロモ、2003年11月)ISBN 4777402665
  • ジミー大西 作品集 2005年度 カレンダー(ハゴロモ、2004年12月)ISBN 477741275X

関連書[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ 本人は「絵描き」と称している
  2. ^ a b TVでた蔵「2016年2月14日放送 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」”. ワイヤーアクション (2016年2月14日). 2016年2月18日閲覧。
  3. ^ a b c d 週刊文春 2003年11月13日号 p.66~69『「家」の履歴書』
  4. ^ 『いまだから笑えるここだけの話』(びっくりデータ情報部編。KAWADE 夢文庫シリーズ。1996年5月発行)48頁。なお、同書籍は絶版されている。
  5. ^ 『天然色日記』p.126 - 128
  6. ^ 痛快!明石家電視台 2014年8月26日放送回”. gooテレビ (2014年8月26日). 2016年2月20日閲覧。
  7. ^ DVD第10巻「笑ってはいけない警察24時」あの時は…
  8. ^ 天才・ジミー大西がヌード画に挑戦!岡本太郎との秘話も『アナザースカイ』”. アメーバニュース (2012年3月16日). 2016年2月20日閲覧。
  9. ^ 明石家さんま神発言「美容整形より『生き方』が医師」”. Techinsight(exciteニュース) (2016年1月12日). 2016年2月20日閲覧。
  10. ^ 「ホンマでっか!?TV」でもネタにしているが評論家の一人の医師のおおたわ史絵曰く強引な顎を削る手術は歯を失う可能性があるための医師の配慮ではないかと推測している
  11. ^ TVでた蔵「2012年3月28日放送 フジテレビ ホンマでっか!?TV」”. ワイヤーアクション (2012年3月28日). 2016年3月13日閲覧。
  12. ^ ただし、両者の作風や人物像に全く共通点はない。
  13. ^ バルセロナはピカソが青年期に修行した町で、ピカソ美術館がある。
  14. ^ 『天然色日記』p.109 - 111
  15. ^ http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_01/g2007011204.html
  16. ^ 谷村ひとし著『パチンコドンキホーテ』より。
  17. ^ 『天然色日記』p.56 - 61

外部リンク[ソースを編集]