ダウンタウンのごっつええ感じ

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ダウンタウンのごっつええ感じ
Gottsu "A" Kanji
ジャンル バラエティ番組
放送時間 日曜日 20:00 - 20:54(54分)
放送期間 1991年12月8日 - 1997年11月2日
放送国 日本の旗 日本
制作局 フジテレビ
プロデューサー 佐藤義和
小須田和彦
大崎洋
出演者 ダウンタウン
浜田雅功松本人志
今田耕司
東野幸治
130R
板尾創路蔵野孝洋
YOU
篠原涼子
西端弥生
吉田ヒロ
山田花子
松雪泰子
伊藤美奈子
ほか
オープニング テーマ曲を参照
ダウンタウンのごっつええ感じ
マジでマジであかんめっちゃ腹痛い
放送時間 木曜日 14:45 - 16:25(100分)
放送期間 1991年1月3日
火曜ワイドスペシャル版
放送時間 火曜日 19:30 - 20:54(84分)
放送期間 1991年5月28日7月23日
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ダウンタウンのごっつええ感じ』(ダウンタウンのごっつええかんじ、ラテン文字表記:Gottsu "A" Kanji)は、フジテレビ系列で1991年12月8日から1997年11月2日までにかけて放送されていたコント番組ダウンタウンメイン司会を務める冠番組でもあった。放送時刻は毎週日曜日の20:00 - 20:54(JST)。通称『ごっつええ感じ』、『ごっつ』。

概要[編集]

1991年正月放送の『ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』、さらにゴールデンタイムに進出し『火曜ワイドスペシャル』の枠で行われた2度のトライアル放送を経て1991年12月8日にレギュラー番組としてスタートした[1]ダウンタウンの冠番組であり、彼らにとっては『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)と並ぶ最も代表的な出演番組である。また、今田耕司東野幸治130R板尾創路蔵野孝洋)、YOU篠原涼子といったレギュラー出演者にとっても、一躍その名を全国区に知らしめた番組となった。また、漫才の評価の高かったダウンタウンさながら、コントの実力も高いことを証明することができた番組であった。

松本のみの出演で『一人ごっつ』→『新・一人ごっつ』→『松ごっつ』が兄弟番組として深夜帯に放送されていた。松本単独(のちに木村・板尾がレギュラーになった)の番組でごっつの名前を使うことについて、松本は浜田に許可を得て筋を通した。

なお、司会のダウンタウンの2人はこの番組の終了以降、松本がごっつ終了直後同局深夜で再開された『新・一人ごっつ』でコントを続けていた以外は、ダウンタウンとしてのコントは原則として行っていない。例外としてビデオ『VISUALBUM』と後に放送されたこの番組のスペシャル『ものごっつええ感じスペシャル』でコントを行った。

初回視聴率は18.2%。番組全体の平均視聴率は15.8%、最高視聴率は1995年11月12日に記録された24.2%ビデオリサーチ調べ、関東地区)。 平均視聴率がもっとも高かった年は1995年の18.9%

レギュラー[編集]

  • ダウンタウン
  • 今田耕司 - ダウンタウン以外で、1991年の正月特番及び『火曜ワイドスペシャル』版も含めて全期間に出演している唯一のレギュラー。
  • 東野幸治(1994年10月 - 1997年4月、2001年) - 『火曜ワイドスペシャル』版には出演していたが、レギュラー放送開始では130Rの出演に変更となった。理由は、浜田から「東野は協調性がないからアカン」の一言があったため。レギュラー復帰は板尾の降板によるテコ入れがきっかけだが、最終的に板尾も復帰した。
  • 130R
  • YOU(1991年正月 - 1997年4月、2001年)
  • 西端弥生(火曜ワイドスペシャル版 - 1994年5月) - 産休のため休業したが、そのまま芸能界を引退。
  • 松雪泰子(1991年12月 - 1992年4月) - 1993年末のスペシャル「私が選んだまた見たいランキングBEST100」で再登場している。
  • 篠原涼子(1991年12月 - 1997年4月) - 1994年ソロ歌手としてブレイクしてから、コント出演が減少していった。
  • 伊藤美奈子(1991年12月 - 1992年3月)- 「おんなは度胸」に出演が決まったため、松雪とともに卒業。後にコント中の浜田からのセクハラで、本気でキライになったと話してる。
  • 吉田ヒロ(火曜ワイドスペシャル版 - 1992年9月)
  • 山田花子(1992年10月 - 1993年3月) - レギュラー入りする以前に『火曜ワイドスペシャル』時代の「知っておこう」のコーナーにリポーターとして出演していた。プロレスラーに転身するため卒業(その後芸能界復帰、末期の企画にメイン出演)。

準レギュラー・コーナーレギュラー[編集]

  • 爆風スランプ(1991年12月 - 1992年3月)
    • サンプラザ中野
    • パッパラー河合
      • コントの合間に、持ち歌の「ちゃんちゃらおかぴー音頭」などを二人で炬燵の上で披露するブリッジ的コーナー。詩は毎回新作が用意された。
  • ユニコーン(火ワイ版 - 1993年9月)
    • 奥田民生(末期の企画「芸能人マリオカート王決定戦」ではパフィーと共に登場した)
    • 阿部義晴
      • 爆風スランプと同じく、持ち歌の「風」の節に、毎回違う歌詞をのせた歌ネタを披露。のち「民生くんとアベくん」という1コーナーに独立し、二人があちこちの学校などに出向き、ご当地的に作詞された「風」を歌うというものになった。
  • ジミー大西(何をされたかツアーなど、主にリアクション系の企画に数回出演、画家転向後も1度出演した)
  • Mr.オクレ
  • 若杉茂樹(浜田の高校生時代の恩師。一時期「ラブラブファイヤー」やコントにドッキリで出演していた。)
  • 藤原喜明
  • 木村祐一
    • 1991年の正月特番に出演した後、本番組後期の放送作家を務めキャリー東野などの企画に出演することも多かった。
結婚前提戦士ラブラブファイヤー
熱血刑事伝説こちら88分署
木瓜の花
改造人間カスタムひかる
THE TEAM FIGHT
力也ちゃんと遊ぼう
浜ちゃんのスポーツがんばるぞ / PAINTING QUIZ SHOW 俺ならこう描く!!
藤岡弘とあそぼう

番組の歴史[編集]

1991年12月 - 1993年3月[編集]

『火曜ワイドスペシャル』時のメンバーだった今田、YOU、西端、ヒロ、ユニコーンの2人に加え吉本の若手お笑いコンビ・130R、東京パフォーマンスドールの篠原、前身番組の『夢で逢えたら』から伊藤、そして爆風スランプのサンプラザ・パッパラー、『夢逢え』の最終回ドラマに出演していた松雪といった陣営でレギュラー番組としてのごっつええ感じはスタートした。しかし当初はまだ基本内容が定まっておらず、『火ワイ』時代のコーナーや単発企画で凌いだ。年明けには「ハマダ芸能社」「なんなんなあに何太郎君」「ラブラブファイヤー」などのレギュラーコーナーがスタート。番組のフォーマットが確立された。その年の春にはミラクルエースやオジンガーZなどの人気キャラクターも登場し、番組の人気は過熱していったが、93年春に一斉終了した。なお、松本のケガの影響により、VTR不足になり急遽生放送を行ったことがある。

1993年4月 - 10月[編集]

『夢で逢えたら』の路線を引きずっていたオープニング枠が撤廃し、スタジオでの公開収録がメインになるなど、番組構成に変化が起こる。「トラゴロウとゆかいな仲間たち」「木瓜の花」「カスタムひかる」「ボディコンかあちゃんコンテスト」「鼻リーグ」がこの時期の主なコーナーであったが、いずれも短命に終わる。「カスタムひかる」「木瓜の花」の終了によって連続コントドラマ枠も途絶え、ユニコーンの解散で奥田・阿部も番組を去って行った。ちなみに「木瓜の花」の最終回が「ごっつええ感じ」における最後の生放送となった。

1993年11月 - 1994年12月[編集]

かわら長介、倉本美津留がスタッフに参入した影響で、ロケ中心の企画が増えそれまでの『夢で逢えたら』の派生的雰囲気から吉本色濃厚なお笑い番組へと方向転換し始めた。初期キャラの生き残りでメインコーナーを与えられた「おかんとマーくん」も姿を消し、「かけめぐるジャッキーとマキ」「こんにさわ!!園長先生」「AHOAHOMAN」などバイオレンスさ・下品さの度を増したコントが量産されていくようになり、ドッキリや「緊急企画」が実施されるようになる。そして翌1994年には板尾が後述の騒動で番組を去り、西端も産休のため降板。ダウンタウン+今田、蔵野、YOU、篠原という少人数体勢での番組進行を余儀なくされる。この時期には「きょうふのキョーちゃん」というアニメコーナーが登場したが、その放送コードスレスレの過激描写は話題となった。そしてこの年の秋には「火曜ワイドスペシャル」版のメンバーだった東野を迎え、番組は新たな方向性を模索していくことになる。

1995年1月 - 12月[編集]

板尾の復帰によってレギュラーは8か月ぶりに8人なり、番組内容はスポーツ系アトラクションコーナー「THE TEAM FIGHT」にはじまり、コントでは「Mr.BATER」、「世紀末戦隊ゴレンジャイ」、「キャシィ塚本」シリーズ、「こづれ狼」、「やすしくん」、「産卵」、「みすずちゃん」、「殺人事件」シリーズ、「放課後電磁波クラブ」など番組を代表するヒット作をどんどん生み出していく。それに伴うように視聴率もうなぎ昇りで、この年は平均視聴率18.9%とかなり高い数字で推移しており、番組はいわゆる「絶頂期」へと突入する。復帰した板尾を加えた男性メンバーのみで開始した「ボケましょう」もロケ企画としては久々のシリーズものとなり、このコーナーは板尾の独擅場であった。

1996年1月 - 1997年3月[編集]

前年から続いていた人気コントシリーズが1995年秋 - 1996年中盤あたりで軒並み終了。それに伴い新たに始まったシリーズコントは「たとえ警視」、「とみよしさん」、「サニーさん」、「香川さん」、「BOKE BOKE ヒノックン」、「龍としのぶ」など特定の人物をモデルにしたものや、内輪ウケ、楽屋オチ、芸能ネタなどがコントの内容のほとんどを占めるものとなってしまった。それに加えて初見の人には世界観などが理解しがたい玄人向けのコントが量産された。またこの時期は「オジャパメン」、「マウヤケソ」などの歌もの、「10万円分食べよう」や「草野球王」、「ビチクメーナーコンテスト」、「頭突きコンテスト」と芸人やタレントが単発ゲストとして出演する回数が頻繁にあり、よりダウンタウン色が色濃く反映されていった。そんな中、年明け早々、対決コーナーの安全確認をスタッフが怠るトラブルが発生して松本が激怒し、収録をボイコットする事件が起こり、急遽5周年突破企画として「公式ガイドブック」と称した総集編が4週にわたり放送された。

1997年4月 - 11月[編集]

YOU、篠原が降板し、番組内容は「藤岡弘と遊ぼう」、「ごっつええレギュラースカウトキャラバン」、「山田花子愛の告白めっちゃ好きやねん」などのロケ企画がメインに。番組の土台であったコント枠が撤廃となるも、7月からのオープニング・エンディングに突如登場した「エキセントリック少年ボウイ」がCDオリコン初登場5位を記録し、ライブイベントまで行われるほどの人気を確保したものの、皮肉にもそのイベントの模様を放送した「“お母様もぜひお子様にすすめてあげてください”スペシャル」が番組打ち切りへの引き金となってしまった。

後述のプロ野球中継の差し替え事件によって(詳細は#突然の放送終了参照)、松本とフジの関係が悪化(ただし松本本人は「フジに恨みはない」としており、その後の他番組の変動はなかった)。フジテレビの出演全番組の収録ボイコットを経て、手打ちとして「ごっつ」の打ち切りが決定。ダウンタウン不在のまま急遽作られた2週にわたるコントの傑作選を最後に、番組は6年の歴史に終止符を打った。この番組で6年間に作ったコント本数は1304本だった。

放送内容[編集]

主なコント[編集]

最初のスペシャル一作目においてはコントは特に設けられておらず、二作目から登場した。 当初は「夢で逢えたら」の流れを汲んだ安いセットと短い時間ですむショートものが多く、シリーズものにおいてもその都度暫定のタイトルを使っていたが、1993年の11月以降はタイトルパターンを一新、内容も過激さを増していった。

主なコーナー[編集]

※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。

緊急企画[編集]

※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。

テーマ曲[編集]

  • 恋のマジックポーション(すかんち)(使用期間、1991年5月28日・7月23日・12月8日 - 1992年3月22日・1997年11月2日)
    • 『火曜ワイドスペシャル』時代から使用されていた曲。OP映像はアニメと実写を使い、提供バックではアニメで無数の松本と浜田が出てくるが、ナポレオンの格好の松本、はげている浜田等が混ざっている遊び心もあった。最終回ではこの曲がエンディングテーマとなった。番組を象徴する楽曲となった。
  • 恋のミラクルサマー(すかんち)(1992年4月19日 - 9月27日)
    • オープニング曲。OP映像はゲームセンターだった。
  • きらいだよ(FAIRCHILD)(1992年11月1日 - 1993年3月31日)
    • オープニング曲。OP映像はメンバーのホームパーティーだった。
  • 日曜日よりの使者THE HIGH-LOWS) エンディングテーマとして使用される。
  • 神様のご褒美リビドー) エンディングテーマとして使用される。リビドーとは、構成担当の倉本美津留が結成したバンド。
  • オジャパメン(オジャパメン) エンディング曲。オリジナルはソバンチャ。(1996年1月28日 - 1997年2月9日)
  • マウヤケソ(オジャパメン) エンディング曲。オリジナルはトゥルコヤンイドゥル。盆踊りのセットで歌った。(1996年7月21日 - 9月22日)
  • エキセントリック少年ボウイのテーマ(エキセントリック少年ボウイオールスターズ)(1997年7月6日 - 11月2日)
  • ああエキセントリック少年ボウイ(エキセントリック少年ボウイオールスターズ)(1997年8月17日 - 10月26日)
    • 番組末期にエンディングテーマとして使用。古きよきアニメや特撮番組を意識して作られた切ない曲。

突然の放送終了[編集]

番組改編期でもない1997年11月2日という時期に突然番組が惜しまれつつも放送打ち切りとなった。発端は9月下旬に放送予定だったスペシャルが、前日の土曜日にプロ野球ヤクルトスワローズが優勝までのマジックナンバーが「1」となり、フジテレビ側は急遽、スペシャルの放送を翌週に変更しセ・リーグ優勝決定試合に差し替え、これに松本が激怒した。このことへの事前連絡すらなかったこと[2]もあるが、それ以上に大きな理由はこのスペシャル放送の日に合わせて番組の人気キャラクター「エキセントリック少年ボウイ」のCD発売が行なわれており、番組内にもそのCDに関係させた内容が作られていたため、松本からすれば「このスペシャルはその日に放送しなければ意味がない」ものだった。これ以前にもスタッフの怠慢によるトラブルがあった事から松本は番組出演に嫌気が差し、フジテレビとの関係が悪化。フジテレビの出演全番組の収録ボイコットを経て、手打ちとして「ごっつ」の打ち切りが決定した。ダウンタウン不在のまま急遽作られた2週にわたるコントの傑作選を最後に、番組は6年の歴史に終止符を打った。この時、スポーツ紙等ではダウンタウンや松本が出演するフジテレビの全番組が終了すると報じられたが、松本は「フジに恨みはない」としており、他番組の変動はなかった。

打ち切り決定後最終回(とその前の回)のコント総集編の編集を担当した小松純也は番組がいつか復活することを願い、最終回エンディングの映像を放送第一回のオープニング「恋のマジックポーション」とした[3]。オープニング映像の最初と最後の間に歴代レギュラーの名場面を挟み込み、最後に再び第1回のオープニング映像に戻るという構成で本番組のレギュラー放送は幕を閉じた[4]。ちなみに歴代レギュラー名場面の順番は以下の通り。

  • 今田耕司(コント『西日本番長地図』)
  • 板尾創路(『シンガーソングライダー板尾』)
  • 蔵野考洋(コント『トカゲのおっさん』)
  • 東野幸治(『キャリー東野のアイドル虎の穴』)
  • YOU(『ご存知!ハマダ芸能社物語』)
  • 篠原涼子(コント『電撃パフォーマンスドール』)
  • 西端弥生(『熱血AD宣言!ウエストサイドストーリー』)
  • 山田花子(コント『親方』)
  • 吉田ヒロ(コント『たまにはヒロくん』)
  • 伊藤美奈子(『インターミッション・女子高生編』)
  • 松雪泰子(コント『いいですか』)
  • ダウンタウン(『SEPPUN DOJO』)

浜田は1998年11月19日放送分のNHKBS2新・真夜中の王国』内で「やめるって決めたんは2人でやった」「松本のワガママでやめたわけでもなんでもない」と語り、「松本の身勝手で番組が打ち切りになった」とする新聞や雑誌の報道により松本ばかりが槍玉に挙げられてしまっていたことに対して、松本への同情とメディアへの怒りを示し、浜田も松本同様、スタッフへの数年間にわたる不信を持っていたことも語った。 対決コーナーでスタッフが安全確認を怠ったことがあり、一度目は松本が激怒、二度目は浜田が(松本が怒ってどうしようもなくなる)と判断し、怒りながらを蹴った。そのため骨折し、視聴者はいきなりギブス松葉杖姿の浜田を見ることになった。

東野はゲストで出演した読売テレビ制作・日本テレビ系列『HAMASHO』内で本番組の打ち切り事件について語り、「説明全く受けておらず、知らない間に番組が1本終わったんです。ある日突然スケジュールの月・火が消えた。情報は全てスポーツ新聞で知ったんですよ」などと話した。

さらに、松本はこの件でプロ野球関係者や芸能人から多くの批判を受けた。その中でも松本に対して最も怒りを露わにしていた人物が豊田泰光萩本欽一であり、豊田は『週刊ベースボール』のコラムで実名こそ出さなかったが「野球関係者に対する侮辱ですよ」と遠回しに松本のことを批判した。芸能間でも屈指の野球好きで、後に球団を主催することになる萩本も「野球中継への差し替えは当然のこと、松本君のような行動を取ったら笑われるよ」と名指しで松本を非難した。一方で大沢啓二は萩本のコメントに対し、自分の仕事にプライドを持つ松本の姿勢を高く評価していた。この件のしばらく後、松本は他番組で古田敦也らヤクルト選手と共演し、この件をネタにトークを展開し、互いに個人的なわだかまりはないことを強調していた。

その後、騒動後に初めて収録された同局の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』では松本が冒頭で「一時は番組の存続が危ぶまれましたけども」とネタにし、他のフジテレビ番組にも何事もないように出演していたが、『ごっつええ感じ』に関してはわだかまりが消えず、2000年大みそか放送の『FNS年末スペシャル フジテレビにしか出来ない20世紀の黄金バラエティ大全集!』では紹介が除外されていた。2009年2月28日放送の『フジテレビ開局50周年 バラエティルーツの旅』でも「オジャパメン」・「エキセントリック少年ボウイ」の映像は放送されたものの、他のコントのキャラクターは放送されなかった。ただし、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』や『ダウンタウンなう』では時々本番組の映像を流すことがあった。

本放送終了後DVDは発売されているものの、番組の再放送はCSも含めて行われていない。理由として上述の打ち切り騒動や放送コードスレスレの過激描写が現在の放送基準に耐えることができる回が少ないためとされる。なお横浜市の放送ライブラリーにはレギュラー放送の第1回が収蔵されており、こちらは誰でも視聴可能である。

2004年1月から同じ日曜20時台で浜田司会の『ジャンクSPORTS』が枠移動のかたちで放送開始され、2010年3月まで続いた。そして、特別番組として3回放送したダウンタウン司会の『爆笑 大日本アカン警察』が、2011年春改編より日曜日20時台でレギュラー放送されることになり、浜田にとっては1年ぶりに、松本にとって、およびダウンタウンとしてはおよそ13年半ぶりに同枠へ復帰することになった[5]。そのためか2011年7月9日に放送された『テレビを輝かせた100人』において本番組の映像が放送され、「エキセントリック少年ボウイ」、「キャシィ塚本」、「放課後電磁波クラブ」などが紹介された。

復活[編集]

2001年10月12日、当時のレギュラーの一部に新メンバーを加えて、『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として復活。内容は往年の人気コントの続編、新作コント、出演者にアドリブで歌を歌わせるドッキリ等。フジテレビの自社制作であったレギュラー放送時とは違い、ダウンタウンと太いパイプで繋がっている読売テレビ系列の映像制作会社のワイズビジョンが同特番の制作を担当した。このスペシャルの未公開を含む全編が2003年に発売されたDVD『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 4』に収録されている。

この特番は視聴率が9.0%とあまり伸びず、松本はこれ以降2010年にNHKの特番『松本人志のコントMHK』で制作するまで、テレビで本格的なコントを作っていなかった。ダウンタウンの同級生である放送作家高須光聖は、「松本はテレビ向けにコントをする事を諦めた」とコメントした。コントが復活したのは後にも先にもこの一度きりだった。

2014年3月28日、同月26日発売の再編集版DVD『THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ』の発売に合わせて、深夜26時05分 - 28時05分の関東ローカル深夜枠で『ダウンタウンのごっつええ感じ DVD発売記念スペシャル』 が放送され、後日一部系列局でも放送された。進行役として番組レギュラーだった板尾・東野が出演し、当時のレギュラーだったYOU、木村、ユニコーンや当時視聴者だったタカアンドトシブラックマヨネーズ西川貴教松岡充SOPHIA)などのVTRゲストと共にリクエストコントや当時の想い出トークを放送する内容となった。

ネット局[編集]

系列は放送終了時点(打ち切り時はネット打ち切り時点)のもの。
放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
関東広域圏 フジテレビ フジテレビ系列 制作局
北海道 北海道文化放送 同時ネット
青森県 青森テレビ TBS系列 遅れネット 1993年4月から
岩手県 岩手めんこいテレビ フジテレビ系列 同時ネット
宮城県 仙台放送
秋田県 秋田テレビ
山形県 山形テレビ 遅れネット[6] 1993年3月打ち切り
さくらんぼテレビ 同時ネット 1997年4月開局から
福島県 福島テレビ
山梨県 テレビ山梨 TBS系列 遅れネット
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列 同時ネット
長野県 長野放送
静岡県 テレビ静岡
富山県 富山テレビ
石川県 石川テレビ
福井県 福井テレビ
中京広域圏 東海テレビ
近畿広域圏 関西テレビ
島根県
鳥取県
山陰中央テレビ
岡山県
香川県
岡山放送
広島県 テレビ新広島
山口県 山口放送 日本テレビ系列 遅れネット
テレビ山口 TBS系列 山口放送から放映権移行
愛媛県 テレビ愛媛 フジテレビ系列 同時ネット
高知県 テレビ高知 TBS系列 遅れネット
高知さんさんテレビ フジテレビ系列 同時ネット 1997年4月開局から
福岡県 テレビ西日本
佐賀県 サガテレビ
長崎県 テレビ長崎
熊本県 テレビ熊本
大分県 テレビ大分 フジテレビ系列
日本テレビ系列
遅れネット[7] 1993年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局
宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
鹿児島県 鹿児島テレビ フジテレビ系列 遅れネット
→同時ネット[8]
1994年3月まで日本テレビ系列とのクロスネット局
沖縄県 沖縄テレビ 同時ネット

スタッフ[編集]

火曜ワイドスペシャル / レギュラー放送時代[編集]

  • 構成:廣岡豊、清水東、藤沢めぐみ、内村宏幸、乙川恒樹、和泉光晴、高須光聖、植竹英次、柏田眞志、鈴木しゅんじ、小笠原英樹、松井洋介、小山協子、倉本美津留(1993.11-)、かわら長介(1993.11-)、福原太(1993.11-)、三木聡、木村祐一、長谷川朝二岩崎夏海、三浦亜矢、奥山尚実、松谷喜久/松本人志、浜田雅功
  • アドバイザー:島武実
  • 音楽:増田俊郎
  • 美術制作:永本充、重松照英、須藤康弘
  • デザイン:水上啓光、雫石洋治
  • 美術進行:小野秀樹、末松隆、林勇
  • 特殊効果:水尾一雄
  • タイトル:岩崎光明
  • CG:岩下みどり
  • スタイリスト:上杉典子、高堂のりこ、北田あつ子
  • 振付:南流石ラッキィ池田
  • メイク:牧瀬典子、松浦緑、興石昌美、市裏美香
  • TD:島本健司、石黒義満、佐々木信一、藤本敏行
  • カメラ:田中祥嗣、中島浩司、高島洋雄、花島和弘、遠山康之
  • VE:大坪裕二、品田正人、斉藤雄一、西脇貴美孝
  • 音声:杉山直樹、間野目正孝、斉藤哲史、森田篤
  • 照明:春日叔之、北沢正樹、小井手正夫
  • 音響効果:志田博英、田中寿一
  • 編集:石附順一、太田友康、永吉敬文、岩崎秀徳
  • MA:植松巌、円城寺暁
  • スキャニメイト:大沢宏二郎、後藤和夫
  • ペイント:菊池大介、山口由紀子
  • アクションアドバイザー:山田一善
  • スチル:笠井新也、安藤潤一郎
  • 広報:小笠原恵美子、中島良明、為永佐知男
  • ナレーション:八木亜希子(めっちゃ腹痛い「ことわざ講座」)、政宗一成(「日本一まずいラーメン屋発見」)、牧原俊幸(「新ドッキリカメラ」「ごっつレギュラーメンバースカウトキャラバン」)、森山周一郎(「芸能界ビリヤード王決定戦」)、宝亀克寿(「出動!!メカライオン」)
  • 協力:ヒットユニオン、TOWER RECORDS、シュラトン・グランデ・トーキョー・ベイ・ホテル&タワーズ、佐藤動物プロ 3年B組金八先生
  • 技術協力:ニユーテレス(レギュラー放送前も技術協力された)、共同テレビ
  • 照明協力:FLT
  • 制作協力:吉本興業NCV(栗林堅太郎)
  • AP(プロデューサー補):徳光芳文(フジテレビ、2代目)、岡本昭彦(吉本興業)
  • ディレクター:星野淳一郎清水淳司小松純也(フジテレビ)、山口将哉(CRUSH OUT)、林田竜一(NCV)、北沢健一、村田泰介
  • 演出:竹島達修(途中より加入)
  • プロデューサー:小須田和彦(フジテレビ、初期D→初代AP→2代目P)、大崎洋(吉本興業)
  • 制作:佐藤義和(フジテレビ、初代P)
  • 制作著作:フジテレビ

2001年「ものごっつええ感じスペシャル」[編集]

  • 構成:かわら長介、倉本美津留、三木聡、高須光聖、木村祐一、川野将一
  • 技術:森野憲俊
  • SW:藤本敏行
  • カメラ:河西純
  • VE:齋藤雄一
  • 音声:森田篤
  • 照明:北澤正樹
  • 音響効果:田中寿一
  • 編集:太田友康、斎田秀幸
  • MA:円城寺暁
  • 美術制作:小須田和彦
  • デザイン:棈木陽次
  • 美術進行:林勇
  • 大道具:松本達也
  • 装飾:門間誠
  • 持道具:小林加代子
  • 衣裳:寺田泉
  • スタイリスト:高堂のりこ、北田あつ子
  • ヘアメイク:牧瀬典子、長谷川亜依
  • かつら:矢津田一寛
  • 視覚効果:中溝雅彦
  • 電飾:中尾学
  • アクリル装飾:川島正義
  • 生花装飾:安藤岳
  • 植木装飾:広田明
  • タイトルデザイン:岩崎光明
  • 広報:谷川有季(フジテレビ)
  • スチルカメラ:安藤潤一郎
  • 制作デスク:北詰由賀、中野英美
  • AD:加藤伸一、中内竜也、柳橋弘紀、野中雅弘
  • AP(アシスタントプロデューサー):原武範(アズバーズ)、斉藤勅之(吉本興業)
  • ディレクター:西田二郎・高橋純(ワイズビジョン)
  • 協力プロデューサー:江間浩司(NET WEB
  • 演出:伊藤征章(フジテレビ)
  • 監修:小松純也(フジテレビ)
  • プロデューサー:清水宏泰(フジテレビ)、武野一起(ワイズビジョン)、岡本昭彦(吉本興業)
  • オーガナイザー:白岩久弥(ワイズビジョン)
  • 技術協力:ニユーテレス、FLT、J-WORKSIMAGICA、CRAZY TV、Avid Symphony
  • 協力:ワイズビジョン
  • 制作協力:吉本興業
  • 制作:フジテレビ制作センター(現フジテレビバラエティ制作センター)
  • 制作著作:フジテレビ

関連商品[編集]

クレーンゲームぬいぐるみ
第一弾 ノーマルダウンタウン・何太郎くんとお兄さん・アキラファイヤー、メグッペファイヤー、オジンガーZの7種類。
第二弾 カスタムひかる(服の色が赤、青、黒)、極キラー・おかんとマー君・トラゴロウとイマダ君の8種類。いずれも発売元はタカラ。他に景品用としてTシャツキャップ腕時計等もあった
VHS
『ダウンタウンのごっつええ感じ コント傑作集』HISTORY1 - 10、『幻のコント傑作集 HISTORY0』の計11巻が放送期間中に発売された。発売元はポニーキャニオン
エキセントリック少年ボウイオールスターズ(CD)
シングル『エキセントリック少年ボウイ』(1997年9月25日発売)、アルバム『ダウンタウンのごっつええ感じ 音楽全集』(1997年12月15日発売)がある。発売元はイーストウェストジャパン
DVD
『THE VERY BEST OF ダウンタウンのごっつええ感じ』(全5巻、各3枚組)が2003年6 - 12月に発売。1000本を超える作品からダウンタウンの2人が自ら厳選した傑作コント等を収録。大ヒットを記録した。発売元はR and C
『THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ』(3巻ずつ、全6巻、各4枚組)。こちらは放送年代別のコントやコーナー等を収録。また当時の雰囲気を再現するために放映当時のCMも収録されている。1991-92・1993・1994の3巻が2014年3月26日に発売、1995・1996・1997の3巻が2014年9月10日に発売。発売元はR and C。

このほか番組放映当時に、コントに登場したキャラクターのシールがおまけに付いた激辛カレー味のスナック菓子、コントキャラクターを辞典式に掲載した番組公式本(コラムや松本が語るキャラのその後が書かれている)などが発売されていた。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 改変期でもないこの時期に番組が開始したのは、前番組の『世界の常識・非常識!』が『たけし・逸見の平成教育委員会』放送開始等による逸見政孝のスケジュール調整により、ワールドカップバレー'91の前週で打ち切られたことによる。
  2. ^ 吉本興業側の連絡不徹底が原因ともいわれているが、真相は一切不明。
  3. ^ http://www.mikageya.com/uta/04/index4.html
  4. ^ この映像は現在DVD『THE VERY BEST OF ダウンタウンのごっつええ感じ』3(レンタル版7巻)の最初に収録されている。
  5. ^ ダウンタウン、フジ系日8に帰ってくる!-芸能-sanspo.com(2011年2月16日サンケイスポーツ)
  6. ^ 山形テレビの1980年4月から1993年3月までの日曜20時台は、当時日本テレビ系列テレビ朝日系列とのクロスネット局だった山形放送テレビ朝日系同時ネット枠だった関係で、フジテレビ系列局にもかかわらず日本テレビ系列の番組を同時ネットしていた。そのため、1980年3月まで同時ネットで放送されていた『オールスター家族対抗歌合戦』は同年4月から遅れネットに変更されてからは、フジテレビ系日曜20時台の番組は本番組まで遅れネットが続いた。山形テレビは1993年4月にテレビ朝日系列ネットチェンジしたため、本番組も1993年4月からさくらんぼテレビ開局まで山形県では未ネットだった。ただし、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局を受信できた場合は1993年4月以降も引き続き視聴可能だった。
  7. ^ テレビ大分とテレビ宮崎はクロスネット局
  8. ^ 鹿児島テレビは1994年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局のため、日本テレビ系列番組を同時ネット。1992年4月5日から日曜13時の時差ネットで放送開始。2年後、鹿児島テレビがフジテレビ系列フルネット化されたのに伴い、1994年4月3日より同時ネットへ変更された。
フジテレビ系列 日曜20時台
前番組 番組名 次番組
ダウンタウンのごっつええ感じ
フジテレビ系列 日曜19:58 - 20:00枠
ダウンタウンがやってくる!
日曜リトルウェーブ