キダ・タロー

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キダ・タロー
出生名 木田 太良
(きだ たろう)
別名 浪花のモーツァルト
生誕 (1930-12-06) 1930年12月6日(86歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県宝塚市
学歴 関西学院中学部関西学院高等部卒業
関西学院大学社会学部中退
ジャンル CM音楽
現代音楽
職業 作曲家
タレント
ラジオパーソナリティ
担当楽器 指揮
ピアノ
アコーディオン
活動期間 1949年 -
事務所 昭和プロダクション

キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)[1]1930年12月6日 - )は、日本作曲家ピアニストタレントラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所昭和プロダクション

兵庫県宝塚市出生・出身[2][3]。五男1女の末っ子[3]。趣味はゴルフ[4]。タレントの木田美千代は夫人[4]。上記の活動の他、実業家としても活躍。

数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲を作曲し[2]、「浪花のモーツァルト」の二つ名を持つ。

来歴[編集]

1930年12月6日、兵庫県宝塚市において、五男一女の末っ子として産まれる。父親は刑事[* 1][5][3][2]。両親の希望により、通学圏内で一番「上品」だった中学校、関西学院中学部に進学[6][2]

関西学院高等部在学中の16歳の時、肺結核により早世した長兄の遺品であるアコーディオンに触れ、また下から2番目の兄がレコード好きだったため、音楽に目覚める[7][8][5][2]

高等部3年生の時に[5]5-6人のタンゴバンドを結成し、アコーディオンを担当[1][6]。当時関西学院大学では自宅でのダンスパーティーが流行しており、レパートリーが3曲しか無いにもかかわらず、キダらのバンドもよく駆り出されていた[6][8]。バンドメンバーには大学時代の同級生(キダによれば「悪友」)[2]でもある俳優の藤岡琢也(担当はバイオリン)がいた[8][* 2]

だがバンドの他、部を結成するほどハンドボールにものめりこんでいたため勉学が疎かとなり、関西学院大学の入学試験に合格できず(キダの時代には、試験に通らなければ進学できなかったとのこと)、1年間の浪人生活を送ることとなった[6]

18歳時、ピアノに転向[8]。兄の遺品だったアコーディオンはボタンが8個しかないいわばおもちゃのようなもので、友人から借り受けたりしながら演奏を続けていたが、そのような環境下では練習もまともに行えないなど限界があった[8][6]。ところが本格的なアコーディオンを購入するとなると当時の価格で40万円にもなり、キダに手が届くものではなかった[7][6]。だが、同じ鍵盤楽器の[6]ピアノであれば、自身が所有していなくとも練習が可能だという理由で、ピアノに転向することになった。阿川佐和子との対談および関西学院同窓会東日本センター東京支部のインタビューでは、当時通学していた関西学院大学構内の各所にあるピアノで練習を行うことができたと[8]、『プロ論』でのインタビューではダンスホールに常設されていた[7]、と語っている。

キダが初めて作曲したのは、18歳[7]または19歳[8][5]の頃で、当時難波にあったキャバレー「パラマウント」の曲[8][7]。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」さん(後のかしまし娘正司歌江)だった[* 3][5][8]

関西学院大学を中退し、プロピアニストに転向[8]。20代の前半頃から「義則忠夫とキャスバオーケストラ」のピアニストとしてキャバレーなどで10年間活動[8][6]

1964年4月、結婚[5]、同年、『ふるさとのはなしをしよう』(歌は北原謙二)でレコードデビュー。

本格的に作曲活動を開始したのは20代前半または23-24歳の頃で、キャスバオーケストラでも作曲を担当するようになった[6][1]。30歳頃を境にに人気作曲家となる。

一時期は近畿の放送局が制作を手掛けるテレビ番組ラジオ番組のテーマ曲の多くを手がけ、資料によっては「総ナメ」とも言われる[1]。キダによれば、音楽の用意を忘れていたらキダの所へいけ、キダならすぐに対応するだろう、と言う状況であったとのことである[1]

キダ本人によれば代表曲はテレビ番組に提供したものについては、『プロポーズ大作戦』、『ラブアタック[7]、『古寺巡礼』(本人によればキダらしくない楽曲であるという)など[2]CMソングについては『プロ論。』によれば、『出前一丁』『かに道楽[7]、zakzakによれば『兵衛向陽閣』、関東の『小山ゆうえんち[1]。本人によれば、初期の作品では『エールック』のものが印象に残っているとのことである[1]。その他歌謡曲として『ふるさとのはなしをしよう』を代表曲としている[2]

近畿地区での業績が知られるところであるが、前述の『小山ゆうえんち』の他、三原本店(仙台市、時計宝飾店)、マツオ北海道滝川市松尾ジンギスカン)など他地区からの仕事も行っている。

作り上げた曲数[編集]

作り上げた曲は1000曲以上とも2000曲とも[7]、3000曲とも5000曲とも言われるが[8]、本人によれば、そんなものは裏が取れる話ではなく、私の言いたい放題ですとのこと[8]。2009年のインタビューでは、最近は5000曲と自称していると語る[7]。なお1990年の『探偵!ナイトスクープ』出演時には1000曲くらいとしており、日本で一流の作曲家と言われるには2000曲は必要、今から2000曲に達するのは無理であろうと語っていた[5]

人物[編集]

少年期の通信簿によれば、音楽の成績はよかったものの教師の評価は「道楽者」。元同級生の藤岡琢也によれば、愛想がなくて皮肉っぽいことを言うイヤな奴だが、センスは感じていたとの評である[* 4][5]

人気作曲家となった経緯について、『プロ論。』でのインタビューによれば、朝日放送(現在のTBSラジオ)に歌番組の伴奏のために出入りしていた際、「CMスポットコンクール」と言う企画でCMとスポンサーを募集したのだが、その際に依頼が来るたびに担当プロデューサーがキダに依頼を回してくれたとしている[7]。阿川佐和子との対談では、単にプロデューサーの顔が広かったから、としている[8]

またキダはバンドで編曲を担当していたこと、ピアノと言う音域の広い楽器を演奏していたため全体の流れを見回せていたなどと言ったことから、編曲については相当な経験があった[6][7]。そしてキダによれば、当時は分業制が確立しておらず、作曲家には編曲能力も要求されており、編曲者としての能力もあるキダに多く仕事が回ってきたとのことである[7]

作曲やその数の多さについては、メロディーだけなら猫でも作れるとし[8]、世の中には無数の曲があり、多少似ていても構わない、少し変えて展開していけばなんとでもなる、一部の曲は使い回しだ、と語ってる[8][5]。ただしCMソングについては、歌詞があることや商品名を印象付けなければならないこと、および楽曲の時間の制限が厳しいことから(CMの終わりに入る場合、目安としては3.8秒の曲に仕上げねばならないという)なかなか困難であり、それに比してテレビ番組のオープニング曲などは歌詞も無く、制約も少ないので楽であるという[5][8]。基本的に詩があるとかなり「しんどく」なると言うが、テレビ番組『生活笑百科』に提供した楽曲では、依頼されてもいないのに歌詞を付けた曲に仕上げたものを録音し、その結果歌詞がそのまま採用されてしまった、と言うエピソードがある[8]

作品数の多さについては、「一週間で出来るだけ曲を多く作ってくれ」とのリクエストなどもあり[8]、資料により異なるが、「一日40曲を一週間くらい」[8]または一日6曲[7][1]書いていた時期があったとのこと。

五木ひろし八代亜紀天童よしみやしきたかじんつんく♂などを、冗談交じりながら「俺が育てた」と語っている[1]。やしきたかじんについては中之島音楽祭時の審査員として関わり[1]、つんく♂については、素人時代に「浪花のベートーベン」と呼ばれていた彼の演奏を実際に見に行ったところキダもそれを気に入り、声をかけたとのことである[1]

また関西のテレビ番組、『探偵!ナイトスクープ』にはタレントとして出演し、「最高顧問」とされているが、これは自称したものが定着したもの[8]お笑いタレント政治家である横山ノックも同番組の顧問であったが、彼は彼で「特別顧問」を名乗っていたという[8]

浪花のモーツァルト[編集]

キダは「浪花のモーツァルト」の異名を持つ。この異名はキダが1989年8月から出演している[9]関西の朝日放送のテレビ番組、『探偵!ナイトスクープ』が発祥であるという。

松本修によれば、「キダ先生は、なぜ『先生』と呼ばれるのか?」を調べてくれ、と言う視聴者からの疑問を解決する企画内において(1990年2月7日放送)[10][5]、キダについて様々な考察を行ったが、キダの作曲した「ラブアタック!」と言うテレビ番組用の楽曲、「早食い競争」の曲が、モーツァルトのある曲と綺麗に繋げて歌えたことから、キダはモーツァルトと同じ感性を持っている、キダは浪花のモーツァルトだ!……と言う結論が番組で流れることになり、それが世間に定着していったという[11][5]。すなわちナイトスクープと松本修が、この異名の命名者であるようだ[1][12][10]

「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現には続きがある。これはあくまで『探偵!ナイトスクープ』内で松本修が語っていたものであるが、感性が似ているのであるから、「もしキダが200年早く産まれていれば、今頃はモーツァルトの方が『ウィーンのキダ・タロー』と呼ばれていただろう」との主旨である[* 5][* 6]

だが、キダによれば、松本がモーツァルトが好きなだけで、キダがモーツァルトの魂を持っているなどは勝手な思い込みであると断じつつ、キダ自身はメロディーのどこをとっても完璧と考えるショパンの大ファンであり、少しでもショパンに近づきたいとしている[1]

作品[編集]

アルバム[編集]

  • 浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、1992年11月21日、SLCS-5002・5003、廃盤) - キダ・タローの作品がまとまった形で残されていないことに対して危惧を抱いたSLCの和田康宏、川合由里子によって制作された。しかし和田の死後SLCは解散、同盤も廃盤となってしまった。権利関係があまりに複雑なために復刻は難しいとされた。
  • キダ・タローのほんまにすべて(アップフロントワークス、2010年12月1日、PKCP-2064〜2066) - 前述のアルバムを叩き台として、数十年ぶりに発掘された幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。CD3枚組みとなっており、100曲 + ボーナストラック1曲を収録[13]

★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で収録されている。

歌謡曲[編集]

テーマ曲[編集]

映画音楽[編集]

CM曲[編集]

プロ野球応援歌[編集]

その他[編集]

市町村歌など

それ以外

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

※いずれも、ABCラジオでの出演。

テレビCM[編集]

いずれも関西ローカルで放送

PV[編集]

エピソード[編集]

受賞歴[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 松田優作似であったとのこと。『探偵!ナイトスクープ』で1990年にキダが語ったところによれば、「女装して張り込みができる」ほどの美形で、「宝塚の玉三郎」と言われ近所でも評判だったと言うが、その写真は空襲で焼けてしまったといい、番組内ではその容姿は確認できなかった(なお母親の写真は残っており、その容姿が放送されている)。キダによれば、兄弟の中でキダが一番父親似であると言うが、ジョークであるのか事実であるのかは不明。
  2. ^ 藤岡はその後俳優を志しバンドを脱退。30歳前ごろに関西NETテレビ(現在のテレビ朝日)によるモーニングショー番組の「ご対面」コーナーで共演することになる時まで、キダは俳優・藤岡琢也が同級生の藤岡茂とは知らなかったという[6][8]
  3. ^ ただし正司自身は、あまり売れていなかったと語っている。また、キャバレーに出入りしていたバンドマンの中にキダが居た記憶はないとのことである。
  4. ^ 『探偵!ナイトスクープ』内で藤岡が語った所によれば、アコーディオンのボタンのレプリカを製作しそれを取り付け、さも高級なアコーディオンであるかの様に見せると言うええかっこしいの一面もあったという。
  5. ^ ただし、モーツァルトはウィーン出身ではなく当時はオーストリアの域外であったザルツブルク出身であり、ウィーン在住は最後の十年間にすぎない
  6. ^ 『探偵!ナイトスクープ』は日本の関西地方で製作されているバラエティ番組であり、お笑いやコントの要素も多く含まれている点に留意されたい。なおこの企画のリポーター役を担当したシンガーソングライター嘉門達夫は、音楽的にキダ・タローの影響を大きく受けていると言う。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m キダ・タロー; 中本裕己 (2010-12-15), 【キダタロー】浪花のモーツァルト 大好きなのはショパン, zakzak, オリジナルの2014-4-11時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20140411132436/http://www.zakzak.co.jp/people/news/20101215/peo1012151538000-n1.htm 
  2. ^ a b c d e f g h i キダ・タロー (2010), キダ・タローのほんまにすべて ライナーノート, アップフロントワークス 
  3. ^ a b c キダ・タロー, 昭和プロダクション, オリジナルの2016-8-12時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20160812004026/http://www.showapro.com/entertainer/%E3%82%AD%E3%83%80%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%BC 
  4. ^ a b 木田 美千代, 昭和プロダクション, オリジナルの2016-7-13時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20160713024816/http://www.showapro.com/entertainer/%E6%9C%A8%E7%94%B0-%E7%BE%8E%E5%8D%83%E4%BB%A3 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 探偵!ナイトスクープDVD Vol.3 上岡局長クラシック~淡路島のパラダイス編, ワーナー・ホーム・ビデオ, (2006)  - 1990年2月17日放送分、「浪花のモーツアルト」として収録。ちなみに局長は上岡龍太郎の時代で、上岡もキダを「先生」と呼んでいた。テロップによればキダはまだ最高顧問ではなくただの顧問である。調査を担当した「探偵」は嘉門達夫。同級生の藤岡拓也、キャバレー「パラマウント」で知り合った正司歌江も出演。なお『探偵!ナイトスクープ』はバラエティー番組であるため、一部ジョークやコントなども含まれている。
  6. ^ a b c d e f g h i j k 関西楽員同窓会東日本センター東京支部; キダ・タロー (2008), KG PEOPLE 013 キダ・タローさん, 関西楽員同窓会東日本センター東京支部, オリジナルの2016-3-18時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20160318215746/http://www.kg-tokyo.com/people/013index.html 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m キダ・タロー; 宮田昌彦, キダ・タローさん-プロ論。, リクナビNEXT, オリジナルの2017-2-22時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20170222064956/http://next.rikunabi.com/proron/0914/proron_0914.html 
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 阿川佐和子 (2015), 「聞く力」文庫1 アガワ対談傑作選, 文春文庫, 文藝春秋, p. 291-307  - 週刊文春に連載された対談。キダの対談は2014年3月20日号に掲載された。
  9. ^ 松本 修 (2005), 探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子, ポプラ社 
  10. ^ a b 松本 修 (2005), 探偵!ナイトスクープ―アホの遺伝子, ポプラ社 
  11. ^ 松本修 (2010-11-25), モーツァルトと同じ感性? - 関西, asahi.com (朝日新聞社), オリジナルの2017-06-02時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20170602124420/http://www.asahi.com/kansai/entertainment/knight3scoop/OSK201011250088.html 
  12. ^ なおディレクターは小山青志。
  13. ^ 〈浪花のモーツァルト〉キダ・タローのすべてが詰まった101曲入りCD登場, タワーレコードオンライン, (2010/11/09), オリジナルの2017/09/21時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20170921112141/http://tower.jp/article/news/2010/11/09/71736 
  14. ^ FMaiaiプログラム
  15. ^ 尼崎市交通局 記念誌P.34、キダ・タローインタビュー 2016年3月 尼崎市
  16. ^ a b c d e f g 『朝日放送の50年 III 資料集』P125に掲載された主なラジオ番組一覧表より参照。
  17. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P142に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『地獄極楽・タローのカラオケ塾』を参照。
  18. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P144に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのミッドナイト編集局』を参照。
  19. ^ a b 『朝日放送の50年 III 資料集』P149に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのYou遊スタジオ』を参照。
  20. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P168に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『キダ・タローのステージ貸します』を参照。

外部リンク[編集]

※以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。