キダ・タロー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
キダ・タロー
出生名 木田 太良
(きだ たろう)
別名 浪花のモーツァルト
生誕 (1930-12-06) 1930年12月6日(86歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県宝塚市
学歴 関西学院中学部関西学院高等部卒業
関西学院大学社会学部中退
ジャンル CM音楽
現代音楽
職業 作曲家
タレント
ラジオパーソナリティ
担当楽器 指揮
ピアノ
アコーディオン
活動期間 1949年 -
事務所 昭和プロダクション

キダ・タロー(本名:木田 太良(きだ たろう)、1930年12月6日 - )は、日本作曲家タレントラジオパーソナリティ。元財団法人箕面市文化振興事業団理事。所属事務所昭和プロダクション

兵庫県宝塚市生まれ。五男1女の末っ子。趣味はゴルフ。タレントの木田美千代は夫人。上記の活動の他、実業家としても活躍。箕面市在住。

来歴[編集]

関西学院高等部在学中の16歳の時、兄のアコーディオンに触れ音楽に目覚める。高校3年でタンゴバンドを結成(担当はアコーディオン)する。プロピアニストに転向後、作曲活動を開始。バンドメンバーには大学時代の同級生でもある藤岡琢也(担当はバイオリン)がいた。同じ舞台で活動していたかしまし娘からは「タローちゃん」と呼称されている。高島忠夫も大学時代の同級生。関西学院大学社会学部を3日で中退。2006年に藤岡が亡くなった際は悲しいとコメントをしていた。

数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業社歌を手掛けたことから(2000曲以上とされる)、通称「浪花のモーツァルト」と呼ばれる。彼が手掛ける曲は、特に近畿の人にとっては耳に残るメロディであるようで、一時期は近畿の放送局が制作を手掛けるテレビ番組ラジオ番組のテーマ曲のほとんどをキダ作品が独占するまでになった。

近畿地区での業績が知られるところであるが、小山ゆうえんち、三原本店(仙台市、時計宝飾店)、マツオ北海道滝川市松尾ジンギスカン)など他地区からの仕事も少数ながら行っている。

浪花のモーツァルト[編集]

キダは「浪花のモーツァルト」の異名を持つ。

「浪花のモーツァルト キダ・タロー」という表現には続きがある。曰く、「浪花のモーツァルト キダ・タロー。しかし、もし彼がモーツァルトより先に生まれていたならば、モーツァルトが『ウィーンのキダ・タロー』と呼ばれていたことだろう」と続くという[1]

過去の作曲家になぞらえた異名を取った作曲家が、本人も音楽史に大きな名を刻んだ例としては、“ナポリのモーツァルト”ことロッシーニ、“シャンゼリゼのモーツァルト”ことオッフェンバック、“ソビエトのモーツァルト”ことショスタコーヴィチなどが有名で、奇しくもすべてモーツァルトである。

作品[編集]

アルバム[編集]

  • 浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて(サウンドトラック・リスナーズ・コミュニケーションズ(SLC)、1992年11月21日、SLCS-5002・5003、廃盤) - キダ・タローの作品がまとまった形で残されていないことに対して危惧を抱いたSLCの和田康宏、川合由里子によって制作された。しかし和田の死後SLCは解散、同盤も廃盤となってしまった。権利関係があまりに複雑なために復刻は難しいとされた。
  • キダ・タローのほんまにすべて(アップフロントワークス、2010年12月1日、PKCP-2064〜2066) - 前述のアルバムを叩き台として、数十年ぶりに発掘された幻の音源や初CD化となる楽曲を加えたアルバム。

★印の付いた曲は「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(以下『キダ・タローのすべて』)に収録されている。☆印の付いた曲は「キダ・タローのほんまにすべて」で収録されている。

歌謡曲[編集]

テーマ曲[編集]

映画音楽[編集]

CM曲[編集]

プロ野球応援歌[編集]

その他[編集]

市町村歌など

それ以外

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

※いずれも、ABCラジオでの出演。

テレビCM[編集]

いずれも関西ローカルで放送

PV[編集]

エピソード[編集]

  • 媒体出演時ではメガネ着用が常であるが過去にレーシック手術を行なっており近年では伊達眼鏡の着用となっている。絶版アルバムの復刻版アルバムではレンズの無いメガネの上からアッカンベーをしているジャケ絵が使用されている。
  • 番組テーマ曲やCMソングを多く手掛ける作曲家・たかしまあきひこが、キダを「尊敬する作曲家の一人」と語っている。
  • 大の近鉄バファローズファンで知られる。
  • 曽祖父は新撰組の隊士。
  • 父は宝塚一の敏腕刑事、近所でも評判の男前で「宝塚の玉三郎」と言われたが、その写真は空襲で焼けてしまったという[9]
  • キダが初めて作曲したのは、19歳の頃で、当時難波にあったキャバレー「パラマウント」の唄である。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」さん(後のかしまし娘正司歌江)だった。
  • 2005年7月15日に大阪府立体育会館で開催された『ハッスル11』では、高田モンスター軍所属のご当地レスラーとして、キダをモチーフにした「KIDATA・ロー」が登場。キダと肩を組みながら登場した。
  • 関西でのテーマ曲担当番組数を誇るキダだが、かの『ノックは無用!』は他者(高橋城)に譲っていて、このことは本人も無念であるとコメントしている。
  • 自身が審査委員長を務めた第2回大阪大衆音楽祭で周りが反対する中、やしきたかじんにグランプリを与えたと後年テレビ番組で発言している。
  • 笑福亭鶴瓶とは悪友であり、共演した時は喧嘩をするやり取りを行っている。声をかけた笑福亭鶴瓶が返事をしないことに腹を立てて、ビルの3階からクリスタルの花瓶を投げつけたことがある(桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜)。
  • ハワイのアネラガーデンチャペルという結婚式場にキダタローそっくりの神父がいる。ここでは神田うのが結婚式をあげた。
  • 笑福亭笑瓶は「ものまね王座」で「ウルトラマンタロウ」の替え歌でキダのものまねをしてサビ前の台詞でキダのCMソングのフレーズを歌い全員を大爆笑に陥れた。それはDVDに収録されている。

受賞歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ただし、モーツァルトはウィーン出身ではなく当時はオーストリアの域外であったザルツブルク出身であり、ウィーン在住は最後の十年間にすぎない
  2. ^ FMaiaiプログラム
  3. ^ 尼崎市交通局 記念誌P.34、キダ・タローインタビュー 2016年3月 尼崎市
  4. ^ a b c d e f g 『朝日放送の50年 III 資料集』P125に掲載された主なラジオ番組一覧表より参照。
  5. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P142に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『地獄極楽・タローのカラオケ塾』を参照。
  6. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P144に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのミッドナイト編集局』を参照。
  7. ^ a b 『朝日放送の50年 III 資料集』P149に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『タローのYou遊スタジオ』を参照。
  8. ^ 『朝日放送の50年 III 資料集』P168に掲載された主なラジオ番組一覧表より、『キダ・タローのステージ貸します』を参照。
  9. ^ 『探偵!ナイトスクープ』1990年2月17日放送「浪花のモーツアルト、キダ・タロー」より

外部リンク[編集]

以下は、キダ・タローがCMソングの作曲を手掛けた企業。