中田カウス・ボタン

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中田カウス・ボタン
メンバー 中田カウス
中田ボタン
別名 カウスボタン
結成年 1969年
事務所 吉本興業
活動時期 1968年 -
師匠 中田アップ
出会い 大阪市内のバー
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才
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中田カウス・ボタン(なかたカウス・ボタン)は、漫才コンビ。所属事務所吉本興業大阪。コンビ結成は1968年3月

なんばグランド花月劇場(NGK)で大トリをとる大御所である。

略歴[編集]

二人の出会いはカウスがアルバイトをしていたバーの常連客がボタンであった事から。日に日に仲良くなった頃カウスからボタンを誘いコンビ結成。

その後は遊園地ストリップ劇場などで漫才を披露。若手の頃はアイドル並みの人気を博した。漫才師はコンビで揃いのスーツを着ることが定番だった時代に、はじめてジーパントレーナーで演じた[1]。ネタ作りも当時の女子高生にウケるネタを研究して作るなど、若者にターゲットを絞った漫才を発表し続ける。現代では当たり前のように存在するアイドル漫才師のパイオニアと言える存在であった。

漫才・ネタの特徴としては、カウスの、ボタンの私生活や過去を引き合いに出しておちょくる(からかう)ようなボケと、それに対するボタンのノリツッコミ。2012年の正月番組ではボタンがボケに回り、カウスがツッコミを入れるネタを披露するなど、最近の漫才師の傾向に影響を受け、大御所ながらさらなる進化を遂げつつあると言える。

メンバー[編集]

中田カウス
(なかた - 、本名:野間 勝道、1949年6月29日(67歳) - )
ボケ担当。愛媛県今治市(旧越智郡伯方町)出身。子供のころ雑誌に付録として載っていた住所録を見て横山エンタツの自宅に行き弟子入り懇願したが断られ断念。その後大阪の千日劇場で観た暁伸・ミスハワイの漫才に魅了され、自宅に押しかけ弟子入りを懇願したがこちらも断られ、暁伸・ミスハワイの友人であったあひる艦隊を紹介され、ボーヤとして地元愛媛の仕事に帯同。のちに上方柳次・柳太門下を経て中田ダイマル・ラケット一門に入る。2002年からM-1グランプリ決勝戦の審査員を務めており、回数では島田紳助松本人志と並ぶ最多の9回。出演者のチェックは予選から行っており、2005年は1回戦から舞台袖ではなく、客席側からチェックしているのが目撃されている。
ひょうひょうとした語り口でボタンに毒舌を吐くのが特徴。「悪戯の帝王」の異名を持ち、ターゲットになった芸人は浜田雅功から人生幸朗まで幅広く、ターゲットとして一番狙われたのは坂田利夫である。吉本以外では逸見政孝(逸見とカウスは共にビートたけしの親友)にいたずらを仕掛けたことがある。
かなりの汗っかきで、舞台などでは折り畳んだハンカチを手に握り、時折そのハンカチで汗を拭う光景が見られる。
横山やすしオール巨人チャーリー浜と並ぶ弟子育成の厳しさで知られるが、私生活のだらしなさから「弟子には厳しいが自分には甘い」と非難を受けることもある(借金問題が表面化し、芸能活動を自粛する事態に追い込まれた時期もある)。
投機で成功した時期があり、その頃は「金持ちで真っ当な」カウス、「貧乏で犯罪者チックな」ボタンというパターンでボケを担当していた。現在でも、「金持ち」は抜いたが、真っ当そうに見えて不思議なボケを使う。
1980年代後半に上岡龍太郎を中心として「楽屋をのぞかせる」という演出が多用されたが、「芸人が見せてはいけない部分」と論じて、痛烈に批判した。
ビートたけしと親交が深く、カウスは「おじさん」とよび、たけしは「あんちゃん」と呼び合う仲である。たけし司会の番組でしばしばゲスト出演していた時期もある。しかし2012年現在はやや疎遠になっている(後述)。
吉本興業特別顧問に就任したが、2007年4月、週刊誌等により暴力団との関係を問われ、本人は否定しているもののファンを騒がせたとして同職を退任した。これを受けてNHKは、カウスが出演する『バラエティー生活笑百科』の4月28日5月5日放送分を無期限放送延期(事実上の中止)。また、週刊誌等で吉本興業元会長に対してカウスが恐喝した疑惑や吉本興業現経営陣の不正支出疑惑が浮上、吉本興業株主総会でも取り上げられ、総会の場で社として調査を行うことを約束。7月31日に吉本興業が発表した調査結果によるとカウスの恐喝疑惑に関しては不問、吉本興業自体の不正支出に関しては「不正支出はあったものの、既に和解している可能性が高い」とし、問題が無いことを強調したものの、11月21日大阪府警捜査4課が吉本興業元会長に対する恐喝容疑でカウスを任意で事情聴取したことが明らかとなった。また、M-1グランプリ2007に審査員として出演している件について放送局(ABC)へ10件近い問合せがあった[2]。これ以外にも、様々な媒体で暴力団との浅からぬ関係を囁かれている。
2009年1月9日午後8時頃、大阪市中央区堺筋で、カウスを助手席に乗せた右ハンドルのベンツが信号待ちをしていたところに左後方から黒色タオルで覆面をし、フルフェイスのヘルメットをかぶった男が近づき、助手席の窓ガラスを金属バットでたたき割り、カウスは頭部をバットで数回突かれ、頭に軽傷を負った[3]
妻は実業家の北尾吉孝SBIホールディングス代表取締役)の親戚にあたる[4]
長女は関西テレビ局員、2009年11月に同局アナウンサーの坂元龍斗と結婚[5]
2011年に島田紳助が暴力団問題から芸能界を引退した際に『週刊文春』に掲載されたビートたけしのインタビューにおいて、たけしは名前を伏せてある芸能人に仕組まれ山口組5代目組長の渡辺芳則に会わされたことがあると語り、『文春』はそれがカウスであると断じている[6]。これに対しカウスは『週刊朝日』にて事実関係が異なると述べ、たけしに明確に否定するよう再三求めたものの拒否されたとしている[7]
中田ボタン
(なかた - 、本名:藤長 明、1948年4月12日(68歳) - )
ツッコミ担当。香川県小豆郡小豆島町出身。若手時代はアイドルタレント並みの人気があったが、私生活上で主に借金や逮捕を原因とした様々な伝説(借金を完済し、暫くは借りる必要がなかったのに、今後の『張り』のためにわざわざ会社から借金をした、など)を形成。結果としてその多くが今日のネタの基となっている。
1988年10月27日、同年4月23日大阪府藤井寺市内で山口組系暴力団の開いた賭博に客として加わっていた事がわかり、賭博容疑で逮捕された。ボタンは容疑事実を全面的に認めたため同日夕方釈放されたが、しばらく謹慎処分となった。ここから、謹慎処分で借金漬けのボタンを、裕福なカウスが笑う、というパターンが生まれた。
あまりの借金伝説のため、かつて明石家さんまが、斉藤由貴卒業』の歌詞の一部を「生活苦の中田ボタンを~」と替え歌にして歌っていた。
漫才のネタでは「嫁さん」と「奥さん」が一人ずついるらしい(カウス談)
浜田雅功が若手の頃、ボタンのツッコミを舞台の袖から見て勉強していたという逸話がある。

中田カウスのイタズラ伝説[編集]

毛布事件
ある日の飛行機で人生幸朗と乗り合わせたカウスは、人生幸朗が寝ているスキに飛行機に備え付けてあった毛布を人生幸朗のカバンの中へこっそりと入れた。その後、深夜3時頃に人生幸朗宅へ「航空会社の者ですが、うちの毛布が無くなったのですが…」という電話を入れる。「こんな時間に相手を誰だと思って電話してるんだ!」と怒った人生だが、カバンの中を調べると本当に毛布が入っており、一転して平謝りしだした。この話にはさらに続きがあり、カウスが「空港に来ていただいて始末書を書いていただければこれはもみ消します」というと、人生は即座にパジャマ姿で空港へ向かい、そこでカウスが待ち受けていたためようやくイタズラだと気付いたという。人生はすっかり担がれたことに大笑いし、カウスの誘いで大阪市中央市場の鮨屋に行き二人で乾杯した。
メガネ赤塗り事件
昼寝中の人生幸朗のメガネのレンズを赤のマジックインキで塗りつぶし、カウスは耳元で「火事や!」と叫ぶ。目を覚ました人生幸朗は目の前が真っ赤な上に強度の近眼だったので何がなんだか分からず、慌てふためく一方だった。
首吊り事件
当時住んでいたアパートにあった木に、深夜にこっそり縄をくくりつけ、マネキン人形の首をそれに引っ掛けておいた。暗闇の中からそれを見たアパートの管理人は腰を抜かし、庭にあった池へ落ちてしまった。
今いくよ・くるよ事件
テレビ局のプロデューサーを装い、今いくよ・くるよに「一生懸命に漫才の稽古している姿を撮りたいので、正月海辺で晴れ着を着て稽古していて下さい。」と電話。実際に晴れ着で稽古をしていたいくよ・くるよを船に乗って見て笑っていたという。
ホテルプラザ花火事件
かつて大阪市北区朝日放送横にあったホテルプラザの一室で愛人と花火を打ち上げたところ、スプリンクラーと非常ベルが作動しホテル中が大騒動になってしまう。
イタズラ電話
毛布事件から推察される通り中田カウスは、イタズラ電話の常習犯でもある。芸人仲間の集る深夜のスナックから横山やすしの自宅へ電話し「明日の南海電車の始発の時間を教えて下さい。」やすしは激怒し「誰や!!横山と知っての狼藉かコラ!!」一同腹を抱えて忍び笑うのみであった。
竜介バースデーケーキ事件
島田紳助の相方である松本竜介へ、バースデーケーキをプレゼント。しかし、そのケーキに、割り箸で押し込んだヘアを仕込む。知らずにバースデーケーキを受け取った竜介は、感激して「みんな、ありがとう」と涙ながら、ケーキをほおばったというが、周囲の芸人は、笑いをこらえるのに苦労したという。

師匠[編集]

  • 師匠に付かずに独自の活動をしていた頃、カウスのアルバイト先のバーに客として現れた中田ダイマル・ラケットと親しくなり劇場に招待される。劇場でのダイマル・ラケットの姿に感動し弟子入りする事になる。
  • 一般に「師匠は中田ダイマル・ラケット」とされるが、正しくはその弟子の中田アップ。前名の中田チャック(相方は中田ファスナー)時代に吉本の専属になり、道頓堀角座のトリから外された師匠を憂い、師匠を吉本に移籍させた張本人。相方は中田ダウン。既に引退。
    あまり有名でないためか、通常カウス・ボタンの師匠は大師匠で名付け親でもあるダイマル師とされている。ボタンの自作サイトでも、師匠はダイマルと明記されている。

主な出演[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

  • 中田カウスのお笑い110番(ラジオ大阪)- レギュラー ※カウスのみ
  • カウスミュージックトーク(朝日放送) ※カウスのみ

テレビドラマ[編集]

劇場アニメ[編集]

受賞歴[編集]

主な弟子[編集]

カウス[編集]

  • 中田尚希・祐士→中田なおき(2009年5月破門)
  • 中田新作(漫才作家)

他、外国人のピン芸人や、若手女性コンビなど多数。
当時駆け出しの漫才師であったカウスにまだ素人であった大木こだまが弟子入りを志願したことは有名で、正式な師弟関係でこそないがこだまは今なおカウスに私淑している。
2009年の中田なおき破門に際し、カウス・なおき当人および吉本興業は破門の理由ならびに経緯について一切触れていない。

ボタン[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 当時お金もなく仕方なくこの衣装になった、当時諸先輩からこっ酷く怒られたが自分たちのスタイルを貫き通した。
  2. ^ “「M1」関西視聴率瞬間最高39・7%”. 日刊スポーツ. (2007年12月26日). http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp5-20071226-299944.html 2011年2月16日閲覧。 
  3. ^ “中田カウスが乗車中に襲われ軽傷”. 日刊スポーツ. (2009年1月10日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090110-448594.html 2011年2月16日閲覧。 
  4. ^ 芸能界復帰へ前進 紳助と中田カウスの電撃和解裏 週刊実話 2011年12月13日閲覧
  5. ^ “関テレ・坂元アナ、中田カウスの長女と先月に入籍”. スポーツニッポン. (2009年12月5日). http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/200912/05/ente226028.html 2011年2月16日閲覧。 
  6. ^ 『週刊文春』2011年9月29日号「ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った」
  7. ^ 『週刊朝日』2012年2月17日号「ビートたけしと暴力団 本当の仲」
  8. ^ 「海原」の亭号を名乗っているのは海原小浜の実の孫だから

関連項目[編集]

外部リンク[編集]