田村正和

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たむら まさかず
田村 正和
生年月日 (1943-08-01) 1943年8月1日(76歳)
出生地 日本の旗 日本京都府京都市右京区
身長 172 cm[1]
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1961年 -
配偶者 既婚
著名な家族 父:阪東妻三郎
長兄:田村高廣
次兄:田村俊磨
弟:田村亮
異母弟:水上保広
甥:田村幸士(亮の長男)
主な作品
眠狂四郎』シリーズ /『鳴門秘帖
赤穂浪士』/『夏に恋する女たち
くれない族の反乱
うちの子にかぎって…』シリーズ
パパはニュースキャスター』シリーズ
男たちによろしく
ニューヨーク恋物語』シリーズ
カミさんの悪口』シリーズ
古畑任三郎』シリーズ
オヤジぃ。』/『さよなら、小津先生
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田村 正和(たむら まさかず、1943年8月1日 - )[2]は、日本俳優京都府京都市右京区出身[3]成城大学経済学部卒業[2]。所属は、自身の個人事務所である新和事務所[4]

阪東妻三郎の次男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれる。異母弟に俳優の水上保広。家族は妻(一般人女性)と娘[4]

来歴[編集]

幼少期から松竹時代[編集]

京都から世田谷へ移住、9歳で父阪東妻三郎を亡くす[3]1960年、兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画の端役として出演する[3]。その後、1961年松竹大船と専属契約[3]、9月、成城学園高校在学中に映画『永遠の人』で本格デビュー[3]、以降1966年に大学を卒業するまで学業と並行して映画、テレビドラマに出演した。この間1963年『花の生涯』からは5年連続でNHKの大河ドラマに出演した。

松竹退社から1970年代TV時代劇を中心に活躍[編集]

1966年にフリーとなる[3]脇役ばかりが続く。当時は地味で暗い風貌であったことや、声があまり通らないことなどから成功には程遠かったものの、やがて1970年に出演したテレビドラマ『冬の旅』で改めて存在を認識され[5]、人気に火が付いた[6]。以降次第に繊細な二枚目青年役を中心にテレビドラマでの活躍が目立つようになる。 1972年、『新・平家物語』では崇徳天皇を演じたがこれ以降大河ドラマには出演していない。同年テレビ時代劇『眠狂四郎』で茶の間の人気を得た[3]。『眠狂四郎』、1977年NHK時代劇『鳴門秘帖』、1979年『赤穂浪士』など、特に陰影の濃い哀愁ムードの風貌は女性ファンを引き付け[3]、「憂愁の貴公子」とさえ呼ばれることもあった[7]

1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帳』に出演、これまでと違う役どころに悩んだが[3]、これが一つの転機となり、以降は、軽やかで明るい役柄にも挑戦、これまでのイメージとは異なる作品に多く出演するようになった[3]

1979年映画『日本の黒幕』に出演、以降1993年まで映画には出演せず、テレビと舞台のみに出演した。

1980年代 ホームドラマでのブレイク[編集]

1983年スペシャル時代劇版『乾いて候』が好評であったため、1984年連続版『乾いて候』が製作され、田村三兄弟が共演して話題となった[3]。また同年『うちの子にかぎって…』(TBS系列)に出演し、それまでのイメージを完全に覆す三枚目の役[3]、田村にとってターニングポイントとなった[3]。ちょっと頼りない優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』『パパは年中苦労する』など数々のコメディドラマに主演した。以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめている。

1988年には田村がとても気に入っているという『ニューヨーク恋物語』に出演、同じ役を長く演じるのを嫌う田村としては珍しく、田村の願いで[8]、2005年にはスペシャル版が製作された。

1990年代以降[編集]

恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界での主演スターとしての地位を築いた。

1990年年末時代劇スペシャル『勝海舟』(1990年、NTV) に主演するも、急病のため前半部と終盤のみの出演となり、代役は弟・亮となった[9]

1993年映画『子連れ狼 その小さき手に』に出演し、1979年の日本の黒幕以来のスクリーン復帰を果たし、情感たっぷりにアクションよりも、親子愛にテーマを置いた拝一刃を演じた[3]。また同映画の写真を使用した自身初の写真集が発売された。

1994年から放送の刑事ドラマ古畑任三郎』役では、和製刑事コロンボとも言える新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった[5] 。古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、辞退していた。その後、『古畑任三郎』第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞した。

2007年、中山プロデューサーから3年越しのラブコールを受け[10]、映画『ラストラブ』に出演、14年ぶりの映画出演となった[11]

2009年『そうか、もう君はいないのか』で第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞を受賞、「信じられません。私が参加いたしましたこの作品が東京を遠く離れたモンテカルロの地で皆様方のご高覧を拝しただけでも大変光栄なことでございますのに、このような賞を頂けるなんて・・・。実は私事ではありますが、この数年俳優業の難解さと私自身の能力の間で大変悩んでおりました。したがってこのような賞をいただけることが私には全く信じられないことなのです。この度のこの栄えある賞が私のそう長くはない俳優人生においておおいなるエネルギーになってくれることを祈っている次第です」と受賞の喜びを語った[12]

2017年、1998年のスペシャル版以来となる『眠狂四郎』に出演。1972~73年の連続ドラマ、そして2017年を含め、5本のスペシャルで演じた。他の作品のオファーも有ったが、『眠狂四郎』への出演を選んだ[13]。田村は『眠狂四郎 The Final』について、「狂四郎というのは自分の出生に大変なコンプレックスを持っている男なんですけど、今回少しだけ明るい光が入ってくるような部分もあります」と述べた[14]。円月殺法のシーンだけで3日をかけて撮影され、「『眠狂四郎』は大事な作品です」とも語った[15]。しかし完成前に『The Final』の試写を見た田村は、これではダメだと痛感しオンエアを見る気にもならなかったと2018年4月発売の写真週刊誌『FRIDAY』の取材に語っている[16]。これが俳優業からの引退を示唆するかの様なコメントだったことから、一部のマスコミで引退宣言などと報道された。

しかし田村とは『くれない族の反乱』以来の付き合いで、旧知の中である八木康夫が、伴一彦らとの対談で田村について「確かにやり切ったとは感じている様だが、報道の内容は正確なものではなく、田村自身は一言も引退とは言っていない、また今後絶対に何かに出演しないと言っている訳でも無い。今の田村と何か新しい作品をやりたい。」と話している[17]

人物[編集]

父、兄弟
  • 田村は幼い頃、なんとなく父親のしている仕事をしたいと思っていた。そしてそれを知った父、阪東妻三郎が大変喜んだと語っている[18]。また「僕にあとを継がせたかったんでしょうね、丹下左膳の扮装などを教えてくれました」とも話していた[19]
  • 父とは普通の親子の様に手を繋いで町を歩いたり、散歩したり、映画を見に行くこともない関係であったが、丹後の宮津の定宿に毎年夏に行った時だけは一緒に遊んだり、海で泳いだりしたことがとても嬉しかったとも語り、演技の影響は特に受けていないが、母から聞いた父の役者としての生き方や姿勢は影響を受けたかもしれないとも語った[4]
  • 2003年1月14日にNHKで放送された、阪東妻三郎没後50年を偲ぶ番組『駆けよ! バンツマ』では、一般人の次男・俊磨も含めた田村4兄弟が勢ぞろいし、父の思い出について対談する貴重な映像が見られた。京都で撮影の際には、父阪東妻三郎と兄高廣の眠る墓を訪ねる[20]
  • 弟・亮は正和について「まじめ過ぎる、テレビではプライベートな部分は見せない」と分析、また兄弟で会っても仕事の話をすることはまず無いと明かしている[21]
柴田錬三郎との関係
『眠狂四郎』の作者・柴田錬三郎とは、田村が『岡っ引どぶ』出演時に、撮影現場を訪れた柴田と初めて会い、以降柴田は、田村を息子の様に可愛がり、正和の端正な佇まいや役者としての姿勢を極めて高く評価し、まるで親子の様に家族ぐるみの付き合いであった[22]、柴田の意向により『眠狂四郎(舞台版)』の主役として抜擢。続いて主演したテレビ版でも絶賛していた。田村は柴田の葬儀で知らずに泣きじゃくっていたこと、柴田を優しく怖い人、そして子供の様に純粋な心の持ち主であったと回想した[23]。柴田のエッセイによれば「田村正和は自宅で正座して台本を読んでいる」と語られている。なお柴田は三度、『眠狂四郎』に特別出演をした。また田村を最高の眠狂四郎役者であると称賛した[24]。柴田の実娘によると「ともに頑固で非社交的なところが似ている、柴田が自分の若い日を田村の中に見たのではないかと。」話していた[22]
時代劇
  • 時代劇では、月代(さかやき)のある中剃りのカツラを着けることは稀で、ほとんどの作品で総髪のカツラのみを着ける。若い頃の出演作品では中剃りのカツラ姿も見られる。『子連れ狼 その小さき手に』で拝一刀を演じた際には、『ニューヨーク恋物語』の時のような髪型にしたいと、エクステを着けた[4]。『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で大石内蔵助を演じた際には珍しく全編通して月代のある中剃りのカツラを着けた。
  • 田村は殺陣が好きであると語り[25]、自身の殺陣に関する考えについて、リアルに考えれば一本の刀で、何人も立て続けに人が切れる訳はないので、嘘でいいから見栄えが良く、夢があればいいと思うと述べている[26]。殺陣師林邦史朗は『鳴門秘帖』における田村の立ち回りについて、田村さんの体の線を活かした流動美と様式美に絞り、現代感覚にマッチした、スピードとリアルさをミックスしたモノになったと語っている[27]

エピソード[編集]

  • 1960年代後半から70年代には日本のアラン・ドロンと言われていたこともあり、1983年にドロンについてどう思うかとの質問には「太陽がいっぱい」、「若者のすべて」の頃のドロンはギラギラしていていいと思うが、最近は日本で放送されているCMでしか見ないから解らないと答えている[28]
  • 子連れ狼 その小さき手に、の拝一刀役のオファーを小池一夫から受けた際、「まったく新しい子連れ狼を。」という申し出に出演を決意した[29]。また大五郎役の少年は顔合わせでは田村に抱かれ笑顔を見せていたが、撮影が始まると田村の迫真の演技に次第に恐れを抱き、田村が近づくと泣き出す様になってしまい、田村がミッキーマウスのお面をかぶりなだめる羽目になった[30]
  • カミさんの悪口で共演して以来田村と多く共演している俳優橋爪功は、田村が大変好きであると語り、田村は自分自身の商品としての価値をよくわきまえている人物であると評した。田村のマネージャーから田村の出演作への出演を頼まれると断ることが出来ず、田村が出演するからという理由だけで出演を決めると語っていた[31]
  • 「田村チェア」と呼ばれる、自前のデッキチェアを常にロケ現場に持参すると言われ[32]現場では本番直前まで一人で椅子に座って色々と考えていることもあり、撮影の合間に共演者とワァワァ楽しく話したりすることは基本的にない[4]
  • 有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて自分の力のなさに気づき、劇団で修行することを考えて千田是也宇野重吉らに会い、劇団を見学した。しかし、こういう場所は自分の居るところではないと思い、別の所に稽古場を借りて先生に来てもらいいろいろと勉強をした[4]
  • うちの子にかぎって…』への出演の経緯として、『くれない族の反乱』のプロデューサー八木康夫は、最終回で田村演じる佐伯とその子供が別れるシーンに感動した八木が、これまで無かった田村と子供の組み合わせもアリだと感じ、田村の事務所に『うちの子にかぎって…』への主演での出演を打診した。事務所には断られたが、八木がイメージする赤川次郎原作の『わが子はアイスキャンディー』の映像を持参し田村に直談判に行った。するとたまたまその作品を見て感銘を受けていた田村は、八木からこういう感じの作品にしたいと言われ出演を了承した[33]
  • 田村曰く「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」[34]
  • ニューヨーク恋物語』(1988年)で演じた田島雅之役をとても気に入っている[35]。20年後、田島雅之をモチーフにしたのが、2007年公開の映画『ラストラブ』である。
  • かつて松竹を共に背負う事を期待された[4]竹脇無我の死は相当ショックであった様で、2013年2月8日の徹子の部屋への出演時、声を詰まらせながら無我の話をした[36]
  • 新ニューヨーク恋物語』撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていると、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在したことにおかしくなり、田村は部屋に帰ると大笑いした[37]
  • 自らをテレビに育てられた、テレビ俳優だと語っている[38]。また待ち時間が多い映画の現場よりも、テレビドラマの現場の方が向いていると思うと語っている[34]
  • ほとんどNGを出さない話は有名であるが、その理由は「同じセリフは2度言いたくない」からというもの[34]
  • 刑事ドラマには出演しないと決めていたが、『古畑任三郎』への出演を決めた際には、一度オファーを断るも、三谷から「従来の刑事ドラマとは異なり、ピストルを持たず、アクションも無く、論理的に事件を解決する」と説明を受け[39]、更に三谷幸喜の脚本を読んで、「これならやってみたい」と出演を決意した[39][34]
  • 黒柳徹子は、田村らしき人物の車に追突したことがあり、黒柳がぶつかりましたか?と聞くと、その人物はいいえと答えその場を離れた。後日、田村が黒柳の番組に出演した際、黒柳が改めてその事を確認するとそれは田村であった。田村も黒柳がぶつけたと気が付いたが、『騒ぎが大きくなると面倒くさいなと思って黙ってました』と答えた[40][41]
  • 『鳴門秘帖』の徳島ロケの際、地元デパートでサイン会が開催されたが、デパートの1階から6階まで階段に人が溢れ、警察隊が見守る中サイン会が行われた[42]
  • 1992年当時 最近の芸能界は俳優、タレント、お笑いなどの境界が曖昧だが、俳優はタレントとは他の方法で仕事をするので、俳優には俳優の訓練が必要だと自身の写真集のインタビューで語っている、また自身が志していた芸能界と今の芸能界は大きく異なっていて、せっかく俳優という職業にいるのに、俳優以外の色を付けてしまうのは役を演じる上で損であり、自分はそういうやり方が絶対嫌だと語っていた[4]

プライベート[編集]

  • 1977年当時「月に何度か飲みに出かけるが、女の人が居る様な店には行きません」と対談で答えている[43]
  • プライベートで、他人の前では決して食事をしないというエピソードがある[44]。好きな酒はビール[34]、またソフトクリームが好きだと明かしている[45]。既に、自身のを建立している(いわゆる「寿陵」)[46]
  • 休日は家で部屋にこもり音楽を聴いたり、過ごし酒を飲んでいることが多く、専属美容師を自宅に呼んでいる[47]
  • 子供はあまり好きではなく、犬の方が好きで、犬にはすごくなつかれると語っていた[4]
  • ロバート・デ・ニーロの出演作品を好み、作品を借りてきてもらったりしていた[4]
  • コンピューター音痴で、携帯電話も所有していたが、家に置いていた[34]。しかしiPadは活用している[48][47]
  • 運動のために自転車に乗っている[34]。また毎日30 - 60分ほど散歩をしている[49]
  • 時代小説を好んで読んでいる。とりわけ聖徳太子織田信長が好みのようで、織田信長を演じてみたいと度々語っていた[34]
  • NHKの『ブラタモリ』が好きだと、『徹子の部屋』に出演時に明かした[47]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

  • 旗本愚連隊(1960年、松竹) - 森武七 役
  • 永遠の人(1961年、松竹) - 小清水栄一 役
  • 今年の恋(1962年、松竹) - 山田光
  • お吟さま(1962年、松竹)
  • 海抜0米(1964年、松竹) - 山下昆 役
  • この空のある限り(1964年、松竹) - 前田三郎 役
  • 乞食大将(1964年、大映) - 花若(朝末) 役
  • われら劣等生(1965年、松竹) - 横田大助 役
  • ぜったい多数(1965年、松竹) - 秋山修司 役
  • 俺たちの恋(1965年、松竹) - 戸田一平 役
  • 昨日のあいつ今日のおれ(1965年、松竹) - 新村剛 役
  • 裸の青春(1965年、松竹) - 村木三郎 役
  • この声なき叫び(1965年、松竹) - 佐々木晋一 役
  • 空いっぱいの涙(1966年、松竹) - 杉俊介 役
  • かあちゃんと11人の子ども(1966年、松竹) - 吉田俊 役
  • 雨の中の二人(1966年、松竹) - 春日隆二 役
  • 天下の快男児(1966年、松竹) - 山川健一 役
  • 侠勇の花道ドス(1966年、松竹) - 唐辰二代目 役
  • 男なら振りむくな(1967年、松竹) - 大貫三次 役
  • 女の一生(1967年、松竹) - 弥生宣一 役
  • 無理心中 日本の夏(1967年、松竹) - 少年 役
  • 痴人の愛(1967年、大映) - 浜田伸夫 役
  • 記録なき青春(1967年) - 多川鉄也(19歳) 役
  • 東シナ海(1968年、日活) - 千葉六郎 役
  • 初恋宣言(1968年、松竹) - 市川信二 役
  • 女と味噌汁(1968年、東宝) - 咲村智一郎 役
  • 嵐に立つ(1968年、松竹) - 大木達也 役
  • 怪談残酷物語(1968年) - 新一郎 役
  • 秘録おんな蔵(1968年、大映) - 直次郎 役
  • 荒い海(1969年、日活) - 島村健 役
  • 眠狂四郎 卍斬り(1969年、大映) - 梅津一郎太 役
  • 華麗なる闘い(1969年、東宝) - 松平信彦 役
  • 現代やくざ 与太者仁義(1969年、東映) - 勝又徹 役
  • 超高層のあけぼの(1969年、東映) - 島村オペレーター 役
  • 風林火山(1969年、東宝) - 武田信繁
  • 黒薔薇の館(1969年、松竹) - 佐光亘 役
  • やくざ絶唱(1970年、ダイニチ映配) - 犬丸裕二 役
  • おんな牢秘図(1970年、ダイニチ映配) - 諫早三郎太 役
  • おんな極悪帖(1970年、大映) - 磯貝伊織 役
  • 旅路 おふくろさんより(1971年、松竹) - 北村尭 役
  • 女囚さそり 701号怨み節(1973年、東映) - 工藤安男 役
  • 北の宿から(1976年、松竹) - 東畑勉 役
  • 日本の黒幕(フィクサー)(1979年、東映) - 今泉岳男 役
  • 阪妻 阪東妻三郎の生涯(1993年、マツダ映画社)
  • 子連れ狼 その小さき手に(1993年、松竹) - 拝一刀
  • ラストラブ(2007年、松竹) - 阿川明 役

舞台[編集]

  • 眠狂四郎無頼控(1973年)
  • 藍より青く(1973年)
  • 眠狂四郎(1973年)
  • 土性っ骨(1973年)
  • 口上(1975年)
  • 賀茂川囃子(1975年)
  • 雄呂血 -無頼漢(ならずもの)-(1978年)
  • 鳴門秘帖(1979年)
  • 眠狂四郎〜クルスの母の子守唄(1981年)
  • 大阪善人(1981年)
  • 濡れ髪権八(1982年)
  • 大菩薩峠(1983年)
  • 舞踊錦秋譜(1983年)
  • 乾いて候(1987年 - 1993年)
  • 刀化粧(1994年)
  • 新・刀化粧(1995年)
  • 新・刀化粧〜恋・炎の如くありしか(1995年)
  • 恋山彦(1997年、1998年)
  • 新・恋山彦(2001年)
  • 新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か(2003年・2005年)

CM[編集]

その他[編集]

受賞歴[編集]

写真集[編集]

  • 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社※インタビューあり。

レコード[編集]

  • 空いっぱいの涙 / 俺はしみじみ歌うのさ(1966年、ビクター、SV-411)- 松竹映画「空いっぱいの涙」主題歌。田村自身が歌っていて、出した唯一のレコードである。

脚注[編集]

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  1. ^ Masakazu Tamura - Biography - IMDb”. Internet Movie Database. 2018年4月10日閲覧。
  2. ^ a b 三男 田村正和”. タムサプライヤ. 2017年8月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本映画人名事典 1996年度 下 150-151頁
  4. ^ a b c d e f g h i j 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社 ページ数は無し 86枚目~8ページに及ぶインタビュー
  5. ^ a b 昭和の名優100列伝 278
  6. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.151
  7. ^ 昭和の名優100列伝 278-279
  8. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  9. ^  役者は一日にしてならず 春日太一 田村亮インタビュー p.271
  10. ^ 俳優・田村正和 映画ラストラブ記者会見”. 2017年7月23日閲覧。
  11. ^ 田村正和、大地真央の再婚は「ラストラブ」!?”. 2017年7月23日閲覧。
  12. ^ 『そうか、もう君はいないのか』主演の田村正和さんが「モンテカルロ・テレビ祭」で最優秀男優賞を受賞”. 2017年7月27日閲覧。
  13. ^ 産経新聞 2017.7.23 エンタメ 芸能欄
  14. ^ 田村正和×眠狂四郎が帰ってきた!”. 2017年7月22日閲覧。
  15. ^ 田村正和「眠狂四郎The Final」始動 “最後”の当たり役に入魂”. 産経新聞 (2017年7月11日). 2017年8月14日閲覧。
  16. ^ 田村正和が本誌に”引退宣言”「僕はもう十分にやったよ」 FRIDAY、2018年04月20日更新。
  17. ^ 週刊現代 2018年11月24日号 130-131ページ
  18. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.149
  19. ^ スタア(平凡出版)1975年7月号 P.108
  20. ^ いち早く生前墓購入した田村正和 父も死去10年前に購入済み”. NEWSポストセブン (2015年2月21日). 2017年8月21日閲覧。
  21. ^  役者は一日にしてならず 春日太一 田村亮インタビュー p.271-273
  22. ^ a b TVガイド 1974年5月3日号 31ページ
  23. ^ 以上 田村正和 三林京子 特別公演 眠狂四郎 十の母の子守歌 パンフレット 在りし日の柴田先生 ページ数無しより。
  24. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.151
  25. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.147
  26. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.146
  27. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 下 NHKドラマ制作班 P.81
  28. ^ 週刊Heibon 1983年 第1232号 24-25ページ
  29. ^ 子連れ狼 その小さき手に 劇場パンフレット かいせつページ より パンフレットにはページ番号記載は無し4枚目のページ
  30. ^ 子連れ狼 その小さき手に 劇場パンフレット 楽しい日々のつずり 子連れ狼を撮り終えて。小池一夫 パンフレットにはページ番号記載は無いが10枚目のページより
  31. ^ すべての道は役者に通ず 著/春日太一 ISBN 9784093801058 p.248
  32. ^ TBSに 田村正和専用イス”. 2017年7月27日閲覧。
  33. ^ 週刊現代 2018年11月24日号 128-130ページ
  34. ^ a b c d e f g h Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  35. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  36. ^ 徹子の部屋 亡友 竹脇無我さんの思い出”. 2017年7月23日閲覧。
  37. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー2”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  38. ^ 昭和の名優100列伝 279ページ
  39. ^ a b 三谷幸喜 創作を語る 58-59ページ
  40. ^ 田村正和の車に当て逃げした 黒柳徹子 田村の大物ぶりを語る-2018年2月8日 2時0分 Smart FLASH
  41. ^ 田村正和との初対面は接触事故!? 『徹子の部屋』 で明かされた真実-サイゾーウーマン 2011年1月19日
  42. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.151
  43. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 下 NHKドラマ制作班 P.158
  44. ^ 田村正和のカッコ良さ”。「人前で食事は控える」「共演者を事前に調べる」” (2014年9月18日). 2017年7月27日閲覧。
  45. ^ ポポロ 1993年2月2日号 52ページ
  46. ^ いち早く生前墓購入した田村正和 父も死去10年前に購入済み”. 2017年7月21日閲覧。
  47. ^ a b c 田村正和の引きこもり状態の生活を支える、iPadと美容師デリバリー”. サイゾーウーマン (2013年2月21日). 2016年12月21日閲覧。
  48. ^ 田村正和 徹子の部屋 2013年2月8日放送 徹子の部屋
  49. ^ アナエンタ」田村正和は二枚目を演じる事に疲れたのか
  50. ^ 週刊明星 昭和39年7月5日号 グラビア特集 ソフトな好青年 TVで大活躍の阪妻二世 田村正和 ページ数無し にレギュラーで出演の記載有り
  51. ^ 長時間ドラマ 鹿鳴館 - NHK名作選(動画・静止画)NHKアーカイブス
  52. ^ 産経ニュース (2015年11月30日). ““小説家”田村正和「又吉さんに似てるでしょ?」 広末涼子、水川あさみ“娘”たちと十数年ぶりに共演”. 2015年12月2日閲覧。

外部リンク[編集]