田村正和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
たむら まさかず
田村 正和
本名 田村 正和
生年月日 (1943-08-01) 1943年8月1日(74歳)
出生地 日本の旗 日本 京都府京都市右京区
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1961年 -
配偶者 既婚
著名な家族 父:阪東妻三郎
長兄:田村高廣
次兄:田村俊磨
弟:田村亮
異母弟:水上保広
甥:田村幸士(亮の長男)
事務所 新和事務所
公式サイト 田村四兄弟 OFFICIAL WEB SITE
主な作品
古畑任三郎』シリーズ
眠狂四郎』シリーズ
うちの子にかぎって…
パパはニュースキャスター
ニューヨーク恋物語
過ぎし日のセレナーデ
鳴門秘帖
赤穂浪士

田村 正和(たむら まさかず、1943年8月1日 - )[1]は、日本俳優京都府京都市右京区出身[2]成城大学経済学部卒業[1]。新和事務所所属。代表作は『眠狂四郎』、『鳴門秘帖』『うちの子にかぎって…』、『パパはニュースキャスター』、『ニューヨーク恋物語』、『過ぎし日のセレナーデ』、『古畑任三郎』など。

阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれる。次兄は実業家の田村俊磨(俊麿を含めて田村四兄弟と称する場合もある)、異母弟に俳優の水上保広。家族は妻(一般人女性)と娘。

来歴[編集]

幼少期から松竹時代[編集]

京都から世田谷へ移住、9歳で父阪東妻三郎を亡くす[2]1960年、兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画の端役として出演する[2]。その後、1961年松竹大船と専属契約[2]、9月、成城学園高校在学中に映画『永遠の人』で本格デビュー[2]。以降多数の映画とテレビドラマに出演。

松竹退社から1970年代TV時代劇を中心に活躍[編集]

1966年にフリーとなる[2]脇役ばかりが続く。当時は地味で暗い風貌であったことや、声があまり通らないことなどから成功には程遠かったものの、やがて1970年に出演したテレビドラマ『冬の旅』で改めて存在を認識され[3]、人気に火が付いた[4]。以降次第に繊細な二枚目青年役を中心にテレビドラマでの活躍が目立つようになる。 1972年代テレビ時代劇『眠狂四郎』で茶の間の人気を得た[2]。『眠狂四郎』、1977年NHK時代劇『鳴門秘帖』、1979年『赤穂浪士』など、特に陰影の濃い哀愁ムードの風貌は女性ファンを引き付け[2]、憂愁の貴公子」とさえ呼ばれることもあった[5]

1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帳』以降は、軽やかで明るい役柄にも挑戦、これまでのイメージとは異なる作品に多く出演するようになった[2]。1979年の映画『日本の黒幕』に出演、以降1993年まで映画には出演せず、テレビと舞台のみに出演した。

1980年代 ホームドラマでのブレイク[編集]

40歳を過ぎた1984年、フジテレビの連続版時代劇『乾いて候』で田村三兄弟が共演して話題となった[2]。また同年『うちの子にかぎって』(TBS系列)に出演し、それまでのイメージを完全に覆す三枚目の役[2]、田村にとってターニングポイントとなった[2]。ちょっと頼りない優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』『パパは年中苦労する』など数々のコメディドラマに主演した。以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめている。

1988年には田村がとても気に入っているという「ニューヨーク恋物語」に出演、同じ役を長く演じるのを嫌う田村としては珍しく、田村の願いで[6]、2005年にはスペシャル版が製作された。

1990年代以降[編集]

恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ、夫婦ものでは悩み多きコミカルな夫、55歳を過ぎてからは頑固で涙もろい父親役など、幅広い役柄で主演し、テレビドラマ界での主演スターとしての地位をいた。

1990年年末時代劇スペシャル「勝海舟」(1990年、NTV) に主演 急病のため前半部と終盤のみの出演、代役は弟・亮となった[7]

1993年映画『子連れ狼 その小さき手に』に出演し、1979年の日本の黒幕以来のスクリーン復帰を果たし、情感たっぷりにアクションよりも、親子愛にテーマを置いた拝一刃を演じた[2]。また同映画の写真を使用した自身初の写真集が発売された。

1994年から放送の刑事ドラマ古畑任三郎』役では、和製刑事コロンボとも言える新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった。古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、辞退していた。その後、古畑任三郎第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞している。

2007年、中山プロデューサーから3年越しのラブコールを受け[8]、映画「ラストラブ」に出演、14年ぶりの映画出演となった[9]

2009年「そうか、もう君はいないのか」で第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞を受賞した[10]

2017年、1998年のスペシャル版以来となる眠狂四郎に出演。1972~73年の連続ドラマ、そして2017年を含め、5本のスペシャルで演じた。他の作品のオファーも有ったが、眠狂四郎への出演を選んだ[11]。田村は眠狂四郎 The Finalについて、「狂四郎というのは自分の出生に大変なコンプレックスを持っている男なんですけど、今回少しだけ明るい光が入ってくるような部分もあります。」と述べた[12]。円月殺法のシーンだけで3日をかけて撮影され、「『眠狂四郎』は大事な作品です。」とも語った[13]

人物[編集]

父、兄弟
田村は幼い頃、なんとなく父親のしている仕事をしたいと思っていた、そしてそれを知った父、阪東妻三郎が大変喜んだと語っている[14]。2003年1月14日にNHKで放送された、阪東妻三郎没後50年を偲ぶ番組『駆けよ! バンツマ』では、一般人の次男・俊磨も含めた田村4兄弟が勢ぞろいし、父の思い出について対談する貴重な映像が見られた。囲炉裏端の打ち解けた談笑風景であったが、三男・正和は最も寡黙で、他の兄弟のように胡坐を組むこともなく、いつものニヒルさを崩さなかった。しかし「甲高い声と冒険心は親父と似ている」とも笑顔で語っている。京都で撮影の際には、父阪東妻三郎と兄高廣の眠る墓を訪ねる[15]兄・高廣が死去した際には、「兄貴、もう一度祇園の○○(お茶屋の名前)で天ぷら食おう、と言ってたじゃないか!!」と、人目を憚らず号泣した。[要出典]亮は正和について、まじめ過ぎる、テレビではプライベートな部分は見せないと分析、また兄弟で会っても仕事の話をすることはまず無いと明かしている[16]
柴田錬三郎との関係
『眠狂四郎』の作者・柴田錬三郎とは、田村が岡っ引きどぶ出演時に、撮影現場を訪れた柴田と初めて会い、以降柴田は、田村を息子の様に可愛がり、正和の端正な佇まいや役者としての姿勢を極めて高く評価し、柴田の意向により『眠狂四郎(舞台版)』の主役として抜擢。続いて主演したテレビ版も絶賛、田村は柴田の葬儀で知らずに泣きじゃくっていたこと、柴田を優しく、怖い人、そして子供の様に純粋な心の持ち主だあったと回想した[17]。柴田のエッセイによれば「田村正和は自宅で正座して台本を読んでいる」と語られている。なお柴田は、三度眠狂四郎に特別出演をした。また田村を最高の眠狂四郎役者であると称賛した[18]
時代劇
時代劇では、月代(さかやき)のある中剃りのカツラを付けることは稀で、ほとんどの作品で総髪のカツラのみを着ける。若い頃の出演作品では中剃りのカツラ姿も見られる。『子連れ狼 その小さき手に』で拝一刀を演じた際には、『ニューヨーク恋物語』の時のような髪型にしたいと、エクステを着けた[19]。『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で大石内蔵助を演じた際には珍しく全編通して月代のある中剃りのカツラを着けた。
田村は殺陣が好きであると語り[20]、自身の殺陣に関する考えについて、リアルに考えれば一本の刀で、何人も立て続けに人が切れる訳はないので、嘘でいいから見栄えが良く、夢があればいいと思うと述べている[21]。殺陣師林邦史朗は鳴門秘帖における田村の立ち回りについて、田村さんの体の線を活かした流動美と様式美に絞り、現代感覚にマッチした、スピードとリアルさをミックスしたモノになったと語っている[22]

エピソード[編集]

  • 「田村チェア」と呼ばれる、自前のデッキチェアを常にロケ現場に持参すると言われている[23]
  • 有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて初めて自分の力のなさに気づき劇団に通うことを考えたが、見学に行き、こういう場所は自分には向いていないと思いやめた[19]
  • 当時46歳だった『過ぎし日のセレナーデ』では前髪を垂らし30代を演じ、カツラと老メイクで60代を演じた。
  • 夏に恋する女たち』(1983年)で芸術肌のカメラマン倉橋光男役を演じた時、記者会見で津川雅彦に「最近の田村正和はいい役者になった」と言わしめた。
  • 田村曰く「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」[19][24]
  • ニューヨーク恋物語』(1988年)で演じた田島雅之役をとても気に入っている[25]。20年後、田島雅之をモチーフにしたのが、2007年公開の映画『ラストラブ』である。
  • かつて松竹を共に背負う事期待された[19]竹脇無我の死は相当ショックであった様で、2013年2月8日の徹子の部屋への出演時、無我の話をしながら[26]声を詰まらせた。
  • 新ニューヨーク恋物語』撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていると、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在したことにおかしくなり、田村は部屋に帰ると大笑いした[27]
  • 1992年当時 最近の芸能界は俳優、タレント、お笑いなどの境界が曖昧だが、俳優は俳優としての鍛錬の様な物が必要だと自身の写真集のインタビューで語っている[19]
  • 自らをテレビに育てられた、テレビ俳優だと語っている [28]
  • ほとんどNGを出さない話は有名であるが、その理由は「同じセリフは2度言いたくない」からというもの[29]
  • 待ち時間が多い映画の現場よりも、テレビドラマの現場の方が向いていると思うと語っている[30]
  • 太秦映画村の古くからのスタッフからは「若」と呼ばれる。[要出典]
  • 刑事ドラマには出演しないと決めていたが(マネージャーが断っていたらしい)、『古畑任三郎』は送られてきた三谷幸喜の脚本を読んで出演を決意した[31]
  • 鳴門秘帖の徳島ロケの際、地元デパートでサイン会が開催されたが、デパートの1階から6階まで階段に人が溢れ、警察隊が見守る中サイン会が行われた[32]

プライベート[編集]

  • 1977年当時、月に何度か飲みに出かけるが、女の人が居る様な店には行きません。と対談で答えている[33]
  • プライベートで、他人の前では決して食事をしない、というエピソードがある[34]。好きな酒はビール[35]。既に、自身のを建立している(いわゆる「寿陵」)[36]
  • 休日は家で部屋にこもり音楽を聴いたり、過ごし酒を飲んでいることが多く、専属美容師を自宅に呼んでいる[37]
  • 高校時代、女子から密かに光源氏とあだ名されていた[19]
  • ロバート・デ・ニーロアル・パチーノ出演作品を好み、作品を借りてきてもらったりしていた。好きな俳優は、アル・パチーノ[19]
  • コンピューター音痴で、携帯電話も所有していたが、家に置いていた[38]、しかしiPadは活用している[39][40]
  • 運動のために自転車に乗っている[41]。また毎日30 - 60分ほど散歩をしている[42]
  • 時代小説を読むのが好きで、聖徳太子織田信長が好みのようで、織田信長を演じてみたいと度々語っていた[43]
  • NHKのブラタモリが好きだと、徹子の部屋に出演時に明かした[44]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

  • 眠狂四郎無頼控(1973年)
  • 藍より青く(1973年)
  • 眠狂四郎(1973年)
  • 土性っ骨(1973年)
  • 口上(1975年)
  • 賀茂川囃子(1975年)
  • 雄呂血 -無頼漢(ならずもの)-(1978年)
  • 鳴門秘帖(1979年)
  • 眠狂四郎〜クルスの母の子守唄(1981年)
  • 大阪善人(1981年)
  • 濡れ髪権八(1982年)
  • 大菩薩峠(1983年)
  • 舞踊錦秋譜(1983年)
  • 乾いて候(1987年 - 1993年)
  • 刀化粧(1994年)
  • 新・刀化粧(1995年)
  • 新・刀化粧〜恋・炎の如くありしか(1995年)
  • 恋山彦(1997年、1998年)
  • 新・恋山彦(2001年)
  • 新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か(2003年・2005年)

CM[編集]

その他[編集]

写真集[編集]

  • 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社※インタビューあり。

レコード[編集]

  • 空いっぱいの涙 / 俺はしみじみ歌うのさ※田村自身が歌っていて、出した唯一のレコードである。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 三男 田村正和”. タムサプライヤ. 2017年8月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 日本映画人名事典 下 150-151貢
  3. ^ 昭和の名優100列伝 278
  4. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.151
  5. ^ 昭和の名優100列伝 278-279
  6. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  7. ^  役者は一日にしてならず 春日太一 田村亮インタビュー p.271
  8. ^ 俳優・田村正和 映画ラストラブ記者会見”. 2017年7月23日閲覧。
  9. ^ 田村正和、大地真央の再婚は「ラストラブ」!?”. 2017年7月23日閲覧。
  10. ^ 『そうか、もう君はいないのか』主演の田村正和さんが「モンテカルロ・テレビ祭」で最優秀男優賞を受賞”. 2017年7月27日閲覧。
  11. ^ 産経新聞 2017.7.23 エンタメ 芸能欄
  12. ^ 田村正和×眠狂四郎が帰ってきた!”. 2017年7月22日閲覧。
  13. ^ 田村正和「眠狂四郎The Final」始動 “最後”の当たり役に入魂”. 産経新聞 (2017年7月11日). 2017年8月14日閲覧。
  14. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.149
  15. ^ いち早く生前墓購入した田村正和 父も死去10年前に購入済み”. NEWSポストセブン (2015年2月21日). 2017年8月21日閲覧。
  16. ^  役者は一日にしてならず 春日太一 田村亮インタビュー p.271-273
  17. ^ 以上 田村正和 三林京子 特別公演 眠狂四郎 十の母の子守歌 パンフレット 在りし日の柴田先生 ページ数無しより。
  18. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.151
  19. ^ a b c d e f g 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社
  20. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.147
  21. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.146
  22. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 下 NHKドラマ制作班 P.81
  23. ^ TBSに 田村正和専用イス”. 2017年7月27日閲覧。
  24. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  25. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  26. ^ 徹子の部屋 亡友 竹脇無我さんの思い出”. 2017年7月23日閲覧。
  27. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー2”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  28. ^ 昭和の名優100列伝 279
  29. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  30. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  31. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  32. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 P.151
  33. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 下 NHKドラマ制作班 P.158
  34. ^ 田村正和のカッコ良さ”。「人前で食事は控える」「共演者を事前に調べる」” (2014年9月18日). 2017年7月27日閲覧。
  35. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  36. ^ いち早く生前墓購入した田村正和 父も死去10年前に購入済み”. 2017年7月21日閲覧。
  37. ^ 田村正和の引きこもり状態の生活を支える、iPadと美容師デリバリー”. サイゾーウーマン (2013年2月21日). 2016年12月21日閲覧。
  38. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  39. ^ 田村正和 徹子の部屋 2013年2月8日放送 徹子の部屋
  40. ^ 田村正和の引きこもり状態の生活を支える、iPadと美容師デリバリー”. サイゾーウーマン (2013年2月21日). 2016年12月21日閲覧。
  41. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  42. ^ アナエンタ」田村正和は二枚目を演じる事に疲れたのか
  43. ^ Sma station特別企画 田村正和”. 2017年7月22日閲覧。
  44. ^ 田村正和の引きこもり状態の生活を支える、iPadと美容師デリバリー”. サイゾーウーマン (2013年2月21日). 2016年12月21日閲覧。
  45. ^ 週刊明星 昭和39年7月5日号 グラビア特集 ソフトな好青年 TVで大活躍の阪妻二世 田村正和 ページ数無し にレギュラーで出演の記載有り
  46. ^ 長時間ドラマ 鹿鳴館 - NHK名作選(動画・静止画)NHKアーカイブス
  47. ^ 産経ニュース (2015年11月30日). ““小説家”田村正和「又吉さんに似てるでしょ?」 広末涼子、水川あさみ“娘”たちと十数年ぶりに共演”. 2015年12月2日閲覧。

外部リンク[編集]