田村正和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
たむら まさかず
田村 正和
田村 正和
国際情報社『映画情報』第31巻第11号(1966)より
生年月日 (1943-08-01) 1943年8月1日
没年月日 (2021-04-03) 2021年4月3日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本 京都市右京区
死没地 日本の旗 日本 東京都港区
身長 172cm[1]
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ映画舞台
活動期間 1961年 - 2021年
配偶者 既婚
著名な家族 父:阪東妻三郎
長兄:田村高廣
次兄:田村俊磨
弟:田村亮
異母弟:水上保広
甥:田村幸士(亮の長男)
主な作品
冬の旅
眠狂四郎』シリーズ /『運命峠
鳴門秘帖
若さま侍捕物帳
乾いて候
夏に恋する女たち
うちの子にかぎって…』シリーズ
妻たちの危険な関係
ニューヨーク恋物語』シリーズ
パパとなっちゃん
カミさんの悪口』シリーズ
古畑任三郎』シリーズ
総理と呼ばないで
協奏曲
告発〜国選弁護人
 
受賞
2009年:第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞
テンプレートを表示

田村 正和たむら まさかず1943年8月1日 - 2021年4月3日[2])は、日本俳優京都府京都市右京区太秦生まれ[3][4][5][6][7]。東京都世田谷区育ち。成城大学経済学部卒業[2]。最終所属は自身の個人事務所である新和事務所[8]

阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれるが[7]、兄の田村俊磨を含め4兄弟である[9]。異母弟に俳優の水上保広[10]。家族は妻(一般人女性)と娘[8]

生涯[編集]

幼少期[編集]

父阪東妻三郎が建てた阪妻プロダクションの跡地に建つ東映京都撮影所近くの京都太秦に生まれる[3][4][5][7][11]。その後同じ京都の嵯峨野に移住したが[12]、小学4年生(9歳の時)に父・阪東妻三郎を亡くし[6][11]、世田谷へ移住。田村は幼い頃、なんとなく父親のしている仕事をしたいと思っており[7]、それを知った父・阪東妻三郎が大変喜んだと語っている[13]。また「僕にあとを継がせたかったんでしょうね、丹下左膳の扮装などを教えてくれました」とも話していた[14]。父とは普通の親子の様に手を繋いで町を歩いたり、散歩したり、映画を見に行くこともない関係であったが、丹後の宮津の定宿に毎年夏に行った時だけは一緒に遊んだり、海で泳いだりしたことがとても嬉しかったと語り、演技の影響は特に受けていないが、母から聞いた父の役者としての生き方や姿勢は影響を受けたかもしれないとも語っている[8]。成城学園中学校に進学後、中高時代にはバスケットボール部に所属していた[15][8]

役者の道へ - 松竹時代[編集]

1960年、兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際に勧められて、同映画の端役として出演する[6]。その後、1961年に松竹大船と専属契約し[6]。9月、成城学園高校在学中に映画『永遠の人』で正式なデビューを果たした[6]。1965年『この声なき叫び』で初の単独主演[16]、また同年には阪東妻三郎13回忌としてNHKで製作された『破れ太鼓』で4兄弟が初共演を果たす[17]、以降1966年に大学を卒業するまで学業と並行して映画、テレビドラマに出演した。この間1963年『花の生涯』からは5年連続でNHKの大河ドラマに出演した。

松竹と専属契約を結んでいた頃、作品を選んで出演を決めたい、台本が出来ないうちに出演を強制されたくないと[18]、年間10本の映画出演の打診を受けたが、そのうち5本を断った[18]。また半ば強制される形で『侠勇の花道 ドス』に出演したことを後悔したという[18]

松竹退社 ~ TV時代劇を中心に活躍[編集]

1966年には自身が主演する映画『空いっぱいの涙』の主題歌を歌いレコードデビュー、また松竹が田村を大々的に売り出す戦略から、映画『雨の中の二人』にモッズファッションに身を包み主演、大きな話題となったが[19]、同年にはフリーとなる[6]も脇役ばかりが続く。

1968年のホラー時代劇『怪談残酷物語[20]で時代劇映画初主演を果たす。1969年には『眠狂四郎 卍斬り』に出演、後に眠狂四郎を演じることになるが、この時は狂四郎の命を狙う敵役で出演した[21]

1970年の『おんな牢秘図』(前述の様なホラー作品ではない)一般的な時代劇での初主演を果たした。また9月には以前から交際していた一般人女性と結婚した[22]。映画では田村の個性を活かす様な作品に恵まれずにいたが[23]、同年出演したテレビドラマ『冬の旅』で改めて存在を認識され[24]、人気に火が付いた[25]。以降繊細な二枚目役を中心にテレビドラマでの活躍が目立つようになる。

1972年『新・平家物語』では崇徳天皇を演じたがこれ以降大河ドラマには出演していない。同年テレビ時代劇『眠狂四郎』で茶の間の人気を得た[6]。田村はこの作品に臨むにあたり、「田村正和の代名詞になる程の作品がこれまでに無い気がするので、代表作にしたい」と[26]、撮影のしばらく前から東京の自宅を引き払い、京都に拠点を移す程意気込んでいたという[26]。『眠狂四郎』、1977年NHK時代劇『鳴門秘帖』では新たな人気を獲得してファン層を広げ[27]、代表作の一つとなり[28](以降NHKのドラマへの出演はない。)、この作品以外にも、1979年『赤穂浪士』など、陰影の濃い哀愁ムードの風貌は女性ファンを引き付け[6]、「憂愁の貴公子」と呼ばれることもあった[29]

1978年のテレビ時代劇『若さま侍捕物帳』に出演した際には、これまでと違う役どころに悩んだが[6](この作品から約4年前に放送された1974年の『度胸時代』でも同様な江戸っ子の役を演じた[30]。)、以降は軽やかで明るい役柄にも挑戦、これまでのイメージとは異なる作品にも出演するようになった[6]。同年の舞台、『東宝二月特別公演 阪妻を偲ぶ』では父妻三郎の代表作である『雄呂血』に出演[31]、久利富平三郎を演じた<。

1979年映画『日本の黒幕』(東映)に出演、以降1993年まで映画には出演せず、テレビと舞台のみに出演した。1967年の『無理心中 日本の夏[32]、1970年の『おんな極悪帖[33]、1973年の『女囚さそり 701号怨み節』などでは独自の存在感を出したが[34]、田村自身、「僕は実は映画出身。で、映画で失敗してるわけ」などと述べている[7][35]。伊藤彰彦は「不遇だった映画に早々に見切りをつけ、テレビに軸足を移したことが田村にとって幸いした」と評している[11]

1980年代 ホームドラマでのブレイク[編集]

1983年スペシャル時代劇版『乾いて候』が好評であったため[36]、1984年連続版『乾いて候』が製作され、田村三兄弟が映像作品としては1972年のTV『眠狂四郎』で共演して以来約12年振りに共演して話題となった[37][6]。また同年『うちの子にかぎって…』に出演し、それまでのイメージを完全に覆す三枚目の役は[6][38]、田村にとってターニングポイントとなった[6]。ちょっと頼りない優柔不断で生徒に振り回される小学校の先生役が見事にはまり大ヒット。続けて『子供が見てるでしょ!』『パパはニュースキャスター』『パパは年中苦労する』など数々のコメディドラマに父親役で主演した[39]以降はトレンディドラマやホームコメディに多く出演し成功をおさめている。

1988年には田村が気に入っているという『ニューヨーク恋物語』に出演、同じ役を長く演じるのを嫌う田村としては珍しく、田村の願いで[40]、2005年にはスペシャル版が製作された。1989年『眠狂四郎 恋しぐれ円月殺法!将軍家、若君乱心の謎を斬る!』で映像作品では約16年振りに眠狂四郎を演じた。

1990年代[編集]

恋愛ものでは元来のキャラクターである二枚目でダンディな男性を演じ続けた一方、1991年の『パパとなっちゃん』の愛する娘に振り回される父親役など[41]、など幅広い役柄で主演、日曜劇場で連続ドラマになってからは1993年に放送された『カミさんの悪口』に出演して以降、2021年5月までの時点で歴代最多の8作品で主演を務めるなど[42]、テレビドラマ界での主演スターとしての地位を築いた。

1990年には年末時代劇スペシャル『勝海舟』に主演するも、急病のため前半部と終盤のみの出演となり、代役は弟・亮となった[43]

1993年、映画『子連れ狼 その小さき手に』に小池一夫からの指名を受けて出演[44]、1979年の『日本の黒幕』以来のスクリーン復帰を果たし、アクションよりも、親子愛にテーマを置いた拝一刃を演じた[6]。完成披露試写会には田村がファンである長嶋茂雄[45]も訪れ[46]、会話を交わした。また同映画の写真を使用した自身初の写真集が発売された。

1994年から放送の刑事ドラマ『古畑任三郎』役では「和製刑事コロンボ」と言われる新境地を開き、10年以上にわたって演じる当たり役となった[24] 。古畑任三郎役で、ザテレビジョン主催のテレビアカデミー賞第1回主演男優賞を受賞したが、辞退していた。その後、『古畑任三郎』第2シーズンと『さよなら、小津先生』の小津南兵役でも同賞を受賞した。

2000年代[編集]

2005年には新橋演舞場で『新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か』に出演したが、自分に厳しい田村は、自身が十分満足のいく出来栄えのものを観客に見せられなくなったとして、以降は舞台に出演することはなかった[47]。2006年、古畑任三郎ファイナルシリーズが放送された、2008年に古畑中学生 -古畑任三郎、生涯最初の事件に特別出演したが、自身が主演する古畑任三郎は最後となった。

2007年、映画の撮影に時間が掛かること、完成後には舞台挨拶に赴かなくてはならないことを嫌い、映画への出演を極力避けていたが[48]、中山プロデューサーから3年越しのラブコールを受け[49]、またニューヨーク恋物語の製作陣が揃うということもあり[35]、映画『ラストラブ』に出演、14年ぶりの映画出演となった[50]。また同年はスペシャルドラマ『忠臣蔵 音無しの剣』で1998年のスペシャル版『眠狂四郎』以来約10年振りの時代劇出演をした[51][52][53]

2009年『そうか、もう君はいないのか』で第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞を受賞、「信じられません。私が参加いたしましたこの作品が東京を遠く離れたモンテカルロの地で皆様方のご高覧を拝しただけでも大変光栄なことでございますのに、このような賞を頂けるなんて・・・。実は私事ではありますが、この数年俳優業の難解さと私自身の能力の間で大変悩んでおりました。したがってこのような賞をいただけることが私には全く信じられないことなのです。この度のこの栄えある賞が私のそう長くはない俳優人生においておおいなるエネルギーになってくれることを祈っている次第です」と受賞の喜びを語った[54]

2010年代[編集]

2010年、これまでも赤穂事件を題材とした作品には何度も出演したが、『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で父妻三郎も演じたことのある大石内蔵助役を初めて演じた[55]。この頃から仕事を大幅にセーブする様になり[56]、年に数回あるいは1度程度、そのほとんどが単発作品となっていた。連続テレビドラマの出演としては2011年に放送された『告発〜国選弁護人』が最後となった。

2018年、父親が作った阪妻プロの跡地に建つ東映京都撮影所で撮影された『眠狂四郎 The Final』に出演[4][5]。同撮影所には大物俳優もたくさん訪れるが、阪妻の「子息」が来所するとなると、所内の空気がピリピリしたものに一変したという[4]。田村は「狂四郎というのは自分の出生に大変なコンプレックスを持っている男なんですけど、今回少しだけ明るい光が入ってくるような部分もあります」と述べ[57]、円月殺法のシーンだけで3日をかけて撮影され、「『眠狂四郎』は大事な作品です」とも語った[58]。しかし放送前に試写を見た田村は、これではダメだと痛感しオンエアを見る気にもならなかったと2018年4月発売の写真週刊誌『FRIDAY』の取材に語っている[59]。これが俳優業からの引退を示唆するかの様なコメントだったことから、一部のマスコミで引退宣言などと報道された。一方田村とは旧知の仲である八木康夫が、伴一彦らとの対談で田村について「確かにやり切ったとは感じている様だが、報道の内容は正確なものではなく、田村自身は一言も引退とは言っていない、また今後絶対に何かに出演しないと言っている訳でも無い。今の田村と何か新しい作品をやりたい。」と話していたが[60]、当作品が生前最後の出演となった[61]

死去[編集]

2021年2月に風邪をこじらせて検査入院。その後、周囲にはリハビリを行っていると伝えられていたが[62]、同年4月3日16時20分、心不全のため、東京都港区の病院で死去[63][64]。77歳没。その死は関係者にも伏せられ、5月18日に訃報が広く報じられたが、マネージャーですらその1週間前まで田村の死を知らされていなかった[62]。訃報は台湾や中国でも大きく報道された[65][66]

田村亮は「訃報を聞いて一時的に起きたことが理解できずにいた、兄は幸せな人生を送ったのではないか。」などと追悼のコメントを出した[67]。一般人である兄の俊麿は、半年位前に話した時には元気であり、話振りからまだ役者をやるのだろうと感じた[68]、「最後の瞬間も正和らしい、弟として見事な人生であった。」と述べた[69]。また加藤勝信内閣官房長官(当時)も哀悼のコメントを出した[70]

人物[編集]

父、兄弟[編集]

兄弟の中で最も父親と性格が似ていて、字も似ているという[18]。インタビューなどで父について語る時には阪妻さんとの名称を使っていて、名優と言われる父親を持つことに負担を感じることはなく[71]、自分は自分で父は父であり、息子だからと意識はしていないと答えた[72]

  • 2003年1月14日にNHKで放送された、阪東妻三郎没後50年を偲ぶ番組『駆けよ!バンツマ』では、一般人の次男・登司麿も含めた田村4兄弟が勢ぞろいし、父の思い出について対談する映像が見られた[72]。京都で撮影の際には、父阪東妻三郎と兄高廣の眠る墓を訪ねる[73]
  • 弟・亮は高廣と正和は慎重で少し神経質なところが似ていると分析[37]。普段からあまり連絡を取り合うことはなく[74]、また正和について「まじめ過ぎる、テレビではプライベートな部分は見せない」とし、兄弟で会っても仕事の話をすることはまず無いと明かしている[75]。、最後に直接話をしたのは亡くなる3年程であったという[76]

役者観/仕事に対する姿勢[編集]

  • 俳優は白いキャンパスの様であるべきで、特にプライベートなことを知られることはそこに余計な色を付けてしまうことになる[68]、また夢を売る仕事であり、どんな人間を知られ過ぎると俳優としてマイナスになる、夢を見る余地を残すのがファンや番組を見る人たちへのサービスであると語っていた[77]
  • 1992年当時「最近の芸能界は俳優、タレント、お笑いなどの境界が曖昧だが、俳優はタレントとは他の方法で仕事をするので、俳優には俳優の訓練が必要だ」と自身の写真集のインタビューで語っている、また自身が志していた芸能界と今の芸能界は大きく異なっていて「せっかく俳優という職業にいるのに、俳優以外の色を付けてしまうのは役を演じる上で損であり、自分はそういうやり方が絶対嫌だ」と語っている[8]
  • 自らをテレビに育てられた、テレビ俳優だと語っている[78]。また待ち時間が多い映画の現場よりも、テレビドラマの現場の方が向いていると思うと語っている[7]
  • 有名劇団で鍛えられてきた俳優達に囲まれて自分の力のなさに気づき、劇団で修行することを考えて千田是也宇野重吉らに会い、劇団を見学した。しかし、こういう場所は自分の居るところではないと思い、別の所に稽古場を借りて先生に来てもらいいろいろと勉強をした[8]
  • ほとんどNGを出さない話は有名であるが、その理由は「同じセリフは2度言いたくない」からというもの[7]
  • 田村正和の没後、弟・田村亮は「NGを出さないとか台詞は完璧に入っているというのは、役者として当然のこと」と述べつつ、「演技においては完璧主義というのは事実です」とインタビューで語っている[79]
  • 「田村チェア」と呼ばれる、自前のデッキチェアを常にロケ現場に持参すると言われ[80]現場では本番直前まで一人で椅子に座って色々と考えていることもあり、撮影の合間に共演者とワァワァ楽しく話したりすることは基本的にない[8]
  • 田村は「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」と述べていた[7]
  • 自らビジネスマンのように毎日決められた場所や時刻にいく仕事よりも、俳優のような自由な仕事の方が自分にはあうと分析していた[77]
  • 撮影した映像が現場ですぐにチェック出来るシステムになってからは、1シーンごとに自ら映像をチェック、またよりよい作品にするため後半の俳優生活では撮影時間を朝の8時から夜の22時までの厳守としていた[22]
  • 1979年の『赤穂浪士』撮影時には、京都の撮影で3日間、東京で行われるドラマの撮影に4日間と、数か月間無休で働き続け、余りのハードなスケジュールに「雨で撮影が中止になれば休める、雨が降らないかなー。」と仕事熱心な田村としては珍しくぼやく場面があった[81]。その後はじっくり一つの役に取り組みたい[26]、一つの役に集中したいと、出来るだけ掛け持ちでの出演を避けていた[26](1990年には『ニューヨーク恋物語II 男と女と』年末時代劇『勝海舟』を掛け持ち。)[82]

時代劇[編集]

  • 時代劇では、月代(さかやき)のある中剃りのカツラを着けることは稀で、ほとんどの作品で総髪のカツラのみを着ける。若い頃の出演作品では中剃りのカツラ姿も見られる。『子連れ狼 その小さき手に』で拝一刀を演じた際には、『ニューヨーク恋物語』の時のような髪型にしたいと、ヘアーエクステンションを着けた[8]。『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で大石内蔵助を演じた際には珍しく全編通して月代のある中剃りのカツラを着けた。
  • 田村は殺陣が好きであると語り[83]、自身の殺陣に関する考えについて、リアルに考えれば一本の刀で、何人も立て続けに人が切れる訳はないので、嘘でいいから見栄えが良く、夢があればいいと思うと述べている[84]。殺陣師林邦史朗は『鳴門秘帖』における田村の立ち回りについて、田村さんの体の線を活かした流動美と様式美に絞り、現代感覚にマッチした、スピードとリアルさをミックスしたモノになったと語っている[85]。また眠狂四郎シリーズで監督を務めたこともある中島貞夫によると田村は、殺陣の最後の「残心」を大切にしていたという[86]
  • 時代劇ではそれなりのウソの許され、複雑に考えず出来るので好きであるとした[77]
  • 時代劇の舞台に出演する際には、現代の物が可能な限り目に見えない様に気を配っていた[87]

趣味・嗜好[編集]

  • アルマーニの服を好んで着用[88]、休日でも運動のために自転車に乗ったり[7]、毎日30 - 60分ほど散歩をする以外は[89]、ほとんど外出することはなく[22] 、家で部屋にこもり音楽を聴いたり、酒を飲んで過ごすことが多く、専属の美容師を自宅に呼んでいたが[45]、自らF1観戦に赴くなど、かなりのカーマニアでもあった[90]
  • 同期の俳優岡崎二朗によると若いころはジェームズ・ディーンに憧れを抱いていたという[91]。好きな俳優としてはマーロン・ブランド[92]
  • 趣味はゴルフ[82]、音楽鑑賞[27] 、読書[27] (時代小説を好んで読んでいて、織田信長を演じてみたいと度々語っていた[7])、映画鑑賞[27](ロバート・デ・ニーロの出演作品を好み、作品を借りてきてもらったりしていた[8]。)また昔からプロ野球の巨人軍ファンであったことでも知られ(1976年当時好きな選手はデービー・ジョンソンと答えていた。)[93]、2016年にテレビ朝日のドラマ制作記者会見に出席した際には進行役を務めた同局のアナウンサー・下平さやかの夫が長野久義(当時:巨人、現:広島東洋カープ)であることを知った上で前年(2015年)に大不振だった長野を激励する言葉を発し、下平が「夫に伝えておきます」と田村の激励に応じる場面もあった[94][95]
  • NHKの『ブラタモリ』が好きだと、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の出演時に明かした[45]
  • 子供は苦手であるが、犬は好きで、犬にはすごくなつかれるとも語っていた[8]
  • プライベートで、他人の前では決して食事をしなかった[96]。また自宅の台所には立つことはなかったという[97]。。好きな酒はビール[7]、ソフトクリームが好きだとも明かしている[98]
  • 1977年当時「月に何度か飲みに出かけるが、女の人が居る様な店には行きません」と対談で答えていた[99]
  • 黒沢年男は追悼コメントと共に、新幹線の中で約3時間同乗したことがあるが、その間同じ姿勢のままであったとのエピソードを語った[100]

交友関係[編集]

  • 『眠狂四郎』の作者・柴田錬三郎とは、柴田が原作のホラー時代劇『怪談残酷物語』で柴田作品に初めて出演、その後田村が『岡っ引どぶ』出演時に、その番組を見ていた柴田が田村の着流しや佇まいを気に入り[101]、撮影現場を訪れた柴田と初めて直に会って以降柴田は、田村を息子の様に可愛がり、正和の端正な佇まいや役者としての姿勢を極めて高く評価し、まるで親子の様に家族ぐるみの付き合いであった[102]、柴田の意向により『眠狂四郎(舞台版)』の主役として抜擢[5]。テレビ版の製作にあたって、狂四郎役を演じるのが田村ならばと映像化への許可を出し、出演にあたって柴田は田村に無双正宗を贈った [103]。田村は柴田の葬儀で知らずに泣きじゃくっていたこと、柴田を優しく怖い人、そして子供の様に純粋な心の持ち主であったと回想した[104]。なお柴田は三度、『眠狂四郎』に特別出演をした。また田村を最高の眠狂四郎役者であると称賛した[105]。柴田の実娘によると「ともに頑固で非社交的なところが似ている、柴田が自分の若い日を田村の中に見たのではないかと。」話していた[102]。また田村が『眠狂四郎THE FINA』の放送後に柴田の娘に送った手紙には、作品が上手くいかなかった事への謝罪と共に、「おそらくもう仕事はこれが最後になると思う」と記されていたという[101]
  • 芸術家の横尾忠則とは『眠狂四郎』の舞台美術を横尾が担当して以来の知り合いで、またご近所でもあったことから、散歩中によく出くわし会話をしたという[106]、また横尾は『話の特集』1976年8月号の表紙の田村のイラストを描いたこともあった[107]
  • かつて松竹を共に背負う事を期待された[8]竹脇無我の死は相当ショックであった様で、2013年2月8日の『徹子の部屋』への出演時、声を詰まらせながら竹脇のエピソードを話している[108]
  • カミさんの悪口』で共演して以来、田村と多く共演している橋爪功は、田村が大変好きであると語り、田村は自分自身の商品としての価値をよくわきまえている人物であると評した。田村のマネージャーから田村の出演作への出演を頼まれると断ることが出来ず、田村が出演するからという理由だけで出演を決めると語っていた[109]
  • 父である阪東妻三郎と子役時代に共演経験がある津川雅彦とは[110]、俳優デビュー作『旗本愚連隊』で共演[111]その後も多くの作品での共演、田村の遺作となった2018年放送の『眠狂四郎 The Final』でも共演した[112][113]
  • 同じく時代劇スターを父親にもつ北大路欣也とは幼少の頃からの知り合いで[114]、2010年、『忠臣蔵〜その男、大石内蔵助』で初共演した際、父親にもう少し長く生きていて欲しかった、北大路欣也が羨ましいと語った[115]

その他[編集]

  • 1970年代から80年代にかけて俳優貴族と呼ばれていたことがある[93]。また1960年代後半から70年代には「日本のアラン・ドロン」と言われていたこともあり[116][69]、1983年にドロンについてどう思うかとの質問には『太陽がいっぱい』、『若者のすべて』の頃のドロンはギラギラしていていいと思うが、最近は日本で放送されているCMでしか見ないから解らないと答えている[116]
  • 撮影現場などで他の共演者やスタッフたちと群れることがないので気難しいと思われがちだが、マネージャーは「ただあまりにシャイ過ぎるだけで、話をするのも好きで、誰とでも気さくに話す」と話していた[117][90][22]
  • 生前に自身のを建立していた(いわゆる「寿陵」)[118]
  • コンピューター音痴で、携帯電話も所有していたが、家に置いていた[7]。しかしiPadは活用していた[119][45]
  • 黒柳徹子は、田村らしき人物の車に追突したことがあり、黒柳が「ぶつかりましたか?」と聞くと、その人物は「いいえ」と答えその場を離れた。後日、田村が黒柳の番組に出演した際、黒柳が改めてその事を確認するとそれは田村であった。田村も黒柳がぶつけたと気が付いたが、「騒ぎが大きくなると面倒くさいなと思って黙ってました」と答えた[120][121]
  • 1970年代後半から1980年代半ば頃に田村のマネージャーをしていた男性は、田村の愛車であった高級車をオーバーヒートさせた時も、駅で田村の財布を無くした時も決して田村が怒ることはなかったが、その一方で、「田村正和のマネージャーである自覚を持ってほしい」と、ガムの噛み方や身だしなみを注意されたという[122]
  • ニューヨーク恋物語』の撮影はオールニューヨークロケであったため、田村は夫人を現地に呼び寄せ約3ヵ月間生活した[22]。 『新ニューヨーク恋物語』撮影中、付き添っていた夫人と宿泊者専用のクラブで向かいあって座っていた際、夫人が目で合図をするので振り返ると『刑事コロンボ』を演じる俳優のピーター・フォークがおり、古畑任三郎と刑事コロンボが同じ場所に存在したことにおかしくなり、田村は部屋に帰ると大笑いした[123]

作品出演にまつわるエピソード[編集]

  • 眠狂四郎』に田村が主演することが公になると(同作品にはお色気シーンや性的描写も多いことから)、そのことを知った数多くの女性ファンたちからテレビ局へ、「田村にあまり変なことをさせないでほしい」という要望が届いた[103]
  • 鳴門秘帖』の徳島ロケの際、地元デパートでサイン会が開催されたが、デパートの1階から6階まで階段に人が溢れ、警察隊が見守る中サイン会が行われた[124]
  • うちの子にかぎって…』への出演の経緯として、『くれない族の反乱』のプロデューサー八木康夫は、最終回で田村演じる佐伯とその子供が別れるシーンに感動した八木が、これまで無かった田村と子供の組み合わせもアリだと感じ、田村の事務所に『うちの子にかぎって…』への主演での出演を打診した。事務所には断られたが、八木がイメージする赤川次郎原作の『わが子はアイスキャンディー』の映像を持参し田村に直談判に行った。するとたまたまその作品を見て感銘を受けていた田村は、八木からこういう感じの作品にしたいと言われ出演を了承した[125]。また田村はこのオファーを断れば再び小学生教師役のオファーは来ないだろうと思ったこと、自分と子供というこれまでに無かった組み合わでどんな化学反応になるか興味があったことを出演を承諾した理由に挙げた[77]
  • ニューヨーク恋物語』(1988年)で演じた田島雅之役をとても気に入っている[126]。その20年後の田島雅之をモチーフにしたのが、2007年公開の映画『ラストラブ』である。
  • 過ぎし日のセレナーデ』では68歳の人物を演じるにあたり、メークに2時間以上かけて白髪の老人になり、ロケを見かけた人々も田村かどうか解らなかった[127]。また役柄の為に髪を剃り、ハゲにしてもいいとまで言っていたが、そこまで田村にさせるわけにはいかないと、製作人に却下された[128]
  • 子連れ狼 その小さき手に』の拝一刀役のオファーを小池一夫から受けた際、「まったく新しい子連れ狼を…」という申し出に出演を決意した[129]。また大五郎役の少年は顔合わせでは田村に抱かれ笑顔を見せていたが、撮影が始まると田村の迫真の演技に次第に恐れを抱き、田村が近づくと泣き出す様になってしまい、田村がミッキーマウスのお面をかぶりなだめる羽目になった[130]
  • 刑事ドラマには出演しないとマネージャーが決めていたが[7]、『古畑任三郎』への出演を決めた際には、一度オファーを断るも、三谷から「従来の刑事ドラマとは異なり、ピストルを持たず、アクションも無く、論理的に事件を解決する」と説明を受け[131]、更に第2話の脚本を読み[132]、「これならやってみたい」と出演を決意した[131][7]。田村演じるにあたり衣装が出来る限り刑事らしくならない様に注意したという[132]。三谷によると初めて田村に自身の作品に出演じて欲しいと思ったのは田村が出演したCMを見た時だったという[133]。田村は古畑役についてセリフが多く、緊張感もあり、他の作品の数倍の労力を要するとコメントしていた[132]。古畑役を引き受け演じたことについて田村は、『うちの子にかぎって…』に出演したのと同じ位び「いい判断であった」とし[132]、自身と古畑の似ている点を聞かれ、冗談半分に「可愛いところ」と答えた[134]。また三谷の脚本に注文を付けることはせず、多少のアドリブを足す程度であった[132]。第3シーズン中には古畑はこれで終わりと宣言していたが[132]、その後も2004年のスペシャル版、2006年のファイナルが製作された。三谷に対して「自分の新たな一面を引き出してくれた」と感謝の意を述べていた[48]。三谷は田村でインディージョーンズの様な作品をやりたいと、田村自身に提案したことがあったが、田村は「そんな疲れそうな作品はやりたくない。」と即座に拒否したという[135]。1996年、古畑の撮影が終わって間もない時期に撮影された『眠狂四郎』のスペシャル版の撮影では、久しぶりの時代劇であり、古畑に慣れてしまったこともあり、狂四郎は古畑の様に動きの多い役ではないから、なかなかセリフが出てこない、つい現代劇のくせで手を動かしたくなると話し[136]、1999年『美しい人』へ出演した際のインタビューでは、第1話の放送を見た田村は、自分でも気が付かないうちにあるシーンの演技に古畑任三郎が入っていた。と感じたと話した[137]
  • 『眠狂四郎 The Final』で監督を務めた山下智彦は田村の死後「この先品で引退をと田村が最初から考え、京都や時代劇に別れを告げるために出演したのではないかと思う。」と回想した[137]

出演[編集]

映画[編集]

※太字は主演作(W主演含む)

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 眠狂四郎無頼控(1973年)
  • 藍より青く(1973年)
  • 眠狂四郎(1973年)
  • 土性っ骨(1973年)
  • 口上(1975年)
  • 賀茂川囃子(1975年)
  • 雄呂血 -無頼漢(ならずもの)-(1978年)
  • 鳴門秘帖(1979年)
  • 眠狂四郎〜クルスの母の子守唄(1981年)
  • 大阪善人(1981年)
  • 濡れ髪権八(1982年)
  • 大菩薩峠(1983年)
  • 舞踊錦秋譜(1983年)
  • 乾いて候(1987年 - 1993年)
  • 刀化粧(1994年)
  • 新・刀化粧(1995年)
  • 新・刀化粧〜恋・炎の如くありしか(1995年)
  • 恋山彦(1997年、1998年)
  • 新・恋山彦(2001年)
  • 新・乾いて候 そなたもおなじ野の花か(2003年・2005年)

広告[編集]

その他[編集]

受賞歴[編集]

写真集[編集]

  • 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社※インタビューあり。

音楽[編集]

シングル[編集]

発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
ビクターレコード
1966年 EP SV-411 A 空いっぱいの涙[注 1] 佐伯孝夫 原田良一
B 俺はしみじみ歌うのさ

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ 収録作品
空いっぱいの涙 松竹映画「空いっぱいの涙」主題歌 シングル「空いっぱいの涙」
俺はしみじみ歌うのさ

アルバム[編集]

オムニバス・アルバム[編集]

  • 銀幕紅白歌合戦<白組> 歌うシネマ・ダンディーズ(2005年9月21日、テイチクエンタテインメント、TECH-25073)-「空いっぱいの涙」収録。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 田村正和名義としてリリースされた、唯一のシングルである。

出典[編集]

  1. ^ Masakazu Tamura - Biography - IMDb”. Internet Movie Database. 2018年4月10日閲覧。
  2. ^ a b 俳優の田村正和さん死去、77歳 ドラマ「眠狂四郎」「古畑任三郎」など”. スポーツニッポン. 2021年5月18日閲覧。
  3. ^ a b “田村正和さん、太秦に生まれ太秦で「最後」「七光」から唯一無二のダンディーへ”. 京都新聞 (京都新聞社). (2021年5月19日). オリジナルの2021年5月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210518231658/https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/567182 2018年5月26日閲覧。 
  4. ^ a b c d 辻将邦 (2021年7月10日). “テレビの中心に居続ける美学 京都撮影所で語った田村正和さん 最後の出演は「眠狂四郎」”. 47NEWS. オリジナルの2021年7月10日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/V5FxD 2021年7月10日閲覧。 “生地・京都の太秦の地元住民「マサちゃん」と愛されていた田村正和さん悼む”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年5月19日). オリジナルの2021年5月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210519090548/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105190000708.html 2021年5月26日閲覧。 梅田恵子 (2021年5月19日). “自己評価は「この程度の俳優」田村正和さん、ハートも二枚目だった”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). オリジナルの2021年5月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210519090548/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105190000708.html 2021年5月26日閲覧。 
  5. ^ a b c d “<評伝> 田村正和さん ニヒルでコミカル、絶妙に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2021年5月19日). オリジナルの2021年5月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210518212315/https://www.chunichi.co.jp/article/256256 2021年5月31日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本映画人名事典 1996年度 下 pp.150-151
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n Sma station特別企画 田村正和”. SmaSTATION!!. テレビ朝日 (2008年). 2008年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月22日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k 田村正和 その小さき手に 子連れ狼(1993)横須賀功光 集英社 ページ数は無し 86枚目~8ページに及ぶインタビュー
  9. ^ “「無名の兄」が明かす 弟・田村正和との「帰らざる日々」2”. 週刊現代. (2021年6月7日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83820?page=2 2021年6月8日閲覧。 
  10. ^ 田村3兄弟 三男・正和が父・阪妻のスター性、華やかさをもっとも受け継ぐ”. 日刊スポーツ (2021年5月19日). 2021年5月22日閲覧。
  11. ^ a b c 伊藤彰彦 (2021年5月24日). “追悼・田村正和 映画界に所を得ず、テレビに越境して花開いた最後の二枚目”. 週刊エコノミスト Online. エコノミスト. 2021年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月26日閲覧。
  12. ^ “「無名の兄」が明かす 弟・田村正和との「帰らざる日々」3”. 週刊現代. (2021年6月7日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83820?page=3 2021年6月8日閲覧。 
  13. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 p.149
  14. ^ スタア(平凡出版)1975年7月号 p.108
  15. ^ “田村亮「兄・田村正和の葬儀は身内9人だけで。派手にせず静かに見送った」その2 「77歳は気をつけたほうがいいね」とは話していた”. 婦人画報. (2021年6月22日). https://fujinkoron.jp/articles/-/4042?page=2 2021年6月22日閲覧。 
  16. ^ 訃報:俳優の田村正和さんが逝去されました。”. ホームドラマチャンネル. 2021年8月15日閲覧。
  17. ^ “三者三様の田村三兄弟…正和さんの陰りを帯びた繊細さは唯一無二”. スポーツ報知. (2021年5月19日). https://hochi.news/articles/20210518-OHT1T51263.html 2021年6月13日閲覧。 
  18. ^ a b c d アサヒグラフ 1966年2月18日号 p.10-15
  19. ^ “田村正和さん「VAN」とモッズスタイルを広めたスタイリッシュさ”. フライデーデジタル. (2021年5月19日). https://friday.kodansha.co.jp/article/181805 2021年6月22日閲覧。 
  20. ^ 怪談残酷物語”. 松竹. 2021年8月15日閲覧。
  21. ^ 眠狂四郎 卍斬り”. 角川映画. 2021年7月1日閲覧。
  22. ^ a b c d e 週刊女性 2021年6月8日号 p24-25
  23. ^ 追悼・田村正和 映画界に所を得ず、テレビに越境して花開いた最後の二枚目”. 週刊エコノミスト Online. 2021年8月16日閲覧。
  24. ^ a b 昭和の名優100列伝 p.278
  25. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 p.151
  26. ^ a b c d 週刊TVガイド 1972年10月6日号 p.55-57
  27. ^ a b c d 週刊明星 1977年9月18日号 グラフ特集 no.515 この眼差しがハートを射抜く 翳りある役とさわやかな笑顔を変わらぬ人気を保つ 田村正和
  28. ^ “田村正和『大忠臣蔵』『砂の器』から『総理と呼ばないで』まで 出演ドラマから見えてくるもの”. ヤフーニュース. (2021年5月19日). https://news.yahoo.co.jp/byline/horiikenichiro/20210519-00238633/ 2021年6月22日閲覧。 
  29. ^ 昭和の名優100列伝 pp.278-279
  30. ^ ラブリー6チャンネル 1974年4月 p.14
  31. ^ 週刊平凡 1978年1月5日-12日号 p.178-179
  32. ^ “樋口尚文 銀幕の個性派たち 田村正和、永遠に不変のひと”. ピア. (2021年6月14日). https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_8f30b95f-9067-41bb-a8f2-4025f5a823ad.html 2021年9月5日閲覧。 
  33. ^ 「魔性のジゴロ」は田村正和の他に表現できないのではないか 春日太一の木曜邦画劇場”. 文春オンライン (2021年7月13日). 2021年7月13日閲覧。
  34. ^ “梶芽衣子主演「女囚さそり」第4弾の田村正和さんがいい”. 日刊現代. (2021年5月30日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/289583 2021年7月1日閲覧。 
  35. ^ a b 正面目線もらえず!斜め45度の男、田村正和が「うーん……」マサカズワールドさく裂”. シネマトゥディ. 2021年8月15日閲覧。
  36. ^ 小池一夫の名作伝説「乾いて候」 キスマークをチュッチュッ…前代未聞の唇紋2”. Zakzak. 2020年8月8日閲覧。
  37. ^ a b テレビガイド 1984年8月24日号 p.11-15 久々共演の田村3兄弟
  38. ^ 田村正和略歴”. キネノート キネマ旬報. 2021年8月4日閲覧。
  39. ^ “樋口尚文 銀幕の個性派たち 田村正和、永遠に不変のひと2 マイペースであり続けた「個性派」の極み”. Yahoo News. (2021年6月14日). https://news.yahoo.co.jp/articles/5b99fa34b779c13fbf47241ac78e9dec527272d6?page=2 2021年7月4日閲覧。 
  40. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  41. ^ パパとなっちゃん”. TBS. 2021年7月4日閲覧。
  42. ^ 追悼 田村正和さん 歴代主演1位の「日曜劇場」など数々の名作を振り返る”. ポストセブン (2021年5月19日). 2021年6月10日閲覧。
  43. ^  役者は一日にしてならず 春日太一 田村亮インタビュー p.271
  44. ^ 田村正和は作家に愛された俳優だった~眠狂四郎、腕下主丞、子連れ狼”. RONZA (2021年9月17日). 2021年9月21日閲覧。
  45. ^ a b c d 田村正和の引きこもり状態の生活を支える、iPadと美容師デリバリー”. サイゾーウーマン (2013年2月21日). 2016年12月21日閲覧。
  46. ^ “ミスター、小池一夫さん悼むゴルフが思い出深い”. デイリー. (2019年4月20日). https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/20/0012258356.shtml?ph=1 2021年6月10日閲覧。 
  47. ^ すべての道は役者に通ず 春日太一橋爪功インタビュー ISBN 9784093801058 p.247-248
  48. ^ a b “テレビの中心に居続ける美学 京都撮影所で語った田村正和さん 最後の出演は「眠狂四郎」”. yahoonews. (2021年7月10日). https://news.yahoo.co.jp/articles/bac1b2473ab081cc970b3bd4b387c0c35152d494?page=2 2021年7月10日閲覧。 
  49. ^ 俳優・田村正和 映画ラストラブ記者会見”. 2017年7月23日閲覧。
  50. ^ 田村正和、大地真央の再婚は「ラストラブ」!?”. 2017年7月23日閲覧。
  51. ^ “田村正和、忠臣蔵の魅力を語る!今夜9時放送『忠臣蔵 音無しの剣』で妖艶な主演”. ナビコン. https://navicon.jp/news/1250/ 2021年7月26日閲覧。 
  52. ^ 田村正和が久しぶりの時代劇で“男の美学”を描く”. ORICON NEWS. oricon ME (2008年12月14日). 2021年7月26日閲覧。
  53. ^ “田村正和10年ぶりのテレビ時代劇”. 日刊スポーツ. https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080617-372893.html 2021年7月26日閲覧。 
  54. ^ 『そうか、もう君はいないのか』主演の田村正和さんが「モンテカルロ・テレビ祭」で最優秀男優賞を受賞”. 2017年7月27日閲覧。
  55. ^ 田村正和、『忠臣蔵』で北大路欣也と初共演! ~父・妻三郎の後を継ぎ初の内蔵助に”. ORICON NEWS. oricon ME (2010年11月19日). 2021年7月26日閲覧。
  56. ^ 田村正和さんが死去-4月3日に心不全で・・・風邪をこじらせ2月に入院、近年は仕事をセーブしていた”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2021年5月19日). 2021年7月26日閲覧。
  57. ^ 田村正和×眠狂四郎が帰ってきた!”. 2017年7月22日閲覧。
  58. ^ 田村正和「眠狂四郎The Final」始動 “最後”の当たり役に入魂”. 産経新聞 (2017年7月11日). 2017年8月14日閲覧。
  59. ^ 田村正和が本誌に”引退宣言”「僕はもう十分にやったよ」 FRIDAY、2018年04月20日更新。
  60. ^ 週刊現代 2018年11月24日号 pp.130-131
  61. ^ 俳優の田村正和さん死去、77歳 ドラマ「眠狂四郎」「古畑任三郎」など - Sponichi Annex 2021年5月18日
  62. ^ a b “田村正和さんが死去-4月3日に心不全で・・・風邪をこじらせ2月に入院、近年は仕事をセーブしていた”. スポーツ報知 (報知新聞). (2021年5月19日). https://hochi.news/articles/20210518-OHT1T51217.html 2021年5月23日閲覧。 
  63. ^ “俳優の田村正和さんが死去 ドラマ「古畑任三郎」など”. 秋田魁新報. (2021年5月18日). https://www.sakigake.jp/news/article/20210518CO0145/ 
  64. ^ 俳優 田村正和さん死去 77歳 多くのテレビドラマで活躍”. NHKニュース (2021年5月18日). 2021年5月18日閲覧。
  65. ^ “田村正和さん死去、中国版ツイッターで1位に中国人の印象に残る作品はやっぱ”. (2021年5月19日). https://www.recordchina.co.jp/b876708-s25-c70-d0052.html 2021年9月5日閲覧。 
  66. ^ “台湾でも田村正和さん死去を速報…長文記事で人気俳優だったことを紹介”. スポ-ツ報知. (2021年5月18日). https://hochi.news/articles/20210518-OHT1T51213.html 2021年6月10日閲覧。 
  67. ^ “田村亮「正和兄貴が他界しました」「兄は幸せな人生を送ったと思います」”. デイリー. (2021年5月19日). https://www.daily.co.jp/gossip/2021/05/19/0014339355.shtml 2021年6月7日閲覧。 
  68. ^ a b 週刊現代 2021年6月12日号 p.54-55
  69. ^ a b “「無名の兄」が明かす 弟・田村正和との「帰らざる日々」呼び名は「マサちゃん」1ページ”. 週刊現代. (2021年6月7日). https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83820?imp=0 2021年6月8日閲覧。 
  70. ^ “「大変残念。憧れの存在だった」田村正和さん死去に加藤官房長官が哀悼の意”. (2021年5月19日). https://www.fnn.jp/articles/-/184426 2021年6月13日閲覧。 
  71. ^ テレビガイド 1977年5月6日号 18-19ページ ぴいぷる 田村正和インタビュー 阪妻さんは大尊敬しています
  72. ^ a b 田村正和さんの言葉「親父の考え方では今の芸能界には通用しない」”. NEWSポストセブン. 2021年8月5日閲覧。
  73. ^ いち早く生前墓購入した田村正和 父も死去10年前に購入済み”. NEWSポストセブン (2015年2月21日). 2017年8月21日閲覧。
  74. ^ “田村正和さん偲び、弟田村亮「そうか、もういないんだ」舞台取材会見で”. 日刊スポーツ. (2021年7月2日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202107020000651.html 2021年7月5日閲覧。 
  75. ^  役者は一日にしてならず 春日太一 田村亮インタビュー pp.271-273
  76. ^ 田村亮「兄・田村正和の葬儀は身内9人だけで。派手にせず静かに見送った」その1”. 婦人画報 (2021年6月22日). 2021年6月22日閲覧。
  77. ^ a b c d 週刊テレビ番組 1987年1月24日-30日 テレビにんげん田村正和 p.6-7
  78. ^ 昭和の名優100列伝 p.279
  79. ^ 〈本誌独占〉田村亮「兄・田村正和の葬儀は身内9人だけで。派手にせず静かに見送った」 僕ら兄弟は父のありようを受け継いでいる(3/4)”. 婦人公論.jp (2021年6月22日). 2021年6月22日閲覧。
  80. ^ TBSに 田村正和専用イス”. 2017年7月27日閲覧。
  81. ^ TVガイド 1979年6月22日号 p.141
  82. ^ a b 週刊明星 1990年 12月6日号 p.34-35 田村正和 勝海舟撮影中に突然ダウン
  83. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 p.147
  84. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 p.146
  85. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 下 NHKドラマ制作班 p.81
  86. ^ 田村正和さんと時代劇 「眠狂四郎」の撮影秘話を中島貞夫監督が語る”. デイリー新潮 (2021年5月22日). 2021年6月7日閲覧。
  87. ^ “桂文枝 田村正和さんとの別れ「やるせない思い」 北大路欣也、関口宏、橋幸夫ら同い年で「羊の会」”. スポニチ. (2021年5月19日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/05/19/kiji/20210519s00041000237000c.html 2021年7月5日閲覧。 
  88. ^ いつもの髪形でヨーロピアン 田村正和氏のエレガンス” (2021年5月31日). 2021年6月8日閲覧。
  89. ^ アナエンタ」田村正和は二枚目を演じる事に疲れたのか
  90. ^ a b ザテレビジョン 1987年4月24日号 pp.42-43 お茶の間のモテモテ男 田村正和大研究
  91. ^ 同期俳優がみた田村正和さんの素顔 最後のドラマでこぼした「そろそろ限界かな」”. DOT朝日 (2021年5月19日). 2021年6月7日閲覧。
  92. ^ “田村正和が残した肉声「僕はね、田村正和という俳優をそんなに買ってないんですよ」”. 婦人画報. (2021年5月19日). https://fujinkoron.jp/articles/-/3842?page=4 2021年6月22日閲覧。 
  93. ^ a b 女性セブン 1976年8月18日 p48-49
  94. ^ “田村正和、北川景子の結婚祝福「芸能ニュースで見ましたよ」…田村さん生前最後の記事を復刻”. スポーツ報知 (報知新聞). (2021年5月18日). https://hochi.news/articles/20210518-OHT1T51210.html 2021年5月20日閲覧。 
  95. ^ "田村正和さんのガチすぎた「巨人愛」下平さやかアナ&長野久義夫妻に "公開ダメ出し"". 東スポWEB. 東京スポーツ新聞社. 18 May 2021. 2021年5月20日閲覧
  96. ^ 田村正和のカッコ良さ”。「人前で食事は控える」「共演者を事前に調べる」” (2014年9月18日). 2017年7月27日閲覧。
  97. ^ TVガイド1980年6月特大号第1段 れんさいぴいぷる田村正和 p.32-33
  98. ^ ポポロ 1993年2月2日号 p.52
  99. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 下 NHKドラマ制作班 p.158
  100. ^ 黒沢年雄が田村正和さん回想「新幹線で3時間同じポーズ取っていた”. デイリー (2021年5月19日). 2021年6月7日閲覧。
  101. ^ a b 週刊文春 2021年6月3日号 p.30
  102. ^ a b TVガイド 1974年5月3日号 p.31
  103. ^ a b 週刊TVガイド 1972年10月6日号 p.168-169
  104. ^ 以上 田村正和 三林京子 特別公演 眠狂四郎 十の母の子守歌 パンフレット 在りし日の柴田先生 ページ数無しより。
  105. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 p.151
  106. ^ “横尾忠則さん、ご近所で交流あった田村正和さんとの思い出 「初めてあったのは大阪コマでの仕事だった」”. 中日スポーツ. (2021年5月20日). https://www.chunichi.co.jp/article/257278 2021年6月7日閲覧。 
  107. ^ 『話の特集』1976年8月号 表紙
  108. ^ 徹子の部屋 亡友 竹脇無我さんの思い出”. 2017年7月23日閲覧。
  109. ^ すべての道は役者に通ず 著/春日太一 ISBN 9784093801058 p.248
  110. ^ 狐の呉れた赤ん坊”. 角川映画. 2021年8月15日閲覧。
  111. ^ 旗本愚連隊”. 松竹. 2021年8月15日閲覧。
  112. ^ 田村正和さん最後のドラマ作品「眠狂四郎」BSフジで放送”. サンケイフジ. 2021年8月15日閲覧。
  113. ^ 「田村さん演じる父親に憧れていました」「安らかにお眠り下さい」田村正和さん死去に共演俳優ら悼む声”. 中日スポーツ. 2021年8月15日閲覧。
  114. ^ 田村正和さんを偲ぶ~ライター対談②スターとしての生き様編”. FUJI TV (2021年5月26日). 2017年7月23日閲覧。
  115. ^ “「私生活の質問は絶対NG」だったが…記者に語ってくれた『オヤジ』への思い田村正和さんを悼】”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2021年5月19日). https://www.chunichi.co.jp/article/256171 
  116. ^ a b 週刊Heibon 1983年 第1232号 pp.24-25
  117. ^ ザテレビジョン 1987年5月29日号 p.6 ひとりで学べる田村正和
  118. ^ いち早く生前墓購入した田村正和 父も死去10年前に購入済み”. 2017年7月21日閲覧。
  119. ^ 田村正和 徹子の部屋 2013年2月8日放送 徹子の部屋
  120. ^ 田村正和の車に当て逃げした 黒柳徹子 田村の大物ぶりを語る-2018年2月8日 2時0分 Smart FLASH
  121. ^ 田村正和との初対面は接触事故!? 『徹子の部屋』 で明かされた真実-サイゾーウーマン 2011年1月19日
  122. ^ 週刊新潮 2021年6月3日号 p.26-27
  123. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー2”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  124. ^ 鳴門秘帖 ガイドブック 上 NHKドラマ制作班 p.151
  125. ^ 週刊現代 2018年11月24日号 pp.128-130
  126. ^ 新ニューヨーク恋物語 田村正和さんインタビュー”. フジテレビ. 2017年7月22日閲覧。
  127. ^ 週刊明星 1989年11月2日号 p28-29 田村正和 枯れて白髪でヨレヨレで68歳の衝撃
  128. ^ ザ・テレビジョン 1989年11月3日 no.44 p.18-19 そらきたマサカズ 過ぎし日のセレナーデ
  129. ^ 子連れ狼 その小さき手に 劇場パンフレット かいせつページ より パンフレットにはページ番号記載は無し4枚目のページ
  130. ^ 子連れ狼 その小さき手に 劇場パンフレット 楽しい日々のつずり 子連れ狼を撮り終えて。小池一夫 パンフレットにはページ番号記載は無いが10枚目のページより
  131. ^ a b 三谷幸喜 創作を語る pp.58-59
  132. ^ a b c d e f 週刊テレビガイド 1999年5月8日-14日号 田村正和 古畑任三郎スペシャルインタビュー p.8-9
  133. ^ 三谷幸喜氏 故・田村正和さんと「仕事がしたい」と直感したテレビCM「何回見てもおもしろかった」”. スポニチ (2021年6月19日). 2021年7月5日閲覧。
  134. ^ “田村正和ら“重鎮俳優”を軒並みうならせた「脚本術の極意」とは”. 文集オンライン. (2021年7月8日). https://bunshun.jp/articles/-/46974 2021年7月9日閲覧。 
  135. ^ 月刊 TV Navi 2006年11月号 9/27-10/311 120ページ 三谷幸喜インタビュー
  136. ^ TV LIFE 1996年9月14日号 p.28
  137. ^ a b 朝日新聞 2021年7月3日 5ページ 4版 惜別 俳優 田村正和さん 見せぬ努力 おちゃめな笑顔
  138. ^ 週刊明星 昭和39年7月5日号 グラビア特集 ソフトな好青年 TVで大活躍の阪妻二世 田村正和 ページ数無し にレギュラーで出演の記載有り
  139. ^ 長時間ドラマ 鹿鳴館 - NHK名作選(動画・静止画)NHKアーカイブス
  140. ^ 産経ニュース (2015年11月30日). ““小説家”田村正和「又吉さんに似てるでしょ?」 広末涼子、水川あさみ“娘”たちと十数年ぶりに共演”. 2015年12月2日閲覧。

外部リンク[編集]