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島田紳助

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島田 紳助
本名 長谷川 公彦
(はせがわ きみひこ)
生年月日 (1956-03-24) 1956年3月24日(63歳)
出身地 日本の旗 日本京都府京都市南区唐橋
血液型 AB型
身長 170cm
言語 日本語
方言 京都弁
最終学歴 京都学園大学
(現・京都先端科学大学中退
師匠 島田洋之介
影響 海原千里・万里
B&B
上岡龍太郎
コンビ名 紳助・竜介(1977年 - 1985年)
相方 松本竜介(コンビ時代)
芸風 ボケ漫才師時代)
立ち位置 右(漫才師時代)
事務所 吉本興業(2011年まで)
活動時期 1974年 - 2011年
同期 明石家さんま
関根勤
オール巨人
桂小枝
過去の代表番組 詳細は引退時点での出演番組および引退より前に終了した出演番組を参照
作品 映画風、スローダウン
他の活動 ディンプス相談役(過去)
京都市特別観光大使(過去)
配偶者 既婚
弟子 島田まさし ほか
受賞歴
  • 1984年 花月大賞 マンスリーよしもと賞
  • 1991年 日本映画批評家賞 特別賞
  • 2009年2010年「ORICON NEWS」好きな司会者ランキング 第1位
  • 2011年 「日経エンタテインメント!」嫌いな芸人ランキング 第1位
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島田 紳助(しまだ しんすけ、1956年〈昭和31年〉3月24日 - )は、日本の元お笑いタレント司会者作詞家プロデューサーである。漫才コンビ出身でコンビ時代は紳助・竜介ボケを担当。本名、長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)。作詞およびプロデュース名義はカシアス島田(カシアスしまだ)。京都府京都市南区出身。1974年から2011年の芸能界引退時まで一貫して吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属。

略歴

芸能界入りまで

父親が国鉄職員(南満州鉄道の職員歴もある)の家庭に生まれ育つ。『松本紳助』で紳助本人が語ったところによると「鳩のように真面目で温厚な性格で、自分が警察に補導されても『話し合いで解決できる』と言って一度も激怒しなかった」とのこと。父親は紳助が芸能界を引退した直後の2011年10月20日[1]に死去している。母親は岐阜県不破郡垂井町出身。

小学三年生から家庭教師が雇われるなど、勉学に勤しむ家庭環境であったが本人は全くに馴染めずに素行が不良におり、中学生の時に校舎の窓ガラスを割り、教室で盗品を売り、高校生の時に車上荒らしで補導されて少年鑑別所送致された。10代頃から広島に拠点を置くヤクザである波谷守之に憧れていたという[2]

20歳代

漫才ブームが次第に沈静化する中、1985年5月、紳助・竜介は解散。その際、「このままではサブロー・シローダウンタウンには勝てない」と発言した[注 1]

40歳代

2000年代に入ってからプロデュース業も手掛ける。関西テレビ紳助の人間マンダラ』では、吉本興業お笑いコンビであるランディーズロザンキングコングの3組によるアイドルユニット「WEST SIDE」をプロデュース。関西圏ではジャニーズ事務所のアイドル達をも凌駕するほどの大人気グループに成長させた。後述の引退後のインタビューの際に、多くのタレントのプロデュースを行った理由について、「自分が出たから、僕が関わった人間が1人でも世に出ればという気持ちがあった」「芸能界で成功するのは1000分の1の可能性くらいであり、そんな中で自分の関わった奴らをなんとか世に出してあげたら、自分も幸せな気持ちになるから」と語った。

2001年に吉本興業から「漫才復活のために知恵を貸してください」と頼まれ、漫才選手権大会(テレビ番組でもある)『M-1グランプリ』を企画して大会委員長として審査員も務め、ますだおかだフットボールアワーブラックマヨネーズチュートリアルサンドウィッチマンなど数多くの若手漫才師を見い出す。おぎやはぎ南海キャンディーズオードリーなど優勝には至らなかったが本大会をきっかけにブレイクしたコンビも多い。2008年度から人気が高まり、関西地区の平均視聴率35%以上、瞬間視聴率は40%以上となった。2010年で一旦終了したが、紳助は「惜しまれて終わるのが一番良い」と述べている。

2004年10月から2005年1月まで傷害事件で一時、テレビから姿を消していたが、年明けに復帰した。

2005年、石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープン(130R経営、現在は閉店)。同年、京都で料理店を営んでいた古塚健一と共同で株式会社はせ川を設立。11月に大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープンし、2007年9月には東京・西麻布にもオープン。その他、大阪・東心斎橋に「しゃぶしゃぶ チョモランマ はせ川」(現在は閉店)や「京風鉄板 はせ川」、「バー はせ川」などを展開する。

2005年10月からのフジテレビ『クイズ!ヘキサゴンII』でPabo羞恥心といったユニットをプロデュースし、これをきっかけにカシアス島田名義で作詞活動を行なうようになる。

50歳代

2007年から2010年まで、国政選挙施行日の日本テレビ選挙特別番組ZERO×選挙』でメインキャスターを務めた。

2009年6月14日放送分のNHK総合テレビMUSIC JAPAN』に「カシアス島田」名義でコメント出演した。NHKへは『おとうさんの時間』(1993年 - 1994年)のほか、『バラエティ生活笑百科』(1985年。NHK大阪放送局制作)や『私と尾崎豊〜マイベストソング』(2003年4月14日)など数番組に出演歴がある。

2009年2010年に、フジテレビ『FNSの日』(前者は『FNSの日26時間テレビ2009超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』、後者は『FNSの日26時間テレビ2010超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』)の総合司会を2年連続で務めた。その中でFNS局対抗企画として2年連続で開催した三輪車12時間耐久レースで大会委員長を務めた。

芸能人時代晩年ではNHK『NHK紅白歌合戦』の司会を目指していた[3]。2008年前後にマスコミ報道で紅白司会起用の可能性が幾度か取り沙汰された[4]。日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内チャリティーマラソンのランナー候補に挙がっていると報道されたこともある[5]。引退後に「紳助が同チャリティーマラソンに挑戦して芸能界復帰」との報道がされたこともある。

芸能界引退へ

2011年(平成23年)8月23日、最後のテレビ出演となった『開運!なんでも鑑定団』の放送終了直後、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に引退を表明して芸能界から引退した。警察は深い交際があったのではないかと捜査を進めた[6]。(詳細後述)

民事裁判で、暴力団交際報道の記事について講談社を名誉棄損で訴えた件で、複数の建設会社社員らに対する現代側の取材内容について「具体的かつ詳細で、内容に不自然な点はない」と指摘し、「少なくとも記事の重要部分を真実と信じる相当の理由があった」と認め、東京地裁は紳助側の主張を退けた[7]

引退する2日前に『24時間テレビ34』『行列のできる法律相談所』の生放送に立て続けに出演し、『24時間テレビ34』のチャリティーマラソンを完走した徳光和夫に対し、『行列のできる法律相談所』の生放送内で「今日でテレビは引退のようなものだから、今後は楽しんでテレビに出てほしい」と述べる場面があった。

引退後も明石家さんま松本人志らが、テレビで紳助の名前を出すことがあり、週刊誌等メディアも折に触れて本人の動向、芸能界復帰の可能性に目を向け取り上げている。( 暴力団との交際が発覚し芸能界引退欄、#引退後の本人の動向及びメディアでの扱われ方欄 参照)

人物

愛称

多くの芸能人から「紳助さん」「紳助師匠」と呼ばれていたが、同期の明石家さんま和田アキ子笑福亭鶴瓶上岡龍太郎坂田利夫やしきたかじん上沼恵美子ビートたけし間寛平B&B島田洋七島田洋八)、島田一の介タモリ大橋巨泉所ジョージなどの年上の著名人及び、年下の先輩の著名人からは「紳助」、山城新伍からは「紳助ちゃん」、オール巨人大平サブローからは「紳ちゃん」、今田耕司松本人志からは「紳助兄やん」「紳兄」と呼ばれていた。クイズ!ヘキサゴンIIでは、「カシアス島田さん」、「カシアスさん」などと呼ばれることもあった。

身体

身長170センチメートル (cm) 、体重70キログラム (kg) 。

家族構成

配偶者は一般女性で、3人の娘と5人の孫は全員女性である。芸能界を引退した直後の10月に初孫が誕生している。

学歴

京都市立唐橋小学校、京都市立八条中学校を経て大谷高校卒業。京都学園大学経済学部に入学したが、入学試験が面接だけであり、ここに4年間通っても得るものは少ないと考え、親が入学金を支払った直後に弟子入りしたため通学はしていない。

職歴

「大阪吉本興業」から「東京吉本」を経て、2007年10月より吉本の完全子会社である「よしもとクリエイティブ・エージェンシー」東京に属していたが、鈴鹿サーキットのコーナーから名付けた個人事務所「有限会社オフィス百三十アール」(通称 「130R」)も設けている。1999年7月[8]から2011年3月末まで京都市特別観光大使を務めていた。株式会社ディンプスの相談役を引退に伴い2011年8月24日付けで引責辞任した。

弟子

紳助に弟子入りを申し込んで断られた板尾創路は「130R」の名前を気に入り、紳助の了承を得て「130R」の名前をほんこんと自身のコンビ名にした。ほかの弟子に島田半平太(引退)、島田まさしらがいる。

趣味・嗜好

1986年から1995年まで、レーシングチーム『チーム・シンスケ』の監督として鈴鹿8時間耐久ロードレース全日本ロードレース選手権に参戦し、NHKのスポーツ番組でインタビューが放送された。1980年代後半は好景気で、モータースポーツ界は、多くのタレントらを名ばかりの監督に据えたレーシングチームが2輪・4輪を問わず乱立していたが、紳助は自ら企画書を作成してスポンサー企業を回り、レース当日は自分で作戦を立案してライダーやスタッフに指示するなど、他のタレント監督とは完全に一線を画していた。当時の活動を書いた著書『風よ、鈴鹿へ』は、小説ではあるがノンフィクションに限りなく近い作品である。1991年にバイクレースをテーマとした映画『風、スローダウン』の監督をつとめている。

高校時代に経験しているためボクシングに造詣が深く、他のスポーツに比べてマイナーなイメージがある事を遺憾に思っている。亀田一家のパフォーマンスや辰吉丈一郎が対戦相手を挑発する行為は、マイナーなボクシングを世間にアピールするための言動であると評している。渡辺二郎と交友歴が長かったがのちに芸能界引退の契機となった。

父親が元国鉄職員だったゆえに鉄道に関する知識もあり、自身司会の『クイズ!ヘキサゴン』で「神戸-東京間の在来線(東海道本線)の全駅名を暗唱」した。[9][要出典]同番組内で出題された「東海道新幹線の駅を答える」クイズでつるの剛士三河安城駅と回答したことに驚き、感心していた。

わたせせいぞうの作画で漫画原作を担当しているが、本人は子供の頃から漫画を読まず、熱中したアニメもない。フジテレビ系アニメONE PIECE』のタイアップ曲である「風をさがして」の作詞を真面目にせず、同作品のオープニング曲を開始当初から担当している田中公平(大阪府出身)やファンから酷評された[10]ジブリ映画『耳をすませば』は「凄く良かった」と著書に記した[11]1990年に放送されたアニメもーれつア太郎の主題歌を島田紳助&バスガス爆発楽団名義として担当してた。

事件

傷害事件

2004年10月25日に朝日放送社内で『クイズ!紳助くん』収録の前に、勝谷誠彦のマネージャーを務める当時40歳の女性が、紳助の尊敬する会社の社長や先輩芸能人を呼び捨てる様子を耳にし、女性が入社して5年目であることを知ると、別室へ連れて説教したが、反省の様子が全くないと腹を立て、拳や物で殴る、髪を掴んで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治1週間の頸椎捻挫を負わせた。

被害女性は大阪府警大淀警察署に診断書を提出し、10月28日付で傷害容疑で告訴した。紳助は警察に訴えられたと知ると、同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、テレビカメラの前で「100対0で僕が悪いです」「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」と言って涙を流して反省している様子を見せた。だが、記者からの質問に対してはひたすら「僕が悪い」を繰り返すだけで、質問に全く答えなかった。

これを受けて吉本興業は11月4日まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組は各局とも収録した日付などの字幕を挿入して通常通り放送した。日本テレビ行列のできる法律相談所』は緊急生放送として事務所の後輩で準レギュラーの東野幸治を代理司会として放送した。

11月4日に大阪府警大淀署は紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで書類送検すると、検察は略式起訴を請求し、大阪簡易裁判所で「罰金30万円」の略式命令が下され、正式裁判が請求されずに有罪が確定した。

紳助は11月4日までとしていた芸能活動自粛期間を無期限に延期すると表明し、11月8日の読売テレビ・日本テレビ『キスだけじゃイヤッ!』を最後にテレビから一時期姿を消した。被害者から「芸能界を辞めて」と引退を要求されていたが約2か月の謹慎の後、2005年1月2日に『行列のできる法律相談所』の生放送で復帰の挨拶と事件について謝罪して復帰した

謹慎期間中は先述の東野やダウンタウンらが紳助のレギュラー司会の代理を務め、紳助の復帰まで繋いだ。

被害女性は事件後休職していたが、2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、同年8月4日には被害女性が加害者の紳助と吉本興業を相手取り、4400万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫やPTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めた。賠償請求訴訟は2010年9月21日、原告主張が認められ1045万円の賠償命令が下ったが、退職扱いの無効と雇用関係の確認に関しては原告主張が認められず棄却となった[12]。本件の控訴審は2011年9月22日、東京高等裁判所で和解が成立。これに関して吉本興業側は具体的な内容について「明かさない」としている[13]

書類送検時のメディアの呼称

先述の書類送検時、メディアがこれを報じた際、NHK・共同通信社は「島田紳助所属タレント」、日本テレビは「島田紳助さん」、TBSテレビ朝日テレビ東京は「島田紳助司会者」、フジテレビ・読売新聞朝日新聞は「島田紳助容疑者」、毎日新聞は「島田紳助(呼び捨て)→島田紳助容疑者」、産経新聞は「島田紳助さん→島田紳助容疑者」、スポーツ新聞各紙(『スポーツニッポン』、『日刊スポーツ』、『スポーツ報知』、『デイリースポーツ』、『サンケイスポーツ』:大阪版)は「島田紳助(呼び捨て)」とそれぞれ呼称が分かれた。

民放在京キー局で唯一「容疑者」呼称をしたフジテレビは「(逮捕ではなく)書類送検ではあるが、紳助が記者会見で罪を認めたため、容疑者扱いとした」としている[注 2]。フジテレビを含め「容疑者」呼称をしたメディアも「島田紳助(芸名)容疑者」とし、「長谷川公彦(本名)容疑者」とはしなかった。本名と同姓同名の俳優も活動している。

暴力団との交際が発覚し芸能界引退

記者会見

2011年8月23日19時に吉本興業から「島田紳助に関する緊急記者会見開催」がマスコミ各社に通知され、22時00分から吉本興業東京本部で紳助本人および吉本興業社長の大崎洋らが記者会見し、同日に島田紳助が芸能界を引退すると発表した。引退事由は、紳助と暴力団関係者との交際が発覚し、けじめを付けるため、自らの意思での引退であるとした。紳助はあらかじめ軽い言い方で申し訳ないと前置きしながらも「僕の中では『この程度』なんです。頻繁に密着しているわけではない。『この程度』でも引退になるんだと、後輩に同じ過ちを繰り返させたくない」「自分の中ではセーフと思っていたが、芸能界のルールとしてはアウトだった(指摘されるまで気づかなかった)」「(週刊誌による不法カジノ入店を否定した際)嘘を言っていたら、皆さんの前で腹を切る」「僕が何も言わなかったら謹慎処分だったと思います」と語った。時折、涙を交えながらの記者会見は50分程に及んだ。また涙の理由に関しては「引退を決意した際、慰めてくれたり本気で叱ってくれた人の優しさを思い出し涙を流したのであって引退に対する後悔の涙ではなく引退を決意してから一度もぶれることがなかった」と述べた。

紳助は後述の引退後のインタビューの際、「引退は以前から別の理由で考えていて、暴力団との交際発覚はそのきっかけの1つに過ぎない」と語っている。

吉本興業は、警察から吉本興業に暴力団関係者のメールの中に、紳助とのやりとりがあったという情報が寄せられたことから[14]、8月21日のいずれも日本テレビ24時間テレビ34』、『行列のできる法律相談所』生放送終了直後に紳助を呼び事実確認をしたところ、紳助が事実であることを認めたため引退を決定した。「法的には問題はないが、芸能界のモラルとして社会的影響力の高いテレビ等に出演しているタレントとしては許されない。社としては厳しい態度で臨むべきだと判断した」と説明した。会見で暴力団関係者の氏名・団体名は非公表とされ、関連質問の自粛を記者らに求めた。

各メディアは紳助引退の第一報を会見終了後に行い、テレビ・ラジオで会見の生中継もなかった。これも吉本興業側の通達によるものとされる[15]

その後の報道

会見翌日以降、一般ニュースも大きく取り上げた。関係するとされた暴力団関係者の1人は渡辺二郎で、もう1人は山口組筆頭若頭補佐で山口組系極心連合会会長の橋本弘文であると報道された[16][17]。渡辺は極心連合会相談役であるとも報じられた。1998年に関西テレビ紳助の人間マンダラ』内発言で右翼団体から関西テレビ本社に頻繁に街宣がかけられ、引退を考えるまでに精神的に追い詰められたが、渡辺が橋本に鎮めるよう依頼して収束して以来、橋本との交流が始まった。25日に、橋本に送った手紙や同席写真が、暴力団関係者の警察の家宅捜索の際で発見されたと報道された[18][19]

後にはさらに、別の山口組大幹部―山口組のナンバー2と目される弘道会会長・高山清司と見られる人物と肩を寄せ合って写った写真が『フライデー』に掲載されるに至っている[20]。紳助は後述のインタビューの際、これらの写真に関して、「自分のミスだった」「昔に撮った写真で存在を忘れていた」と釈明した上、改めて自身が暴力団と深い関係がないことを強調し、その証拠として「もし深い関係があるなら、自分は逮捕されている」と主張している。

2012年1月4日に吉本興業社長の大崎が記者会見を開き、「いつの日か、私達吉本興業に戻ってきてもらえるものだと信じております」「私達は彼の才能を惜しむものであります」「これは吉本興業の全社員、全タレント、全芸人の思いです」と紳助の芸能界復帰を希望する発言を行った。『週刊ポスト』2012年5月25日号によると、この会見翌日、吉本興業には抗議の電話が殺到し、大崎自身にも世間から厳しい批判の目が向けられたという。吉本興業側が紳助の復帰を熱望する理由については、「紳助の抜けた穴が想像以上に大きく、若手芸人で埋めるのは無理だったことに加え、経営状態も決して盤石とは言えず、“稼ぎ頭”に早く戻ってきてほしいという切実なる本音」としている。ただし大崎の発言後、週刊誌等のメディアは紳助の芸能界復帰説を書き立てるようになった。2012年春以降は、具体的な復帰プランについて報じる週刊誌なども出ている[21][22][23]。2012年8月に紳助は大崎と会談し、頑なに「復帰はしない」と主張していたことが報じられた[24]

芸能関係者・政界その他各界からのコメント

紳助はダウンタウンの登場が自らに漫才を諦めさせ、紳竜解散を決意するきっかけとなったため、自分が芸能界を辞める際はまず友人関係にある松本人志に話をすると予てから心に決めていた。そのため今回の引退決意に際して紳助は松本に電話および電子メールにて自身の引退を伝え、それを受け取った松本は「辞めないでください、漫才だけは辞めないでください」と慰留するも紳助の意思は固く、「自分のわがまま、美学を通させてください」と返されたという[25]。松本自身はその後、コメントを発表せずインタビューでも一定の沈黙を保ったが、コメンテーターとして出演している『ワイドナショー』において、2013年10月21日に「僕は全然戻ってきてもいいと思う」、2014年5月4日に「僕はずっと言ってるんですけど、紳助さんに戻ってきてほしいんですよ」と紳助の復帰を望む発言を繰り返している。紳助は和田アキ子にも引退を報告しようとしたが、和田が海外旅行中で出なかったため、報告は松本のみになった。和田は帰国後、「弟のように可愛がっていたのに残念」と語った。

ロンドンブーツ1号2号田村淳は「吉本興業の尊敬する先輩の1人が引退されること、ただただ残念でなりません。僕が司会の仕事をするようになった時に紳助さんの番組を沢山見て、勝手に学ばせてもらってました…中々一緒に仕事をする機会が少なかったですが、まだまだ勉強させてもらいたかったです」と語った[26]

ナインティナイン岡村隆史が病気で休養していた間、毎日メールで連絡をしていた先輩が紳助であり、引退に際して「常に自分を気にかけてくれた、ただただ熱く後輩想いの良き先輩、戻ってきて欲しい」「任命された『THE MANZAI 2011』の司会をやり遂げたい」と語った[27]

紳助の番組をきっかけにブレイクした上地雄輔は自身の公式ブログで、「しんすけさんは、誰がなんと言おうと、何を言われようとオイラの父ちゃんです。「お父ちゃん」なんて書いてまた不謹慎て書かれても報道されても、間違いなく大事な大事なオイラの父ちゃんは父ちゃんです。あの人はそんなすごいスーパーマンです。ただオイラはオイラの大好きな人の笑顔と、きれいな涙を何があろうと、守ると決めたらズェッテーに守ります。文句があんならどーかほっといて(;_;)」とコメントした[28][29]。それ以外にも紳助の番組に出演した芸能人はブログやテレビ番組で引退を惜しむコメントを出した。

明石家さんまは紳助の引退に理解を示し、「帰ってきたって良いんですよ」「引退する気持ちは物凄い分かる。疲れてくるんですよ。いろんなことに。僕も何度もやめようと思った」[30]「紳助は同期で親友の間柄だが、本人から連絡は来ず会社からの報告で引退を知った」と語った。一番の友達というイメージであろう自分に記者が詰めかけるだろうと予想していたが、1人たりとも取材が来ず落胆したという。本人は紳助に「やめないでくれ」と泣いたり、面白コメントを残す用意をしていたらしく、記者会見を開くつもりだった。公には「(仕事が増えて)嬉しいわ」「本人とは連絡とっていない。あいつは法律で決まっているかのように大事な話は一切せえへんねんな」「あいつが辞めたことで、仕事が増えるやろ。(引退の真相を)俺が調べてラジオで言うわ」とコメントしている。紳助引退後の『行列のできる法律相談所』のスペシャルの回に特別ゲストとして登場して司会を務めた際、紳助の名前を出し笑いを取った。

ビートたけしは過去にトラブルがあっても全て自己解決してきたといい、「タレントとしてそういうのを上手くやって逃げるのも本人の芸だって言ってるんだけど、紳助は逃げる芸がなかった」「紳助が悪いのは、一番肝心な『ヤクザにモノを頼む』っていう大失敗をしでかしたこと」などと語った[31]。引退報道直後に放送された『たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと 其のII』の冒頭で、引退問題について笑福亭鶴瓶と語る中で「紳助を引退というかたちではなく、半年間謹慎にさせて、その復帰後に暴力団に関するネタを話していけば良いのではないか」と提案し、たけしが前述のインタビューの後にしばらくマスコミに追い掛け回されたことについて「紳助の気持ちがわかった」とも吐露した。

やしきたかじんは「歯切れが悪い。メールくらいでは吉本は切らない」と記者会見で語られた以上の事実があるのではないかとの見方を示した[32]大橋巨泉は「カナダで、限られた情報しか手に入らない」「反社会的勢力との交際は、公人としてはまずい」とした上で、「『引退』には反対」「『1年間の謹慎、休養』くらいが妥当ではないのか」「これからが面白いと思っていたのに、残念でならない」と過去に自らが才能を見出した紳助の引退を惜しんだ[33]

『行列のできる法律相談所』に出演して以降に政治家へ転身した者のうち、大阪府知事橋下徹は「紳助さんの番組がなければ知事になれなかった」「非常に残念であり、(引退会見を見て)つらかった」「バラエティーの世界で、宝であるのは間違いない」とし、紳助にメールで「お疲れ様でした」とねぎらいの言葉を送り紳助からは「ありがとう」という返信が来た事を述べたが、自身の立場上暴力団関係者との交際は「暴力団追放の旗振りを僕がしている以上、寛容にはなれない。紳助さんが判断されたことは、正しい判断だと、僕は思っている」と述べた[34]参議院議員丸山和也は「綺麗事で腑に落ちない。響かないワンマンショーだった」「『どこが悪いんですか』と突っ張って開き直るべきだった。」「そうしないから『他に理由があるのかな』『先手を打ったのかな』と思ってしまう」「『後輩に示しがつかない』『僕の美学』と、お涙頂戴の世界にするのは逆にカッコ悪い」と評した[35]内閣官房長官枝野幸男は「政府は企業活動からの暴力団排除に向けた取り組みを推進しており、引退はやむを得ない。天才的で国民に広く親しまれていただけに残念」とコメントした。

評論家麻生千晶は「番組で人の顔の造作や体型についてまであれこれ言い、“突っ込み”と称する『いじり』と『いじめ』を繰り返していた。そんな彼の手法を真似(まね)する子供も増えたと聞き、彼が女性マネジャーへの傷害事件を起こした後も、各テレビ局の対応は甘く、彼を使い続けたテレビ局や吉本興業にも責任がある」と評した[36]

他に海外メディアも引退を伝えた。

テレビ各局への影響

紳助の引退で、出演番組の放送についての対応はテレビ局毎に分かれた。共通していることは、引退後に収録された番組でトーク、ナレーターなどで紳助に関連する内容に触れる場合、紳助の実名を伏せて「あの人」「前任者」「大物司会者」などに言い換えて放送した[37][注 3]。在京局・在阪局制作の紳助出演番組を購入して放送(再放送含む)するローカル局も該当番組を差し替えるなど対応に追われた。石橋貴明や松本人志、今田耕司、岡村隆史らが紳助を連想させる言葉として、「素敵やん[注 4]」を用いているほか、先述の上地のブログから引用して「父ちゃん」という言葉も使われている。

出演番組VTRの資料映像やCSチャンネルの再放送などの二次使用が原則できなくなった。再放送は、紳助がゲスト等で出演した回は避けているが、『オレたちひょうきん族』などレギュラー・司会として毎回出ていた番組は打ち切りった。地上波で資料VTRとして使用する際は、紳助の顔や姿が映りこまないように編集して放送され、発言部分も音声が消されているが相槌程度の声が入ることはある。『開運!なんでも鑑定団』は、2013年11月12日の『1000回記念スペシャル』および2019年4月30日(いずれもテレビ東京系他同時ネット局の放送日)の『平成最後のお宝鑑定スペシャル』で、紳助司会時代の映像が2018年5月20日にMBSテレビで放送された『明石家さんまが語り継ぎたい 愛すべきレジェンド芸人20人』でも紳助・竜介時代や引退前の番組映像が放送されるなど、二次使用される例も見られる。

詳細な情報は、各番組の記事を参照のこと。

放送継続

開運!なんでも鑑定団
「番組内容に問題があったわけではない。お宝の鑑定自体が番組のメインで、紳助さんありきの番組ではない」と放送継続を早期に決定し、8月27日に代理司会として今田耕司を起用して9月13日放送分までの3回分が収録された。以降の司会進行役は未定とされていたが[38]、2011年9月14日にテレビ東京は今田を後任の正司会者にすると発表した[39]
行列のできる法律相談所
8月最終週分の放送を中止し、代替番組(直前番組『世界の果てまでイッテQ!』の特別編)が放送された。8月29日に番組の存続が日本テレビから発表された。9月以降は司会者を変え、9月4日放送分の代理司会を東野幸治に決定し収録が行われた。その後は東野と後藤輝基フットボールアワー)が交代で司会を務めている。その他、12月4日は綾部祐二ピース)が、3月4日はベッキーが司会を務めた。番組改編期のスペシャル版は明石家さんまが務めている。2012年1月から再放送が再開されている。
人生が変わる1分間の深イイ話
8月最終週は代替番組(直後番組『しゃべくり007』の特別編)が放送され、その後は引き続き羽鳥慎一(同じ誕生日)の司会で放送された[40]。番組内で紳助の肩書きだった「スペシャルコメンテーター」は週代わりゲストで対応して番組が放送された[41]。2012年10月から今田耕司が「スペシャルコメンテーター」に固定され、放送が続いている。
オールスター感謝祭
引退から約1か月後の2011年10月1日に放送が予定されていたが、引退直後は放送自体が一旦白紙となった[42]。その後リレーによる司会で開催することが決定したが、当日の放送まではメンバーを発表せず、その状況を逆手にとって「MC不在で番組最大のピンチ」「新司会者は誰なのか!?」といった番組宣伝CMを流し、当日の事前番組でも島崎和歌子が新司会者について打ち合わせをする模様を放送した。本編の放送内で登場とともに発表され、今田耕司・田村淳・東野幸治が交替で司会を務めた。2012年春からは今田が正式な2代目の総合司会に就任している。

放送終了

紳助社長のプロデュース大作戦!
当初、番組内で紳助を除いて最高位「部長(司会補佐)」の陣内智則が「社長(司会進行)」に昇格して放送継続すると報道されたが[43]、9月中の放送休止および10月以降の放送は未定との発表を経て[44]、9月7日に『サンケイスポーツ』の取材で「紳助が企画を立てるという番組の特性上継続はできない」として番組打ち切りを認め、8月16日放送分[注 5]で終了し、赤坂サカスで開催されていたイベント『夏サカス2011〜笑顔の扉〜』の番組ブースは8月28日の会期終了を前に8月24日で閉鎖となり[45]、番組内のプロジェクトとして宮古島で経営していた民宿も9月25日で営業を終了した。
民宿の支配人として宮古島に滞在していたデンジャラスノッチ夫妻の動向が『中居正広の金曜日のスマたちへ』9月30日分「夫婦波乱万丈」で放送された。2011年11月1日からナインティナインを起用した『もてもてナインティナイン』が始まり[46][47]、番組内企画の1つであった「お見合い大作戦」も続行した。
クイズ!ヘキサゴンII
引退発表翌日8月24日および翌週8月31日は代替番組が放送された。当時開催中であった『お台場合衆国』の番組イベントは8月31日の会期終了を前の8月24日に中止となった[45]
9月2日にフジテレビは、7日は藤本敏史FUJIWARA)とつるの剛士で、14日は品川祐品川庄司)と上地雄輔の代理司会で放送すると発表し[48]、3日に収録された[49]。それ以降の放送に関しては、放送の継続に関しても五分五分としていたが[48]、2011年9月14日の『日刊スポーツ』の報道において、『プロデュース大作戦!』と同様に紳助抜きで番組を維持するのが難しいと判断され、9月28日放送の「卒業式」特番を以って終了した[50]。紳助の冠番組以外で打ち切られた唯一の番組ということにもなった。2011年内は特番および代替番組を放送し[51]、2012年1月から新番組として代替番組としても数回放送された『おじゃマップ』を開始した。なお、元々発売が決定していた番組発アルバムWE LOVE ヘキサゴン 2011』は同年11月23日に予定通り発売されたが、同アルバム購入者による投票という形式で企画予定していた、ヘキサゴンファミリーによる総選挙(AKB48選抜総選挙のパロディ)は中止となった。
クイズ!紳助くん
2011年8月29日放送分からレポーター集団「なにわ突撃隊」を前面に出し、「熱血!なにわ突撃隊スペシャル」として放送されていた。収録済みだった8月29日・9月5日・9月12日放送分はロケパートのみに編集し、9月19日・26日放送分に関しては名場面集となっている。騒動発生早々に「打ち切り内定第一号」とする報道もあったが[52]、放送局は放送継続に関して2011年8月30日時点で検討中としていた[53][54]。しかし朝日放送は2011年9月20日に打ち切りを正式決定し[55]、特番は9月26日に終了した。後番組は『ナイトinナイト』火曜に放送されていた『ごきげん!ブランニュ』が2011年10月31日から移動して放送され、同番組枠は火曜日に移動して2011年11月1日から雨上がり決死隊が司会を務める『雨上がりのやまとナゼ?しこ[56]が始まった。

これ以外に紳助が出演予定だった特別番組が多数あったが、いずれも放送中止もしくは代替出演者を立てるなどの対応が行われた。例えば『THE MANZAI 2011』は計画の白紙が一時報じられたものの[57]、その後予定通り開催された[58]。紳助が務める予定だった「大会審査委員長」は代役を置かず空席となり、紳助に代わる番組の顔としてビートたけしが「大会最高顧問」として出演した。2015年から復活したM-1グランプリも紳助が務めていた「大会審査委員長」は空席となっている。

CS放送は『オレたちひょうきん族』の再放送(フジテレビONE)や『クイズ!紳助くん』(スカイ・エー)も終了となった。しかし、過去に紳助が出演していた『人形劇 三国志』(NHK)のNHKオンデマンドの配信は、2014年4月30日まで配信された。

引退時点で唯一のCMで主に『行列のできる法律相談所』の枠で放送されていた、三浦工業のCMは引退後の24日に放送打ち切りを決定した[59]

引退後の本人の動向及びメディアでの扱われ方

2012年1月に本人役として声のみの出演をした映画『犬の首輪とコロッケと』(引退前に撮影)が公開され、エンドロールに名を連ねた[60]

週刊文春』2012年4月26日号(2012年4月19日発売)に、8ヶ月の沈黙を破る形でインタビューが掲載され、紳助は「僕は芸能界に未練はない」「沖縄での隠棲生活は『精神的にギリギリの苦しさ』やった」などと振り返り、最後に「これからは世界を旅したい。人間生きてるだけで幸せだと思う」と語ると同時に芸能界復帰や政治家転身を否定した[61]一方で「いつか『テレビに出れる人』になりたい」とも語っており、自身の突然の引退で迷惑をかけた番組スタッフらに償いをしたいという気持ちがあるとし、(『行列のできる法律相談所』のスタッフを指して)「彼らから『特番やろう』『BS(の番組)やろう』と言われたなら『1回だけやりたい』」とも述べている。レギュラー番組を持つなど完全な芸能界復帰は否定した[62]

やしきたかじんは、自身が病気療養中だった時にハワイゴルフ場で紳助と会っていたと、『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ)内で述べた。

2014年8月に亡くなった高校の同級生である土建屋よしゆきの通夜に、報道陣を避けて参列して法要後の報道陣の退去後、よしゆきと最後の対面したこと。献花の名札は本名の「長谷川公彦」名義となっていた。告別式には参列しなかった。

2014年8月26日に大阪・なんばHatchで開催されたRYOEIの5周年記念コンサートにサプライズ登場した。引退以来約3年ぶりの公の場への登場で、「復帰なんて1000%せえへんから!」と復帰する意向は全くないことを述べた[63]

2015年に作詞家としてRYOEIに楽曲提供を行った。

2016年2月にフジテレビ『ワイドナショー』で自身が芸能レポーターに送ったメールが紹介された。

2018年9月に、「島田紳助プロデュース」と題したRYOEIのライブ会場で観客の前で挨拶を行った。新潮社のインタビューに応じ、「収入はない」としつつも芸能界復帰の意思はないと回答している。[64]

2018年11月1日に『直撃!シンソウ坂上』でサンドウィッチマン伊達みきお富澤たけしが、東日本大震災直後から続けている復興支援活動について紳助から「お前らが先頭切っていろいろ動くんだ」と励まされていた、震災直後「お前らが動けよ。そしたらみんなついていくから」なるメールをもらっていた、とそれぞれ明かした。

2018年12月に、とろサーモン久保田とスーパーマラドーナ武智がM1グランプリ審査員の上沼恵美子に関する動画をSNS公開した騒動で、新潮社の取材に応えた。

2019年4月30日に、『開運!なんでも鑑定団SP』にて本人MC出演時のVTRが番組内で放送される。スペシャルゲストで出演していた石坂浩二が紳助の名を出し、かつての共演に触れる場面もあった。

2019年6月、吉本興業の芸人十数名を中心とした反社会的組織への闇営業が各メディアで取り上げられた際、かつて暴力団関係者との交際があったとされた紳助本人が引き合いに出された。その後7月20日に宮迫博之(雨上がり決死隊)と田村亮(ロンドンブーツ1号2号)が自前での記者会見を開いたこと、22日に吉本興業・岡本昭彦社長の会見が行われたこと、について週刊文春のインタビューに応じ、渦中の一人である宮迫博之と騒動後に会っていたことも語った[65]

2020年1月13日、MisonoのYouTubeチャンネルの動画で本人が出演し、引退してから初めて映像で公の場に姿を現した[66][67][68]

暴力団関係者に枕斡旋メール流出

2011年、「週刊新潮」が島田紳助が暴力団関係者の渡辺二郎に送ったとされるメールを入手しスクープで報じた。 メールには女優などが実名で乗っており枕斡旋や暇な吉本芸人に闇営業させようとしているメール内容になっていた[69]

暴力団関係者認定

大阪府警の大阪府暴力団排除条例では島田紳助は暴力団関係者と認定されている。条例には『暴力団関係者に対して利益を供与してはならない』という規定が存在するが島田紳助の行為が「暴力団関係者に利益を供与した」とみなされるため[70]

不倫報道

熊田曜子と不倫

2007年、「週刊文春」がグラビアアイドル熊田曜子との不倫密会を報じた。沖縄のリゾート地で熊田の写真集撮影が行われ休憩部屋に仕事とは関係ない島田紳助がいたという。鉢合わせしたスタッフは密室で2人きりだったと証言しているが双方は誤報と否定している。しかしその後も島田が所有するマンションで熊田の目撃情報の噂が尽きなかった。熊田は島田のお気に入りの女性の1人と言われており島田の喜び組と称されていた[71]

小林麻耶と不倫

2011年、「週刊文春」がTBS時代の小林麻耶アナとの不倫を報じた。島田紳助が小林麻耶アナを気に入り1年目から「オールスター感謝祭」のアシスタントに起用。その後、経営する会員制バーや完全個室の料亭でデートで密会。また石垣島不倫旅行とも報じられている。周囲には「オレの女や」と周囲に吹聴していた[72]

ランキング

嫌いな芸人ランキングで1位

オリコン調査による「好きな司会者ランキング」で2009年・2010年で2年連続1位を獲得したが2011年に日経BP社刊『日経エンタテインメント!』編集部調査による「お笑い芸人人気調査」では「嫌いな芸人ランキング」の第1位を獲得した。これまでは江頭2:50が9年連続1位であった[73]

また、お笑い芸人、バラエティ番組スタッフに聞いた「タレントに嫌われてる司会者」の調査では島田紳助を挙げる人も多い。理由としては共演者に手を出しているという噂が絶えなかったことや、タレントの好き嫌いが激しいことなどから女性タレントや事務所関係者には不人気だという[74]。若手芸人からも嫌われており劇場の楽屋のTVで島田紳助のTV番組が流れると「アゴがまたテレビに出てるよ」「すぐにチャンネルを変えろ」などの会話が飛び交ったりするという[75]

演じた俳優

引退時点での出演番組

レギュラー番組

  • 行列のできる法律相談所(日本テレビ/2002年 - )
  • 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ/2008年 - )
  • クイズ!紳助くん(朝日放送/1993年 - 2011年)
  • 紳助社長のプロデュース大作戦!(TBS/2010年 - 2011年)
  • 開運!なんでも鑑定団(テレビ東京/1994年 - )
  • クイズ!ヘキサゴンII(フジテレビ/2005年 - 2011年)

単発・不定期番組

CM

引退より前に終了した出演番組

※コンビでの出演作は島田紳助・松本竜介の項を参照のこと。

バラエティ番組

テレビドラマ

テレビアニメ

  • サザエさん(フジテレビ)
    • 作品No.6204「おんせん宿は花ざかり」(2009年7月26日放送)※26時間テレビのスペシャル企画。民宿の主人役でゲスト出演。

CM

ラジオ番組

ゲーム

ファミコン

劇中で「紳助言うたらやくざや。どつきかえされるで」と言われている。

3DO

  • 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦(1995年/吉本興業株式会社マルチメディアプロデュース)司会

プレイステーション/セガサターン

  • 爆笑!!オール吉本クイズ王決定戦DX(1995年/吉本興業株式会社マルチメディアプロデュース)司会

ニンテンドーDS

書籍

松本人志と共著
松本紳助(2002年1月、ワニブックスISBN 978-4-8470-1415-4
裏松本紳助(2002年11月、ワニブックス)ISBN 978-4-8470-1473-4
哲学(2003年3月、幻冬舎)ISBN 978-4-344-40332-1
松紳(2004年7月、ワニブックス)ISBN 978-4-8470-1559-5

映画

  • じゃりン子チエ(1981年4月11日公開/東宝=東京ムービー新社)- マサル 役(声の出演)
  • ガキ帝国 (1981年7月14日公開/ATG)- リュウ役 ※映画初出演、スクリプター
  • ガキ帝国 悪たれ戦争(1981年9月12日公開/東映)※友情出演
  • マンザイ太閤記(1981年11月28日公開/松竹=東京ムービー新社)- 織田信長 役(声の出演)
  • 次郎長青春篇 つっぱり清水港 (1982年12月28日公開/松竹)- 森の石松 役
  • 逃がれの街(1983年10月15日公開 /東宝=日本テレビ、田中プロ)- 米倉 役
  • 唐獅子株式会社(1983年12月17日公開 /東映)-赤いネクタイの男 役
  • 瀬戸内少年野球団(1984年6月23日公開/ヘラルド・エース)- 正木二郎 役
  • (1985年1月15日公開 /東映)- 竹市 役
  • ビッグ・マグナム 黒岩先生(1985年4月13日公開/東映)- 天堂大吾郎 役
  • 星くず兄弟の伝説(1985年6月15日公開 /「星くず伝説」プロジェクト)-「ひょうきんベストテン」司会
  • 童貞物語(1986)(1986年2月15日公開/東映)- トラック運転手 役
  • ゴルフ夜明け前(1987年12月5日公開/東宝)- 桂小五郎 役
  • 死霊の罠(1988年5月14日公開/ジョイパックフィルム)- 原田 役
  • 現代仁侠伝(1997年11月8日公開/東映)- 佐々木 役
  • 佐賀のがばいばあちゃん(2006年6月3日公開/ティ・ジョイ)- スポーツ用品店店主 役 ※友情出演
  • 島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん(2009年4月25日公開/ジョリー・ロジャー)- 長谷川先生 役 ※友情出演

脚本・監督

Vシネマ

  • 新・童貞物語2 Close to you あなたのそばに (1991年/バンダイビジュアル)
  • 殺しやPAZUZU (2000年/ミュージアム)

受賞歴

  • 第1回 日本映画批評家賞 特別賞(映画「風、スローダウン」)
  • 第17回おおさか映画祭 新人監督賞(映画「風、スローダウン」)
  • 卒煙大賞(2004年、過去にthe brilliant greenaikoらが受賞した賞)

音楽活動

参考文献

  • 月刊現代 (講談社)
    • 2005年9月号 - 本誌〔現代〕独占!120分 復帰から7ヶ月--吉本女性社員「暴行事件」を初めて語った 島田紳助 涙!--あの事件のこと、芸人とは、そして僕の未来 (共著:中田カウス・増田 晶文)
  • 週刊文春 (文藝春秋)
    • 2008年8月14日・21日夏の特大号(2490号) - [独占告白]スキあらばエッチするという姿勢は一パーセントでも持ち続けたい 独占告白 島田紳助「視聴率王」の苦しみ--「羞恥心」成功から、株、不動産、"黒い交際"まで、すべてを語った
  • 暴力団に「借り」を作った島田紳助の本当の代償 溝口 敦、WEDGE Infinity、2011年09月02日

関連項目

脚注

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注釈

  1. ^ しかしダウンタウンは当時全くの無名だったため、スポーツ新聞などには「紳助・竜介解散!このままではサブロー・シローに勝てない」と書かれていた。
  2. ^ 情報プレゼンター とくダネ!』でこの件が取り上げられた際、当時フジテレビアナウンサー長谷川豊が旨を説明。
  3. ^ ただし、『行列のできる法律相談所』や『オールスター感謝祭』では「紳助(さん)」「島田(さん)」「紳ちゃん」などと実名を出されている。2012年春の『オールスター感謝祭』では爆笑問題太田光が「島田さんはどうされたんですか。」と言い、司会の今田耕司は「海外でのんびりされています」と答えた。
  4. ^ テロップではカタカナ表記の「ステキやん」の場合もある。
  5. ^ 同年8月23日は『教科書にのせたい!』のスペシャルが放送されていた。
  6. ^ 本作の演出を担当した井筒和幸との縁で映画『ガキ帝国』に主演する。

出典

  1. ^ 奇しくもその日は紳助自身もオープニング曲を手掛けた経験があるテレビアニメ・ワンピースの放送記念日であった。
  2. ^ “紳助 旧国鉄職員の真面目な父に反発し伝説のヤクザに憧れる”. NEWポストセブン. (2011年9月4日). http://www.news-postseven.com/archives/20110904_30100.html 
  3. ^ “あの大物芸人が紅白の司会を狙う?”. リアルライブ. (2010年7月8日). http://npn.co.jp/article/detail/94525693/ 
  4. ^ 2008年の『第59回NHK紅白歌合戦』の司会発表前に『スポーツ報知』(2008年9月16日付)が紙上で行った同紅白の予想座談会において、紳助の司会起用の可能性が述べられた。また、翌2009年の『第60回NHK紅白歌合戦』の両軍司会発表直後に『東京スポーツ』や週刊誌が「司会の候補に紳助も挙がっていた」と報じていた。
  5. ^ 2007年5月下旬に『ゲンダイネット』が、「紳助が同年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーに挑戦するという情報が行き交っている」と報じていた。
  6. ^ “警視庁、紳助引退で吉本に事情説明を求める”. SANSPO.COM. (2011年8月30日). オリジナルの2011年11月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111114194638/http://www.sanspo.com/geino/news/110830/gnd1108300519002-n1.htm 
  7. ^ “紳助さんの週刊現代への請求棄却 「信用性は高い」 暴力団交際報道で東京地裁”. msn産経ニュース. (2012年10月30日). オリジナルの2012年10月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121030112722/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121030/trl12103019080003-n1.htm 
  8. ^ http://www.city.kyoto.jp/koho/mayor/ayumi/11.html 京都市情報館 - 桝本市政のあゆみ
  9. ^ 2004年6月9日放送「文化人大会」。紳助が小学3年生の頃(1964年頃)に暗記したもので、2004年時点と完全に一致しない。
  10. ^ “「ワンピース」オープニングが変 東映アニメ公式HPが炎上”. J-CASTニュース. (2009年11月19日). http://www.j-cast.com/2009/11/19054269.html?p=all 
  11. ^ 「いつも心に紳助をファイナル」よりP41参照
  12. ^ “紳助さん側に1千万円賠償命令 04年暴行事件で東京地裁”. 47NEWS > 共同ニュース. (2010年9月21日). http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092101000953.html 2011年9月22日閲覧。 
  13. ^ “島田紳助さん、暴行事件で和解 東京高裁で被害女性と”. 47NEWS > 共同ニュース. (2011年9月22日). http://www.47news.jp/CN/201109/CN2011092201000864.html 2011年9月22日閲覧。 
  14. ^ 島田紳助“黒い携帯メール”106通全文入手『週刊朝日』2011年9月9日号
  15. ^ “生中継認めぬ―しばり会見、メディア大半受け入れ”. 朝日新聞デジタル. (2011年8月30日). オリジナルの2011年9月27日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110927031835/http://digital.asahi.com/articles/TKY201108290489.html?id1=2&id2=cabbaida 
  16. ^ “島田紳助「早過ぎる芸能界引退」の裏側に「暴力団幹部との親密関係」に重大関心を示した捜査当局の動き「セーフ」はなぜアウトになったのか”. 現代ビジネス. (2011年8月25日). http://megalodon.jp/2012-1206-0644-58/gendai.ismedia.jp/articles/-/17120 
  17. ^ “紳助さんが交際認めた山口組最高幹部の関連先捜索 詐欺容疑で大阪府警”. msn産経ニュース. (2012年12月3日). http://sankei.jp.msn.com/region/news/121203/osk12120315000006-n1.htm 
  18. ^ “番組発言巡り街宣車 十数年前、関テレに 紳助さん”. 朝日新聞関西. (2011年8月25日). http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201108250032.html [リンク切れ]
  19. ^ “紳助さん出演局に街宣車 山口組系組長がトラブル解決”. asahi.com. (2011年8月25日). http://www.asahi.com/special/playback/OSK201108240176.html 
  20. ^ “紳助さん、新たな写真…暴力団の大幹部と肩寄せ合い(サンケイスポーツ)”. Yahoo!ニュース. (2011年10月6日). オリジナルの2011年10月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20111007081300/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111006-00000509-sanspo-ent 
  21. ^ “島田紳助 復帰に向けドキュメンタリー仕立ての撮影が進行中”. ニコニコニュース. (2012年5月14日). http://news.nicovideo.jp/watch/nw260035 
  22. ^ 週刊大衆』2012年4月23日号
  23. ^ 『週刊ポスト』2012年5月25日号
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  31. ^ 『週刊文春』2011年9月29日号「ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った」
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