博多華丸・大吉

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博多華丸・大吉
Hakata Hanamaru Daikichi
メンバー 博多華丸
博多大吉
別名 華大
結成年 1990年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1991年 -
出身 福岡吉本1期
影響 大木こだま・ひびき
出会い 福岡大学落語研究会
旧コンビ名 岡崎君と吉岡君
鶴屋華丸・亀屋大吉
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才ものまね
ネタ作成者 博多大吉
現在の代表番組 あさイチ
華丸・大吉のなんしようと?
教えてもらう前と後
など
過去の代表番組 爆笑オンエアバトル
とことんサンデー
Hi-Ho!
おもいッきりDON!
おもいっきりPON!
華丸大吉の2020
華大の知りたい!サタデー
など
同期 ナインティナイン
よゐこ
宮川大輔ほか
公式サイト プロフィール
受賞歴
THE MANZAI 2014 優勝
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博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社)に所属する日本の漫才コンビ1990年5月にコンビ結成し、吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー。福岡で活動した後、2005年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。博多弁漫才を全国展開し活躍している。略称は華大(はなだい)。THE MANZAI 2014優勝者。お笑い第四世代

メンバー[編集]

福岡市早良区出身。ボケ担当。立ち位置は向かって左。
福岡県古賀市出身(生まれは兵庫県神戸市[1])。ツッコミ、ネタ作り担当。立ち位置は向かって右。

来歴[編集]

デビューまで[編集]

大学入学までは接点は無く、二人が同じ年(1989年)に福岡大学に入学して落語研究会に所属したことで知り合うことになった(後に二人とも大学を中退)。大学入学時、二人ともお笑いをやっているサークルに所属したいと探したところ落語研究会しかなかったという。勧誘情報には「ゆるい上下関係」とあったが実際にはガチガチの縦社会で、サークルの不満を言い合うことで仲良くなった[2]。地元のタウン誌にサークル活動が紹介され、それを見たあるプロダクションから二人にコンビ名「ヨッチャン・オカチャン」というコンビ名で、東京でやらないかと誘われたことがある[3]。  最初の面接の時に出会った社長の雰囲気から、二人の本能が絶対に怪しいプロダクションに違いないと訴えかけて来たために、ただ、ひたすら逃げる口実を探していたのだが、そう言ったスキを社長は一切与えてくれずに、社長との面会を重ねるごとにトントン拍子に売り出すパッケージングの形などが決まっていった。どうしても逃げ出したい二人がたまたま見た、福岡県で吉本主催のお笑いオーディション番組をするからシロート芸人希望者募集の広告を観て、社長の面会の日、社長からこの日に君たちを東京の番組にねじ込むからと言われた日に、「すいません。僕たちは吉本所属を目指したいんです。」と、懇願して断ったという。このプロダクションを断った建前上、吉本所属を目指すための必死さをアピールせざるを得ない状況に追い詰められたという[2]

その後、地元で開催されたオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本、1990年4月29日放送)に「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。結果は番組出演8組中2位まで合格のところ4位だったため不合格だったが、それがきっかけとなり、人手が足りないという理由で吉本興業福岡事務所に入るよう声がかかる。当初は躊躇していたが、長渕剛の楽曲『西新宿の親父の唄』で連呼される「やるなら今しかねえ」という歌詞に背中を押され決断、同年5月に1期生となる[4]。初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、当初「華丸・大吉」としてデビュー、その後、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」ので「さらにめでたい名前をつけよう」という意向で、「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)と改名する[1]

福岡吉本時代[編集]

デビュー翌年から地元テレビ番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(TVQ九州放送)にレギュラー出演(但し大吉はフロアディレクター)、1993年4月には『とことんサンデー』(テレビ西日本)の司会となり、福岡県内ではトップクラスの人気を獲得する[1]。世間では何となくこの時代の二人は九州・山口・沖縄圏内全域で人気があったと思われているのだが、宮崎の民放が2チャンネル、鹿児島の民放が3チャンネルしかない状況だったため、九州・山口・沖縄圏全域ローカル番組は難しい現状があり、実際のところ、福岡県内限定の放送しか出ていなかったため、福岡を出ると全く知名度はなかった[2]。全国デビューする前の1995年にフジテレビめちゃ²モテたいッ!』(『めちゃ²イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、この時にナインティナインは『とことんサンデー』にゲスト出演し、以降二組は親交を深める。当時の華丸・大吉は司会やリポーターなどの仕事が主で、テレビで漫才を披露する機会はほとんどなかった[5]

1997年、前述の『とことんサンデー』で、テレビ西日本が事務所の了承を得ないまま大吉を長期間海外留学させる企画を番組上で発表し、地元局と事務所との間でトラブルになる。この頃、地元局と福岡吉本の2代目所長が仲が悪かったことがトラブルの背景にあった。このトラブルの解決まで1年間大吉が自宅待機として休業、番組も突然打ち切られた。この期間に大吉がネタを書き溜め、それ以降ネタづくりは華丸から大吉中心に移行した[6][7]

大吉の休業が明けた1998年4月からは『とことんサンデー』と同じ時間帯に同じコンセプトの番組『Hi-Ho!』が開始。しかし、その間に福岡で『吉本超合金』のネット放送が開始され、さらに大阪の芸人が福岡の劇場に出演し始めたことで「大阪の笑い」が福岡に入るようになり、大吉曰く「化けの皮が剥がれる」形で人気が低迷していった[1]。吉本超合金のメインであったFUJIWARA藤本敏史原西孝幸2丁拳銃小堀裕之川谷修士の4人やゲストで活躍していた礼二中川家)、千原ジュニアらには福岡でも熱狂的なファンがつくようになり、推しメンに失礼になるからと劇場では彼ら以外のお笑いでは笑ってはいけないみたいな空気が支配していくのを感じたという。今まで、博多華丸・大吉のネタで笑ってくれていたお客さんが、全然、笑わなくなった、という。そういう現実をまざまざと見せつけられたためFUJIWARAや2丁拳銃には今でも、劣等感みたいなものがあるという。そんな福岡ではあんなに笑いをとるFUJIWARAが、めちゃ×2イケてるッ!ではスベリキャラの様な扱われ方をされている姿を見て、大吉は全国放送に畏怖を感じていたという[2]。 1999年から2003年まで『爆笑オンエアバトル』に出演し、13勝4敗でゴールドバトラーに認定された。

2001年の第1回『M-1グランプリ』では11位となり決勝進出はならなかった。結成11年だったが吉本興業の社員から「ええねん、ええねん」と言われ出場の要請を受け出場。準決勝まで進み、本放送前の『ナイトinナイト』の生出演が決まる等したが、直前で主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」となり、実質失格の扱いとなった。当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後の出場となった。

2002年頃から華丸・大吉の東京進出の機運が高まっていたが、二人に目をかけていた林裕章(当時、吉本興業代表取締役社長)が病に倒れたことや、福岡吉本が看板芸人である彼らを手放したくなかった事情もあって、この話は一旦立ち消えとなった。

2004年4月、屋号を博多に変更した現在の芸名へ改名する。改名のきっかけは、姓名判断に詳しい福岡事務所の女性パート職員が退職する際「『鶴屋』と『亀屋』は運気的に最低の名前」「『鶴屋』がほぼ0点に近い。『亀屋』は口に出せない(ほど最悪)」と判断され、「ずっと気になっていた。お願いだから改名して欲しい」と頼まれた事である。その女性職員から「いい名前がある」と勧められたのが、現在の「博多」の屋号である。またその女性職員から「屋号を博多に変えて2年以内に二人が東に向かうと運気が上がる」ともアドバイスされる[1]。なお、改名に際し同じ「博多」の屋号であった木村進(三代目博多淡海)にも報告し、改名を快く認めてもらったという。

東京進出[編集]

2005年4月に、3年越しの念願であった東京本社へ移籍。東京進出のきっかけとしては、華丸曰く、先述の元女性職員のアドバイスに「背中を押していただいた」ことや[1]、華丸の長女が小学校入学を控えており、就学中の転居を避けたかったこと[8]があったという。また同期の竹山隆範カンニングとして全国区でブレイクした時は、かつての同期である事やネタも標準語主体であったことから祝福できたが、後輩のヒロシが熊本弁を用いたネタで受けていたことは、博多弁漫才を売りにしていた彼らに大きなショックを与えたとも語っている。福岡で仕事がないため上京したはずのヒロシが凱旋した際、福岡時代には見たことも無いくらい受けていたことから「一回、東京のフィルターを通して東京で売れたという肩書きがあると、こんなに違うもんだと、実感した」と、東京進出を決意させた[9][10]。当時福岡で一緒に番組に出ており、二人の芸や人柄に触れた氷川きよしも、「福岡にいてはもったいない」という表現で東京行きを勧めていた[5]

移籍後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし移籍当初、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなすことでそれなりの生活が出来ている状態であった。また、35歳になってから上京し各お笑い番組のオーディションを受けるものの、当時は「どの番組もフレッシュな若手が欲しいらしく、変にこなれた自分たち(華丸・大吉)は、求められていない感があった」ため[11]、「面白いんだけど、それが伝わりづらい」との理由で落とされたり[12]、「10歳以上、(年齢が)下」の審査員から「感想言われる前に痛々しいと言われた」ような悲惨な経験もしている[9]。加えて、福岡時代に「東京に出てきたら」と言ってくれていた人々の態度も一変、「本当に来たの?」「福岡に居ればいいのに」と感じられたという[13]

華丸の『R-1』優勝と大吉のブレイク[編集]

しかし2005年10月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー、「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」の第6回大会に華丸が出場、華丸にとっては「モノマネのレパートリー中、本来4-5番手の戦力」だった[11]アタック25』における児玉清モノマネで優勝し、一躍注目を浴びる。その後、第7回大会も優勝し、優勝賞金100万円を獲得、同コーナーでは唯一の連覇達成者となった。結果として、「伝わりづらい面白さ」を活かせる同コーナーが華丸の、ひいては「博多華丸・大吉」の知名度を大きく上げることになった[12]

2006年2月、華丸が『R-1ぐらんぷり』に出場し、決勝に進出。「細かすぎて〜」でも一部披露した、児玉清のモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで優勝を果たす。大会前には、華丸は「博多のおじさん」という新ネタで出場しようとしていたが、大吉が児玉清ネタにするよう説得し、大喧嘩になった。最後は華丸が折れた形になったが、大吉の説得が正しかったことで「コンビとしての上下関係が決まった」となり、これ以降のコンビの主導権は大吉が握るようになる[14]。なお、この大会で披露したネタを作ったのは大吉であると言われていることに対し、大吉自身は「ネタは二人で作って、(大吉が)『児玉清さんをやるように言った』というのが本当のところ」としている[15]。このような経緯もあり、華丸は優勝賞金500万円のうち半分を、なかば強引に大吉に渡したという。

2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演を果たす。

2008年9月4日放送の『アメトーーク』の企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」には大吉が出演。後に番組の流行語大賞を獲得した「焼却炉の魔術師」のエピソードなど、ネガティブなトークが注目されたことで同番組への出演回数が増え、「大吉先生」と称されるキャラクターやトークの巧さが世間に認知されるようになる。大吉自身は、2012年4月から『たまむすび』(TBSラジオ)の水曜レギュラーに抜擢されたこともブレイクの要因と考えている[12]。また『アメトーーク』では、2012年3月8日放送の「小忙しい芸人」にて、営業先での「華丸・大吉あるある」トークが盛り上がり、宮迫博之の「今度、華丸・大吉芸人やろうや」という提案に当人以外の出演者や多くの視聴者が賛同した。このことから、2012年5月17日と24日の放送で華丸・大吉と彼らに所縁のある芸人が集結した「華丸・大吉芸人」の企画が実現した。さらに、2012年の年末には「多くの芸人に愛され、視聴者に暖かい笑いを送り続けた」との理由で、二人に同年のアメトーーク大賞が授与された。

『THE MANZAI』優勝[編集]

2011年、コンクール形式としては第1回となる『THE MANZAI』に出場。本人達は「若手の大会だから」出ないつもりであったが、西川きよし今いくよ・くるよらから説得され出場を決意した[16]。予選を勝ち抜き認定漫才師50組に選抜され、本戦サーキットを13位で通過し決勝大会に進出する。「(大会最高顧問ビートたけしに)“あんちゃん達面白いね”と、その言葉だけ頂けるように頑張ります」と臨み、一回戦で「乾杯の挨拶」のネタを披露したが、福岡吉本の後輩であり自らも評価していたパンクブーブーに大差で敗れる。獲得したのは関根勤からの一票のみだったが、ビートたけしが「華丸・大吉にもっと(票が)入ってもよかったんじゃないか」とコメントし、「泣きそうです」と応えた。

2014年、再び『THE MANZAI』に出場。2013年の年末に二人がビートたけしと共演した際、たけしから「なんであんちゃん達(大会に)出ないの?」と問いかけられ、華丸が「ですよね」と答えてしまったため、出場せざるを得ないと判断した。大木こだまなどの先輩芸人も、二人の大会出場を後押ししたという[17]。認定漫才師に選抜され、本戦サーキットを6位で通過し決勝大会に進出する。一回戦はワイルドカード枠で出場した三拍子の4票に対し6票を獲得して競り勝った。三拍子のネタがかなり受けていたため自身は敗戦を悟っており、勝利決定の瞬間には大吉が思わず「(2本目のネタ合わせをしていないため)まずい」と言ってしまったほどの意外な最終決戦進出であったという[18]。最終決戦では得意ネタである「宴会の抜け出し方」を一回戦のネタも絡めて披露した。このネタを選んだのは客層を考えた上での大吉の独断であったが[8]アキナトレンディエンジェルを相手に10票中9票獲得する快勝で、優勝に輝いた。出場のきっかけを作ったたけしは「俺は(華丸・大吉の)ファンだから」と述べ、放送後の記者会見では若手芸人と華丸・大吉の違いを流行りの食堂と老舗の名店の味に例えて讃えた[17]。番組の最後は、大吉が「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と締めくくった。

『THE MANZAI』の優勝者には、優勝賞品として深夜帯の冠番組が贈られるが、当初二人は、キャリアを重ねたコンビとしての優勝であったことや、すでに冠番組『華丸・大吉のなんしようと?』(テレビ西日本)を持っていたことなどから賞品番組の辞退も考えていた[19]。しかし、『THE MANZAI』の他の出場者も含め、若手芸人に全国区の番組に出る機会を与え、彼らに経験を積んで欲しいとの思いもあり、2015年4月から9月まで、若手芸人やパフォーマーを迎えるトーク番組『華丸大吉の2020』のMCを務めた[20]。なお、『THE MANZAI』が2015年以降、『プレミアマスターズ』と銘打った漫才師の競演形式となってからも、華丸・大吉は番組から招待されるという形で毎年出演をしている。

2016年1月9、10両日には、福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催。岡村隆史(ナインティナイン)などコンビにゆかりのある多数の芸人がゲストで登場したほか、タモリ明石家さんま、ビートたけしらがビデオメッセージで祝福、25周年に花を添えた[21]。さらに、この興行が成功を収めたため、翌年以降も「博多華丸・大吉26周年記念公演」「博多華丸・大吉27周年記念公演」が開催された。

2018年4月2日より、有働由美子井ノ原快彦V6)の後任として、NHK総合あさイチ』の2代目キャスターに就任。近江友里恵アナウンサーとともに、新しい「NHKの朝の顔」となった。

芸風[編集]

博多弁を多用した漫才をメインとして演じている。華丸がとぼけた言動を繰り返し大吉がたしなめる展開が主だが、ごく稀に、大吉がネガティブな発言をし華丸が困惑するという二人のボケとツッコミを逆転させた展開になることもある。自身も認める通り、ネタに含まれるボケの数は決して多くないが[22]、ゆったりとした間で丁寧にボケとツッコミを繰り広げる漫才を演じており、このことが『THE MANZAI 2014』での勝因にもなった[23]

漫才の題材としては、二人が好きなお酒や宴会に関するネタが多く[24]福岡ソフトバンクホークスなどの福岡・九州ネタ、中年男性のよくある言動を描いたネタ、さらにはドラえもんYoutuberを扱ったネタなどもあるが、他人を攻撃するネタは演じない。こうした「穏やかで暖かい笑い」は、ファミリー層に広く支持されている[5]。「日経エンタテインメント!」誌による、芸能人の認知度と関心度を数値でランキング化した「タレントパワーランキング」では、2018年の芸人部門において、サンドウィッチマンに次ぐ2位として博多華丸・大吉がランクインした[25]

大吉が華丸を強く叩くなどといった、いわゆる「ドツキ」系の激しいツッコミも、ほとんど行われない。これは、福岡には「博多仁和加(はかたにわか)」という伝統芸能があり、演者のボケた言動を観客が受け入れて拍手を送り、ツッコミのように否定する文化ではなかったから、と理由づけている。大吉は漫才での自分の役割を「ツッコミではなく、華丸をなだめている」としており、「いつかは全編ツッコミのない漫才をしたい」と語ったこともある[26]。一方で、トークや大喜利などのネタ以外の部分においては毒舌を放つこともあり、特に大吉はその傾向が強い。

『THE MANZAI 2011』出場以降は、華丸が大吉に「ちょっとご相談があるんですが、○○になりたい(○○したい)」と語りかけて本題に入るネタが増えている(この導入を使わないネタもある)。華丸がネタの中で演じる「お酒好きで陽気な博多のおじさん」のキャラクターは、華丸の弟によれば、土建業を営む華丸の父親そのままであるという[27]。華丸がボケる際にオーバーな表情を見せることも多く、大吉は「華丸・大吉の漫才って、華丸さんのにらめっこなんですよ」と例えている[28]

頻度は低いが、コントも行っている。漫才と同様に華丸が博多のおじさんを演じるネタや、華丸が得意とする児玉清、川平慈英といったモノマネを取り込んだネタなどがある。

テレビでは4分程度のネタを演じることが多いが、大吉によれば、自分達の本分は舞台で演じる15分程度のネタであるとしている。ネタ作り担当の大吉は、2014年頃は、将来的に舞台中心の活動となることを見据えて、1ヵ月に1本のペースでネタを作ると語ったが[26]、近年では「題材が年相応のものじゃないとイヤ」なので「漫才のネタが、年々できなくなってきている」と苦労を漏らしつつ、「年間3回くらい、ネタのイベントとか番組に呼ばれたときに作る」としている[24]

エピソード[編集]

福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在で、多くの後輩から慕われており、飲み会での乾杯の音頭は常に華丸が取る[29]。特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の一人でもある。確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブーはM-1王者に輝いた。 一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、二人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていたという。黒瀬は華丸のことを5つしか年が離れていないにもかかわらず「お父さん」と呼んでいる[30]

他の芸人が忙しければ断りそうな細かい仕事や、スケジュール上無理と思われるような仕事も断らず受けてしまうため、自嘲気味に「よしもとの犬芸人」と自称している[29][31]。ただでさえ「東京と博多の滞在が半分ずつくらい」のため、東京と福岡を往復するのに、年間で約250回も飛行機に乗るという状況に加え[32]、仕事で東京→長崎→長野→福岡や、福岡→浅草→下関、新潟→大阪→新潟など、「日本地図をもう一度見直して〜」と思うような移動になることも多々あり[33]、「マイレージは常に20万マイル以上持っている」とのこと[32]

コンビ仲は非常によく、2012年1月19日放送の『アメトーーク』の企画「愛方大好き芸人 第2弾」などで「コンビでカラオケに行く際は必ず二人で修二と彰の『青春アミーゴ』を歌う」といった仲良しエピソードが語られている。華丸が修二パートで、大吉が彰パートを歌うという。

同期のナインティナインとは、1995年に彼らが福岡を訪問し『めちゃ²モテたいッ!』『とことんサンデー』に互いがゲスト出演して以来の付き合いで[13]、公私ともに仲が良く、特に同い年(同学年)でもある岡村隆史と大吉は互いに親友と認め合っている[34]。『THE MANZAI 2014』では、ナインティナインは司会を務めつつも華丸・大吉を応援しており、矢部浩之は「本当にさすがだな」、岡村も「めちゃめちゃ格好よかったです」と優勝を喜んだ[17]。大会終了後には、大吉は「ようやく背中が見えた同期」こと岡村と、華丸は矢部とそれぞれ祝杯を挙げた[35]

竹山隆範(カンニング竹山)とは、共に吉本興業福岡事務所の1期生である同期だが、竹山は「福岡で売れても意味がない」と、わずか1年で福岡吉本を辞めてしまった。竹山は「逃げるように上京」し、後に中島忠幸とのコンビであるカンニングとして全国区での人気を得るが、久々に福岡で華丸・大吉とロケを行った際に、天狗になっていた竹山は「(福岡は)こんなゆるいロケでいいんだ」と悪態をつき、激怒した華丸との間に確執が生じた。この竹山の発言の裏には、「10年間東京でくすぶっていた竹山」と「その間福岡で人気者だった華丸・大吉」を比較しての嫉妬や、その焦りが「福岡そのものへの恨み」へと変わったことがあったという。しかしその後、別のロケで華丸と竹山が共演した際、華丸・大吉が竹山の活躍を喜び応援していたことを知った竹山は「10年人を恨むことばかり考えていた」と後悔し、『R-1ぐらんぷり』での華丸の優勝も心から祝福できるようになった[36][37]。現在は両者の確執も解消され、『THE MANZAI 2014』での華丸・大吉の優勝に竹山が「やっぱり華丸大吉には勝てなかったと。でも今は心から嬉しい!本当におめでとう!」と祝福のツイートをしたり[38]、華丸・大吉と竹山が宴会を開いたりなどの交遊をしている[39]

千原ジュニアからは「華丸と大吉の顔と名前が逆」と言われている[40]松本人志は『THE MANZAI 2014』について「群を抜いて面白かった。芸歴が長いとか有名とか関係なく、博多華丸・大吉が優勝する以外に(2014年出場者で)上手いコンビがいなかったから当然の結果。ある意味で若手もベテランも良い勉強になった」と語っている[要出典]

立川談志からは、東京MXテレビで談志が仕切っていたネタ見せ番組に出演した際、ガチガチに緊張しながらネタを披露した後、「まあ、内容として、こういう優しいネタを選んでて。俺はとっても文化的には好きだなあ。あとで、いいアドバイスしてやるよ」と声をかけられた。その後、収録後の打ち上げで別室に呼ばれ「いいか。よく聞け。これは過去、爆笑問題にしか言っていない。――絶対に、解散するなよ」とアドバイスされたという[41]

2020年にコンビ結成30年、かつ東京進出から15年の節目を迎えることから、それ以上東京にいると博多で過ごした15年のキャリアを東京でのキャリアが越してしまうため、華丸は「東京にいるのは50(歳)まで」「東京オリンピックは福岡で見たい」と言っているという[42]

出演作品[編集]

単独での出演は博多華丸博多大吉の項を参照。

現在の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

レギュラー出演
ゲスト出演
特別番組
  • THE MANZAIフジテレビ) - 2011年、2014年はコンクールの決勝進出者として、2015年以降は『プレミアマスターズ』への招待者として出演

ラジオ出演[編集]

CM[編集]

過去の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

劇場アニメ[編集]

CM[編集]

出囃子[編集]

以前は「いざゆけ若鷹軍団」を使用していた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』(テレビ朝日)2012年5月17日付放送分。同番組DVD Vol.24収録
  2. ^ a b c d フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』(AbemaTV2017年7月26日付配信分
  3. ^ 博多華丸 これぞ 十九の春! - ||| 博多華丸・大吉私信電心 |||
  4. ^ “華丸・大吉、デビューへ背中を押したのは長渕剛の歌 葛藤する2人に「やるなら今しかねえ」”. sanspo.com (サンケイスポーツ). (2017年10月28日). http://www.sanspo.com/geino/amp/20171028/geo17102815340017-a.html 2017年10月29日閲覧。 
  5. ^ a b c 1周回って知らない話』(日本テレビ)2016年10月26日付放送分。
  6. ^ 博多大吉 「第10章 経験としての26歳」『年齢学序説』 幻冬舎、2010年2月ISBN 978-4344017825
  7. ^ “博多大吉、17年前の突然の休業の真相明かす”. デイリースポーツ. (2014年5月3日). http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/05/03/0006929130.shtml 2014年5月13日閲覧。 
  8. ^ a b お笑いワイドショー マルコポロリ!』(関西テレビ)2016年6月19日付放送分。
  9. ^ a b 今回の"極上空間" 1月18日(土) 第144回 ゲスト:森口博子×博多華丸”. BS朝日 (2014年1月18日). 2016年12月2日閲覧。
  10. ^ よしもと黄金列伝!』(読売テレビ)2014年5月3日付放送分。
  11. ^ a b “博多華丸・大吉が激白…上京直後は苦戦の連続だった”. ZAKZAK (産経デジタル). (2006年8月4日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006080418.html 2016年12月16日閲覧。 
  12. ^ a b c 【エンタがビタミン♪】博多華丸・大吉、理想の売れ方だった。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が転機。”. TechInsight (2014年2月12日). 2014年12月30日閲覧。
  13. ^ a b “【エンタがビタミン♪】華丸・大吉がナインティナインに感謝「神社つくって奉納したい」”. TechInsight. (2015年12月2日). http://japan.techinsight.jp/2015/12/hanadai-25th-nainai-01.html 2016年12月17日閲覧。 
  14. ^ 博多大吉が過去のコンビ大喧嘩を語る「R-1ぐらんぷり決勝のネタをめぐり2時間半くらい言い合い」”. ライブドアニュース (2014年2月18日). 2014年12月30日閲覧。
  15. ^ たまむすび』(TBSラジオ)2014年12月17日放送分。
  16. ^ “博多華丸・大吉、「THE MANZAI」優勝の裏側にあったビートたけしからの言葉”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年10月28日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171028-OHT1T50069.html 2017年10月29日閲覧。 
  17. ^ a b c 華丸大吉の優勝コメント、キャリア制限のないTHE MANZAIのおかげ。”. お笑いナタリー (2014年12月14日). 2014年12月16日閲覧。
  18. ^ 博多大吉、『THE MANZAI』優勝の勝因を語る。「決勝に行けると思っていなかった」”. TechInsight (2014年12月18日). 2014年12月30日閲覧。
  19. ^ 博多華丸・大吉 THE MANZAIの優勝特典に「もう大丈夫」”. ライブドアニュース (2014年12月16日). 2015年7月6日閲覧。
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]