CLUB紳助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
CLUB紳助
ジャンル 音楽番組/トーク番組
放送国 日本の旗 日本
制作局 朝日放送
出演者 島田紳助ほか
音声 ステレオ放送
紳助のMTV倶楽部
放送時間 土曜日17:00 - 17:55(55分)
放送期間 1986年10月11日 - 1988年3月26日
プロデューサー 原凉一
CLUB紳助
放送時間 放送時間参照
放送期間 1988年4月2日 - 1996年9月29日
プロデューサー 岡田吉雄
テンプレートを表示

CLUB紳助』(クラブしんすけ)は、一部テレビ朝日系列局で放送されていた朝日放送ABCテレビ)製作のトーク番組。司会は島田紳助。製作局の朝日放送では1988年4月2日から1996年9月29日まで放送。

この項目では、1986年10月11日から1988年3月26日まで朝日放送で放送されていた前身番組『紳助のMTV倶楽部』についても記述する。

概要[編集]

紳助・竜介解散翌年の1986年、司会業に転向してまもない島田紳助(当時30歳)が、30代の10年間だけ自分の思い出としてやりたいようにやる番組として開始した。

朝日放送では1984年10月から、アメリカMTVPV番組を編集した音楽番組MTV: Music Television』が放送されていたが、後期には紳助が司会を務めるトーク番組になり、トークの合間にPVを流す形式へ移行。タイトルも『紳助のMTV倶楽部』に改めた。その後、朝日放送とMTVが提携を解消したのに伴い、1988年4月にタイトルを『CLUB紳助』に変更した。

『紳助のMTV倶楽部』時代にはトークの合間に洋楽のPVを3本放送していたが、『CLUB紳助』時代に入ると土曜夕方放送分はCM前に邦楽のPVを2曲、日曜深夜放送の再編集分は洋楽のPVを3本放送する形式となった。その後、放送時間が土曜午前から日曜深夜に変更されてからは再び洋楽のPVを3本流す構成になり、トークパートは過去の内容の再放送になった。トークは毎回ゲストを迎えて行われていたが、その際にゲストの所持品を視聴者プレゼントにするのが定番であった。前身が音楽番組であったため、トークパートも含めて全編ステレオ音声で放送されていた。

番組開始から数年間は紳助がひとりで番組を進めていたが、後年にアシスタント制を導入。当時はまだ無名俳優であった遠山俊也がアシスタントに抜擢され、1994年から1996年まで出演した。

紳助が40歳を迎えた年の秋、番組は予定通りに10年で放送を終えた。

放送時間[編集]

放送局 曜日 放送時間 放送期間
紳助のMTV倶楽部
朝日放送 土曜 17:00 - 17:55 1986年10月11日 - 1988年3月26日
テレビ朝日 日曜 深夜(放送開始時刻不定) 1986年11月16日 - 1988年3月27日
CLUB紳助
朝日放送 土曜 17:00 - 17:45 1988年4月2日 - 1990年9月29日[1]
土曜 09:30 - 10:25 1990年10月6日 - 1991年9月28日[1]
日曜 23:55 - 24:55 1991年10月6日 - 1996年9月29日[2]
テレビ朝日 日曜 深夜(開始時間不定期) 1988年4月3日 - 1993年9月26日
水曜 深夜(放送開始時刻不定) 1993年10月6日 - 1994年12月29日
月曜 深夜(放送開始時刻不定) 1995年1月10日 - 1996年3月26日
木曜 深夜(放送開始時刻不定) 1996年4月4日 - 1996年9月26日

放送リスト[編集]

スタッフ[編集]

  • 構成:北吉洋一
  • TD:毛利敏彦
  • VE:三代田俊雄、竹内荘七
  • VTR:小宮幸雄
  • カメラ:加瀬俊弘、樋田昌利、富田武司
  • 音声:小林清人、鎌沢清盛
  • 照明:川口祐司
  • 美術:小池光春
  • ヘア・メーク:山田かつら
  • 編集:IMAGICA品川ビデオ・センター(岩立登志雄、太田友康)
  • 収録:浜町スタジオ
  • 技術協力:八峯テレビ彩光
  • 美術協力:ちとせ舞台
  • AD:郷原孝(SPIRIT)
  • ディレクター:松永貞雄(SPIRIT)
  • プロデューサー:岡田吉雄(ABC)
  • 制作協力:Spirit
  • 制作著作:ABC(朝日放送)

脚注[編集]

  1. ^ a b 翌日曜深夜に再放送しており、1991年10月6日より再放送枠に放送時間を移行し、番組終了まで当時間枠で固定した。
  2. ^ 1988年4月 - 1990年9月の間、土曜に放送された分を一部再編集の上再放送していた。ただしPVなどが一部異なる内容のため、新聞のテレビ欄に「再」マークは付いていなかった。
  3. ^ a b c d e f 特番放送のため、規定放送日には放送を休止。
  4. ^ 当時公開中であった主演映画『新宿純愛物語』(1987年7月4日公開、那須博之監督)のPRでのゲスト出演。
  5. ^ a b 再放送。
  6. ^ 当時現役引退してタレント活動をしていた元女子プロレスラー・ダンプ松本大森ゆかりのユニット名。同期で親友であったことからユニットを組み、シングルCD「赤いウィンナー逃げた」をリリースした。
  7. ^ 150分耐久レースのゲストとして岩城滉一が参加した。
  8. ^ 1月7日に放送される予定だったが、当日に昭和天皇が崩御して特別編成が組まれたために順延した。
  9. ^ 当時、伊丹十三の製作総指揮による新作映画『スウィートホーム』(1989年1月21日公開、監督・黒沢清、主演・宮本信子)の公開が控えていた。
  10. ^ 大森一樹が監督を務めた映画『ゴジラvsビオランテ』(1989年12月16日公開)についての内容。
  11. ^ 前年に現役引退して年寄・山響を襲名していたが、当時11代若松を襲名して若松部屋を継承した直後のゲスト出演となった。
  12. ^ 藤子不二雄Aが初めて企画製作を務めた映画『少年時代』(1990年8月11日公開、篠田正浩監督)の公開が控えていた。
  13. ^ 当番組の司会である島田紳助の初監督作品『風、スローダウン』(1991年11月23日公開)の公開を控えた時期であり、同作品のヒロインを五十嵐いづみが務めた。
  14. ^ 番組の最後にゲストの所持品を視聴者プレゼントする事が慣例となっていたが、プレゼントを持っていなかったために(紳助が冗談で)酒井法子が番組中に飲んでいた飲料水のストローを視聴者プレゼントに進呈したところ、応募が殺到した。
  15. ^ a b 放送300回記念の2週連続スペシャル番組。
  16. ^ a b テレビ朝日のみ再放送。
  17. ^ 1月17日に発生した阪神大震災直後から何度も被災地を訪れ、精力的に取材をしたジャーナリスト・大谷昭宏が地元の暴力団や不良少年らが率先して救援活動に取り組む姿に感動し、またそれに対して政治家の無能ぶりを非難した挿話を披露。
  18. ^ 他にもニューハーフのさやか、SM女王のフブキの5人が出演。
  19. ^ 薬害エイズが世間に表面化し、社会問題となっていた当時、HIV訴訟(国と製薬会社5社の責任を問う民事訴訟では3月に和解が成立したものの、薬害エイズ関係者の刑事訴訟では公判を控えていた時期)の原告団のひとり・川田龍平がゲスト出演。
  20. ^ 当時、初代メンバーであった原田徳子藤原理恵が脱退し、本杉美香森洋子が新メンバーとして加入した直後の新生C.C.ガールズ初お披露目となった。