ますだおかだ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ますだおかだ
メンバー 増田英彦
岡田圭右
別名 ますおか
結成年 1993年
事務所 松竹芸能
活動時期 1993年 -
出会い 関西外国語大学短期大学部
現在の活動状況 テレビ・ラジオ・ライブ(漫才セブン)など
芸種 漫才
ネタ作成者 増田英彦
現在の代表番組 アッコにおまかせ!
ますだおかだのオモログ
ゴゴスマ -GO GO!Smile!-
過去の代表番組 ますだおかだ角パァ!
ますだおかだのオールナイトニッポン
どーだ!ますだおかだ
同期 オセロTIMアンジャッシュ
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1994年 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
1994年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞
1994年 上方漫才大賞新人奨励賞
1994年 GAHAHAキング3代目チャンピオン
2001年 上方漫才大賞奨励賞
2001年 上方お笑い大賞話題賞
2001年 咲くやこの花賞大衆芸能部門
2002年 上方漫才大賞
2002年 M-1グランプリ優勝
テンプレートを表示

ますだおかだ増田英彦岡田圭右の2人からなるお笑いコンビである。所属事務所松竹芸能。略称は「ますおか」。2002年M-1グランプリ王者。

メンバー[編集]

来歴[編集]

  • 1988年、大阪府枚方市にある関西外国語大学短期大学部穂谷学舎で同じクラスになり、出会う。
    2人が2回生の時、増田が岡田を芸能界に誘うが、岡田が嫌がる。卒業後、増田は関西外国語大学の3年に編入学、岡田は専門学校へとバラバラになる。
    増田は4回生で学園祭実行委員となり、イベントの司会などをしているところを、松竹芸能の目に止まり、スカウトされる。再び岡田を芸能界に誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通うも、3ヶ月後、岡田がやはり嫌がり、増田は広告代理店「大広(同期に佐々木蔵之介がいる)」、岡田は文具メーカー「クツワ」へと、内定していた就職先に就職した。
    それと同時期に吉本新喜劇座員のオーディションに合格しており、芸能活動とサラリーマンの両方を並行しようとするも、新喜劇でのダンスのレッスンに岡田が嫌気が差したのか、レッスン2週目で増田と音信不通になった。[1]
    互いに音信不通になって4ヶ月たったある日、短大時代の友人の結婚パーティーで久しぶりに2人は再会。「サラリーマンの仕事がおもしろくない」ともらした岡田を増田が遂に口説き落とした。
  • 1993年1月、2人はそれぞれの会社を退職。正式に松竹芸能タレント養成所に入所し、コンビを組む。2月には初舞台を踏み、4月には初テレビ出演を果たし、1年目でレギュラー番組3本(テレビ2本とラジオ1本)を持つ。
  • 1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞。当時千原兄弟ジャリズムなどのコントが主流の中で無名のコンビが正統派の漫才でいきなり賞を受賞したことで一躍注目される。
  • 1994年2月、第24回NHK上方漫才コンテスト最優秀新人賞。
  • 1994年8月、GAHAHAキングテレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝く。グランドチャンピオン大会では爆笑問題と同点優勝し、「(関)西の爆笑問題」と呼ばれたことがある。
  • 1994年4月8日、超若手の時代に特別番組としてオールナイトニッポンの2部(27:00 - 29:00)を担当し、当番組のプロデューサーに「いいね!ますだおかだ!秋から2部のレギュラーパーソナリティをやろうか!」と言われ、それが初の東京でのレギュラー番組の仕事となるはずであった。ところが、プロデューサーが人事異動となり、オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティを逃している。さらに、1998年ごろにも特番として担当した際にもプロデューサーから「4月からやろうか」と言われたが、またもプロデューサーの人事異動によりレギュラーを逃しており、2006年4月にようやく念願のオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティーを務めることになった。
  • 1996年、「ボキャブラブーム」や「吉本2丁目芸人ブーム」に挟まれ、東京移転や吉本興業移籍さえ真剣に考え始めた頃、スタートした『爆笑オンエアバトル』(NHK)に参戦。正統派漫才を武器に連勝を重ね、1999年には史上初となるパーフェクト(545キロバトル)を達成。その後もオンエアを重ねゴールドバトラーとなり、当時の番組記録である17戦全勝の記録を樹立して無敗のまま番組を卒業。これらの記録から、2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「爆笑オンエアバトル初期の立役者といえば、漫才のますだおかだとコントのラーメンズと言える」と番組プロデューサーから評され、最終回ではこの2組が「爆笑オンエアバトルのレジェンド」と紹介された。
  • 2002年、本格的に東京進出。12月29日、本命と言われた第2回M-1グランプリで優勝。結成10年目のため、これが最後のチャンスだった。優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められた増田は、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます! テレビだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という言葉を残し、「お笑いブーム開始のゴングとなった」と言われている。
  • 2007年2月27日放送の第7回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルで優勝を果たす。
  • 2008年6月11日に増田が「増田政夫」として歌手デビュー。
  • 2008年10月22日に岡田がAIR BAND(ボーカル)として歌手デビュー。
  • 2009年からはそれぞれがピンで情報番組の司会を担当しているため、コンビでのテレビ出演が減少している。
  • 2013年、コンビ結成20周年。12月14日には、『ますだおかだコンビ結成20周年記念特番 漫才のキセキ 』が関西テレビで放送された[2][3]

芸風[編集]

主なネタは正統派漫才。増田の毒舌を含んだボケに、岡田がツッコむという芸風。練りこんだネタがある一方で、時事ネタを巧みに織り込む柔軟性も持ち合わせる。逆に、岡田にボケさせてその寒いボケに増田が冷淡なツッコミをする芸風もある。

ラジオ番組「どーだ!ますだおかだ」によると、漫才を選んだ理由はデビュー当時若手芸人達の間ではコントが全盛であったため、あえて漫才を選択する事で目立つのが目的であったとのこと。

ネタ作りは主に増田が担当する。岡田もネタ作りの場にいるが、増田がネタを書いている間、ずっとスポーツ新聞を読んでいるという。ただし、岡田の方が博学なので、ネタ中のフレーズなどの相談を受けたりしている[4]

稀にコントも行うことがあり、2003年1月(M-1グランプリ王者になった直後)の新年番組やエンタの神様では、「日本語を台湾語に面白く訳したコント」を披露したことがある。

エピソード[編集]

  • 松竹芸能の養成所に通っていた大学卒業間際に、増田が岡田を説得したうえで、吉本新喜劇が「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」の一環として実施していた若手劇団員のオーディションにコンビで受験。2人とも合格した後に、第1回のレッスンへ参加した。しかし、当時芸能界入りを嫌がっていた岡田が、第2回以降のレッスンを無断で欠席。そのままクツワへ入社したため、増田も新喜劇への入団を断念した。
  • コンビ名がひらがな表記である理由は、既に活躍していた名前をそのままコンビ名にした若手芸人の矢野・兵動(漢字表記)やトクトミトコナミ(カタカナ表記)との差別化を図るため。初舞台のコンビ名は、漢字の「岡田・増田」であった。
  • 若手時代から、『たかじんnoばぁ~』『たかじんnoどォ!』(いずれも読売テレビ)『たかじんONE MAN』(MBSテレビ)『たかじん胸いっぱい』(関西テレビ)など、やしきたかじん冠番組にたびたび出演してきた。
    • 『たかじん胸いっぱい』では、占い企画で「コンビ名を『ざ・レッズ』」にした方が良い」という結果が出たことをきっかけに、たかじんの助言で1週だけ「ざ・レッズ(ひでひこ&けいすけ)」という名義で出演。
    • たかじんが病気の療養で芸能活動を休止していた時期には、増田がたかじんに代わって『たかじん胸いっぱい』の進行役を務めたり、『ますだおかだコンビ結成20周年記念特番~漫才のキセキ~』内の企画(ますだおかだがロケで出会った一般人や親交の深い著名人から出された20個の「お題」を盛り込んでスタジオでオリジナルの漫才を披露)に向けてたかじんがお題の「TVガイド」を直筆で記した色紙を提供したりしていた。増田は、たかじんが2014年1月3日に64歳で逝去した直後に、たかじんとの最も楽しかった思い出として「生前最後の共演になった『たかじん胸いっぱい』で、たかじんに笑顔で見守られながら進行を任されたこと」を挙げている[5]
  • 現在は主にテレビ出演であるが、隔月ペースで漫才ライブ(漫才セブン)を東京と大阪で行い、新ネタを披露し続け、年に数回のネタ番組にも出演している。
  • 安田大サーカスの名付け親でもある。結成当時の3人を見た岡田の「サーカスが来た」との発言がきっかけ。
  • 餃子の王将堺浜寺店・若江岩田店に、彼ら考案の「ますおか丼」があった。増田の友達が店長だった店舗で販売されていたが、友人が王将を退社したため、2009年10月で終了。
  • 増田は浜田省吾の大ファンであり、浜田本人とも交流がある。浜田は、ますだおかだの漫才を「トラッドでラディカル」と評している。
  • globeKEIKOがますおかのファンで交友関係があり、小室哲哉との結婚披露宴にはメッセンジャー黒田と共に招待された。
  • 増田は、元フォークダンスDE成子坂桶田敬太郎と仲がよく、自分たちのライブの構成作家に彼を抜擢した。これは、増田本人が日記にて記述。
  • 野球ファンの2人は、交流戦の阪神対オリックスの試合での中継ゲストに呼ばれることもある。特に岡田は、パ・リーグが無名時代だった頃からの筋金入りで、野球番組では必ず当時の苦労を振り返る。
  • 同期のオセロと共に非喫煙者であり、増田と中島知子は共に嫌煙家でもある。以前まで岡田は松嶋尚美と共に喫煙者であったが、岡田は2002年12月31日付、松嶋は2010年12月31日付で卒煙している。
  • 岡田は少年時代、リトルリーグのチームに所属していたことがあり、当時ピッチャーとしても活躍していた元プロ野球選手の清原和博と1度だけ対戦したことがある。結果は、岡田のスリーバント失敗。
  • 2人とも芸能界に入ったのが、20代中盤近くになってからのため、年下の先輩が多い。事務所の先輩のよゐこTKOは年下になる。同期のオセロも年下である(ちなみにオセロとよゐことTKOの3組は同じ学年である)。他事務所でもナインティナインネプチューンなどは先輩にあたる。

受賞歴[編集]

その他[編集]

出演[編集]

レギュラー番組[編集]

※それぞれ単独での出演番組に関しては、増田英彦岡田圭右の項を参照のこと。

  • アッコにおまかせ!TBS)- 準レギュラー
  • ゴゴスマ!CBC) - 増田:金曜日レギュラー。岡田:火曜日準レギュラー。
  • 怪談グランプリ(2009年 - 、関西テレビ)年1回特番。岡田が司会・増田が審査員
  • ますだおかだのオモログ(関西テレビ) - 2015年8月1日と2016年3月26日に単発番組、2016年5月8日からレギュラー番組として放送開始。開始当初から2016年9月25日までは毎週日曜日の8:30 - 9:00に、2016年10月8日から毎週土曜日の10:25 - 10:55に放送。

過去のレギュラー番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

その他の主な出演番組[編集]

出演作品[編集]

CM[編集]

ドラマ[編集]

映画[編集]

著書・ディスコグラフィー[編集]

著書[編集]

  • 「ますだおかだの漫才タイガース」(2004年1月発売、宝島社
  • 「ますだおかだのお笑い大阪案内」(2004年3月発売、角川書店
  • 「ますだおかだの漫才詩」(2004年4月発売、幻冬舎)増田著
  • 「漫才少年」(2004年10月発売、ベストセラーズ
  • 「ますだ式ダジャレで覚える韓国語」(2010年10月発売、学研パブリッシング)増田著

DVD[編集]

  • 爆笑オンエアバトル ますだおかだ」(2001年4月発売、ポニーキャニオン
  • 「M-1グランプリ2001完全版 〜そして伝説は始まった〜」(2003年12月発売、R&C)(一部のみ)
  • 「M-1グランプリ2002完全版 〜その激闘のすべて〜」(2003年12月発売、R&C)(一部のみ)
  • 「LIVE! チクる JAPAN TOUR 2004」(2004年12月発売、ソニーミュージックディストリビューション)(一部のみ)
  • 「Shochiku Kadoza Live 松竹角座ライブ」(2005年7月発売、バップ)(一部のみ)
  • 「Live!チクる 笑いのEXPO 2005」(2005年12月発売、ソニーミュージックディストリビューション)(一部のみ)
  • 「ますおかな奴らで107」(2006年7月29日発売、松竹ホームビデオ)
  • 「ますだおかだ寄席~15周年記念単独ライブ~」(2008年12月14日発売、コンテンツリーグ
  • 「芸能人落語研究会 お後がよろしいようで 完全版」(2007年10月3日発売、コンテンツリーグ)増田のみ


関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 吉本新喜劇|ますだおかだ増田英彦ブログ( 2016年6月17日閲覧)
  2. ^ ますだおかだコンビ結成20周年記念特番 漫才のキセキ. 関西テレビ放送. 2013年12月14日放送.
  3. ^ “ますだおかだ結成20周年、原点に返る感謝の新ネタ漫才披露”. お笑いナタリー (ナタリー). (2013年12月13日). http://natalie.mu/owarai/news/105668 2016年3月13日閲覧。 
  4. ^ 2010年6月28日放送の「お笑いさぁ〜ん」より
  5. ^ ますだおかだ増田英彦オフィシャルブログ2014年1月8日付記事『やっぱ好きやねん』

外部リンク[編集]