ますだおかだ

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ますだおかだ
MASUDAOKADA
メンバー 増田英彦
岡田圭右
別名 ますおか
結成年 1993年
事務所 松竹芸能
活動時期 1993年 -
出会い 関西外国語大学短期大学部
現在の活動状況 テレビ・ラジオ・ライブ(漫才セブン)など
芸種 漫才
ネタ作成者 増田英彦
現在の代表番組 アッコにおまかせ!
ゴゴスマ -GO GO!Smile!-
ますおか&こじるりのベタな旅人トラベター
怪談グランプリ
過去の代表番組 ますだおかだ角パァ!
ますだおかだのオールナイトニッポン
どーだ!ますだおかだ
ますだおかだのオモログ
同期 オセロTIMアンジャッシュ
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1994年 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞
1994年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞
1994年 上方漫才大賞新人奨励賞
1994年 GAHAHAキング3代目チャンピオン
2001年 上方漫才大賞奨励賞
2001年 上方お笑い大賞話題賞
2001年 咲くやこの花賞大衆芸能部門
2002年 上方漫才大賞
2002年 M-1グランプリ優勝
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ますだおかだ増田英彦岡田圭右の2人からなるお笑いコンビである。所属事務所松竹芸能。略称は「ますおか」。2002年M-1グランプリ王者。

メンバー[編集]

来歴[編集]

  • 1988年、大阪府枚方市にある関西外国語大学短期大学部穂谷学舎で同じクラスになり、出会う。
    • 2人が2回生の時、増田が岡田を芸能界に誘うが、岡田が嫌がる。卒業後、増田は関西外国語大学の3年に編入学、岡田は専門学校へとバラバラになる。
    • 増田は4回生で学園祭実行委員となり、イベントの司会などをしているところを、松竹芸能の目に止まり、スカウトされる。再び岡田を芸能界に誘い、なんとか2人で松竹芸能タレント養成所に通うも、3ヶ月後、岡田がやはり嫌がり、増田は広告代理店「大広(同期に佐々木蔵之介がいる)」、岡田は文具メーカー「クツワ」へと、内定していた就職先に就職した。
    • それと同時期に吉本新喜劇座員のオーディションに合格しており、芸能活動とサラリーマンの両方を並行しようとするも、新喜劇でのダンスのレッスンに岡田が嫌気が差したのか、レッスン2週目で増田と音信不通になった。[2]
    • 互いに音信不通になって4ヶ月たったある日、短大時代の友人の結婚パーティーで久しぶりに2人は再会。「サラリーマンの仕事がおもしろくない」ともらした岡田を増田が遂に口説き落とした。
  • 1993年1月、2人はそれぞれの会社を退職。正式に松竹芸能タレント養成所に入所し、コンビを組む。2月には初舞台を踏み、4月には初テレビ出演を果たし、1年目でレギュラー番組3本(テレビ2本とラジオ1本)を持つ。
  • 1994年1月に第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、同年2月に第24回NHK上方漫才コンテスト最優秀新人賞を受賞するなど結成1年足らずで数々の漫才の賞を総なめしていく。当時千原兄弟ジャリズムなどのコントが主流の中で、無名のコンビが正統派の漫才でいきなり賞を受賞したことで一躍注目される事となる。同年8月にはGAHAHAキングテレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝く。グランドチャンピオン大会では爆笑問題と同点優勝し、「(関)西の爆笑問題」と呼ばれたことがある。
  • 1996年、「ボキャブラブーム」や「吉本2丁目芸人ブーム」に挟まれ、東京移転や吉本興業移籍さえ真剣に考え始めた頃、ちょうど同時期にスタートした『爆笑オンエアバトル』(NHK)に参戦。正統派漫才を武器に連勝を重ねていき、様々な記録を残すなど活躍した(後述)。2003年に同番組を卒業。
  • 2002年、本格的に東京進出。同年12月に開催された「M-1グランプリ2002」ではラストイヤーとなる結成10年目で見事優勝を果たした(後述)。
  • 2006年4月から2007年3月までオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティーを務めた。
    • これ以前にも1994年4月8日、超若手の時代に特別番組としてオールナイトニッポンの2部(27:00 - 29:00)を担当し、当番組のプロデューサーに「いいね!ますだおかだ!秋から2部のレギュラーパーソナリティをやろうか!」と言われ、本来ならばそれが初の東京でのレギュラー番組の仕事となるはずであった。ところが、プロデューサーが人事異動となり、その時はオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティを逃している。さらに、1998年ごろにも特番として担当した際にもプロデューサーから「4月からやろうか」と言われたが、またもプロデューサーの人事異動によりレギュラーを逃しており、2006年4月にようやく念願のオールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティーを務めることになった。
  • 2009年からはそれぞれがピンで情報番組の司会を担当しているため、コンビでのテレビ出演が減少している。
  • 2013年、コンビ結成20周年。12月14日には、『ますだおかだコンビ結成20周年記念特番 漫才のキセキ 』が関西テレビで放送された[3][4]
  • 2016年2月29日、「よしもと砦の戦い~松竹芸能軍の来襲~」(吉本新喜劇の本拠地・なんばグランド花月での特別公演)に、「松竹芸能軍」のメンバーとして出演した。
  • 現在は主にテレビ出演であるが、隔月ペースで漫才ライブ(漫才セブン)を東京(松竹芸能新宿角座)と大阪(松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座)で行い、新ネタを披露し続け、年に数回のネタ番組にも出演している。

芸風[編集]

  • 主なネタは正統派漫才。増田の毒舌を含んだボケに、岡田がツッコむという芸風。練りこんだネタがある一方で、時事ネタを巧みに織り込む柔軟性も持ち合わせる。逆に、岡田にボケさせてその寒いボケに増田が冷淡なツッコミをする芸風もある。
  • ラジオ番組「どーだ!ますだおかだ」によると、漫才を選んだ理由はデビュー当時若手芸人達の間ではコントが全盛であったため、あえて漫才を選択する事で目立つのが目的であったとのこと。
  • ネタ作りは主に増田が担当する。岡田もネタ作りの場にいるが、増田がネタを書いている間、ずっとスポーツ新聞を読んでいるという。ただし、岡田の方が博学なので、ネタ中のフレーズなどの相談を受けたりしている[5]
  • 稀にコントも行うことがあり、2003年1月(M-1グランプリ王者になった直後)の新年番組やエンタの神様では、「日本語を台湾語に面白く訳したコント」を披露したことがある。

コンビ名[編集]

  • コンビ名がひらがな表記である理由は、既に活躍していた名前をそのままコンビ名にした若手芸人の矢野・兵動(漢字表記)やトクトミトコナミ(カタカナ表記)との差別化を図るため。初舞台のコンビ名は、漢字の「岡田・増田」であった。
  • 2人がかつて出演していた「金曜かきこみTV」(NHK教育テレビ)では、お笑い掲示板の管理人B&S(ビー・アンド・エス)として出演(番組開始から2005年3月までは、「ボケル・スベル」として出演。)していた。2004年9月10日放送回では、同番組の特別企画として「青空プレタポルテ」名義で「爆笑オンエアバトル」に出場した事もあった(重量は417KB)。

エピソード[編集]

爆笑オンエアバトル[編集]

  • かつて放送されていたお笑い番組「爆笑オンエアバトル」(NHK総合テレビ)に放送開始当初から出演しており、様々な記録(後述)を残して活躍した。番組初期を代表するコンビとして挙げられる事も多い。
  • 初めての出演は1999年5月1日放送回(番組第6回)。初挑戦ながら491KBを獲得し見事1位通過を果たした。1999年7月10日放送回(大阪収録)には出場3回目にして早くもオーバー500(508KB)を記録した。その後も番組を代表する常連コンビとして、正統派漫才を武器にオンエアを勝ち取り連勝を重ねていった。また、後述のようにパーフェクトを達成するなど高得点を叩き出す事も多かった(オーバー500獲得回数は7回・歴代4位の記録)。
  • M-1優勝後の2003年2月8日放送回に出場してオンエアを獲得(417KB・4位)し、17連勝(全勝)を達成して当時の番組新記録[6]を樹立した(因みに同回で番組を卒業。)。その後、タカアンドトシが2006年11月3日放送回にて18連勝(全勝)を達成して番組記録を更新、その後更に流れ星タイムマシーン3号が現在の番組記録である20連勝を達成したため[7]、ますだおかだの記録は歴代4位[8]となっている。同番組のゴールドバトラーにも認定されている。
  • 大阪収録に出場する事が多く(出場17回中5回が大阪収録だった)、また出場した回全てにおいてオーバー500を記録するなど無類の強さを誇っていた(初のオーバー500と後述のパーフェクトを達成した回も大阪収録である。)。また、オーバー500を7回達成しているが、その内5回は大阪収録である。
  • 上記の通り17連勝という記録を達成しているが、チャンピオン大会には2回だけ(第2回・第3回大会)しか出場しておらず、チャンピオン経験も1度も無かった。2001年度・2002年度にはどちらの年も年間3勝目までは達成しているものの、何故かチャンピオン大会出場最低条件である年間4勝目は獲得しておらずいずれも出場は逃している。因みに10連勝以上を達成している芸人の中で第4回チャンピオン大会[9]以降に出場していないのはますだおかだとツインカム(解散)のみとなっている。
  • 2008年の番組公式ホームページ内の『オンバト名勝負百選』というコーナーで「爆笑オンエアバトル初期の立役者といえば、漫才のますだおかだとコントのラーメンズと言える」と番組プロデューサーから評され、最終回ではこの2組が「爆笑オンエアバトルのレジェンド」と紹介された。
  • 番組卒業後、増田は自身のブログの2009年3月29日付の日記において「この番組がなければ今のますだおかだはなかったと思う。本当に感謝してるし愛着も今なおある。その後抜かされた連勝記録を今からでも抜きに行きたいくらいに…」とコメントしている[10]

番組史上初のパーフェクト達成[編集]

  • 出場5回目となる1999年11月13日放送回(大阪収録)にて、545KBを獲得し、見事番組史上初となるパーフェクト(満点)[11]を達成した。同時に通常回での番組最高KBも叩き出した事となった。尚、パーフェクトが出た瞬間、増田は両手を高く上げガッツポーズし喜びを露わにしていたが、岡田の方は真顔で佇んでいた。これは増田は545KBが満点だという事を知っていたのだが、岡田はその事を知らなかったのでただあたふたとしていたからとの事[12]。この満点獲得という大記録はますだおかだのコンビとしての実力の高さをより一層際立たせるものとなった。
    • この1週間前の放送では陣内智則が当時の番組最高KBである537KBを獲得しており、皮肉にも陣内は1週間で記録を塗り替えられる事となった(因みに陣内が出場したこの回も大阪収録である。)。
    • 同番組でパーフェクトを達成した芸人はますだおかだを含めタイムマシーン3号と上々軍団の3組だけとなっている。更にますだおかだ以降、タイムマシーン3号が2005年に記録するまでは約6年間パーフェクトを達成する芸人は出てこなかった。因みに出場5回目でのパーフェクト達成は3組の中でも最短の記録となっている。
    • 因みに2001年6月2日放送回(大阪収録)ではパーフェクトまであとボール1個に迫る541KBを記録した事もある。この為ますだおかだは番組内で545KBと541KBの両方を記録した経験がある唯一の芸人となっている。
    • パーフェクト達成回は後に発売された公式ビデオ(後にDVDも発売)「爆笑オンエアバトル ますだおかだ」に「545KBパーフェクト漫才」という題名で収録されている。

M-1グランプリ[編集]

第1回大会(2001年)[編集]

  • 優勝候補の一角として決勝進出を果たす。尚、松竹芸能からはアメリカザリガニと共に初の決勝進出を果たした。決勝1回戦では特別審査員の合計得点では中川家に次ぐ575点を記録したものの、一般審査員(札幌・大阪・福岡にある吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客)の得点が伸び悩み(195点を記録)、総合得点は770点で最終的な順位は4位に終わり、最終決戦進出は果たせなかった。この年に行われた一般審査員による採点は、一部出場コンビ[13]に対して大阪会場の得票が低いなど公平性に欠ける部分があり、ますだおかだもその影響を強く受けたコンビとなってしまった[14]。以上の事もあり、この一般審査員による採点は第1回大会を最後に廃止されている。仮に第2回大会以降の審査方法で行われていれば、ますだおかだは最終決戦進出を果たせていた。

第2回大会(2002年)[編集]

  • 2年連続で決勝進出を果たす。昨年同様、これまでの活躍や前評判から「本命」とも言われ期待が掛かる中での参戦となった。また、結成10年目でラストイヤーであったため、今大会が最後のチャンスだった。決勝1回戦では612点を記録して2位通過(1位通過は621点を記録したフットボールアワー)を果たし初の最終決戦に進出。この時、増田は漫才冒頭の自己紹介の際に皮肉を込めて「吉本興業のますだおかだです!」と叫んでいた。最終決戦では審査員から5票を獲得し、見事優勝を果たす。決勝1回戦で2位通過して優勝したのはますだおかだが史上初である。また、昨年の中川家に続いて2年連続でラストイヤーでの優勝となった。因みに、この年に最終決戦に進出したフットボールアワー笑い飯も後に同大会で優勝を果たしている。
  • 優勝直後のシャンパンファイトでコメントを求められた増田は、「テレビに出てるだけが面白い芸人じゃありません。ライブにはいっぱいおもろい芸人がいます! テレビだけでなく、皆さんライブを見に来てください!」という言葉を残し、「お笑いブーム開始のゴングとなった」と言われている。
  • 2017年時点で松竹芸能所属の芸人では唯一のM-1優勝者となっている。また、ますだおかだとアメリカザリガニ以来、松竹芸能からはM-1ファイナリストが1組も現れていない[15]

その後[編集]

  • 5年振りに復活したM-1グランプリ2015ではそれまでの歴代王者の一方が審査員に起用される事となり、ますだおかだからは増田が同大会で審査員を務めた。

交友関係[編集]

やしきたかじんとの関係[編集]

  • 若手時代から、『たかじんnoばぁ~』『たかじんnoどォ!』(いずれも読売テレビ)『たかじんONE MAN』(MBSテレビ)『たかじん胸いっぱい』(関西テレビ)など、やしきたかじん冠番組にたびたび出演してきた。
    • 『たかじん胸いっぱい』では、占い企画で「コンビ名を『ざ・レッズ』」にした方が良い」という結果が出たことをきっかけに、たかじんの助言で1週だけ「ざ・レッズ(ひでひこ&けいすけ)」という名義で出演。
    • たかじんが病気の療養で芸能活動を休止していた時期には、増田がたかじんに代わって『たかじん胸いっぱい』の進行役を務めたり、『ますだおかだコンビ結成20周年記念特番~漫才のキセキ~』内の企画(ますだおかだがロケで出会った一般人や親交の深い著名人から出された20個の「お題」を盛り込んでスタジオでオリジナルの漫才を披露)に向けてたかじんがお題の「TVガイド」を直筆で記した色紙を提供したりしていた。増田は、たかじんが2014年1月3日に64歳で逝去した直後に、たかじんとの最も楽しかった思い出として「生前最後の共演になった『たかじん胸いっぱい』で、たかじんに笑顔で見守られながら進行を任されたこと」を挙げている[16]

その他[編集]

  • 増田は浜田省吾の大ファンであり、浜田本人とも交流がある。浜田は、ますだおかだの漫才を「トラッドでラディカル」と評している。
  • globeKEIKOがますおかのファンで交友関係があり、小室哲哉との結婚披露宴にはメッセンジャー黒田と共に招待された。
  • 2人とも芸能界に入ったのが、20代中盤近くになってからのため、年下の先輩が多い。事務所の先輩のよゐこTKOは年下になる。同期のオセロも年下である(ちなみにオセロとよゐことTKOの3組は同じ学年である)。他事務所でもナインティナインネプチューンなどは先輩にあたる。

受賞歴[編集]

その他[編集]

出演[編集]

レギュラー番組[編集]

※それぞれ単独での出演番組に関しては、増田英彦岡田圭右の項を参照のこと。

過去のレギュラー番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

その他の主な出演番組[編集]

出演作品[編集]

CM[編集]

ドラマ[編集]

映画[編集]

著書・ディスコグラフィー[編集]

著書[編集]

  • 「ますだおかだの漫才タイガース」(2004年1月発売、宝島社
  • 「ますだおかだのお笑い大阪案内」(2004年3月発売、角川書店
  • 「ますだおかだの漫才詩」(2004年4月発売、幻冬舎)増田著
  • 「漫才少年」(2004年10月発売、ベストセラーズ
  • 「ますだ式ダジャレで覚える韓国語」(2010年10月発売、学研パブリッシング)増田著

DVD[編集]

  • 爆笑オンエアバトル ますだおかだ」(2001年4月発売、ポニーキャニオン
  • 「M-1グランプリ2001完全版 〜そして伝説は始まった〜」(2003年12月発売、R&C)(一部のみ)
  • 「M-1グランプリ2002完全版 〜その激闘のすべて〜」(2003年12月発売、R&C)(一部のみ)
  • 「LIVE! チクる JAPAN TOUR 2004」(2004年12月発売、ソニーミュージックディストリビューション)(一部のみ)
  • 「Shochiku Kadoza Live 松竹角座ライブ」(2005年7月発売、バップ)(一部のみ)
  • 「Live!チクる 笑いのEXPO 2005」(2005年12月発売、ソニーミュージックディストリビューション)(一部のみ)
  • 「ますおかな奴らで107」(2006年7月29日発売、松竹ホームビデオ)
  • 「ますだおかだ寄席~15周年記念単独ライブ~」(2008年12月14日発売、コンテンツリーグ
  • 「芸能人落語研究会 お後がよろしいようで 完全版」(2007年10月3日発売、コンテンツリーグ)増田のみ


関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 因みに相方の増田も2009年2月までは同番組に出演していたが、岡田と違って歌手活動にはレコード会社の契約上加わらなかった。
  2. ^ 吉本新喜劇|ますだおかだ増田英彦ブログ( 2016年6月17日閲覧)
  3. ^ ますだおかだコンビ結成20周年記念特番 漫才のキセキ. 関西テレビ放送. 2013年12月14日放送.
  4. ^ “ますだおかだ結成20周年、原点に返る感謝の新ネタ漫才披露”. お笑いナタリー (ナタリー). (2013年12月13日). http://natalie.mu/owarai/news/105668 2016年3月13日閲覧。 
  5. ^ 2010年6月28日放送の「お笑いさぁ〜ん」より
  6. ^ それまでの番組記録はアメリカザリガニの持つ16連勝(全勝)であった。
  7. ^ 流れ星は2009年1月22日放送回、タイムマシーン3号は2009年2月19日放送回にて達成(但し、流れ星は全勝での達成である。)。
  8. ^ 但し、全勝している芸人に限定すると歴代3位となる。
  9. ^ この回からチャンピオン大会は審査員が200人制となる。
  10. ^ ますだおかだ増田Official Blog NHK「爆笑オンエアバトル」
  11. ^ 会場にいる一般審査員100人全員の持つボールがバケツに入った状態の事。
  12. ^ 2009年1月22日放送内の「オンバトヒーローズ」にてこの事が明かされている。また偶然にもこの回では流れ星が20戦全勝を達成して番組記録を更新している。
  13. ^ 例として、唯一関東出身のコンビであったおぎやはぎ、ますだおかだと同じく松竹芸能所属のアメリカザリガニ、すでに大阪から東京に進出し東京吉本に所属のDonDokoDonなど。
  14. ^ 特に前述にもあるように大阪の得点が伸び悩み、おぎやはぎ(9点)、DonDokoDon(18点)に次いで3番目に低い点数(52点)を出されてしまった事が強く影響した。
  15. ^ 但し、第12回大会(2016年)では、かつて2013年3月まで松竹芸能に所属していたさらば青春の光(2017年現在は個人事務所「株式会社ザ・森東」に所属)が決勝に進出している。
  16. ^ ますだおかだ増田英彦オフィシャルブログ2014年1月8日付記事『やっぱ好きやねん』

外部リンク[編集]