ミス・ユニバース・ジャパン

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ミス・ユニバース・ジャパン
Miss Universe Japan
イベントの種類 コンテスト
正式名称 ミス・ユニバース・ジャパン
開催時期 2019年8月22日
初回開催 1952年
会場 東京ドームシティホール(2011年)
大阪府立国際会議場(2012年)
東京国際フォーラム(2013年)
ホテル椿山荘東京(2014年~2018年)
山野ホール(2019年)
企画制作 株式会社MY group
運営 株式会社MY group
公式サイト

ミス・ユニバース・ジャパン英語: Miss Universe Japan)とは、1998年平成10年)に始まった新たなミス・ユニバース日本大会、及びその優勝者の名称である。優勝者は日本代表としてミス・ユニバース世界大会に出場する。

日本代表選出大会としての「ミス・ユニバース・ジャパン」の運営ライセンス権[編集]

朝日放送時代まで[編集]

ミス・ユニバース世界大会の国別予選であるミス・ユニバース日本大会自体は、第1回世界大会の開催に伴って1952年昭和27年)の第1回から、ほぼ毎年行われており、1971年昭和46年)から1995年平成7年)までは、当時運営権及び放送権を有していた大阪の朝日放送によって開催されていた。

イネス・リグロン(IBG Japan株式会社)時代[編集]

その後はスポンサー不在のため、2年間に亘って日本大会が休止されたが、1998年平成10年)にフランス人のイネス・リグロン(IBG Japan株式会社)をナショナル・ディレクターとする「ミス・ユニバース・ジャパン」として新たに復活した。

2004年平成16年)から、栄養コンサルタントにオーストラリア人のエリカ・アンギャル(15歳の時に大分県に語学留学した経験から日本語が堪能)が起用され、日本大会ファイナリストに栄養指導を行った。

特に、この時代の中期~後期には、世界大会で優勝した2007年森理世を筆頭に、2003年宮崎京(世界5位)、2006年知花くらら(世界2位)、そして後に日本大会のナショナル・ディレクターとなる2008年美馬寛子(世界14位・Best of Asia)ら、世界大会TOP15以上の上位・優勝争いに絡む日本代表を多く輩出し、自身も2007年の世界大会で「ベスト・ナショナル・ディレクター」として表彰された。

その後、イネス・リグロンは、2011年(平成23年)大会をもって退任するまで、14大会に渡ってナショナル・ディレクターを務めた。

株式会社HDR時代[編集]

(2012年大会については、不明だが、)遅くとも2013年大会から2017年大会まで、株式会社HDRがミス・ユニバース・ジャパンの運営ライセンス権を保持し、大会を運営していた。

2013年以降、一部を除く各都道府県ごとに地方大会が開催され、各地方大会の代表者がミス・ユニバース・ジャパン本大会に進出し、原則として本大会優勝者(「ミス・ユニバース・ジャパン」)が同年に行われるミス・ユニバース世界大会に日本代表として出場していた。

この時代は、イネス・リグロンの時代と異なり、世界大会での上位に進出する日本代表を輩出したのは、2015年宮本エリアナが世界10位になった1回のみであった。

株式会社HDRは、2018年から後述の株式会社MY group(代表:美馬寛子)が運営ライセンス権を取得したことに伴い、本来なら2017年大会を最後にミス・ユニバース・ジャパンの運営に関与できなくなったが、既に地方大会が動き出していたことなど諸事情を理由に、株式会社MY group(代表:美馬寛子)と共催する形で運営に関与、その後は、2019年から「ミス・ジャパン」という独自の(ミス・ユニバースと全く無関係で世界大会もない)大会を創始して開催している。

美馬寛子(株式会社MY group)時代[編集]

2018年から株式会社MY groupがミス・ユニバース・ジャパンの運営ライセンス権を取得し、同社代表を務める美馬寛子(2008年ミス・ユニバース・ジャパン)が日本人女性として初となるナショナル・ディレクターに就任した。

前述の通り、諸事情により、2018年大会については、株式会社HDRと共催したが、2019年大会から本来の形として単独での開催を実現した。

地方大会・都道府県代表の廃止[編集]

前年までとの大きな変化として、都道府県ごとの地方大会および都道府県代表を廃止し、「各都道府県代表=日本大会ファイナリスト」という枠組みも消滅した。

それに伴い、前年まで開催されていた各都道府県ごとの地方大会の内の一部(16府県)が「ベスト・オブ・ミス」という大会名での開催に移行し、1つの大会の中で

  • ミス・グランド・ジャパン日本大会のファイナリスト(の一部)
  • ミス・ユニバース・ジャパン日本大会のセミファイナリスト(の一部)

を同時に選出することになった。

これら16府県から選出されたセミファイナリスト16名と別に、ミス・ユニバース・ジャパン事務局が独自に募集した中から選出されたセミファイナリストと合わせ、計41名のセミファイナリストが2019年ミス・ユニバース・ジャパン日本大会に出場し、その日本大会の中で同一日にセミファイナル(準決勝)・ファイナル(決勝)が実施され、日本代表としての「ミス・ユニバース・ジャパン」が選出された。

応募資格[編集]

2019年現在の応募資格は以下のとおり。身長・学歴・職業・出身地・居住地といった条件はない(どの地方の「ベスト・オブ・ミス」大会にも応募可能)[1]

  1. 年齢18歳以上(上限は地方大会によって若干差異あり)
  2. 未婚者(過去の婚姻歴、出産経験もないこと)
  3. 日本国籍を有すること

大会での選考審査では世界大会と同じく、単なる外見の美しさだけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視される。社会に積極的に貢献したいという社会性が求められる[2]

日本代表としての「ミス・ユニバース・ジャパン」[編集]

日本代表からはこれまで、森理世(2007年)が世界大会で優勝している。復活前のミス・ユニバース日本大会の時代に世界一になった児島明子(1959年)を含めれば2人である。優勝者や入賞者を含むミス・ユニバース・ジャパンの参加者には、その後女優モデルタレントなどとして芸能界で活躍する者も多い。

歴代優勝者[編集]

1990年代末[編集]

2000年代[編集]

  • 2006年(平成18年): 知花くらら
    • ロサンゼルスで行われた世界大会に出場。総合第2位を獲得し、特別賞(民族衣装部門)も受賞
    • 知花は後に、タレントとして活動
  • 2007年(平成19年): 森理世
    • メキシコシティで行われた世界大会に出場して優勝。日本人として2人目(復活後は初)の『ミス・ユニバース』となる

2010年代[編集]

2011年度日本大会の会場・東京ドームシティホール(ミーツポート内)[3]
2012年度日本大会の会場・大阪府立国際会議場[4]
2013年度日本大会の会場・東京国際フォーラム[5]
  • 2012年(平成24年): 原綾子
    • アメリカ・ラスベガスで行われた世界大会に出場
  • 2015年(平成27年):宮本エリアナ
    • アメリカ・ラスベガスで行われた世界大会に出場し、『トップ10』に入賞
  • 2017年(平成29年):阿部桃子 [9][10]
    • 父親は阿部祐二(テレビリポーター)、母親は阿部まさ子(プロゴルファー)。
    • アメリカ・ラスベガスで行われた世界大会に出場し、「ナショナルコスチューム(民族衣装)部門」で最優秀賞を受賞[11]

優勝者以外の著名な出場者[編集]

テレビ放送[編集]

2008年平成20年)には、本大会までを密着したドキュメント番組がフジテレビ(関東ローカル)と、世界大会までを密着したドキュメント番組がNHKで放送された。2012年6月2日にもフジテレビと関西テレビ(関東および関西ローカル)で放送。2013年3月23日にはBS朝日テレビ朝日系BS放送局)で放送。2019年には本大会までを密着したドキュメントがTBSビビット」にて複数回放送された。

かつてのミス・ユニバース日本大会[編集]

日本大会は、ミス・ユニバース世界大会の初開催にあわせて1952年昭和27年)に始まった。優勝者は、日本代表となって、『ミス・ジャパン』として世界大会に出場した。

日本代表は1950年代、合計3人が上位入賞(総合5位以内)するという結果を残し、1953年(昭和28年)の第2回大会で伊東絹子が第3位の評価を受けたほか、1959年(昭和34年)には児島明子日本人アジア人として初の『ミス・ユニバース』の栄冠に輝いた。当時は「有色人種」初のミス・ユニバースとも言われた。

日本大会は世界大会の日本予選としてほぼ毎年行われ、1971年(昭和46年)から1995年平成7年)までは朝日放送が運営権を有していた(放送権は1967年(昭和42年)に得て日本大会と世界大会の放送を始めており、1971年には運営権も「国際親善友好協会」から譲り受けた[17])が、1970年(昭和45年)に上位入賞した島田純を最後に、1980年代の上位入賞は、1988年(昭和63年)に総合第4位を獲得した坂口美津穂(現姓・星野)ただ一人となった。それ以降も日本大会は盛り上がりを欠き、1990年代にかけて日本代表の上位入賞(総合5位以内)は皆無、1995年(平成7年)に『ミス・ジャパン』となった佐伯成美を最後に、日本代表の世界大会出場は中断した。

歴代日本代表[編集]

1950年代[編集]

1960年代[編集]

1970年代[編集]

1980年代[編集]

1990年代前半[編集]

優勝者以外の著名な出場者[編集]

  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 準ミス - 岩崎三奈生 (アナウンサー)
  • 1990年(平成2年)
    • 準ミス - 加藤雪乃[23] (女優「石川雪乃」)
  • 1991年(平成3年)
  • 1993年(平成5年)
    • 準ミス - 濱村美保 (モデル)

テレビ放送[編集]

主催者だった朝日放送(ABC)の制作により、宝田明の司会で全国放送されていた。宝田の司会は1973年昭和48年)から1991年まで続いたが、1959年(昭和34年)の司会はトニー谷[25](この時代はフジテレビ)、1972年(昭和47年)の司会は三橋達也であった[26]腸捻転時代は、TBS系列にて放送され、腸捻転解消後はテレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)系列に移行した。なお、1975年昭和50年)は、腸捻転解消直前の3月23日(日曜)に実施し、TBS系列で全国同時ネットされた最後のABC制作の生放送番組となった[27]1976年(昭和51年)以降は主に「水曜スペシャル」などABCの単発特別番組枠で放送されていた。

1993年平成5年)の代表を選んだ1992年(平成4年)12月の大会と、1994年(平成6年)の代表を選んだ1993年12月の大会では、俳優の石田純一が司会を務めた。

1995年(平成7年)の代表を選んだ1994年(平成6年)12月の放送では、スタジオと会場の二元生放送が行われ、スタジオ司会を板東英二島田紳助、進行役を朝日放送アナウンサー岡元昇が務め、内容も吉本興業の芸人が多く出演しバラエティ色を強めたが、ミス・ユニバース日本事務局との放送権契約の終了に伴い、1995年5月の世界大会をもって朝日放送制作の中継が終了した[28]

ミス・ユニバース沖縄代表[編集]

アメリカ合衆国占領下の沖縄では、1956年(昭和31年)に「琉球代表」が日本大会に特別参加した他[29]1963年(昭和38年)からの6年間、独自の「沖縄代表」を選出、『ミス・オキナワ』として、世界大会に出場していた。しかしながら歴史上、沖縄代表の入賞はなかった。

歴代沖縄代表[編集]

  • 1963年 - レイコ・ウエハラ
  • 1964年 - トヨコ・ウエハラ
  • 1965年 - レイコ・アラカキ(リエコ・イングリッシュ
  • 1966年 - ヨネコ・キヤン
  • 1967年 - エツコ・オクヒラ
  • 1968年 - サチエ・カワミツ

脚注[編集]

  1. ^ 2019 Best of Miss Chiba - FAQ”. ベスト・オブ・ミス 千葉県大会事務局. 2019年8月28日閲覧。
  2. ^ イネス・リグロン『世界一の美女の作り方』(マガジンハウス)
  3. ^ “2011ミス・ユニバース日本代表に神山まりあさん”. マイナビニュース (マイナビ). (2011年6月18日). http://news.mynavi.jp/news/2011/06/18/008/ 2014年12月4日閲覧。 
  4. ^ “宮城県出身の原綾子さん、2012ミス・ユニバース・ジャパン日本代表に”. 東京ウォーカー (KADOKAWA). (2012年4月1日). http://news.walkerplus.com/article/29280/ 2014年12月4日閲覧。 
  5. ^ セクシービキニで美ボディ披露!「2013ミス・ユニバース日本大会」”. モデルプレス (2013年3月5日). 2014年12月4日閲覧。
  6. ^ “2016ミス・ユニバース日本代表は現役歯学生 憧れはオードリー・ヘップバーン”. ORICON STYLE. オリコン. (2016年3月2日). http://www.oricon.co.jp/news/2067763/full/ 2016年3月2日閲覧。 
  7. ^ “2016ミス・ユニバース日本大会に挑んだ46人”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2016年3月3日). http://www.asahi.com/and_M/gallery/20160303_missuniverse/ 2016年6月18日閲覧。 
  8. ^ 『2016ミス・ユニバース・ジャパン』 Part2 日本代表は中沢沙理WWSチャンネル、2016年3月4日
  9. ^ “ミス・ユニバース日本代表に阿部桃子さん 父・阿部祐二レポーター「夢が実現」”. デイリースポーツ (デイリースポーツ). https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170705-00000005-dal-ent 2017年7月5日閲覧。 
  10. ^ 【写真特集】『2017ミス・ユニバース・ジャパン』日本代表は阿部祐二レポーター愛娘・阿部桃子が受賞!選ばれて『スッキリ!!』<全衣装完全版>WWSチャンネル、2017年7月18日
  11. ^ “阿部桃子さん ミス・ユニバース世界大会で「ナショナルコスチューム賞」に輝く”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年11月27日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/11/27/kiji/20171127s00041000232000c.html 2017年11月27日閲覧。 
  12. ^ “ミス・ユニバース:日本代表に三重県代表のタレント加藤遊海さん”. まんたんウェブ (株式会社MANTAN). (2018年3月19日). https://mantan-web.jp/article/20180319dog00m200048000c.html 2018年3月19日閲覧。 
  13. ^ 『2018ミス・ユニバース・ジャパン』日本代表は加藤游海(三重県代表)が受賞<写真20枚>WWSチャンネル、2018年3月24日
  14. ^ (日本語) 現役大学生・加茂あこさんが『ミス・ユニバース』日本代表に 13キロ減量で「自分の強さにつながった」『2019 ミス・ユニバース・ジャパンファイナル NEW ERA』, https://www.youtube.com/watch?v=EL6-v9Di7Rk 2019年8月30日閲覧。 
  15. ^ 加茂あこさんがグランプリ ミスユニバースジャパン - 芸能 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com. 2019年8月30日閲覧。
  16. ^ 桑本美鈴 (2000年10月12日). “デジタルティーブイネット、エンターテインメントサイト"neoTV"のオープンイベントを開催”. ASCII.jp. KADOKAWA. http://ascii.jp/elem/000/000/317/317596/ 2016年5月1日閲覧。 
  17. ^ 『朝日放送の50年』(2000年3月)I本史 P146, P150
  18. ^ 「人物双曲線 ミス・ユニバースとミス・ワールド」『週刊朝日 昭和32年6月23日号』、朝日新聞社、1957年、 80頁。
  19. ^ 井上章一『美人コンテスト百年史 芸妓の時代から美少女まで』新潮社、1992年3月25日、150-151頁。
  20. ^ ミス・ユニバース日本代表になった難波央江さん『朝日新聞』1986年11月3日3面「ひと」コーナー
  21. ^ 美女日本代表2人決まる『中日新聞』1989年10月13日30面
  22. ^ ミス・フラワークイーン決まる『朝日新聞』1990年4月15日30面
  23. ^ ミス代表に三好さん『朝日新聞』1989年10月13日社会面
  24. ^ 日本代表は大学2年 '91ミス・ユニバース『中日新聞』1990年10月12日30面
  25. ^ 目指すは「世界一」笑顔と涙の両嬢『中部日本新聞』1959年6月13日7面
  26. ^ 日本代表に前田さん ミス・ユニバース『中日新聞』1972年3月25日社会面
  27. ^ 1975年ミス・ユニバース日本代表選出大会『毎日新聞』1975年3月23日(日曜)テレビ欄TBS 15:00~15:55。
  28. ^ 朝日放送(株) (2000年3月1日). “朝日放送の50年.3 資料集”. 渋沢社史データベース. 2016年5月8日閲覧。
  29. ^ 週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号 ミス・ユニバース ワールド 美の祭典 70頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]