ミス・ユニバース・ジャパン

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ミス・ユニバース・ジャパン
Miss Universe Japan
2016年度日本大会の会場に使用されたホテル椿山荘東京(東京都文京区)
2016年度日本大会の会場に使用された
ホテル椿山荘東京(東京都文京区
イベントの種類 コンテスト
通称・略称 MUJ
正式名称 ミス・ユニバース日本大会
開催時期 毎年3月
初回開催 1952年
会場 東京ドームシティホール(2011年)
大阪府立国際会議場(2012年)
東京国際フォーラム(2013年)
ホテル椿山荘東京(2014年~)
企画制作 IBGジャパン株式会社
運営 一般社団法人ミス・ユニバース・ジャパン
株式会社HDR
ホテル椿山荘東京への交通アクセス
最寄駅 東京メトロ有楽町線江戸川橋駅
直通バス 池袋駅から無料シャトルバスあり
駐車場 あり
公式サイト

ミス・ユニバース・ジャパン英語: Miss Universe Japan; MUJ)とは、1998年平成10年)に始まった新たなミス・ユニバース日本大会、及びその優勝者の名称である。企画・運営はフランスの女性実業家、イネス・リグロンが設立したIBGジャパン株式会社によって行われており[1]、優勝者は日本代表としてミス・ユニバース世界大会に出場する。

ミス・ユニバース世界大会の国別予選であるミス・ユニバース日本大会自体は、1952年昭和27年)の第一回からほぼ毎年行われており、1971年昭和46年)から1995年平成7年)までは、当時運営権及び放送権を有していた朝日放送によって開催されていた。その後はスポンサー不在のため、2年間に渡って日本大会が休止され、復活によって新たに開始されたのがMUJである。

ミス・ユニバース・ジャパン[編集]

第1回世界大会の開催に伴って1952年昭和27年)からほぼ毎年行われてきたミス・ユニバース日本大会は、1995年平成7年)を目途に休止となっていた。1998年平成10年)に始まったミス・ユニバースジャパンでは、原則として大会の優勝者(「ミス・ユニバース・ジャパン」)が、同年に行われるミス・ユニバース世界大会に、日本代表として出場する。日本代表からはこれまで、児島明子(1959年)と森理世(2007年)の2名が世界大会で優勝している。優勝者や入賞者を含むミス・ユニバース・ジャパンの参加者には、その後女優モデルタレントなどとして芸能界で活躍する者も多い。一方、大会での司会経験者には、俳優の石田純一(2007年)、タレントのLiLiCo(2008年)らが居る。現在では財団法人日本ミスコン協会がメインに特集する伝統ある大会の一つである。

歴代優勝者[編集]

1990年代[編集]

2000年代[編集]

2010年代[編集]

2011年度日本大会の会場・東京ドームシティホール(ミーツポート内)[2]
2012年度日本大会の会場・大阪府立国際会議場[3]
2013年度日本大会の会場・東京国際フォーラム[4]

優勝者以外の著名な出場者[編集]

大会関係者[編集]

フランス人で、1998年平成10年)にミス・ユニバース・ジャパンのナショナル・ディレクターに就任。世界大会での不振が続いていた日本代表を指導し、2008年までの間に日本代表を5度TOP15に残らせ、2006年第2位の知花くらら、2007年優勝の森理世を生み出した。2007年の世界大会で「ベスト・ナショナル・ディレクター」として表彰された。
  • エリカ・アンギャル
オーストラリア人で、2004年平成16年)にミス・ユニバース・ジャパンの栄養コンサルタントに就任。日本代表ファイナリストに栄養指導を行っている。15歳の時に大分県に語学留学した経験があり、日本語が堪能。著書に「“世界一美しい”A型美女になる方法」「世界一の美女になるダイエット」などがある。

テレビ放送[編集]

2008年平成20年)には、本大会までを密着したドキュメント番組がフジテレビ(関東ローカル)で放送された。2012年6月2日にもフジテレビと関西テレビ(関東および関西ローカル)で放送。2013年3月23日にはBS朝日テレビ朝日系BS放送局)で放送。

かつてのミス・ユニバース日本大会[編集]

日本大会は、ミス・ユニバース世界大会の初開催にあわせて1952年昭和27年)に始まった。優勝者は、日本代表となって、『ミス・ジャパン』として世界大会に出場した。

日本代表は1950年代、合計3人が上位入賞(総合5位以内)するという結果を残し、1953年昭和28年)の第2回大会で伊東絹子が第3位の評価を受けたほか、1959年昭和34年)には児島明子日本人有色人種アジア人として初の『ミス・ユニバース』の栄冠に輝いた。

日本大会は世界大会の日本予選としてほぼ毎年行われ、1971年昭和46年)から1995年平成7年)までは朝日放送が運営権を有していたが、1970年昭和45年)に上位入賞した島田純を最後に、1980年代の上位入賞は、1988年昭和63年)に『第3位』(総合第4位)を獲得した坂口美津穂(現姓・星野)ただ一人となった。それ以降も日本大会は盛り上がりを欠き、1990年代にかけて日本代表の上位入賞(総合5位以内)は皆無、1995年平成7年)に史上最年少での『ミス・ジャパン』となった佐伯成美を最後に、日本代表の世界大会出場は中断した。

日本大会では俳優の石田純一が、1992年平成4年)と翌年の2回、会場での司会を務めている。

歴代日本代表[編集]

1950年代[編集]

  • 1952年昭和27年): 小島日女子
  • 1953年昭和28年): 伊東絹子
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第2回世界大会に出場して『第2位』を獲得(総合第3位)
    • 伊東を現す「八頭身美人」は流行語となった
  • 1954年昭和29年): 近藤美恵子
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第3回世界大会に出場
    • 近藤はその後大映映画で活動 同年ミス日本コンテスト(ミスユニバースとは別のミスコン ミスユニバースの予選だったか詳細は不明)グランプリを受賞している
  • 1955年昭和30年): 高橋敬緯子
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第4回世界大会に出場して『第4位』を獲得(総合第5位)
  • 1956年昭和31年): 馬場祥江
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第5回世界大会に出場
  • 1957年昭和32年): 大谷享子
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第6回世界大会に出場して『トップ15』に入賞
  • 1958年昭和33年): 森武知子
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第7回世界大会に出場。『トップ15』に入賞し、特別賞も受賞
  • 1959年昭和34年): 児島明子
    • アメリカ・ロングビーチで行われた第8回世界大会に出場。日本人、有色人種として初めての『ミス・ユニバース』となる
    • 受賞後に俳優の宝田明と結婚、娘・児島未散は歌手

1960年代[編集]

  • 1960年昭和35年): 古野弥生
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた第9回世界大会に出場して『トップ15』に入賞
  • 1961年昭和36年): 遠山明美[7]
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場
  • 1962年昭和37年): 平野和子[8]
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場
  • 1963年昭和38年): 安藤矩子
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場して『トップ15』に入賞
    • 同世界大会では、当時の朝日放送常務・原清が審査員のひとりであった
  • 1964年昭和39年): 松本千都子[9]
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場
  • 1965年昭和40年): 片山まり[10]
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場
  • 1966年昭和41年): 池野温美
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場
  • 1967年昭和42年): 藤川香代子
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場
  • 1968年昭和43年): 飯野矢住代
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場し、特別賞を受賞
    • 飯野はジャニーズ事務所で初めての女性タレントであったが、21歳で死亡した
  • 1969年昭和44年): 大須賀喜久代
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場して『第4位』を獲得(総合第5位)

1970年代[編集]

  • 1970年昭和45年): 島田純
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場。『第3位』を獲得し(総合第4位)、特別賞も受賞
    • 島田は受賞後、ジャニーズ事務所で二人目の女性タレントとなり、「嶋田じゅん」として芸能活動
  • 1971年昭和46年): 武富茂子
    • アメリカ・マイアミビーチで行われた世界大会に出場。『トップ12』を獲得した。(総合第9位)
  • 1972年昭和47年): 前田晴美
    • プエルト・リコで行われた世界大会に出場し、『トップ12』を獲得(総合第9位)
    • 同世界大会における審査員には、当時の朝日放送社長・原清がいた
  • 1973年昭和48年): 染谷美代子
    • ギリシアのアテネで行われた世界大会に出場し、『トップ12』を獲得(総合第11位)
    • 同世界大会では、日本のファッションデザイナー・森英恵が審査員のひとりであった
  • 1974年昭和49年): 坪井江里子[11]
    • フィリピン・マニラで開催された世界大会に出場
    • 同世界大会における審査員には、当時の朝日放送社長・原清がいた
  • 1975年昭和50年): 中山幸子
    • エルサルバドルのサンサルバドルで行われた世界大会に出場し、『トップ12』を獲得(総合第12位)
    • 同世界大会における審査員には、当時の朝日放送社長・原清がいた
  • 1976年昭和51年): 岩国美弥子
    • 香港で行われた世界大会に出場
  • 1977年昭和52年): 佐藤恭子
    • ドミニカ共和国で行われた世界大会に出場
  • 1978年昭和53年): 萬田久子
  • 1979年昭和54年): 黒田百合香
    • オーストラリア・パースで行われた世界大会に出場し、特別賞を受賞

1980年代[編集]

1990年代[編集]

優勝者以外の著名な出場者[編集]

テレビ放送[編集]

主催者だった朝日放送(ABC)の制作により、宝田明の司会で全国放送されていた。腸捻転時代は、TBS系列にて放送され、腸捻転解消後はテレビ朝日(1977年3月まではNETテレビ)系列に移行した。ただし、腸捻転が解消されたにもかかわらず、その直後であった1975年昭和50年)だけは、各地区での募集を前年にTBS系列局が行った関係上、特例としてTBS系列で放送された[12]1976年(昭和51年)以降は主に「水曜スペシャル」などABCの単発特別番組枠で放送されていた。

1994年平成6年)の放送では、スタジオと会場の二元生放送が行われ、スタジオ司会を板東英二島田紳助、進行役を朝日放送アナウンサー岡元昇が務め、内容も吉本興業の芸人が多く出演しバラエティ色を強めたが、ミスユニバース日本事務局との放送権契約の終了に伴い、その年をもって朝日放送制作の中継が終了した。

『ミス・ユニバース・ジャパン』として復活する以前の最終年にあたる1995年平成7年)には、日本放送協会(NHK)が日本での権利を得て放送を行った。

ミス・ユニバース沖縄代表[編集]

アメリカ合衆国占領下の沖縄では、1963年昭和38年)からの6年間、独自の「沖縄代表」を選出、『ミス・オキナワ』として、世界大会に出場していた。しかしながら歴史上、沖縄代表の入賞はなかった。

歴代沖縄代表[編集]

  • 1963年 - レイコ・ウエハラ
  • 1964年 - トヨコ・ウエハラ
  • 1965年 - レイコ・アラカキ(リエコ・イングリッシュ
  • 1966年 - ヨネコ・キヤン
  • 1967年 - エツコ・オクヒラ
  • 1968年 - サチエ・カワミツ

現在はミスユニバースジャパン沖縄大会として運営されている

ミス・ティーン・ジャパン[編集]

応募資格が18歳以上26歳以下の「ミス・ユニバース・ジャパン」に対して、13歳以上17歳以下を対象にした「ミス・ティーン・ジャパン」も誕生した。

ミスター・ジャパン[編集]

男性を対象にした「ミスター・ジャパン」も誕生した。

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ “2011ミス・ユニバース日本代表に神山まりあさん”. マイナビニュース (マイナビ). (2011年6月18日). http://news.mynavi.jp/news/2011/06/18/008/ 2014年12月4日閲覧。 
  3. ^ “宮城県出身の原綾子さん、2012ミス・ユニバース・ジャパン日本代表に”. 東京ウォーカー (KADOKAWA). (2012年4月1日). http://news.walkerplus.com/article/29280/ 2014年12月4日閲覧。 
  4. ^ セクシービキニで美ボディ披露!「2013ミス・ユニバース日本大会」”. モデルプレス (2013年3月5日). 2014年12月4日閲覧。
  5. ^ 2016ミス・ユニバース日本代表は現役歯学生 憧れはオードリー・ヘップバーン”. ORICON STYLE (2016年3月2日). 2016年3月2日閲覧。
  6. ^ 桑本美鈴 (2000年10月12日). “デジタルティーブイネット、エンターテインメントサイト"neoTV"のオープンイベントを開催”. KADOKAWA CORPORATION. 2016年5月1日閲覧。
  7. ^ 全日本ミス・コンテスト ユニバース=遠山さん『毎日新聞』1961年6月15日社会面
  8. ^ 三美人日本代表きまる『毎日新聞』1962年6月15日社会面
  9. ^ 朝日新聞』1964年5月12日社会面「青鉛筆」コーナー
  10. ^ 片山さん出発 ミス・ユニバース大会の日本代表 『朝日新聞』1965年6月27日14面
  11. ^ 中日新聞』1974年3月25日社会面 「通風筒」コーナー
  12. ^ これは、TBS系列で全国同時ネットされた最後の朝日放送制作番組となった。なお、異系列ネットという関係上、TBS系列及びABCでのゴールデンタイムの編成が困難なため、土曜午後枠を使っての放送だった。関西地区のTBS系列を移譲された毎日放送(MBS)及びABCのキー局であるNETテレビは、当然ながらローカル番組または再放送を編成した。

外部リンク[編集]