大谷享子

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大谷 享子(おおたに きょうこ、1936年 - 2006年1月17日)は、戦後最大級のフィクサーと呼ばれた株式会社日美(東京・新橋)創業者・大谷貴義の長女である。1957年昭和32年)に『ミス・ジャパン』に選ばれ、日本代表として、同年7月にアメリカ・カリフォルニア州のロングビーチで行われた、第6回ミス・ユニバース世界大会に出場した。その大会で、当時21歳で身長168cm、体重55kg、スリーサイズ87-56-87[1]だった大谷はセミファイナルに進出、『トップ15』に入賞した。

作家の吉川英治のすすめにより、1960年昭和35年)、裏千家14世千宗室の三男・巳津彦と結婚した。媒酌人は、吉川夫妻と後に首相になった福田赳夫夫妻が勤めた。 1966年(昭和41年)、夫と死別し、日美の代表取締役社長に就任した。1997年(平成9年)、社長職を長男・裕巳(宗裕)に譲り、代表取締役会長に就任した。

2006年平成18年)1月17日、69歳で死去した[2]

弟の吉右は、大谷貴義同様、宝石卸・貸しビル業を営み、政財官界、芸能界、スポーツ界の著名人と深い親交関係がある。

脚注[編集]

  1. ^ ミス・ユニバース大谷さん、ミス・ワールド依藤さん『朝日新聞』1957年(昭和32年)6月10日7面
  2. ^ 大谷享子氏逝去『淡交』2006年(平成18年)4月号 135頁 淡交社

外部リンク[編集]