伊東絹子

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いとう きぬこ
伊東 絹子
Ito Kinuko 1953.JPG
1953年
プロフィール
生年月日 1932年6月29日
現年齢 86歳
出身地 日本の旗 日本 東京
瞳の色 ブラック
毛髪の色 ブラック
公称サイズ(1953時点)
身長 / 体重 165 cm / 52 kg
BMI 19.1
スリーサイズ 89 - 57 - 91 cm
備考 日本代表選出時は54kg, 90-60-92[1]
活動
デビュー 1951
ジャンル ファッション
モデル内容 一般・下着
備考 第2回 ミス・ユニバース世界大会 3位入賞
他の活動 女優・洋装店経営
事務所 エフ・エム・ジー
モデル: テンプレート - カテゴリ

伊東 絹子(いとう きぬこ、1932年6月29日 - )は、日本のファッションモデル女優である。1953年昭和28年)の『ミス・ユニバース・ジャパン』であり、同年アメリカ合衆国カリフォルニア州のロングビーチで開催された世界大会・第2回 『ミス・ユニバース』で第3位入賞した。

人物[編集]

『ミス・ユニバース』世界大会への日本代表としての出場は、前年(第1回大会)の小島日女子に続いて二人目であり、伊東は日本人初の入賞者となった。伊東は日本におけるファッションモデルの先がけのひとりとも言われ、ミス・ユニバースに入賞した昭和28年には、伊東の体形に因んだ『八頭身美人』が流行語となった[2]。小林製薬の冷蔵庫用脱臭消臭剤「キムコ」は「キヌコ」をもじったもの[3]

経歴[編集]

1932年昭和7年)、東京・に生まれる。東京都立鷺宮高等学校卒業[4]。虎ノ門タイピスト学院英文科卒業とする資料もある[5]

高校卒業後、自動車会社の事務員として働く。1951年昭和26年)、英字新聞 『英文毎日』(毎日新聞社)が開催したファッションコンテストに応募。東京から20名、大阪から15名の合格者のひとりとなる。「毎日ファッション・ガール」[6]の第一期生である。和江商事(のちのワコール)の下着ショーに出たこともある[7]

1953年5月31日、ミス・ユニバースの地方予選「ミス東京」で優勝[8]

同年、帝国劇場で開かれた[9]日本大会で児島明子らを抑えて[10]第2代目の『ミス・ユニバース・ジャパン』に選ばれる。同年7月17日[11][12](日本時間16日)にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチで行われた第2回ミス・ユニバース世界大会に、日本代表として出場した。当時21歳になったばかりだった伊東は、ここで3位に入賞した。伊東はいわゆる「八頭身」がもてはやされ、大東亜戦争太平洋戦争)での敗戦から8年にして日本女性の体形が国際水準に近づいた、と話題になった[13]

同年、毎日ファッションガールの岩間敬子、香山佳子らとともに、相島政子を代表とする団体『エフ・エム・ジー』を結成した。

また、女優として1954年昭和29年)から1956年にかけて映画・テレビドラマに出演。

その後はデザイナーを志し、1957年昭和32年)にフランスに渡って修業し、1958年昭和33年)9月、銀座みゆき通りに[14]洋装店「伊東絹子の店」を開いた[1]

1968年昭和43年)には[14]在フランス日本国大使館員と結婚した[4]。結婚後には一男をもうけ[15]、芸能活動は行わずに外交官夫人(専業主婦)[2]として過ごした。1974年昭和49年)時点では家族三人でスイスジュネーヴに住んでいた[15]

フィルモグラフィ[編集]

タイトル 配給・放送 備考
1956 4 18 のり平の三等亭主 茂子 東宝 原作『愉快な家族』(夏目咲太郎)[16]
1955 12 11 いらっしゃいませ 伊東絹子に似た美人 東宝 [17]
1954 5 12 わたしの凡てを 北村道子 東宝 スクリーンデビュー[18]
1954 4 17 Yankee Pasha Harem girl (as Miss Japan) Universal International Pictures (UI) クリスティアン・マルテルほか、世界の美女が出演
1955 10 16 力道山の夢 本人 日本テレビ 2回で打ち切り

・備考

『ヤンキー・パシャ』には、ミス・ユニバース1953参加者が何人か出演している。
クリスティアン・マルテル:ミス・ユニバース
マーナ・ハンセン:1st Runner-up
伊東絹子:2nd Runner-up
Maxine Morgan:4th Runner-up
Emita Arosemena:Semi-finalist
Synnøve Gulbrandsen:Semi-finalist
Alicia Ibáñez:Semi-finalist
Ingrid Mills:Semi-finalist

その他[編集]

1953年の国内大会で第2位、つまり伊東に惜敗した児島明子(当時、高知県在住の高校生)は、6年後の1959年昭和34年)、日本人初のミス・ユニバースとなった。ただし、国内に与えたインパクトは伊東が第3位入賞した時よりも小さかった[2]

世界大会出場当時の年齢について、毎日新聞の報道[13]は19歳とする。一方、サンデー毎日[12]および『芸能人物事典 明治・大正・昭和』[4]には昭和7年6月29日生まれと記載がある。これに基づくと当時21歳。本記事ではこの説を採る。

ノースカロライナ大学チャペルヒル校教授のジャン・バーズレイによると、日本国内での伊東の評価は賞賛から批判に転じた。身長と気位の高さが現代的だと好評を博したが、やがてそれは一転、アメリカ化の危険性を象徴するものとみなされた[19]

ミス東京と毎日ファッション・ガール[編集]

毎日ファッション・ガールの第一期生に、相島政子・岩間敬子・ヘレン=ヒギンス・香山佳子・井村はるみなどがいた。ミス東京に、伊東・岩間・ヘレンが参加している。伊東は、木村ヨウ子という変名で応募している。

和江商事[編集]

作家の北康利によると、伊東を含む下着モデルたちは、当初は無名だったが和江商事のモデルとなったことでステップアップしていった。団令子(映画女優)や山口富美子(ミス京都)、京藤敦子(1961,ミス・インターナショナル日本代表)、松本千都子(1964,ミス・ユニバース日本代表)らも和江商事のモデル出身である[7]

出典[編集]

  1. ^ a b 「伊東絹子」『週刊サンケイ』第8巻第29号、扶桑社、1959年、 34-36頁、 doi:10.11501/1809539ISSN 0559-9431
  2. ^ a b c 『現代用語の基礎知識』自由国民社、2010年1月1日、1264頁。ISBN 978-4-426-10128-2
  3. ^ 田中ひろみ (2015年7月27日) (日本語). 商品名の不思議な由来 (電子書籍). アドレナライズ. 
  4. ^ a b c 日外アソシエーツ編集部(編集)『芸能人物事典 明治・大正・昭和』日外アソシエーツ、1998年、64頁。ISBN 9784816915130
  5. ^ “伊東嬢第三位 1953年度 ミス・ユニヴァース”. 朝日新聞朝刊. (1953年7月19日) 
  6. ^ 知ってる?日本初のファッションショー”. 1242.com. 株式会社ニッポン放送 (2016年9月28日). 2019年3月20日閲覧。
  7. ^ a b 北康利 (2016年11月9日). “ミス・ユニバースまで輩出した下着ショーのモデル”. DIAMONDonline. 株式会社ダイヤモンド社. 2019年3月20日閲覧。
  8. ^ <あのころ>ミス東京に伊東絹子”. ORICON NEWS. オリコン株式会社 (2018年5月30日). 2019年3月20日閲覧。
  9. ^ 川口松太郎「優勝者と落選者」『週刊サンケイ』第8巻第29号、扶桑社、1959年、 10-16頁、 doi:10.11501/1809539ISSN 0559-9431
  10. ^ 目指すは「世界一」笑顔と涙の両嬢『中部日本新聞』1959年6月13日7面
  11. ^ “French beauty new Miss Universe”. The Day. Associated Press. (1953年7月18日). https://news.google.com/newspapers?id=O-8gAAAAIBAJ&sjid=xnIFAAAAIBAJ&pg=1881,2853159&dq=&hl=en 2018年11月13日閲覧。 
  12. ^ a b 「伊東絹子誕生記 ファッション・モデルはどこへ行く!」『サンデー毎日昭和28年9月6日号』、毎日新聞社、 4頁。
  13. ^ a b 伊東絹子さん、ミス・ユニバースで3位”. 昭和毎日. 毎日新聞社. 2019年3月19日閲覧。
  14. ^ a b あの大ブームダイエット仕掛け人たちは今”. 女性自身. 株式会社光文社 (2014年1月7日). 2018年10月4日閲覧。
  15. ^ a b 「23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに?」『週刊朝日 1974年5月3日号』、朝日新聞社、1974年、 139-143頁。
  16. ^ のり平の三等亭主”. Movie Walker. 株式会社ムービーウォーカー. 2019年3月19日閲覧。
  17. ^ いらっしゃいませ”. Movie Walker. 2019年3月19日閲覧。
  18. ^ わたしの凡てを(1954)”. Movie Walker. 2019年3月19日閲覧。
  19. ^ 吉原公美. “国際シンポジウム「デモクラシーのポスターガール」”. igs.ocha.ac.jp. お茶の水女子大学ジェンダー研究所. 2019年3月20日閲覧。

外部リンク[編集]