馬場祥江

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馬場 祥江(ばば よしえ)は、1956年昭和31年)のミス・ユニバース日本代表(『ミス・ジャパン』)である。

出身は、福島県若松市[1]1937年昭和12年)1月生まれで、両親は旅館を経営していた[2]。1956年、東京の産経ホールで開かれた日本大会で50人の各都道府県代表(特別参加の琉球を含む)の中から日本代表に選ばれた[3]。同年7月にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチで行われた第5回ミス・ユニバース世界大会にも日本代表として参加したが、世界大会においては無冠であった。当時は身長164cm、体重56kg、スリーサイズは90-60-95であった[4][2]。その後はレコードを吹き込んだりモデルをしていた[5]が、1958年昭和33年)7月12日[2]には、サンフランシスコ在住の日系2世、野島昇と結婚した[6]。野島は1951年昭和26年)に同市のチャイナタウンに開店したすき焼き店、『東京すきやき(Tokyo Sukiyaki)』を経営しており[7]、結婚当時38歳であった[2]

馬場は野島との結婚後、同市の観光名所、フィッシャーマンズワーフの正面、ジェファーソン通り(Jefferson Street)において、そのサンフランシスコにおける日本料理店の草分け的な店を夫婦で営んでいた[7]

1974年昭和49年)時点で36歳で、13歳の娘がいた[5]

脚注[編集]

  1. ^ 馬場が日本代表となる前年の1955年昭和30年)の合併で会津若松市となった
  2. ^ a b c d 週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号 ミス・ユニバース ワールド 美の祭典 40頁
  3. ^ 『週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号 ミス・ユニバース ワールド 美の祭典 70頁
  4. ^ 鈴木義一郎『情報量規準による統計解析入門』154頁 講談社 1995年 ISBN 9784061539358
  5. ^ a b 23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに?『週刊朝日』1974年5月3日号139~143頁
  6. ^ 馬場さん婚約 「サンフランシスコの二世でスキ焼店経営者野島昇さんと婚約、来月半ば式を挙げる」 『朝日新聞』 昭和33年6月24日 東京夕刊3面
  7. ^ a b <話の肖像画>元ミス・ユニバース日本代表 野島祥江さん(1-4) 『産経新聞』 東京夕刊 平成12年10月30日。同店の開店直後、サンフランシスコ講和条約の調印式が行われた9月8日には、夜遅くになって日本側代表団の随員や日本からの新聞記者らが大勢食事に訪れたという

外部リンク[編集]