内山岩太郎

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内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年2月28日 - 1971年11月19日)は、日本の外交官政治家実業家神奈川県知事(公選第1・2・3・4・5代)、テレビ神奈川初代社長。日本の国際連合加盟に貢献をした人物として知られる。群馬県前橋市出身。元丸紅ブラジル会社副社長の内山勇は三男。

経歴[ソースを編集]

国連加盟をめぐって[ソースを編集]

第二次世界大戦後の日本が国際連合への加盟を目指した時、ソ連をはじめとする共産圏諸国以上に大きな障壁として立ちはだかったのが、安全保障理事会非常任理事国フィリピンだった。内山はフィリピンとの交渉の中で、日本軍が破壊したマニラの大寺院の復興を条件にフィリピン側の譲歩を狙った。この戦法があたり、フィリピン側の譲歩につながった。ただし、寺の復興への協力は得られず、内山はひとりでこの事業に従事し、1958年までかかって完成させた。

人物[ソースを編集]

栄典[ソースを編集]

主な論文・著書[ソースを編集]

  • 「道州制の問題について」都市問題45(1954年)

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1975年に神奈川県神奈川区の県私学会館前に8.8mの立像が建立されたが、東日本大震災後、近隣住民より地震による倒壊を懸念する声が寄せられたため、2012年、立像を撤去した後、改めて胸像を設置している[3]

脚注[ソースを編集]

  1. ^ 第028回国会 外務委員会 第8号”. 衆議院 (1958年). 2018年5月15日閲覧。
  2. ^ 中野文庫 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧
  3. ^ 内山岩太郎元知事の立像撤去へ”. 神奈川新聞 (2012年). 2018年5月15日閲覧。

参考文献[ソースを編集]

  • 「光あらたに 内山岩太郎先生追慕の記」
  • 「横浜市史II 資料編3」