高橋敬緯子

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高橋 敬緯子(たかはし けいこ)は、1955年昭和30年)のミス・ユニバース日本代表であり、同年7月にアメリカ合衆国カリフォルニア州ロングビーチで行われた第4回ミス・ユニバース世界大会に出場し、第4位として入賞した(優勝者である『ミス・ユニバース』から数えて5番手評価)。当時は身長166cm、体重55kg、スリーサイズ86-64-89であった[1][2]

この際の日本での代表選考会の様子を撮影した写真家、林忠彦はその作品『日本代表誕生』が「バヤリース・フォト・コンテスト」で1等に入選、ミス・ユニバース世界大会に際しても高橋らと共に渡米して撮影を行っている[3]

2年ほどモデルを務めた後、三井物産社員と結婚した(夫は後に常務となった)。1974年昭和49年)時点で38歳で、14歳の娘があり、家族3人でニューヨークに住んでいた[4]。その後、夫は常務を退き、2015年平成27年)に86歳で死去し、敬緯子は告別式喪主を務めた[5]

脚注[編集]

  1. ^ 鈴木義一郎『情報量規準による統計解析入門』154頁 講談社 1995年 ISBN 9784061539358
  2. ^ 週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号 ミス・ユニバース ワールド 美の祭典 38頁によると、日本代表選出時は体重54kg、スリーサイズ85-56-86であった
  3. ^ 林忠彦プロフィール 「The Photographer」 富士フイルム
  4. ^ 23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに? 週刊朝日1974年5月3日号 139~143頁
  5. ^ 日本経済新聞』2015年7月18日39面“辻暎一郎氏が死去 元三井物産常務”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年7月17日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17HB8_X10C15A7CZ8000/ 2017年6月21日閲覧。 

外部リンク[編集]