ミス・ユニバース1960
ミス・ユニバース1960 | |
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開催日 | 1960年7月9日 |
司会者 | チャールズ・コリンウッド |
会場 |
アメリカ合衆国 フロリダ州 マイアミビーチ公会堂 |
参加 | 43 |
入賞 | 15 |
初参加 | |
不参加 | |
再参加 | |
優勝者 |
リンダ・ビメント ![]() |
好感度部門 |
ミン・ミン・メイ ![]() |
フォトジェニック部門 |
ダニエラ・ビアンキ ![]() |
前回 | 1959 |
次回 | 1961 |
ミス・ユニバース1960(Miss Universe 1960、第9回ミス・ユニバース世界大会)は1960年7月9日にアメリカ合衆国フロリダ州マイアミビーチ公会堂で開催された。ミスUSAのリンダ・ビメントがアメリカ人として3人目の優勝者となり、日本の児島明子からミス・ユニバースのタイトルを引き継いだ。児島からミス・ユニバース・ジャパンのタイトルを引き継いで出場した古野弥生はトップ15に入賞し、日本代表は4年連続入賞となった。
最終結果[編集]
入賞者[編集]
最終結果 | 参加者 |
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ミス・ユニバース1960 | |
第2位 | |
第3位 |
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第4位 |
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第5位 |
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トップ15 |
参加者[編集]
アルゼンチン - ロセ・マリエ・リンケ
オーストリア - エリサベト・ホダクス
ベルギー - ユベール・バックス
ボリビア - ナンシー・アギーレ
ブラジル - ジーン・ジーナ・マクファーソン
ビルマ - ミン・ミン・メイ
カナダ - エドナ・ダイアン・マクヴィカー
チリ - マリンカ・ポラメル・エスピノーサ
コロンビア - ステラ・マルケス
コスタリカ - レイラ・ロドリゲス
キューバ - フローラ・ラウテン・オヨス
デンマーク - リジー・エリノ・ヘス
エクアドル - イサベル・ローランド・セバージョス
イングランド - ジョーン・エリノア・ボードマン
フィンランド - マルヤ・レーナ・マンニネン
フランス - フローレンス・アンヌ・マリー・ノルマン・アイリー
ドイツ - イングルン・ヘルガルド・メッケル
ギリシア - マグダ・パサログロウ
オランダ - カリーナ・フェルベーク
香港 - ヴィヴィアン・チャン
アイスランド - スヴァンヒルドル・ヤコブスドッティル
イスラエル - アリジャ・ガー
イタリア - ダニエラ・ビアンキ
日本 - 古野弥生[1]
ヨルダン - ヘレン・ギアタナポウルス
韓国 - ソン・ミージャ
レバノン - グラディス・タベット
ルクセンブルク - マリー・ヴェントゥーリ
モロッコ - マリリン・エスコバル
ニュージーランド - ロレイン・ナワ・ジョーンズ
ノルウェー - ラグンヒル・オース
パラグアイ - メルセデス・テレサ・ルギア
ペルー - メダリト・ガリノ
ポルトガル - マリア・テレサ・モッタ・カルドーゾ
南アフリカ - ニコレット・ジョーン・カラス
スペイン - マリア・テレサ・デル・リオ
スリナム - クリスティネ・イエ・サム・フェック
スウェーデン - ビルギッタ・オーフリング
スイス - エレイン・マウラト
チュニジア - マリー・ルイーズ・カリゲス
ウルグアイ - イリス・テレサ・ウバル・カブレラ
アメリカ合衆国 - リンダ・ジーン・ビメント
ベネズエラ - マリー・キロス・デルガド
ノート[編集]
交代者[編集]
デンマーク — アンテ・ミュラーは年齢が16歳で失格となり、リジー・エリノ・ヘスに代わった。
辞退者[編集]
特別賞[編集]
参考文献一覧[編集]
- “Miss Universe 1960”. pageantopolis.com. 2012年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月21日閲覧。
脚注[編集]
- ^ a b “Pageant Has Its Hassles”. en:Reading Eagle. (1960年7月2日) 2016年4月17日閲覧。