森英恵

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森 英恵
Hanae Mori 1974.jpg
1974年当時の森英恵
生誕 (1926-01-08) 1926年1月8日(96歳)
日本の旗 日本島根県
出身校東京女子大学
職業ファッションデザイナー

森 英恵(もり はなえ、1926年1月8日 - )は、日本の女性ファッションデザイナー地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。文化勲章レジオンドヌール勲章オフィシエ章を受章。

1965年にニューヨーク・コレクションで成功をおさめ、日本人デザイナーの海外進出の先駆けとなった[1]。1977年には東洋人として初めてパリ・オートクチュール協会のメンバーとなる[1]バルセロナおよびリレハンメルオリンピックの日本選手団の公式ユニフォームのデザインや、海外のオペラやバレエの舞台衣裳を担当するなど、ファッション界の第一人者として活躍した[1]。2004年7月のパリ・コレクションで引退[1]

人物・来歴[編集]

島根県鹿足郡六日市町(現在の吉賀町)生まれ[2]。父親は山口県医師の家系に生まれ、大阪で医学を修めた後、母親の郷里である六日市町で開業医となる。父は幼い頃から姉妹の着る服を大阪の髙島屋東京三越から、メールオーダーで取り寄せていた[3]

5人きょうだいの4番目で、2人の兄と姉、妹がいる。長兄は東京帝国大学医学部(現在の東京大学医学部)を卒業後、29歳の時に結核で病死した。次兄も同じく結核を患い20歳の若さで他界した。姉は跡見女学校から帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学医学部)に進んだ[4]

小学4年生の2学期、現在の杉並区立桃井第三小学校に転入[3]1938年、創立して間もない東京府立第十一高等女学校(現在の東京都立桜町高等学校)に入学。1943年、東京府立桜町高等女学校を一期生として卒業[4]。同年、東京女子大学高等学部に入学し国文学を学ぶ[5]1947年、同大学を卒業。1948年、学生時代に勤労動員の工場で知り合った元陸軍主計少佐森賢と結婚する[4]

夫の家業であった繊維会社で働きながら洋裁学校「ドレスメーカー女学院」に通い[2]1951年昭和26年)、新宿東口に洋裁店「ひよしや」を開いた[3]

1950年代日本映画全盛期に、『太陽の季節』、『狂った果実』、『彼岸花』、『秋日和』、『秋刀魚の味』、『四十八歳の抵抗』等、400本にものぼる映画衣装を手掛けた。[6]

1954年銀座ブティックサロン「ハナヱ・モリ」オープン[7]

1965年ニューヨーク・コレクションに初参加。をモチーフにした女性的でエレガントなドレスが受け、マダム・バタフライと呼ばれてファッション界の話題になった。その後ニューヨークでの好評をうけてパリ・コレクションにも進出、1977年にはファッション業界において最も権威的であり、非常に閉鎖的でもあったフランス・オートクチュール協会(Fédération française de la couture)から、アジア人として初めて会員として認められた。

これらは、その後の日本人デザイナーの世界進出や、クチュールメゾン(デザイナーハウス)の巨大ビジネス化に寄与している。洋服だけでなく、ハナエモリのロゴと蝶のマーク(田中一光デザイン)を冠したライセンス商法をスタートさせ、タオルや魔法瓶、トイレのスリッパに至るまで商品数を増やし、事業の幅を広げた。それまで小規模なビジネスであったクチュール業界において、百億円に近いビジネス拡大は世界のファッション業界を驚かせるもので、ファッションビジネスの未来を切り開いたとして評価される。

顧客にはグレース・ケリー(モナコ王妃)、ソフィア・ローレンなどが名を連ねた。

1983年青木定雄の懇請によりエムケイタクシーの制服のデザインを制作。それは2005年10月までの22年間使用された。

1988年、美空ひばりの病からの復活コンサートでの不死鳥をイメージした衣装をデザインした(美空ひばりは森英恵のアイテムなどを愛用していた)。

1992年、バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニフォームをデザインした。

1993年、皇太子妃雅子の結婚の儀の際に着用したローブ・デコルテ(胸元を露出した女性の最高礼装)をデザインした。のちに島根県立国際短期大学客員教授に就任した。

雲南市立大東中学校の制服(ブレザー、男女)をデザインした

1996年10月、世界でビジネスが拡大していた最中に夫の森賢が死去[8]

2008年、法人内の高等学校において制服デザインも手がけている学校法人都築学園の「都築学園グループ評価・再生委員会」の委員となる[9]

公益財団法人彫刻の森芸術文化財団理事を務めており、2012年7月、彫刻の森美術館美ケ原高原美術館館長に就任。

ハナエモリ[編集]

2010年に取り壊されたハナエ・モリビルの跡地(東京・表参道

欧米での展示会が好評となり、日本でオリジナルファッションを受注する店を開いた。初期に蝶のモチーフで有名になったため、永続的にブランドのシンボルとしている。彼女の名を冠したハナエモリ(Hanae Mori Co.,Ltd.)は、その名の通り森英恵が1951年に設立したオートクチュールメーカーである。

全盛期の1980年代後半には国内6社、海外4社のグループの年商は400億円以上といわれた[10]

その後バブル崩壊の影響もあり2002年5月30日民事再生法を申請、受理され負債総額101億円で倒産した。倒産を前に2002年プレタポルテ部門をライセンス事業を三井物産ロスチャイルドグループへ売却。プレタポルテ事業に関しては、三井物産が100%株を保有する形で現在に至るまで存続している。

その後、社長に石坂公之助を迎え、森英恵自身は、新会社「ハナエ・モリ」でオートクチュール事業を継続。

森英恵は2004年7月7日、パリでA/Wオートクチュール・コレクションを最後に引退。そのコレクションには多数の有名人が駆けつけ、最後はスタンディングオベーションで迎えられた。作品は、歌舞伎役者の描かれたロングドレス、日本風の花がプリントされたスカート、かんざしを使用するなど日本を意識した内容であった[11]

その後、9月9日に東京・新国立劇場で最後のショーを行った[12]

受賞[編集]

家族[編集]

夫・森賢はハナエモリ元代表。2人の息子がいる。長男・森顕(元インファス代表)とイタリア系アメリカ人の妻、森パメラ(元モデル)との間には、ファッションモデルタレント森泉森星のほか、長男の森研M-ENTERTAINMENT社代表[16])、次男の森勉、次女の森雪YM Design Studio LLC 代表[17]。さらに結婚はしていないが、森雪がニューヨーク留学中に出会ったESPNに勤めるユダヤ系アメリカ人のジョナサン・ルトナー[18]とその間に生まれた息子が、ロサンジェルス市ヴァン・ナイズに在住している。曾孫もいる。 森家の総資産は1000億円以上と言われている。

著書[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 森英恵”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年4月3日閲覧。
  2. ^ a b 森 英恵”. Amazon Fashion Week TOKYO. 2018年4月26日閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ a b c 森 英恵 ─主婦がはじめた洋装店”. WISDOM (2005年10月3日). 2018年4月26日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ a b c 服と共に70年 森英恵 : まとめ読み : ニュース” (日本語). 読売新聞オンライン (2019年1月10日). 2022年3月2日閲覧。
  5. ^ 東京女子大学-活躍する卒業生”. www.fbc.keio.ac.jp. 2022年3月2日閲覧。
  6. ^ ファショコン通信 ハナエモリのブランド情報
  7. ^ HANAE MORI ブランドヒストリー
  8. ^ コラム [リンク切れ]中国新聞
  9. ^ [1][リンク切れ]
  10. ^ 堀江瑠璃子『世界のスターデザイナー43』未来社、2005年、256頁
  11. ^ ハナエモリ(森英恵) : HANAE MORI - ファッションプレス. 2022年4月3日閲覧
  12. ^ 堀江瑠璃子『世界のスターデザイナー43』未来社、2005年、259頁
  13. ^ a b c d e f 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ). “森英恵”. コトバンク. 株式会社DIGITALIO. 2022年4月3日閲覧。
  14. ^ 紀本知恵子 (2020年2月25日). “追記:腕一本で時代を切り開いたデザイナーの軌跡 水戸芸術館で「森英恵 世界にはばたく蝶」展開催”. WWDJapan. 2022年4月3日閲覧。
  15. ^ 過年度受賞者(第21回~第30回)|毎日ファッション大賞 MAINICHI FASHION GRANDPRIX. 2022年4月3日閲覧
  16. ^ KEN MORI[リンク切れ]. WWD
  17. ^ YUKI MORI RUTNER[リンク切れ]. Elizabeth Street
  18. ^ Jonathan M Rutner [リンク切れ]. Linkedin

関連項目[編集]

外部リンク[編集]