サンプラザ中野くん

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サンプラザ中野くん
Sunplaza Nakano.jpg
基本情報
出生名 中野裕貴
別名 サンプラザ中野
山口のばら
生誕 1960年8月15日(56歳)
出身地 日本の旗 日本 山梨県甲府市
学歴 早稲田大学政治経済学部政治学科除籍
ジャンル J-POP
ロック
職業 作家
ミュージシャン
担当楽器 ボーカル
活動期間 1980年 -
レーベル CBSソニーSony Records
1984年 - 1999年
トイズファクトリー
2012年 -)
事務所 アミューズ
共同作業者 スーパースランプ
爆風スランプ
公式サイト SunplazaNakanoKun サンプラザ中野くん公式サイト

サンプラザ中野くん(サンプラザ なかのくん、1960年8月15日 - )は、日本ミュージシャン作家。本名、中野 裕貴(なかの ひろたか)。山梨県甲府市生まれ、千葉県育ち。アミューズ所属。千葉県立東葛飾高等学校卒業、早稲田大学政治経済学部政治学科除籍。「山口のばら」名義で作詞も行なっている。

身長181cm、体重74kg。血液型はB型。左利きスキンヘッドサングラストレードマーク

2008年1月15日日本テレビ系列『踊る!さんま御殿!!』にて、芸名を「サンプラザ中野」から、「サンプラザ中野くん」へ変えたことを発表した。

来歴[ソースを編集]

千葉県立東葛飾高等学校パッパラー河合と出会い、早稲田大学在学中の1980年に河合を含む同校OB数名が結成したスーパースランプに参加。アマチュアバンドのコンテストであるヤマハ・イーストウェストに出場し、常識破りのパフォーマンスなどが高評価を得た。このときの会場が東京中野駅前にある中野サンプラザであったことにちなみ、本名が中野であることと掛けて芸名が決定された。中野サンプラザはPRになるとして名称の使用を許可している。

1982年、同じくイーストウェストに出場していた爆風銃(バップガン)のドラマーであったファンキー末吉の勧誘を受け、河合とともにスーパースランプを脱退、爆風スランプを結成する。以降、爆風スランプのフロントマン、ボーカリストおよび作詞担当として活躍した。

爆風スランプの知名度が高まるとともに、中野個人のパフォーマンスや話術も注目され、『サンプラザ中野のオールナイトニッポン』などのパーソナリティも担当した。またこの頃、河合とともにフォークユニット「The花びら」を結成し、爆風スランプと並行して活動した。

1992年、テンペストを考案し、エポック社から発売した。リバーシに近い複数で出来るボードゲームで、箱には「考案者」として中野の写真が印刷されている。

1999年に爆風スランプが活動を休止すると、かつてのバンド名を冠した新ユニット、スーパースランプを河合とともに結成した。また株取引に傾倒し、雑誌連載記事や入門書の執筆、経済番組への出演なども行う。その他、自身のダイエット成果を記述した健康に関する本も執筆した(ダイエットに関しては、本を出版した際の記者会見で更年期障害にかかっていたことを告白した。男性でも更年期障害があることが世間に知られたことで話題となった)。

2001年に、NHK全国学校音楽コンクール小学校の部の課題曲「ロボット」の作詞を担当した(福田和禾子作曲)。

現在は、ラジオのパーソナリティや各種の雑誌連載・小説の執筆など、多方面で才能を発揮している。また、前述の株式関連のほかに、外為どっとコムのホームページ内で外国為替証拠金取引関連のブログを執筆している。外為投資のセオリーを無視した投資スタイルは、役立つ情報を提供するとともに閲覧者参加型のブログとして成り立っている。外為投資では昨年後半からの下落相場でトレンドの波に乗るという投資の基本が着実に身につき、2007年秋に黒字転換してからはそれなりの成績を残していたが、評価残高の乱高下が激しく資金管理の面では初心者の域を脱しきれず、一時期元手の倍以上に増やした資金の大半を2008年8月から9月のわずか2か月間で失ってしまった。

2006年8月26日8月27日、所属事務所の先輩であるサザンオールスターズ桑田佳祐の呼びかけに応え、『THE 夢人島 Fes.2006』に参加。

2006年9月、地元・柏エリアの後輩アーティスト育成のための音楽レーベル“柏兄弟”(外部リンク参照)を設立。プロデューサーとしても活動する。

2015年、バイきんぐの小峠英二とユニット「坊坊主(ボーボーズ)」を結成し、8月26日にアルバム「励ます」をリリース[1]

人物[ソースを編集]

私生活では離婚を経験。なお前妻との間に娘が一人いたが、その命名は爆風スランプのデビューアルバムのタイトルにちなんだと中野本人が談話。

千葉県立東葛飾高等学校では陸上競技部に所属(種目はやり投げ)。現役時に5校ほど大学を受験し、早稲田大学社会科学部に合格したが志望校には受からず浪人する。当時の彼女に「努力しない人は嫌い」と言われフラれるが、振り向いてもらいたい一心で偏差値の高いところを目指し、一浪を経て1980年に早稲田大学政治経済学部政治学科に合格。彼女とは付き合いを再開したが、バンドにのめりこみ、1年半後にはまたフラれた。大学には8年間在籍したが、1988年に除籍される。なお、一部では卒業と記載されたプロフィールが見られるが誤りである。

デビュー後より何度も各メディア(近年では『行列のできる法律相談所』など)でスキンヘッドにした理由を語っているが、バンドを始めたばかりの頃、とあるコンテストに応募した際のミーティングの席で他のメンバーに「俺たちは音楽的にはバッチリだから、後はボーカルのビジュアルじゃないか?」「どうだろう? 中野が頭を剃るっていうのは?」と言われ、最初はさすがにためらったが「みんなが1000円ずつくれたらいいよ」と言ってしまった。渋谷屋根裏でのライヴでスキンヘッドデビューをし、それ以来ずっとスキンヘッドにしているという。

サングラスを外した姿をほとんど見せない。かつて『史上最強のメガヒットカラオケBEST100 完璧に歌って1000万円!!』に出場した際、得点表示するカラオケ機械が一定以下の点数しか示さなかったときは罰として天井からの水をかぶる企画で、歌う前に「水をかぶった際にはモザイクでお願いします」と言ったほどである。ただし、デビュー当時は「たいやきやいた」の歌唱の際にサングラスを外し、アフロヘアーのかつらをかぶった姿で歌ったり、その後も時折ライブでのパフォーマンスとしてサングラスを一瞬外すこともあった。なお、ブレイク時より「極度の近眼」と語り、サングラスにも相当の“度”を入れているとのこと。

アルフィー坂崎幸之助と顔が似ており、『サンプラザ中野のオールナイトニッポン』で二人の素顔の比較を行った。その時ゲスト出演した坂崎以外のアルフィーのメンバーとパッパラー河合によると、とにかく目が似ているとのこと。『夜のヒットスタジオ』でも同様の企画が試みられており、当初は中野がメガネをかけ、坂崎の髪型(当時坂崎はカーリーヘアだった)に似せたカツラをかぶることになったが、このとき中野は「事務所に怒られる」と言ってあわててサングラスに戻している。サングラスを外さないことは周知の不文律となっている。

西式健康法を中核とした甲田光雄の健康法に傾倒しており、4カ月で20kgやせたと著書で述べている[2]ほか、甲田との共著も出版している[3]2007年8月には大学時代の後輩でもある元聖飢魔IIデーモン小暮閣下の紹介で『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際、最近肉類をほとんど口にしていない、いわゆるベジタリアンであることを明かした。

阪神ファンとして知られている。一時期『おはよう朝日です』にもレギュラー出演し、2003年阪神タイガースセ・リーグ制覇した当日深夜に放送された優勝特番にも出演した。2004年の球界再編問題ではプロ野球選手が歌う白いボールのファンタジーに参加している(収録されたCDは当時球場で配られたもので非売品)。

漫画などにそっくりのキャラクターがしばしば登場している。代表的な漫画には『TO-Y』、『BANANA FISH』、『B・B』などがある。『TO-Y』は本人も好きな作品であるが、読み終わるまでは気づかなかったらしい。

仕事で東阪移動が頻繁になった際に飛行機を多用していたことからANAマイレージクラブの上級会員となっており、スーパーフライヤーズカードも所有している。上級会員資格に必要な査定ポイントが不足すると判明したときに、純粋に飛行機に搭乗するだけといういわゆるマイル修行を行っていたことも明らかにした[4]。また、社名や商品名こそ出さなかったものの、ANAのルートきっぷ(当時)を利用して八丈島を周遊し、スーパーフライヤーズカードを入手する話も自身のコラムで執筆していた。

環境問題などにも関心が高い。TOTOが2017年を目処にCO2を50%削減させるキャンペーンの一環として行なった、バイオ燃料で走行する改造三輪バイク「トイレバイク ネオ」[1]の活動に興味を示し、2011年11月、応援ソング「トイレバイクネオ OH! OH!」を提供した。[5]

山梨県でいつ頃まで過ごしたのかは公表されていないが、テレビ朝日系『たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学』には、山梨県出身の芸能人として出演し、同県民の風習と特定の病気が少ないこととの関連について解説した。

芸名[ソースを編集]

  • 2006年10月16日、テレビ朝日のニュース番組『ワイド!スクランブル』の初出演時に「コメンテーターとして出演する際には『サンプラザ・ホメオパス・中野』とします」と公言し、以後も文化人としての活動にその名義を使用しており、著書もある(『平和なカラダ』ISBN 978-4877585112)。ホメオパスとはホメオパシーを行う者のことで、中野は4年をかけ免許を取得したという[6]
  • 2008年1月13日流山市の成人式にて、芸名を「サンプラザ中野くん」にすることを先駆けて発表。2008年1月15日日本テレビ系列で放送した『踊る!さんま御殿!!』内で芸名変更を正式に発表した[7][8]。友人から「改名して2画増やしたほうがいい」とのアドバイスを受け、その友人から候補として送られてきたのが「サンプラザ中野くん」で、本人がこれを面白がり採用した[9]。この「サンプラザ中野くん」名義は『ファイテンション☆スクール』では芸名変更発表以前から使用していた。2008年6月15日放送の『熱血!平成教育学院』に出演した際、この番組ではパネリストは君付けで呼ばれるため「サンプラザ中野くん君」と呼ばれていた。本人は、敬称を付けず『サンプラザ中野くん』と呼び捨てにしてほしい、とTwitter等で発言している[10]

ディスコグラフィ[ソースを編集]

アルバム[ソースを編集]

  1. 3rd LOVE/The Best Ballads2007年7月11日) - 「サンプラザ中野/B」名義
  2. 「歌うパワースポット〜セドナ・ハワイ編〜」(2012年3月7日、TFCC-86377)
  3. 励ます(2015年8月26日) - 「坊坊主」名義[1]

シングル[ソースを編集]

  1. これが青春だ」(1991年9月1日) - パッパラー河合と組んだ「The 花びら」名義。布施明のカバー。エースコック「スーパーカップ」CMソング
  2. 「We Love RUNNER」(2014年4月23日、mmclub) - iTunes Store配信

作詞[ソースを編集]

「交差点」 作詞:山口のばら[11]、作曲:西木栄二
「ラストシーン」 作詞:山口のばら、作曲:西木栄二
「東の島にブタがいた Vol.2」 作詞:サンプラザ中野、作曲:ファンキー末吉、編曲:爆風スランプ
「パーティー」 作詞:サンプラザ中野、作曲:久保田利伸、編曲:松本晃彦
「Moon Light」 作詞:サンプラザ中野、作曲:久保田利伸、編曲:松本晃彦
「バージン・クライシス」 作詞:サンプラザ中野、作曲・編曲:つのごうじ
「恋の終わりはいつも」 作詞:サンプラザ中野、作曲・編曲:中崎英也
「埋没した恋心」 作詞:サンプラザ中野、作曲:藤岡正明、編曲:水谷公生
「もう一度キスしよう」 作詞:サンプラザ中野、作曲・編曲:西脇辰弥
花のように」 作詞:Sunplaza、作曲:吉田美智子、編曲:佐橋佳幸
HELLO,I LOVE YOU.」 作詞:サンプラザ中野 作曲・編曲:M・KAWAI

出演[ソースを編集]

テレビ[ソースを編集]

ラジオ[ソースを編集]

舞台[ソースを編集]

映画[ソースを編集]

CMソング[ソースを編集]

コラム[ソースを編集]

雑誌[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ a b サンプラザ中野くんとバイきんぐ小峠、新ユニット「坊坊主」結成”. お笑いナタリー (2015年7月14日). 2015年7月14日閲覧。
  2. ^ 『痩せ方上手 サンプラザ中野の簡単"健幸"マニュアル』 講談社 2003年
  3. ^ 『食べ方問答―少食のすすめ 我が心の師に健康道の奥義を訊く!』 マキノ出版 2008年
  4. ^ 2009年3月、ANA広報誌「SORANA」インタビューにおける本人の談話。
  5. ^ 応援ソング「トイレバイクネオ OH! OH!」
  6. ^ サンプラザ中野、実は“一部”改名していた!」2006年11月7日、オリコン。
  7. ^ サンプラザ中野さんが改名」2008年1月16日、MSN産経ニュース。
  8. ^ サンプラザ中野、“サンプラザ中野くん”に改名」2008年1月16日、オリコン。
  9. ^ 2009年2月13日放送『ラジかるッ』にて本人談。
  10. ^ spnkのツイート (133478180647469056)
  11. ^ サンプラザ中野のペンネーム
  12. ^ http://www.cqpub.co.jp/cqham/cqhamwww/2010/cq2010_12/index12.htm

外部リンク[ソースを編集]