桂南光 (3代目)

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三代目 桂 南光さんだいめ かつら なんこう
三代目 桂 南光
結三柏は、桂米朝一門の定紋である。
本名 森本 良造
(もりもと りょうぞう)
生年月日 (1951-12-08) 1951年12月8日(67歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府南河内郡千早赤阪村
師匠 2代目桂枝雀
名跡 1. 三代目桂米歌子(1970)
2. 3代目桂べかこ(1970年 - 1993年)
3. 3代目桂南光(1993年 - )
出囃子 猩々
活動内容 上方落語
配偶者 あり
所属 米朝事務所
受賞歴
受賞歴の項目参照
備考
上方落語協会会員(1970年 - 1994年)

3代目 桂 南光(3だいめ かつら なんこう、1951年12月8日 - )は、上方噺家上方落語家)、タレント司会者。本名は森本 良造(もりもと りょうぞう)。母方は千早赤阪村の笠脇氏。大阪府南河内郡千早赤阪村出身。四條畷市在住。芸能事務所米朝事務所常務取締役。写真事務所株式会社フォトライブ常務取締役。出囃子は『猩々』。桂べかこ時代の愛称は「べかちゃん」、桂南光になってからは「なんこやん(なんこうやん)」。

来歴[編集]

高校時代までは漫画家志望であった[1]

今宮工高在学時に『素人名人会』(毎日放送)に漫談で出演したことがある。その時に楽屋で初めて3代目桂米朝に会い、サインを貰う。そのころに聴いていたラジオ番組『オーサカ・オールナイト 叫べ!ヤングら』(ラジオ大阪)がきっかけとなり、同番組でディスクジョッキーをしていた2代目桂枝雀(当時:桂小米)のもとを訪れる(南光自身の証言では高校3年生になった頃)[2][3]。南光には枝雀が落語家という認識がなく、卒業後の進路も決まらない中で、他のディスクジョッキーにはないような話題(「宇宙の話とか死後の世界とか、仏教的な話」)をする枝雀を「いい人や」と感じて出かけ、特に落語家になろうと考えてはいなかった[2][3][4]。喫茶店で話を聞いた枝雀は「落語を聞いたことがない」という南光に、「まず落語を聞いてから」と京都安井金比羅宮での米朝一門勉強会(「桂米朝落語研究会」)を案内する[2][3]。1969年4月27日の勉強会を観覧した後に枝雀に感想のレポートを書き、それを読んだ枝雀から自宅に来るように言われる[2][3]。訪問した南光に枝雀はすぐに稽古を付け、以降枝雀宅の訪問が何度か続き、夏休みには枝雀の家(当時は高校の恩師宅に間借りしていた)に住み込んだ[5]。南光はそのまま高校を中退して弟子入りしようとしたが、枝雀からは「せっかく今までいってたんやから」と、高校卒業後に入門を許された[5]。入門は1970年3月3日である[6]。高座名は、3代目桂米歌子(3か月ほど名乗った後に桂べかこに改名)を名乗ることになった。この高座名は米朝の提案で、枝雀も同意して決まった[7]

枝雀は当初「ぼくは弟子を取れる身分ではない」と断ったそうである。ただ、大師匠である米朝が勧めたこともあり、「ならば、一緒に落語を勉強しよう」ということで弟子に採ったという経緯がある。[要出典]枝雀は「兄弟のような関係でやっていこう」と自分のことを「師匠」ではなく「兄さん」と呼ばせるようにしたが、南光が「兄さん」と呼ぶのを聞いた米朝から、二人揃って「師匠に対して兄さんとは何事か」「それではけじめがつかんやないか」と叱られたという[2]。南光は内弟子を2年間続け、その間に20ものネタを枝雀から伝授された[2]。入門翌月の4月6日、安井金刀比羅宮での米朝一門勉強会で『始末の極意』を演じたのが初舞台となる(ただし、その前に尼崎市武庫之荘での小さな落語会でやはり『始末の極意』を演じている)[8]

入門翌年の1971年11月に朝日放送が開催した「1080分落語会」では開会の「口上」の直後に最初の演者として『江戸荒物』を演じた[9]

1972年8月に、桂米之助東大阪市の自宅近くで始めた勉強会「岩田寄席」に、師匠の推薦で参加[10]。ともに参加した笑福亭松葉桂春若桂米輔桂米太郎はいずれも同年の入門(1970年=昭和45年)だったことから、5人は「花の四十五年組」と称された[10]。この5人はその後も「落語集団・岩田寄席」という活動をしたり、松葉の結婚を南光と春若が支援するなど公私で関わりを持った[11]

1984年11月にサンケイホールで初の独演会を開催[12]。米朝一門でサンケイホールでの独演会は米朝・枝雀・2代目桂ざこば(当時は桂朝丸)に次いで4人目で、初開催時の年齢は4人の中で最年少だった[12]。以降もサンケイホールでの独演会は2003年の第20回まで開催され[13]ハウス食品の即席麺「好きやねん」のテレビCMに出演していた頃には、来場者土産として「好きやねん」の現物を配っていた[12]

一方、1992年に朝日放送テレビで『べかこの自遊時間』が始まり、翌1993年4月には関西テレビのローカル生番組『やる気タイム10』(10月より『痛快!エブリデイ』)で司会を務めるなど、テレビでのMC・司会にも進出した[14]。『やる気タイム・10』が始まるときには、もう一人の司会を決める際に笑福亭松葉を希望し、番組開始後はそのフォローに「松っちゃんが、居てくれるだけで助かった」という[15]

1993年11月に「3代目桂南光」を襲名[16]。「南光」の名跡は、初代が桂文左衛門(2代目桂文枝)、2代目が桂仁左衛門の前名であり、いずれも桂派の大立者が名乗った由緒あるものである。襲名は米朝の薦めによるものだが、当初は「萬光」にするかどうかで迷ったという。[要出典]同年7月の襲名発表の記者会見の際、枝雀は「べかこの"こ"の響きと、千早赤阪村出身ということで、ご当地の楠木正成が『楠公』さんと呼ばれていることにもちなんで」と命名理由を説明した[17]。襲名に際しては、襲名披露の前日に10回目の独演会を「さよならべかこ独演会」と称して開催している[16]

襲名後は2代目桂ざこば5代目桂米團治らとの落語会などもおこなっており、2004年からは桂文珍笑福亭鶴瓶との落語会「夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板」を開催している。

枝雀の惣領弟子だが、それよりも「米朝の弟子」という色合いのほうが強い扱いで、そのあたりが雀三郎以下の弟弟子との違いである。一門の香盤順位も現在は、ざこば、桂朝太郎桂米蔵に次ぐ4番目(ただし朝太郎と米蔵は米朝事務所に所属しておらず、事務所の公式サイトのプロフィールでは3番目で米朝やざこばとともに写真も大きく表示されている)と、米朝の孫弟子としてはかなり優遇されている(例:ざこばは南光を呼び捨てにしない)。

得意ネタ[編集]

初代桂春団治のSPレコードをもとにアレンジした[18]

他多数。自作、枝雀作の新作落語もやっていた時期もある。東京のネタを上方に仕立て直したりもする(「火焔太鼓」は夫人のリクエスト作で、小佐田定雄と共に練り上げたという)。

人物[編集]

歯に衣着せぬ物言いとダミ声が特徴である。師匠の枝雀は、浄瑠璃ネタの演目を取り上げて解説を加える際に「稽古で声を褒めようがない生徒」の例としてしばしば南光の名を出し、物真似まじりでその悪声をからかった。

週刊ヤングマガジンで連載されていたマンガゴリラーマン』の登場人物「田辺」のモデルとされており、本人も当時出演していた『11PM』で「このマンガに僕が出てるんですよぉ〜」と田辺のシーンを嬉しそうに紹介したことが有る。

「宇宙意思の会」の開祖で会長を務める(「宇宙意思の会」名誉顧問は、上岡龍太郎。東京支部長は、立川志の輔)。また自身は「男女問題研究家」と称している。

弟子に対しては非常に厳しく、楽屋では弟子が何をしても叱るため弟子は何もできず、ひたすらじっとしているのが弟子の役目だという話を現在の一番弟子桂南天が落語会のフリートークコーナーで披露することがある[要出典]

2013年の聞き書きでは「個人的には元気なうちに引退したい」と述べている[19]

交遊[編集]

岡部まりの大ファンで、『探偵!ナイトスクープ』の収録日には必ず楽屋に花を贈っていたが何らかの手違いでキダ・タローの楽屋に毎日送られていた。大林素子はテレビでオリンピックを見て以来ファンになり試合観戦するようになり一眼レフカメラで毎回撮影するほどであった。また蒼井優のファンであるが面識はない。またべかこ時代から高倉健のファンであり、「高倉健ファンクラブ」を立ち上げ初代会長を務めていたこともある、映画が公開される度にインタビューをしたり桂南光を襲名した際は本人から祝の手紙を貰うなど交流があった[20]。現在のヘアースタイルは高倉健をイメージしたものである。

友人河島英五の主催する神戸市の震災被災者激励のコンサートに毎回出演。河島の亡くなった年のコンサートでは、号泣しながら、彼の遺児たちと遺作の「旧友再会」をシングアウトした。

ジャズの愛好家で、河田健と共にジャズのコンサート「桂南光と河田健のほのぼのジャズ倶楽部」を開いたり、他のジャズ演奏家のコンサートに飛び入りでゲスト出演することもある。

べかこ時代に、大師匠・米朝が行きつけだった京都のスナックで、たまたま居合わせた松任谷由実と意気投合し、当日朝まで飲み明かした。以来、松任谷が大阪に来た際にはべかこのラジオ番組に出演するなど、長い交友が続いている[21]

べかこ時代に、彼女に振られたため、楽屋にいた若井みどりにプロポーズをしたことがあるが、両人ともタイプではなく、みどりの方が漫才重視のため、断っていた[22]

グラビアアイドルの橋本マナミのファンを自任しており、読売テレビアナウンサーの森武史とフリーアナウンサーの山本浩之とともに橋本マナミを守るための「関西マナミ会」を発足させ、同会の会長に就任している[23][24]。なお、橋本マナミは、同会のメンバーのなかでは、南光がタイプであると明言している[24]

趣味[編集]

少年時代に漫画家志望であったことから絵画に興味がある。師匠の枝雀が小米時代に開いた「桂小米の会」ではチラシにイラストを描いた[1]ほか、嘉門達夫の「ヤンキーの兄ちゃんのうた」のジャケットも手掛けた。現在でも美術館巡りをよくする。2013年の聞き書きでは、引退したら「七〇歳までにパリで暮らして、リトグラフで絵を作りたいというのが一番の望み」と述べている[19]

また観劇、ジャズ鑑賞、オカリナ演奏、ビリヤードフライフィッシング、蕎麦打ち、料理、絵画など多趣味であるが、特に料理については、NHKの料理番組『きょうの料理』で料理人の村田吉弘と共演し、その腕前を披露した。また、大阪市中崎町の串揚げ店「サザンライト倶楽部」のオーナーをしていたことがある。また2011年にはツイッター、また豊竹英大夫の元で義太夫の修行も始めた。

受賞歴[編集]

出演番組[編集]

出演中のテレビ番組[編集]

同じ相談員の上沼恵美子や司会(室長)の笑福亭仁鶴との軽妙なトークをみせていたが、2004年に一時降板している。当時のキャッチフレーズは「自称・浪花の若大将」。彼の降板後4年間は、レギュラー相談員に落語家が一人もいない状態になった。2016年4月9日放送分から、仁鶴の室長補佐(サブ司会)として12年ぶりにレギュラー復帰。2017年7月以降は仁鶴の体調不良から室長代理として出演する機会が多くなり(補佐役は稲垣早希が就任)、2018年4月からは番組CEO(最高経営責任者ではなく、ちょっとええ感じのおっさんを意味する)に昇格、事実上の司会として出演している。
年数回の特番。

他に、桂ざこばが不在の時に、読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」などに出演することがあったが、後継番組の「そこまで言って委員会NP」含め現在は出演していない。MCの辛坊治郎のことを根に持っているためとされているが、真偽のほどは定かではない(ざこばが「わしの代わりに出たら、辛坊と喧嘩になってしもうた」と委員会で発言している)。また辛坊出演の「朝生ワイド す・またん!」に辛坊代理で出演したことがある。

出演中のラジオ番組[編集]

出演中のCM[編集]

映画[編集]

過去の出演[編集]

オープニングでは「『痛快!エブリデイ』の時間です」と言っていたのだが、「『痛快!エッブリデイ』と言っている」と言われ始め、本人がそれに合わせて「『痛快!エッブリデイ』の時間です」と挨拶するようになった。さらに1997年5月頃からは『つっかい!エッブリデイ』と変化していった。
「晴れ時々たかじん」では金曜日にパネリストで出演。同番組を辞めたくて仕方なかったたかじんが、当時のべかこを自分のマンションに呼んで「俺のあとを継げるのはべかちゃんしかおらんねん」と一晩中懇願したという。
  • 「まいどおおきに!べかこランド」(ABCラジオ、月-金曜12:00-13:30。1988年4月 - 1992年3月)
たかじんが上記の「晴れ時々たかじん」を担当するため降板し、後任に抜擢された。

過去のCM[編集]

著書・CD・DVD[編集]

直弟子[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 上田、2003年、pp.79 - 80
  2. ^ a b c d e f 上田、2003年、pp.66 - 68
  3. ^ a b c d 小佐田(編)、2013年、pp.75 - 79
  4. ^ 「僕らはえにしでむすばれた『八雀士』 - お弟子さんが語る師匠との思い出の数々」上田、2003年、pp.200 - 201
  5. ^ a b 小佐田(編)、2013年、pp.80 - 83
  6. ^ 戸田、2013年、p.129
  7. ^ 小佐田(編)、2013年、pp.85 - 86
  8. ^ 小佐田(編)、2013年、pp.91 - 92
  9. ^ 戸田、2014年、p.360
  10. ^ a b 戸田、2013年、p.143 - 144
  11. ^ 戸田、2013年、p.149、151
  12. ^ a b c 戸田、2013年、p.130 - 131
  13. ^ 戸田、2013年、p.140 - 141
  14. ^ 戸田、2013年、p.134
  15. ^ 戸田、2013年、pp.161 - 162
  16. ^ a b 戸田、2013年、pp.135 - 136
  17. ^ 戸田、2014年、p.514
  18. ^ 戸田、2013年、p.132
  19. ^ a b 小佐田(編)、2013年、p.106
  20. ^ 桂南光が語る「愛すべき健さんの魅力」:日刊2012年8月30日
  21. ^ 2012年1月7日(土)「モモコのOH!ソレ!み〜よ!」- おめでたい人に来てもらいましたSP ―”. gooテレビ (2012年1月7日). 2014年7月18日閲覧。
  22. ^ 2014年1月19日(日)「なるみ・岡村の過ぎるTV」”. gooテレビ (2014年1月19日). 2014年7月18日閲覧。
  23. ^ 橋本マナミ 「関西マナミ会」できていたデイリースポーツ 2017年3月18日配信)2017年8月2日閲覧
  24. ^ a b 橋本マナミ「南光さんですかね」でLINE荒れる?日刊スポーツ 2017年8月2日配信)配信日に閲覧
  25. ^ 今くるよ、大阪市市民表彰に喜び「いくよちゃんも天国で喜んでる」”. ORICON STYLE (2015年10月29日). 2015年10月29日閲覧。

参考文献[編集]

  • 桂南光 - 米朝事務所公式プロフィール
  • ラジオを語る/第3回「デジタルなラジオってええんちゃいます?」落語家 桂南光 - 社団法人デジタルラジオ推進協会公式サイト内のコラム
  • 森ちゃんのテレビの味方 #005「グルメ番組」 - よみうりテレビ公式サイト内の森武史pのコラム、2005年7月28日の記事
  • 上田文世『笑わせて笑わせて桂枝雀』淡交社、2003年。ISBN 4-473-01989-6
  • 笑福亭仁鶴桂南光桂文珍桂ざこば桂福團治笑福亭鶴瓶『青春の上方落語』小佐田定雄NHK出版〈NHK出版新書〉、2013年12月。
  • 戸田学『随筆 上方落語四天王の継承者たち』岩波書店、2013年。ISBN 978-4-00-025901-9
  • 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年。ISBN 978-4-00-025987-3

関連項目[編集]

外部リンク[編集]