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テレビ愛媛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社テレビ愛媛
Ehime Broadcasting Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 EBC
本社所在地 日本の旗 日本
790-8537
愛媛県松山市真砂町119番地
設立 1969年昭和44年)1月20日
(愛媛放送株式会社)
業種 情報・通信業
法人番号 8500001000817 ウィキデータを編集
事業内容 放送法に基づくテレビ放送事業
代表者 代表取締役社長 尾谷牧夫[1]
資本金 3億円
売上高 36億2780万6000円(2023年3月期)[2]
営業利益 1億1610万9000円(2023年3月期)[2]
経常利益 1億5519万6000円(2023年3月期)[2]
純利益 9771万4000円(2023年3月期)[2]
純資産 81億2772万7000円(2023年3月期)[2]
総資産 89億5245万9000円(2023年3月期)[2]
従業員数 72名(2012年4月1日現在)
主要株主 株式会社フジ・メディア・ホールディングス(17.3%)
関西テレビ放送株式会社(16.7%)
主要子会社 EBCプロダクション
EBCエンタープライズ
外部リンク https://www.ebc.co.jp/
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テレビ愛媛
英名 Ehime Broadcasting Co., Ltd.
放送対象地域 愛媛県
ニュース系列 FNN
番組供給系列 FNS
略称 EBC
愛称 テレビ愛媛
呼出符号 JOEI-DTV
呼出名称 テレビえひめデジタルテレビジョン
開局日 1969年12月10日
本社 790-8537
愛媛県松山市真砂町119番地
北緯33度49分56.5秒 東経132度45分34.5秒 / 北緯33.832361度 東経132.759583度 / 33.832361; 132.759583座標: 北緯33度49分56.5秒 東経132度45分34.5秒 / 北緯33.832361度 東経132.759583度 / 33.832361; 132.759583
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 8
デジタル親局 松山 27ch
アナログ親局 松山 37ch
ガイドチャンネル 37ch
主なデジタル中継局 #デジタル放送を参照
主なアナログ中継局 #テレビ放送所を参照
公式サイト https://www.ebc.co.jp/
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株式会社テレビ愛媛(テレビえひめ、Ehime Broadcasting Co,. Ltd.)は、愛媛県放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。 フジテレビ系列FNNFNS)局。

概要

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開局当初から2004年平成16年)9月までは、「愛媛放送株式会社」(えひめほうそう)が正式社名であった。しかし当初より「テレビ愛媛」の愛称を使用しており、2004年(平成16年)10月1日をもって「株式会社テレビ愛媛」に商号変更し、呼称を統一した[注 1]。マスコットキャラクターは長年にわたり、妖精のキャラクターの集団が使用され、県民に親しまれてきた。後に誕生した先代「ビビットくん」と平行して使われていた時期もあったが、社名変更直前の2004年(平成16年)7月をもって使用を終了した。現在の「ビビットくん」は、地上デジタル放送開始に合わせリニューアルされた2代目が使用されている。

略称はEBC、コールサインはJOEI-DTV。キャッチコピーは「おきたら8ch」。これとは別に「きっかけは〜」など、フジテレビのキャッチコピーの「フジテレビ」の所を「EBC」に変えて使う場合もある。

2019年令和元年)12月10日に開局50周年を迎え、フジテレビ系列の四国地区で最初に開局した放送局でもある[注 2]

会社概要

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  • 社名 - 株式会社 テレビ愛媛
  • 本社(演奏所) - 愛媛県松山市真砂町119 (〒790-8537)
  • 親局(送信所) - 愛媛県伊予市宮下字東谷末2262-2
  • 代表取締役社長 - 尾谷牧夫[1]

本社・支社・支局所在地

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テレビ愛媛 本社屋

テレビ放送所

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デジタル放送

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フジテレビ系列のリモコンキーID地図

リモコンキーID 8

  • 松山 JOEI-DTV 27ch 1kW
  • 新居浜 43ch(アナログとは違い、南海放送の中継局内に併設されている)
  • 川之江 43ch
  • 宇和島 29ch
  • 松山北条 27ch
  • 伊予中山 33ch
  • 八幡浜 49ch
  • 三机 58ch
  • 宇和石城 29ch
  • 大洲 29ch
  • 内子 27ch
  • 南宇和 19ch 10W
  • 伊予由良 36ch
  • 宇和 44ch 1W
  • 野村 31ch 1W
  • 大三島 31ch 3W
  • 久万 27ch 3W
  • 美川 23ch 3W
  • 菊間 27ch 10W
  • 川内 23ch 1W

アナログ放送(放送終了)

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中予地方

松山市

  • 松山 JOEI-TV 37ch 10kW(送信所:伊予市行道山
  • 城北 47ch 10W
  • 北条 56ch 10W
  • 北条立岩 51ch 1W
  • 北条浅海 49ch 1W
  • 松山祝谷 56ch 0.1W

東温市

  • 川内 53ch 10W

伊予市

  • 中山 26ch 30W

(上浮穴郡久万高原町

  • 久万 59ch 30W
  • 美川 39ch 30W
  • 久万菅生 42ch 0.1W
東予地方

新居浜市

四国中央市

  • 川之江 53ch 30W
  • 土居 56ch 3W
  • 天満 36ch 3W

今治市

  • 菊間 28ch 100W
  • 大三島 43ch 30W
  • 吉海 26ch 3W
  • 宮窪 31ch 1W/62ch(補完波) 0.5W
  • 大三島野々江 41ch 0.1W

(越智郡上島町

  • 岩城小漕 34ch 0.1W
南予地方 (南予北部)

大洲市

  • 大洲 37ch 100W
  • 長浜 56ch 3W
  • 大洲野佐来 61ch 0.1W

(喜多郡内子町

  • 内子 54ch 30W
  • 小田 53ch 30W

八幡浜市

(西宇和郡伊方町

  • 三机 43ch 30W
  • 三崎 48ch 3W

西予市

  • 宇和 41ch 10W
  • 石城 20ch 10W
  • 城川 33ch 10W
  • 野村 43ch 10W
  • 三瓶 55ch 3W
  • 明浜 58ch 1W
  • 宇和正信 53ch 0.1W
  • 三瓶下泊 57ch 0.1W
  • 三瓶皆江 57ch 0.1W
  • 三瓶周木 59ch 0.1W
  • 野村愛宕 40ch 0.1W
南予地方 (南予南部)

宇和島市

  • 宇和島 27ch 500W
  • 津島 41ch 10W
  • 吉田 49ch 10W
  • 津島御槙 41ch 3W
  • 宇和島保手 61ch 0.1W
  • 宇和島下高串 49ch 0.1W
  • 宇和島高光 58ch 0.1W
  • 宇和島保田 52ch 0.1W
  • 宇和島薬師谷 54ch 0.1W
  • 津島嵐 60ch 0.1W
  • 津島横浦 60ch 0.1W
  • 津島塩定 59ch 0.1W
  • 吉田立目 62ch 0.1W
  • 吉田中ノ浦 45ch 0.1W
  • 吉田御殿内 46ch 0.1W

(北宇和郡鬼北町

  • 日吉 52ch 10W

(北宇和郡松野町

  • 松野 60ch 3W

(南宇和郡愛南町

  • 御荘 22ch 100W
  • 西海 55ch 10W
  • 城辺深浦 42ch 10W
  • 由良 62ch 10W
  • 城辺深浦中 62ch 0.1W
  • 西海久家 43ch 0.1W

資本構成

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企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[2][3][4][5]

2021年3月31日

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資本金 発行済株式総数 株主数
3億円 600,000株 107
株主 株式数 比率
フジ・メディア・ホールディングス 121,600株 20.26%
関西テレビ放送 120,000株 20.00%
白石統一 051,000株 08.50%
読売新聞グループ本社 042,000株 07.00%

過去の資本構成

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沿革

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  • 1964年昭和39年)6月18日 - 「愛媛UHF放送」が免許申請。1968年(昭和43年)の「テレビ松山」まで14社が申請。申請者は次の通り[6][7]
  • 1968年(昭和43年)
    • 10月19日 - 14社の一本化調整成立。本社は松山市に置くこと、社名を「愛媛放送株式会社」、愛称「テレビ愛媛」とすること、特定のキー局を決めずオープン方式とする、などを決めた。途中出資比率で紆余曲折があったものの、11月6日の第1回発起人会にて免許の一本化申請が決定した[8]
    • 11月15日 - 予備免許付与[9][10]
  • 1969年(昭和44年)
    • 1月16日 - 「愛媛放送株式会社」創立総会、初代社長に前愛媛県副知事の野村馬が就任[11]
    • 1月20日 - 設立登記完了、正式に創立[12]
    • 3月3日 - 第4回役員会にてフジテレビをキー局に決定する。オープン方式では運営、経営面で困難性が高いという見解だった。また、「フジが将来UHF局を育成してゆく方針をとり、スポンサーとも一括料金交渉を行い、ネット保証をするなどの利点がある」「南海放送(社史では「既存VHF局」)との絡みもあって日本テレビ、NETテレビ、TBS3局の系列に入るのは困難」などが理由。全番組の70%ほどをフジテレビ系列に求め、残りは番組の良い局からとることを決めた[13]
    • 10月4日 - 午前10時、行道山送信所(松山局)から試験電波発射[14]
    • 10月15日 - 関西テレビよりモノクロ中継車(東芝製モノクロ用カメラ3台含む)、電源車が譲渡される[15]。いずれも1958年(昭和33年)製[15]。1972年11月まで運用[15]
    • 10月26日 - サービス放送開始[16]。26日はプロ野球日本シリーズ第1戦(西宮球場の阪急VS巨人)のみ[16]。翌日の第2戦も中継、あわせて主要レギュラー番組の放送を順次開始。第1戦、第2戦とも愛媛県では独占中継[16]
    • 11月9日 - 石鎚山に取り付けていた松山から新居浜への自営マイクロ回線の反射板の工事が完工[16]。新居浜送信所から試験電波発射(11月22日より番組サービス開始)[16]
    • 12月10日 - 南海放送に次ぐ、愛媛県内2番目の民放テレビ局として正式に開局[17]
    • 12月14日 - 最初の自社制作番組『日曜ローカル』開始(当初は15分番組。- 1974年(昭和49年)9月29日)[18]
  • 1970年(昭和45年)
  • 1971年(昭和46年)
    • 4月1日 - 宇和島中継局、中山中継局開局[19]。南予地域にも放送エリアを拡大[19]
    • 11月5日 - カラーフィルム現像機導入[21]
    • 11月11日 - 松山で開催されたプロボクシングフェザー級世界タイトルマッチ「柴田国明 vsマルセル」を中継[22]。同時にカラーフィルム取材の第一号となる[22]
  • 1972年(昭和47年)
    • 8月18日 - スタジオと副調整室の仮カラー化[22]。カラーカメラ(東芝製)をスタジオに据える[22]
    • 8月26日 - 『奥さま!あなたの時間です』(1972年(昭和47年)4月1日 - 1975年(昭和50年)9月)をカラー化[22]。最初のスタジオカラー番組)。
  • 1973年(昭和48年)3月 - カラー中継車導入[22]
  • 1974年(昭和49年)
  • 1977年(昭和52年)4月3日 - 『えひめ 人 その風土』開始[25]。愛媛県出身でその道一筋の先達にスポットを当てた[25]。硬派ドキュメントながら長寿番組となる[25]
  • 1978年(昭和53年)
    • 6月16日 - 四国電波管理局にFM放送免許を申請、受理される[26]
    • 7月1日 - FM免許の受理をうけ、社内に「電波対策室」を設置。FM放送の実現に動く[26]。これが1981年にエフエム愛媛の設立に繋がるきっかけとなり、翌1982年2月に地方初の民放FMとして開局した[27]
  • 1990年平成2年)7月19日 - 音声多重放送開始。[要出典]
  • 2004年(平成16年)10月1日 - 「愛媛放送株式会社」から「株式会社 テレビ愛媛」に社名変更。なお略称の「EBC」は、そのまま継承。
  • 2006年(平成18年)10月1日 - 地上デジタル放送開始。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 地上アナログ放送終了。
  • 2019年令和元年)9月 - マスター更新に伴い、データ放送をFNN・FNS共通フォーマットから独自データ放送に刷新[28]
  • 2021年(令和3年) - 八幡浜市大洲市西予市内子町伊方町への取材拠点であったテレビ愛媛八幡浜支局(八幡浜市)を、愛媛県内の民放テレビ単営局(全3局)と南海放送(県内唯一のテレビ・ラジオ兼営局)の共同運用による「八幡浜共同支局」へ改組。テレビ愛媛が4局を代表して記者(中岡照夫)の駐在を続ける一方で、他の3局(南海放送・あいテレビ愛媛朝日テレビ)は八幡浜市内で個別に設置していた支局を閉鎖したため、テレビ愛媛の駐在記者は上記の市町で取材した原稿と映像を4局の本社(いずれも松山市)へ一斉に送信するようになった[29]

社史・記念誌

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  • 愛媛放送10年のあゆみ(愛媛放送株式会社社史編纂委員会 編纂) 1979年11月発行、224ページ。
  • テレビ愛媛写真史(愛媛放送株式会社 編集) 1989年10月発行、108ページ。
  • 放送番組表にみるテレビ愛媛30年のあゆみ(愛媛放送編成局編成部 企画・制作)2000年3月発行、122ページ
  • テレビ愛媛50年史 50th anniversary(テレビ愛媛 編集)2019年12月発行、222ページ。

ネットワークの移り変わり

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  • 1969年(昭和44年)12月10日 フジテレビ系列局として開局。試験電波が発射される前に地元新聞に掲載されていた番組ネット比率は次の通り[30]FNNFNSに一貫して加盟しているため、フジテレビ系が圧倒的に多く、これにNETテレビの番組(民間放送教育協会扱いの学校放送を含む)、当時はNET系だった毎日放送が続いた。
局名 比率[31]
フジテレビ系 76%
NETテレビ 16.6%
毎日放送 2.6%
東京12チャンネル 1.8%
自社製作 2.8%
  • 1975年(昭和50年)3月31日 関西地区の腸捻転解消により、朝日放送制作の番組がTBS系列扱いからNETテレビ系列扱いに、毎日放送制作の番組がNET系列扱いからTBS系列扱いにそれぞれ変更される。当時の愛媛県にはどちらの系列局もなかったため、引き続き編成に応じて南海放送と共有した。
  • 1992年(平成4年)10月1日 伊予テレビが開局し、TBSの番組が同局へ移行される。
  • 1995年(平成7年)4月1日 愛媛朝日テレビが開局し、テレビ朝日の番組が同局へ移行される。
    • あいテレビの開局までは、南海放送の編成から外れた日本テレビの番組が放送されることがあった。

主な放送番組

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※ 放送時間は2024年(令和6年)7月時点のもの[32][33]

自社制作番組

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  • EBC Live News(月曜 - 金曜 15:45 - 19:00)
  • EBCニュース・あすの天気(月曜 - 土曜 20:54 - 21:00、日曜 21:54 - 22:00他)
  • ビビッと!おすすめTV(月曜・水曜 22:54 - 23:00、金曜 22:56 - 23:00他)
  • イチ推し!(火曜 - 金曜 11:20 - 11:25、日曜 17:25 - 17:30)
  • 野鳥愛ランド(火曜 22:54 - 23:00)
  • White Screen(木曜 22:54 - 23:00)
  • TV版プレゼントマガジンYAPPY!(金曜 0:25 - 0:35(木曜深夜))
  • エミフル♥コミュ(金曜 22:52 - 22:56)
  • まっすんの陽あたり良好(土曜 10:25 - 10:55)
  • ふるさと絶賛バラエティ いーよ!(土曜 12:00 - 13:00、木曜 0:55 - 1:55(水曜深夜)に再放送)
  • ゆ~ばら!(土曜 17:00 - 17:30、金曜 15:15 - 15:45に再放送)
  • 作道泰子と学ぶ料理の基本 Tai飯(土曜 17:55 - 18:00)
  • さらば青春の光の青春ジャック!!(土曜 18:30 - 19:00)
  • 吾輩はティモンディ(日曜 1:15 - 1:30(土曜深夜))
  • ますあつ(日曜 6:15 - 6:30)
  • 決定版!チョーさんの釣り情報(日曜 6:30 - 7:00、木曜 15:15 - 15:45に再放送)
  • イチ推し!+(日曜 8:55 - 9:00)
  • Dream+(日曜 11:45 - 11:50)
  • あなたとEBC(第4日曜 6:15 - 6:30)

過去

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他多数

フジテレビ系列番組(遅れネット)

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テレビ東京系列番組

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その他

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過去にテレビ愛媛で放送されていたネット番組

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日本テレビ系

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TBS系

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あいテレビ開局まで、☆はあいテレビ開局と同時に移行した番組)

他多数

テレビ朝日系

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愛媛朝日テレビ開局まで、○は愛媛朝日テレビ開局と同時に移行した番組)

他多数

テレビ東京系

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他多数

独立局

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アナウンサー・出演者・関連人物

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現職アナウンサー

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※現在

男性

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女性

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  • 2003年 橋本利恵( - 2010年、2017年 - [50]
  • 2014年 名護谷希慧(4月)
  • 2015年 山崎真依
  • 2021年 鈴木瑠梨
  • 2023年 曽我部愛麗

異動・退職したアナウンサー

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男性

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女性

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アナウンサー以外

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そのほか関連人物

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  • 友近(お笑い。かつてリポーターで番組出演)
    ※2011年のFNS27時間テレビでは、テレビ愛媛のアナウンサー(吉川景子という仮名がつけられていた)に扮して出演。

脚注

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注釈

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  1. ^ これにより、西日本関西地方以西)のフジテレビ(FNN・FNS)系列局で社名に「テレビ」が入らない放送局は岡山放送のみとなっている。また同社も開局から香川県との準広域放送移行までは「テレビ岡山」の愛称を使用していた。
  2. ^ 香川県では岡山県との電波相互乗り入れ時に岡山放送のエリアに組み込まれ、高知県では高知さんさんテレビが1997年に開局(フジテレビ系列で四国に本社を構える局としては2局目)、徳島県においては近畿圏の関西テレビ等を通して見る事はできるがフルネット局は存在しない。
  3. ^ エフエム愛媛 代表取締役社長
  4. ^ なお、『超力戦隊オーレンジャー』の最初の1ヶ月分(5話まで)は愛媛朝日テレビ開局前のサービス放送で集中放映された。
  5. ^ 県内ではあいテレビで放送

出典

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  1. ^ a b “関西テレビ放送社長に羽牟正一氏 福井社長は相談役に”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2019年5月29日). https://www.sankei.com/article/20190529-YLEND4XBCRL5HIHKPBW73SIPZY/ 2019年6月21日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、443頁。 
  3. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、296頁。 
  4. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、407頁。 
  5. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、431頁。 
  6. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 2頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  7. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 3頁、6頁、210頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  8. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 5頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  9. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 8頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  10. ^ 放送五十年史資料編 811頁 日本放送協会編
  11. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 11頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  12. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 11、12頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  13. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 14頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  14. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 1頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  15. ^ a b c 愛媛放送10年のあゆみ 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  16. ^ a b c d e 愛媛放送10年のあゆみ 26頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  17. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 30頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  18. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 55、71頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  19. ^ a b c d e 愛媛放送10年のあゆみ 61頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  20. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 58、59頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  21. ^ 愛媛放送10年のあゆみ 83頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  22. ^ a b c d e f 愛媛放送10年のあゆみ 84頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  23. ^ a b c 愛媛放送10年のあゆみ 113頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  24. ^ a b 愛媛放送10年のあゆみ 91頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  25. ^ a b c 愛媛放送10年のあゆみ 167、215頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  26. ^ a b 愛媛放送10年のあゆみ 175頁 愛媛放送(テレビ愛媛)編
  27. ^ 夢にはじまる 南海放送五十年史(141頁) 南海放送株式会社
  28. ^ mcastsugimoto (2019年10月27日). “EBCテレビ愛媛、データ放送独自送出を開始!”. 【データ放送リーディングカンパニー】メディアキャストオウンドメディア. 2021年3月19日閲覧。
  29. ^ 田玉恵美「日本にも「ニュース砂漠」は生じるか 愛媛の港町で民放が打った奇策」『朝日新聞』2023年9月2日。2023年9月8日閲覧。
  30. ^ 1969年10月3日付愛媛新聞5頁「UHF愛媛放送 あすから試験電波」
  31. ^ あとの0.2%については不明
  32. ^ 2024年4月期 基本番組表・番組種別”. テレビ愛媛. 2024年9月13日閲覧。
  33. ^ 2024年7月 番組改編情報”. テレビ愛媛. 2024年9月13日閲覧。
  34. ^ 愛媛新聞、昭和57年2月5日、20ページ、テレビ欄。
  35. ^ 1時間番組時代に南海放送とテレビ愛媛のどちらで放送されたか、未放送だったかは不明。
  36. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1984年10月号、学研、94頁。 
  37. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1984年12月号、学研、94頁。 
  38. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1986年2月号、学研、88頁。 
  39. ^ 出典:中国新聞、1972年3月31日、テレビ・ラジオ欄。この時点ではテレビ愛媛で金曜 18:00 - 18:30に放送。
  40. ^ 出典:中国新聞、1978年4月8日、テレビ・ラジオ欄。この時点ではテレビ愛媛で土曜 18:00 - 18:30に放送。
  41. ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1978年10月号、徳間書店、49頁。 
  42. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1989年4月号、学研、101頁。 
  43. ^ 「全国縦断放映リスト」『アニメージュ』1987年10月号、徳間書店、110頁。 
  44. ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1981年12月号、徳間書店、113頁。 
  45. ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年1月号、徳間書店、85頁。 
  46. ^ 『中国新聞』(縮刷版) 1976年(昭和51年)8月 テレビ欄
  47. ^ 『中国新聞』(縮刷版) 1977年(昭和52年)8月 テレビ欄
  48. ^ 『中国新聞』(縮刷版) 1977年(昭和52年)11月 テレビ欄
  49. ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1990年4月号、学研、101頁。 
  50. ^ 2011年に出産のため産休取得後編成部へ異動、のちに総務部を経て2017年8月より再度アナウンサーに復帰。
  51. ^ 中山明音 (2015年9月29日). “東くん、ご卒業。”. テレビ愛媛アナウンサーブログ「アナブロ」. 2016年2月23日閲覧。
  52. ^ 【ご報告】”. 櫻本茉朋(@MahouSakuramoto)公式Twitter (2020年3月31日). 2020年5月2日閲覧。

外部リンク

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