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銭形平次 (大川橋蔵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
銭形平次
ジャンル 時代劇
原作 野村胡堂
(「銭形平次捕物控」より)
企画 高橋久仁男、水上輝生、田辺嘉昭、渡部健作、久板順一朗、佐伯明、衣川篤夫
監督 長谷川安人鳥居元宏倉田準二荒井岱志斎藤武市黒田義之ほか
監修 佐々木康
出演者 二代目 大川橋蔵
オープニング 舟木一夫「銭形平次」
時代設定 江戸時代
製作
プロデューサー 笠原武、島村精一、杉本直幸、大崎陽一朗、加藤貢
制作 フジテレビジョン東映
放送
音声形式モノラル
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1966年5月4日 - 1984年4月4日
放送時間水曜日20:00 - 20:54
放送枠フジテレビ水曜夜8時枠時代劇
放送分54分
回数888
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大川橋蔵・主演『銭形平次』(ぜにがたへいじ)は、1966年5月4日から1984年4月4日まで、フジテレビ系列で毎週水曜20時から放映された連続テレビ時代劇。

野村胡堂の小説『銭形平次捕物控』をテレビドラマ化した。

概要[編集]

ドラマ史上最長の全888話という金字塔を打ち立て、ギネスブックで世界記録に認定されている[1][2]

スタート当初は白黒作品であったが[2]、2年目からカラー作品が不定期的に製作されるようになり、1969年5月からカラー化[3]。カラー化第一作は視聴率24.7%[3]。第158話以降は正式なカラー放送である。

1967年には、テレビ版と同じスタッフで、映画版も製作されている。

最高視聴率は、1967年9月の35.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)[4]。1975年頃までは常時20%台を保った[4]

2011年4月発売のパチンコ機『CRびっくりぱちんこ銭形平次withチームZ』(京楽産業.)は本作品のタイアップ機で、演出として実写映像が使用されている。

橋蔵平次誕生[編集]

本作はフジテレビと東映東映京都テレビ・プロダクション)の共同製作で[5][6][7][8][9][10]、撮影は東映京都撮影所(以下、東映京都)で行われた[6][10][11][12][13]。これは橋蔵が出演オファーを受けたとき、東映との専属契約が切れたままの状態だったが[14]、出演を引き受ける際の条件の一つとして「気心の知れた東映京都の仲間となら」という条件を出したためで[14]、東映京都テレビ・プロがスタッフを引き受ける形で同所で撮影が行われることになった[14]。最初の平次の女房・お静役だった八千草薫は出演契約が1年の予定だったが長く続いたため、2年半経ったとき「東京から週5日も京都に来ていては他の仕事が出来ない」と番組降板を申し入れた[12]

東映は1964年2月に東映京都撮影所所長に復帰した岡田茂が、大川博東映社長から東映京都の合理化と時代劇改革の指揮権移譲を受けて[15][16][17]、東映京都の実権を握っていた[18][19]。一方、橋蔵主演の映画は興行不振が続き[20][21][22][23][24]、1965年以降、映画出演が減らされた[22]。また1965年から1966年3月の結婚に至るまでの女性スキャンダルが週刊誌等に書き立てられ[24][25][26]、人気も落ちており[26][27][28]、岡田はテレビでの橋蔵人気の挽回を狙った[23][27]。岡田は「善良性の時代劇はテレビでやったら受ける、お茶の間で。これから善良性のものはテレビでやるから、全部移すと決めた。橋蔵君はヤクザやったってお客が来るわけない。根っこからの善良性のスターに。だから橋蔵君にテレビに移ってくれと言った。案の定テレビの時代劇は当たりました。『水戸黄門』なんかいまだにやってるでしょ。だからウチが先鞭切ったんだ。やらざるをえなかったからやったんだけど」と2005年のインタビューで[29]、他に「東映京都のテコ入れは『銭形平次』などテレビでどんどん時代劇を作ることだった。映画界はテレビを見下していたが、ウチは同居してしまった。時代劇はもう映画ではダメだった」[17]「私が設立した東映京都テレビ・プロダクションは、映画だけでは飯が食えない時代がやってきたことを意味し、これに大川橋蔵さんが真っ先に賛同して人気テレビ時代劇になる『銭形平次』に出演してくれた。橋蔵さんの『京都撮影所を離れたくない。映画でなくてもここでやりましょう』という思いがスタッフの皆にも通じた」などと述べている[30]沢島忠は岡田からの本作演出要請に「時代劇はやりたかったが、テレビに慣れてしまうと映画もいい加減に撮ってしまうのではないかと思い断った」と話している[17]

フジテレビプロデューサー・高橋久仁男は、番組立ち上げと橋蔵の抜擢について、以下のような証言をしている。1965年4月の番組改編で、フジテレビがナイター中継雨傘番組として長谷川一夫主演の大映銭形平次捕物控』を用意した。すると、その年は雨が多く5月、6月に『銭形平次捕物控』が立て続けに放映され、視聴率がナイターを上回ったことから、編成部長の片岡政則が早速、映画部長の安永予士人に原作権の獲得を要請し、高橋が担当となった。日本文藝家協会に打診したところ、原作者側の野村家はテレビ局や制作プロダクションをあまり信用していないので、制作方針を書面にしてくれないと取り次ぎかねると言われた。それで高橋が野村胡堂の著作を一週間かけて読み漁り、六ヶ条のコンセプトをまとめて提出したら野村家から了承を得られた。野村家がOKした決め手になったのは、お静の鉄火肌イメージを一新し、芯は強いが物静かで、夫の職業に口出しせず、台詞廻しも現代的にするという部分で、お静のモデルである野村胡堂の未亡人がこれに共感してくれたという[14]。続いて平次役のキャスティングは歌舞伎を含む大物に打診したが[14]、なかなか諸条件が合わなかった[14]。苦慮していると、東映が制作させて欲しいとアプローチをかけてきたので[14]、「大川橋蔵なら」とフジテレビ側の希望を伝えた[14]。すると東映から「橋蔵にテレビに出てくれと言える者はいない」と返答され[14]、高橋は仕方なく橋蔵が所属する新芸術プロダクションの社長に直接交渉すると[14]、東映のヤクザ路線や深夜興行に馴染めない橋蔵は[24]、東映との専属契約も切れたままになっており、テレビに少なからず興味を持っていたと返答される[14]。橋蔵は「町人マゲの役は初めてだし、テレビに不安もあるから単発ドラマのほうが」と躊躇ったが、高橋は連続物でと押し切った。橋蔵は「京都でまだ映画もやりたい」[7]、「気心の知れた東映京都の仲間となら」ということで、東映京都で撮影するという条件でオファーを受けた[7][14]。また16mmフィルムによるテレビ映画という条件も付けた[14]

上記のように『実録テレビ時代劇史』での高橋の証言では、東映から橋蔵にテレビに出てくれと言える者はいないと返答されたので、フジテレビ主導で大川のテレビ出演を決めたとしているが、当時の文献にはこの話とは真っ向反対の記述がされているものがあり、東映では橋蔵にテレビに出てくれと言える者はいないどころか、橋蔵から条件次第ではテレビ出演も可という了承を貰っていた[31]。また、『半七捕物帳』での長谷川一夫のギャラ民放史上最高の一本100万円(番組1回の製作費は約500万円)だったことから[31]、テレビでも高額のギャラを取れると認識した東映は、某代理店に「長谷川以上のギャラを出すなら橋蔵のテレビ初出演を受ける」という意思表示をしたところ、「とんでもない」と蹴られた[31]。しかしこの話を聞いたフジテレビが、東映の言い値に近い線を飲み、出演が決定したというもので、大川のテレビ出演は東映主導で決めたと書かれたものがある[31]。岡田茂は「橋蔵君にテレビに移ってくれと言った。これが要するに『銭形平次』です」などと述べている[29]

野村胡堂の捕物帳ものの人気を改めて見せつけたことから、フジテレビもその恩恵に浴しようという算段で製作を決めた[5]。当時のフジテレビ編成局長・村上七郎は「できるなら1965年の暮れからでも放送をスタートしたかったのですが、主役の平次を誰にお願いしようかと五、六人の候補を出して迷っていたのです。先ず平次は若くて美男で、しかも敏捷でなくてはならないという人選に悩みました。だが、橋蔵さんがこの役を引き受けてくれるならばいうことはないと考えていました」と述べている[7]

フジテレビが最初に候補に挙げたのは宇津井健だった[32]。以降、宝田明[32]里見浩太朗[32]などが候補に挙げられ[32]、最終的に本郷功次郎で九分九厘決まりかけた。新たな候補を探している最中にTBS系で長谷川主演による『半七捕物帳』が1966年3月からの放送が決まったため、この大物親分に対抗するには橋蔵以外にないと急転直下で橋蔵の起用が決まった[32]。時代劇映画の不振で岐路に立った橋蔵のお茶の間進出であった[32]。長谷川一夫主演の『半七捕物帳』はTBSの水曜劇場枠で『銭形平次』の30分後に放送が始まり[33]、"銭形平次"は長谷川一夫イメージが強く[33]、フジテレビも橋蔵も背水の陣を布かざるを得ない状況となった[33]

里見浩太朗は「『銭形平次』は実は僕に最初に話が来た。『スタジオで撮り、絵がきれいに出るビデオテープを使うならやりたい』と僕が条件を出したが、フジテレビ側が『フィルムで撮る』と譲らないので断った。そのあと橋蔵さんのところへ話を持って行ったらしい。橋蔵さんも当時はテレビ映画を"紙芝居"と呼んで嫌がっていた。しかし所属事務所の社長が『これからはテレビの時代が来る』と説得してやむなく受けたらしい」などと話している[34][35]

製作開始[編集]

橋蔵は「映画、演劇、テレビの三つをやってきたいというのがボクの長年の夢でした。演劇の方は年に二回、東映歌舞伎を演らせてもらっているし、今度のテレビで三つの懸案がやっと実現できました。この頃はファンレターの中にもボクのテレビ出演を求めて来る人が目立って多くなって来てるし、時期としても今がいちばんいいのではないか思って、今回の話を承諾しました」と話した[7]。テレビ初出演の初陣を迎えるにあたっては、「劇映画では長谷川一夫さんがおやりになって、見る側からいえばそのイメージが多分に残っていると思う。しかしボクはボクなりの"平次"をやっていきたいとハリキっています。原作では影の薄い恋女房のお静(八千草薫)を前面に押し出して構成、これまでとは違ったものをお見せできる。ボクのファンは家庭婦人が多く、今回のテレビ出演は大きなプラスになると思う」などと抱負を述べた[6]。また「ボクは『0011ナポレオン・ソロ』のファンなんで、あれもいってみれば捕物帳ですし、ああいうスピーディな動きと新しいアイデアを取り入れてみたいです」などと抱負を述べた[7]

高橋久仁男は『銭形平次』は人気が出るまでに1年とふみ、契約も珍しい1年という長期のものにしたところ、当時の橋蔵ブームに恵まれてかスタートから1位という「思いがけぬ成績」で驚いたという[3]。以降もずっと一年契約の延長で、毎年この一年で終わるという考えだったという[3]。"銭形平次"は長谷川一夫イメージが強く苦戦も予想されたが[33][36][37]、スピーディな演出等が受け入れられ高視聴率をマークした[36][37]。高橋は長期に渡る人気の秘密を「野村胡堂の原作と目新しさこそないものの、平次の持つやさしさが、夜八時という家族揃ってテレビを見る時間にすんなり受け入れられた」と話している[3]

原作者の野村胡堂はこの捕物小説を書くのに四つの原則をもっていた[38]

  1. の肩を持たない。むしろ横暴徹底的にやっつける。
  2. 町人農民の味方になる。
  3. 罰することだけが犯罪の解決ではあるまいとの哲学を貫く。
  4. 明るい健康な作品にする[38]

橋蔵はこの四原則にほれこんだ[38]。銭形平次は長谷川一夫のイメージが色濃く残っていた為[39]、橋蔵は当時「長谷川先生とは違った面を出すのに苦労致しました。その為には若さを打ち出し、立ち回りを派手に取り入れるほかはないと思いました」と語っていた[39]

撮影の改良(1年目から2年目以降へ)[編集]

撮影は、最初の1年間はアフレコ(撮影が終わってからフィルムに合わせて台詞や音を入れる撮影方法)であった。そのため台詞が単調になり、橋蔵としてはどうも気分がのらず、シンクロにしたいと主張。しかし、東映テレビプロの現況では当時200万から300万する撮影機を購入するわけにはいかず、そっと自分で買おうとまで思い詰めた。幸い、東映社長・大川博の決断で橋蔵の希望が入れられる事になった。これがきっかけで東映テレビプロの撮影シンクロに切り替わり、その他の設備も色々改良が加えられ撮影条件は向上した。絶えずフジテレビやスポンサーと検討し、脚本家の人数も増やし、万全な体制で2年目に突入した。

監督は、最初は佐々木康長谷川安人がメインだった[11]。初めは2話を1週間で撮っていたが、橋蔵が忙しくなり、2話を4日間で撮るようになった[11]。やがて佐々木が高齢で撮影に困難が生じ、新しい監督として荒井岱志が抜擢された[11]。荒井は橋蔵に「僕の顔のアップをキレイに、これが日本一の顔だ、と撮ってほしい。銭形は僕が中心なんだから、僕が立つように。それを心がけてくれればいいですよ」と言われた[11]。荒井は888話中90話を演出した[11]

平次のコスチュームは、初めは長谷川と同じ腹掛けを付けていたが、2年目からは普通の町人スタイルに変更した。

橋蔵が辞め時を悩んだのは3年目が終わった時だった[4][40]。また、10年目を迎える際に橋蔵は「視聴率が良かったので延長に延長を重ね、結局17回も延長してしまった。3年目が終わった時は悩みました。これまでは橋蔵の平次だったけど、これ以上続けると橋蔵そのものが平次になってしまう。イメージが固まるのは役者に取っていいのか、悪いのか?」とその決断を迫られ、「以後はそうであってもいい」と平次になりきる道を選んだ[40]。橋蔵は「こうなったら10年続けようと思いました。10年たったあとはもうがむしゃらです」などと述べていた[4][40]

十手と投げ銭と立ち回り[編集]

半官流の宗家・中島正義に十手術を指導してもらい柳生流の中に二挺十手術というのがあり殺陣師と一緒に稽古した[6]。これは十手二刀流みたいなもので踊りのような手も入る派手な技だった。投げ銭も古武道にあるスピーディーなものにした[6]。橋蔵は映画時代から立ち回りに定評があり、から十手に替え激しい立ち回りにも息切れひとつせず廻りを驚かした[41]六代目尾上菊五郎からの厳しい修行の賜物で女形呼吸法と男の呼吸法を使い分けるからだった[42]

豪華なゲストと映画時代からの絆[編集]

銭形平次は捕物帖なので前半はゲストが番組を構成し、後半に平次はそれを推理して解決していくというのが全体の流れ。橋蔵はよく、映画では主役だったので出ずっぱりだったが、銭形平次での親分役は脇役的要素が大きいという意味合いの事を言っていた。東映で一緒に映画を作っていた気心の知れたスタッフ(京都東映チーム)とテレビに移っても仕事が出来た事は心強かった。 特にゲストに多くの映画時代の先輩や仲間達が多く出演してくれたのは橋蔵の人柄だと言える。片岡千恵蔵月形竜之介山形勲東千代之介桜町弘子花園ひろみ丘さとみ沢村宗之助美空ひばり黒川弥太郎星美智子里見浩太朗山城新伍瑳峨三智子江利チエミ野際陽子若山富三郎等が映画の作品で共演している。ほとんどが何度も出演し、中には10回以上出てくれる人もいた。東映ではなくとも嵐寛寿郎芦屋雁之助高田浩吉、橋蔵の映画をよく監督したマキノ雅弘の娘マキノ佐代子、演出家の蜷川幸雄(橋蔵没後妻真理子が出版した本のあとがきも書く)なども出演した。当時人気だったアイドル文化人なども多く出演し番組に花を添えた。また歌舞伎界から17代目中村勘三郎の長女波乃久里子や橋蔵の舞台と平行して出ている俳優女優も多かった。

番組終了[編集]

大スター・大川橋蔵のテレビ初出演で大きな話題を呼び、以後、フジテレビの看板番組として約18年間、ゴールデンタイムに二桁台の視聴率を維持してきた[8][33]。水曜夜8時はプロ野球シーズンには他局のナイター中継とぶつかる時間帯ながら予想をはるかに上回る人気を獲得した[33]。しかし500話を超えた1976年頃から視聴率が10%にまで落ち[43]、一旦15%くらいまで回復したとされ[43]、1979年10月10日に700回SPとして1時間半のSPを放送したが、1980年頃から急激に視聴率が低下した[4][40]。1980年6月に鹿内春雄がフジテレビ副社長に就任し、同局の編成改革を推し進め[44][45]番組改編期の度に打ち切りの話が出るようになり[4]、当時のフジテレビ編成局長・日枝久が番組打ち切りを決断した[10]。しかし、20年来の付き合いがあった岡田茂に猛烈な説得を受け撤回[10]、後始末に奔走させられ酷い目に遭ったという[10]。しかし、後に岡田から「何か大義を作って放送回数を延長してくれ」と提案され[46]、「それならフジテレビの"8"にちなんで888回にしましょう」との日枝の案に岡田が了解し[46]、橋蔵も岡田の説得を受け入れ[46]、1984年4月4日、888回をもって番組終了が決定した[8][46]。この頃、橋蔵は前年から続く体調不良に冒されながらも撮影を敢行し、番組終了8ヵ月後の同年12月7日に癌で他界した。

特徴[編集]

映画スターだった大川橋蔵が、18年にわたって主役を演じ、ギネスブックで「テレビの1時間番組世界最長出演」と認められた。橋蔵が他界した際には、棺には平次用の十手と投げ銭が入れられた[47]

脇役陣の活躍も魅力だった。とくに、平次をライバル視する岡っ引き「三ノ輪の万七[注 1]」役で第53話に藤尾純から交代した遠藤太津朗(辰雄)はこれ以降、「憎めない敵役」として人気を博した。森田健作市毛良枝リリーズ京本政樹らがレギュラー出演した時期もあった。

また豪華ゲストも数多く出演した。とくに最終話は美空ひばり里見浩太朗五木ひろし舟木一夫汀夏子がゲスト出演している。1958年TBSで「テレビ版平次俳優第1号」となった若山富三郎や、本作終了後の1987年日本テレビ平次を演じた風間杜夫がゲスト出演した回もある。

オープニングタイトルで流れる主題歌は舟木一夫が歌った。主題歌は途中から本編音楽担当が交代したのと同時に、現代的なビートの利いたアレンジに改められた。シリーズ後期のタイトルバックに使われた寛永通宝を摸した巨大な砂絵は、香川県観音寺市銭形砂絵である。

橋蔵平次は時折超人的な能力を見せており、変装術を時折見せている。岡っ引きでありながら侍と対等に渡り合えるほどの剣の腕を持っているだけでなく、得意の投げ銭も落ちてくる柿を真っ二つにしたり縄や髷を千切ったりといった荒技を見せている。また10年目を迎えた頃から十手を回すアクションが目立ち、時には十手の柄に仕込んだ鎖を飛ばしたりもしていた。

エピソード[編集]

  • 継続中の1978年1月2日に放送された『新春スターかくし芸大会』西軍の出し物の一つとして、英語劇版『銭形平次』が放送、平次役は森進一、お静役は岡田奈々で、また名物の「投げ銭」は寛永通宝ではなく5円玉だった。なおこの回の審査員の一人には本作の橋蔵が担当した。
  • この番組の終了直後に放送された『ドリフ大爆笑』で、この番組の終了を皮肉ったコントが放送された。その内容は、仲本工事扮する八五郎が平次の家に向かったが、到着してみたらセットの取り壊しの真っ最中で、そこにいかりや長介扮する大道具係の一員が「銭形平次は終わっちゃったよ、この後にはクイズ番組ザ・わかるっチャー』が入るんだってさ」と言い放つ、というものだった。
  • 「未来を託す人物の登場」:東映は路線を百八十度変換して時代劇はテレビに委ねる方針を打ち出し、あれほど貸し渋っていた俳優の出演を解禁した。だが時すでに遅くその多くは高齢化して鮮度を失い、またテレビに馴染めない俳優も多かった。しかし時代劇の中心がテレビへ移行したことでスターシステムによる企画も早々と甦ろうとしていた中、テレビの未来を託すべき一人のスターが見えてくる、それが大川橋蔵だった。映画の頃から徹底した娯楽志向で、甘い二枚目ぶりは衰えていない。そんな橋蔵の「銭形平次」出演はテレビ時代劇が核となる人物を見いだしたということだった。京都のスタッフ達も橋蔵の為ならと徹夜覚悟の心意気を見せた。しかしあくまで劇場映画にこだわる一部の映画人からはテレビに対する偏見の冷たい目線を受け続けたままだった。そんな時期を乗り越えて「銭形平次」は1つの頂点を極めて行った[48]

スタッフ/主題歌/音楽など[編集]

  • 原作:野村胡堂
  • 監修:佐々木康(最終回のみ)
  • 企画:高橋久仁男、水上輝生、佐伯明、田辺嘉昭、渡部健作、久板順一朗、衣川篤夫
  • 制作(1話 - 665話)→プロデューサー(666話 - 888話):笠原武、島村精一、杉本直幸、大崎陽一朗、加藤貢
  • 脚本:TV版放映リスト参照
  • 音楽:阿部皓哉(1話 - 571話)/津島利章(572話 - 888話)
  • 撮影:脇武夫、玉木照芳、平山善樹、木村誠司、柾木兵一、森常次、羽田辰治、安達重穂ほか
    • 撮影助手:林健作
  • 照明:岡田耕二、谷川忠雄、佐々木政一、林春海、椹木儀一、藤井光春、松井薫、宇野増太郎、前田満、三上隆一、花田勝麿ほか
    • 照明助手:赤松均、松田伸治、山北一祝、中川栄二
  • 美術:角井博、中島哲二、寺島孝男、塚本隆治、宇佐美亮、下石坂成典ほか
  • 録音:矢部吉三、小金丸輝貴、高井唯夫、諸熊秀喜、小野岡道秀、墨関治、田中峯生、石川清一、上田時夫、大角正夫、林土太郎ほか
    • 録音助手:道倉納、伊原増男
  • 整音:山根定男、小野岡道秀、浜口十四郎、草川石文ほか
  • 記録:桧垣久恵、宮内喜久子、中田悠紀子、藤原凪子、斉藤靖子、亀倉正子、松尾美智子、佐藤利子、石田芳子、高木弘子、森村幸子、篠敦子、野崎八重子、林悠紀子、長岡君枝、野口多喜子、井津美智子、土橋喜久子、竹田ひろ子、川島庸子、谷野和子、満尾敦子、牛田二三子、平井宇津江、松田美津子、石田照ほか
  • 編集:細谷修三、川上忠、岩本光司、戸川博、島村智之、鳥居勉、上野五男ほか
    • 編集助手:古村嘉代
  • 計測:長谷川武次、山元豊、宮川俊夫、佐賀彰、津田宗之、山口鉄雄、水嶋淳一、宮西慶二郎ほか
  • 美粧:林三郎、浜崎敬三、松田武俊、杉本勢一ほか
  • 結髪:河野節子、浜崎喜美江、水巻春江、大鳥千代子、西川市太郎、森井春江ほか
  • かつら:山崎かつら
  • 衣裳:上野徳三郎、小林勝、石倉元一ほか
  • 装飾:関西美工、曽根美装、道畑真二、菅田浩、甲田豊、高橋清彦、星益雄、棚橋英雄、福井啓三、小谷恒義、門明淳、草川景、西村義孝、服部公男、藤井達也、紙山浩一、窪田治、飯田利生、斉藤寿也、小川芳男、大字峰雄、山中忠知、長尾康久、下山能一、田畑照政、矢川勝豊、中川昌平、小笠原佳文、塩出健、清原和雄、平野元王機、松本吉生、山本重治、石野隆一、極並浩史、籠尾和人ほか
  • 小道具:高津商会
  • 装置:小原功、高木喜一、松山勇、西川春樹、中元勇、木崎義夫、松井三郎、木村雅治、金丸太三一、西村国蔵、出井督七、太田正二、曽根富世、曽根美装ほか
  • 演技事務:中久保潔、中久保昇三、坂本藤男、遠山一次ほか
  • 和楽:中本敏生
  • スチル:下村正利
  • 効果:大東産業
  • 助監督:古市真也、相原鉄郎、中島信宏、浜日呂志、太田雅章、尾田耕太郎、高見育男、曽根勇、西垣吉春、福井司、津島勝、上杉尚棋、内沢豊、林稔充ほか
  • 殺陣:谷明憲
  • 進行→制作担当:丸本晃、藤井雅朗、北村良一ほか
  • 主題歌「銭形平次」作詞・関沢新一、作曲・安藤実親、編曲・阿部皓哉/山路進一/津島利章、唄・舟木一夫コロムビアレコード
  • 挿入歌
  • 現像:東洋現像所
  • 振付:藤間勘真次、坂東京三郎
  • 協力:新芸術プロダクション(1話 - 886話)、大川事務所(887話 - 888話)、京都大覚寺香川県観音寺市(666話 - 867話OPロケ地)
  • 語り:首藤満(105話)ほか
  • 予告ナレーター:加藤矢朱雄、山口幸生
  • 監督:TV版放映リスト参照
  • 制作:東映京都テレビプロ(1話 - 157話)→東映(158話 - 888話)、フジテレビ

登場人物[編集]

メインキャスト[編集]

銭形平次 / 演:大川橋蔵
主人公。
お静 / 演:八千草薫(1話 - 157話)、鈴木紀子(158話 - 208話)、香山美子(209話 - 888話)
妻。
八五郎 / 演:佐々十郎(1話 - 52話)、林家珍平(53話 - 888話)
平次一の子分。

岡っ引き[編集]

三の輪の万七 / 演:藤尾純(1話 - 52話)、遠藤辰雄(第394話より遠藤太津朗)(53話 - 888話)
平次のライバル。
お神楽の清吉 / 演:池俊一(第45話より池信一)(1話~770話、774話~780話)、田井克幸(868話~888話)
万七の子分。
お品 / 演:宮園純子(1話 - 52話)、城野ゆき(211話、213話)
父・利助の後をついで御用聞きを務めている。
太吉 / 演:川浪公次郎(1話 - 52話)
お品の子分。
石原の利助 / 演:高松錦之助(1話ほか)
かつては腕利きの岡っ引きだったが、高齢のため現役を引退した。
雷門の寅蔵 / 演:天王寺虎之助(231話ほか)
万七の代役ポジションとして登場した。
市松 / 演:徳田実(231話ほか)
寅蔵の下っ引き。
ゝ松:田井克幸(771話~773話)
清吉の代役として登場した。
留造 / 演:有光豊(780話 - 867話)
清吉に代わって万七の子分となった。
新吉 / 演:渋谷哲平(868話 - 888話)
彫師の息子。平次の二人目の子分。

奉行所[編集]

笹野新三郎 / 演:神田隆(1話 - 52話)、黒川弥太郎(53話 -104話、469話)、根上淳(108話、122話、129話)
筆頭与力。平次を信頼しているが、彼が不始末をした時は叱咤したり、十手を取り上げたりすることもある。
樋口一平 / 演:永田光男(131話 - 787話、888話)
笹野配下の同心。
榊兵助 / 演:下塚誠(625話 - 665話)
樋口の部下。665話でおあきと所帯を持つ事が決まった矢先に、兄の小吉が下手人として捕縛され、彼の無実を証明すべく証人の女性おぎんを探しに奔走し、彼女を見つけるも事件の真の下手人・宇月力の父勝之進と通じていた同心・片桐伊三郎が差し向けた岡っ引きの富松や刺客たちの襲撃を受け退けるも深手を負ってしまう。後から駆け付けた平次の助力で江戸へ戻ったのち小吉の無実を晴らしたのを見届けすぐに力尽きた。
青柳伸之介 / 演:森田健作(666話 - 787話)
樋口の部下。熱血肌の同心。第787話で恋仲になりかけたおゆみを救わんとして、夜鴉一味の手にかかり落命。
矢吹圭一郎 / 演:森次晃嗣(788話 - 867話・888話)
森川左内 / 演:滝田裕介(868話 - 888話)
岡っ引きのミスには露骨な嫌味や皮肉を吐く毒舌家で、無責任さが目立つ。

小料理屋「ひょうたん」[編集]

お弓 / 演:鈴村由美(1話 - 156話)、土田早苗(158話 - 262話)
お勝 / 演:武田禎子→武田てい子(209話 - 518話)
おゆき / 演:永野裕紀子(262話 - 364話)
お勝の遠縁の娘。お弓に代わる「ひょうたん」の看板娘。
おせん / 演:酒井靖乃(365話 - 467話)
おゆき同様お勝の遠縁の娘。おせんに代わる「ひょうたん」の看板娘。
おちよ / 演:林寛子(469話 - 517話)
平次の長屋に引っ越してきた娘。「ひょうたん」で働く事に(469話ラスト)。唄好き。

酒肆「喜らく」[編集]

おせん / 演:海原千里(520話 - 571話)
おつる / 演:海原万里(520話 - 571話)
長吉 / 演:田渕岩夫(520話 - 571話)

酒肆「つるや」[編集]

おゆみ / 演:つばめ真由美(572話 - 624話)
おなお / 演:つばめ奈緒美(572話 - 624話)
壮吉 / 演:大橋壮多(572話 - 623話)

酒肆「かすが」[編集]

お照 / 演:春日照代(625話 - 664話)
三吉 / 演:春日三球(625話 - 664話)
お京 / 演:久永智子(625話 - 664話)

酒肆「わかな」[編集]

おちか / 演:正司照江(666話 - 712話)
お町 / 演:酒井ゆきえ(666話 - 712話)
松吉 / 演:鎌倉俊明(666話 - 867話)
板前。後に「ゆめや」に鞍替えする。

酒肆「ゆめや」[編集]

おきよ / 演:市毛良枝(713話 - 888話)
女将。
おゆき / 演:香坂みゆき(713話 - 736話)
おきよの妹で従業員。
おくみ / 演:桂木文(736話 - 851話)
おさと / 演:島村美妃(852話 - 867話)

その他[編集]

お民 / 演:園佳也子(53話 - 197話)
夫婦で上方からやって来た。その道中で役目遂行中の平次と出会い、それをきっかけに平次の家の近くに住むことになった。197話を最後に登場しなくなるが、理由については全く語られず。
爲吉 / 演:神戸瓢介(53話 - 475話)
お民の夫で大工。平次に憧れており、木彫りの十手を作るなどして岡っ引きの真似事をしている。475話を最後に登場しなくなるが、理由については全く語られず。
医師 道庵 / 演:西山辰夫(86話、90話、92話、101話、113話、138話)
万助 / 演:梅地徳彦(224話、ほか)、細井伸悟(598話)、?(661話)、阿南忠幸(672話、676話)、岡本崇(756話)、加瀬悦孝(781話、837話、859話)、谷村隆之(813話)
万七の養子。
健太 / 演:吉田次昭(469話 - 517話)
おちよの兄で魚売り。
せつ / 演:たうみあきこ(625話 - 626話、636話、659話、665話)
榊兵助の母上
善太 / 演:京本政樹(788話 - 867話・888話)

TV版放映リスト[編集]

※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。

1966年[編集]

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