村上弘明

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むらかみ ひろあき
村上 弘明
本名 村上 弘明
生年月日 (1956-12-22) 1956年12月22日(61歳)
出生地 岩手県陸前高田市
身長 185 cm[1][2]
血液型 A型[1][2]
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ演劇
活動期間 1978年 -
活動内容 1978年:デビュー
1979年:『仮面ライダー (スカイライダー)
1985年:『必殺シリーズ
1990年:『白い巨塔
1992年:『腕におぼえあり
1993年:『炎立つ
1996年:『秀吉
2008年:『刑事の証明
配偶者 田島都(元モデル
公式サイト オスカー村上弘明
主な作品
テレビドラマ
仮面ライダー (スカイライダー)
必殺仕事人』シリーズ/『武田信玄
白い巨塔』/『都の風
炎立つ』/『腕におぼえあり
八丁堀の七人』/『銭形平次
津軽海峡ミステリー航路
柳生十兵衛七番勝負シリーズ
秀吉』/『元禄繚乱』/『刑事の証明
警視庁南平班〜七人の刑事〜
ATARU』/『八重の桜
映画
極道の妻たちII
ジュリエット・ゲーム
アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想
渋谷物語

村上 弘明(むらかみ ひろあき、1956年12月22日[1][3][4] - )は日本俳優。本名同じ[3][4]

岩手県陸前高田市広田町出身[3][4][5]宮城県気仙沼高等学校卒業、法政大学法学部政治学科中退[4][6][3]。オフィス佐々木を経て、オスカープロモーション所属。みなと気仙沼大使。

来歴[編集]

進学校・気仙沼高校に越境入学して卒業した後に医学部を目指して浪人中に映画館に入り浸って3浪した末に「東京の大学に行って教職課程を履修し故郷に帰って教師になる」と両親に言って法政大学法学部に進学[7]。映画好きの友人が無断で応募した[7]映画『もう頬づえはつかない』のオーディションを受けて主役にキャスティングされそうでされなかった事を切っ掛けに芸能事務所に籍を置く[3][8]

事務所の意向を受け不本意ながら1979年仮面ライダー (スカイライダー)』主演オーディションに応募し3,786人の候補者から選出され主人公・筑波洋役でデビュー[9][3][8][注釈 1]。役者をしている事を両親に黙っていたが『仮面ライダー』の放送が始まると両親に露見したので両親に了承されて大学を中退[10]1980年には、劇場版『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』にも主演している[4]

現代劇を中心に活動していたが、1985年の必殺スペシャル第5弾『必殺仕事人意外伝 主水、第七騎兵隊と闘う 大利根ウエスタン月夜』以降、必殺シリーズの花屋(後に鍛冶屋)の役で出演し、時代劇にも活動の場を広げた。同年、NHK大河ドラマ春の波涛』を皮切りに、1988年には『武田信玄』で農民から一城主になる武将高坂昌信1993年の『炎立つ 第二部』では藤原清衡を主演した。1996年の『秀吉』では明智光秀を演じたが、時代考証を担当した小和田哲男の「明智光秀はこれまでの時代劇では悪役が多かったが、歴史的に見れば悪役とはいいがたい面もある。明智役は若くて爽やかで清潔感のある人を」という言葉により配役され、小和田もその演技に「満足した」と語っている。[要出典]村上が演じていた時期に、光秀の居城である丹波亀山城や首塚(亀岡市宮前町の谷性寺)のあった京都府亀岡市を訪れる観光客が増加したことを、京都新聞が報道した[要文献特定詳細情報]1999年元禄繚乱』では柳沢吉保を演じ、2013年の『八重の桜』では松平春嶽を演じ、同作が東日本大震災からの復興のために作られる側面を持つことから、出演を決めたとのことである。[要出典]

1987年、映画『極道の妻たちII』での演技が評価され、日本アカデミー賞 優秀助演男優賞を受賞する[4]1989年鴻上尚史監督のコメディ『ジュリエット・ゲーム』では、国生さゆり演ずるヒロインに一目ぼれし追いかけまわす小学校教師役で主演を務めた[4]1991年には、アメリカ映画『アイアン・メイズ/ピッツバーグの幻想』に出演し、国際的な活動も開始している[4]

1992年藤沢周平の小説『用心棒日月抄』を原作とした金曜時代劇腕におぼえあり』に主演しシリーズ化され、2005年には近衛十四郎千葉真一に次ぐ三代目・柳生十兵衛役として[11]、金曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負』に主演し、大層好評だったことから第3シーズンまで制作・放映された[12][13]。このほかにはテレビ朝日の『八丁堀の七人』、『銭形平次』などに主演した。

2009年6月、妻がモデル時代に在籍していた縁もありオスカープロモーションへ移籍。

2011年東日本大震災では、岩手県陸前高田市にある実家が被災した。外出中だった両親は辛うじて九死に一生を得たが、母方の叔父夫婦と従兄弟が死亡。実家の建物も半壊し、建て替えを余儀なくされた。

2012年5月、NHK東日本大震災復興応援ソング『花は咲く』にボーカルとして参加。また地元IBC岩手放送が毎年12月に開催しているIBCラジオ・チャリティー・ミュージックソンにも度々ゲスト出演している。

人物・エピソード[編集]

妹が1人いる(2人兄妹)。

子供の頃は『隠密剣士』が好きで、真似をしておもちゃの刀を振り回すなどしていた[8]。俳優になってからは、『仮面ライダー (スカイライダー)』のメインライターが『隠密剣士』も手掛けた伊上勝であったり、オロナミンCドリンクのCMで『隠密剣士』の制作会社である宣弘社に携わるなどし、縁を感じたという[8]

映画が好きで、浪人生時代に『風と共に去りぬ』を観たことがきっかけで映画業界を志した[3]。東京の大学を選んだのも映画業界に触れるためであったが、親には教師になると約束していた[3]

大学生時代はよく映画を鑑賞しており、邦画ではATG作品など社会性のある作品を愛好していた[8]

1990年、元モデルの田島都と結婚[4]。二男二女あり。

趣味は、歴史、美術史、陶芸、クラシック、ジャズ、アウトドア[1]特技は、柔道弐段[6]水泳[1]スキー[1]

『仮面ライダー (スカイライダー)』関連[編集]

当初は『仮面ライダー (スカイライダー)』のオーディションには乗り気ではなかったが、事務所から新人なのだから勉強のつもりで受けるよう言われて参加した[注釈 2]

オーディションではバイクの免許が必須要件となっていたが、オーディションに参加した時点では免許を取得していなかった[8]。バイクの試験になり、無免許で乗ったもののブレーキの掛け方がよく判らなくて飛び降り、石ノ森章太郎らのいる審査員席にバイクが突っ込んだという[8]。村上はこれでダメかと思ったが、審査員はバイクについては撮影しながら少しずつ練習させることとして最終候補の5人にまで残ることができ、カメラテストへと進む[8]。しかし、村上以外の4人は『スーパーロボット レッドバロン』で2枚目役としてレギュラーを務めていた加藤大樹をはじめ、『恐竜戦隊コセイドン』主演の大西徹也など経験者揃いでカメラテストの結果も素晴らしく、村上以外なら誰でも良しと報告されていたという[14]

撮影初日は緊張で眠れず遅刻した[3]

スカイライダーは空を飛ぶ仮面ライダーであることから、『スーパーマン』を意識したという[8]

当時としてはかなり大柄な部類だったため、用意できる衣装が体に合わず「衣装部泣かせ」と言われた[10]

スカイライダーのスーツアクターを務めた中屋敷哲也は同じ岩手県出身であり、自宅の遠かった村上は撮影所から近かった中屋敷宅によく泊まりに行くなど懇意にしていた[8]。中屋敷の隣には殺陣師の岡田勝も住んでおり、中屋敷宅と岡田宅を行き来することもあったという[8]。中屋敷宅から中屋敷の車で撮影所に向かう際、彼からは「主役を事故にあわせず送り届けなければならないから緊張する」との旨の言葉を受け、村上は番組を背負っている立場を自覚するようになったと述べている[3][8]

両親には大学を中退していたことを内緒にしていたうえ、「教職を取って田舎に帰る」と言っていたため、『仮面ライダー (スカイライダー)』へ出演していることが近所の人から伝わった際には、故郷に背を向けたという[7]

後年のインタビューでは、作品を振り返り、路線変更した後半よりも、独自色の強かった前半の方が好きであると述べている[8]。別のインタビューでは、空を飛ぶ設定が最も印象に残っているとしつつも、ドラマに活かされてはいなかったとも述懐している[9]

後年、『仮面ライダー』での経験は自身のベースになっていると強く意識するようになり、自身の誇りであると述べている[3]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

その他のテレビ番組[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

ラジオドラマ[編集]

  • アドベンチャー・ロード / 黄金のアポロ(1986年、NHK-FM) - 主演

CM[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 厳密にはこれ以前にもテレビ出演していたが、村上自身は同作品を事実上のデビュー作と位置づけている[9]
  2. ^ 2004年のインタビューでは最終選考に内定しても嬉しいよりも先に戸惑ったと述べているが[3]、2014年のインタビューでは審査に勝ち残っていくにつれて徐々に勝ち残りたいという闘争心が芽生えていったと述べている[8]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 村上 弘明”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2018年12月2日閲覧。
  2. ^ a b 村上弘明 -オスカー電子カタログ”. オスカープロモーション. 2014年12月5日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l OFM仮面ライダー8 2004, p. 26, 「主演俳優の素顔2 村上弘明」
  4. ^ a b c d e f g h i 『日本映画人名事典』男優編<下巻>、キネマ旬報社1996年、754-755頁。ISBN 978-4873761893
  5. ^ 村上弘明の両親無事も「悪魔だよ」”. 日刊スポーツ (2011年3月15日). 2011年3月20日閲覧。
  6. ^ a b 『テレビ・タレント人名事典』第5版、日外アソシエーツ2001年、1057頁。
  7. ^ a b c 『ごきげんライフスタイル よ〜いドン!』(2016年5月11日放送回)の番組概要ページ - gooテレビ番組(関西版)
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 334-337, 「INTERVIEW 村上弘明」
  9. ^ a b c 仮面ライダー大全集 1986, p. 234, 「仮面ライダーSTAFF CASTインタビュー 村上弘明」
  10. ^ a b 新仮面ライダーSPIRITS 7巻・巻末インタビュー[要ページ番号]
  11. ^ ドラマのみどころ”. 柳生十兵衛七番勝負. NHK (2005年). 2006年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月28日閲覧。
  12. ^ ドラマのみどころ”. 柳生十兵衛七番勝負 島原の乱. NHK (2006年). 2006年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月28日閲覧。
  13. ^ ドラマのみどころ”. 柳生十兵衛七番勝負 最後の闘い. NHK (2007年). 2007年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月28日閲覧。
  14. ^ 午後のまりやーじゅ. ゲスト:村上弘明. NHKラジオ第1. 2014年2月11日放送.

参考文献[編集]

  • 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』 講談社1986年5月3日ISBN 4-06-178401-3
  • 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.8 スカイライダー』 講談社、2004年7月9日ISBN 4-06-367087-2
  • 『仮面ライダー1971-1984 秘蔵写真と初公開資料で蘇る昭和ライダー10人』 講談社 編、講談社、2014年11月20日ISBN 978-4-06-218566-0

外部リンク[編集]