岡田勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
おかだ まさる
岡田 勝
生年月日 (1950-05-08) 1950年5月8日(66歳)
出生地 日本の旗 日本埼玉県
民族 日本人
ジャンル 俳優殺陣師・アクションコーディネーター・スーツアクター
主な作品
仮面ライダーシリーズ

岡田 勝(おかだ まさる、1950年5月8日[1] - )は、日本俳優殺陣師・アクションコーディネイター。大野剣友会代表。埼玉県出身[1]左利き

来歴[編集]

1966年(昭和41年)、16歳。「日本テレビタレント養成所」を経て、「大野剣友会」に入門[2]。代表の大野幸太郎に師事。

1969年(昭和44年)、19歳。『柔道一直線』(TBS)で役回りがつき、スタントでも活躍する。

1971年(昭和46年)、21歳。『仮面ライダー』(毎日放送)で剣友会がアクションを担当。岡田は第1話の怪人「蜘蛛男」のスーツアクターを務め、同作のテーマである「怪奇アクション」を見事に表現してみせる[3]。『仮面ライダー』では、主演の藤岡弘が仮面ライダー役も務めていたが、藤岡の負傷降板後は岡田が中心に演じ、続く「2号編」でも中村文弥とともに仮面ライダー2号を演じた[4]

1972年(昭和47年)、22歳。『仮面ライダー』の殺陣担当の高橋一俊がショー実演で両足を捻挫したため、第46話の草津温泉ロケの殺陣を代行[2]。これが殺陣師デビューとなる。この草津ロケは、同僚の中屋敷鉄也が初めて主役の仮面ライダーを演じた回でもあった[3]

4月からは、多忙な高橋に代わって、1号復帰後の『仮面ライダー』で殺陣を担当。以後、「仮面ライダーシリーズ」では高橋とともに殺陣師としても活躍する。

この時期、『プレイガール』(東京12チャンネル)でもスタントを担当。

1976年(昭和51年)、26歳。『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)途中で高橋一俊が剣友会を退会。代わって剣友会の殺陣全般を以後、担当する。

1979年(昭和54年)、29歳。大野剣友会創始者の大野幸太郎が引退、会長に退き、これに伴い大野剣友会2代目代表の座を譲り受ける。

同年、『仮面ライダー (スカイライダー)』(毎日放送)で殺陣を担当。

1980年(昭和55年)、30歳。『仮面ライダースーパー1』(毎日放送)で殺陣を担当。

この『スーパー1』は中国拳法がアクションに採り入れられており、制作に入る前に、スーパー1役の中屋敷鉄也、主演の高杉俊价の3人で「北派少林拳」指導者、龍明宏の下に通い、中国拳法の指導を受けている。

同作では、長年のコンビである中屋敷鉄也のアクションも脂の乗り切った時期にあり、立ち回りの指示をしただけで即本番に入れたというほど、殺陣・演出と併せて円熟したものだったといい、「代表作」と本人も自負するものとなった[3][4]

1985年(昭和60年)、35歳。『スケバン刑事』(フジテレビ)で技斗を担当。以後「スケバン刑事シリーズ」全般を受け持つ。

同作で斉藤由貴がヨーヨーを操る一連のポーズは評判となり、シリーズは3部作、映画化に繋がるヒットとなった。

以後、殺陣師、アクションコーディネイターとしてテレビ、バラエティ、映画、各種アトラクションなどで活躍。また、アダルトビデオ製作会社の「GIGA」に役員参加し、ビデオ作品の監督も手がけたほか、新宿ロフトプラスワンや各種イベントの舞台演出も行う。

会員時代から「凸凹コンビ」として知られる中屋敷鉄也や、岡田自身が剣友会に勧誘した新堀和男とは、現在も仕事を共にすることが多い。

エピソード[編集]

『仮面ライダー』第1話で蜘蛛男を演じるよう言われた時は、仮面をつけての演技は初めてであったため戸惑ったという[2]。相手役となる藤岡弘も仮面をつけてのアクションは初めてであったが、岡田は殺陣のプロとして、藤岡は主演としてそれぞれ意地があったため、慣れ合いではなく真剣に取り組んだという[2]。蜘蛛男の面は覗き穴が小さく見えづらかったため、自ら錐で穴を広げた[2]

藤岡が負傷した後は主に岡田が仮面ライダー1号役を務めたが、ポーズは真似できても藤岡の癖を真似られるほど器用ではなく、自身のアクションそのままであったという[2]

初めて殺陣を担当した『仮面ライダー』第46話では、「変わったアクションをしよう」と、ライダーが首に縄をかけられスノーモービルで引かれるアイディアを出したが、雪不足のためロケが中断。日を変えての撮影となり、高橋が復帰。結局この危険なスタントは岡田自身が演じることとなった[3]

大野剣友会と長く仕事をした佐々木剛は「岡田がライダーに入ると足が短くなる」と冗談めかしく語っていて、本人も「ぼくが入るとライダーの脚が短くなるからすぐにわかっちゃうんだよ」と語っている。また中屋敷が演じた仮面ライダーV3を「自分と違いスマートで格好良かった」と評している。

『仮面ライダー』などで、怪人が手を口に当ててから前へ伸ばし、炎などを吐く仕草のものは、大半を岡田が演じたものだそうである。かなづちで泳げないので、2号ライダー時期のエンディングでお台場の海に飛び込むシーンでは「死ぬかと思った」と語っている[3]

『プレイガール』で大信田礼子吹き替えで素肌の多いスカート姿で松の木に登ったときは、松の葉針が刺さって体中が腫れ上がり、発熱して寝込んだが、これを押して翌日も撮影に挑んだという[3]

仮面ライダー (スカイライダー)』は当初、「初期のライダーに戻そう」との取り決めがあり、少し惑うところもあったという[3]。「初代のリメイク」ではアクションに特徴がなく、設定上の特徴である「空を飛ぶ」という要素もアクションには活かせなかった[4]。また撮影場所も東映生田スタジオ時代は赤土の多い三栄土木を用いていたが、東映東京撮影所に変わった『スカイライダー』以降は石の多い場所であったため苦労したという[4]

10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』では、大野剣友会が携わる最後の仮面ライダーになるだろうという想いから、クレジットを大野幸太郎との連名にした[4]。仮面ライダーZX役の城谷光俊は、『アンドロメロス』に参加していたことから岡田が抜擢した[4]

主な参加作品[編集]

太字はメインキャラクター。

テレビ[編集]

ほか多数

映画[編集]

その他多数

スタッフ[編集]

その他テレビ作品多数

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 『仮面ライダー大全』 双葉社、2000年、109頁。ISBN 4-575-29121-8
  2. ^ a b c d e f g OFM仮面ライダー9 2004, p. 29, 「岡田勝」
  3. ^ a b c d e f g h 『魂の仮面ライダー爆談!! COMPLETE+』 辰巳出版2011年4月25日ISBN 978-4-7778-0905-9
  4. ^ a b c d e f OFM仮面ライダー9 2004, pp. 27-29, 和智正喜「特集 大野剣友会 ライダーアクション影の主役たち」
  5. ^ 『仮面ライダーV3大全』 双葉社、2001年、77頁。ISBN 4-575-29235-4

出典・参考文献[編集]

  • 『仮面ライダー怪人大全集』(講談社
  • 『大野剣友会列伝』(岡田勝、風塵社
  • 『東映ヒーローMAX』連載「魂の仮面ライダー爆談!!」(辰巳出版
  • 『魂の仮面ライダー爆談!! COMPLETE+』(辰巳出版)
  • WEBラジオ『ショッカーO野の秘密基地へようこそ!! 第35回』岡田勝ゲストインタビュー
  • 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.9 仮面ライダースーパー1』 講談社2004年9月10日ISBN 4-06-367090-2