岡崎徹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
おかざき とおる
岡崎 徹
本名 同じ
別名義 片岡義昌(旧芸名)
生年月日 (1948-12-03) 1948年12月3日(69歳)
出生地 日本の旗 日本長崎県
身長 173センチメートル[1]
血液型 O型
職業 俳優歌手
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1971年 - 1976年
活動内容 1971年:歌手デビュー(片岡義昌名義)
1972年:俳優デビュー
1974年:『電撃!! ストラダ5』(初主演)
1974年:『仮面ライダーアマゾン
1976年:引退
主な作品

映画
不良番長シリーズ』


テレビドラマ
仮面ライダーアマゾン
電撃!! ストラダ5』『白い牙

岡崎 徹(おかざき とおる、1948年12月3日[2][注釈 1] - )は、日本の元俳優、元歌手。本名同じ、旧芸名:片岡義昌[2]

長崎県出身[2]血液型はO型。長崎県立長崎北高等学校卒業[2]

略歴[編集]

高校卒業後、友人の紹介で上京。日活の研究生、歌手・水原弘の付き人を経て[3][4]1971年に片岡義昌の芸名でシングル「心に準備のない私」で歌手デビュー。

1972年東映の『不良番長 のら犬機動隊』で俳優デビューし、同じく不良番長シリーズの『一網打尽』にも出演。1974年、日活制作のアクションドラマ『電撃!! ストラダ5』で主役のペガサス / 堀田貫介を演じ、同年『仮面ライダーアマゾン』の主役であるアマゾン(山本大介)役に抜擢された[1]

その後、ドラマ『非情のライセンス』の撮影中にオートバイで転倒し、右足複雑骨折という重傷を負ってしまい、長期入院後、芸能界に復帰せず引退。帰郷し、約3年実家にて養生後、福岡市スナック「a&b」を経営していたが、閉店[5][注釈 2]

その間、1986年に書籍『仮面ライダー大全集』にコメントを寄せ[6][1]1991年のイベント「仮面ライダーワールド」に出席したが、「a&b」閉店後は所在がつかめず、1999年に刊行された歴代仮面ライダー主演俳優のインタビュー本『不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説』には両親がインタビューに応じている[7]

2005年自伝本『アマゾンから帰った男』(星雲社)を出版[注釈 3]。それに合わせて、同年8月28日に開催された「第13回東京トイフェスティバル」に登場し健在ぶりをアピールした。この時に「芸能界に戻るつもりはない」と語っているが、何度か自身の出演作品に関するインタビューには応じている。

2010年7月4日に開催されたスーパーフェスティバル「特撮アーカイブ」サイン会に久しぶりに公の場に登場した。

2011年7月17日と7月18日には、『仮面ライダー40周年記念 ライダー大集合!』に参加。

2012年2月5日に開催された「昭和のヒーロー 荒木しげるvs岡崎徹 トークショー」に出演[8]。『電撃!!ストラダ5』出演当時の裏話や歌を披露した。

2012年10月6日の速水亮のブログには、佐々木剛が経営する居酒屋に速水と訪れた様子が掲載されている[9]

2017年8月5日、約40年ぶりの全国ネット番組となる『こんなところにあるあるが。土曜・あるある晩餐会』(テレビ朝日系列)の歴代仮面ライダー俳優特集に出演。藤岡弘、倉田てつをらと共に撮影当時の苦労話を語った。

エピソード[編集]

  • 『仮面ライダーアマゾン』への出演はオーディションではなく、東映渡邊亮徳の推薦によるものであった[4]。しかし、雑誌では「500人を超えるオーディションで選ばれた」と掲載されたこともあったという[4]
  • 仮面ライダーSPIRITS』16巻の巻末インタビューによると、『仮面ライダーアマゾン』は所属事務所を通してのオファーで決定したらしいが、それ以前の『電撃!! ストラダ5』の主演時に作品が短命に終わったことに責任を感じており、特撮番組の主演に抵抗があったので当初は断っていたらしい。しかし、梅宮辰夫にそのことを相談したところ、自分も子供番組をやったことがあるので怒られてしまう[4]。そして、「ターザンのような異色の仮面ライダー」ということで「これなら演ってみたい」という衝動に駆られ主演を決心したことを語っている。「裸を見せる」ということでクランクイン前に熱心に筋トレをしたという。他に当時の撮影状況で主役のはずなのにロケバスに置いてけぼりにされたことや二日酔い状態で撮影に臨んだこと(大野剣友会との付き合いがあるので何も酒気帯び状態での撮影は岡崎に限ったことではない)などを語っている[要ページ番号]
  • 『アマゾン』撮影時のコスチュームは第9話まで腰蓑1枚で、インタビューでは「林の中で撮影するシーンなどが多かったことから、やぶ蚊が最大の敵だった」「体毛が濃くなった」などと回想している[6]。撮影にあたっては、映画『燃えよドラゴン』を参考にしており、ブルース・リーも上半身裸姿であったことから、裸での演技には違和感はなかったと述べている[4]
  • オートバイには高校生時代から無免許で乗っており、小学生時代にも教師のスーパーカブを運動場で走らせてもらっていたという[4]。『アマゾン』出演決定後に受けた研修では、「今までの仮面ライダー俳優の中で抜群」と評されていた[1]
  • 当時の自身の演技については半人前であったと述べており、共演した子役の松田洋治に助けられていたと感じていたという[4]
  • 岡崎の母親は書籍『仮面ライダー伝説』のインタビューの中で、所属事務所から復帰を促す電話が何度もあったものの、岡崎は断り続けていたと述べている[10]
  • 故郷に戻ってから知り合いの少年から「誰にも言わないから変身してみせて」とせがまれたが、「ベルトを撮影所に置いてきたから出来ないよ」と断ってしまい、その時の少年の寂しそうな表情を未だに忘れられない、とも語っている。

出演[編集]

映画[編集]

  • 不良番長東映、1968年)
  • 不良番長 のら犬機動隊 (東映、1972年) - ゴーカン
  • 不良番長 一網打尽 (東映、1972年) - 金庫
  • 男組 (東映、1975年) - 阿部
  • さらば夏の光よ (松竹、1976年) - 平岡[注釈 4]

テレビドラマ[編集]


音楽[編集]

シングル[編集]

  • 心に準備のない私/愛の古巣 (東芝、1971年) ※片岡義昌名義
  • 角のスナック/教会のある街 (テイチク、1974年)
  • 長崎の雨はどんな雨/あいつの涙 (テイチク、1975年)

著書[編集]

  • アマゾンから帰ってきた男―その自伝と友人達の証言 (星雲社、2005年)
  • アマゾンから帰ってきた男 別冊 岡崎徹出演作品関係者インタビュー (星雲社、2005年)

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.6 仮面ライダーアマゾン』では、生年を1950年と記載し、「1948年説もある」としていた[1]
  2. ^ 書籍『仮面ライダー大全集』では「スナックなど数点を経営」と記述している[6]
  3. ^ 本人のサイトより注文が可能だったが今はサイトが閉鎖になっている。
  4. ^ アフレコは荒木しげるが担当。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e OFM仮面ライダー6 2004, p. 26, 「主演俳優の横顔 岡崎徹」
  2. ^ a b c d 『アマゾンから帰ってきた男 その自伝と友人達の証言』 星雲社2005年[要ページ番号]ISBN 4434068032
  3. ^ 岡謙二 1999, p. 120
  4. ^ a b c d e f g 仮面ライダー1971-1984 2014, pp. 288-291, 「INTERVIEW 岡崎徹」
  5. ^ 岡謙二 1999, pp. 122-123
  6. ^ a b c 仮面ライダー大全集 1986, p. 233, 「仮面ライダーSTAFF CASTインタビュー 岡崎徹」
  7. ^ 岡謙二 1999, pp. 119-124
  8. ^ 昭和のヒーロー 荒木しげるvs岡崎徹 トークショー”. ツアープランナーのここだけの話. 近畿日本ツーリスト (2011年12月13日). 2017年11月8日閲覧。
  9. ^ 速水亮 (2012年10月6日). “復活!!!”. 速水亮アクターズブログ. Yahoo!ブログ. 2017年11月8日閲覧。
  10. ^ 岡謙二 1999, p. 123

参考文献[編集]

外部リンク[編集]