渡邊亮徳

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渡邊 亮徳(わたなべ よしのり、1930年2月18日[1][2] - )は、映画・実写特撮、アニメーション、テレビ、 ゼネラルプロデューサー、実業家

東映株式会社本社副社長、東映ビデオ株式会社代表取締役社長、株式会社東急エージェンシー顧問、株式会社伊藤園、株式会社東北新社顧問、(社団法人日本映画テレビプロデューサー協会副会長などを歴任し、業界では「リョウトクさん」と呼ばれる。東京府(現在の東京都)出身[1][2]特待生として専修大学卒業。

仮面ライダーシリーズスーパー戦隊シリーズなどをはじめ、多くの特撮作品の生みの親としても知られる。

来歴[編集]

1952年1月に東映へ入社し、営業部配給課営業係に配属された[1][2]。1953年に関東支社営業一課へ異動し、ブッカーを務める[1][2]。1958年から東京担当となり、好成績を収めた[2]

1959年に東映にテレビ課を新設し、初代課長となった今田智憲から東映社長大川博への進言により、1964年6月には営業部テレビ課に移動し、今田の後任として課長就任[3][4][1][2]。その後、東映テレビ部部長に昇進[2]

以後、1960年代後半から1980年代にかけて数多くのシリーズの立ち上げ、企画製作や東映製作のテレビや劇場アニメの企画製作、多くの劇場用アニメーションの企画、制作、映像作品制作に一番重要である作家、出版社、マーチャンダイジング、スポンサー交渉全般を仕切った。

1973年には『テレビランド』を企画出版した。また、東映ビデオ社長として東映Vシネマなどを立ち上げ、海外と共同製作を精力的に開拓。映像をレーザーカラオケに提供する東映レーザーカラオケなども、いち早くパイオニアと協力して立ち上げて映像を提供し、映画・ビデオ業界を活性化させた。原作や作詞などを手がける八手三郎は渡邊亮徳を中心とした東映テレビ事業部製作チームの共同ペンネームであり、長年にわたって継続使用されている。また、東文彦というペンネームは渡辺宙明作曲の『マジンガーZ』のオープニング・テーマ「マジンガーZ」の作詞のために使用された渡邊のペンネームであり、挿入歌とエンディング・テーマを小池一夫に注文し、『グレートマジンガー』なども同様に作詞させた。『日本ジャパニーズヒーローは世界を制す!』など、渡邊に関係するさまざまな関連資料が出版されている。

1989年6月には東映ビデオ社長にも就任。在任中、[東映Vシネマや東映レーザーカラオケなども映画界を支えるべく精力的に推進し、あえて独占せずにカラオケ分野の市場拡大に貢献した。

営業出身のプロデューサーとして東映のテレビ番組事業の基盤を創り、東映の副社長となった。1996年の春ごろ東映を退社するまで、長く同社を支え続けた。その後は個人事務所「渡邊事務所」を作って活動し[1][2]、劇場映画である『仮面ライダーZO』『仮面ライダーJ』『人造人間ハカイダー』などの製作を渡邊が手がけている時からの付き合いである雨宮慶太に『牙狼-GARO-』の企画を提案し、漫画家の かわぐちかいじ には『太陽の黙示録』のアニメーション化を提案し、NHKから近藤晋プロデューサーを東北新社へ招いて映画『陰陽師』の企画・製作をさせるなど、多くの企画や立ち上げに尽力し、 東北新社顧問も務め[2]東映時代から今なお支え続けている。東映や東映ビデオ時代から東北新社やバンダイなど多くの企業と共同製作、マーチャンダイジング(マジンガーZなどの超合金シリーズ、仮面ライダーの変身ベルト、など)を行ない、ジャンルを超えて業界を支え続けている。

人物・エピソード[編集]

  • 「お客様が得をする。私共も得をする。両方、得する亮徳りょうとくです」を営業時のキャッチフレーズとしていた[1][2]。セールスマンとして活動していた営業時代のあだ名は「ブルドーザー」「ギャング」「大名」[3][1][2]
  • 口の巧さから「渡邊が来ると騙される」と揶揄されることもあった[1]。自身もそれを自覚しており、金銭が絡む契約時には出向かないようにしていた[1]
  • 企画者として今現在流行しているものを追いかけるのではなく、次に来るブームを見定めることを重視している[5][1][6]。また、「企画は螺旋形に推移する」という持論を掲げており、過去に流行したものは少し進化した形で再び流行すると考察している[1][6]。『仮面ライダー』企画時は、当時ヒットしていた『タイガーマスク』を参考にしつつ、ブームが過渡期にあったスポ根ものではなく『月光仮面』に代表される仮面ヒーローとすることを直感したという[1]。また、「モーレツ」や「ビューティフル」に代わるものを作ろうという意気込みもあり、「変身ブーム」が社会現象となった時には自分たちの努力が実ったことを感じたという[5]
  • 東映プロデューサーの平山亨は、渡邊について映画の営業を勤めていた経験から、作品の当否について鋭い勘を持っていたと評している[7]。『仮面ライダー』の企画時では、強力な裏番組に対して勝算のない仮面ヒーロー物をぶつけるという渡邊の提案に対し、平山は半信半疑であったが最終的には渡邊の勘を信じたと述べている[7]
  • 『仮面ライダー』の開始当初、赤字を理由として役員会で叱責された際、社長の大川博に対して「将来100億売ってみせる」と大見得を切った[1]。その後、渡邊はテレビ作品の制作を拡大し、最高で300億円売り上げるに至った[1]。多忙な中でも同シリーズの試写はほとんど立ち会ったという[5]
  • 漫画家水木しげるの妻・武良布枝の自伝書籍『ゲゲゲの女房』P140などには、『ゲゲゲの鬼太郎』テレビアニメ化秘話が水木と渡邊との会話が書かれている。2010年の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』に登場する船山信義(演:風間トオル)のモデルは、渡邊である[8]
  • 人造人間キカイダー』では、脚本[注釈 1]も担当している。東映プロデューサーの吉川進によれば、内容に対する批判が多かったため、渡邊が自ら執筆に名乗りを挙げたという[10]
  • 『キカイダー』に登場するライバルキャラクターであるハカイダーは、渡邊が組織の脱走者であるキカイダーに対して怪獣型の追手よりもさらに凶悪な追手を登場させて追い込む、という考えから発案したものである[10]

企画・製作[編集]

など

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 1972年11月11日放送分 第18話「クロカメレオン 幻の大強奪作戦」(島田真之との共同執筆)[9]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o OFM仮面ライダー11 2004, pp. 31-33, 構成・杉田篤彦 進行・高橋和光「ファイナル特別座談会 東映ヒーローの礎」
  2. ^ a b c d e f g h i j k 仮面ライダー怪人大画報 2016, p. 210, 「仮面ライダースタッフ・キャスト人名録2016年版」
  3. ^ a b #キャラクタービジネス、p40-45
  4. ^ #日本ヒーローは世界を制す!、p35。
  5. ^ a b c 仮面ライダー大全集 1986, p. 236, 「仮面ライダーSTAFF CASTインタビュー 渡辺亮徳」
  6. ^ a b キャラクター大全1号2号編 2014, pp. 150-151, 「仮面ライダー証言集1 渡邊亮徳」
  7. ^ a b 仮面ライダー怪人大画報 2016, pp. 62-66, 「仮面ライダーを育てた三賢人I 平山亨
  8. ^ 「東映テレビTV40年」etc.[要文献特定詳細情報]
  9. ^ 変身ヒーロー大全集 1995, p. 165, 「EPISODE GUIDE 全43話」.
  10. ^ a b 変身ヒーロー大全集 1995, p. 150, 「プロデューサー・インタビュー 永遠なる変身ヒーロー 主役を越えたハカイダー 吉川進

参考文献・ウェブサイト[編集]