中屋敷哲也

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なかやしき てつや
中屋敷 哲也
本名 中屋敷 鉄也
なかやしき てつや
生年月日 (1948-06-05) 1948年6月5日(69歳)
出生地 日本の旗 日本岩手県[1]
民族 日本人
血液型 A型
ジャンル 俳優スーツアクター
活動期間 1968年 -
主な作品
仮面ライダーシリーズ

中屋敷 哲也(なかやしき てつや、旧名:中屋敷 鉄也1948年6月5日[1][2] - )は、日本俳優スタントマンスーツアクター。 昭和の歴代仮面ライダーを演じた実績から、「ミスター仮面ライダー」の異名を持つ。

略歴[編集]

岩手県出身[1][2]岩手県立久慈高等学校卒。17歳の時に家出同然で上京し、食品会社に勤務する一方で、劇団宝映に所属し東宝映画へエキストラとして出演する[2]

1966年(昭和41年)、18歳。殺陣師・嵐寛童の紹介で12月大野剣友会に入会[2]

1968年(昭和43年)、20歳。『マイティジャック』(フジテレビ)でTVデビュー[1]

1969年(昭和44年)、21歳。『柔道一直線』(TBS)で立ち回り出演[2]

1970年(昭和45年)、22歳。大野剣友会を一時退会。芸能界から離れアルバイト生活をする。

1971年(昭和46年)、23歳。秋頃に剣友会に復帰、『仮面ライダー』(毎日放送)で戦闘員や怪人のスーツアクターを務める。第46話で初めて、主役の「仮面ライダー」を演じた[3][2]

以後、大野剣友会の担当する数多くの東映「変身ヒーロー」番組に出演し、長身で足の長い恵まれた体格もあって、そのほとんどで主役ヒーローのスーツアクターを担当した。

1972年(昭和47年)、24歳。『超人バロム・1』(よみうりテレビ)で、主役の「バロム・1」を演じる[3]。同番組終了後、『仮面ライダー』に復帰、「仮面ライダー1号」を演じる[3]

1973年(昭和48年)、25歳。『仮面ライダーV3』(毎日放送)で、主役ヒーロー「仮面ライダーV3」を演じる[3]

1974年(昭和49年)、26歳。『仮面ライダーX』(毎日放送)で、主役ヒーロー「仮面ライダーX」を演じる[3]。Xの前期アクションは剣戟の要素が強く、これは中屋敷の得意とするものだった。

同年、映画『エスパイ』(東宝)に、中村文弥新堀和男とともに暗殺者役で出演。

1975年(昭和50年)、27歳。『仮面ライダーストロンガー』(毎日放送)で、主役ヒーロー「仮面ライダーストロンガー」を演じる[3]

同年、『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)では「アオレンジャー」を担当。

1977年(昭和52年)、29歳。『後楽園ゆうえんち』での大野剣友会オリジナル・ショー『レッドタイガーショー』で、主人公と二段変身後のレッドタイガーを演じる。

1978年(昭和53年)、30歳。テレビ番組となった『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー東京12チャンネル)でレッドタイガーを演じる。

1979年(昭和54年)、31歳。大野剣友会代表の大野幸太郎が会長に退き、岡田勝が代表に就任。中屋敷は新体制下の剣友会で盟友岡田を支えることとなる。

同年、『新・仮面ライダー』(毎日放送)で「スカイライダー」を演じる[3]

1980年(昭和55年)、32歳。『仮面ライダースーパー1』(毎日放送)で、「スーパー1」を演じる[3]

1984年(昭和59年)、36歳。『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』(毎日放送)ではスーパー1と敵役の「三影英介」を演じた。主演の仮面ライダーZXのスーツアクターの座は、城谷光俊に譲っている。

現在はフリーとなり、舞台を中心に活動している。テレビドラマへの客演も多い。剣友会時代は岡田勝と『凸凹コンビ』と呼ばれ、岡田とは現在も仕事を共にすることが多い。

エピソード[編集]

中学生時代から小林旭宍戸錠日活のアクション俳優に憧れていた[2]。遊びで自分で考えた芸名や友人の名を入れたポスターを描いていたことが俳優を志すきっかけになったという[2]

昭和の『仮面ライダーシリーズ』は、怪人の最期等で火薬を使った激しい爆発シーンが有名であり定番だが、中屋敷はその経験から、爆発シーンの心得として「爆発の中心から2メートル離れて立っているよりも、30センチメートル離れた距離の45度の中にしゃがんでいるほうが安全」と語っている。

初めて通年で演じた『仮面ライダーV3』について、自身では「ぎこちなく、カシラ(高橋一俊)に言われたまま動いている」と述べているが、演出の危険度が増す中でメリハリのあるアクションを演じきったことが評価されている[4]。大野剣友会の岡田勝は、中屋敷が演じたV3について「自分と違いスマートで格好良かった」と評している[4]

『仮面ライダーV3』第4話では、仮面ライダーV3の衣装を着けたまま、命綱なしで高さ50メートルを超える煙突の上に立って演技をしている[注釈 1]。ある日、監督の奥中惇夫[要出典][注釈 2]「人間は命綱無しで50メートルの煙突の上に立てるものかねぇ?」と問われ、その時は他人事と思い「出来るんじゃねぇの?」と軽く言ってしまった。後日これが実際のシーンに組み込まれ、中屋敷はこのことを事前に知らされておらず、渡された台本を見たときに初めて知り、「えっ? これ、俺がやるの!?」と驚愕したという。また、この時立っていた煙突の足場の幅は15-20センチメートルしかなく、「リハーサルの時に足場の一部が崩れたときには、本気で怖かった」と語っている。後日「自分がやるなら『出来る』なんて言わなかったのにねぇ。(笑)」と語っている。殺陣担当の高橋一俊は「中屋敷が死んだら、俺も死ぬ!」という覚悟で臨んだと後日語っている。また、この回の演出担当で、煙突に立つアイディアを出した奥中は後日、この話をビデオで見て「こりゃ命綱付けなきゃダメだわ」と語っていた。

『仮面ライダーV3』の四国ロケでは、宿泊先の旅館で、みんなで女湯を覗きに行った事がある。しかし、いたのは修学旅行に来ていた学校の見張りの男の教師で、「後に凄く怒られた」とコメントしている。この時の宴会の写真が宮内洋の著書『ヒーロー神髄』に掲載されており、中屋敷と宮内のツーショットが観られる。

この『仮面ライダーV3』では、宮内洋が主人公「風見志郎」の役作りに熱心になりすぎて立ち回り(殺陣)がおろそかになり、V3役の中屋敷が「主役は誰なんだ、V3じゃないか!」と一喝したことがある。一方で、抜擢されたばかりの宮内に対し「宮内さんの芝居に合わせたいので研究させて下さい」と要望していて、これはその後の『仮面ライダーシリーズ』も同じだったという。この言葉に心を打たれた宮内は以後、中屋敷らと息の合った演技を心がけ、現在も続く交友となっている。

仮面ライダーX』では、自身が得意とする長モノを用いたアクションや面がすっきりとしたものであったことなどからやりやすかったと述べている[4]

仮面ライダーストロンガー』第13話の撮影では、車の故障でロケ現場に遅刻し、新堀和男が代役を務めた[3]

仮面ライダー (スカイライダー)』は、当初プロデューサーの平山亨が擬斗担当として大野剣友会にオファーしたものの、一度は大野会長が不安定な新体制状態であることと、映画『戦国自衛隊』への出演オファーがあったことを慮って断っている。が、平山や毎日放送側から「仮面ライダー(スカイライダー)役はぜひ中屋敷に」と、たってのオファーが来たことで、自身、相当悩んだが、その際に若手に仕事を与えるためにも「自分達(大野剣友会)を使って下さい。それが出演の条件です」と申し出て依頼を受けた[4]。1号からストロンガーまでの経験を存分に活かした、従来通りの仮面ライダーシリーズの殺陣を披露した。このとき、「ライダー役はこの一作だけ」と条件を出したそうであるが、翌年には「スーパー1」を演じることとなった。また、第9話で怪人コブランジンの人間態を演じた際には、空手の技を披露している。スーツアクターとして主演の村上弘明が不得手であったために、熱心に指導したと言う。村上は中屋敷が演じたライダーで最長身(180センチメートル台後半)であり立ちポーズにもスマートにそれをアピールする為に心掛けたと言う。中屋敷自身も180センチメートルの長身であり、「機敏に動いてるつもりでも、監督や殺陣師からはのろまに視られる」と言う経験から村上の気持ちもよく判ったと言う。

『スカイライダー』の主人公ヒーロー、「スカイライダー」の売りのひとつだった「セイリング・ジャンプ」の飛行シーンの特撮は、ブルーバックの前でピアノ線に長時間吊られ続けるものだったが、体を固定したままの姿勢にもまったく弱音を吐かず、スタッフを「なんて辛抱強い人なんだ」と驚かせた。

『仮面ライダースーパー1』では、主人公ヒーロー「スーパー1」を演じる前に、「北派少林拳」の指導者、龍明広の下で、殺陣担当の岡田勝や主演の高杉俊介とともに、中国拳法の指導を受けている。

中屋敷によれば、『V3』の頃はまだ駆け出しで未熟だったが、次第にアクションがシャープでキレのあるものへ進化していったうえで、『スーパー1』は心身ともに一番脂の乗った時期にあり、最も円熟したアクションとして完成を迎え、「どういう風に動けばいいか、確認フィルムを見なくてもわかった」と、後にスーパー1でのアクションを語っている[4]。後輩の城谷光俊は「俺に言わせりゃ、中屋敷さん以外のスーパー1はみんなニセモノ」と語っている。また、村枝賢一の漫画『仮面ライダーSPIRITS』第5巻でのインタビューには「「もし何人かに『仮面ライダー』(のアクション)で誰が一番良かったか?」って訊いたら、全員「スーパー1の中屋敷さん」って答えると思いますよ」と答えている[6]

『スーパー1』後半のジンドグマ幹部「鬼火司令」役を当初演じる予定だったが、中屋敷はスーパー1のメイン担当だったので、同僚の河原崎洋夫が鬼火司令を演じることになった[1]。中屋敷は「ザキ(河原崎)に(スーパー1役を)譲っても良かったのだが。」と振り返り語っている(それまでも中屋敷の都合がつかなかったシーンのスーパー1は河原崎が演じていた。)。この鬼火司令との立ち回りについては、「同じ大野剣友会の仲間同士だったのでやりやすかった」と述懐している。

スーツアクターの姿勢として、は常に殺陣師が遣り易い様に配慮していた。同期でも年上の高橋一俊に対しては絶対服従で、同じ同期でも歳が近い岡田勝には冗談も交え「危ねえよ、そんな事出来るかよ!」と言いながらも何でも演ったという。後輩の池田力也(『宇宙鉄人キョーダイン』殺陣師)には少しでも気を使われると逆に「もっと、要求しろ」と叱咤激励したとのこと。大野剣友会と長く仕事をした一文字隼人役の佐々木剛によると、「中屋敷の蹴りは違う! 足刀(空手の蹴りで文字通り手刀の足版)が決まる!!」と絶賛している。自身の長身を生かした長物が得意で、『仮面ライダーX』におけるライドルスティックのアクションで存分に証明されていた。

大野剣友会創始者の大野幸太郎は、中屋敷を「努力の人」と評している[7]

出演[編集]

太字はメインキャラクター。

テレビ[編集]

映画[編集]

スーツアクターとしての出演[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 補助として中村文弥が梯子部分に待機し足首を掴んで支えていたと書かれた文献もあるが、本人曰く「そんなとこ持たれたらむしろバランスとれなくて危ない。あれは嘘だ。ということである。監督の奥中惇夫はフックを掛けられるところが避雷針しかなかったと証言している[5]
  2. ^ 『KODANSHA OFFICIAL FILE MAGAZINE 仮面ライダー Vol.9』のインタビューでは、『変身忍者 嵐』の時に制作主任の大竹昭男に言われたと証言している[2]
  3. ^ 当初は中屋敷がメインであったが、『バロム・1』への異動により大杉雄太郎に交代した[4]
  4. ^ 11話以降を中村文弥と兼任。
  5. ^ 1話、2話は中村文弥と兼任。
  6. ^ 第4話までは古谷徹アフレコしていたが、第5話以降は中屋敷自身がアフレコも行なった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 岩佐陽一 編、取材・構成 - 大久保一光 「RESPECT 中屋敷哲也」『仮面ライダーV3大全』 双葉社、2001年、159 - 162頁。ISBN 4-575-29235-4
  2. ^ a b c d e f g h i j k OFM仮面ライダー9 2004, p. 29, 「中屋敷鉄也」
  3. ^ a b c d e f g h i 仮面ライダー大全集 1986, pp. 154-157, 「仮面ライダーの影 大野剣友会」
  4. ^ a b c d e f OFM仮面ライダー9 2004, pp. 27-29, 和智正喜「特集 大野剣友会 ライダーアクション影の主役たち」
  5. ^ 破李拳竜「紘道館サーガ弐 奥中惇夫監督インタビュー」、『宇宙船』Vol.112(2004年5月号)、朝日ソノラマ2004年5月1日、 117-118頁、 雑誌コード:01843-05。
  6. ^ 仮面ライダーSPIRITS』 (ISBN 9784063491449) 241頁、第5巻巻末特別インタビュー (2) 「我が誇りのゼクロス」
  7. ^ 仮面ライダー大全集 1986, pp. 158-161, 「大野剣友会座談会 私達も仮面ライダーでした・・・」.

参考文献[編集]