中村吉右衛門 (2代目)

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にだいめ なかむら きちえもん
二代目 中村吉右衛門
Tatsujiro Namino cropped 2 Tatsujiro Namino 201711.jpg
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
屋号 播磨屋
定紋 揚羽蝶 播磨屋揚羽蝶
生年月日 1944年5月22日
没年月日 (2021-11-28) 2021年11月28日(77歳没)
本名 波野なみの 辰次郎たつじろう
襲名歴 1. 中村萬之助
2. 二代目中村吉右衛門
別名 まつ 貫四かんし(二代目)
出身地 東京都千代田区
血液型 B型
初代松本白鸚
初代中村吉右衛門(養父)
藤間正子(初代中村吉右衛門の娘)
兄弟 二代目松本白鸚(兄)
波野知佐
当たり役
仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助
勧進帳』の弁慶
妹背山婦女庭訓』吉野川の大判事清澄
極付幡随長兵衛』の幡随院長兵衛
ひらかな盛衰記』逆櫓の樋口次郎
絵本太功記』の武智光秀
一谷嫩軍記』熊谷陣屋の熊谷直実
平家女護島』俊寛の俊寛僧都
義経千本桜』渡海屋・大物浦の渡海屋銀平
梶原平三誉石切』の梶原平三
松浦の太鼓』の松浦鎮信公
大老』の井伊直弼
天衣紛上野初花』の河内山宗俊
東山桜荘子』の木内宗吾
菅原伝授手習鑑』の武部源蔵、松王丸
傾城反魂香』吃又の絵師又平
籠釣瓶花街酔醒』の佐野次郎左衛門
祇園祭礼信仰記 金閣寺』の松永大膳

松貫四の歌舞伎台本
『再桜遇清水』(さいかいざくら みそめの きよみず)
『昇龍哀別瀬戸内・藤戸』(のぼるりゅう わかれの せとうち・ふじと)
『巴御前』(ともえ ごぜん)
『日向嶋景清』(ひにむかう しまの かげきよ)
『閻魔と政頼』(えんまと せいらい)

二代目 中村吉右衛門(にだいめ なかむら きちえもん、1944年昭和19年〉5月22日 - 2021年令和3年〉11月28日[1])は、歌舞伎役者。屋号播磨屋定紋揚羽蝶、替紋は村山片喰日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。位階は正四位旭日重光章受章(没後追贈)[2]。公称身長178 → 176cm・体重79kg・血液型B型。ふたご座。俳名:秀山。ペンネーム:松貫四[3]

人物[編集]

1944年昭和19年)5月22日月曜日)、東京都千代田区出身。暁星高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科中退[3]

3歳から松本流松本幸子氏、六代目藤間勘十郎氏に日舞、小学4年より和田喜太郎氏に和泉流狂言、杵屋栄二氏に長唄藤舎呂船氏に鳴物、中学からは竹本小仙氏に義太夫、大学時には作曲家半間厳一氏に声楽を習う。[4]

堂々たる体躯、陰影に富む演技をもって歌舞伎立役の第一人者として活躍。義太夫狂言時代物世話物から新歌舞伎喜劇にいたるまで全てのジャンルで高い評価を得ている。「吉右衛門のあとを継ぐ人に、この人が生れて来たのは、まことに天の配剤の妙だ」[5]浜村米蔵)と評され、「芝居のうまさは現代の歌舞伎役者中では一、二を争う実力」(渡辺保)と買われ、「押しも押されもせぬ見事な座頭役者」(福田恒存)と激賞された。[6]

後述するように、『勧進帳』や『義経千本桜』などでの武蔵坊弁慶役が十八番で、1986年NHK新大型時代劇武蔵坊弁慶』でも、主人公・弁慶役を演じた。また、テレビでの当たり役、フジテレビ時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』で演じた主役・鬼平こと長谷川平蔵役の成功によって、お茶の間でもお馴染みの顔となった[7]

子供の頃から絵画やスケッチを描くのが好きで、高校生の時に文人画をやろうと画家に弟子入りしたこともあった。[8]後年画集を出版したほか、画廊で個展も開き、美術館では展覧会のイヤホンガイドや講演なども行った。好きな画家はモネセザンヌ。彼らの絵を見る際には予備知識が必要ないから好きだと話している。ルオーも好きで、NHKの旅番組で本人のアトリエを訪問し感激した。

歌舞伎界では珍しく、クイズが得意であり、クイズ番組(世界ふしぎ発見わくわく動物ランド迷宮美術館ほか)に出演する事もあり、しばしばトップ賞を取って博学ぶりを披露した。

東京都、牛込区(現在の新宿区)牛込若宮町の初代吉右衛門宅(母の実家)にて誕生。出生名は「藤間久信」だったが、4歳のころに母方の祖父である初代の家(波野家)に養子として入り「波野久信」に、その後昭和41年10月に二代目吉右衛門襲名と同時に「波野辰次郎(初代の本名と同じ名)」へと改名した。

今日では春の恒例行事となっている四国金丸座こんぴら歌舞伎大芝居復活に深い関わりをもつ。吉右衛門は第一回目に出演し、演出・脚本も担当した(プロデューサー的な役割は澤村藤十郎が担当)。その様子はNHK特集『再現!こんぴら大芝居』として1985年7月19日に放送された(2006年2月4日及び2021年8月24日にNHKアーカイブスとして再放送)。

歌舞伎作者・画家としての筆名は、松 貫四(まつ かんし)。これは祖先にあたる人形浄瑠璃作者・松 貫四(初代)名跡を踏襲したものである。2003年頃、これからは松貫四としての活動にも力を入れたいと話し、絵や芝居の制作を行った。

関西学院大学客員教授を務め、日本芸術院会員にも推薦され、就任した。

2011年平成23年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され(認定の官報告示は同年9月5日付け)、2017年(平成29年)文化功労者となり、没後2021年(令和3年)12月24日付けで旭日重光章を授与され、正四位に叙された[9][2]

2020年(令和2年)、コロナウイルス禍の中で3月から7月まで歌舞伎座の公演が中止となり、無観客で舞台映像を収録しインターネットで配信(須磨浦)。日本俳優協会伝統歌舞伎保存会公式動画企画「歌舞伎ましょう」では、得意の絵を描く姿を動画で披露した。休演中は孫の丑之助のために脚本や書き抜きの手直しや、丑之助兄妹を描いた絵を残して「じじを忘れないようにしてもらおう」としたという。8月に歌舞伎座が再開され、9月に再び舞台に上がった際には「『ああ、生きていてよかった』と思いました。オーバーかもしれませんが、そんな感じがした初めての舞台ですね」と話し、子役が活躍する「近江源氏先陣館」を自分が動けるうちに丑之助とやりたい、それは念願だと語った(NHKラジオ深夜便:2020年12月30日放送・冊子2021年4月1日号より)。

初代吉右衛門や実の両親は俳句に凝っており、俳句の稽古も母の勧めでやったが全く駄目だったという。「欲張りですから、これも詠みたい、あれも詠みたい、いろいろなものを詠みたくなっちゃったからダメなんです。」「落としたり削ったりする作業はどうやら私には向かないと、早々に俳句は諦めた」

小学二年に詠んでまあまあ実母に認められた句は「桜散る学校へ行く子ら楽し」。芭蕉一茶を読むように言われたが、蕪村の方が好きだった。芭蕉、一茶は作品よりも、彼らの生涯が芝居になりそうで興味がある。[10]

自動車好き。16歳の誕生日に鮫洲で免許を取った。レーサーに憧れてライセンスを取ろうとしたこともある。最初の愛車は中古のダットサントヨペット、コロナ、パブリカ、コンセルと乗り換え、大学入学の年にはMGB[11]96年頃はダイムラーのダブルシックス、99年頃はメルセデスベンツに乗っていた。ジェームス・ディーンに憧れて、いつかはポルシェと思っていたが果たせず。マニュアル車が好み。

色はブルーが大好きで、少年時代の思い出の色について、ばあやの故郷、千葉県の千倉の海のイメージがあるのか、夏の強い日差しのようなブルーが大変印象に残っていると語った。青年期はブルーの椅子を買ったり、ミッドナイトブルーの服ばかり着ていた。いまは頭が白くなってきたので(※1994年2月の対談)ブルー系は難しくなってきたと話した。[12]

結婚前は出不精だったが、知佐夫人の影響でオペラ鑑賞[13]もはじめ、95年頃は休みが取れるとイタリアへ行ってオペラを観ていた。「オペラを観るとほっとするんです」[14]

読書は「積ん読派」だが、乱読で何でも読み、岩波文庫はほとんど揃えている。買うときはバサッと全集を買ったりする。小学校は「吾輩は猫である」中学ではスタンダール「赤と黒」「星の王子さま」、20代ではイアン・フレミング「007シリーズ」、カミュ「異邦人」など。70代では「紫陽花舎随筆」(鏑木清方)。

好きな洋画は「エデンの東」で観ると泣いていたという。「アポロ13」も観ながら号泣し妻に「マジ?」と呆れられた。「お熱いのはお好き?」も忘れ難いとのこと。好きな女優はマリリン・モンロー[15]高校生の頃、モダンジャズに傾倒した時期がある。映画「死刑台のエレベーター」を母と観てマイルス・デイビスの音楽が好きになった。[16]

漫画が大好きで、21歳頃はガロの作品にハマっており、楽屋の鏡台前に白土三平の「カムイ伝」が山積みになっていた。綺麗でかっきりしている絵柄が好き。小さい頃は馬場のぼる手塚治虫、山根一二三、小島功の画く女の人も好き。面白いのは加藤芳郎と語った。毎月買っていたのは少年サンデー[17]

好きなアニメは『昆虫物語みなしごハッチ』『トム&ジェリー』。「みなしごハッチとかトムとジェリーとか見てる時は、何も考えずにいられる。ハッチを観ながら、”ああ今日も(母に)会えなかった”とボロボロ泣いたり」とリラックス法を問われ語った(人生レシピより)。

駄じゃれ好きだが評判は悪く、家では娘たちの攻撃の的だったという。「B'zWANDSにトリオ・こいさんず、エッヘッヘ」などと言おうものなら食卓は真っ白になり、親類の中村勘九郎(18代中村勘三郎)にも「お願いだから駄じゃれだけはやめてもらいたい」と言われる始末であった。[18]自作の駄じゃれでよく挙げるのは小学生の頃に思いついた「お兄ちゃまはダブルで僕はおフル」。

東京ディズニーランドには開園当初より通っており、クマのプーさんが一押しで、ほのぼのしていて好き、と孫と一緒に「プーさんのハニーハント」に並ぶ。またクマのプーさんが好きな理由を聞かれ「見ただけてホッとする。ほんわかする。安らぎを感じますね」とコメントした。また、孫の丑之助を日清食品のチキンラーメンのシンボルキャラクター「ひよこちゃん」の巨大ぬいぐるみを抱いて迎えたこともある。

好きな食べ物を聞かれると50代くらいまでは「特にない。なんでも食べます」としばしば答えているが、2001年11月、旅行先の由布院で「フグ刺し」をお腹いっぱい食べる、という30年来の夢がかなったと喜ぶコラムを書いている。[19]70代ではプーさん好きの理由で「自分と同じように蜂蜜が好きだから」と応えたことがある。ホイップの乗ったハワイアンパンケーキを美味しそうに食べるシーンも残っている(にじいろジーンにて)。また、味覚障害を患った際に「うなぎ、蕎麦、てんぷらがいつ食べられるか。好物のうなぎを食べてまずかったら生きる希望がなくなっちゃう」というコメントもしている。

来歴[編集]


五代目市川染五郎(後の初代松本白鸚)の次男に生まれる。出生名は「藤間久信」。

母・正子は初代中村吉右衛門の一人娘。兄は二代目松本白鸚。甥は十代目松本幸四郎、姪は松本紀保松たか子

初代中村吉右衛門は一人娘の正子に婿養子を取ろうと考えており、なかなか嫁に行くことを許さなかったが、いよいよ結婚する際、正子は「男子を二人は産んで、そのうちの一人に吉右衛門の名を継がせます」と約束した。その通り二人の男の子が生まれ、約束に基づき、次男の久信は4歳で初代吉右衛門の養子となった。兄、二代目松本白鸚は「われわれ兄弟は、母が思いを遂げるための犠牲者ですね(笑)。よく言えばキューピッドかな。」と語る[20]

1945年(昭和20年)3月、初代夫婦と母・兄、乳母の村杉たけらと共に空襲を避け、日光へ疎開。市電の事故に遭うも、乳母のおかげで無事であった。牛込区(現在の新宿区)若宮町の家は空襲で焼け、8月に終戦を迎え、10月に東京の久我山に転居。5歳の兄が近所の子供にいじめられて帰ってくると、庭ぼうきをひきずり、仇を討ちに殴り込みをかけに行くようなやんちゃな子供であった。久我山時代について、吉右衛門の没後に兄白鸚は「子どものころは二人で芝居ごっこをしてよく遊びました。『盛綱陣屋』なら、私が主役の盛綱で、弟は首実検される生首とかね(笑)。そのころ久我山に住んでまして、道に車もあまり走ってなかったので、「野崎」の送り(『新版歌祭文』野崎村の段)を口三味線で歌いながら、手作りの駕籠をかついで、二人してご機嫌で道中してね。このところ、弟との思い出が次から次へといっぱい浮かんできましたね。[20]」と回想している。

1946年(昭和21年)、渋谷区渋谷に転居。乳母は初舞台を踏み、学校に通い始めた兄に、お手伝いは歩き始めた妹に付ききりだったため、庭の木に次々と登り、一人あそびに興じていたが、隣の「キッチン・ボン」の女将さんに「役者になる子が怪我でもしたらどうする」と言いつけられ、木登り禁止にされた。[21]白鸚は「家庭はあってなきがごとし。家庭の温かさなんて知らなかった」「夕食を家族そろって食べた記憶がない。休日に遊園地に行ったり、だれかの誕生日を祝ったりすることもなかった。親子の断絶という言葉がはやりましたが、うちは断絶以前の家庭でした」「役者の家庭というと、食事にしても豪華なものを食べていると思われますが、そうじゃない。一人づつお盆につつましい料理が用意されていて、それを自分の予定に合わせて各自が食べていました」と夫婦対談で語っている[22]

1948年(昭和23年)、中村萬之助を名乗って4歳で初舞台。この芸名は吉右衛門の祖先・萬屋(よろずや)吉右衛門にちなんだものだった。

「初舞台の口上で、初代が「この子を養子に迎えて跡を継がせる」と述べ、私は戸籍上も藤間久信という名前から祖父の波野姓に変わりました。(波野久信と改名)小学校の名札の苗字も波野となり、「兄貴と苗字が違うんだなあ」と、養子になったことを実感したものです。」(ヘルシーライフインタビューより)

初代吉右衛門は、孫である萬之助を「坊」と呼び、銀座の資生堂、日比谷の東京會舘・プルニエなどの高級レストランや並木藪蕎麦、銀座新富寿しへ連れて行き、目に入れても痛くないほど可愛がったが、こと芝居となるとその性格は一変し、非常に厳しい師匠になり、ヤンチャな萬之助を一喝することもしばしばだった。

翌年萬之助は『山姥』の怪童丸の演技で毎日演劇賞演技特別賞を受賞。天才俳優として注目された。

市川團子(のちの市川猿翁 (2代目))、兄の市川染五郎との十代のトリオで、「十代歌舞伎」とよばれ、人気を博する[23]

1949年(昭和24年)、実父八世松本幸四郎の襲名披露公演に出演。

1951年(昭和26年)、渋谷区立常盤松小学校入学。その後千代田区麹町へ転居。1952年(昭和27年)、暁星小学校第2学年へ編入。

1954年(昭和29年)、祖父かつ養父・初代吉右衛門が死去。9歳の身で死に水を取り、初めてマスコミのカメラの前で焼香をし、告別式でいろは四十八組の鳶の頭が謡う木遣りを聴きながら「吉右衛門を継がなければ」との思いを意識した。最初の人生の転機であったという。

思春期の頃は、実の母が戸籍上は姉にあたり、実の兄は甥に当たるのでお年玉をあげねばならない、藤間と波野の家を行き来して、母の日には義母、生母、ばあやと3本のカーネーションを用意したりなど、小さいころからそれが自分の立場だと納得してきた[24]が、やはり家庭環境の複雑さに起因する人間関係に悩み、また自己確立や、吉右衛門の名前の大きさのプレッシャーにも悩む日々だった。母の正子は演劇界のインタビューで「嫌いなことはすぐに顔に出すわね。そのかわり嬉しい時には顔に出さないから、嬉しいかどうかわからない」「すごく我慢強い子です。人の気持ちを汲み過ぎちゃうんですね。ひとがこう思わないかと思うと、自分の意見、言えなくなっちゃうというような・・・」[25]と語っている。吉右衛門本人は「嫌みな餓鬼といいますか(略)素直に自分の気持ちをさらけ出すより、ちょっと斜交いに透かして洒落たことを言うのです。それもにこにこしながらです。そうすると大人たちはいつも笑ってくれるのです。」「こういう形でしか自分の気持ちを表現できなかったのです。」[26]

中学からは先輩俳優と赤坂の「コパカバーナ」「ラテンクォーター」などの高級ナイトクラブや、兄も一緒にホテルのプールへ通い、男4人で社交ダンスの稽古や、先輩俳優からナンパの手ほどきを受けていた。「初代のように、たった一代で人気と名声を築いた場合、その反動で反対勢力も強いんですね。つまりは「つぶそう」とする勢力です。僕もその影響を少なからず受けました。これは襲名する前のことですが、「中村吉右衛門という名前は〝止め名〟にした方がいいのではないか」と記事に書かれたこともありました。初代限りの名前として、今後誰にも継がさない方がいいと。いやあショックでしたね。僕は何のために役者になったのかと。ええ、ちょっぴりグレましたよ。連日、飲み歩いたり(笑)。」

同じころにジャズを聴き始め、音楽好きの友人たちとバンドの真似事を始めた。ギター、ベース、ピアノを揃え、バイエルから稽古し、兄のドラムと後に作曲家となる村井邦彦のピアノに合わせてベースギターで自宅でよくセッションをしたという。タレントで暁星学園の4歳後輩のエド山口は自身の動画[27]で吉右衛門を追悼し、1967年に発売された兄・染五郎のレコード「野バラ咲く道」は「市川染五郎とザ・ラムローズ」というエレキフォークロックバンドの曲であり、そのバンドの中に吉右衛門も参加して兄弟で演奏しているのを、暁星高校の夏期講習の夕食後にTVで観たと語っている。エド山口はコーラスが入った、レコードのヴァージョンが動画としてYOUTUBEで上がっているが、それはザ・ラムローズの演奏の可能性があると話している。

また、若いころは実父と同じく絵描きを目指したいと画家に弟子入りしたり、「ばあばあ」こと村杉たけの尽力の甲斐あって早稲田大学仏文科に入学すると、フランス文学者、外交官などの道も夢見た。18歳の頃、幼馴染のフランス人女性と恋に落ちる。その後彼女の帰国が決まり、役者を辞め、後を追ってフランスへ行きたいと思いつめた。思い切って父白鸚に話したが、父は反対もせず「何にでもなっちまいな」と背を向けた。「その時の後ろ姿のさみしかったこと。ああ、おやじは僕に期待してくれていたんだなと思いました。双肩に波野家(播磨屋)と藤間家(高麗屋)を担い、片方を兄、片方を僕に譲るために努力してくれていたんだと初めて気づいた。それまでの僕には何も分かっていませんでした」「その時に波野家と吉右衛門の名跡をちゃんと継いで、おやじの荷を軽くしてやらなければと思った」

1961年(昭和36年)、実父(八代目松本幸四郎)と兄(六代目市川染五郎)と共に、松竹から東宝に移籍。1日2回公演が響き、10代の萬之助は心身ともに消耗し、何も喉に通らなくなっていたが、ある日「ばあばあ」が身銭を切ってマスクメロンを兄弟の楽屋に用意してくれており、食欲がない中でも夢中で食べ、生気を取り戻したという。[28]萬之助時代、山本周五郎原作の『さぶ』でさぶ役を演じ、激賞されたが「はまり役と言われ、脇の三枚目ばかり演じるようになってしまうのかと」悩み、毎晩のように精神安定剤とジンのストレートを一緒に飲み、とうとう夜中に血を吐いて倒れ救急車で運ばれる。発見して介抱したのは後に妻になる知佐の父親だった。さぶ役をはまり役といわれ悩んだのは、吉右衛門を継がなくてはならない人間が現代劇で笑いを取る役ばかり演じるようになっていいのか、という気持ちからだったが、誰にも理解してもらえなかったという。[29]1966年(昭和41年)、22歳で二代目中村吉右衛門襲名。芸名のみならず、本名も祖父と同じ「波野辰次郎」に改名した。「実父は役者としての師でもある人の名は呼び捨てには出来ぬと、息子の私を必ず「辰次郎さん」と呼んだ。そうやって、初代・中村吉右衛門という人物の偉大さと、その名を継ぐことの重さを私に教えてくれた」[30]帝国劇場のこけら落としでもあった襲名披露公演は、来日していた抽象画家のジョアン・ミロも観劇し、吉右衛門の楽屋へ訪問したという。[31]当時の報知新聞では「兄の染五郎(現白鸚)が長嶋なら、弟の吉右衛門はに近い」と野球界で人気絶頂だったONに例えて紹介され[32]《自称“縁の下のモヤシ”。兄、染五郎にくらべてハデさはないが、じっくりと芸を深める人柄で、歌舞伎味(肌にカブキの味がしみこんでいるさま)は兄以上だ》[33]と当時の女性自身に報じられた。

東宝では歌舞伎のほか、現代劇ミュージカル、名女優の相手役なども務め、婦系図(1973年)で早瀬主税を演じた際の銀座百点では車谷弘戸板康二に「ばかに声が評判で」「お祖父さん(初代)と声帯が全く同じ」と褒められていた[34]が、当時、歌舞伎より現代劇の舞台に出演することが多く、与えられる仕事は脇役ばかり。思うような活躍ができず、「初代に申し訳ない。名跡を汚してしまう」と悩む。実父の初代松本白鸚は「吉右衛門は、どちらかというと私に似ていて、地道にコツコツとやるほうなんです。(中略)どうもくそまじめで融通の利かないところなど、私にそっくりで。そのうえ、神経質過ぎるのが欠点でしょう。結局、考え過ぎなんです。もう少し楽天的になってほしいと思います。」と演劇界のインタビュー[35]で語っている。幼い頃から胃腸が弱く、長じてからもしばしば胃けいれんに悩まされ、71年には過労による神経性の胃炎、気管支炎などで舞台「ボーイング・ボーイング」(日生劇場)を降板、半年間の療養を余儀なくされた。[32]その後、1974年(昭和49年)、吉右衛門を継いだ者としてもっと古典を勉強したい、もっと実父や初代に近づきたいという思いが雪達磨のように膨れ上がり、このまま東宝にいては、中村吉右衛門という名前を生かすことができないと、父と兄を残して東宝から松竹へ戻ることを決意したが、その決断は「熊谷が己の子供を我が手にかける決意もかくやと思うほどでした。一度飛び出した会社に、梨園に戻る。それは大変勇気のいることでした。(二代目吉右衛門四方山日記)」。覚悟を持って松竹へ復帰するも、現場では「新参者」として扱われ、同じ年頃の御曹司たちが次々と相応の役に挑戦していく一方で、脇役や年代に合わない老け役をつとめなければならないこともあった。しかし吉右衛門は腐らずに稽古をし、先輩たちの舞台を見て、役者としての修業をひたすら地道に積み重ねていったという[36]

1969年の11月に兄二代目白鸚が結婚をした際、同じマンションの別階に住んでいたが、兄が「皆で一緒に住もうよ」と提案し家族全員で同居していた時期があったという。二代目白鸚の妻藤間紀子氏は2022年1月27日放映の徹子の部屋に出演。吉右衛門の第一印象を聞かれると、「なんかとても優しいというか、笑顔が凄くチャーミングで。なんかとても気さくな感じでね。よく結婚したてというかちょっとその前ぐらいからよく一緒に食事したりしてまして」と懐かしそうに話した。[37]吉右衛門は1966年頃、兄の結婚祝いに何を贈るか聞かれ「嫁になる人と出し合って何かプレゼントしようかな」と話し、インタビュアーは目を白黒させたという。

1975年(昭和50年)東京のホテルオークラにて結婚。幼馴染同士で、吉右衛門がよく人生相談をしていた知佐の父から「うちの娘はどうか」と言われ、生母も乗り気だったため話はすんなりまとまったというが、新婦にとっては歌舞伎の世界は外から見るのと中に入るのは大違いで、芝居中心の家庭の中では外国人の中に日本人が1人いるような疎外感を感じたり、無口な吉右衛門が本番前にナーバスになっている際に、何故機嫌が悪いのかわからず、慣れて状況を把握するまではその頃を思い出したくもないほどの苦労をしたという。結婚前に二人で軽井沢へ行った際にプロポーズをした吉右衛門は、当時吸っていたケント煙草の銀紙で、即席の婚約指輪を作って贈ったという。しかし結婚まではほとんどデートもせず、1度だけ吉右衛門が選んで行った映画が「エクソシスト」。当時大流行だったというが、キャーと抱きついてくるかと期待したら体を強張らせているだけだったと話した。また、結婚記念日にそれなりのレストランを期待していたら焼肉店に連れていかれてしまい、口ゲンカをすることもあったという[38]。吉右衛門は幼い頃に初恋の女の子に砂の袋を砂糖が入っていると嘘をついてプレゼントしていじめてしまったことがあったが「好意をゆがんだ形でしか表せない性分はいまだに変わっておりませんが・・・」と自伝に書いている。[39]妻との間には4女をもうけ、20代は風呂嫌いで入っても烏の行水だった[40]吉右衛門も、娘たちを風呂に入れるなど子育てに参加し、娘たちには「とうたん」と呼ばれた。「お父さん」と教えたかったが、幼い子どもに「とうたんでちゅ」と言っていたら、そのままになったという。「二十歳過ぎの娘に『とうたん』などと呼ばれることは照れくさいことだと思っていましたが、いざそういう事態になってみると、照れくさいどころか、うれしいもの」とコラムに書き、後年初孫の和史くんが産まれ「じゅふたん」と呼んでいると話した。ちなみに娘達には「とうたん」と呼ばれない時は「はぐれ刑事」(急にトイレに消えるため)「はぐれ刑事旅情編」(旅行先でトイレに消える場合)、また、見てきたかのようにホラを吹くので「ホラ吹き男爵」と呼ばれたという。[41]家庭内では箸の持ち方や行儀に厳しく、4姉妹の誰かがいつも怒られ、姉妹全員で頭を下げさせられるなど、怖い父親であった。娘の1人が運転免許を取り、助手席に乗ったが、電信柱スレスレに走っているのを見て、「電信柱ではなく人だったらどうする」と思い「危ない!」と鋭く叱っていたら、免許を取った娘は結局2人ともペーパードライバーを選んでしまったという。[42]俳優としては尊敬し大ファンだという娘たちだが、一方で「世間知らず」で「お坊ちゃま」であるとの評もある。性格は忍耐強く、痛さや具合が悪くてもなかなか言わない(機嫌悪そうに黙っている)ので(妻も娘も)困る、すべての目標が高く、幼稚園の頃、遊びのテニスであっても自分たちを上達させようと本気になるので皆怖がっていた、初代を目標に置き、常に高みを目指していると語られている(二代目 聞き書き 中村吉右衛門より)。

1976年(昭和51年)7月ごろ、実父と石切梶原を演じた巡業で福岡県の飯塚市へ行った際、嘉穂劇場に出た時の思い出を実父から聞いた吉右衛門は、経営に行き詰まり、取り壊して駐車場にするという嘉穂劇場をせめて外からでも、と見学に行った。館はまだ残っており、小屋の人に中へ入れてもらえたので花道をずっと歩いてみたという。「嘉穂劇場の花道で、歩いて、「これは、これは、大庭殿」と言ったら、その声がそんなに大きくなくてもピーンと鳴ってね。それから舞台へかかって正面へこうやって座ってみたら、客席が、座ってもちょうどいい高さなんですね。ああ、こんなところでやったら「石切梶原」という芝居も、もっとおもしろく観られるんじゃないかななんて思って、こういうところでやってみたいな、どうして東京にこんな小屋が残っていなかったのかな、と思ったんですよ。」[43]その時の思いは、10年ほど後に実現されることになる。

1982年(昭和57年)1月、実父初代松本白鸚死去。「親父が亡くなったあとは、弟と二人、もう行き場がなくなった感じがしましたからね。山本有三さんの『盲目の弟』という芝居を弟と演じたことがありました。弟が尺八を吹いて路上で恵みを乞うているきょうだいの話ですが、ちょうどあの芝居みたいな境遇になったのです。[44]」と兄の二代目白鸚は振り返る。吉右衛門は週刊文春(1997年6月19日号)阿川佐和子との対談の中で「僕はあぶない性格で一度は死ぬことも考えました」と明かし、阿川の「一番強くこの仕事(歌舞伎役者)を辞めたいと思った頃はいつ頃か」という質問に、37,8歳(1982、3年)の頃と答え、40歳くらいまではそう思っており、当時かなり思い詰めていたと語った。また、後年出版された著書、夢見鳥(私の履歴書として連載)の中では「ガス管をくわえたことがある」と告白した。

1984年(昭和59年)7月、TBSのトーク番組「すばらしき仲間」を天保6年(1835)に建てられた現存する日本最古の芝居小屋「金丸座」で澤村藤十郎中村勘九郎と撮影した際に、3人の役者は芝居小屋に惚れ込み「是非この舞台を踏みたい」と宿泊先の琴平グランドホテル社長の近兼孝休に話したところ、ちょうど老舗旅館の相次ぐ廃業などで町の観光業に危機感を覚えていた近兼が「ここで歌舞伎を公演してもらえないか」と申し入れ、3人は快諾。[45]こんぴら歌舞伎」が復活への道を歩み始めた。「近づいていったら、ずっとここに来た人たちの名前があって。歌六(初代中村歌六)なんてうちの先祖の名前・・・ひいひいじいさんかな。ああ、来たんだななんて思ってね。それで、潜(くぐり)をくぐって客席の戸をガラッと開けて入っていったら、その雰囲気にウワッと、包まれたんですよ。その瞬間に、何かこう小屋が「よく来たね」と言ってくれたんです。そのときに、これはほんとに血だなとしか思えないんですが、役者の血がどっかで覚めたのか、うわあ、ここでやりたいなあ、と思っちゃったんですよね。」[46]

しかし「金丸座」は重要文化財であり、文化庁との折衝、また演劇公演に関するノウハウが全く無い中での集客、さらに当時の琴平町瀬戸大橋もまだ完成しておらず、東京から高松空港へはプロペラの飛行機だけ、鉄路では新幹線、在来線、宇高連絡船の乗り継ぎでやっと到着できるような場所であったため、近兼らの難問は山積。

しかし関係者の努力と熱意は松竹の全面バックアップ、JTBへの協力要請も得られ、ついに第一回『四国こんぴら歌舞伎大芝居』の開催を現実化させる。[45]

「国の重要文化財で上演するのだから、既成の演目ではいけない。金丸座のために作った作品を上演するべきだ」と金丸座側の要請があり、吉右衛門は初めて松貫四のペンネームを名乗り、以前古書店で買ってあった本で見つけた「遇曽我中村」を脚色。「空井戸」などの金丸座ならではの機構を活かす趣向も込めつつ、初めての作品「再桜遇清水」を書きあげ、演出も担当。町に500本の役者名や金丸座の名入りの幟をスポンサーを募って立てるよう要請し(結果1,000本もの幟が立った[47])、成功祈願のお練りや船乗り込みなどのイベントにも参加。町そのものにも江戸の雰囲気を演出した。「町ぐるみにこう「にぎやかし」といいますかね、(略)何かこう町全体がお祭りになって、そのお祭りの山車なり神輿がその芝居小屋で、その上で踊るのが役者みたいな感覚だったんじゃないかと思ってね。そういうところがぼくは歌舞伎の庶民性だと思うんです。」[48]

「再桜遇清水」は1985年6月に大阪中座の本興行で初演し、千秋楽の翌々日に金丸座に過密なスケジュールで乗り込んだ。

スタッフには大道具に金井大道具三代目社長で、「再桜遇清水」の他、のちに「日向嶋景清」の美術も担当する金井俊一郎、照明に日本照明家協会会長の相馬清恒と大ベテランの重鎮を揃え、吉右衛門の「当時に近い自然光での公演実現」などの要求に応えていたが、一方では1週間前までは駐車場の誘導をするつもりでいた、琴平町の商工会青年部の男性メンバーが急遽セリや回り盆の操作、高窓の窓閉めなど、普通であれば危険なため素人が触れないような舞台機構部分を、全くの素人が人力ボランティアで担当することとなり、青年部メンバーは深夜までの必死の転換自主稽古などをして備えたが、当初、演者側には彼らが機構の操作をしていることは知らされておらず、初日は段取りの悪さや、危険や舞台進行の失敗を案じるプロたちから大声で𠮟責が飛び、担当しているのが青年部のボランティアと知った吉右衛門は青年部へ謝りに行った[49]

NHK特集「再現!こんぴら大芝居」には金井がセリの担当者を固定メンバーにするよう指示しているシーンがあるが、現在の歌舞伎座でもセリの操作に関しては昔の慣習が残っており、大セリは熟練の操作盤担当者が担当し、小セリは狂言方がきっかけ出しをして大道具方が操作[50]しており、普通の演劇よりも専門性が高いものとなっている。(現在の金丸座では、5~6人の男性グループが歌舞伎俳優のキッカケ出しでセリを上げている。琴平町の若者が減ってきたため、隣町や大学生などにも応援を頼むという。)

小屋が江戸時代のままの作りであるため、楽屋が現代の歌舞伎役者には広さや設備が十分ではなく、役者は出番が終わると顔(メイク)だけ落としてから走り、近くの宿のお風呂で手足のおしろいを洗い流したが、おしろいで排水口が詰まるなどのトラブルも発生。また、内容が怪談であったため、鬼火や花道上での裸火の使用があり、重要文化財であることもあって、消防車が何台も小屋の周りに待機した。この様子はNHK特集「再現!こんぴら大芝居」にて紹介され、全国的な反響を呼んだ。

当初2日間4回で予定された公演は、急遽1回分日延べ公演を追加するほどの人気で、連日満員盛況となり結果は大成功であった。「こんぴら歌舞伎大芝居」が地元琴平町香川県に与えた経済効果は計り知れず、大底期にあった旅館の廃業を踏みとどまらせ、サービス業者の減少に歯止めをかける事に成功した。また、一連の取り組みが、全国の町おこしに与えた影響は計り知れないほど大きく、日本中の自治体関係者が視察に相次いで訪れ、その後、全国的に様々な自治体において、秋田県の『康楽座』や熊本県の『八千代座』等、古い芝居小屋が復活した。[45]

吉右衛門は翌年(1986年4月)第2回に極付幡随長兵衛(3日間5回)を上演後しばらく金丸座を空け、15周年記念歌舞伎舞踊公演(1999年10月・7日間14回)で新作「巴御前」を上演し、平成の大改修(2003年)後の第20回記念(2004年4月・16日間32回)では金丸座の仕掛けをぞんぶんに生かした「再桜遇清水」の再演を行った。また、復元なった「かけすじ」を使った「羽衣」では、この回で襲名披露をした中村魁春が優雅に宙を舞った。この公演ではぶどう棚を使った客席への花びらを蒔く演出が予定されたが、演目の順番の関係で掃除ができず断念。翌2005年4月、新作「日向嶋景清」を引っさげて第21回(16日間32回)に再挑戦。「金比羅のだんまり」で、ついに客席に花びらを蒔くことが実現できたという。吉右衛門自身の上演は2012年第28回(18日間36回)が最後となったが、「こんぴら歌舞伎大芝居」はマスコミ等にも引き続き盛んにとりあげられ、1990年(平成2年)『国土庁長官賞』、2000年(平成12年)『第48回菊池寛賞』を受賞。2022年現在も継続的に公演・継承されている。また、金丸座は令和4年春の開催予定も感染防止のため中止。ただし芝居小屋内部の見学は可能である(入館料500円)。金丸座は2020年4月の第36回(公演中止)時の幟や役者の顔見世提灯が上がったまま、未だ時を止めている。2021年12月1日、訃報を受けた琴平町では記帳を受付け、町民の悼む声が相次いだ。片岡英樹町長は「とても真面目で、歌舞伎に対して真摯に取り組む姿にさすが吉右衛門さんだなと感じていた。(こんぴら歌舞伎は)吉右衛門さんがいなかったら実現していない。本当に感謝している」とコメントしている。[51]

歌舞伎では外祖父の初代吉右衛門と祖父の七代目松本幸四郎の両者の当たり役を継承。時代物では『仮名手本忠臣蔵』の由良之助、『勧進帳』『義経千本櫻』の弁慶平知盛、『菅原伝授手習鑑』の松王丸や武部源蔵、『平家女護島』「俊寛」の俊寛、『梶原平三誉石切』の梶原平三、『絵本太功記』の武智光秀、『松浦の太鼓』の松浦公、世話物では『籠釣瓶花街酔醒』(籠釣瓶)の佐野次郎左衛門、『天衣紛上野初花』(河内山)の河内山宗俊など。そのいずれもが口跡の良さと重厚な演技で存在感があるが特に時代物に本領を発揮する。また、新しい脚本の創作をはじめ1982年(昭和57年)には『勧善懲悪覗機関』(村井長庵)の復活上演を国立劇場小劇場で行っており、埋もれた作品の発掘にも力を入れた。

2003年(平成15年)、養父の五十回忌を迎える節目の年の1月に受けたインタビュー[52]で、これまで初代の名を汚さないことを念頭にひたすらやってきた。極端な話、吉右衛門の名を貶めるようならば、自分はいてもいなくても良い存在なのだと思ってきたが、でも、それではあまりに悲しいと思い始めた。一生背負うことに変わりはないが、背負ってきた荷物をちょっとだけ肩から下ろさせてもらって、還暦までの1年間を「自分ってなんだろう」と見つめ直す期間にしてみたいと語り、吉右衛門ではなく松貫四としての活動を、絵による歌舞伎の表現などで挑戦したいと語った。その後2006年(平成18年)6月、第1回秀山祭を前にしたクロワッサンのインタビューで、初代の再現フィルムみたいなことをやってきたが、ある程度受け継いだ、次に渡すこともできるようになった。そこで自分はなんだっていうと、贋物なだけだった。そこで自分で新しい芝居を作ってみたり全く関係ない家の芝居をしてみたりしたが、初代の生き様ややり方、姿勢などがいいなあとつくづく思い、自分はやっぱりこれなんだと少し分かってきたので、それならもっと深める、皆にももっと教える場所が欲しいと「秀山祭」のような場をお願いした、と語った。また、近年の客席の様子や反応があまりに変わってきたことに危機感を抱き、失われかけている日本の文化を体験させようと小学生のためのワークショップを開始し、全国の小学校を巡演。2012年まで続けた。

「歌舞伎が子ども」と公言し、初代中村吉右衛門生誕120年(2006年)より『秀山祭』[53]を2019年(令和元年)9月まで精力的に開催し続けた。(2020年9月の開催はコロナ禍のため「祭」をはばかった)吉右衛門はインタビューで「役者の芸というものは舞台に立っているその時その場にしか存在し得ないもので、いなくなれば消えてしまいます。けれどその功績まで忘れ去られてしまってはあまりも悲しい。お客様の心をこんなにもつかんだ、初代吉右衛門という役者がいたのだということをいつまでもご記憶いただき、一代で築き上げた播磨屋の芸というものを微力ながらもお客様にお見せすることが二代目としての使命です」「ぼくは跡継ぎがいないものですから、「秀山祭」というものを子供と思って、それが二十歳になるぐらいまでは演りたいなあ、生きていたいなあ、そしてその後をだれか、何人かに継いで続けていってもらえたらと。まあそれは夢ですけどね」[54]と秀山祭への思いを語っている。

2011年(平成23年)、胆管結石の手術のための入院中に人間国宝認定の報を聞く。2013年(平成25年)には巡業中の7月に内臓に異変を感じ、8月に喉のヘルペスを発症し、完治したものの、後遺症で味覚障害になった。食事が摂れなくなり点滴や冷やししるこ、蜂蜜と牛乳をかけたオートミールなどで栄養補給をすることになった。体重は10キロ減り、一時期は自分の唾が苦くて呑み込めず「こんな苦しい思いをするならこのまま逝かせてくれと思った」と苦しさを語るも、一方で徹子の部屋では「こんなに唾が苦くてはキスもできない」と体験を語り、黒柳を和ませた。その後回復し、好物のうなぎも食べられるようになったという。「人間ですから、体の具合が悪かったりもします。ですが、体調が悪ければ悪いほど一所懸命にやったりするのが、どうも播磨屋で(笑)。要するに、”病なんかには負けないぞ、役者は舞台でしか生きられないんだから、楽屋で死んでいても、舞台に立ったら生きるんだ”という感じです。ちょっと悲壮すぎるかもしれませんが」[55]

2013年(平成25年)2月、末の娘(四女)が五代目尾上菊之助の妻となって[56][57]、同年11月に第1子となる男児を出産[58]。2019年(令和元年)5月、七代目尾上丑之助として初舞台を踏み[59]、吉右衛門は孫との共演を果たした[59]

2016年(平成28年)正月、銀座百点の対談[60]では山川静夫に「最近はときどき大向こうから「大播磨!」という声がかかるようになりました。」と振られ「なんとも、うれしい気持ちがいたしますね。」と応えた。

2020年(令和2年)10月にある手術を受け「影響が思ったより体に響いてしまい、大声を出すと息が上がり、立ち上がるのに苦労している」と小学館のWEBマガジンのコラム「吉右衛門四方山日記」で明かした。その後、2021年1月17日公演より出演していた『壽(ことぶき)初春大歌舞伎』を体調不良で休演した。

2021年(令和3年)3月4日より『三月大歌舞伎』第三部「楼門五三桐」に出演。千穐楽の前日まで勤め上げた。甥の十代目松本幸四郎は「三月の『楼門五三桐』では、最初の頃は終演後に酸素吸入をしながら楽屋に戻るくらいの状態だったのに、だんだん元気になられていき、普通は疲れていくのに、すごい人だと感じていました。千穐楽の前日、終演後に挨拶をしたら、「あと1回」って、笑顔で人差し指を挙げて。体調が悪いなか、ここまで辿り着いたという安心感があったんだと思います。翌朝、代役を告げられた時は悔しかったですね」と振り返っている[61]

2021年3月28日、体調不良を訴え、病院に救急搬送された[62]。後日伝えられたところによれば、当日は歌舞伎座の公演に出演後の夜に都内のホテルで食事中に倒れ、居合わせた人により自動体外式除細動器による処置が行われ、心肺停止に近い状態でそのまま近くの病院に緊急搬送された[63]。出演を予定していた「三月大歌舞伎」を休演[62][64]、4月30日には「急性の心臓発作」により当面の間療養に専念するとして「五月大歌舞伎」を降板した[65]

その後、5月6日には松竹が「七月大歌舞伎」(7月4日 - 29日)に出演すると発表した[66]が、6月1日、医師の診察などを協議した結果、7月以降も引き続き、当面の間療養に専念する必要があると発表し休演となった[67][68]。死去後の一部報道によると、3月に倒れて以降は意識が回復せず、見舞いに訪れた家族が呼び掛けたり、歌舞伎の音声を流すなどしたが意識は戻らなかったという[69]

同年11月28日18時43分、心不全のため東京都内の病院で死去した[70][71]。77歳没。訃報は12月1日夕刻に各メディアで伝えられた。法名は「秀藝院釋貫四大居士(しゅうげいいんしゃくかんしだいこじ)」。義理の息子にあたる五代目尾上菊之助は同月2日に歌舞伎座で報道陣の取材に応じ、涙で岳父を惜別していた[72]。2日午後、松野博一内閣官房長官は記者会見で「ご冥福を心からお祈りする。現代を代表する歌舞伎役者として数多くの作品、さまざまな役柄で舞台に立たれテレビドラマでも『武蔵坊弁慶』を演じられるなど幅広い分野で活躍された。わが国の文化芸術の発展に多大な貢献をされてきた中村吉右衛門さんのご逝去に際し、心から哀悼の意を表したい」と述べた[73]。日本国政府は死没日をもって正四位に叙し、旭日重光章を追贈した[2]

親族のみの葬儀では「自分の葬式ではこの曲を流して欲しいと思っている」(夢見鳥124p)と話していた、マーラー交響曲第5番第4楽章(アダージェット)がBGMとして流されたとNHK『ラジオ深夜便』・追悼番組(2021年12月8日放送)にて紹介された。また、吉右衛門の衣装製作を請け負っていた「ぎをん齋藤」の女将のブログによると、棺には7年前に俊寛用にオーダーされ、ぎをん主人の死去で完成を見なかった、衣装にする予定だった布が掛けられ[74]、また、竹本葵太夫は、通夜の胸元には『須磨浦』の台本が添えられていたと演劇界2022年3月号[75]に寄稿した。

2021年12月18日、兄松本白鸚が翌年2月に主演するミュージカル「ラ・マンチャの男」製作発表に出席し、「見果てぬ夢」は今まで菊田一夫氏と父初代松本白鸚へのレクイエムとして歌ってきたが、レクイエムを歌う者が1人増えてしまったと語り、弟について聞かれると「別れはいつでも悲しいものです。たったひとりの弟でしたから。でも、いつまでも悲しみに浸ってはいけないと思います。それを乗り越えて。『見果てぬ夢』を歌いたいと思います」と話した[76]。 また、白鸚の妻、藤間紀子は司会の黒柳徹子から、「去年、11月28日に心不全で中村吉右衛門さん、弟様でいらっしゃって。亡くなった後すぐに病院にいらしたんですって」と振られると、「すぐ会いに行きまして。本当に安らかなお顔をしてらしたので、きっとまだまだ活躍していただきたい年ではあるんですけど、でもやることはきっとやり尽くされたのかなと思いました」と振り返り、白鸚は何と言っていたのかと聞かれると、「やっぱりあの、『悲しいです』って言って。『何しろ一人の弟だから』って言ってましたけれども、安らかな顔を見て、『ある意味ほっとした』って言ってました」と明かした。白鸚が吉右衛門さんの体を心配していたとの話には「そうですね。なかなか舞台もこのところコロナで3部制になると部が違うと会うこともなくなっていたんで、体のことはいつも心配して。『大丈夫なのかな』とは気にしてましたけれどもね。本当に残念でしたけど」と続けた。また、「吉右衛門さんも主人のことを心配しておられるときもあって。ちょっと調子が悪いときに、『ちゃんと調べた方がいいよ』って気にしてくださって」と回顧。「息子(松本幸四郎)がね、ずいぶん芝居を教えていただいたんですけれども、よく『兄貴、兄貴』って言っておられるよって言っていました」とも語った[37]。2022年6月10日、日枝神社東京都千代田区永田町)の「山王祭」で、同区六番町町会は自治労会館前に設けたお神酒所に、二代目中村吉右衛門さんから寄贈された新しい奉納幕を掲げた。同町会はこれまで1950年代に贈られた初代中村吉右衛門さんの奉納幕を掲げてきたが、二代目が生前に「新調したい」と申し出、お披露目を楽しみにしていた[77]が、幕は二代目が倒れた後に完成。町会が遺志を継ぎ、お披露目式を開いた。妻の知佐さんは「六番町は主人の養父にあたる初代吉右衛門が住んでいた場所で、主人も長く本籍があった。どこかで大変喜んでいると思う」と感謝したという。[78]

社会的活動[編集]

  • 文部科学省中央教育審議会委員(第4期)
  • 第64回奈良学文化講座講演『大仏開眼千二百五十年・東大寺と奈良』「大仏さまのできるまで」(2003年)- ゲスト 講師/東大寺別当 橋本聖圓 司会/酒井ゆきえ ゲスト 絹谷幸二(画家)
  • 文化庁『次代を担う子どもの文化芸術体験事業』巡回公演事業ワークショップ「歌舞伎の世界で遊ぼう」「実際に舞台をみてみよう」(2006年〜2012年)全国の小学校を巡り、歌舞伎を身近で楽しく体験してもらうため活動。おはなし、構成・演出・監修を担当。舞台で使う馬に先生や生徒が乗る体験、雨や雪、川の流れを表す黒御簾音楽を聴いて、効果音の音当てクイズ、休憩時間には吉右衛門自らが筆を執り教師に隈取りを施し、さらに「押し隈」の紹介なども。
  • 2021年現在、巡演は行われていないが、歌舞伎座ギャラリーにて上記の歌舞伎体験をできるコーナー[79]がある。
  • 巡回日程
  • 2006年11月6-24日:中国地方 2007年10月9-24日:北海道・東北[80]地方 2008年11月4-19日:東北・関東地方 2009年11月5-25日:近畿・四国地方
  • 2010年11月8-25日:九州地方 2011年11月4-22日:関東・中部[81]地方 2012年11月6 - 22日:中部・近畿地方
  • コロー 光と追憶の変奏曲」展(2008年6月14日 - 8月31日、国立西洋美術館神戸市立博物館) - オーディオガイド
  •  開館記念展〈I〉「ポーラ美術館コレクション展」プレイベント SBSラジオ公開録音第3弾「印象派エコール・ド・パリの楽しみ」[82](2010年8月21日、静岡市美術館) - パネラー
  • ルオーと風景」展オープニング記念トークショー[83]「中村吉右衛門が画をかたる―ルオーに魅せられて」(2011年4月23日、パナソニック汐留ミュージアム) - トーク
  •  グッチ×中村吉右衛門東日本大震災チャリティガラ[84](2011年5月25日、パレスホテル東京
  • 「初代中村吉右衛門展[85]・初代中村吉右衛門映画祭II[86]」講演(2011年8月2日、早稲田大学大隈記念講堂) - 講演 
  • グッチ×中村吉右衛門チャリティガラ「A Night to Support Children in Tohoku」[87](2012年5月25日、パレスホテル東京
  • 「クリーブランド美術館展」「人間国宝展」(東京国立博物館)・「世紀の日本画」展[88]東京都美術館)(2014年2月5日 - 4月1日) - 3展をつなぐ音声ガイドナビゲーター
  • 鎌倉鶴岡八幡宮 段葛竣工奉祝行事 通り初め・奉祝舞「延年の舞」奉納[89](2016年3月30日、鎌倉鶴岡八幡宮舞殿)
  • 「早稲田大学芸術功労者顕彰記念中村吉右衛門展・中村吉右衛門講演会―古典歌舞伎の芸と心[90]」(2016年8月4日、早稲田大学大隈記念講堂) - 講演
  • ユネスコサポート絵皿 tribute21チャリティー絵皿コレクション 中村吉右衛門絵皿(FELISSIMO)しだれ桜の絵柄、長毛種の犬と足跡の絵柄。
  • 富士山世界遺産国民会議[91] 著名人による応援メッセージ223フェロー 夢の一字とサイン、寄稿。

歌舞伎以外の舞台[編集]

[92]父・兄らとともに東宝劇団に約10年間移籍しており、東宝劇団は歌舞伎をメインにしていたが、当然ながらそれ以外の舞台(ストレートプレイミュージカルなど)の出演機会もあった。当時毎日新聞の演劇記者であった演劇評論家の水落潔氏は「まだ二十歳代だが実に上手かった。『雪国』の島村はこの時の吉右衛門さんを超えた俳優を見たことがない。」と書いている(演劇界2022年2月号)。萬之助時代の1964年『さぶ』(原作:山本周五郎)では、兄演じる二枚目の主役・栄二に対し、朴訥なさぶを演じ好評を博した(同じく兄弟共演で1968年[93]1975年[94]にも再演)が、当時水落氏が当人に『さぶ』の話をしたところ「あれは栄二の芝居です。吉右衛門がさぶで褒められても名誉にはなりません」と途端に不機嫌になったという。[95]一方で、1970年創刊の「季刊同時代演劇」のインタビュー[96]で好きな役を聞かれ「さぶ」とも答えている。

二代目吉右衛門となる萬之助の襲名披露は帝国劇場の杮落とし公演でもあり、東宝劇団の最初で最後の豪華な襲名披露公演となった。襲名を控えた若きスターの売り出しに、東宝側も力が入った。現代劇での主演は1966年『赤と黒』(原作:スタンダール)、萬之助の初の「赤毛物」への出演。作家大岡昇平が初めての劇作の筆を執り、菊田一夫演出の話題作であった。萬之助はソレル役に備えて髪を赤く染め、パーマをかけて臨んだ。萬之助らは公演前にスタンダールの生家などを巡る一週間のフランス旅行へ行き、現地の下見も行ったという。「(パリで)靴を買いたいので靴屋に行くと、通訳もしてくれる。ところが、靴を試そうと、右足を脱いだら靴下に穴が開いていて、いけねえと思って左を脱いだら左も開いていた。日本ではあまり歩き回らないのに歩いたせいかも知れません。恥ずかしい思いをしました。」また、公演中におたふくかぜに罹患。「それが皆にうつって。私は39度の熱を出して、本当に雲の上を歩くというのはこういうことかと思いましたね。」[97]

当時の毎日新聞には、劇場の客席のほとんどは若い女性で「萬之助が登場しただけで騒ぎ、芝居などそっちのけ。恋がたきのクロアズノア伯(二代目白鸚)とフェンシングのけいこをする場面で、萬之助と染五郎が互いに入れかわり、それぞれの顔がよくわかるようになると、とたんにキャーッ」と、女性ファンの熱狂ぶりに辟易気味な劇評が掲載されるなど、襲名前から人気が高まっていた。[98]この時期はまた、テレビドラマ映画にも進出。山田五十鈴司葉子岡田茉莉子若尾文子岩下志麻太地喜和子乙羽信子杉村春子らとの共演や、新派公演へも度々客演し、初代水谷八重子の相手役(婦系図、金色夜叉ほか)を多く勤めた。吉右衛門襲名後の歌舞伎以外の舞台公演は『太宰治の生涯』、『風林火山』、『蜘蛛巣城』など。『巨人の星』が舞台化された際には星一徹を演じている[99]

展覧会・写真展
  • 中村吉右衛門スケッチ展[100](2005年5月10日-14日、銀座吉井画廊)朝日新聞連載の「吉右衛門が描く長崎旅情」「播磨屋画がたり」原画なども展示。
  • NHK厚生文化事業団チャリティー企画 芸能人の多才な美術展[101](2005年7月20日-8月5日、河口湖美術館)
  • 早稲田大学芸術功労者顕彰記念 中村吉右衛門展[104](2016年6月7日 - 8月7日、早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館)
  • 二代目 中村吉右衛門 写真展[105](2018年11月7日 - 12月9日、MIKIMOTO銀座4丁目本店7階ミキモトホール)
  • ミロ展-日本を夢見て(2022年2月11日-4月17日、Bunkamuraザ・ミュージアム)襲名披露公演をミロが観劇し、楽屋を訪問した際のスライドを展示。
  • 新宿歴史博物館 令和4年度所蔵資料展「岩田ガラス新収蔵品展」(2022年4月1日-5月29日、新宿歴史博物館)岩田ガラス制作製品 岩-11 播磨屋(中村吉右衛門)襲名披露記念品 岩田工芸硝子 60×35×20 1966年を展示。色とりどりの蝶をかたどった、ゼリー菓子のようなガラス製の箸置き。透明、茶色、青、赤、黄色の5種。

テレビドラマ[編集]

テレビドラマでは『有間皇子』(1966)、『ながい坂』(1969、山本周五郎作品)、『右門捕物帖』(1969、全26回)などにそれぞれ主演。

佐高信との対談で再放送中の『右門捕物帖』と『鬼平犯科帳』の演技の違いについて問われた際、右門の時代は無我夢中に演じており、「もう一人冷静な自分を客席に置け」と言われたことが、まだ身についていなかったと話した。「本当に、嘘偽りなく申せば、できるようになったのは最近です。」(対談日:2006年11月18日)[106]

1970年代以降も歌舞伎および、テレビなどで活躍。1980年からはテレビで、時代劇『斬り捨て御免!』に主演(1982年まで3シリーズ製作)。

1986年にはNHK新大型時代劇武蔵坊弁慶』(全32回)で主役・弁慶を演じ、前年末の第36回NHK紅白歌合戦に審査員として出演した。

1989年、池波正太郎原作『鬼平犯科帳』4度目のテレビドラマ化にあたっては、かねてより原作者から直々に出演依頼があったものの長い間固辞し続けていたが、実年齢が平蔵と同じになったこともあり満を持しての出演となった。「人気シリーズにけちをつけてしまうのではと迷いに迷って私が(池波)先生に電話すると、「大丈夫。君の思うとおりにやりなさい」という励ましのお言葉をくださいました。ここまでして頂いてお受けしなかったらそんな奴は豆腐に頭をぶっつけて死んだほうがましと思い、決心したのです」[107]同年から2001年まで毎年、9シリーズと数本のスペシャル版を製作、その後2016年12月の最終版放映まで、全150本の長期人気シリーズとなり、吉右衛門にとって鬼平役が文句なしの当たり役となった(実父である初代白鸚も、初代版鬼平犯科帳で長谷川平蔵を演じた[108]。『鬼平』は若い女性をも取り込む一大ブームとなり、吉右衛門は『物語り』で「「吉右衛門といえば鬼平」とお考えの方も多いようです。(略)こういうチャンスを与えて頂いた僕は、ありがたいと思っています」と話した。その後、人気はさらに過熱。「勧進帳」の弁慶役で幕外で最後の引っ込みを始める瞬間に「オニヘーイ」と声がかかったと吉右衛門は語っている(吉右衛門のパレット)。また、『聞き書き 二代目』の著者である小玉氏には「亡くなった時、代表作として鬼平が真っ先に上がるのはちょっと・・・・・・」[109]と話したこともあったという。

なお、池波は平蔵を描くにあたり実父の初代白鸚の風貌をモデルとしたという逸話がある。また、吉右衛門も初代版(第2シリーズ10話「隠居金七百両」、15話「下段の剣」)では平蔵の息子、辰蔵を演じている)。

2003年にはテレビ『忠臣蔵〜決断の時』で、長年のラヴコールに応えてテレビで初めて大石内蔵助を演じ、重厚な演技を見せた。なお、テレビ時代劇の『忠臣蔵』物では、1989年のテレビ東京12時間超ワイドドラマ大忠臣蔵』(原作:森村誠一「忠臣蔵」)で徳川綱豊を演じている(大石内蔵助役は実兄の現・二代目白鸚)。

「弁慶」、「鬼平」などのテレビ時代劇での活躍や、歌舞伎での充実した仕事ぶりにより、幅広い分野で活躍する兄・白鸚に劣らぬ存在感を発揮しているが、兄と甥の幸四郎とは違い、襲名後はテレビ時代劇以外の現代劇に出演した事はほとんどなく、父母、兄妹と一家5人で主演した「おーい!わが家」と、背広姿で気鋭の科学評論家・藤瀬史郎役で主演した「いま炎のとき」の2本のみと思われる。

年譜[編集]

受賞歴[編集]

出演作品[編集]

歌舞伎[編集]

 二代目吉右衛門の当たり役として知られるものは以下のとおり。

テレビ(ラジオ)ドラマ・ナレーション[編集]

映画(出演・ナレーション)[編集]

バラエティ・教養・ドキュメンタリー[編集]

  • スター千一夜(1960年1月15日、フジテレビ)「テアトロン賞に輝く松本幸四郎」ゲスト。実父、兄と出演。(中村萬之助) 
  • パノラマ劇場[131](第2回)ミュージカル「或る椿姫」、コメディ「新入社員歓迎」(1960年4月17日、NHK総合)- ゲスト 兄、黒柳徹子、大山のぶ代らと共演。(中村萬之助)
  • クイズアワー「私の秘密」(1966年7月18日、NHK総合) - ゲスト(中村萬之助)
  • きょうの料理
    • 「わたしの自慢料理」(1976年12月18日、NHK)(以下、中村吉右衛門)
    • 「中村吉右衛門の”伴内バーグ”」(1985年2月16日、NHK):妻の知佐と出演。「中村吉右衛門さんを偲んで」(2021年12月18日 NHK総合)で紹介。
  • 連想ゲーム(1980年9月3日、1986年3月26日、NHK) - 解答者。NHKアーカイブス公開ライブラリーにて視聴可能。「中村吉右衛門さんを偲んで」(2021年12月18日 NHK総合)で紹介。
  • ジュニア大全科(1982年9月16日、NHK教育)「本との出会い」(4) -星の王子さま~中村吉右衛門-
  • すばらしき仲間」(1984年、TBS)共演:澤村藤十郎、中村勘九郎 当時埋もれていた旧金毘羅大芝居を来訪し紹介。
  • NHK特集「再現!こんぴら大芝居」(1985年7月19日、NHK)NHKアーカイブス[132][133]
  • スター爆笑Q&A(1985年・1988年、読売テレビ)- ゲスト。85年放映では特技披露でギターの弾き語り。兄が作詞・作曲した「野バラ咲く路」を歌う。
  • わくわく動物ランドスペシャル(1986年4月2日、TBS) - 神奈川県横浜市の放送ライブラリーにて無料視聴可能。
  • 青春プレーバック(1986年4月19日、NHK)「中村吉右衛門」 -時今也夢開蝶船出-
  • ひるのプレゼント(1986年10月20日、NHK)「立居振舞人間学」(1) -立つ-
  • 今夜は最高!(1987年8月8日放映回、日本テレビ) - ゲスト。タモリの人気コントキャラクター「大魔神子」の二代目に立候補。歌と踊りを披露。
  • 新春スターかくし芸大会 25周年(1988年1月1日、フジテレビ)- 審査員。生放送であることと、芸への厳しさが予想されるためか、ほとんどカメラに抜かれず、逸見アナからも感想が振られない。 採点:ほぼ東西どちらにも10点満点。9評価:第1試合東(少年隊のスーパートリックショー)、第8試合西(谷啓と加藤茶のめ組の喧嘩)。第5試合は他の審査員が9評価のところ、双方に10を付けた。第7試合西「アナウンサー竹取物語」講評「これぞ隠し芸の原点を拝見した」総評「(笑顔で)はい、楽しみました、ありがとう」後に鬼平で夫婦役となる多岐川裕美審査員とセンターで並んでフィナーレ。
  • テレビエッセー 私のひとつ(1989年1月21日、NHK)「24本の色鉛筆」
  • 日曜特集・新世界紀行 世界最長の大河 ナイル大紀行1-3(1989年2月19日、TBS) - 語り。DVDあり、神奈川県横浜市の放送ライブラリーにて無料視聴可能。YOUTUBE新世界紀行チャンネルにてネット視聴可能。
  • 日立 世界・ふしぎ発見!TBS) - 初期・中期の準レギュラー。
博学ぶりを発揮し、黒柳徹子らレギュラー陣から「親分」と愛称される。2018年9月1日放映(第1486回)に21年ぶりに出演。
  • なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル(1989年10月2日、1990年10月1日、フジテレビ) - 89年-Bブロック3位、90年-Cブロック2位。'89のみ神奈川県横浜市の放送ライブラリーにて無料視聴可能。
  • FNS大感謝祭(フジテレビ)- 鬼平チームとして江戸家猫八尾美としのりと共にクイズに出演。せっかちな猫八が分からないのにボタンを押しまくり、尾美を困らせた。
  • 日本の伝統芸能 -歌舞伎鑑賞入門- 「時代物」(1990年8月11日、NHK教育) - 神奈川県横浜市の放送ライブラリーにて無料視聴可能。
  • 歌舞伎鑑賞入門II「俊寛」 -日本の伝統芸能-(1991年5月11日、NHK教育) - 神奈川県横浜市の放送ライブラリーにて無料視聴可能。
  • なるほど!ザ・春の祭典スペシャル(1992年3月30日、1994年3月29日、フジテレビ)’92は鬼平夫妻+おまさ、粂八、うさ忠のメンバーでついにBブロック1位で決勝に進出するも、優勝はできなかった。’94は久栄の代わりに伊三次が入り、Bブロック3位に終わった。
  • 連続討論・日本人のこころ(2)(1993年1月7日、NHK)「型と芸」芸事の中に前衛を見る - パネラー
  • 漢詩紀行(1993年4月9日 - 1996年6月12日、1999年5月31日-2009年1月3日、NHK教育) - 日本語朗読、NHK公開ライブラリーにて視聴可能。
  • ティータイム芸能館(1995年10月24日、NHK) - 対談「八重子から八重子へ」きき手:水谷八重子、舞台「婦系図」録画放映(1973年、国立劇場)
  • 浪漫紀行・地球の贈り物(1994年 - 1996年、TBS) - 水先案内人
  • 笑っていいとも! テレフォンショッキング(1995年10月17日回、フジテレビ) - ゲスト 渡辺真知子からの紹介で登場。尾美としのりに引き継いだ。
  • ETV特集「中村吉右衛門、厳島に立つ」-新作歌舞伎への挑戦-(1998年05月20日、NHK教育)
  • 歌舞伎を救ったアメリカ人 -バワーズ、名優たちとの半世紀-(1999年2月11日、NHK)(共演:九代目松本幸四郎
  • さんまのまんま(2000年?、2012年1月7日、フジテレビ)ゲスト 2000年出演の際にも鯖寿司をお土産に持参[134]、その時は娘を1人連れて登場。
  • スタジオパークからこんにちは(2001年5月17日、NHK)ゲスト「中学生でナイトクラブへ」「ERやビバリーヒルズ青春白書を観ている」「碇知盛と蜘蛛巣城について」
  • トクダネ!(2001年6月5日、フジテレビ)ゲスト「私の履歴書 中村吉右衛門」ばあやさんの話、兄についての話
  • 歌舞伎舞踊鑑賞入門 -日本の伝統芸能-(2001年09月15日、NHK教育)第3回「立役のおどり」
  • 世界・わが心の旅(2001年11月4日、NHK)「フランス ルオーの瞳に魅せられて」「中村吉右衛門さんを偲んで」(2021年12月18日 NHK総合)で紹介。
  • ハイビジョンスペシャル空海の風景」(2002年1月2日、NHK) - 朗読
  • テレビ人間発見 (2002年4月6日、テレビ東京)「世に定め人に芸・歌舞伎俳優・中村吉右衛門」
  • ためしてガッテン(2002年9月4日、NHK)「決定版!疲労リセット大作戦」 - 解答者
  • 開運!なんでも鑑定団(2002年12月24日、テレビ東京)先代所蔵の小林古径、小杉放庵作品を出品。100万円と鑑定。
  • アートエンターテインメント 迷宮美術館(2004年3月20日、2006年2月6日、2008年4月15日、2010年3月15日、NHK) - ベストキュレーター賞
  • 心に残る家(2006年4月 - 9月、日本テレビ
  • 心に刻む風景(2006年10月4日 - 2021年4月7日放映よりタイトルコールのみ出演、代役は日本テレビアナウンサー辻岡義堂。日本テレビ) - ナレーション
  • ハイビジョン特集「還暦からの挑戦~中村吉右衛門 歌舞伎の新作を創る」(2006年3月24日、NHK)「中村吉右衛門さんを偲んで」(2021年12月18日 NHK総合)で紹介。
  • ハイビジョン特集「京都・庭の物語~千年の古都が育んだ空間美~」(2007年1月1日、NHK)
  • ETV特集「”星の王子様”と私」(2007年2月17日、NHK) - インタビュー[135]
  • 日曜シアター(2007年12月23日、NHK)招待席・仮名手本忠臣蔵(後編)枠(3) - スタジオコーナーゲスト
  • ハイビジョン特集「日本 庭の物語」(2008年1月4日、NHK)
  • 日本の伝統芸能 中村吉右衛門の歌舞伎入門(2010年3月31日 - 、NHK教育)全4回
  • 二代目の肖像 中村吉右衛門の世界 芸の極みを求めて[136](2011年1月6日、BS朝日)
  • ザ☆スター「岩下志麻」(2011年3月28日、NHK) - ゲスト。映画『心中天網島』制作にまつわる思い出を披露。
  • ウチくる!?[137](2011年9月11日、フジテレビ) - VTRゲスト
  • 情熱大陸(2011年9月18日、MBS)「趣味はスケッチとドライブ。67歳の「人間国宝」歌舞伎への情熱とその素顔とは?」[138]
  • いい旅・夢気分(2012年9月5日、テレビ東京)絶景の瀬戸内 名所めぐり 鳴門~高松~岡山[139](共演:賀来千香子
  • BS歴史館(2012年12月13日、2013年2月28日、NHK) - ゲスト
  • 美味しさの物語 幸福の一皿(2012年4月 - 2013年3月、BS朝日) - 主宰者(案内人)
  • 誰だって波乱爆笑(2015年8月30日、日本テレビ) - ゲスト。山と積まれたプーさんグッズの前で、くまのプーさん好きを披露[140]
  • サワコの朝(2015年9月5日、TBS)記憶の中で今もきらめく曲:「死刑台のエレベーター」のテーマ いま心に響く曲:ナット・キング・コール「アンフォゲッタブル」[141]
  • ザ・インタビュー~トップランナーの肖像(2015年9月5日、BS朝日
  • 美の壺(2016年5月27日、NHK)「魅せる、隠す、暖簾(のれん)」 - ゲスト
  • にじいろジーン(2010年8月14日、2017年8月19日、フジテレビ) - VTRゲスト 「ぐっさんと行くならこんなトコ!」銀座でハワイアンパンケーキを食べ、ぐっさん(山口智充)に歌舞伎体験講座。
  • 熱中世代 大人のランキング [142](2017年8月27日、BS朝日) - 第112回 ゲスト
  • ザ・プロファイラー ~夢と野望の人生~(2018年10月11日、NHK) 「シェイクスピア」 - ゲスト
  • 徹子の部屋(2006年8月25日、2018年8月23日、2019年7月18日〈※初出演、33歳時の映像〉、2021年12月2日(追悼番組)、テレビ朝日) - ゲスト
  • ザ・ドキュメンタリー 二代目 中村吉右衛門~人間国宝74歳…いのちの歌舞伎~[143](2018年9月15日、BS朝日)
  • ぴったんこカン・カン(2019年5月3日、TBS) - VTRゲスト「歌舞伎の名門・尾上菊之助さんご一家がご子息の襲名初舞台を激励する旅」東京會舘にご馳走。ラ・マルセイエーズを披露[144]
  • あしたも晴れ!人生レシピ (2019年8月9日、NHKEテレ)「運命を受けて立つ~中村吉右衛門(75)~」2021年12月24日、Eテレにて再放送。
  • みやこびと極上の遊び ~京都 夏から秋へ~(2020年10月31日、NHK) - 語り
  • 偉人たちの至高のレシピ ~京都・板前割烹の献立帖~[145](2021年01月1日、NHKデジタル総合1) - ゲスト
  • 情報ライブ ミヤネ屋「訃報 歌舞伎俳優中村吉右衛門さん死去」(2021年12月2日、読売テレビ)- 追悼特集。兄と共にインタビュー、ギターの弾き語りなどの秘蔵映像。
  • めざまし8「訃報・中村吉右衛門死去・知られざる”素顔”」(2021年12月2日、フジテレビ)- 追悼特集。小学校の歌舞伎教室の取材映像あり。
  • Mr.サンデー「中村吉右衛門・歌舞伎に捧げた生涯「宿命」背負いながら・・・」(2021年12月5日、フジテレビ)- 追悼特集。こんぴら歌舞伎の紹介。
  • ラジオ深夜便「深夜便アーカイブス「中村吉右衛門さんをしのんで~芸の道を全うしたい」」(2021年12月7日、NHKラジオ第1)2020年12月のインタビューに続き、葬儀で流されたというマーラー交響曲第5番第4楽章を併せて放送。
  • 中村吉右衛門さんをしのんで(2021年12月18日14:55〜、NHK総合) 歌舞伎の名場面、須磨浦やNHK所蔵の秘蔵映像を交え、故人の人柄や功績を語る。スタジオゲスト:尾上菊之助、渡辺保(演劇評論家)VTRゲスト:中村歌六、麻美れい、十代目松本幸四郎

CM[編集]

  • 日本電信電話公社赤電話PR写真」(1955年頃?)歌舞伎座委託公衆電話(赤電話)が初めて楽屋に設置された際、PR写真の子役モデルとして出演。(中村萬之助時代)[146]
  • 日立製作所キドカラー」(1977年 - 1978年前期?)フラワートラベリンバンド「MAKE UP」をBGMに、紙吹雪が舞う中、歌舞伎役者(吉右衛門)が踊る。
  • ネッスル日本ネスカフェ・ゴールドブレンド」
    • 「違いがわかる男(ヒト)」中村吉右衛門篇(シリーズ3代目) / 1972年:ACCCMフェスティバル第12回テレビフィルムCM部門秀作賞。放送ライブラリー無料視聴可能。電通の元副社長、百瀬伸夫によれば、「日本の和の心を表現できるプロ中のプロ」として三代目篇の出演オファーをかけた。出演自体は快く了解してもらえたが、すでに”違いが分かる男(ヒト)”のCMは初代の松山善三篇からかなりの話題となっており、吉右衛門は「TVCMを通じて多くの人の目に自分の姿をさらすことになりますが、私は歌舞伎役者だから、話題となっている広告には普段着で出演することはできません。そうでないと、お客様に対して失礼になる。このことだけは、どうしても譲れません」と言ったため、スタッフは頭を抱え、ぜひゴールドブレンドを飲んで寛ぎ、リラックスした姿を見せて欲しいと懇願し続けたところ、吉右衛門は熱意に押されたのか根負けしたのか、セーター姿の出演を受け入れたという。撮影日、すでに歌舞伎の稽古に入っていた吉右衛門は、激しい稽古で疲労困憊の中、這うようにして撮影現場に入ってきたが、カメラの前に立つと、一変して毅然とした姿勢となった。CMデザイナーの白須敬之はそのプロ魂に、CMの企画コンセプトである「一芸に秀でた」、精進を怠らない、本物の”違いがわかる男(ヒト)”を感じ、目を瞠ったという。[147]
    • 「新・違いを楽しむ人たち」他3本 / 2004年
  • 第一製薬カロヤンハイ・カロヤンS」(1982年 / 現・第一三共ヘルスケア) 前半は草原で馬に乗り爽やかに疾走。後半はカロヤンハイを頭に揉み込む。「髪は長い友達」
  • 味の素ゼネラルフーヅグランデージ千年コーヒー」1983年「グランデージ・女・永遠」篇 - 放送ライブラリー無料視聴可能。ACCCMフェスティバル(第23回秀作賞)、1983-4年「魔のように黒く」篇、1984年「無の贅沢」「無の贅沢2」篇
  • サントリー ラジオCM(1991年)「山崎」「作家のキープボトル」篇」 - ACCCMフェスティバル第31回全日本CM大賞、CM殿堂入り第13回(作品№31)放送ライブラリー試聴可能。
  • ハウス食品
    • 六甲のおいしい水」(1990年代、2000年-2001年6月まで「水を買う」「水を捜す」篇)
    • 「カレーはハウス」(1993年)
    • 「シーフードのためのカレーです。」「ビーフのためのカレーです。」(1997年 - 1999年)
    • 「100周年企業広告」(2013年)
  • JRA(日本中央競馬会)「ボクのケイバ・あなたのケイバ」天皇賞(秋)篇(本木雅弘と焼肉を食べつつ「スタミナ」を推す)、菊花賞篇(本木と弓道)、有馬記念篇(1996年、ゲスト出演)
  • ブランパン
  • 1996年もしくは1997年頃の真夏、雑誌の取材で前社長のビーバー氏をローザンヌに訪問し紹介。2002年に再び雑誌取材、妻と末娘(着物姿)を伴いスイスへ。工房なども紹介。[148]
  • 宗家 源吉兆庵
  • 婦人画報」2003年8月号、10月号、12月号 連載「中村吉右衛門の役者歳時記」の次ページに吉右衛門のミニエッセイ付き広告掲載。
  • 2003年12月22日、2008年12月24日、山陽新聞に写真掲載。
  • 2012年12月24日より岡山ローカルCM開始。吉右衛門丈が国宝「四季花鳥図」(狩野永徳)と出会うシーンが映し出される(山陽新聞2012年12月24日号)。
  • TBS系はなまるマーケット出演時に和菓子「あんとろり」の紹介(2012年8月14日)。
  • 日本エアシステム(1990年 - 1991年)ホノルル線就航篇「ハワイが、近い。6月3日 JAS HAWAII」日本人の感性篇「人の心が、人を和ませる。人をもてなす、大切な心」
  • 三井信託銀行(~2000年?)ノベルティ・中村吉右衛門コレクション(初代も好んで使用したという、播磨屋ゆかりの文様「吉菱」をあしらったグッズ。菓子鉢、マグカップ、冷茶グラス、湯呑み、花器、巾着、謹製手ぬぐい、お弁当箱&ミニ風呂敷など)
  • Cartier(カルティエ)「CREA」2000年12月号にて、トリニティ リングの編集と広告のタイアップ記事としてエッセイを執筆。
  • ラインアート・シャルマン 10周年記念カタログ 寄稿(眼鏡についての話題やデザインのアイデアなど)
  • シャープ「プラズマクラスター加湿空気清浄機」(2010年)「発見!プラズマクラスター・中村吉右衛門篇」
  • SMBC日興証券(2018年、2019年)歌舞伎俳優・100TH「その人生に、SMBC日興証券」篇
  • (株)Papas company(2004年ー2021年6月[149])スチール(ファッション)モデル。文芸春秋、週刊文春などに掲載

舞台[編集]

  • 文学座第71回公演「明智光秀」(1957年、東横ホール) - 明智光慶、森力丸 役 劇作家・福田恆存が「史劇」の創造に取り組んだ最初の作品。
  • 歌舞伎と文楽の提携による試演会「嬢景清八嶋日記」(1959年、新橋演舞場) - 土屋郡内 役。同年4月28日、NHK総合にて舞台中継。
  • 東宝グランド・ロマンス、第十五回芸術祭主催公演「敦煌」(1960年、東京宝塚劇場) - 尉遅光 役
  • 東宝劇団旗揚げ公演「野薔薇の城砦」(1961年、東京宝塚劇場) - 芹沢平九郎 役
  • 東宝劇団特別公演「有間皇子」(1961年、芸術座/大阪産経会館) - 有間皇子 役 八代目松本幸四郎依頼による福田恆存の「史劇」第二弾。
  • 東宝現代劇「蒼き狼」(1963年、1964年、読売ホール / 東京宝塚劇場) - カサル 役
  • 東宝・明治座提携、東宝劇団九月特別公演「原田家の人々」「新平家物語 清盛と常磐」「さぶ」(1964年、明治座) - 堀内茂助 役、光巌 役、さぶ 役
  • 東宝現代劇、第十九回芸術祭主催公演「墨東綺譚」(1964年、芸術座) - 種田順平 役
  • 東宝劇団6月特別公演「般若寺絵巻」(1965年、東京宝塚劇場) - 木工右馬允知時 役
  • 東宝現代劇名作公演「赤と黒」(1966年、芸術座) - ジュリアン・ソレル 役
  • 東宝現代劇特別公演「太宰治の生涯 同氏作品集より」(1967年、芸術座) - 私 役
  • 東宝七月特別公演「弥次喜多 東海道中膝栗毛」(1968年、東京宝塚劇場)- 喜多八 役 宮城まり子(女郎お鹿役)の前で、当時の宮城のヒット曲「ガード下の靴磨き」を哀愁を込めて歌う場面があった。[18]
  • 東宝みどりの会第一回公演「巨人の星」(1969年、芸術座) - 星一徹
  • 六月新派公演「滝の白糸」(1972年、国立劇場大劇場) - 村越欣弥 役 国立劇場視聴室にて視聴可能(要予約・1回2時間以内)
  • 中村吉右衛門若尾文子帝劇五月特別公演「暗闇の丑松」(1973年、帝国劇場) - 美濃半の煮方丑松 役
  • 第二回十月新派公演「婦系図」(1973年、国立劇場大劇場) - 早瀬主税 役。1974年1月6日:前編、1月13日:後編としてNHK総合にて舞台中継。国立劇場視聴室にて視聴可能(要予約・1回2時間以内)
  • 新派初春公演、中村吉右衛門特別参加「金色夜叉」(1976年、新橋演舞場) - 間貫一 役。同年4月9日、NHK総合「金曜招待席」にて舞台中継。
  • 大阪新歌舞伎座5月薫風公演「日本巌窟王」(1980年、新歌舞伎座)- 葵月之介 役。5月1日~25日公演、NHK水曜時代劇日本巌窟王」の舞台化。
  • 新橋演舞場創立60周年記念、六月特別公演「華岡青洲の妻」(1984年、新橋演舞場) - 華岡青洲 役。同年9月9日、NHK総合「芸術劇場」にて舞台中継。
  • 蜘蛛巣城」(2001年、新橋演舞場)ー 鷲津武時 役。シェイクスピアの戯曲「マクベス」を下敷きにした黒澤明監督作品・映画「蜘蛛巣城」の舞台化。共演した麻美れいが「中村吉右衛門さんをしのんで」に出演し思い出話を披露した。また、狂言師の茂山宗彦も自らの公開オンラインミーティングで稽古の思い出を語った。[150]
  • 朗読劇「ラヴ・レターズ」(2002年、PARCO劇場) - アンディ 役
  • 平清盛生誕九百年記念公演 第29回平家物語の夕べ「祇園精舎」、「入道死去」「慈心房」「祇園女御」(2018年、国立能楽堂) - 朗読、共演:若村麻由美
  • 中村吉右衛門配信特別公演「須磨浦」[151](2020年、国立能楽堂収録、イープラス「Streming+」にてネット配信) - 熊谷次郎直実 役 ※コロナ休演中のため無観客収録・配信。

創作作品[編集]

歌舞伎[編集]

松貫四という筆名で以下の歌舞伎台本を書いている。

  • 『再桜遇清水』(さいかいざくら みそめの きよみず)
  • 『昇龍哀別瀬戸内・藤戸』(のぼるりゅう わかれの せとうち・ふじと)
  • 『巴御前』(ともえ ごぜん)
    • 内容:舞踊劇
    • 初演:平成11年 (1999) 10月、琴平町金丸座
  • 『日向嶋景清』(ひにむかう しまの かげきよ)
  • 『閻魔と政頼』(えんまと せいらい)
    • 内容:能狂言の『政頼』を下敷きにした舞踊劇
    • 初演:平成19年 (2007) 6月、東京歌舞伎座、再演:平成20年(2008)4月、名古屋御園座
    • 茶番狂言『播磨屋連中手習鑑』
    • 内容:第29回「吉右衛門を囲む会」にて上演された播磨屋門弟による茶番劇
    • 初演:平成18年(2006)7月31日、東京會舘 
    • 『須磨浦』(すまのうら)
      • 内容:「熊谷陣屋」の熊谷直実を新たな角度から見直し、作・演出・主演。能舞台を使い、素面、衣装、道具もほぼ無い状態で演じられた一人舞台。
      • 初演:令和2年(2020)、国立能楽堂収録、イープラス「Streming+」にてネット配信

著書[編集]

  • 『吉右衛門日記』(1956年、演劇出版社)著者は初代吉右衛門だが、題字は二代目吉右衛門の書いたもの。(小学3年時)[152]
  • 『半ズボンをはいた播磨屋』(1993年、淡交社 / 2000年、PHP文庫) ISBN 978-4569574837
  • 『物語り』(1996年、マガジンハウスISBN 978-4838707089
  • 『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(1998年、小学館)。監修 ISBN 978-4093311120
  • 『吉右衛門のパレット』(2000年、新潮社阿川佐和子との対談集。写真・稲越功一 ISBN 978-4104425013
  • 『播磨屋画がたり』(2004年、毎日新聞社ISBN 978-4620606071
  • 『長崎スケッチ』絵はがき集 (2005年春頃?、島原半島観光連盟)「徹子の部屋」2006年8月25日放送回にて、前回「徹子の部屋」に出演した際、趣味の絵の話になり、番組で数点紹介したところ、「それを見た島原半島観光連盟の方が「あいつに描かせろ」と言って役者の自分にこの仕事をくれた」と話した。著名な吉右衛門にご当地10カ所(島原城、白雲の池、ハウステンボス、鍋島邸長屋門と石塀、小浜温泉、グラバー邸、オランダ塀、九十九島、棚田、平成新山)の絵を描いてもらい、一言コメントつきの絵はがき集にして、長崎を皆さんに知ってもらいたいという趣旨。2日間で絵を仕上げた。1日スケッチをして夜に仕上げ、翌日渡した。平戸では「観光客の道行くオバチャンたちに「あ!吉右衛門だ!吉右衛門だ!」と言われつつ、蚊に刺されながらその場で絵を仕上げて渡してきた」と話した。
  • 『夢見鳥』(2019年、日本経済新聞出版社)。私の履歴書 ISBN 978-4532176709
連載
  • 茶のある暮らし なごみ「役者の素顔」「蝸牛のツラネ」(1986年1月ー12月号、1990年1月ー1992年12月号 淡交社)「半ズボンをはいた播磨屋」として単行本化。
  • 鳩よ!「休憩時間」(1994年3月-95年8月号、マガジンハウス)加筆修正・再構成され「物語り」として単行本化。
  • 朝日新聞夕刊・芸能欄 オフステージ「播磨屋の楽屋ばなし」1-4(1994年3月)4日:伴奏縫い一発「プイ」,11日:出前サン符丁守って,18日:悩む食生活に救世主,25日:女房代わりの男衆)
  • 毎日新聞サンデー毎日「播磨屋の楽屋で一服」(毎日新聞夕刊 全24回、第2・第4火曜日掲載。2001年1月9日-12月25日/サンデー毎日 全26回、半年間、毎週掲載。2002年10月13日号-2003年4月13日号)『播磨屋画がたり』に抜粋を収録。
  • 毎日新聞未収録分[153]:2/13第3回「「ワークショップ」委員長に」、3月:第5回「「休みだ、休みだ」の次は・・・」、第6回「雪の宿でゆったりお湯に」、4/24第8回「ウッズの偉業に感服」、11/27第22回「30年来の夢がかなった」、12/11第23回「旅先で味わう夢の生活」、12/25第24回「役者の本質を見失わず」
  • サンデー毎日未収録分[154]:2003/2/16第18回「学生時代はゴールキーパー」3/23第23回「奈良の思い出は?」3/30第24回「パリでオペラを」4/6第25回「バレエの魅力」4/13第26回(最終回)「引き際が大事」
  • 婦人画報(2003年1月-12月号、アシェット婦人画報社)「中村吉右衛門の役者歳時記 中村吉右衛門が描く歌舞伎絵12ヵ月」銀座百点[155]の対談中に山本容子氏に相談して開始した、歌舞伎の場面をテーマにしたフルカラーの一枚絵と、その月にまつわる談話。12回の連載。1月号:新連載スタート特別インタビュー /銅版画家山本容子さんを迎えて(対談)/第1回 睦月 お正月 第2回(2月)如月 節分 第3回(3月)弥生 雛祭り 第4回(4月)卯月 花見 第5回(5月)皐月 端午の節句 第6回(6月)水無月 雨の季節 第7回(7月)文月 七夕 第8回(8月)葉月 旅 9月号:初代50回忌追善インタビュー中村吉右衛門の名を生きて/ 第9回(9月)長月 菊畑 第10回(10月)神無月 出雲阿国 第11回(11月)霜月 紅葉のころ 最終回(12月)師走 忠臣蔵。単行本化はしていない模様。東京都都立中央図書館・都立多摩図書館閉架に当該バックナンバーあり。
  • 読売新聞朝刊「時代の証言者」(2006年5月10日-6月8日)全22回。金曜日、日曜日を除く月~木、土曜の週5回掲載。第1回『初代の芝居 伝えたい』~22回『記念の秀山祭 初代へ恩返し』
  • 日本経済新聞私の履歴書」(日本経済新聞社)『夢見鳥』に収録。
  • 朝日新聞「語る 人生の贈りもの」[156](2017年7月10日-7月28日、朝日新聞)1 やっと「なりきれる」ように~14 形より心、いつか「無」の境地に(有料会員記事、配信中)
  • WEBマガジン『本の窓』「二代目中村吉右衛門 四方山日記」稀代の名優が描き綴る 舞台のうちそと(2020年-2022年、小学館)2022年3月号にて最終第23回と第7~9回の再録を掲載。2022年秋単行本化予定。

作詞[編集]

翼をください」「虹と雪のバラード」を作曲し、荒井由実(現・松任谷由実)や、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などをプロデュースした作曲家・村井邦彦は暁星学園の同級生で、中学時代にできた初めての親友。放課後に萬之助(吉右衛門)宅に集まり、村井がピアノ、萬之助がベース、染五郎がドラムで、よくジャズセッションをしていた。また、村井は荒井由実をプロデュースする際にデモテープをもう一人の女性歌手と比較して吉右衛門に聴かせ、吉右衛門は荒井の方が良いと思うと言い、村井は「君もそう思うか」と言ったという。[157]ランブリン・マン(ザ・マイクスのデビューシングル、1967年10月発売)の作詞の経緯を吉右衛門は「京都で撮影中の僕に村井から電話が入り、「B面なんだが急がなければならない。何か詞ができないか」。即座に作って電話で伝え、スタジオで録音に立ち会いました」と語っている。波野久信は改名前の本名(二代目 聞き書き 中村吉右衛門より)。冒頭のギターリフにローリングストーンズの「(I can't get no )satisfaction」が引用されているのは、親友の村井が持つ、吉右衛門のイメージやテーマなのかもしれない。”I can't get no satisfaction 'Cause I try and I try and I try and I try I can't get no, I can't get no”

写真集・関連書籍・DVD[編集]

特集・雑誌記事
  • 『面白倶楽部 9月号』(1960.08、光文社)グラビア ホープ3人(歌舞伎)中村万之助
  • 演劇界 6月号』(1962年5月、演劇出版社) 四月の芝居を見る 木の芽会より 文・中村万之助の日記より
  • 演劇界 1月号』(1963年、演劇出版社) 東西の舞台から 舞台の若者たち <中村万之助> / 藤間正子
  • 週刊女性 10月16日号』(1963年、文芸社)飛び立つ若獅子 染五郎・中村万之助兄弟ヨーロッパへ・・・
  • 週刊明星  7月11日号』(1965年、集英社) 中村万之助と染五郎
  • 週刊読売 7月11日号』(1965年、読売新聞社) 人 吉右衛門を襲名する / 中村万之助
  • サンデー毎日 7月25日号』(1965年、毎日新聞社) 表紙:中村万之助
  • 婦人生活 9月号』 (1965年、婦人生活社) 期待を背負って・・・ 現代の新しい二枚目 中村萬之助 「市川染五郎ってステキネ」という声も多いが、最近「私は弟の萬之助の方がいいわ」というファンが増えてきた。(略)家庭の中の中村萬之助評は?「消極的な性格は自分似、次男同士共通点があるのだろう。稽古では若い頃の自分の悪い癖をそのままやっているのでハッとする」:初代白鸚 「何でもかんでも兄とは正反対、無類の無口。小さい頃は一番チャメでシャレばっかり言っていたが」:母・正子 「ひさのぶには本格的な二枚目に成長してもらいたい。日本にはハムレットをやれる貴公子タイプの役者が少ないが、彼なら充分素質がある」:二代目白鸚
  • ヤングレディ 11月22日号』(1965年、講談社)グラビア 市川染五郎、中村万之助 背中合わせでふざけあう兄弟の写真
  • 演劇界 9月臨時増刊号 中村吉右衛門』(1966年1月1日、演劇出版社)初代吉右衛門の追悼号を兼ねており、17世勘三郎8世三津五郎2世又五郎、13世仁左衛門6世歌右衛門14世守田勘弥の追悼寄稿がある。幼少期、萬之助時代の写真(女方写真4枚、東宝「赤と黒」舞台写真、プライベート写真)も豊富。戸板康二の新吉右衛門論、父幸四郎の新吉右衛門への手紙、新しい吉右衛門への100の質問など。
  • 週刊現代 5月5日号』(1966年、講談社) "ヌード"と対決する中村萬之助
  • 週刊明星 9月4日号』(1966、集英社) グラビア 左:実父、実母、兄と浜辺で誕生日祝い 右:水着姿の兄弟 正座の万之助(木の守り札が付いた金鎖のネックレス付)と寝そべる染五郎
  • 国際写真情報12月号』(1966年、国際情報社)歌舞伎二代目中村吉右衛門襲名
  • 演劇界 2月号』(1967年、演劇出版社) 若手俳優論 中村吉右衛門 / 渡辺保 , 本社特別撮影 グラビヤ 連載 若手俳優 / 中村吉右衛門
  • 演劇界 9月号』(1967年、演劇出版社) 昭和二桁生れ、歌舞伎の群像 市川染五郎・中村吉右衛門・中村米吉・市川銀之助 / 和角仁
  • 東宝』(1968年11月号)中村吉右衛門・岡田茉莉子 カリーライス誕生
  • 週刊TVガイド』(1969年3月7日特大号)ポーラ名作劇場「ながい坂」広告 新番組 昭和元禄の若者に・・・・・吉右衛門が吐露する痛切な”男の心情” 
  • サンケイ新聞 週刊TVニュース』(1969年3月15日号、サンケイ新聞社)「ながい坂」一面で特集
  • 演劇界 5月号』(1969年、演劇出版社)特集 俳優わが子を語る ●松本幸四郎から中村吉右衛門へ / 松本幸四郎 ; 中村吉右衛門
  • 週刊平凡 5月29日号』(1969年) 凛々しい男/中村吉右衛門 / 橋本敬之亮
  • 週刊平凡 8月21日号』(1969年) 「このひたむきな恋をなんとか実らせてやりたい」と母・藤間正子さん 中村吉右衛門が命がけの恋!
  • 女性自身』(1970年)中村吉右衛門&若尾文子 中村吉右衛門と若尾文子の交際は愛に変わるか 東宝公演「雪国」がきっかけ
  • 週刊平凡 7月22日号』(1971年) 中村吉右衛門が絶対安静2か月
  • 週刊平凡 1月6日号』(1972年)来春再婚?!吉右衛門の母もみとめたふたりの仲 若尾文子と中村吉右衛門が熱愛!
  • 『微笑』(1972年12月9日号)若尾文子・中村吉右衛門が迎えた愛の破局 その全真相
  • 演劇界 2月号』(1973年、演劇出版社)若手俳優技芸論 中村吉右衛門・その実在感 / 大笹吉雄
  • 週刊平凡 10月17日号』 (1974年、平凡出版)おしゃべりジャーナル 幼なじみと婚約、来年挙式 / 中村吉右衛門
  • 週刊明星 8月18日号』(1974年8月、集英社)誠実な愛がいま花開く・・・中村吉右衛門(30)が慶大生山本知佐さん(18)と晴れて婚約
  • 演劇界 3月号』(1975年、演劇出版社)表紙 鎌倉三代記 <中村吉右衛門の高綱> / 梅村豊
  • 週刊明星 5月25日号』(1975年6月、集英社)中村吉右衛門が華麗な挙式!
  • 週刊平凡 10月23日号』(1975年10月、平凡出版)中村吉右衛門におめでた!だが…
  • 演劇界 1月号』(1976年、演劇出版社)特集 新婚夫婦アツアツ風景 一周り違いの幼な馴染 / 中村吉右衛門・波野知佐
  • 週刊明星 5月16日号』(1976年、集英社)中村吉右衛門、森山良子に喜びの赤ちゃん誕生
  • 家庭画報』(1976年6月号、家庭画報社)
  • 週刊明星 6月27日号』(1976年、集英社)希望通りの女児を抱いて…中村吉右衛門一家
  • 演劇界 12月号』(1976年、演劇出版社)俳優論 中村吉右衛門 / 水落潔
  • 演劇界 7月号』(1978年、演劇出版社)グラビヤ8頁 俳優論の主役<中村吉右衛門> 
  • 週刊明星 12月3日号』(1978年、集英社)中村吉右衛門、愛娘 喜びの七五三
  • アサヒグラフ』(1981年1月16日増大号、朝日新聞社)「かぶき新時代-娘たちを酔わせる若手花形」
  • 婦人倶楽部 1月号』(1984年、講談社)父と娘のデート / 中村吉右衛門
  • 婦人倶楽部 1月号』(1985年、講談社)女性ばかりにかこまれたわが家のお正月 女系家族万歳! / 中村吉右衛門
  • 週刊新潮 7月11日号』(1985年7月11日号、新潮社)「復活・金毘羅大芝居」
  • FRIDAY 9月13日号』(1985年、講談社)「森村桂さん軽井沢でティールーム店開き」一家5人で森村桂が開店したアリスの丘ティールームへ来ている写真
  • 週刊TVガイド』(1986年4月12-18日号、東京ニュース通信社)クローズアップ 中村吉右衛門
  • グラフNHK』(1986年5月号、NHK)武蔵坊弁慶特集と表紙。
  • 週刊TVガイド』(1986年11/29-12月5日号、東京ニュース通信社)特集
  • 『歴史と旅 5月号』(1986年、秋田書店)NHKドラマ弁慶を演じて / 中村吉右衛門
  • オール読物 7月号』(1989年、文芸春秋)グラビア 四代目鬼平 中村吉右衛門、登場
  • FOCUS 6月22日号』(1990年、新潮社)tour「船乗り込み」は観光遊覧船で-米国の「歌舞伎処女地」に挑んだ中村吉右衛門の強行軍
  • サライ 4月4日号』(1991年)★ファッション「ペッカリー」モデル:中村吉右衛門 
  • 婦人公論』(1999年2月7日) 娘4人に囲まれた果報者、わが家の「若草物語」 (p.42~45)
  • 『FRIDAY 4月9日号』(1999年、講談社)
  • 文芸春秋 3月号』(2001年、文芸春秋)グラビア 事件(36)中村吉右衛門の見た「JFK暗殺」
  • 婦人画報』(2003年5月号、アシェット婦人画報社)特別編集 2003歌舞伎ブック 400年目の歌舞伎を楽しもう! 第1章 中村吉右衛門さんに聞く
  • 週刊朝日 2013年4月12日号』(2013年、朝日新聞出版)「80歳で弁慶をやってあの世に」歌舞伎俳優・中村吉右衛門さん 77歳で亡くなる前に明かした"夢”[158] 
  • 週刊新潮 2016年2月22日号 別冊』(2016年2月、新潮社)グラビア「週刊新潮」草創期を飾った主役たち 16 松本幸四郎(9世)・中村吉右衛門
  • 週刊新潮 2018年8月2日号』(2018年、新潮社)中村吉右衛門が仰天告白 〈ガス管をくわえたことも…〉[159]
寄稿・対談・インタビュー
  • レコード芸術 1月号』(1966.01 音楽之友社)試聴記 お年玉でえらんだ私のレコード:店員さんごめんなさい!「ヴィヴァ・サラ・ヴォーン」 / 中村万之助 ※ポケットに二千円突っ込んでレコード店に入り、あれこれ出させて2時間試聴した挙句、その時の気分に合ったレコードを1枚買いました、店員さんごめんなさいという内容。
  • 『別冊女学生の友 オール小説秋号』(1966年?、小学館)中村万之助 寄稿 吉右衛門を襲名するぼくの気持ち※名前が変わったからと言って自分が変わるわけではないが、「もちろん、吉右衛門の名まえを継いだ以上、先代の名をけがすようなことは、ぜったいにしない。これは、あたりまえのことだ。そして、何十年かかっても、何とか先代の芸と人間に追いつき、さらに、できれば、追い越したい・・・・・・なんだか、気の遠くなるような計画だけれど、これが正直な心境だ。」古典歌舞伎、翻案劇、現代劇も挑戦し、ちゃんと卒業できないのは残念だが、歌舞伎の世界にとどまらず、聴講生として大学にも通いたい。「ぼくの現代劇をみてくれたお客さまが、ぼくの歌舞伎の舞台も見に来てくれる・・・・・・そうなったらうれしいのだけれど・・・・・・」
  • 映画情報 6月号』(1966年、国際情報社) スタンダールの地を訪ねて <赤と黒>上演を前に原作の地を訪問 中村万之助※岸田今日子とともにスタンダールの墓碑に献花、記念碑を訪ねブローニュのの森を散策。セーヌ河畔ではビート族と一緒にギターを弾きながらフォークソングを歌う写真など。当人の文章による報告。
  • 『郵政 臨時増刊7月号』(1966年、日本郵政公社広報部門広報部)若い郵政職員の皆さんへ / 中村萬之助※業務に携わる若い職員の皆様方、毎日本当に御苦労の多い事と御推察申し上げます。付きましては、私もまだ勉学の途上にありかえって私が励まされる立場にありますので、申訳もございませんが又次の機会に投稿させていただきますので悪しからず。(注 中村万之助さんに原稿をお願いいたしましたところ、このような心あたたまるお返事をいただきました。ご諒解を得てこのまま掲載させていただきました。-編集部-)
  • 週刊読売 10月7日号』(1966年、読売新聞社)モダン中村吉右衛門の初口上――日出造対談 万之助から〝二代目〟を襲名して / 近藤日出造
  • 婦人生活 12月号』(1966、婦人生活社)スター対談 樫山文枝・中村吉右衛門
  • 『人物往来 歴史読本1月号』(1967年、人物往来社)ブロンドと歌舞伎 / 中村吉右衛門
  • 週刊新潮』(1967年4月29日号、新潮社)対談 白川由美&中村吉右衛門
  • 週刊読売』(1968年1月26日号)対談 中村吉右衛門 太地喜和子
  • 週刊明星 3月30日号』(1969年、集英社)入籍はまだです 星由里子+中村吉右衛門
  • 演劇界 9月号』(1969年、演劇出版社)六〇分の会話 中村吉右衛門と藤村志保
  • 『季刊同時代演劇1冬季号』(1970年2月10日)インタビュー 漂泊の演劇と都市の劇場
  • 『音楽現代』(1971年5月号、芸術現代社)対談 中村吉右衛門+黛敏郎「東洋の心・西洋の心」
  • 『潮 169号』(1973年7月、潮出版社)対談 伝統をこえる河原乞食の精神 / 岡本太郎 ; 中村吉右衛門
  • 『銀座百点』(1973年11月号)座談会 中村吉右衛門・円地文子・戸板康二他
  • 演劇界 1月号』(1976年、演劇出版社)特集--菊・吉を検討する すべてが役者 うちのお祖父さん / 中村吉右衛門
  • グラフNHK』(1977年9月号、NHK)中村吉右衛門 & 都倉俊一(作曲家) 連載対談 話の招待席 「音楽と芝居の世界」
  • 演劇界 11月号』(1977年、演劇出版社)劇評 対談 若手役者との一時間 中村吉右衛門 / 土岐迪子
  • 主婦と生活 6月号』(1978年5月、主婦と生活社)母を語る / 中村吉右衛門
  • 『男が食べたい料理』(1980年、主婦の友社
  • 『太陽 3月号 No.262 』(1984年、平凡社)特集『日本の老舗』十一人が選ぶ馴染みの老舗・贔屓の老舗
  • 週刊平凡 4月4日号』(1986年、マガジンハウス)野次馬インタビュー/家ではものぐさでずぼらな毎日 / 中村吉右衛門
  • 『演劇 第25号』 (1987年10月20日号、御園座)インタビュー
  • 『図書 第500号』 (1991年2月1日号、岩波書店)寄稿「歌舞伎インUSA 」
  • 『歌舞伎俳優大百科』(1993年、実業之日本社)責任編集:赤坂治績 俳優インタビュー「中村吉右衛門ひとり語り」
  • 『日経アントロポス』(1993年7月号、日経ホーム出版)インタビュー「タフな女性より頼もしくなるのは至難の業」
  • サンデー毎日 11月21日号』(1993年、毎日新聞出版)対談 小宮悦子のおしゃべりな時間 鬼平ファンの小宮と”僕の悦ちゃん”と語る小宮ファンの吉右衛門の対談。
  • 『自警 1月号』(1994年、警視庁警務部教養課 自警会)強くて優しい鬼の長谷川平蔵~鬼平と語る平成の警察~ / 第79代警視総監の吉野準氏が吉右衛門にインタビュー。S58年頃、金丸座が現在地に移転した際に香川県警本部長だった吉野氏は「ここで芝居ができないか」と当時の県知事や町長に働きかけていたという。その後「すばらしき仲間」で吉右衛門たちの「ここで芝居をやりたい」という言葉が決定打となり「県警本部長がなにやらゴチャゴチャ言うとったが、ほんまにそうか」と地元代表が松竹の本社に行って決めてきた、と語っている。
  • 『プレジデント』(1994年7月、プレジデント社)池波さんのことを語ろう―平蔵と同じ四五歳になった時、私は実父の演じたこの役を受ける決意をした / 中村吉右衛門
  • 日本ペイントPR誌 可視光』(1994年2月?、日本ペイント)早稲田仏文科時代の同級生である松岡正剛との色をテーマにした対談。「隈取りの紅はいよいよ赤く」1994年2月16日収録。
  • 『サンサーラ』(1994年、徳間書店)「直言対論 佐高信の「時代を読む」」ゲスト。(対談日:94.1.20)
  • 『日本への毒薬―13人の激辛断罪裁判』(1995年、徳間書店佐高信 上記の佐高信氏との対談を収録。「磨かれた男」のダンディズムとは何か 酸いも甘いも噛み分けた「鬼平」/優れた男は女によって磨かれる/人見知りとひねくれ者の共通項/役者と本当の自分の切り替え方/ひねくれ者の渋柿論
  • 『目の眼 11月号 No.230』(1995年、里文出版) 座談会「江戸の十手」中村吉右衛門 杉浦日向子 井出正信
  • 『江戸の十手コレクション』(1995年、1998年、里文出版)「伝・長谷川平蔵の十手」をメインに、カラーで楽しめる十手の本。中村吉右衛門、杉浦日向子、井出正信の鼎談付き。
  • 『淡交ムック 紋章とデザイン』(1996年、淡交社)インタビュー:中村吉右衛門、家紋と伝統を語る
  • 週刊文春 阿川佐和子のこの人に会いたい 中村吉右衛門』(1997年6月19日号、文芸春秋)「阿川佐和子のアハハのハ この人に会いたい2」に収録。
  • 広告批評 201号』(1997年1月号、マドラ出版)対談 中村吉右衛門 天野祐吉 「遊びの国へ出かけよう」
  • 『同色対談 色っぽい人々』(1998年2月、淡交社)94年日本ペイントPR誌「可視光」対談の単行本化。「18 隈取りの紅はいよいよ赤く」(210p-223p)
  • 『夢を語る役者たち』(1998年、演劇出版社)横溝幸子 ベテラン女性演劇記者の著者が、歌舞伎俳優を中心に、旬の演劇人33人にインタビュー。その舞台と人に迫る。
  • 週刊朝日 9月25日号』(1998年、朝日新聞出版)林真理子対談 マリコの言わせてゴメン!(151)中村吉右衛門「兄と比べられるのがいやで,作家を目指したこともありました」
  • 『夫婦の階段』(1999年、日本放送出版協会谷口桂子 各界の著名人夫婦が「夫婦」を語る。『週刊朝日』連載中のインタビューをまとめた一冊。
  • 『Aff = あふ』(1999年12月、農林水産省大臣官房広報評価課 編)21世紀に伝えたい、ご飯の本当の美味しさ--中村吉右衛門さんに聞く(p.8~11)
  • 阿川佐和子のアハハのハ この人に会いたい2』(1999年、文春文庫週刊文春1997年6月19日号の連載対談を収録。文庫版。
  • 『中村吉右衛門』(2000年、岩波現代文庫小宮豊隆 寄稿。”あとがき「初代中村吉右衛門のこと」”
  • FRaU 8月8日号』(2000年、講談社早川タケジの「ジャルダン・デ・モード」中村吉右衛門 私なりに、映画は方針をもって見て居ります スチールモデル系。撮影/沢渡朔
  • 『CREA』(2000年12月号、文芸春秋)カルティエのトリニティリングとのタイアップ広告用エッセイ。「ばあやが遺してくれたもの」
  • 毎日新聞 夕刊』(2001年1月9日(火)-12月25日(火)、毎日新聞社) 連載「播磨屋の楽屋で一服」(播磨屋画がたりに抜粋収録)
  • 家庭画報』(2001年2月号、世界文化社) 中村吉右衛門 播磨屋の芸を語る
  • 『愛の記憶―Crea due 』(2002年、文藝春秋)『CREA』に掲載されたエッセイを収録。4 「ばあやが遺してくれたもの」(41p-52p)
  • 家庭画報』(2002年3月号、世界文化社) 特別対談「俳優とは」塩野七生さん+中村吉右衛門さん
  • 『おやじ、ありがとう』(2002年、講談社)同タイトルの週刊現代の連載を再構成。コラム:養父の大きさと実父のありがたさ、両父と4歳の当代の写真。(168-169p)
  • 婦人画報』 (2003年1月号、アシェット婦人画報社)新連載スタート 特別インタビュー、中村吉右衛門の役者歳時記(1)以後12月まで連載。
  • 『楽屋のれん』(2003年5月、演劇出版社)「演劇界」掲載の連載の単行本化。15 中村吉右衛門 (138p-145p)
  • 『月刊文化財』(2003年11月、文化庁 監修 第一法規) 歌舞伎俳優に聞く 中村吉右衛門(p.16~23)
  • 『週刊日本の美術館を楽しむ1国立西洋美術館◆◆クロード・モネ睡蓮]』(2004年、毎日新聞社) 連載 美に親しむ(1) 中村吉右衛門
  • 朝日新聞文化芸能欄』(2005年5月27日、朝日新聞社)ARTIST MEETS ARTIST 「美の共有」人の心に残る芸が役者は大事 対談 田村能里子 中村吉右衛門[160]
  • 『月刊現代 11月号』(2005年、講談社) いまの一押しは「プーさんのハニーハント」です 鬼平「東京ディズニーランドにハマる」の記 ( p.248~255)
  • 『俳句界』(2006年12月?)佐高信氏との「甘口対談」ゲスト。(2回目)2006年11月18日ホテルオークラにて収録。
  • 『詩歌(うた)と俳句の湧き口―生命(いのち)のリズムを語る20人 佐高信対談集』(2007年、七つ森書館 )「世界遺産「歌舞伎」を遊ぶ」(p233-247)
  • 『吉右衛門句集』(2007年、本阿弥書店)初代吉右衛門の句集。新装版出版につき、帯に寄稿。
  • 『わたしの失敗(3) 著名35人の体験談』(2008年、産経新聞出版)『産経新聞』連載のインタビューを単行本化。15 中村吉右衛門さん(124p-133p)「大事な舞台に遅刻」「初舞台で号泣 代役と交代」「「もうちょっと」で絵が台無し」「背の高さに理不尽な批評」
  • 『花とフォルムと 転換する時代の歌舞伎評論』(2011年7月、朝日新聞出版中村 哲郎著 インタビューを掲載。62 こんぴら歌舞伎大芝居讃(320p-333p)
  • 文芸春秋』(2011年11月、文芸春秋)中村吉右衛門 初告白 私の胆石との長い闘い(p.322~326)
  • 週刊朝日 11月23日号』(2012年、朝日新聞出版)中村吉右衛門さん スケッチを通した意外な体験[161]
  • 家庭画報 12月号』(2012年、世界文化社)父と娘の肖像 中村吉右衛門(歌舞伎役者)×波野瓔子
  • 池波正太郎生誕90年(没後30年)記念総特集』(2013年1月/2020年12月、河出書房新社)インタビュー 長谷川平蔵に学んだこと(230p-235p)
  • 週刊朝日 4月12日号』(2013年、朝日新聞出版)寿「歌舞伎座」こけら落とし大解剖 吉右衛門が語り尽くす
  • 天野祐吉対話集─さよなら広告 さよならニッポン』(2014年、芸術新聞社広告批評201号の対談 中村吉右衛門「遊びの国へ出かけよう」の単行本化。
  • サピオ 2月号 』 (2014年、小学館))文化 :まずは己を知り、自国を知ってこそのグローバル そろそろ日本人の「情」を見直す時ではないか 中村吉右衛門 16p
  • オール読物 70巻 6号』 (2015年5月増刊、文芸春秋) 私にとっての長谷川平蔵 中村吉右衛門 (304p)
  • 『五郎治殿御始末 中公文庫 あ59-3 改版』(2014年、2021年、中央公論新社浅田次郎の小説。巻末に浅田次郎との映画化記念対談「明治維新は歌舞伎にとってもたいへんだった 」
  • 『オトコの別腹スイーツガイド』(2015年、朝日新聞出版)『朝日新聞』夕刊連載を単行本化。「鍵善良房」の甘露竹[162]をお勧め。本人のコメントとともに紹介。
  • 『PHP 2015年09月10日号』(2015年9月、PHP研究所)寄稿「決められた道を、自分らしく歩む」(41p)
  • 『古典の男たち 』(2015年11月、マガジンハウス)伝統芸能の名人達のロングインタビュー。 「こんなもんじゃないッ、こんなもんじゃないんです。僕なんて全然、足りません。」(6p-13p)
  • サンデー毎日 2018年9月9日号』(2018年9月、毎日新聞出版)対談 艶もたけなわ 阿木燿子 中村吉右衛門(56p)
  • 文藝春秋 2020年10月号』(2020年10月、文藝春秋)寄稿 「歌舞伎再開 半年ぶりの舞台で」(192p-199p)
  • 『スポーツのうた 世界の子どもがハイクをよんだ (地球歳時記)』(2021年、JAL財団)序文
  • 『わたしのなつかしい一冊』(2021年、毎日新聞出版)2 道に迷ったときに 中村吉右衛門・選 『紫陽花舎随筆』(鏑木清方)
  • ラジオ深夜便 2021年4月No.249号』(2021年4月、NHKサービスセンター)インタビュー「伝統歌舞伎の継承が使命」(16p)2020年12月の放送をまとめたもの。
LP・カセット・ビデオ・CD・DVD(ブルーレイ)
  • 新日本風土記 飛騨路をゆく 高山まで』(1971年5月、東宝レコード)2枚組のLPレコード。語り。「高山まで」「高山と古川」「白川郷への道」、飛騨民謡も併せて録音。
  • 『肉声できく昭和の証言 芸術家芸能人編 中村吉右衛門 (NHKカセットブック)』(1991年7月1日、NHKサービスセンター)
  • 『世界最長の河ナイル 1、2 新世界紀行 悠久なる大河編 河口から5,000キロ』(1991年、パック・イン・ビデオ)東京放送放映「新世界紀行」のビデオ。ナレーションで出演。YOUTUBE 新世界紀行チャンネル by kazoo!にてネット閲覧可能。
  • 『石川忠久の漢詩紀行100選』(1996年、2020年、NHK公式のサイトの出演者欄には未掲載だが、6巻-10巻に朗読を収録。
  • 『キングCD文庫 ホッと倶楽部 極めつけ名人芸 歌舞伎十八番勧進帳~』(1998年、キングレコード)8世松本幸四郎、17世中村勘九郎、7代目尾上梅幸、中村萬之助
  • 古事記』(2006年、新潮社)中村吉右衛門/朗読。「上つ巻」「中つ巻」「下つ巻」(以上CD9枚)。
  • 『NHKスペシャル 空海の風景』(2006年、 NHKエンタープライズ)DVD2枚組。
  • 阿部一族 ディレクターズ・カット』(2008年、松竹ホームビデオ)DVD 深作欣二監督作品。
  • K2 白き氷河の果てに』(直販あり、海公房)DVD。海公房オンラインショップより直販可能。
  • 『名演名作選 初代 二代目 中村吉右衛門の芸(小学館DVD BOOK -シリーズ歌舞伎名演名作選)』(2010年、小学館)朝田富次、中村吉右衛門事務所
  • 原典 平家物語』巻一 (2010年、株式会社ハゴロモ) 「祇園精舎」朗読(DVD)
  • 鬼平犯科帳シリーズ』(1989年ー2017年、松竹
  • 『日本の伝統芸能と和楽器[伝統芸能編]第3巻』[163](NHKエンタープライズ)『勧進帳』(かんじんちょう)(19分30秒)武蔵坊弁慶:中村吉右衛門 富樫左衛門:中村富十郎 源義経:中村雀右衛門
書籍
写真集
  • 『中村吉右衛門』(1992年、用美社稲越功一 1979年から12年あまりの吉右衛門の舞台写真集第1弾。渡辺保「吉右衛門の芸」福田恆存「吉右衛門丈との三十余年」野田秀樹「熱を発する星」
  • 『吉右衛門のパレット』(2000年、新潮社稲越功一 阿川佐和子との対談も収録。1990年から1995年までの舞台写真を収録。第2弾。
  • 『去年の夏、突然に』(2002年、中央公論新社)操上和美山本容子とのコラボ写真集。吉右衛門の写真は見開き1枚のみ。撮影時間もあっという間だったというが、最盛期に演じることがなかった、現代劇の舞台の一場面のような気迫あふれる芸術写真。一見の価値はある。2001年7月、港区海岸で撮影。
  • 『播磨屋一九九二〜二〇〇四 中村吉右衛門』(2004年、求龍堂稲越功一 稲越氏との対談も収録。第3弾。
  • 『“手”をめぐる四百字―文字は人なり、手は人生なり』(2007年、文化出版局)著名人の肉筆原稿の複写を掲載。松貫四「手柄話し」の肉筆稿。
  • 佐高信の百人百話 私が出会ったこの人あの話』(2014年、平凡社)「時代を読む」+「甘口対談」の内容、「半ズボンをはいた播磨屋」の引用、吉右衛門が鬼平の撮影ロケの合間に(金戒光明寺の黒谷墓地であろうか)ちょんまげ姿のままで墓碑などを見ていたら、修学旅行生の一団に「あの人なんだっけ!」と指を差されて連呼され、「吉右衛門だ」とか「鬼平だ」と言われるかなと期待したら「江戸の人だ」と言われた、と語った逸話を紹介している。(218p-220p)
  • 隈取 大鳥順一郎押隈コレクション』(2016年6月、New York Art)歌舞伎の隈取を形あるものとして遺した「押隈」。昭和から当代随一の歌舞伎俳優らの協力を得て実現した貴重な写真集。
  • 『歌舞伎俳優二代目中村吉右衛門-別冊芸談付き』(2018年、小学館稲越功一 歌舞伎の歴史に残したい播磨屋の芸の集大成 初舞台から70年、播磨屋・中村吉右衛門の記録。

WEB掲載記事・書籍(追悼)[編集]

  • NHKニュースウェブ』(2021年12月1日、NHK)歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門さん死去 77歳[164]
  • 毎日新聞』(12月1日、毎日新聞社)中村吉右衛門さん死去 77歳 歌舞伎俳優 文化功労者・人間国宝[165]
  • 日本経済新聞』(12月1日、日本経済新聞社)心で感じ、心で演じた人 中村吉右衛門さん死去[166]
  • 朝日新聞デジタル』(12月2日、朝日新聞社)一代の名優の芸と精神継いだ中村吉右衛門さん 素顔は至って謙虚[167]
  • スポーツ報知』(12月2日、報知新聞社)死去・中村吉右衛門さん「芸事の鬼、素顔は仏」の二面性…対照的な「役への厳しさ」と「家族への柔和さ」[168]
  • 東スポWeb』(12月2日、東京スポーツ新聞社)人間国宝・中村吉右衛門さんは元祖「スイーツ男子」だった! 77歳で永眠[169]
  • 早稲田大学サイト ニューストピック』(12月3日、早稲田大学)芸術功労者 中村吉右衛門氏 ご逝去[170]
  • 日刊スポーツ コラム舞台雑話』(12月4日、日刊スポーツ新聞社)中村吉右衛門さん 大事な「ばあや」の存在 芸に精進するきっかけに[171]
  • 読売新聞オンライン』(12月4日、読売新聞社)歌舞伎を「我々の真の古典」に…中村吉右衛門さんを悼む 渡辺保[172]
  • デイリー新潮 エンタメ』(12月7日、新潮社)中村吉右衛門さん逝く あの愛すべき人柄はどこで形成されたのか[173]
  • 『WEB論座』(12月7日、朝日新聞出版)天野道映 中村吉右衛門の歌舞伎は普遍の記憶を呼び覚ました 古典芸能の意味を体現、失われたものの大きさを悲しむ[174]
  • 週刊女性PRIME』(12月7日、文芸社)【秘話】中村吉右衛門さんの娘婿・尾上菊之助が叶えたかった「養子縁組」「復帰公演」[175]
  • 『日刊SPA!』(12月11日、扶桑社)「鬼平」役を断った中村吉右衛門さんが、引き受けた理由。その人柄をしのぶ[176]
  • 時事ドットコムニュース』(12月11日、時事通信社)追悼 歌舞伎の未来見詰め続けた「鬼平」人間国宝・中村吉右衛門さん[177]
  • 週刊文春 12月16日号』(2021年12月、文藝春秋)喜んだ池波正太郎の一言 中村吉右衛門 “鬼平秘録”。村井邦彦篠田正浩、石塚綾子(池波正太郎の姪)、中路豊隆(松竹京都録音技師)、多岐川裕美氏らのインタビュー。
  • 週刊朝日 12月17日号』(2021年12月、朝日新聞出版)さらば鬼平…中村吉右衛門の「男の色気」と「叶わなかった夢」[178]
  • 『女性自身 12月21日号』(2021年12月、光文社)中村吉右衛門さん秘蔵写真で追悼「縁の下のモヤシ」だったころ[179]
  • デイリー新潮 エンタメ 芸能 2021年墓碑銘』(12月31日、新潮社)中村吉右衛門さんの悩み多き道程 「ガス管をくわえたことも」と苦悩を告白[180]
  • 演劇界 2022年2月号』(2022年1月、演劇出版社)追悼 中村吉右衛門さんの思い出 水落潔
  • 『音楽現代 2022年2月号』(2022年1月、芸術現代社)追悼アーカイヴ 中村吉右衛門+黛敏郎(歿後25年)「東洋の心・西洋の心」(音楽現代1971年5月号より再掲)
  • キネマ旬報 2022年2月下旬号No.1886』(2022年2月、キネマ旬報社)映画人追悼2021 11 中村吉右衛門(ペリー荻野)
  • 映画秘宝 3月号』(2022年1月、双葉社)映画訃報 追悼・中村吉右衛門 櫻井洋三プロデューサーが語る「鬼平犯科帳の世界」「鬼平」ドラマ&映画について、プロデュース側(松竹)の思い出・裏話。
  • 演劇界 2022年3月号』(2022年2月4日、演劇出版社)追悼”中村吉右衛門ー芸と人を偲ぶ”/当り役撰/吉右衛門丈を偲ぶ/一門が語る、旦那の姿 ほか
  • 悲劇喜劇 2022年3月号』(2022年2月7日、早川書房)追悼 中村吉右衛門 初志を貫き通した俳優人生 小玉祥子
  • KENSYO Vol.124(春号)』(2022年4月1日、株式会社セクターエイティエイト)特別企画 追悼 二代目 中村吉右衛門(小玉祥子)世界最古の舞台芸術とも言える能をはじめとする、歌舞伎・文楽の世界へアプローチする専門情報誌。関西にて配布。年間購読あり。

脚注[編集]

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出典[編集]

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  3. ^ a b 月刊演劇界発行『最新歌舞伎俳優名鑑』①平成元年/1989年(11月)増刊号のP.150には 身長178cm・体重80kg・血液型B型 と掲載。最終学歴:早稲田大学文学部仏文科。好きな花:バラ。趣味:音楽・絵画。酒量:お付き合い程度《定紋:揚羽の蝶,替紋:かたばみ》/②平成14年/2002年1月臨時特別増刊 のP.211-212には 身長178cm・体重80kg と掲載。最終学歴:早稲田大学文学部仏文科。好きな花:バラ。趣味:音楽・絵画・スポーツ。酒はお付き合い程度《定紋:揚羽の蝶,替紋:村山かたばみ》/③平成18年/2006年2月特別増刊 のP.193には 身長178cm・体重80kg と掲載。最終学歴:早稲田大学文学部仏文科。好きな花:バラ。趣味:音楽・絵画・スポーツ。酒はお付き合い程度《定紋:揚羽の蝶,替紋:村山かたばみ》/④平成27年/2015年9月号特別付録 のP.51には 身長176cm・体重79kg と掲載。最終学歴:早稲田大学文学部仏文科中退。好きな花:バラ。趣味:オペラ・クラシック鑑賞・スケッチ・運転・美術鑑賞。お酒は飲まず。《定紋:揚羽蝶,替紋:村山片喰》
  4. ^ 『演劇界 中村吉右衛門』演劇出版社、1966年9月10日、69頁。 
  5. ^ 『演劇界9月号臨時増刊 中村吉右衛門』演劇出版社、1966年9月10日、56頁。 
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  11. ^ 『演劇界 中村吉右衛門』演劇出版社、1966年9月10日、91頁。 
  12. ^ 『同色対談 色っぽい人々』淡交社、1998年2月、213頁。 
  13. ^ 『夫婦の階段』NHK出版、1999年2月25日、6頁。 
  14. ^ 『AERA』朝日新聞社、1995年11月27号。 
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外部リンク[編集]