塩野七生

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塩野 七生
(しおの ななみ)
文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真
誕生 (1937-07-07) 1937年7月7日(86歳)
日本の旗 日本 東京府東京市滝野川区
(現・東京都北区滝野川
職業 歴史小説家
随筆家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 学習院大学文学部哲学科卒業
活動期間 1969年 -
ジャンル 歴史小説
エッセイ
主題 イタリアを中心としたヨーロッパ史
代表作チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』(1970年)
『海の都の物語』(1980年 - 1981年)
コンスタンティノープルの陥落』(1983年)
『わが友マキアヴェッリ』(1987年)
ローマ人の物語』(1992年 - 2006年)
『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(2013年)
『ギリシア人の物語』(2015年 - 2017年)
主な受賞歴 毎日出版文化賞(1970年)
サントリー学芸賞(1981年)
菊池寛賞(1982年)
女流文学賞 (1988年)
新潮学芸賞(1993年)
司馬遼太郎賞(1999年)
イタリア共和国功労勲章(2000年)
紫綬褒章(2005年)
文化功労者(2007年)
文化勲章(2023年)
デビュー作 「ルネサンスの女たち」(1969年)
子供 アントニオ・シモーネ
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塩野 七生(しおの ななみ、女性、1937年7月7日 - )は、日本歴史作家小説家評論家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。7月7日生まれであることに由来[1]

『ルネサンスの女たち』(1968年)でデビュー。イタリアの歴史を繙く作品で知られる。著書に大作『ローマ人の物語』(1992~2006年)、ローマ史の重要性を説く『ローマから日本が見える』(2005年)など。文化功労者文化勲章受章者。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

東京市滝野川区(現・東京都北区)生まれ。東京都立日比谷高等学校学習院大学文学部哲学科卒業。仏の小説家アンドレ・ジイドを中学生のころから読んでいた。日比谷高時代は庄司薫古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。「イーリアス」を読んで感激していたため翻訳者だった呉茂一に学びたいと願って学習院大に進学した。

デビュー[編集]

1963年からイタリアに遊びつつ学び、モード記者として活躍。ヴァレンティノ・ガラヴァーニなどを日本に紹介する記事を担当した。1968年に帰国すると執筆を開始。『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。東京五輪をイタリアで見て、聖火ランナー最終走者の坂井義則の姿に感激しての挑戦だった。担当編集者は塙嘉彦であった[2]。塙が翻訳文化の岩波書店に対抗して、国産の翻訳で行こうといわれて奮い立ったと学習院大の講演で高校生たちに述懐している。

イタリアへ[編集]

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。同年から再びイタリアへ移り住む。フィレンツェローマに在住し、ローマ名誉市民を経てイタリア永住権を得ており、ローマに在住。

イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。また『イタリアだより 君知るや南の国』や『サイレント・マイノリティ』をはじめとするエッセイや、『日本人へ』などの時事批評、後藤田正晴との対談や佐々淳行などとの対談も行っている。

またローマ帝国前期の「小さな政府」を理想としており、直接的に小泉構造改革を支持していたと思われる叙述が見られる[3]1970年代には『イタリア共産党讃歌』でエンリコ・ベルリンゲルが進めたユーロコミュニズムで支持者を増やしていたイタリア共産党を批評する文章を書いている[4]

現在[編集]

1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『文藝春秋』で巻頭エッセイ「日本人へ」を執筆。2020年代以降も執筆やテレビへの出演などで活動している。

評価[編集]

一連の著作を通して、日本において古代ローマ史やイタリア史、イタリア文化に対する関心を高めたことは高く評価されており、2000年にはイタリア政府よりイタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ章を受けた。

一方で、塩野の意思とは関係なく、著作が「小説」ではなく「歴史書」として受容される傾向が強いことはしばしば問題視されている。古代ローマが専門の坂口明は、『ローマ人の物語』が書店や図書館などにおいて「歴史書」として配置されていること、また学生や市民講座の受講者によって「歴史書」として読まれていることを指摘した。坂口は『ローマ人の物語』について、根拠のない断定や重大な誤りがあることを指摘し、批判的な検証が必要であるとした[5]

小田中直樹は、南川高志の著作[6]と『ローマ人の物語』の比較を通して、塩野の著作を「歴史書」として扱うことに問題があることを示した[7]。小田中は、「『ローマ人の物語』は、史料批判や先行研究の整理が不十分であり、歴史学の方法論に基づいていない」と指摘する。そのため、小田中は「叙述の根拠が著者の感想にとどまっているため、歴史書ではなく歴史小説として読むべきだ」と述べている。また、叙述に考古学的成果がほとんど用いられていない点を問題視する者もある[8]。しかしこれは、著作者の意思とは関係ないことに注意が必要である。

家族[編集]

父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905年 - 1984年)で、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好きであった。フィレンツェ大学医学部に勤務していたイタリア人医師と結婚(後に離婚)。息子アントニオ・シモーネとは共著がある。

著作[編集]

小説・歴史[編集]

イタリア関連[編集]

  • 『イタリアだより 君知るや南の国』(1975年 文藝春秋
  • 『イタリア共産党讃歌』(1976年 文藝春秋)
  • 『イタリアからの手紙』(1981年・改版2003年 新潮社/1997年・改版2016年 新潮文庫)
  • 『イタリア遺聞』(1982年 新潮社/1994年・改版2009年 新潮文庫)
  • 『マキアヴェッリ語録』(1988年・改版2003年 新潮社/1992年・改版2009年 新潮文庫)
  • 『ルネサンスとは何であったのか』(2001年 「塩野七生ルネサンス著作集 第1巻」 新潮社/2008年 新潮文庫)
  • 『ローマの街角から』(2000年 新潮社)
  • 『ローマ人への20の質問』(2000年 文春新書
    • 『完全版 ローマ人への質問』(2023年 文春新書)
  • 『痛快!ローマ学』(2002年 集英社インターナショナル

随筆 その他[編集]

  • 『サイレント・マイノリティ』(1985年 新潮社/1993年・改版2009年 新潮文庫)
  • 『男の肖像』(1986年 文藝春秋/1992年・改版2017年 文春文庫
  • 『男たちへ フツウの男をフツウでない男にするための54章』(1989年 文藝春秋/1993年・改版2017年 文春文庫)
  • 『再び男たちへ フツウであることに満足できなくなった男のための63章』(1991年 文藝春秋/1994年・改版2018年 文春文庫)
  • 『人びとのかたち』(1995年 新潮社/1997年・改版2006年 新潮文庫)。映画エッセイ集
  • 『日本人へ-リーダー篇』(2010年 文春新書
  • 『日本人へ-国家と歴史篇』(2010年 文春新書)
  • 『生き方の演習 若者たちへ』(2010年 朝日出版社)
  • 『想いの軌跡 1975-2012』(2012年 新潮社/2018年 新潮文庫)。エッセイ集成
  • 『日本人へ-危機からの脱出篇』(2013年 文春新書)
    • 個人による海外旅行が認めていなかった1963年当時なぜイタリアに一人渡航できたのか、その資金は誰が出したのかという当時の経緯を綴った『内定がもらえないでいるあなたに』収録
  • 『逆襲される文明 日本人へⅣ』(2017年 文春新書)
  • 『誰が国家を殺すのか 日本人へⅤ』(2022年 文春新書)

共著[編集]

  • 『ローマとその世界帝国 新潮古代美術館 5』(新潮社、1980年)。解説エッセイ「ティベリウス帝の肖像」を寄稿
  • 『信長 「天下一統」の前に「悪」などなし』(第10章執筆/1991年 プレジデント社/2007年 プレジデント・クラシックス)
  • 『おとな二人の午後 異邦人対談』(五木寛之との対談/2000年 世界文化社/2003年 角川文庫
  • 『ローマで語る』(子息アントニオ・シモーネとの対談/2009年 集英社インターナショナル/2015年 集英社文庫)
  • 『ヴァチカン物語 とんぼの本』(石鍋真澄藤崎衛 共著/2011年 新潮社)、図版本
  • 『ヴェネツィア物語 とんぼの本』(宮下規久朗 共著/2012年 新潮社)、図版本

絵本[編集]

  • 『漁夫マルコの見た夢』(1979年 TBSブリタニカ/2007年 ポプラ社/絵 水田秀穂)
  • 『コンスタンティノープルの渡し守』(1980年 TBSブリタニカ/2008年 ポプラ社/絵 司修

受賞・栄典[編集]

舞台化[編集]

  • 『緋色のヴェネツィア 聖マルコ殺人事件』と『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』が、宝塚歌劇団によって舞台化された。別項も参照。
  • 「カエサル -『ローマ人の物語』より-」。栗山民也演出、松本幸四郎主演で、2010年10月に日生劇場で舞台上演された。
原作は『ユリウス・カエサル ルビコン以前 ローマ人の物語IV』、『同 ルビコン以後 ローマ人の物語V』。

メディア出演[編集]

  • 徹子の部屋」(1997年、テレビ朝日)
  • ビートたけし・塩野七生のイタリア三つの都の物語」(2001年11月3日、TBS)。創立50周年記念番組
  • 「塩野七生×向井理 魅惑のイタリア大紀行」(2014年6月8日(前編)・6月15日(後編)、BS-TBS)
  • ニュースウオッチ9」(2017年12月15日、NHK)

出典[編集]

  1. ^ 『ローマ人の物語』編集室. “ローマ人の物語 執筆の舞台裏”. 新潮社. 2015年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月8日閲覧。
  2. ^ 『男たちへ』文春文庫、pp.45-49
  3. ^ 『日本人へ リーダー篇』(2010年 文春新書) 190 - 195ページ「拝啓 小泉純一郎様」より
  4. ^ 「イタリア共産党賛歌」1976年 文藝春秋社刊
  5. ^ 坂口明「ローマ 回顧と展望」史学雑誌』第115編第5号、2006年
  6. ^ 『ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像』講談社現代新書 1998年。新版・講談社学術文庫 2014年
  7. ^ 小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP研究所、2004年
  8. ^ 石川勝二「ローマ史は一日にして成らず 初期ローマ史の研究と叙述」『歴史評論』第531号、歴史科学協議会、1994年、63-80頁。 
  9. ^ 平成17年春の褒章受章者 在外居住者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2005年4月29日). 2005年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月17日閲覧。
  10. ^ “文化勲章に川淵三郎氏ら7人決まる、文化功労者は北大路欣也さんら20人に”. 朝日新聞. (2023年10月21日). https://www.asahi.com/articles/ASRBN53JHRBKUCVL04T.html 2023年10月21日閲覧。 

関連項目[編集]

  • 呉茂一 - 学習院大学の卒業論文の指導教授。彼女の論文を「文学的」と評し、研究者より小説家になる道筋をつけた。
  • 田中美知太郎 - 呉と並ぶ西洋古典学の大家。彼女の作品の理解者で、歴史学と文学の中間に位置するとした。

外部リンク[編集]